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折々の記 2014 ⑤
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】04/27~ 【 02 】05/03~ 【 03 】05/07~
【 04 】05/12~ 【 05 】05/17~ 【 06 】05/26~
【 07 】06/03~ 【 08 】06/04~ 【 09 】06/07~
【 05 】05/17
05 17 〔集団的自衛権〕〔安保法制懇報告書〕の連載一覧
05 18 天声人語 シベリア抑留体験と不戦
05 18 日曜に想う 漢詩・漢文・中国語
05 19 長谷・中沢の井月句碑
05 17 (土) 〔集団的自衛権〕〔安保法制懇報告書〕の連載一覧
ニュースを見ていると、戦争できる準備ばかりして平和への努力については一向に議論していない。 UNESCOの精神はどこへ吹っ飛んだのでしょう。
折角の戦争放棄の平和憲法の解釈は、烏合の衆の凡欲に限りなく近づいていきます。 こんなことをさせてはいけない。 忌まわしい戦争体験を拒否すべきです。
広島の「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」とある”過ち”とは、浜井市長が「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している通り、戦争そのものです。 ユネスコの精神を堅持しなければなりません。
集団的自衛権の連載一覧
(集団的自衛権 読み解く)首相の狙い:下 PKO武器使用、緩和にらむ(05/20)
(集団的自衛権 読み解く)首相の狙い:中 「準有事」先行で議論誘導(05/19)
(集団的自衛権 読み解く)首相の狙い:上 戦争加担の恐れ、語らず(05/18)
(集団的自衛権 読み解く)安倍首相会見、五つの疑問(05/17) コピー掲載
(集団的自衛権 読み解く)日米同盟、変質する役割 「尖閣は安保対象」共同声明(04/27)
(集団的自衛権 読み解く)安保実態編:5 武装漁民上陸「対処にすき間」?(04/10)
(集団的自衛権 読み解く)安保実態編:4 武器使用緩和も憲法解釈で(04/09)
(集団的自衛権 読み解く)安保実態編:3 「米を援護」義理と想像の産物(04/06)
(集団的自衛権 読み解く)安保実態編:2 北朝鮮ミサイル、こだわる首相(04/05)
(集団的自衛権 読み解く)安保実態編:1 行使容認、3つの想定(04/04)
(集団的自衛権 読み解く)行使容認、日米思惑にずれ(04/04)
(集団的自衛権 読み解く)海賊のみ対応「シーレーン守れぬ」(04/04)
(集団的自衛権 読み解く)安保実態編:1 行使容認、3つの想定(04/04)
(集団的自衛権 読み解く)憲法解釈編:5 解釈変更、国家のあり方問う(03/09)
(集団的自衛権 読み解く)憲法解釈編:4 活動範囲、見えない歯止め(03/08)
(集団的自衛権 読み解く)憲法解釈編:3 巻き込まれ論、政府見解生む(03/07)
(集団的自衛権 読み解く)憲法解釈編:2 基地見返り防衛、日米「双務」(03/05)
(集団的自衛権 読み解く)憲法解釈編:1 自衛隊「戦力に至らず」(03/04)
(集団的自衛権 読み解く)同盟の証し「一緒に戦う覚悟」(03/03)
(集団的自衛権 読み解く)岐路、突き進む首相(03/03)
(集団的自衛権 読み解く)一からわかる集団的自衛権(03/03)
(問う 集団的自衛権)タカ派の平和ぼけ、危険 軍事ジャーナリスト・田岡俊次氏(09/14)
(問う 集団的自衛権)解釈の変更、許される 藤崎一郎・前駐米大使(09/07)
