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折々の記 2014 ④
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】03/22~ 【 02 】03/22~ 【 03 】03/26~
【 04 】03/30~ 【 05 】04/10~ 【 06 】04/12~
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【 04】03/26
03 30 栄華を極めた二大帝国 オスマン : ハプスブルク
04 01 教育2014 学歴は変わるか:1~3 1~3
04 06 『一万年の旅路』一万年の旅路 ネイティブ・アメリカンの口承史
04 10 理研 再調査行うか来週中に判断へ 研究の改ざんやねつ造はないと主張
04 10 STAP細胞 小保方晴子 No.1 小保方氏、会見2時間半
03 30 (水) 栄華を極めた二大帝国 オスマン : ハプスブルク
注目すべきオーストリア!
私たちはこの国の歴史から宝物を受け取らなければならない。 尖閣で始まり尖閣で退任した中国大使・丹羽宇一郎が危惧する日本の未来!
私たちは確かな考え方の筋を通していなければなりません。 けょうは二つの国を調べました。
オスマン帝国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD
トルコ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3
トルコ語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E8%AA%9E
アルタイ諸語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%A4%E8%AB%B8%E8%AA%9E
イスタンブル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB
ハプスブルク君主国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%90%9B%E4%B8%BB%E5%9B%BD
ハプスブルク家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%B6
ハプスブルク家人物一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%B6%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7
幸いなるオーストリアよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%88
ハプスブルクの結婚戦略(1) - 戦争は他家に任せておけ
http://zorac.sblo.jp/article/67166768.html
ハプスブルクの結婚戦略(2) - 汝は結婚せよ
「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」
政略結婚で知られるハプスブルク家であるが、中世の王侯家が政略結婚により領土獲得を目指すのはごく当たり前の話で*1、ハプスブルク家の場合、その効果が顕著で、欧州の最大勢力に駆け上がったため目立っただけである。
*1 結婚と女系継承参照。欧州の同君連合は、いずれも政略結婚の結果である。むしろフランスの方がえげつない。
冒頭の言葉はハプスブルク関係の文章では必ず引用され、しばしばモットーと書かれることがあるが、少なくとも正式なモットーではなく、おそらくハプスブルク家が言い出したものでもない。むしろ大して戦争が強くもないのに欧州最大勢力に上り詰めたことに対して他者が揶揄したものをハプスブルク家が取り入れたもののようだ。
ライバルだったハンガリー王マチアス・コルウスが戦争に勝ち続けて領土を拡大したにも係わらず、嫡子が無いばかりに死後に全てが無に帰したのに対して、負け続けたハプスブルク家が婚姻により大帝国を築いたことを皮肉に表現したのかも知れない。
やたら政略結婚をしてきたように言われるが、ハプスブルク帝国を作り上げたのは、たった4回の結婚政策によるものである*2。ハプスブルク顔や遺伝病などは、この帝国を他家に渡さないために、ハプスブルク家同士の婚姻を重ねたことによるものなのだ。この4回のうち3回はマクシミリアン1世が企図したもので、ハプスブルク帝国を築いた立役者と言える。
*2 むろん詳細に挙げると多いのだが、この4回でほとんど形作られている。
ハプスブルク家は、13世紀後半に大空位時代の後、ルドルフがドイツ王・皇帝となったが世襲にすることはできず、14世紀前半までにアルブレヒト、フリードリヒ美王が断続的ながらドイツ王になってから、15世紀半ばにアルブレヒト2世がドイツ王に即位するまでの約100年間、神聖ローマ帝国のトップから離れて堅忍自重の時期が続いていた。
当初はドイツ王を争うヴィッテルスバッハ家とルクセンブルク家の間でキャスティング・ボートを握ろうとし、ルクセンブルク家が安定した頃は友好関係を保って勢力維持を図っていた感じだが、金印勅書では選帝侯とはされず、ルドルフ建設公はオーストリアが特別な地位をローマ皇帝から承認されているという文書を偽造し、オーストリア大公と自称して自分を慰めている状態で*3、その後、オーストリアはアルブレヒト系(本家)とレオポルト系に分割相続され、1386年のゼンバッハの戦いの敗戦でスイスへの影響力を大きく失っていた。
*3 もっとも単に自己満足だけでなくオーストリアを王国に匹敵する中央集権的国家にすべく改革を行っている。但し、野心的過ぎてほとんどは彼の死後に撤回されているが、将来のオーストリアの道標となったと言える。
しかし、ルクセンブルク家の最後の皇帝ジギスムントに嫡男ができなかったことで再び運が開けてきた。ジギスムントはポーランド・リトアニアのヤギェウォ家と対立したため、ハプスブルク家の助力を必要としており、1422年に本家のアルブレヒト(2世)がジギスムントの一人娘エリザーベトと結婚した。この時点でジギスムントの妻バルバラには13年間子供ができず、この先できる可能性も少ないため後継を前提としていたようである。
*4 但し、バルバラが死去すれば、新しい妻を得て男子を作る可能性はあるが、その場合でもジギスムントにはハンガリーの継承権がないため、ハンガリーはエリザーベトが継承することになる。
1437年にジギスムントが亡くなると、アルブレヒト2世は無事にドイツ王、ハンガリー王、ボヘミア王*5を継承したのだが1439年に死去してしまった。
*5 但し、ボヘミアはフス戦争により実効支配できていなかった。
