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折々の記 2014 ⑤
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 03 】05/07
05 07 駒ヶ根シルクミュージアム と 養命酒工場
05 08 朝日新聞の見たい記事
05 10 特定秘密法批判と私の視点「憲法を考える」 受け止めて聞くこと肝要
05 07 (水) 駒ヶ根シルクミュージアム と 養命酒工場
5月5日、言わずと知れている子供の日、俊成夫妻が中沢地区の駒ヶ根シルクミュージアムと駒ヶ岳SA近くの養命酒工場へ老夫妻を案内してくれた。
駒ヶ根シルクミュージアム
シルクミュージアムって何だろう。 シルクは絹に違いない。 すると絹の博物館か、絹の美術館ということになる。
情報というのは万民共有とは限らない。 老夫妻は全く聞いたこともなかった。 俊成夫妻は二人の子供が巣立って東京へ羽ばたいていった。 子供の日に親を連れ出してくれたのである。
時の流れとはいえ、大きな流れが身に沁みる。
シルクミュージアムへ入って驚いた。 知名の観光地とはこんなに多くの人が集まるものだろうか、人の多さと豊かな博物館としての想像をはるかに超える内容に驚かされた。
天下の糸平という言葉を耳にしたことはあっても、その実情は多くの人の知るところではなかった。 ところがどうだろう。 養蚕のはじまりから絹の利用、織機の進歩、世界貿易、それらすべて人の世の文化の流れを見せつけてくれた。 日本各地で作りあげられてきた紬の実物を目にして、絹織物のすばらしさを心から堪能できました。
繭玉を利用した工芸作品も手の込んだ逸品でした。 また、バイキングのすばらしさも観光客を惹きつけている。
俊成夫妻の心づくしに深く感謝する。
養命酒工場
養命酒の製造を見たことがあるかという。 画像では見るが見たことはない。 時間があるので連れて行ってもらう。
空木岳と南駒ケ岳に端を発している清流を利用し、山麓の自然林そのままの姿をとどめた環境は養命酒を生み出すのにふさわしい自然のただづまいでした。 この地を選んだ
養命酒の発祥と400年の歴史 http://www.yomeishu.co.jp/health/beginning/history01.html記憶に残る五月五日の子供の日でした。
養命酒の創製は今から400年以上前
養命酒は、慶長7年(1602年)信州伊那の谷・大草(現在の長野県上伊那郡中川村大草)の塩沢家当主、塩沢宗閑翁によって創製されました。以来、養命酒は4世紀にわたり、休むことなく造り続けられるとともに、いつの時代においても人々の信頼を受け、今日に至っています。(写真は養命酒発祥の地にある石碑)
無私の人助けから薬種の製法を伝授
養命酒創製の物語として、以下のような伝説が残っています。慶長年間のある大雪の晩、塩沢宗閑翁は雪の中に行き倒れている旅の老人を救いました。その後、旅の老人は塩沢家の食客となっていましたが、3年後、塩沢家を去る時、「海山の厚きご恩に報いたく思えども、さすらいの身の悲しさ。されど、自分はいわれある者にて薬酒の製法を心得ている。これを伝授せん。幸いこの地は天産の原料も多く、気候風土も適しているから・・・」とその製法を伝授して去りました。
世の人々の健康長寿に尽くす養命酒
薬酒の製法を伝授された塩沢宗閑翁は“世の人々の健康長寿に尽くそう”と願い、手飼いの牛にまたがって深山幽谷をめぐり、薬草を採取して薬酒を造りはじめ、慶長7年(1602年)、これを「養命酒」と名付けました。
ますます高まる評判
江戸時代、塩沢家では、養命酒を近くに住む体の弱い人や貧しい人々に分け与えていましたが、医術が十分に行きわたっていなかった山村のため、大変重宝がられました。ことに重病の人が出ると「せめて養命酒を飲ませてあげたい」といわれるほど貴ばれました。その評判が高くなるにつれて、養命酒の名は伊那谷の外へも知れわたり、5里も10里も山越えをして求めにくる人が次第に多くなってきました。
養命酒の製法は、一子相伝の秘宝
養命酒を創製した塩沢家に残る古文書には、文化10年(1813年)、当時の尾張藩主が養命酒の製法や内容についてたずねたという史実が記載されています。その古文書には、養命酒はできあがるまでに2300日も要すること、またその製法は、一子相伝の秘法であったことなども記されています。
養命酒製造株式会社創立