(問う 集団的自衛権)憲法の解釈変更は姑息 丹羽宇一郎・前中国大使(09/06) コピー掲載
(問う 集団的自衛権)個別的自衛権で十分 柳沢協二・元内閣官房副長官補(08/30)
(問う 集団的自衛権)現行の解釈、変えられる 森本敏・前防衛相(08/29)
安保法制懇報告書要旨(5/14)
安保法制懇の報告書全文(1)(5/16)
安保法制懇の報告書全文(2)(5/16)
安保法制懇の報告書全文(3)(5/16)
政府の「基本的方向性」 集団的自衛権行使へ転換(5/16)
中国への対抗鮮明、軍拡の懸念 集団的自衛権行使へ転換(5/16)
(問う 集団的自衛権)憲法の解釈変更は姑息 丹羽宇一郎・前中国大使
――安倍政権は憲法の解釈変更で集団的自衛権の行使容認を目指しています。どう思いますか。
「日本が戦後、基本にしてきた憲法の平和主義に関わる問題です。解釈を変えて集団的自衛権を行使しようとするのは、スポーツ選手が自分の都合でルールを変えるようなもの。そんな姑息(こそく)な手段を考えないで、正々堂々と国民に憲法改正を問うべきだ」
――安倍晋三首相は自著で日本の立場を「権利はあるが自由にならない『禁治産者』に似ている」と表現しています。
「国の守りを固めることは必要だが、専守防衛でいくべきだ。国連憲章は集団的自衛権を行使できるとしているのであって、行使しなくてはいけないものではない。米国の友人は冗談半分で、『日本の自衛隊はいざという時に助けになるのか』と言っている」
――安倍首相は行使容認の積極派を内閣法制局長官に起用しました。
「適材適所で選ばれたのだろう。政権の方針にとやかく言わないが、法制局は法の精神を最も重視する役所だ。あらゆる角度から検討し、意見すると思う」
――安全保障環境が厳しくなる中、容認すべきだという意見もあります。
「平和憲法を守る唯一の被爆国という立場で非核・非戦を世界に訴えるべきだ。集団的自衛権の行使を認め、平和主義をやめれば『なぜ日本は過去に言ってきたことをひっくり返すのか』と世界に見られる。中国や韓国と対抗して同じ土俵にのらず、法の精神を尊重してきた先人の努力を水泡に帰してはいけない」
――中国は日本の動きをどう見ていますか。
「戦争をしてはいけないと思っているのは日本も中国も同じ。戦争で被害を受けるのは常に弱い国民だからだ。今の日中関係は首脳間に信頼関係がない。必要なのは対話をすること。冷え切った状況で対話を始めるのが政治家の度量だ」
――行使容認に転換すれば周辺国はどう反応するでしょうか。
「東南アジア諸国は昔の日本のイメージを忘れがたく持っている人も多い。軍国主義復活とは言わないが、集団的自衛権で日本が攻撃に参加できることになる。李下(りか)に冠を正さずで、日本は危ないところには近づかないことが大事ではないですか」 (聞き手・広島敦史)
*
丹羽宇一郎(にわ・ういちろう) 1939年生まれ。伊藤忠商事社長、会長を歴任。民主党政権時代の10年6月から12年12月まで、民間初の駐中国大使。
(集団的自衛権 読み解く)安倍首相会見、五つの疑問
他国のために自衛隊の武力を使う集団的自衛権の行使などについて、安倍晋三首相は15日の会見で検討を明言した。しかしなぜ行使が必要なのか、首相の説明には様々な疑問が浮かぶ。五つの論点で読み解いた。▼1面参照
<1>若者らを救えない? 救援より他国警護中心か
「アジアでアフリカで、たくさんの若者たちがボランティアなどで地域の平和や発展のために活動している」「近くで活動するPKO要員もいる。しかし、彼らが突然、武装集団に襲われたとしても、自衛隊は彼らを救うことができない」
*
安倍首相は会見で「年間1800万人が海外に出かける時代」と強調。パネルを示し、NGOの日本人ボランティアや他国の国連平和維持活動(PKO)の要員が、現地の武装集団に攻撃されても、PKOで派遣された自衛隊が警護できないと訴えた。
