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折々の記 2014 ⑥
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】06/08~     【 02 】06/18~     【 03 】06/22~
【 04 】06/28~     【 05 】06/29~     【 06 】07/06~
【 07 】07/11~     【 08 】07/21~     【 09 】08/12~

【 01 】06/08

  06 08 ★阿修羅♪  おぞましいこと
  06 08 豊丘南中学校(昭和32年度卒)C組同級会 清流苑  
  06 09 弥生の一夜  
  06 10 土浦予科練爆撃炎上  
  06 11 同盟の歴史に学ぶ(安全保障を考える)  東大名誉教授・三谷太一郎さん

 06 08 (日) ★阿修羅♪

しばらく阿修羅を見ないでいたので、開いて見たら驚くべき情報が流れていた。 集団の行く末を論じるのもいい。 だが行く末の国民一人一人が悦べる保証がない限り、その議論の基礎が信頼できない心がけなら傾聴に値しない。


【その一】 2014年6月6日 刊ゲンダイ
竹中平蔵パソナ会長 TV出演で顔を真っ赤にして逆ギレ
    http://www.asyura2.com/14/senkyo166/msg/448.html

 「利益相反」批判に…

 いつもながら、この男の詭弁には呆れ果てる。慶応大教授でパソナ会長の竹中平蔵のことだ。

 人材派遣会社の経営者が政府の会議で雇用に関する政策を左右する。利益相反の立場には疑念を抱かざるを得ないのだが、実は竹中は、自らの“利益誘導”疑惑について、TV番組で真正面から追及されていた。その際の色をなして言い訳する姿は、明らかに「墓穴」を掘っていた。

◆「利益相反」否定に逆切れ

 番組は先月10日に名古屋ローカルで放送された「激論コロシアム」(テレビ愛知)。学者や知識人、芸能人が10人ほど登場し、「安全保障」「雇用問題」「安倍政権」など比較的堅いテーマを討論する。TVタックルみたいな番組だ。そこで経済評論家の三橋貴明氏がこう問いただしたのだ。

「なぜ諮問会議などで民間議員という名の民間企業の経営者が、自分の会社の利益になるような提案をするのか」

 これに竹中はシレッとこう答えた。

「それ(その考え)はおかしい。企業の代表としてではなく、有識者として入っているんですよ」

「ならば企業の代表を辞めたらどうか」と突っ込まれると、「どうしてですか?」と逆質問。揚げ句に自分のことを棚に上げてこう言い放った。

「(自分が入っている)経済財政諮問会議や産業競争力会議は違うが、政府の審議会は利益代表を集めた利益相反ばかりなんです。それをつぶさなきゃいけない」

 語るに落ちるとはこのことだが、三橋氏がパソナグループの取締役会長の竹中も“同じ穴のムジナ”だという趣旨で言い返すと、顔を真っ赤にして逆ギレした。

「私はそれ(労働規制緩和)に対して何も参加していない。派遣法について何も言っていない。根拠のない言いがかりだ。失礼だ!無礼だ!」

 だが、この竹中の反論はウソだ。竹中は昨年3月の産業競争力会議の場で、「労働移動支援助成金」の予算大幅アップを主張。<今は、雇用調整助成金と労働移動への助成金の予算額が1000対5くらいだが、これを一気に逆転するようなイメージでやっていただけると信じている>と発言した結果、前年度の2億円が今年度は150倍の300億円に増額されたことを、先日、日刊ゲンダイ本紙は伝えた。再就職支援のための巨額の税金がパソナなど人材サービス会社に流れるような発言をしながら、よく言うよ、である。

「雇用について制度や法律を変えるほどの力があるのに、パソナ会長ではなく“有識者”として語るという状態が許されていることが問題なのです。民間議員選考のシステム是正が急務です」(ジャーナリスト・佐々木実氏)

 これ以上、竹中に大きな顔をさせてはいけない。

コメントの一つ
お坊ちゃんは欧米旅行で自分の国と外国の差に気づく。 自国を後進国と感じる人間は自国の国民をバカにしきって善し悪し考えず遅れている部分を突き骨の髄まで利用して欲望のまま裕福になろうとする。