明治、大正時代には、交通通信機関が発達し、人々の生活様式や社会構造も変化してきました。養命酒も「発祥地伊那の谷で300年以上も飲まれ続け、喜ばれている養命酒の効用を一人でも多くの人々に届けたい」との願いから、大正12年(1923年)に、それまで塩沢家の家業だった製造事業を株式会社天龍舘として会社組織に改め、全国に紹介をはじめました。これが、現在の養命酒製造株式会社の創立です。(写真は養命酒の発祥の地。)
健康思想への志向が高まり、全国へ広まった養命酒
大正12年(1923年)の会社創立後には、養命酒の名も次第に全国へ広まり、愛用者の数も年を追って増加。多くの方々の信頼をいただくようになりました。今日では、多くの保健剤の中でも、特徴ある製品として高い評価を受けています。海外においても、すでに戦前から需要があり、昭和15年(1940年)には、全生産量の約30%が輸出されていました。このように、創製以来400年、養命酒は休むことなく造り続けられ、国の内外を問わず愛用されています。今後も、健康思想や自然性への志向が高まるにつれて、その需要は一層増加すると考えられます。(写真は駒ヶ根工場構内に建立されている養命酒の創始者、塩沢宗閑翁の銅像)
沿革 http://www.yomeishu.co.jp/company/outline/history.html
歴史と同様に説明は写真入になっており参考になります。
05 08 (木) 朝日新聞の見たい記事
6日
1面 武力行使、要件見直しへ 集団的自衛権、日本攻撃以外でも 政権調整
牛・豚肉、米国が関税容認 TPP、セーフガード焦点
3面 集団的自衛権、中東で行使も想定 「国の存立脅かされる」事態で
日中の議員交流、再開へ 共産党ナンバー3、高村氏に伝える
7面 米比が軍事演習開始 南シナ海監視
中国が掘削通告、ベトナム「違法」 南シナ海
8面 (社説余滴)韓国の悲劇、隣人として 箱田哲也
7日は休刊日
8日
1面 閣議決定、先送りの方向 集団的自衛権、今国会閉会後に 政権、公明に配慮
●中国、南シナ海で石油掘削 ベトナム船と衝突、緊張
●STAP論文「再調査は不要」 理研調査委、理事会に説明紙面にプラス
3面 首相譲歩、公明に決断迫る 時間かけ、同意得る狙い 集団的自衛権、閣議決定先送り
「なぜ今」、ベトナム困惑 南シナ海掘削、友好ムード一転
4面 首相「安保テコ入れ」の旅 欧州6カ国歴訪 中国の脅威、各国で訴え
●「これでは中国の信頼得られぬ」 唐元外相、安倍首相の発言批判
首相、7日の会見要旨
6面 ●高齢で筋力・活力衰え、「フレイル」と命名 予防意識高めるため 老年医学会が提唱
日本、下から9番目 40カ国中 電気通信自由化度、OECD調査
米の気候変動被害「今も拡大、対策を」 オバマ政権が報告書
13面 ●中国、知識人拘留 自宅集会理由に5人
16面 (社説)NHK会長 これで信頼保てるのか
(社説)中央アフリカ ルワンダを忘れるな
(声)9条の意味、世界に広めたい
17面 ●(インタビュー)過去の克服、ドイツの場合 マルティン・ザルムさん
(私の視点)NHKの会長選任 公募導入し独立性確保せよ 黒川次郎
39面 ●小保方氏側「拙速だ」 法廷闘争構えも STAP論文、再調査せぬ方針
●小保方氏の実験ノート、一部を報道陣に初公開 STAP論文
4面
●「これでは中国の信頼得られぬ」 唐元外相、安倍首相の発言批判
自民党のアジア・アフリカ問題研究会(AA研、会長・野田毅税制調査会長)の議員団は7日夕、北京で中日友好協会会長の唐家シュワン(タンチアシュワン)・元外相と会談した。安倍晋三首相が訪問した欧州で中国の軍拡などを批判したことについて、唐氏は「中国の脅威を世界に振りまいている。これでは中国の信頼は得られない」と苦言を呈した。中国外務省の華春瑩副報道局長も同日の定例会見で「日本の指導者が対立をあおる本当の目的は、外部の脅威を宣伝することで軍事や安全保障の制約を打ち破ることにある」と批判した。
唐氏は会談で、9日に共産党序列4位の兪正声(ユイチョンション)・全国政治協商会議主席がAA研議員団と会談する予定であることを明らかにした。(北京=鯨岡仁、林望)
6面
●高齢で筋力・活力衰え、「フレイル」と命名 予防意識高めるため 老年医学会が提唱
日本老年医学会は、高齢になって筋力や活力が衰えた段階を「フレイル」と名付け、予防に取り組むとする提言をまとめた。これまでは「老化現象」として見過ごされてきたが、統一した名称をつくることで医療や介護の現場の意識改革を目指している。