自衛隊の武器使用は憲法が禁じる海外での武力行使につながる恐れがあり、PKO協力法などで正当防衛や緊急避難などに限定されている。安倍内閣は集団的自衛権とは別に、PKOで派遣された自衛隊と他国部隊などとの連携をしやすくする狙いから、離れた場所にいる他国部隊や日本人を救援する際も武器が使えるよう法改正をめざす。
複数の国が連携することが多いPKOでは、自衛隊の武器使用基準が緩和されれば、日本人の救援よりむしろ他国部隊の警護の役割が多くなりそうだ。一方で自衛隊が戦闘行為に巻き込まれる危険性も増す。
ただ、自衛隊が現在参加するPKOはアフリカの南スーダンだけ。自衛隊員を除く現地の日本人は大使館員ら十数人。昨年12月に事実上の内戦状態となり、NGO関係者らは全員が退避している。首相が示す、PKO派遣の自衛隊が海外で民間人を救うケースがどの程度あるかは未知数だ。
<2>憲法前文まで根拠? 9条解釈変更、苦しい説明
「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を政府は最大限尊重しなければならない。憲法前文、13条の趣旨を踏まえれば自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁じられていない。そのための必要最小限度の武力の行使は許容される」
*
集団的自衛権の行使とは、日本が攻撃を受けていなくても、「密接な関係にある外国」を日本が守り、相手に反撃するものだ。歴代内閣は憲法9条に反すると解釈してきたが、安倍首相は、行使容認を求めた私的諮問機関の提言を「従来の政府の基本的な立場を踏まえた」と説明した。
首相が解釈変更の根拠として、1972年の政府解釈のうち憲法前文と13条を踏まえた「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁じられていない」との部分を引用。一方、72年解釈が「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」とした部分には触れなかった。
首相は一方で、今月上旬の訪欧時に演説した際、9条の解釈変更について各国から支持を得たとアピール。「憲法が掲げる平和主義は守り抜いていく」と強調した。
ただ自民党は本来、前文も含めた憲法改正を志向する。戦争放棄を定めた9条と前文は憲法が掲げる平和主義の根幹で、一部を引用する姿勢は本来の憲法の理念とは相いれないものだ。
<3>邦人乗る米艦守れぬ? 米軍が救助、見えぬ現実性
「紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子どもたち。彼らが乗る米国の船をいま私たちは守ることができない」「この議論は、国民の皆さま一人ひとりに関わる現実的な問題であります」
*
安倍首相は米軍艦に母と子らが乗り込む姿を描いたパネルを示し、集団的自衛権を行使しないと「米艦を守れない」と強調した。
海外の日本人が危険に巻き込まれたケースは実際にあるが、米軍に救助された例は「聞いたことがない」(防衛省)という。民間機などで避難したケースでは、イラン・イラク戦争中の1985年、イランに取り残された日本人200人超がトルコ政府が手配した航空機で脱出した例がある。90年からの湾岸危機の時には、日本の市民団体が民間機約10機を手配し日本人ら約3千人を移送した。
自衛隊機や艦艇が日本人を紛争地域から退避させることは自衛隊法で規定されている。昨年のアルジェリアでのテロ事件を受けた法改正で、車両による陸上輸送も可能になった。