自国の歴史に寄り添う人間は100年後の自国の未来を見据えて欲望のために悪いモノを入れようとする行為に警告を鳴らす。 明らかに彼は前者也。

【その二】 2014年6月5日 天木 直人 / 外交評論家
週刊実話の一つの記事が安倍政権を倒すことになる
    http://bylines.news.yahoo.co.jp/amakinaoto/20140605-00036064/

これまで書いてきた私の配信の中で、これほど驚いて書いた配信は、後にも先にもない。 それほど衝撃的な配信だ。

たまたまコンビニに立ち寄って見つけた週刊実話最新号(6月19日号)の中に、ASKA麻薬事件があぶりだした安倍政権中枢と官僚たちとパソナ人材派遣大手(南部靖之代表、竹中平蔵グループ総支配人)の、酒と女と麻薬の権力汚染を見事に白日の下にさらした記事を見つけた。

これまで、日刊ゲンダイを先頭に、数々のスキャンダル雑誌が断片的に書いて来たが、この週刊実話の記事は、渾身の総力取材で書かれた決定打となる記事だ。

もはや出た以上、止められない。 インターネットでコピーが瞬時に全国をかけめぐる。 それを目にした国民なら、気が狂うほど怒りに震えるだろう。

消費税増税に泣かされ、年金負担増と支払い引き延ばしという詐欺に苦しめられ、その上、医療切り捨て、介護無視で、弱者はアベノミクスに役立たずだから早く死ねと言われ、家庭生活や夫婦仲まで悪くさせられている善良な国民をバカにする安倍政権の連中が、よりによって悪徳企業の代表みたいな派遣会社に、カネと女と酒をただで世話してもらい、人材派遣という搾取政策でおかえしする。

あまりにも出来すぎた話だ。これでなにもかも合点行く。すべてのニュースの大騒ぎは、このパソナ汚染隠し、だったのだ。しかし、週刊実話がここまで書いた。回収されても、もう遅い。

いったんネットで流されたらおしまいだ。みんなどんどん流そう。さすがの大手メディアも書かざるを得なくなるだろう。さもなければ、彼ら大手メディアもこの腐臭にまみれた酒池肉林の一大スキャンダルの仲間だったという事になる。

メディアとしては致命的で、会社はつぶれるだろう。精錬潔白な万年野党は、今度こそ政権をとる千載一遇のチャンスだ。そして万年野党が政権を取ると、日本はよくなるかもしれない。絶望と思われていた日本に一筋の光明が差すかもしれない。

間違っても安倍自民党政権とそれにスリ寄る政党に、怒れる善良な国民の票が行くはずがない。週刊実話のひとつの記事が、日本に平和革命を起こすことになる。

主役はあなた、ひとり、ひとり、だ。 何も面倒な事をする必要はない。怒りの1票をぶつけるだけでよい。ただそれだけで日本に本物の革命が起きる。

 06 08 (日) 豊丘南中学校(昭和32年度卒)C組同級会 清流苑





 06 09 (月) 弥生の一夜

2014-1945=69 戦後69年になる。

午後5:30 宇佐美運転小沢片桐羽生と共に弥生に出向く。 9:00 帰路に就く。

 06 10 (火) 土浦予科練爆撃炎上

2014-1945=69 戦後69年になる。


【時事問題 ①】2014年6月10日
72年見解と結論矛盾 「自国防衛」を強調、閣議決定案 集団的自衛権
   http://digital.asahi.com/honshiimage/launcher.php?ap=1NTQcRN0JsPWYc%2FsdP8KDSBdkLFBi92FUPT0WUChzZrRaJGc7e%2FF5U5y7MiUA2tCZfpToB9uJQfV%2F2LyH%2FDwIza%2FO%2BWuCoKHcv22o%2Fi2yifwvhAe9sF3Id8xzKayRBU4ryvuVZT9hCqtU1%2FiC17xqQOnoPkM01oCj%2BIAmewNFmk%3D&pid=1

 他国を武力で守る集団的自衛権について、政府が閣議決定しようとする案の骨格が分かった。1972年に出された政府見解を根拠に、歴代政権が使えないと禁じてきた憲法解釈を変えて、集団的自衛権の一部を使えるように理屈づけしている。しかし、その理屈は、見解の一部を切り取って読み替えたもので「行使は憲法上許されない」とした結論と論理矛盾をきたしている。▼4面=他国領域への派遣否定、15面=歴史に学ぶ、37面=参院焦点採録