フレイルは「虚弱」を意味する英語「frailty」から来ている。健康と病気の「中間的な段階」で、提言では、75歳以上の多くはこの段階を経て要介護状態に陥るとしている。高齢になるにつれて筋力が衰える現象は「サルコペニア」と呼ばれ、さらに生活機能が全般的に低くなるとフレイルとなる。
米国老年医学会の評価法では、 (1)移動能力の低下 (2)握力の低下 (3)体重の減少 (4)疲労感の自覚 (5)活動レベルの低下 このうち、三つが当てはまると、この段階と認定している。国立長寿医療研究センターの調査によると、愛知県大府市に住む65歳以上の高齢者約5千人(脳卒中などの持病がある人を除く)のうち11%が該当したという。
たんぱく質を含んだ食事や定期的な運動によって、この段階になるのを防いだり、遅らせたりできるとされる。提言を作成した荒井秀典・京都大教授は「適切に対応すれば、心身のよい状態を長く保つことができるという考えを浸透させたい」と話す。 (土肥修一)
■フレイルの予防法
(1)たんぱく質、ビタミン、ミネラルを含む食事
(2)ストレッチ、ウオーキングなどを定期的に
(3)身体の活動量や認知機能を定期的にチェック
(4)感染予防(ワクチン接種を含む)
(5)手術後は栄養やリハビリなどケアを受ける
(6)内服薬が多い人(6種類以上)は主治医と相談(荒井秀典・京都大教授による)
この記事に関するニュース
(老いとともに)筋量の低下、あきらめないで 座ったまま予防体操(5/6)
(数字の話)高齢者、なぜ65歳から?(4/1)
(元気のひけつ)ロイシンの摂取が有効(1/4)
65歳はもう「高齢者」じゃない? 学会が定義を再検討(9/20)
アルツハイマーは「脳の糖尿病」? 新治療法への試みも(7/28)
(元気のひけつ)一覧 http://digital.asahi.com/article_search/s_list3.html?keyword=%A1%D2%B8%B5%B5%A4%A4%CE%A4%D2%A4%B1%A4%C4%A1%D3%20%20OR%20%A1%CA%B8%B5%B5%A4%A4%CE%A4%D2%A4%B1%A4%C4%A1%CB&s_title=%B8%B5%B5%A4%A4%CE%A4%D2%A4%B1%A4%C4%B0%EC%CD%F7&rel=1
2014年1月4日
(元気のひけつ)ロイシンの摂取が有効
http://digital.asahi.com/articles/photo/AS20131226001283.html
■高齢者の筋肉の衰えに効く体操とサプリ
【藤島真人】年をとると、骨や関節、筋肉など体を動かす「運動器」が、うまく機能しなくなる人が増えます。その原因の一つが、加齢とともにみられる筋肉の質と量の低下。筋肉は運動すれば増やせますが、億劫(おっくう)でもあります。そこで注目されているのが、サプリメント。最近は、筋肉を効果的に維持し増強できるアミノ酸の種類が分かってきました。
人の体の約20%は、たんぱく質からできている。たんぱく質は、食事から摂取した後、消化酵素の働きでアミノ酸に分解される。アミノ酸は血中に入ったあとに再度、たんぱく質に合成されて筋肉などになる。
筋肉の合成には必須アミノ酸が欠かせない。体内では十分につくれないので食事で外から摂取するしかない。中でも肉類は人体の組成に近いため栄養バランスがいい。
だが高齢になると、豆腐など植物性たんぱく質はとっても、牛や豚など動物性たんぱく質は減る。その結果、筋肉の合成が足りなくなってしまう。
そこで、サプリメントの研究が進んだ。近年では、必須アミノ酸の一つであるロイシンが、筋肉をつくる先導役となることが分かっている。
国立長寿医療研究センター所長の鈴木隆雄さんは一昨年、このロイシンの濃度を高くしたサプリメントの効果について試験を行った。
筋肉の質と量が低下した75歳以上の女性155人を、以下のような4グループに無作為に分け、それぞれ運動やサプリの摂取を行ってもらった。
(1)のグループは、足腰を中心に屈伸などの運動各60分を週2回行い、さらにロイシン高配合の必須アミノ酸混合物を1日2回(計6グラム)摂取。(2)は、各60分の運動を週2回。(3)はロイシン高配合の混合物を1日2回摂取。(4)は1カ月に1度の健康講話だけを受講した。筋肉量などの変化を、12週間後に調べた。
すると、足の筋量と筋力は(1)が最も増加していた。効果の順はグラフのように(2)、(3)、(4)とはっきりと差が出た。歩行スピードは(1)、(2)で改善され、(3)も良かった。