首相が会見で想定例としたのは、朝鮮半島の有事(戦争)とみられる。緊急時には自衛隊を派遣して在韓日本人を退避させることもありうるが、韓国側との調整が必要になる。「米軍は米国民の避難を優先するのでは」(政府関係者)との声もある。行使容認に慎重な公明党は個別的自衛権などで対応が可能との立場だ。同党の山口那津男代表は16日、首相が示した例について「実際のリアリティーがどれほどか、よく吟味すべきだ」と述べた。
<4>戦争に巻き込まれない? 参戦決断、迫られることも
「あらゆる事態に対処できるからこそ、そして対処できる(安全保障の)法整備によってこそ抑止力が高まり、紛争が回避され、戦争に巻き込まれることがなくなる」「各国と協力を深めていかなければならない。それによって抑止力が高まる」
*
安全保障上の抑止力とは、防衛や反撃の能力を持つことで、相手国に攻撃を思いとどまらせる考え方だ。軍備を進めれば、攻撃を受ける危険性が減るとの考え方は東西冷戦時代を象徴するもので、軍事力の均衡を保つ効果が期待できる半面、際限のない軍拡競争につながる危険性がある。
首相は、集団的自衛権の行使容認で自衛隊の対処能力が向上し、「抑止力が高まる」と説明する。だが行使容認に慎重な公明党の山口代表は「圧倒的な軍事力をもつ米国と安保条約を結んでいる。日本に攻撃が加えられた場合は(米国が)対処することも条約で書かれている」と述べ、必要な抑止力は持っているとの認識を示す。
首相は、集団的自衛権を含めた法整備で「戦争に巻き込まれなくなる」と主張するが、行使は他国での戦争に日本が加わることだ。
これまでは日本が直接攻撃を受けた場合に反撃できる個別的自衛権のみが認められてきた。行使を容認し、米国などの支援要請を受ければ、日本は戦争参加の決断を迫られることとなる。参戦を前提とする集団的自衛権行使を認める理由に「抑止力」を挙げるのは矛盾した論理と言える。
<5>国民に信は問わない? 会見ではっきりと答えず
「衆院選でも参院選でも、国民の生命、財産、領土、領海は断固として守り抜いていく、その責任を果たしていかなければならないと申し上げてきた。(安保政策転換の)検討はこうした国民との約束を実行に移していくものだと確信している」
*
自民党は集団的自衛権の行使について、12年衆院選で公約としたが、政権復帰後の13年参院選では総合政策集には入れたものの、公約には盛り込まなかった。
報道陣は会見で、この点を踏まえて、集団的自衛権の行使など安保政策の転換が一昨年の衆院選や昨年の参院選で大きな争点とならなかったと指摘。「衆院を解散して国民の信を問う考えはないか」と質問した。
安倍首相はこれに対し、「演説で国民の生命を守ると申し上げた」などと反論し、憲法解釈変更の検討を含めて「国民との約束を実行に移していく」と言い切った。一方で集団的自衛権の行使容認を争点に選挙で信を問うかについては、はっきり答えなかった。
明確な争点として示さなくても、国のかたちを変えるような重大な政策転換が可能となる――。こうした考えは、選挙でいったん民意を得た政権の権限を拡大解釈するもので、憲法が権力を縛る「立憲主義」にも反するものだ。首相が2月の国会答弁で「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。私たちは選挙で国民の審判を受ける」と語り、批判を浴びた姿勢とも重なる。(鯨岡仁、渡辺丘、鶴岡正寛)
※ 上記2件以外のニュスについては必要に応じてプリントアウトすればいい。
05 18 (日) 天声人語 シベリア抑留体験と不戦
2014年5月18日
シベリア抑留体験と不戦
▼悲惨をきわめたシベリア抑留は、忘れてはならない昭和の歴史だ。60万人に近い日本兵や軍属らが、酷寒の地での強制労働のためにソ連に捕らわれた。異土に果てた人は5万人を超える。
▼死者は「数字」では表せない。誰が死んだのか。それを抜きにして数だけを言う非礼は、犠牲者に対して許されようもない。自らも抑留者だった村山常雄さんが、長年の思いを実行に移したのは70歳のときだ。