◆行使否定を「可能」に

 政府は今回の閣議決定案で、72年に田中内閣が示した「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」を認めるという政府見解を根拠にする考えだ。

 政府は今回、この見解が日本の防衛に関係する集団的自衛権の行使は否定していないと解釈。閣議決定案では、「我が国の存立を全うするために必要な自衛のための措置」に限って集団的自衛権を行使できると明記する考えだ。

 安倍晋三首相は9日の参院決算委員会で、この見解に触れ、「この中に個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は丸ごと入らないということだった。しかし果たしてそれがすべて入らないのかについて研究している」と語った。

 また、政府関係者によると、集団的自衛権の行使は「自国防衛」に関係することを強調するため、閣議決定とは別に「指針」を設ける。どういう事態が起きたら集団的自衛権を使うかの要件や、使う場合でも「原則として他国の領域には派遣しない」などの歯止めを記すことも検討している。

 72年の見解と指針の二つをもって、必要最小限度の行使容認を説明する構えだが、そこには論理矛盾をはらんでいる。

 72年の政府見解では「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と結論づけている。日本が集団的自衛権を行使できないことを説明している見解であることは明らかだ。政府が過去の見解の一部を都合良く利用している、との批判は免れそうにない。

 また、歯止めとなるはずの指針も、政策的な方向性を示すものに過ぎず、拘束力は弱い。自衛隊の活動をどこまで縛ることが出来るかは不透明だ。

 政府側は9日、この閣議決定案を与党幹部に提示。近く与党協議でも議論に入るが、行使容認に慎重な公明党の幹部は「受け入れられない」と反発している。

 だれが安倍さんを支持しているのか。取材した「愛国者」を名乗る奥さん方の評判は微妙です。ただ、「守らなきゃ」という息子を見るような感覚が支えているのかもしれない。

 この間、テレビのバラエティー番組に出演する安倍さんを見ていてびっくりしました。イチゴをフォークで、わざわざ半分に切って食べていたんです。この違和感って何だろうと考えたら、「安倍さんは子どもなんだ」と思い至った。

 安倍さんは、子どもっぽいファンタジーの世界で、まったく役にも立たないことを、子どもならではの大胆さでやろうとしている。ヤンキーのケンカさながらに「友達がやられたから、守らなきゃ」みたいに集団的自衛権を論じている。国の政策ってそんなレベルの話じゃないでしょう。

 でも、進め方がうまい。雲行きが怪しくなったら、北朝鮮の拉致被害者の話が出てくる。安倍さんの批判勢力は、もう手も足も出ない感じじゃないですか。「安倍さん、よくやってくれた」という空気をつくりたいのではないかと、うがった見方をしてしまう。色んなことが操作されているのかも、と信用できない。

 安倍政権の発足から秘密法の成立、集団的自衛権の行使。すべてがつながっているように見える。ヘイトスピーチのように感情的に疑い合う言葉しか出てこない世の中になるなか、実は他国に人を殺しに行くということがすごくリアルになっている。国家への冷静な批判を許さない空気も感じます。怖いなと思う。

 いま、オウム真理教元信徒、菊地直子被告の裁判を取材しています。集団的自衛権がもたらす未来は、「ポア」という宗教用語を使って殺人を繰り返し、最終的には破滅した教団と同じなのではないか。元信徒は異議をとなえず、「今から思えばおかしいが、当時は感覚的に正しいと思った」と言う。彼らにとっても、戦いはいつも「自衛」のためだった。そんな論理にだまされたくはない。

 安倍さんには「イチゴは一口で食べなさい。そして、大人の政治をしなさい」と言いたいですね。

 (聞き手・牛尾梓、写真は西田裕樹)