この結果を受け、日本老年医学会は運動とともにアミノ酸の摂取を推奨している。鈴木さんは「どうしても運動ができない人は、ロイシンなど必須アミノ酸を含んだ製品をとるだけでも良い」と話す。
だが、サプリメントはあくまで補助。国立スポーツ科学センターの中村格子さん(整形外科)に誰にでもできるエクササイズを聞いた。ポイントは「美しい姿勢」。首や背筋、前面の太ももなど重力にあらがう「抗重力筋群」を鍛える。
イラストのような体のゆがみをとる動作を5回前後するのが効果的。「これをステップに、普段から良い姿勢を保つことが、抗重力筋を鍛えることにつながる」と中村さんはいう。
■インフォメーション
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「いきいき健康研究所」
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17面
●(インタビュー)過去の克服、ドイツの場合 マルティン・ザルムさん
日本はドイツを見習え――。歴史問題でそんな声が近隣国から聞こえる。そのドイツでも「過去の克服」の道のりは平坦(へいたん)ではなかった。強制労働被害者に補償をしてきた財団「記憶・責任・未来」のマルティン・ザルム理事長に、「それでも歴史に取り組む理由」を聞いた。
――ドイツはナチス統治下の強制労働被害者への補償を21世紀に入って始めました。ナチス迫害に対する補償よりもかなり遅れましたね。
「確かに戦後しばらく強制労働は補償対象とはみなされていませんでした。当時はホロコースト(大量虐殺)というナチスによる壮絶な残虐行為への責任をどう果たすかに関心が集中していたのです。さらに冷戦で欧州が東西に分断されました。強制労働で搾取をされた人々の大半がポーランドや旧ソ連、チェコの出身者で当時は鉄のカーテンの反対側にいました。しかも彼らは祖国ではナチスの被害者というよりも、ドイツの企業のために働いた敵の協力者とすら見られていたのです」
「しかし、1989年にベルリンの壁が崩れて事態は一変します。強制労働に関与した企業は被害者を救済すべきだとの声が国際的に高まりました。国内でも、従来の補償から漏れた被害者についての関心が高まりました。東欧諸国と和解を進めるにあたって、自らが一歩踏み出す必要もありました。現在の平和国家としての立場と、過去に犯した罪との間に明確な一線を引くことで初めて信頼を築けるからです」
――ただ戦後の東西ドイツの分断もあって、日本のように戦争賠償を定めた講和条約を結んでいません。財団による補償できちんと責任をとったことになるのでしょうか。
「確かに私たちの活動は被害者からの法的な要求に応えるものではありません。90年代に米国で強制労働にかかわったドイツ企業への集団訴訟が相次ぎました。裁判は企業にとって重いコストで、企業としても貿易立国ドイツとしてもイメージが傷つきます。裁判が長期化すれば被害者の利益にもならない。そこで政府と経済界が半分ずつ出資して被害者に補償するかわりに、被害者は裁判を起こさないという合意をした。つまり道義的な責任を認めたうえでの現実的な妥協の道を選んだのです」
「この『法的安定性』という最終決着がなされたことで、当初は補償に批判的だった保守政党も財団設立に賛成しました。コンセンサスに支えられての政治的責任が果たされたといえるのではないでしょうか」
――強制労働の被害者に財団が支払ったのは、1人あたり2500ユーロ(約35万円)~7500ユーロ(約110万円)。少なすぎませんか。
「過酷な体験を考えれば少ないと言えます。ただし重要なのは、なるべく大勢に補償が行き渡るようにしたことです。1人あたりの金額は減り、確かに象徴的な額でしかありません。しかし、受け取った多くの人々が、ドイツによる不正の被害者とようやく認定されたことに満足しました。それが問題の沈静化につながったのも事実です」
■ ■
――ドイツ国内でも関心が高まったとおっしゃいましたね。
「(隔離された場所でなされたホロコーストと違って)強制労働は戦時中のドイツ国民にとって身近な存在だったのです。収容所だけでなく工場、農園、パン屋から家政婦までいたるところに彼らがいました。教会の病院や墓地でも強制労働者が働いていました。ただ当時は『劣等民族が優秀民族のために働くのは正しい』と多くの人が思い込まされていた。収容所での強制労働も食料や医療が満足にない悲惨なものでした」