▼ソ連側資料をカタカナにした名簿はあったが、誰とも分からぬ名が多かった。村山さんは11年かけて膨大な資料を突き合わせ、864収容所、4万6300人の名簿を作っていった。その全氏名を載せて自費で出した本の重さは2キロにもなった。うち7割は漢字で表した。
▼大部の労作を、「紙の碑(いしぶみ)」として小欄で紹介したことがある。「一人ひとりが存在したことを、石に刻むつもりで紙に刻みました」。そう語っていた村山さんだったが、1週間前に88歳で他界された。
▼戦中派からの伝言として、別の著書にこう書いている。「単純に平和と言わないでください。言うのなら平和の前に必ず、不戦、反戦、非戦とつけてほしいのです。私たちの世代は子供のときから『平和のための戦争』と教えられ、殺し殺されてしまった」
▼そして「日本は道義の先進国として世界に尊敬されてほしい」とも。戦後69年となり、戦争を知らない為政者が「積極的平和主義」をうたう時代である。冥福を祈りつつ、残された言葉の真実を忘れまいと思う。
命の尊さ
いのちのとけい にしやままき
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くつろいだ気持ちになって、子供の頃の自分を理解してみよう。
05 18 (日) 日曜に想う 漢詩・漢文・中国語
(2013/04/07)この日から(日曜に想う)欄がはじまりました。
担当は特別編集委員と、論説主幹の4人の書き手が独自の視点で時代を読み解くとしています。
特別編集委員・山中季広
特別編集委員・星浩
特別編集委員・冨永格
論説主幹・大野博人
(日曜に想う)ニイハオ 漢詩・漢文・中国語 再見 特別編集委員・山中季広(2014/05/18)
(日曜に想う)ロシアとどう向き合うか 特別編集委員・星浩(2014/05/11)
(日曜に想う)枯れゆく海が語る「近視眼」 特別編集委員・冨永格(2014/05/04)
(日曜に想う)波立つ南シナ海、頼りになるのは 特別編集委員・山中季広(2014/04/27)
(日曜に想う)オバマ氏とドライで深い友情を 特別編集委員・星浩(2014/04/20)
(日曜に想う)普通が満ちた世界、復活祭に願う 特別編集委員・冨永格(2014/04/13)
(日曜に想う)日中韓、試される包容力 特別編集委員・山中季広(2014/04/06)
(日曜に想う)単色の自民、多色に戻る日は 特別編集委員・星浩(2014/03/30)
(日曜に想う)グローバル化、試される抑止力 特別編集委員・冨永格(2014/03/23)
(日曜に想う)「武器禁輸よさらば」の軽さ 論説主幹・大野博人(2014/03/16)
(日曜に想う)サムスン、我が世の春 特別編集委員・山中季広(2014/03/09)
(日曜に想う)自公にすき間、風が吹けば… 特別編集委員・星浩(2014/03/02)
(日曜に想う)ウクライナ、地続きの苦しみ 特別編集委員・冨永格(2014/02/23)
(日曜に想う)政党ありき、ひっくり返したら 論説主幹・大野博人(2014/02/16)
(日曜に想う)日中韓、一発入試に科挙の呪縛 特別編集委員・山中季広(2014/02/09)
(日曜に想う)日本の節目、目を凝らそう 特別編集委員・星浩(2014/02/02)
(日曜に想う)マネー狂騒、中国のジレンマ 特別編集委員・冨永格(2014/01/26)
(日曜に想う)国追われ、海を渡った味の切なさ 論説主幹・大野博人(2014/01/19)
(日曜に想う)寝ても覚めても見ているあなたへ 特別編集委員・山中季広(2014/01/12)
(日曜に想う)「改革を失う」政治、繰り返すな 特別編集委員・星浩(2013/12/22)