    *

 きたはら・みのり ライター。女性向けのアダルトグッズストア「ラブピースクラブ」代表。著書に「奥さまは愛国」など。43歳。


【時事問題 ①続】▼4面
他国領域への派遣否定 集団的自衛権、首相「限定行使」を強調

 安倍晋三首相は9日の参院決算委員会で、他国を武力で守る集団的自衛権を使うことについて「海外派兵は一般に憲法上禁じられているから、それはない」と答弁し、自衛隊を他国の領域に派遣しない考えを改めて示した。国連決議に基づき結成された多国籍軍に、自衛隊が物資補給や医療面などで支援する際についても「戦闘を目的として、武力行使を海外でやることはしない」と強調した。▼1面参照

 政府・自民党は集団的自衛権を使うことを認める閣議決定に向け、これらの制限を盛り込んだ「指針」を作る方針。首相はこの日も自衛隊が公海上で米軍艦を守るような事例を挙げ、「限定的」な行使を強調。改めて公明党や国民の理解を求める姿勢を示した。

 首相はまた、「個々の法律を作る場合、自衛隊を動かす場合、国会の関与が当然ある。それぞれで歯止めはなされる。法律ができた後には(時の内閣による)政策的な選択肢がある」と答弁し、法律や国会の関与が抑制的な対応につながるとした。だが、どんな状況で集団的自衛権を使うかは内閣の判断に委ねられるとも説明しており、実際に歯止めになるかは疑問だ。

 首相は「いま与党で議論している。議論が整えば閣議決定を行う」と改めて表明。慎重な公明党の理解を得たうえで、22日に会期末を迎える今国会中の閣議決定に改めて意欲を示した。


【時事問題 ②】2014年6月10日
(集団的自衛権 行方を問う)間違いなく「地球の裏」へ 漫画家・小林よしのり氏

 国家は怪物。いったん暴走したら怖いんだぞ。ワシの考えから言えば、この意識が日本人にはないんですよね。権力、お上に寄り添ってきたから。権力が暴れたときのことを考えられない。戦争中がそうじゃないですか。軍部が勝手に戦争を始めて、もう止められなかった。政党はとても信頼出来ず、軍の方がいいとなったわけでしょ。

 結局、国民は集団的自衛権とかそういう所まで踏み込むのは、恐怖があるわけですよ。個別の政策で世論調査すれば、集団的自衛権は反対の方が多いはず。でも、マスコミは安倍さんの経済政策は応援している。みんな集団的自衛権はどうかと思っても、経済政策はいいと報道している。

 野党も、強力な論理で国民を説得できない。集団的自衛権の危険性を徹底的に追及して、胸を打つような論理が展開出来ない。そうなると、集団的自衛権は数ある政策の一つでしかなくなる。国民はいい部分だけを見るし、支持率は落ちない。結局、みんな「なあなあ」で安倍さんを追認していく。

 ドイツ・ナチスの台頭を許したワイマール憲法下の全権委任法と一緒ですよ。みんなが安倍自民党を選んだわけではないのに、圧倒的な議席数で法律を作り放題。このまま行くと、安倍さんの独裁になってしまいますよ。

 自主防衛論者のワシからすれば、集団的自衛権の行使容認には反対だ。第一に個別的自衛権を強化して、憲法9条の範囲でこれ以上、どうしようも出来ないとなれば改憲するのが筋。今のやり方はおかしい。解釈改憲が行き過ぎている。

 イラク戦争の時、ワシは自衛隊の派遣に反対した。日本は戦争を支持したが、戦争に大義があったのか、派遣が正しかったかどうかの総括をしていない。そんな連中が「限定的」と言っても、絶対に地球の裏側まで武力行使に行きますよ。

 安倍さんの作りたい国って結局、イラク戦争みたいなことが始まれば、自衛隊員が棺(ひつぎ)で帰ってくるような国なんですよ。「何だそれ、美しくも何ともねーよ」と言いたい。

 (聞き手・山本孝興、写真は白井伸洋)

    *

 こばやし・よしのり 漫画家。「東大一直線」「おぼっちゃまくん」などのヒット作を持つ。「ゴーマニズム宣言」では社会や思想を論じる。60歳。


【時事問題 ③】2014年6月10日
(集団的自衛権 行方を問う)未成熟な理屈で押す首相 ライター・北原みのり氏

 だれが安倍さんを支持しているのか。取材した「愛国者」を名乗る奥さん方の評判は微妙です。ただ、「守らなきゃ」という息子を見るような感覚が支えているのかもしれない。

 この間、テレビのバラエティー番組に出演する安倍さんを見ていてびっくりしました。イチゴをフォークで、わざわざ半分に切って食べていたんです。この違和感って何だろうと考えたら、「安倍さんは子どもなんだ」と思い至った。