「戦後、ナチス犯罪の過去に市民の関心が高まるのが70年代。80年代に入ると在野の研究者や若者も加わって歴史を問い直す動きが草の根レベルで活発になりました。動機になったのは、過去に対する責任や罪悪感。つまり、ナチスの犯罪に実は普通の庶民も加担していたのではないか、という意識です。近隣国と良い関係を築くためには過去を直視するしか選択肢はない、との社会的合意も浸透しました」
――ドイツが責任を認めたことに国民の反発はなかったのですか。
「もちろんありました。戦後、ソ連に抑留された人、ポーランド領に編入されて追い出された東部地域の住民は、自分たちドイツ人こそ救済されるべきだと主張しました。右翼勢力やナショナリストのグループからの批判もありました。しかし、ドイツの世論、産業界、連邦議会に議席を有するすべての政党という幅広いコンセンサスに基づいていたという事実は、動かせません」
――ドイツ産業界にとっては重い負担になったのではないですか。
「約6500のドイツ企業が財団に出資しました。海外に子会社を持つ企業もたくさんあります。こうした企業にはナチスドイツのイメージを払拭(ふっしょく)したい強い動機があります。問題を放置すれば海外市場における立場が損なわれるとの危機感も持っていました。だから、ナチス犯罪に加担したドイツやドイツ産業界の責任を引き受けてくれる組織に投資することを望んだのです」
「出資企業の多くは戦後に誕生した企業でした。財団設立にあたっては戦後世代のビジネスリーダーが大きな役割を果たしました。個人としてナチス犯罪には関与していない、むしろあの時代への決別を明確に示したい、と考える世代です。戦争責任についての企業の立場をはっきりさせることが経営戦略的にプラスと考えたのです」
――生存中の被害者167万人に補償金を支払う事業は07年に終了しています。財団の使命はもう終わったのではないですか。
「基金の約1割を残して、強制労働をめぐる歴史研究や教育活動、高齢化した被害者の支援活動に助成をしています。さらに再発防止の観点から、ユダヤ人やロマ人、同性愛者に対するヘイトクライム防止の支援に力を入れています。財団名の『記憶・責任・未来』のうち、『未来』の部分の活動を続けています」
「補償金をすべて支払い終えたら解散するのではなく、財団を恒久的な組織にして事業を継続するよう求めたのは実は産業界でした。経営リスクを永続的に回避したいと考えたのでしょう」
■ ■
――ドイツを「過去の克服のチャンピオン」とたたえる声を、このところよく聞きます。
「それは誤った見方です。最初からコンセンサスができていたわけではありません。国内的な抵抗はいつの段階にもあり、財団発足までの経緯は痛みを伴うものでした。過去を問い直すあらゆる動きにおいて社会に緊張が生じました。たとえば63年にフランクフルトで始まったホロコーストの罪をドイツ人自身の手で裁く裁判です。当時は多くの国民が反対しました。でも、ここまでやらなければ戦後のドイツは文明社会に受け入れてもらえなかったのです」
「私たちの財団が取り組んだ強制労働被害者への補償にしても、あまりに遅きに失しました。(米国での集団訴訟という)外圧でようやく動き出したからです。強制労働に従事させられた1千万人以上のうち、補償金を受け取った生存者は一部にすぎません。それもドイツが強制労働で得た利益に比べればわずかな額です。補償から漏れた戦争被害者も大勢います。こうした失敗経験であれば、学んでもらう意義はあるかもしれませんね」
*
Martin Salm 「記憶・責任・未来」財団理事長 55年生まれ。カトリック系の国際NGO「カリタス」で緊急災害援助などを担当した後、07年から現職。
■島国・日本に欠ける「国益」の観点 拓殖大学教授・佐藤健生さん
第2次大戦後、東西に分断されたドイツは講和条約を結びませんでした。統一後も賠償問題はうやむやにされました。法的責任から「逃げた」と言われても仕方ないでしょう。それでも過去の克服でドイツが高く評価されているのはなぜか。
ドイツが置かれた状況を理解する必要があります。地続きで国境を接する多くの国が戦争で侵略されました。当時の西ドイツは戦後当初から、自分たちに強い憎しみを抱く近隣国と共存し、国際社会への復帰を果たさねばならなかったのです。
そのために政治が大きな役割を演じました。1950年代にはアデナウアー首相が西側諸国との修復を進め、70年代にはブラント首相が東側との関係改善を図りました。歴史に取り組むことによって近隣国の信頼を得ることができる、ひいてはドイツの国際的な地位向上に資するという長期的な展望がありました。