アルブレヒト2世の死後にラジスロー(遺腹王)が産まれたが、ハンガリーでは対オスマン戦を赤子の王では戦えないとしてヤギェウォ家のポーランド王ヴワディスワフ3世を王に選んだ。一方、レオポルト系の分家のフリードリヒ(3世)がラジスローを保護・監禁して自らがドイツ王に選ばれている。
1444年にヴワディスワフ3世が対オスマンのバルナの戦いで戦死するとラジスローはハンガリー王位と後にボヘミア王位も受けたが、1457年に弱冠17歳で未婚のまま死去してしまい、ハンガリー王位はフニャディの子マチアス・コルウスが、ボヘミア王位はフス派のイジー・ス・ポジェブラトがそれぞれ選ばれ、ハプスブルク家には皇帝・ドイツ王が残っただけだった。これが1回目である。
http://zorac.sblo.jp/article/67558791.html
マリー・アントワネット
次のチャンスは、1477年にブルゴーニュ公シャルル突進公がナンシーで戦死した後に起こった。残された1人娘のマリーがフランスの圧力に対抗するため、数多い求婚者の中からフリードリヒ3世の跡継ぎマクシミリアン(1世)と結婚したことで、ブルゴーニュとネーデルラントの旧ブルゴーニュ家領が入ってきた。王領への回収を目論むフランス王との争いの中で、ブルゴーニュ公領などはフランスに渡したものの豊かなネーデルラント*6はほぼ確保することができた。これが2回目である。
*6 神聖ローマ皇帝位は名前だけで収入が伴わず、むしろ体裁のための出費が増えていたためネーデルラントの獲得は大きく、財政は飛躍的に改善された。
マリーとの間の子にはフィリップ(美王)とマルグリットがおり、1495年に当時、アラゴンとカスティラの連合、レコンキスタの完了、コロンブスの新大陸発見などで上り坂だったスペインのカトリック両王(イザベル、フェルナンド)の長男フアンとマルグリット、次女フアナとフィリップ美王の二重結婚が決まったが、この時点では、フランスを挟む強国であるスペインとハプスブルクの同盟を意味するものでしかなかった。
ところが、フアンが結婚直後の1497年に死去し、その時点でマルグリットは妊娠していたが死産となり、さらにカトリック両王の長女イサベルはポルトガル王と結婚したが、1498年に息子ミゲルの出産後に亡くなり、そのミゲルが1500年に亡くなったため、広大なスペイン(カスティラ、アラゴン、シチリア、ナポリ、新大陸)の推定相続人はフアナ(狂女王)とフィリップ美王となった。3回目は運でジャック・ポットを引き当てたと言える。
1504年にイザベル女王が死去するとカスティラ王位はフアナが継いだ。フェルナンド王はアラゴン王位を他家に渡すのを避けようと新に結婚したが子供は生まれず、一方、フアナ女王とフィリップ美王の間には1500年にカール(5世)、1503年にフェルナンド(1世)が生まれており、1516年にフェルナンド王が亡くなるとスペインはカール5世が継承し、ハプスブルク家がスペインを確保することになった。
ハンガリーとボヘミア王位はヤギェウォ家のウラースロー2世が有していたが、ヤギェウォ家*7はオスマン、ロシア、ドイツ騎士団と対抗する上でハプスブルク家との同盟を望んでおり、ハプスブルク家はかってのラジスロー遺腹王の遺産であるハンガリーとボヘミア王位を狙っていた。そこで、1515年のウィーン会議で、ウラースロー2世の子供ラヨシュ(2世)、アンナとマクシミリアン1世の孫(フィリップ美王の子)マリア、フェルナンド(1世)の二重結婚*8が決まり、1521年に結婚が執り行われた。
*7 ジグムント1世がポーランド=リトアニア王で、ウラースロー2世の弟。
*8 二重結婚には、1.純粋に両家の絆を強める、2.(片方だけが嫁に入るのではなく)両家の関係を公平にする、3.女系による関係を強めることにより、女性相続人となった時に結婚相手に自家が選ばれることを期待するといった意味がある。
1526年にラヨシュ2世がモハーチの戦いで戦死したため、アンナとフェルナンド1世がハンガリーとボヘミア王位を継承した。もっともハンガリーは、そのほとんどがオスマン帝国の支配圏となり、実質的な支配地である王冠領はわずかだったが、将来のハンガリー回復時の権利を得たことに意味があった。これが4回目である。
この時点で神聖ローマ皇帝はカール5世であり、ハプスブルク家はスペイン(+海外領土)、両シチリア、ネーデルラント、オーストリア、ボヘミア、ハンガリー*9を領有する欧州最大の勢力となっていた。
*9 ボヘミア、ハンガリーはフェルナンド1世の所有。
このように結婚政策は多分に運の要素があるが、宝くじは買わなければ当たらず、この場合は買うにも資格が必要であり、力関係に応じて、より確率の高いくじを購入できることを考えれば、運も実力の内と言える。
軍事力があってこそ、その支援を期待して婚姻を求められたり、その圧力で婚姻を強いることができるのであり、政略結婚と戦争は二者択一のものではなく車の両輪と言える。通常の政略と同じく軍事力の背景があってこそ成立するもので、決して戦争せずに済んでいるわけではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88
オーストリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2
ウィーン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3
04 01 (火) 教育2014 学歴は変わるか:1~3
2014年4月1日05時00分
(教育2014 学歴は変わるか:3)エール大、渋谷スタバで面接
面接場所に指定されたのは、東京・渋谷のスターバックスコーヒーだった。
2012年、渋谷教育学園幕張高校3年だった林由季さん(19)は米国の名門エール大に出願した。面接はアドミッション・プロセス(入学者選抜)の一環。相手は同大の卒業生だ。
現れたのは、ジャケット姿の大柄な男性。日本の大学教授で、日本人だが米国生まれらしい。力強い握手であいさつし、英語で語りかけてきた。「学力を試すのではなく、あなたがどういう人か知りたいんだ」
好きな本を尋ねられ、オルダス・ハックスリーのSF小説「すばらしい新世界」をあげると、教授も読んでいて、「あなたの幸せの定義って何だろう」と問われた。話題は中、高と打ち込んだテニスにも及び、厳しい上下関係や理不尽なクラブのルールを変えたことを話すと「それはいい」と喜んだ。温和でよく通る声。店の雑音も気にならず、すぐに1時間が過ぎた。
合格発表の日。ウェブサイトに「ウエルカム」のメッセージが現れた。
定員約1400人のエール大には毎年、世界中から約3万人が出願する。基礎学力を筆記で問う全米共通の大学進学適性試験(SAT)や高校の成績に加え、志望動機や共通テーマの作文、複数の推薦状などが必要だ。面接は希望すれば受けられる。
選考を担うアドミッションオフィスでは、約25人の専門職員が、担当地域の出願者全員の書類をじっくり読み、会議を重ねる。