 安倍さんは、子どもっぽいファンタジーの世界で、まったく役にも立たないことを、子どもならではの大胆さでやろうとしている。ヤンキーのケンカさながらに「友達がやられたから、守らなきゃ」みたいに集団的自衛権を論じている。国の政策ってそんなレベルの話じゃないでしょう。

 でも、進め方がうまい。雲行きが怪しくなったら、北朝鮮の拉致被害者の話が出てくる。安倍さんの批判勢力は、もう手も足も出ない感じじゃないですか。「安倍さん、よくやってくれた」という空気をつくりたいのではないかと、うがった見方をしてしまう。色んなことが操作されているのかも、と信用できない。

 安倍政権の発足から秘密法の成立、集団的自衛権の行使。すべてがつながっているように見える。ヘイトスピーチのように感情的に疑い合う言葉しか出てこない世の中になるなか、実は他国に人を殺しに行くということがすごくリアルになっている。国家への冷静な批判を許さない空気も感じます。怖いなと思う。

 いま、オウム真理教元信徒、菊地直子被告の裁判を取材しています。集団的自衛権がもたらす未来は、「ポア」という宗教用語を使って殺人を繰り返し、最終的には破滅した教団と同じなのではないか。元信徒は異議をとなえず、「今から思えばおかしいが、当時は感覚的に正しいと思った」と言う。彼らにとっても、戦いはいつも「自衛」のためだった。そんな論理にだまされたくはない。

 安倍さんには「イチゴは一口で食べなさい。そして、大人の政治をしなさい」と言いたいですね。

 (聞き手・牛尾梓、写真は西田裕樹)

    *

 きたはら・みのり ライター。女性向けのアダルトグッズストア「ラブピースクラブ」代表。著書に「奥さまは愛国」など。43歳。


【下平・記】

集団的自衛権の行使とは戦争をすることである。

国会議員の人たちは戦争をしてもいいと簡単に考えている。 戦争放棄の思想を簡単に変えてもいいのか。

時代錯誤の考え方にしても甚だしい。


 06 11 (水) 同盟の歴史に学ぶ(安全保障を考える)

時の流れをマクロの視点から確認する。 それはとても重要なことだ。


15面=歴史に学ぶ、2014年6月10日

(安全保障を考える)同盟の歴史に学ぶ 東大名誉教授・三谷太一郎さん
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S11181051.html

 政治を考えるとき、歴史に学ぶことは欠かせない。近代日本は三つの同盟を結んだ。戦前・戦中の日英同盟と日独伊三国同盟。この二つはいずれも戦争の導火線となった。そして、戦後、現在に至る日米同盟といわれる日米安保。これらの歴史から、今日の集団的自衛権論議は何をくみとるべきか。日本政治外交史が専門の三谷太一郎東大名誉教授に聞いた。

 ――政府与党が集団的自衛権の行使に向けた議論を進めていますが、歴史の文脈の中で、この問題をどうとらえたらよいのでしょうか。

 「最初にお話ししたいのは、戦後も68年が経過して、日本人の戦争観が、敗戦直後とは大きく変化したということです。憲法9条の前提となっていた日本人の戦争観が変わってしまいました」

 ――敗戦直後の戦争観は、どのようなものだったのですか。

 「敗戦の翌年1946年に、当時の指導的国際法学者で、後に最高裁長官となる横田喜三郎東大教授が、学術雑誌(注1)に『戦争の革命』という論文を発表しました。その中で横田教授は、『こんどの戦争によって、戦争の性質は根本的に変更され、戦争そのものの革命をもたらした。それはいままで戦争が一般に適法なものとされてきたのに、いまや一般に違法なものとされ、しかも犯罪とされるに至ったからである』と論じています」