冷戦終結で民主化した東欧と対等な関係が築けるようになり、強制労働の被害者への補償が加速しました。米国での集団訴訟を恐れたのも事実ですが、被害者が存命中に解決しなければならない、前世代のツケを次世代に回してはならない、という点でも政治的な合意がありました。果たしてドイツは今、欧州において指導力が頼りにされています。
かたや日本は島国で、戦後しばらくは国家の独立に専念せざるをえなかったアジア諸国と向き合う必要がありませんでした。「法的には解決済み」と言い張るばかりで、国益という観点から政治的な解決を目指す意思が日本には欠けています。
中国や韓国から「ドイツに学べ」といわれますが、過去の克服は日本人自身が日本の未来のためにするものです。なのに繰り返される失言への対応も含め、その場しのぎに終始してきたのが日本の政治です。
日本にも旧軍人による加害証言や植樹を通じた被害者との交流がありました。当事者に罪の十字架を背負わせるばかりのドイツと違い、悔い改めが和解に及ぼす影響は小さくない。そんな地道な活動も含め、日独がお互いに学び合えばいいのです。
*
さとうたけお 47年生まれ。ドイツの戦後補償を研究。編書に「過ぎ去らぬ過去との取り組み 日本とドイツ」など。
■取材を終えてBR>
ユーロ危機のさなか、ドイツが要求する緊縮財政策に抗議する欧州各地のデモに、決まってメルケル独首相をヒトラーに似せたプラカードが登場した。不満や緊張がたまると、今の問題とは直接関係がない「過去」が持ち出されるのは何も東アジアに限った話ではない。
でも今のドイツは過去のドイツとは違うという証しを立て続けていれば何も恐れる必要はないはずだ。「法的に決着済み」「補償金は払った」で終わらせない理由がここにある。ドイツは「過去の克服」をソフトパワーにも位置づける。外圧とナショナリズムのはざまで今なお右往左往する日本から見れば、やっぱりうらやましい。(論説委員・沢村亙)
◆キーワード
<ドイツの戦後補償> 旧西ドイツはナチスによる人種や信教などを理由とした迫害について、1956年制定の連邦補償法を軸に補償してきた。強制労働については2000年に財団「記憶・責任・未来」の設立法が成立。国と企業が50億マルクずつ資金を出し合い、01~07年に約100にのぼる国にいる被害者167万人に総額44億ユーロ(約6200億円)を支払った。
05 10 (土) 特定秘密法批判と私の視点「憲法を考える」
モートン・ハルペリンさん 日本の特定秘密法を批判する元米政府高官
米国の安全保障の専門家だ。
ニクソン政権時代、キッシンジャー元国務長官の腹心として沖縄密約に携わるなど、長く米政権で機密を扱ってきた。その経験から、知る権利と秘密保護のあり方について講演するため来日した。
昨年12月、特定秘密保護法が日本で成立した際、「21世紀に民主国家で検討されたもので最悪レベル」と断じた。国家の秘密保護か、国民の知る権利か。両者のバランスを取る国際指針「ツワネ原則」の策定メンバーの一人だ。
とりわけ危惧するのが、ジャーナリストが情報公開を求め、公務員などに執拗(しつよう)に取材を迫ることが刑事罰の対象になりかねない点だ。母国でも政府が隠したがる現実はある。「そこはジャーナリストに頑張って、つついてもらう。その自由は守られるべきだ」
安倍政権は秘密法整備には米国からの要請があったとするが、「これまで日米間で秘密に触れる交渉にあたってきたが、法律がないから協議を制限したことは一度もない」と証言する。
国の安全保障は国民の支持が必要だ。政府の情報を知ることは市民の基本的な権利。機密は増やすのではなく減らしていくべきで、日本は時代に逆行すると説く。
10日に都内で、沖縄密約を暴いた元毎日新聞記者の西山太吉さんと初めて対談する。どんな場になるのか。心待ちにしている。(文・今村優莉 写真・越田省吾)
*
Morton Halperin(75歳)
(私の視点×4)憲法を考える 2014年5月10日
No.1 礒崎陽輔
No.2 ジョン・ダワー
No.3 柳沢協二
No.4 東浩紀
No.1 礒崎陽輔(いそざきようすけ)
憲法改正 怖いことない、国民に示す 首相補佐官・礒崎陽輔
現行憲法は敗戦後の占領期に連合国軍総司令部(GHQ)が作成したものを下敷きにしており、日本の伝統や価値観といった国柄が反映されていない。戦後日本の平和と繁栄に一定の機能を果たしてきたとは思うが、日本人がつくった自主憲法ではない。
今の憲法をもう少し国柄を反映したものに変え、9条では陸海空軍の戦力の不保持をうたうのに自衛隊を合憲と解釈するような、現実との矛盾についても解消すべきだ。