林さんを面接した教授によると、報告は人物像が伝わるよう詳細に書く。ポイントの一つは、主体的に行動する人物かどうか。「高校の嫌いな面は」と聞き、「それを変えるために何をしたか」と続ける。「エールはリーダーとなる人物を出したい。指示待ちの子より、新しいことに挑戦する、ある意味『いたずらっ子』を求めている」
卒業生による面接は、米国の名門大の多くが実施している。学生の多様性を重視するからだ。ハーバード大の卒業生で、日本人志願者の面接責任者のデビッド・ギフォードさんは言う。「入学者選抜は生徒とのマッチング。大切なのは合格ではなく、その後だ」(浅倉拓也)
(3面に続く)
(1面から続く)
(教育2014 学歴は変わるか)学ぶ意欲、見極める
大学が求める人材かどうかを総合的に判断する米国流の選抜方式は、日本でも「AO(アドミッション・オフィス)入試」として広がった。学力を低下させたとの批判もあるが、リクルートマーケティングパートナーズによる全国の大学長調査では、「今後増やしたい入試選抜方法」は、国立大では「AO入試」が23・3%でトップだった。
京都工芸繊維大は「ダビンチ入試」と銘打ったAO入試を2002年度の入試から実施。1次選考では大学の模擬講義を受けてリポートを提出させ、2次選考では学科によりグループ討論などを採り入れている。担当者は「学んできたものより、これから学ぶ力があるかをみる」と話す。一般入試に比べ、ドロップアウトする学生が少ない、リーダーシップを発揮できる学生が多いなどの傾向があるという。
首都大学東京も、大学での体験授業を数回受けさせ、その成績を評価に加える「ゼミナール入試」を実施している。
愛媛大など四国の国立5大学は昨年、「四国地区国立大学連合アドミッションセンター」を設けた。4人の教員が「アドミッションオフィサー」として、今年秋にも試験導入する共通の出願システムや高校での活動の評価基準づくりなど準備を進める。センター長の井上敏憲・愛媛大教授は「一般入試を避けようとする生徒の『バイパス』としてのAO入試ではなく、多面的評価による選抜を全面的に拡大したい」。
複数の大学でAO入試に関わってきた山形大エンロールメント・マネジメント部の福島真司教授は「学部に個性があり、採りたい学生像が明確なところは、AO入試がある程度うまくいっている」と言う。「定員が少ないので、成績の悪い学生が全体の平均点を下げることもあるが、それだけで『失敗』と決めるのは、AO入試の本来の趣旨から外れている」と指摘する。
一般入試でも、新たな試みがみられる。4月開設の長崎大多文化社会学部は、前期入試で、英語に加え、「批判的・論理的思考力テスト」を課した。欧州の地域言語に関する論文や小説の一部、統計など計14ページの資料を提供し、論点をまとめたり、考察を論じたりさせた。
「この学部で取り組むのは、『唯一の正解』がない課題。知識の量や解答の速さを競う旧来の入試では、求める学生をとれない」と星野由雅副学長は話す。
■高校の成績、求めない
1990年に先駆的にAO入試を導入した慶応大湘南藤沢キャンパス(SFC)は、社会起業家など新しい分野で活躍する人材を多く輩出している。
「AO入試が人生を変えた」。2002年にSFCの環境情報学部を卒業した今村久美さん(34)は、そう振り返る。卒業前に立ち上げた、高校生らにキャリア教育をするNPO「カタリバ」は、いまや60人近い職員と、約4千人の登録ボランティアを抱える。新しい日本のリーダー像として、米タイム誌アジア版の表紙も飾った。
岐阜県高山市の出身。SFCの面接では、地元のダム建設計画への批判を展開。だが、本をかじった程度の論理は、教授からの容赦ない反論の的に。結果は不合格。それでかえって意欲がわき、2度目のチャレンジで合格した。
高校生が少し年上の人と将来の目標や夢を語る場をつくりたい、との思いがNPOにつながった。入試で自分を見つめ直したことや大学の友人らに刺激を受けた経験が生きたという。
SFCは当初、出願条件に一定以上の高校の成績を求めていたが、10年目に撤廃した。求めるのは「伸びしろのある学生」だ。型にはまらない発想、自分で考える力、周りを見ているかなどを面接で見極める。
総合政策学部長の河添健教授は「AO入試の学生はいくらでも欲しいが、元気な高校生はそれほどいないだろう。今の高校生が受験勉強の中でやりたいこと、人と違うことを時間を割いて見つけるのは難しい」。
■入試16種類、暫定入学も
秋田空港から車で10分足らず。授業はすべて英語で行う公立の国際教養大には全国から学生が集まる。図書館は24時間オープンで、入学後の勉強は厳しい。
国際教養大には、入試の点がわずかに合格ラインに届かなくても、「暫定入学」を認める制度がある。1年間、正規学生と並んで勉強し、一定の成績をとれば正規学生になれる。大学によると、毎年、数人がこの制度で入学し、ほとんどが正規学生になっているという。
学生の「多様性」を重視し、入試は16種類ある。個性的で行動力のある人材を採ろうと08年度に導入した「ギャップイヤー入試」は、高校を卒業する3月から9月の入学までにどんな活動をするか、計画書を提出し、面接でプレゼンテーションをする。その内容が英語の小論文と合わせ、合否の判断材料になる。
昨年秋に卒業し、今春から日本取引所グループ(JPX)に勤める渡部北斗さん(23)は、一般入試で落ちたが、この制度で入学した。ギャップイヤーはカンボジアで地雷除去活動に参加。高校時代は野球に打ち込み、初めての海外だった。「入学前に国際貢献の現場を体験し、大学で勉強する意欲が高まった」と言う。入試室の中津将樹室長は「この制度で入る学生は面白い人が多く、一般入試で入った学生に良い刺激を与えている」と話す。(浅倉拓也)
◇
次回から教育面に掲載します。
2014年3月31日05時00分
(教育2014 学歴は変わるか:2)国際化遅れ、東大岐路
新卒採用の説明会の参加などにあたり、企業が大学間で差をつける「学歴フィルター」。そこでトップの東京大だが、研究や教育面での国際的な基準で見ると伸び悩んでいる。
英国の教育専門誌「タイムズ・ハイアー・エデュケーション」(THE)が引用された論文数や教員1人あたりの学生数などの指標を元に毎年発表する「世界大学ランキング」。トップ10はハーバード大など英米の大学が独占する。東大は引き続きアジアトップの23位だが、シンガポール国立大26位、香港大43位、ソウル大44位、北京大45位とアジア勢の躍進が目立った。
東大の浜田純一総長は「ランキングは指標の取り方や重み付けに課題があるが、今の指標だとこの順位にならざるを得ない」と言う。「国際化の遅れは事実だし、各国の大学が追い上げてきているという危機感もある」と話す。
「東大生の力は入学時だと、米ハーバードやマサチューセッツ工科大(MIT)と比べて遜色ないが、卒業時で逆転してしまうと聞く」と浜田総長。それはなぜか考える中で、教育改革が生まれてきたという。
たとえば、新入生が1年休学して自主活動をする「FLY Program(フライ・プログラム)」。留学などをしやすくする4学期制も来年度、スタートする。浜田総長は言う。「国際社会では、自分は何ができるかが評価の基準となる」