 「これは当時の国民にも広く共有された見方ではないでしょうか。日本国憲法が発布されたときに私は小学生でした。憲法の他の条文はよくわからないものもありましたが、戦争を放棄した9条は素直に受け入れられました。日本は戦争の敗者であったわけで、『敗者の戦争観』はこういうものだったのです。それがいま『普通の国』という感覚なのでしょうか、米国や中国のような『勝者の戦争観』に近づいてきました」

 ――「勝者の戦争観」ですか。武力の行使を政策手段としてみるということですか。

 「国際紛争を解決する手段としてはそれなりの有効性を持つという考えでしょうか。与党野党を問わず、戦争観が大きく変わったという実感があります」

 ――様変わりしたのは国民の同盟観も同じです。かつては、「日米同盟」ではなく、一般に「日米安保」と言っていました。

 「『日米同盟』という言葉を公式に明言したのは大平正芳首相と言われています。1979年に訪米した際に、外務省幹部の進言で『同盟』という言葉を初めて使いました。それまでは、安保を『同盟』と呼ぶことには外務省当局者の間でもためらいがありました」

 ――なぜだったのですか。

 「1960年に全国を席巻した安保改定反対運動(注2)の衝撃があったからです。反対運動のひとつの目的は、安保の軍事同盟化の阻止にありました。安保を軍事同盟にしてはならないという主張です。あの運動は、その後の日本政治に大きな影響を与えました。あれがなければ、その後の池田勇人内閣の高度経済成長政策はおそらく出てこなかったでしょう。米政府当局者にも甚大な影響を与え、米国は、日米間の対話を再構築するため、日本専門家のハーバード大教授のライシャワー氏を駐日大使に任命しました。これは、戦前戦後を通じて異例の駐日大使人事です」

     ◆     ◆

 ――冷戦下の1960年とは、国際環境も様変わりしました。しかし、そもそも「同盟」とは何なのでしょう。集団的自衛権は同盟の論理と言われています。

 「どういうときに同盟が成立するのか、同盟の要件を考えてみましょう。戦前と日中戦争下の戦中に日本は二つの同盟を経験しました。三次にわたった日英同盟(注3)と、日独伊三国同盟(注4)です。二つの軍事同盟に共通する要件は、第1は共通の仮想敵国の存在です。第2は、おのおのの国が互いの勢力圏を承認し合うことです。第1回日英同盟の場合、共通の仮想敵国はロシアでした。勢力圏は、英国は主として清国、日本は朝鮮でした。第三国が参戦してきた場合には、同盟国を助ける参戦義務も規定されています」

 「日英同盟はその後、防衛同盟よりも攻守同盟の性格が強くなりました。そして日本は、第1次世界大戦でドイツに対して参戦したのです。対華二十一カ条要求などを通じて中国におけるドイツ権益を継承することを認めさせ、そのことが中国ナショナリズムの反撃を誘発しました。日英同盟は、第1次大戦を通して、日本の中国に対する侵食を加速する役割を果たしたといえます」

 ――参戦義務の話は、まさに今日でいう集団的自衛権の問題につながります。日独伊三国同盟のほうはどうだったのですか。

 「三国同盟が成立する過程で、最も深刻だったのは仮想敵国の問題です。具体的には、米国を仮想敵国とみなすべきかどうか。日独双方とも、対米戦争を回避すべきだと考えていました。すでに第2次世界大戦のただ中にあったドイツにとっては、米国の軍事的圧力はおそるべきものでした。交渉に当たっていた日本の松岡洋右外相は、現状維持では対米戦争は避けられないという状況判断でした。そこで、三国同盟を結んで日本が『毅然(きぜん)たる態度』をとること、それのみが戦争を回避する可能性を持つと、彼は考えたのです。もちろん絶対的な確信ではなく、対米戦争の公算は半々と考えていました」

 ――結果は破局でした。

 「軍事同盟は仮想敵国を想定しないと成り立ちませんが、情勢の展開の中で、仮想敵国が『現実の敵国』に転化するかもしれない、という非常に大きなリスクを常に念頭においておく必要があります。これが三国同盟からの歴史の教訓ではないでしょうか」

 「軍事同盟の論理は抑止力です。抑止力はリスクを伴います。今日といえども、それは同じだと思います。いまの日本政府当局者がどう考えているかわかりませんが、もし現在の中国を『仮想敵国』のようにみなして、それに対する抑止力として、集団的自衛権の行使を認めるべきだと考えるならば、相当のリスクを伴うと感じています」