国会では今、憲法改正に向け、数的なバックグラウンドができつつある。衆議院では自公両党で改正の発議要件に必要な3分の2を超えた。参議院では民主党を除いても、改憲勢力が3分の2をうかがうくらいになった。その状況下で、憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を容認することについて、あくまで憲法改正をめざすべきだとの指摘もあるが、それは二つの観点から違うと言える。
一つは、行使を禁じているのは憲法ではなく政府の解釈という点だ。憲法には何も書かれておらず、禁止しているのはあくまで政府の解釈だから、それを解釈で解除するのは自然な論理だ。
二つ目は、国際情勢が急激に変わるなかで、現実論として9条の改正には時間がかかることだ。改正するには、必要最小限度の範囲でしか行使できないという、今の個別的自衛権の解釈も変えなければならない。国民的な議論が必要で、ハードルは高い。解釈で集団的自衛権の行使を認めることと、9条の改正は同等に論じる話ではない。
安全保障上、喫緊に対応すべき集団的自衛権の問題は解釈変更で対応しつつ、憲法改正は段階を踏んで実現すべきだと考える。どの条項なら改正に賛同できるかを各党に聞きたい。短冊のように個別の条項を並べて改正の賛否を問えば、憲法に規定のない緊急事態に対応する条項や環境権など、今でも衆参両院で賛成が3分の2を超すテーマはあると思う。
2016年には衆参の選挙がかなり近い時期に実施されると思う。各党で賛同した条項の改正案をつくり、選挙公約にする。選挙で3分の2の勢力が確保できれば、国民投票を行う。そんな構想を持っている。改正手続きを一度国民に示せば、何か怖いことに手をつけようとしているわけではないと、理解してもらえるのではないか。いまが改正の好機と考えている。(構成・池尻和生)
No.2 ジョン・ダワー(John Dower)
平和主義 「普通の国」米依存変わらぬ マサチューセッツ工科大名誉教授
安倍晋三首相は憲法改正を最優先課題の一つに掲げており、かつてなく実現性が高まっているように見える。改憲を支持する人々、特に9条の見直しを訴える人々は、憲法の制約を外せば、本物の軍事力を持った「普通の国」になれると言う。しかし、この主張には問題がある。
戦後、日米安保条約に基づく日米の軍事協力関係には、当初から明確な目的があった。米軍がアジアに前方展開する際、日本を拠点にすることだ。このため自衛隊は常に米国の管理下にあり、決して自立して行動できない仕組みになっている。
たとえ改憲しても、この対米従属は続く。米軍への依存は変わらないし、むしろ米国の戦略により深く組み込まれることになる。日本が軍備を拡張すればするほど、米国の世界的な軍事活動に積極的な参加を求められるだろう。
これまで日本は、韓国のようにベトナム戦争に引きずりこまれることなく、イラクやアフガニスタンでの戦闘にも直接関わらずに済んだ。憲法の制約がなければ、こうした米国の誤った戦争に直接巻き込まれていただろう。
今の憲法は、米国が日本にただ押しつけたわけではない。例えば、故ベアテ・シロタ・ゴードンは連合国軍総司令部(GHQ)の民政局で、草案作成委員の1人として24条の男女平等条項の実現に力を注いだ。条文の翻訳を巡って米側と日本側が対立すると、通訳として日本側の立場も配慮し、内容のバランスをとったこともあった。
日本で幼少期を過ごした彼女だけでなく、民政局次長で弁護士だったチャールズ・ケーディスら他の草案作成委員たちも、日本人が民主主義的な国をつくれると信じていた。彼らの理想主義が、合衆国憲法に書かれていない平和主義を掲げて戦争を放棄し、女性の権利を保障するような進歩的な憲法を生み出した。
憲法起草を主導した米国人たちは、占領終結後、日本人が自ら憲法を改正すると予想していた。1950年の朝鮮戦争以降、米国は日本の再軍備を求め、憲法の制約を取り払うことも求めてきた。しかし日本国民はこれまで一貫して、憲法が掲げる反軍国主義の理想を支持し、改憲は実現しなかった。私はそのことに敬服している。
日本は米国の軍事活動に関与を深める「普通の国」ではなく、憲法を守り、非軍事的な手段で国際問題の解決をめざす国であってほしい。(構成・田井中雅人)
No.3 柳沢協二(やなぎさわきょうじ)
集団的自衛権 個人の「情念」で突き進むな 元内閣官房副長官補・柳沢協二
戦後70年を前に、安倍晋三首相は憲法解釈の変更を急いでいる。国のかたちを変えることなのに足元の議論がされていない。集団的自衛権が必要と想定されている米艦の防護も、中国との緊張が懸念される尖閣も、これまでの政府方針に沿った個別的自衛権を使えば十分に対応できるし、自衛隊にその能力もある。集団的自衛権を必要とする側の想定にリアリティーがない。