東大の合格者数が公立校で常に上位の愛知県立岡崎高校(岡崎市)で13年間、進路指導にあたる加藤高明教諭(52)は「公務員たたきの風潮もあり、東大に行けば幸せになれるとの幻想はとうに崩れている」。
東大出身者が多くを占める国家公務員の志望者数は減少傾向にある。
人事院によると、「キャリア」と呼ばれる幹部候補の旧1種試験の申込者数は平成以後、1996年度の4万5254人をピークに2011年度までの6年間は2万人台に。背景には、90年代後半に当時の大蔵省での接待汚職事件など不祥事が相次ぎ、キャリア官僚への批判が強まったことがあるとみられる。学歴ピラミッドの頂点にある東大も、変わらざるを得なくなっている。(三橋麻子、編集委員・氏岡真弓)
(2面に続く)
(1面から続く)
(教育2014 学歴は変わるか)海外大、世界と出会える
■ハーバード、濃密さ魅力
世界中からよりすぐりの学生を集める米国のハーバード大。約6700人の学部生のうち、日本の高校を卒業した学生は現在、10人ほどとみられる。
川崎市の洗足学園高校出身の周藤洋子さん(19)は昨年秋、ハーバード大に入学した。東大にもその春に合格し、夏まで通ったが、現在は休学中だ。
小学校時代の大半を米国で過ごした。「日本の大学にも友人をつくりたかった」が、東大に比べ大学が費用負担する海外での研究プログラムが充実していることなどが魅力に映った。在学生から学生生活を聞き、教授と学生の関係が密なところにもひかれた。「日本企業への就職はあまり考えていない」というのも、東大にこだわらない理由の一つだ。東大に籍は置いてあるが、戻る予定はないという。
米国の大学は授業料が高いことで知られ、ハーバード大の場合、年間約350万円(1ドル=100円で換算)かかる。だが、外国人学生でも、世帯年収が約650万円未満なら無償、約1500万円までは収入に応じて減額される。
ただ、学生生活は競争、また競争。人気の授業は選抜制だ。授業で積極的に発言したり、研究室に通い教員にアピールしたりしないと良い成績はもらえない。授業以外にも毎日5、6時間は勉強する。「東大とハーバードの受験を同時に準備していた時より忙しい」
それでも「眠っている時間以外はすべてが充実している」。花形のチアリーダー部にも高い競争率を勝ち抜き、入部した。
日本の有名大に背を向け、海外の難関大をめざす高校生が少しずつ増えている。ベネッセコーポレーションは2008年、海外のトップ大学をめざす中高生が対象の塾「ルートH」を開設。12年度に10人、13年度も8人を米英などの大学に合格させた。同社によると、この塾を含めハーバード大を志願する日本の高校生はこの2年ほどで倍増した。
進学校で知られる渋谷教育学園渋谷中学高校の高際伊都子副校長も「海外進学はまだ少数派だが、選択肢としてあり得る、という雰囲気になってきた」。
高際さんら複数の私立高教員らが3月中旬、米カリフォルニア州の大学を訪れた。日本人に奨学金を支給し、留学を支援する「グルー・バンクロフト基金」が主催した視察。授業の進め方や入試制度を学ぶ中に、開成中学・高校(東京都)の教員の姿もあった。
開成では11年、ハーバード大と東大の教授だった柳沢幸雄氏が校長に着任。昨年、海外大学に関心を持つ生徒や保護者を対象に説明会を開くと、約700人が集まった。「海外の大学には、仕事で国際化の必要性を実感している親たちがより強い関心を持っているようだ」と柳沢校長は言う。(ボストン=浅倉拓也)
■多文化で働ける力培う
シンガポール国立大が特に評価されているのは、留学生の数など国際性だ。
同大学によると、4千人以上の学生が何らかの海外プログラムで学ぶという。その中には、1800人の交換留学生もいる。東大は留学生の受け入れが238人、休学などをして外国で学ぶのは91人。シンガポール国立大には、留学生とは別に周辺諸国から、高校の時点でシンガポールに進学するなどして、新入生として入学してくる学生が毎年2割弱いる。
交換留学の相手先は約40カ国300大学。タン・チョウ・チョアン学長は「全体の70%近い学生が海外のプログラムで学ぶ」と自信ありげに言う。
「シンガポール経済では貿易が大きな比重を持つ。いろんな文化の中で働ける力、グローバル社会の中でアジアを理解する力を持つ人材こそが将来、国や企業に貢献できると思う」。タン学長はそう語る。
緑豊かなキャンパス。そびえ立つ高層ビルは、「ユータウン」と呼ばれる寮だ。留学生を含めて4千人が暮らす。パソコン室では、世界各国の学生たちが自主的に集まり、グループ学習に熱が入る。ジムやプールも備え、食堂のメニューも、マレー料理、中華、和食、洋食と多様だ。
マレーシア人でビジネスを学ぶ1年生カイト・タンさん(22)は、叔父が日本人。香港大とどちらにするか悩んだ末、自宅から近いシンガポール国立大を選んだ。「寮も魅力の一つ。東大はいい大学だと思うが、言葉の壁があり、全く選択肢になかった。将来は国際的な投資家になりたい」
心配なのは米国など海外の一流大学への優秀な高校生の流出。2013年春に米エール大と提携したリベラルアーツ(教養)の新学部を開設したのも、人材流出を食い止めるねらいがある。いきなり人気学部になり、同学部生だけが使用できる豪華な寮も建設中だ。(シンガポール=三橋麻子)
■ソウル大「1度は留学」
ソウル大は1月、国際化を進めるための計画を策定した。3月入学のソウル大は東大と同じく、9~10月入学の欧米の大学と学期が異なる悩みを抱える。欧米と重なる6~8月の夏季休暇を生かそうと、夏季に海外大学との連携プログラムを強化するのが目玉だ。
まずソウル大生を約1カ月間、北京師範大や東大など海外の大学や研究機関に送るプログラムを12年に開始。今年はロシア、来年はシンガポール、16年以降にフランスやドバイ、と提携先を増やす計画だ。将来は、在学中に必ず1度は海外での夏季コースを受講させる方向で検討を進めるという。
国際協力本部の鄭鍾昊本部長(49)は「国際化は教育や研究のレベルを上げる手段。それを進めれば自然と世界のトップ大学に名を連ねる」。欧米の学生を東アジアに呼び込むため、将来は東大と共同で夏季コース開設を提案しているという。
ソウル大教育学部教授で韓国教育開発院の白淳根院長(52)は「東大はライバルというより、東アジアの同じ大学として、地域の高等教育のレベルを上げたい」と話す。(ソウル=寺西和男)
■3大学の学生数と外国人留学生
学生数(学部) 留学生の割合
東大(昨年5月1日時点) 1万4013人 2%
シンガポール国立大(2013~14年度) 2万7391人 18%
ソウル大(昨年4月1日時点) 1万6712人 6%
2014年3月30日05時00分
(教育2014 学歴は変わるか:1)これって、学歴フィルター? 採用説明会…満席
日本大学に通う女子学生(21)は昨年12月、いっしょに就職活動をしている友人と時報を聞いていた。午前11時00分00秒。志望企業が、採用説明会への参加申し込みをネットで受け付け始めた。名前や大学名は事前に登録済みだ。申し込みボタンを押そうとスマートフォンで採用ページを開いた瞬間、目を疑った。画面には、全日程が、「満席」「満席」「満席」……。