     ◆     ◆

 ――抑止力を高めることが相手国との緊張を高めかねないという「安全保障のジレンマ」ですね。

 「冷戦後の世界は、多極化しました。ソ連が崩壊したあと、米国が空白を埋めて、絶対的なリーダーになるかと思われましたが、現実は予想に反しました。G8は、中国やブラジルなどを入れてG20になりましたが、覇権国家が消滅したことに着目すれば、現在の状況はG0(ゼロ)と言ってもよいかもしれません。冷戦後20年を超えた今日でも、安定的な国際秩序は未完の課題です」

 ――何が障害なのでしょうか。

 「歴史上いまほど、理念というものが不足した時代はないでしょう。現在の世界的な傾向であるナショナリズムを超える理念が存在しません。裏返せば、国益に固執した短絡的なリアリズムが世界を支配しています。覇権構造が解体してしまった現実が私たちの眼前にあります」

 「いまの日本では、外交の基軸を『日米同盟』の強化に求める傾向が強いと思います。それは、冷戦下の日米安保の軍事同盟化の延長です。覇権構造解体後の多極化した国際政治の現実に適合したものといえるでしょうか」

 ――どんな外交が必要ですか。

 「参考になるのは、今年勃発100年を迎える第1次世界大戦後の多極化した国際政治です。英国の覇権が解体し、米国主導の国際政治秩序がまだ確立しない過渡期でした。東アジアでは、米ワシントンで開かれた国際会議で海軍軍縮条約などが結ばれ、多国間条約のネットワークを基本枠組みとするワシントン体制という国際政治体制ができあがりました。多国間協調、軍縮、経済的・金融的提携関係を特色としました。これを崩壊させたのは当時の日本でした。このワシントン体制の歴史的経験や第1次世界大戦後の多国間条約の発想から学ぶべきだと思います」

 ――安全保障は、日本にとって実に難しい選択です。

 「私は、はっきり言うと、戦争によって国益は守られない、戦争に訴えること自体が、国益を甚だしく害すると考えます。日本の安全保障環境は、戦争能力の増強ではなく、非戦能力を増強することによってしか改善しないでしょう。その際、日本が最も依拠すべきものは、国際社会における独自の非戦の立場とその信用力だと思います。日本の非戦能力は決して幻想ではありません。戦後68年にわたって敗戦の経験から学んだ日本国民が営々と築いてきた現実です。この現実を無視することは、リアリズムに反します」

 「政治に万能薬はありません。必ずこれで日本の安全保障が確立するという選択肢はないのです。多くの場合、うまくいくかいかないかは、フィフティー・フィフティー。少しの差しかありません。そういうとき、理想に従うことが人間としてあるべき姿ではないでしょうか。国家本位ではなく、人間本位の考え方とは、そういうものではありませんか」

 (聞き手・三浦俊章、石田祐樹)

    *

 みたにたいちろう 36年生まれ。専門は日本政治外交史。著書に「日本政党政治の形成」「近代日本の戦争と政治」「ウォール・ストリートと極東」など。

(注1)「国家学会雑誌」(第60巻8号)

(注2)安保改定反対運動 岸信介内閣が進めた日米安保条約改定に対し、日本が米国の戦争に巻き込まれる危険が増すなどとして、反対運動が全国に広がった。条約承認の強行採決で混乱が深まり、アイゼンハワー米大統領の訪日は中止、岸内閣は退陣した。

(注3)日英同盟 1902年から1923年まで続いた軍事同盟。1905年の改定で攻守同盟の性格が強まり、締約国の一方が挑発することなく交戦した場合、他の一方の締約国はただちに援助して協同戦闘にあたることになった。

(注4)日独伊三国同盟 欧州で第2次世界大戦が勃発した翌1940年、第2次近衛文麿内閣がヒトラーのドイツ、ムソリーニのイタリアと結んだ軍事同盟。日米関係はかえって悪化し、日本軍の真珠湾攻撃で戦争が始まった。