昨年、安倍政権は憲法96条の改正を狙って「裏口入学だ」と批判を浴びた。今回の解釈見直しは、その手続きさえ取らないもので「裏口入学以下」と言わざるを得ない。
安倍首相はなぜ、急いでいるのか。私がたどりついた結論は、安倍さんの情念。「集団的自衛権をやりたい」という、個人的な思いからとしか説明がつかない。抽象的な情念から出た議論なので、まともな政策論議にならない。しかし今、政策上の吟味がされないまま、やれるならやってしまえという勢いで行使容認へ突き進んでいる。この解釈変更が実現すれば、戦後日本が憲法の中で積み上げてきたものを壊すことになる。
そんな情念がなぜ許されるのか、背景を考えた。自民党内の統治能力が衰えたことに加え、戦争を知る世代が一線を退き、「やっぱり戦争はいけないよね」という精神が薄れた。もやもやした現状の中で、不満のはけ口がほしい人の格好の材料になっている。
私の原点は自衛隊のイラク派遣。一発の銃弾も撃たなかった。一人も死なせなかった。そこを大事にしたい。自衛隊員の命がかかっているのだから。いい加減な理屈で自衛隊を使うのは「いざという時に責任はとらない」と言っているのに等しい。
どの国も戦争に負けた時に、国のあり方を立て直す。日本は大戦を踏まえて、平和国家としてやってきた。日本が加害者だったことは、相手の国が仮に忘れたとしても、日本は永遠に記憶し続けなければいけない。憲法を自主的につくり直すこと自体は否定しないが、戦争責任を忘れてはいけない。
6月、「自衛隊を活(い)かす 21世紀の憲法と防衛を考える会」を立ち上げる。現行憲法の中で、現実を踏まえた防衛政策の提言を考えたい。憲法を見直そうとしている人たちとの接点も模索したい。右も左も問わない。自衛隊OBや国連で紛争地の武装解除を担った人にも加わってもらい、現場の目線で日本の将来や憲法の意味を探りたい。(構成 編集委員・高木智子)
No.4 東浩紀(あずまひろき)
国のかたち 時代に合った理想考えよう 哲学者・東浩紀
2011年、新憲法草案をつくろうと友人のIT企業幹部や社会学者ら4人に呼びかけた。その年に東日本大震災が起き、私が主宰する雑誌で新生日本の社会や文化についての特集を組む予定だった。自民党も当時、憲法改正草案をつくろうとしていたので、自分たちも誌面の企画として改めて憲法を考えた。
草案は翌12年7月に「憲法2・0」として発表した。念頭に置いたのは経済のグローバル化やIT化。草案では、国内に定住する外国人にも一部の参政権を与え、ネットで集約した国民の意見を国会に反映させる規定も設けた。他方で自衛隊も合憲化していて、従来の改憲論や護憲論とは全く異なる内容になった。
多様な価値観をもつ人が幸せに暮らせる国家をつくる――。それが憲法2・0の考え方で、これからの国の基本的方向になる。そう考えると、12年に公表された自民党草案は復古主義的な内容だ。家族を単位とし、日本国籍をもつ国民だけによって成り立つ従来型の国家を思い描いているように見える。家族のあり方や価値観が多様化するなか、一つの価値観を共有するのは無理がある。
憲法2・0の起草委員に憲法学者はいない。明治前期に東京郊外の村人たちが作り上げた「五日市憲法草案」のように、アマチュアリズムを意識した。憲法の専門家がメンバーに入ると、どうしても今の憲法を変えるのか、変えないのかという議論に偏ってしまうとも考えたからだ。
新憲法草案なんて、しょせん実現性のない夢物語だという人もいるだろう。しかし今の世に民主主義や人権思想が根付いているのは、何百年も前のヨーロッパ人たちが議論し続けてくれたからだ。五日市草案の時代は一から新時代の日本を思い描く高揚感があったと思う。夢をもって国の未来を描く議論の場がなければ、多くの人に興味を持ってもらうことは期待できない。
日本では、五日市草案がつくられた明治以降、国のかたちについての議論が盛り上がることはなかった。でも憲法とは本来、国民が国のかたちを決めるもの。時代に合わせてどんな理想国家を描くのか、まず私たちが自ら考えることが大事だ。
今後は、憲法をテーマにいろんな分野の人を招くシンポジウムを開きたい。子どもたちが学校で憲法草案をつくってみるのも面白い。様々な仕掛けができればと考えている。(構成・佐藤達弥)
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