就職人気ランキングで常に上位の大手企業。受け付け開始後数分で満席になるのはよくあることだ。それでも今回は、早すぎないか。同じ説明会に申し込むと言っていた上智大の友人に電話。友人の「えっ、満席になってないよ」の言葉に、はっとした。「これって、『学歴フィルター』ってやつじゃないの?」
「学歴フィルター」は、説明会の参加などにあたって企業が大学によって差をつけることを指す。この企業の広報担当者は「うちの採用で大学名は全く関係ない。満席になったのはシステム上の問題では」と話すが、こうしたやり方は企業の間で広く行き渡っていると、関係者は指摘する。
就職活動に詳しい人材コンサルタントの常見陽平さんによると、手法はこんな風だ。説明会の定員100人に対し、80人を東大などのトップ校、残り20人を他の大学生に割り振る。大学によって座席の「在庫数」は異なり、応募したくても席がないことがある。
雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんは「説明会応募の前にも、大学名によって説明会の案内をメールで知らせる時期に差をつけることや、そもそも案内しない場合がある」と話す。
企業が大学名を選考の材料にすることは、いまに始まったことではない。イメージの低下を恐れて公にしてこなかっただけだ。
1990年代後半から、「マイナビ」「リクナビ」などの就職情報サイトが登場し、学歴の使われ方が露骨になった。誰でもどんな企業にでも簡単に接触できるようになり、人気企業には万単位の学生が殺到する。そこで「選考の手間を省くため、企業は学歴フィルターを多用せざるを得なくなった」と、採用担当経験のある就職コンサルタントの菅原秀樹さんは指摘する。
「同じ説明会やセミナーに参加した立教大の友人にはリクルーターが接触してきたのに、自分にはない」(学習院大3年女子)。ふるい落とされる側には、不満と無力感が広がる。(石山英明)
◇
進学とは、学歴を獲得していく歩みでもある。「偏差値」「難関」といった言葉とともに、学歴を重くみる風潮は私たちの社会に深く根を張っているように見える。学歴の持つ意味と変化の兆しを、連載で報告する。
(2面に続く)
(1面から続く)
(教育2014 学歴は変わるか)採用戦略、企業手探り
■トップ校学生紹介、人気
企業の採用を支援するベンチャー企業トライフ(東京)。大学名など特定のニーズのある企業のために、採用活動の仲立ちをして、トップ校の学生だけを選んで紹介するなどしている。
登録しているのは、ほとんどが東大、京大、早慶、阪大、神戸大の学生で、約6千人。8~9月ごろから「○○大学の学生を」といった依頼が届き始める。登録学生から企業の望む人数を集め、12月から企業の説明会に参加してもらう。企業からは学生数に応じた料金がトライフに支払われる。「英語の試験TOEICで○点以上」「研究で成果」「起業経験あり」などの条件がつく場合、料金は高くなる。
外資系コンサル、商社、メーカー、ベンチャーなど、有名企業100社以上が顧客で、その数は年々増加。登録学生も急増中だ。宮下尚之社長は「人気企業1社に数万人も応募が殺到する今の状況は、学生にも企業にも無駄が多く、おかしい。大学名などの特定の条件で学生を集める企業は増えている」と話す。「情報がオープンになっていない点に問題がある。企業はどの大学から何人採用したのか開示して、学生が採用されそうか客観的に把握できるようにするべきだ」
企業にとって「学歴」はなぜ重要なのか。製薬会社の人事担当者は言う。「受験勉強をくぐり抜けてトップ校に合格した学生は、自分を律して勉強を続ける能力がある。それは入社後も使えるし、一定の評価をするべきだ」。流通業界の人事担当者も「トップ校に、採りたいと思う学生がいる確率が高いのは確か。採用の効率を考えたら学歴による選抜は合理的だ」と話す。
■「人より遠回り」評価も
一方、大学名だけでは測れない人材を独自の方法で見いだす企業もある。
ロート製薬は青年海外協力隊の経験者に目を向ける。「知らない国に飛び込んで、一から仕事を始めた経験とマインドは魅力的」(綾井博之人事総務部部長)。始めて3年、毎年1人ずつ入社している。3年前に採用された女性(31)はいま、アフリカ・ケニアに赴任し、市場を開拓している。
日本経済が「新興国頼み」の傾向を強める中で、グローバルに活躍できる資質を持った人材に注目が集まる。国際協力機構(JICA)によると、JICAに寄せられた青年海外協力隊の経験者に対する求人は2013年度に2千件。この2年で3倍に増えた。
「人より遠回りしたので、取り返したいです」「どんな風に?」。人材サービス会社ビースタイルは今月、NPOと組んで中退経験者限定の合同企業面接会を開いた。「書類選考だけで落とされる人たちにダイヤの原石が埋まっていないとも限らない」との考えからだ。
五輪の強化選手、弁論大会の優勝者、レスリングの日本王者――。ソフトバンクが11年4月入社の選考から始めた「ナンバーワン採用」では、何かの分野でナンバーワンになっていさえすれば、大学名や志望動機を問わない。形式不問の書類選考とプレゼン、面接で採用を決める。「一つの分野で頂に登った人は、困難に直面したとき、自分で考えて壁を乗り越えてきた経験がある。それは必ず企業活動に生きてくる」(仙田厚毅採用企画部部長)
富士通も11年入社組から、同様の採用方法を始めた。「接点のなかった優秀な層が来るようになった」と人材採用センターの山本幸史センター長は話す。
■サムスン、大学で囲い込み
日本と同じように、学歴が重視されてきた韓国。大手企業の採用担当者は「名門大出身者は頭の回転は速いし、学校で努力もしただろう。学歴を重視するのは当然だ」と打ち明ける。
韓国の名門大として知られるのはSKY(ソウル、高麗、延世の3大学)だ。ただ、状況は少しずつ変わり始めている。
LG電子は約5年前から、自社や政府主催の「公募展」で優秀な成績を収めた学生を年間10~20人程度採用している。プロジェクトを公募し、優れた提案をした学生をインターンに招き、採用活動で優遇する。学歴は全く問わない。
採用チームの陸根ショクさん(36)は「入社後も一般採用した新入社員と比べると、同等かそれ以上の結果を出している」と話す。
韓国企業の意識が変わる契機となったのは、1990年代後半の経済危機だ。名門大の出身者も容赦なくリストラ対象になった。ふるいにかける基準になったのが「稼げる力」だった。
サムスン経済研究所の諮問役(顧問)の張相秀・亜細亜大特任教授は「経済のグローバル化で、未知の世界に挑む意欲が問われるようになった。学歴よりもチャレンジ精神、行動力、創造力が重視される」と話す。
サムスングループ中核のサムスン電子は2006年、即戦力を育てるため、成均館大学の水原市のキャンパスに「半導体システム工学科」を開設した。
1学年80人。同社がスポンサーとなり、卒業後に入社することを条件に学生は授業料を免除される。教授陣の半分をサムスン出身者が占め、授業で使う設計ソフトなどもサムスンで実際に使われるのと同じだ。