(日曜に想う)国家優先、「和」のパワー損なう 特別編集委員・冨永格(2013/12/15)
(日曜に想う)見るべきことを見るために 論説主幹・大野博人(2013/12/01)
(日曜に想う)盗んでも漏らさぬ米国流 特別編集委員・山中季広(2013/11/24)
(日曜に想う)秘密保護法案、あの頃の自民なら 特別編集委員・星浩(2013/11/17)
(日曜に想う)ホモサピエンス、百年ごしの宿題 特別編集委員・冨永格(2013/11/10)
(日曜に想う)美術館、まず見てほしい「作品」は 論説主幹・大野博人(2013/11/03)
(日曜に想う)老いゆくアジア即席ラーメン圏 特別編集委員・山中季広(2013/10/27)
(日曜に想う)「決められる政治」に皮肉な難題 特別編集委員・星浩(2013/10/20)
(日曜に想う)10世紀先の地球を心配してみる 特別編集委員・冨永格(2013/10/13)
(日曜に想う)損得?それを言っちゃおしまいよ 論説主幹・大野博人(2013/10/06)
(日曜に想う)北京と四日市、秋空を仰いで 特別編集委員・山中季広(2013/09/29)
(日曜に想う)消費増税、政権に牙むく「魔物」 特別編集委員・星浩(2013/09/22)
(日曜に想う)7年先へ、「期限」をチャンスに 特別編集委員・冨永格(2013/09/15)
(日曜に想う)名作に常識は似合わない 論説主幹・大野博人(2013/09/08)
(日曜に想う)平成のおしん、ミャンマーで待つ 特別編集委員・山中季広(2013/09/01)
(日曜に想う)民主党、消えるかよみがえるか 特別編集委員・星浩(2013/08/25)
(日曜に想う)やんごとなき遺産が輝く時 特別編集委員・冨永格(2013/08/18)
(日曜に想う)拷問、あるいは忘れられる歴史 論説主幹・大野博人(2013/08/11)
(日曜に想う)強さ・速さ・美しさ、囲碁が映す三国志 特別編集委員・山中季広(2013/08/04)
(日曜に想う)集団的自衛権、理念と現実の溝 特別編集委員・星浩(2013/07/28)
(日曜に想う)街で政治が動かないからこそ 特別編集委員・冨永格(2013/07/21)
(日曜に想う)おうい民意よ、どこにいるんだ 論説主幹・大野博人(2013/07/14)
(日曜に想う)「アルヨ」の来し方と行く末 特別編集委員・山中季広(2013/07/07)
(日曜に想う)ジャーナリズムVS.マンネリズム 特別編集委員・星浩(2013/06/30)
(日曜に想う)深く潜伏するギリシャの病 特別編集委員・冨永格(2013/06/23)
(日曜に想う)グローバル人材ってだれ? 論説主幹・大野博人(2013/06/16)
(日曜に想う)身捨つるほどの理系はありや 特別編集委員・山中季広(2013/06/09)
(日曜に想う)「9条と96条」自民の深い溝 特別編集委員・星浩(2013/06/02)
(日曜に想う)自省の先に強さと優しさ 特別編集委員・冨永格(2013/05/26)
(日曜に想う)国境あるような、ないような 論説主幹・大野博人(2013/05/19)
(日曜に想う)食は広州にあり、不安もまたあり 特別編集委員・山中季広(2013/05/12)
(日曜に想う)小渕流ソフトパワー外交、今こそ 特別編集委員・星浩(2013/05/05)
(日曜に想う)ひと幕としてのユーロ危機 特別編集委員・冨永格(2013/04/28)
(日曜に想う)「私」の平等VS.「私たち」の平等 論説主幹・大野博人(2013/04/21)
(日曜に想う)犬と中国人、そして犬と日本人 特別編集委員・山中季広(2013/04/14)
(日曜に想う)「大人」の自民党、高くつかないか 特別編集委員・星浩(2013/04/07)
2014/05/18 (日曜に想う)
ニイハオ 漢詩・漢文・中国語 再見 特別編集委員・山中季広
香港に駐在して1年になるというのに、地元のことば広東語が一向にわからない。
レジで値段が聞き取れない。タクシーでは行き先が言えず、取材先で自己紹介もできない。語学の才が乏しいのか、それとも50という年齢のせいか。
そんな私でも、広東語か、中国の標準語である北京語(普通話)なのかは聞けば区別できる。何しろ一、二、三の数え方も違えば、「今日」「私」「飲む」といった常用語も違う。
香港で日々実感するのは、当地の広東語をじわじわ圧する北京語の勢いである。大陸中国から訪れた人々の北京語が香港の街角に大音量で響く。応対する香港人は、広東語を封印し、異邦のことば北京語で接客に精を出す。
「30年前までは考えられなかった光景。心理的にはずっと広東語が優位でした。大陸の人々の購買力が上がり広東語のステータスが下がった」。嘆くのは葉建源・香港立法会議員(52)。教師出身で言語教育に詳しい。
広東語の絶頂期は、文化大革命が終わったころ。音楽も映画も流行は広東語圏から生まれた。「それも今は昔。北京語でないとビジネスにならない時代が来ました」
実は私も、必要に迫られて北京語教室に通い始めた。北方への出張が多いからだが、広東語の退潮に加担しているようで内心ちょっと後ろめたい。
*
北京語と広東語のせめぎ合いはひとまずおいて、両語を「中国語」というくくりで見れば、その隆盛ぶりは多くの国で実感される時代になった。
韓国では、昇進試験に英語のほか中国語を課す企業が出てきた。タイでは「就職に有利」と大学生が中国語検定試験に列をなす。英国では遠からず小学校で中国語の授業が始まるそうだ。
半世紀前、中国語学習のため若者を国費で留学させたのは東欧などごく限られた国だった。それがいまでは五大陸から年間35万人が押し寄せる。
このまま中国語が勢力を伸ばすと、いったい何が起こるだろう。
幼稚園児にニイ好(ニイハオ)から教える早期教育塾が林立▽北京大や清華大が英米の名門大より人気の留学先に▽中国系IT企業に米国やインドの逸材が続々と入社――。ありうる線だろう。
さらに強大化すれば、来世紀あたり英語に代わって世界言語(リンガフランカ)になるかもしれない。映画から論文まで中国語以外は相手にされず、航空管制や貿易交渉も中国語一本に――。想像するだけでめまいがする。
*
しかしまあ考えてみれば、中国語は実際、数千年の長きにわたって四海を圧した支配的言語だった。
日本からも阿倍仲麻呂や最澄、空海といった秀才たちが命がけで東シナ海を渡り、中国語や漢文を学んだ。室町時代には漢詩文化が花開き、江戸にいたると漢文の素養は庶民に広まった。
ところが明治維新を境に、日本は漢学から洋学へと大きくカジを切る。平川祐弘・東大名誉教授(82)によると、幕末期の漢学離れはかなり劇的で、漢学界の頂点にいた御儒者、中村正直などは自ら志願して英国へ留学し、本格的な洋学者に転じた。鴎外や漱石の世代までは盛んに漢詩を作ったが、日本人の漢文力はその後、降下していったという。
隋唐からの言語的往来をふりかえってみると、日本が中国から学んだ期間は1200年に及ぶ。しかし中国が日本に学ぼうとしたのは150年に満たない。そしていま中国が再び国力を高め、日本をしのぐ時代に入った。話者1億の日本語は、12億人の話す中国語の陰でかすんでしまわないだろうか。
海でも空でも唐突に「わが領内」と言い出す中国のこと、いつ何どき「今日から東アジア域内の外交通商は中国語を旨とする」式の無体な通告をしてこないとも限らない。というのは冗談にしても、少しは中国一般の人々の胸のうちがわかるよう、私も初歩から中国語を勉強することに決めた。再見(ツァイチエン)。
05 19 (月) 長谷・中沢の井月句碑
昨日分杭峠経由三峰川の上流に到る。