同学科の「偏差値」はSKYと並ぶまでになったが、入学後も進級には厳しい試験が課せられる。鍛えられるのは、めまぐるしくヒット商品が変わる業界での着想力や、開発努力を続けられる精神力だ。「名門大出身でも入社後に成果を出す確証はない」(張氏)と考えるサムスンにとって、旧来の学歴は意味を持たなくなりつつある。
学生も就職戦線に勝ち抜くのに必死だ。インターネットで仲間を募り、企業の適性試験や小論文、英語のプレゼンテーションの練習を重ねる。延世大4年生の申咏さん(23)も週2回、3~4時間ずつ、ソウル市内の喫茶店である勉強会に通う。ボランティア活動や英国への短期留学など、就職に有利になる努力を重ねてきた。「20年前は延世大出身なら就職先は保証された。でも今は全く状況が違う」(石山英明、ソウル=寺西和男)
◆「教育2014」は全国の地域面でも展開しています。朝日新聞デジタルの特集ページ(http://t.asahi.com/dkfp)でも見られます。特集ページには、義務教育や「6・3・3・4制」についてみなさまに参加してもらうコーナーも設けました。
04 06 (日) 一万年の旅路 ネイティブ・アメリカンの口承史
『一万年の旅路』 (2014/03/18)
http://naglly.com/archives/2008/11/100.php
書評:『一万年の旅路 ネイティブ・アメリカンの口承史』
<http://naglly.com/archives/read-books/>
とにかく分厚い本で、読了するのに1週間掛かりました。
しかし、いくら時間を掛けても最後まで役に立ち、一族の旅路の行方に思わず惹きつけられてしまう良本です。僕は図書館で借りたのですが、『手元に置いておく本』として一冊買ってしまおうかな』と真面目に考えています。そこらの啓発本よりも100万倍身になります。
この本は、ネイティブ・アメリカンの一族が1万年もの長きに渡り(途中の昔話を含めると10万年くらい遡ってる)子孫に「語り」のみで紡いで来た物語です。今も現存する一族の語り手が、その遺産とも言うべき物語を次世代に伝えるため語っていきます。この物語では、一万年前アジア近辺(もしかしたら日本かもしれない)に住んでいた一族が火山や地震などの天災に追われ、ひたすら東へと進路を取り、ベーリング海峡を渡り、北米大陸を横断して、最終的には五大湖のほとりに居を構えるところまでが語られています。
とにかく、上に書いたこの物語自体が既にスペクタクルの連続なのです。その辺の冒険物語なんて目じゃないです。
圧巻なのは、ペーリング海峡を横断するくだりです。一族が海峡を渡ろうとした一万年前は、氷河期の終わりで海水が少しずつ水位を増していき、人が歩いて渡れるぎりぎりの道を残すのみになっていました。時には道が途切れている箇所もあったようです。この海峡を渡りきるために一族一人残らず一致団結し(老人や子供も!)知恵と勇気と目的を持って完遂します。その模様がとても一万年前とは思えないほど、鮮明な物語として描写されています。
また、スペクタクル長編的なド派手な一面とは裏腹に、常に変化し続ける事、学び続ける事を第一とする、この一族の知恵や教訓が隋所に盛り込まれています。これらの知恵は、現代社会に十分通用するというか、現代人こそが今再び思い出さなければならないエッセンスがふんだんに盛り込まれています。
多少分厚くても、世界観にはまれば一気に読めます。おすすめです。
以下、僕が今回読み取った教訓。
「新しい目の知恵」と「長生きの知恵」を重んじる
「新しい目の知恵」は、既成概念にとらわれない純粋な子供からの視点、「長生きの知恵」は、色々な経験を経てきた老人からの視点です。双方の視点、考え方、感じた事を尊重し、そこから学ぶ事が大切。
学びに付いて
人間の本質とはすなわち学び続ける事だと言う事を教えてくれます。2本足で立ち、その結果脳が発達してきた我々人類にとって、学び続ける事は宿命であり、それがすなわち『2本足で立つ者』だと書かれています。学びがある一族の繁栄と、学びが無い一族の衰退が随所に語られます。
耳を傾けること
学びは、だれかが辛抱強く耳を傾けることによって受け継がれていきます。新しい理解に対する好奇心こそ、この物語の継承者としての資格を持ちます。逆に言うと、学ばせるための好奇心を呼び起こさせる仕掛けが必要となります。
適切さ
ある行為に対して、正しい、間違っていると言う観点からではなく、「適切な行為とは何か?」と言った視点でみる事が重要です。適切を選ぶ為、時には、今まで学んできたことが全く役に立たないこともあります。しかし、それさえも学びとして受け取ります。
バランス
「一方の道ではなく、もう一方の道ではなく、その間のつりあいを取る事が大事。」と言った考え方が随所に出てきます。黒か白かと言う2者択一ではなく、バランスをとった間の道を模索する事も選択肢として必要です。
このバランスと言うのは、決定においてだけではなく、「老いと若さ」、「男と女」、「狩りをするものと農耕をするもの」の関係にも及びます。さらに2元的な考え方ではなく、3元、4元と言う事もあります。これらのバランスを保つことによって継続が産まれる。バランスは継続の必須条件である。
節度ある話し合い、意思決定と合意
問題が起きたときは、一族で輪を囲みありとあらゆる知恵の断片を持ち寄って、節度ある話し合いをした上で物事を決定するのがこの一族のならわしになっています。一族は決して諍いを起こさず、話し合いによって問題を解決していきます。
意思決定のためには、その前に広く情報収集を行います。コンセンサス形成の為には、話し合いのあらゆる参加者(幼児、老人も含む)から全ての知恵と考え方、そして理解を丹念に拾い集めていきます。
目的を目指す一致団結
「一人では不可能な事も大勢なら出来るかもしれない」と言う事がこの本の中では繰り返されています。これらは一族の行動全ての源であり、経験から集団全体として、個々のメンバーを足し合わせた以上の力を発揮するという考え方が生まれました。
一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史:10万年前から語り継がれてきた物語
<http://kotoripiyopiyo.com/2005/11/10.html>
ただひたすら圧倒され、一気に読みきってしまいました。
ぜひオススメしたいと思います。まずはこの写真を見てみてください。
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インディアンのとある一支族に伝えられているこの口承史は、彼らの祖先が朝鮮~日本一帯から、ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へと移住した一万年の歴史、そして出アフリカを含めると、なんと10万年の歴史を、今に伝えているようなのです。
一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史