長谷の杉島地籍にある句碑
時雨るや馬に宿貸す下隣 〔しぐるるやうまにやどかすしたどなり〕
杉島地区は桃源境のようなところでした。 ‘南アルプス岩入公園’とあったが標識はなにもない。 標識などないほうが心静まる。 裏面に
さすらいの俳人井上井月は越後の生まれで安政の頃伊那に至り杉島にたびたび訪れ
この地をこよなく愛した 幾多の名吟を遺し明治二十年(1887年)伊那にて六十五歳
で没す 杉島の久蘭堂によく来泊したという
道路開通記念
平成十三年八月建之 長谷村
と刻んである。
石質は硬く、裏面を見れば推察できます。 千富美さんの父が収集したのはこの三峰川上流からだったのだろうか。 いちど探してみたい。
井月が部屋を借りた家でも、当時は土間に雨しのぎのための馬宿があったのでしょう。 馬のいななきやいばりの響きも聞こえたのでしょう。 昔の人たちが馬を大事にしていた様子が伝わってきます。
つづいて中沢に到る。
シルクミュージアムでお昼ご飯を食べる。 食後ここからの下り道をくだって18号線西側にある伊那森神社に到る。
境内には井月の句碑がある。
よき酒のある噂なり冬の梅 井月 〔よきさけのあるうわさなりふゆのうめ〕
中沢の酒とは聞いたことはない。 昔は各地に素封家があって地酒が造られていたから、某(ナニガシヤ)の酒屋があったのだろう。 これについての情報は集めてないが、調べれば昔の話が聴けるだろう。
続いて中沢本曾蔵桃源院に到る。
立ちそこね帰り後れて行乙鳥 〔たちそこねかえりおくれていくつばめ〕
句碑の裏面に
暇乞 立そこね帰り後て行乙鳥 柳の家
帰郷のすずめ、懐郷の情さては散りおゆ我が身
と思いあぐみつゝついに古里の土を踏みえなかった
井月の境涯を想いこの碑を建てる
木札(一)に
井月余聞(コボレバナシ)
中沢の里は行く所井月ゆかりの地でこれは人情に篤くしかも風雅を
解した土地柄によるものである。井月日記に「桃源寺にて一ぱいく
ださる」とある桃源院。その本堂左の空き屋の衆寮は時に無宿の彼
に格好のねぐらとなった。折々に此処蚕玉さま桜の会筵に
○乞食にも投盃や花の山
の即吟を披露、彼にとって句席の酒はまさに天の美禄であった。碑
文句に関わる上奈良屋竹村松風は井月の有力な庇護者で井月書簡に
も「追々厳寒に逼(セマ)り終(ツイ)に中沢に命を落とさんとせしも曽倉
なる竹村某(ナニガシ)が深き情により云々」のくだれが見られる。ち
なみに井月を師とも仰いだこの地の宗匠大東舎花文に次の句がある。
○酒臭き硯(スズリ)廻すや花の山
○瓢箪(ヒョウタン)の品評会や花の山
木札(二)に
花の山と井月と
或る日奈良屋に顔を出した井月袂(タモト)からサンシヨをつかみ「ハイオミヤゲ」
主の富吉すかさず「酒出せの謎かサンシヨのひと握り」井月「千両千両」お寺
で一盃ごちそうになったあとは本堂脇の衆寮がその日の塒(ネグラ)となった。
蚕玉さまの桜が満開で恒例の俳句の会が開かれた。これを覗(ノゾ)いた井月にも
酒がふるまわれた。短冊を手にとった井月はさっそく「乞食にも投げ盃や花の
山」一同かっさいまたいっぱい。寺の西側に邸のあった竹村熊吉は彼の庇護者
でその書簡に「追々厳寒に逼(セマ)り終(ツイ)に中沢に命を落とさんとせしも曽倉
なる竹村某(ナニガシ)が深き情により云々」とある。由(ユカ)りの宗匠大東舎花文に
次の句がある。
○酒臭き硯回すや花の山
○瓢(ヒョウタン)の品評会や花の山
昭和63年建之 平成7年、平成18年更新 曽倉井月碑の会
この本曾蔵は立札の曽倉が正しいのか判じえないが、いずれにしても「上奈良屋竹村松風」と「寺の西側に邸のあった竹村熊吉」は同一人物であろう。
井月がこの地の人情をこよなく愛でていたことがわかるし、凡欲を捨て去った井月の生き様に心を寄せる人々の心に現代人もこころ惹(ヒ)かれる。