ポーラ アンダーウッド (著)
物語は、1万年前からはじまります。このときこの一族は、朝鮮~琉球、日本列島辺りに住んでおり、温暖な気候の中、大いに繁栄していました。
しかし突然、大地震と火山、そして津波が襲い、一族の大半が死に絶えてしまいました。
残ったのはたった35人。そしてこの35人は、総力を結集し、シベリアまで歩き、氷河期が終わろうとしているベーリング海峡を渡ることを決意します。
仲間全員を太いロープで結び、ほぼ溶けかかっていたベーリング海峡を超える。その後アラスカからカナダ、アメリカと歩き続け、大陸を横断し、最終的にはオンタリオ湖(現イロコイ連邦のある場所)にたどり着く。
本書の大半はこの1万年の歴史の中で、一族がどのような試練にあい、それをどのように克服してきたかという面に割かれています。少人数で、どれが食べられてどれが毒かも判らないような、なじみのない土地に行かなくてはならなかった彼らは、持てる力を最大限に生かす術を身につけます。つまり、
•男女平等。区別はなく、それぞれできることをやる
•老人の意見を「古き知恵」として重視する
•子供の意見を「新しき知恵」として重視する
•必ず全員が意見やアイディアを出す。つまり直接民主制
というやり方です。
これらの伝統は、その時々の状況で柔軟に変化しながら、イロコイ連邦(現在もインディアンが居住している)へ引き継がれ、現合衆国憲法制定にも大きな影響を与えているとのことです。
それと、この本には、1万年よりさらに前、10万年以上の昔の話も、伝えられている限りのことが書かれています。
彼らの祖先は、1万年前の大災害により、そのほとんどが死滅し、同時に知恵や経験、物語も消えそうになっていました。この悲劇を教訓として、今後彼らは、次世代に「自分たちの物語を、知恵を、知識を伝えていく」ことを、最重要事項と考えるようになります。
そんな彼らが、大災害の生き残りの中で、昔の物語を覚えているたった1人の人物から受け継いだ口承史。
それが、今から10万年前、アフリカの砂漠化に伴い、ヨーロッパへ移動し、それからもユーラシア大陸を東へ東へと歩き続けた、とある民族の物語でした。
この物語が語られる間に、
•人間から体毛がなくなっていった話
•旧人との縄張り争い
•最初に衣服を発見した話
•最初に「絵」を思いついた話
•最初に農業を思いついた話
など、多くの興味深いエピソードが盛り込まれていきます。
もうね、とにかく壮大ですよ。
何万年も昔の、大自然の中で真剣に生きる人の息遣いが感じられるようで……何だかものすごく重大なものを読んでしまっているのではないか、という気持ちがぬぐえません。
自分がケタ外れの時の流れにいることを、感じずにはいられません。
しかも、神話の類のようなおとぎ話じゃないんです。極めて現実的な話ばかり。
この物語には、宗教的な要素がほとんどありません。これはストーリーの形式で語り継がれてきた「ハウツーもの」なんだと思います。著者はこう語ります。
昔から語り部の役割は、一族が大きな転機にさしかかったとき、それまでの来歴をあらためて正しく物語り、自分たちが何者なのか、どんな旅をしてきたのかを思い出させることによって、未来への適切な決定や選択を助けることなのだ、と。
口承史が何なのか、妙に納得のいく説明だと思いませんか?
この本、本屋にも普通に売っているし、図書館にもけっこうあるみたいです。ぜひ一度読んでみてください。
ちなみに僕の中では、今、にわかにインディアンブームが巻き起こりつつあります。
【下平・追記】
献辞およびはしがきに続いて著者ポーラ・アンダーウッドは、口承史について次のように話しています。
物心つくかつかないかのころから、父は私の記憶力を試し、鍛えました。一番単純な例をあげると、私が見ていたものから別な方向へ体を向けられ、それまで何が見えていたかを言わされるというようなことをやりました。これをなんの前ぶれもなく何度も何度もやらされるうちに、人によっては、そのとき見ているすべてを頭に焼きつけると、その脳内写真のようなイメージを、たったいま見ているように再現するコツが身についてきます。
ただし、これはけっして合格・不合格を決めるテストではなかったし、うまくやらなくてはいけないというプレッシャーをかけられたこともありませんでした。もし私がこの務めにふさわしい器でないとしたら、父があえてそれを私の肩に預ける必要はなかったのです。けれど、それはただの遊びでもありませんでした。それは学びであり、生きるということをより良く理解するための機会だったのです。
この歴史のかなりの部分を学ぶ能力が私にあるというおよその脈がつかめたとき、父はほんの断片を語り聞かせはじめました。映画館でやる「次週の予告」のように、食欲をそそるに足る程度のものです。物語全体を学ぶには、まずほかにいくつか必要なことがありました。たとえば、完璧な注意力をもって耳を傾けること、一つのことに一昼夜意識を集中して目をさましていること、歌や詩などほかのものごとを暗記すること、理解力などがあります。
右のような領域のそれぞれに私が多少の能力をもち合せていると納得できたとき、父は歴史の全体を聞かせはじめました。一時に少しずつ、なおも理解を試しながらです。私がどこかの一節を憶えたと思うと、聞かせてもらったのとは別の形でそれを"語り返す"ように促されました。そこから二つのことを教えられました。一つは、自分が何かを憶えたなどとせっかちに思い込んではいけないこと。もう一つは、何かを聞くのと、それを理解するのとは二つの別のステップだということです。
最後にようやく、一つの部分を丸ごと父に向かって語り返す勇気ができたとき、また新しいことを学ばされました。三つのちがった形で三回、どれも父が語ってくれたのとは別な形で語り返すように求められたのです。
つまり、私はどんな現代語でもそれを語り直せるくらい完璧な理解を示さなければならなかったわけです。
この学びにどれほど長い年月と忍耐力が注ぎこまれているかを知ればこそ、私は父から学んだすべての正確さに対して深い敬意を抱くものです。
04 10 (木) 理研 再調査行うか来週中に判断へ 研究の改ざんやねつ造はないと主張
NHKニュース 4月10日 4時10分
理研 再調査行うか来週中に判断へ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140410/t10013628661000.html
STAP細胞を巡る問題で、理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーは9日、会見し「STAP細胞は200回以上作製に成功している」などと述べて、理化学研究所の調査委員会が認定した研究の改ざんやねつ造はないと主張しました。
理化学研究所は小保方リーダーからの不服申し立てを受け、来週中にも再調査を行うかどうかの判断を出す見通しです。
STAP細胞を巡っては、今月1日、理化学研究所の調査委員会が実験結果の画像が切り貼りされるなどしていたことを「改ざん」としたほか、細胞の万能性を示すとした画像が実際には別の実験の画像だったことを「ねつ造」とする調査結果を発表しています。
これに対し、小保方リーダーは8日、調査のやり直しなどを求める不服申し立てを行ったのに続いて9日の記者会見で「STAP細胞は200回以上作製に成功している」と述べたうえで、研究の改ざんやねつ造といった不正はないと主張しました。
小保方リーダーは、記者会見でねつ造と指摘されている画像について、誤って取り違えたもので、これとは別にSTAP細胞の万能性の証拠となる組織ができたことを示すおととし6月に撮影した画像があり、調査委員会に提出した実験ノートにはその画像に関する記述もあると説明しています。
これに対して、調査委員会は本当にSTAP細胞からできた組織の画像なのか、科学的に追跡することができなかったと結論づけるなど主張は対立しており、理化学研究所は不服申し立てを受けて調査をやり直すかどうか来週中に判断したいとしています。
理化学研究所では、改めて調査する場合は開始後おおむね50日以内に結果を出すことになっている一方、再調査の必要はないと判断された場合には不正を行ったとする調査結果が確定し、理化学研究所は小保方リーダーをはじめとする関係者の処分や論文の取り下げ勧告などを行うことになります。
04 10 (木) 論文撤回正しい行為でない 小保方氏、会見2時間半
朝日新聞デジタル 2014年4月10日02時26分
「論文撤回正しい行為でない」 小保方氏、会見2時間半
http://www.asahi.com/articles/ASG497TS9G49PLBJ00Y.html?iref=comtop_6_01
STAP(スタップ)細胞の論文が不正と認定された問題で、9日に大阪市内で記者会見した理化学研究所の小保方(おぼかた)晴子ユニットリーダー(30)は、論文の撤回について「結論が正しい以上、正しい行為ではない」と述べ、取り下げない考えを表明した。STAP細胞の存在は「別の人が独立して作れている」と語ったが、新たな根拠は示されなかった。
約2時間半に及んだ会見で、小保方氏は300人を超す報道陣の前で、「本当に情けなく支えてくれた方に申し訳ない」と謝罪した。小保方氏は今後について「未熟な私に研究者としての今後があるなら、STAP細胞を誰かの役に立つ技術に発展させるという思いを貫いて研究を続けたい」と訴えた。
一方で、STAP細胞の有無については「200回以上作製に成功した」などと、繰り返し存在を強調。STAP細胞の存在を示す実験試料を「研究室の中で保存している」と説明した。ただ、具体的な証拠は見せなかった。
また、STAP細胞の重要な証拠とされ、理研の調査委員会が捏造(ねつぞう)と認定した画像については、正しい画像を調査委に提出しており、実験ノートに記述があることから実験の追跡は可能と説明した。しかし、会見では画像そのものは示されなかった。
これまで小保方氏以外に、国内外でSTAP細胞を再現できた報告はない。小保方氏は「コツがあり、論文として発表したい」と述べ、「次の研究にかかわる」と詳しい説明を拒んだ。
論文の撤回については「撤回は国際的に結論が完全に間違っていたと発表することになる。結論が正しい以上、(撤回は)正しい行為ではない」と否定した。
理研側はこれまで小保方氏も撤回に同意したと説明してきた。だが、小保方氏は「『撤回を視野に入れて検討したらどうか』という話には『わかりました』と言ったが、撤回そのものには同意していない」と反論した。
小保方氏は、理研の調査委が捏造や改ざんを認定するまでの調査の経緯に不満をもらした。「初めての経験で体調が思わしくないなか、十分な答えもできていなかった」と振り返り、「調査委からの質問に答えるだけで、弁明させてもらう機会は少なかった」と明かした。
さらに、調査委のメンバーについて「同じ人で(調査結果が)覆るのかと思う。別の人に審査してほしい気持ちがある」と、不服申し立てで再調査を求めた理由を説明した。
また、理研の調査で、3年間で2冊とされた実験ノートは、「提出したのが2冊」「(以前留学した)ハーバード大にもあり、4~5冊はある」と説明した。
小保方氏は2月に論文への疑惑が表面化して以来、沈黙を保ってきたことについては「私の口から説明させてほしかったが、理研が適切でないと判断し、会見できなかった」と語った。(野中良祐)
■データ示さず疑惑残る
《解説》「生物学の常識を覆す」と称賛された論文に不正が認定され、所属機関に不服を申し立てた筆頭著者が自ら説明する。9日の記者会見は小保方晴子氏にとって疑惑を晴らす格好の機会のはずだった。ところが、実験記録やデータなど新たな証拠を示すことはなく、不正認定された行為を「論文の体裁上の不備」と表現した。
科学の発見は客観的に再現されて初めて認められる。実験条件と結果をありのまま記録し、それをまとめたものが論文だ。ここにごまかしが混じると、営みの根底が崩れる。小保方氏は改ざんとされた画像加工について「結果に影響がないので問題ない」と反論したが、科学者の常識では受け入れがたい。
STAP細胞があるのかないのかという最大の関心事についても、データのない説明で混迷に拍車をかけた。「STAP細胞はあります」「200回以上作った」といくら言葉で繰り返しても、科学的根拠がなければ単なる主張になってしまう。
一方、不正を認定した理化学研究所の方にも問題があった。調査委員会の結論は懲戒処分に直結し、小保方氏の研究者生命に関わる。なぜ不正といえるのか、厳格な裏付けが必要なのに、研究者の常識ではありえないという推論に頼った。中間報告では「故意か単純な間違いか、データとヒアリングで客観的に判断したい」と説明していたが、最終報告は約2週間後だった。拙速な結論が混乱を拡大させた。(阿部彰芳)
■理研コメント「厳正な調査」
小保方氏の記者会見を受け、理研広報室は「申し立てされたことと内容については、小保方氏が4月1日に公表したコメントに沿ったものと理解している。規程に基づき対処して参ります」と答えた。調査が不十分との指摘には「調査委にしっかりと調査して頂いた結果で、厳正な調査結果」とコメントした。
不服申し立てに対し、理研は「速やかに」再調査するか否かを決めるが、小保方氏が求めるメンバー入れ替えは「特段の事情がない限り同じメンバーで調査をする」としている。
再調査をしない場合は、懲戒委員会で処分の内容を検討し、論文の取り下げを勧告する。再調査する場合は、約50日以内に、不正の有無を判断する。
再調査が決まっても、調査結果を覆すのに足る資料の提出など小保方氏の協力が不十分ならば、再調査を中止することもある。
【下平・記】
若い女の子がSTAP細胞を発見したからと言って、大の大人が寄ってたかっていじめなくてもいい。 やり取りを見たり聞いたりしていると、理研の研究者はちょっと大人げない。
白亜の塔などそっちのけにして、わかい研究者の能力を伸ばさなくてはならない。 理研の大人たちは、国の特定秘密保護法そっくりの学問封じ込めのいじめのように見える。