【下平・記】

戦後、新憲法が発布されました。とくに第二章で第九条「戦争放棄」として戦争拒否の理想を掲げた憲法が成立しました。

当時長野市檀田弥勒庵に下宿していて鉱石ラジオでニュースなど聞いていました。 東京軍事裁判も聞いていました。

憲法発布の中身としては、前文に示された英知の底流と崇高な願いに心身ともに震える思いでした。 今は政治家が「集団的自衛権の行使」という言葉で崇高な日本の願いを汚すようになりました。

残念でなりません。

前文を改めて読みなおしたい。


日本国憲法
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


世界中の人々に読んでもらっても恥ずかしい内容ではありません。 そしてその中核になっている第二章の九条という一条しかない「戦争放棄」も心して読みなおしたい。


第二章 戦争の放棄

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


屁理屈抜きに『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』という精神に深い感銘とゆるぎない平和への心の高揚を感じ取ってきました。

恒久の平和と戦争放棄は同一概念から発したものである。

出版書籍が少なかった当時、仙台ユネスコ協会が発行したユネスコ憲章解説を手にして、憲章の冒頭の一句に目がとまりました。


戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない


この言葉は青年の胸深くしみこみ、‘この願いのために生涯を貫いてもいい’それほどの価値を以ていたものでした。 29才で亡くなった吉田松陰を偲ぶブログがありましたが、むべなるかなの思いです。


終戦から六十年 - ユネスコ憲章の言葉を再び日本人のものに 世に倦む日日
   http://critic.exblog.jp/3308625/

世に棲む日日

ブログ名の「世に倦む日日」は、司馬遼太郎先生の有名な歴史小説の題名から頂戴したものである。「棲」と「倦」の字形が似ていて、これは長年懐で温めてきたところの、誰にも先を越されたくない - 我ながら絶妙の - コピーアイディアであり、HPかBlogの標題を新規に掲げるときは必ずこれにしようと心に決めていた。小説をまだお読みになられていない方がおられれば、この機会にぜひご一読されたい。小説は二人の革命家の物語である。一人は29歳で死に、もう一人は27歳で死んだ。二人がいなければ明治維新はなかったと思うが、二人とも維新の日を見ることなく非業に斃れた。27歳と29歳である。日本史の教科書に名前が載って、後からの業績めいたものが簡単に付言されて歴史の偉人になってしまうと、その人物のリアリティが見えなくなる。渋谷の街を歩いている同じ年頃の男の子たちを思って欲しい。特に松陰は日本思想史の巨星であり、学問研究され続けるテキストであり、松蔭神社の神様であり、その若さが実感されることがあまりない。

報告と御礼 - 学研「最新人気ブログランキング200」に載りました

昨日発売になった学研『最新人気ブログランキング200』を確認すると、「世に倦む日日」は「ジャーナリズム・評論・専門分野」の中で第3位に位置づけられて紹介されていた。意外な高順位の評価に驚いたが、私からすれば、この事実はムックの編集者や選考者の知性の確実さを証明するものでもある。当ブログをご推薦を下さった関係者の皆様にあらためて御礼申し上げると同時に、平素よりご愛顧を賜っている読者の皆様にこの場を借りて深く深く感謝を申し上げたい。選考が客観的に適正なものだったということは、ランクされている200のブログがそれなりに中身と価値を持っていることをも意味するだろう。本は書店のかなり目立つ売り場に並べられている。これからブログでの情報発信を企画されている方は、ムックを手に取って参考にされることをお勧めしたい。これから間違いなくブログは普及拡大する。文化としてビジネスとして多様な形態で発展を遂げるだろう。日本におけるブログ文化の発展に多少とも貢献できれば幸いと心得る。


ユネスコ憲章の前文は次の通りです。


前文

 この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。

 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

  相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。

  ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。

  文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。

  政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。

 これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、且つ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させ及び増加させること並びに相互に理解し及び相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。

 その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、且つその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。


ユネスコの活動はいろいろあるが、冒頭の趣旨は『無知』と『偏見』を払拭することが中核になっていると考えていい。 その活躍場面こそ、教育科学文化だと言っている。

日本の新憲法はアメリカの押しつけだという輩がいる。 そんな風に考えるのはひねくれています。


越境文化論資料庫|越境文化論総合ホーム|阿川亭ホーム / (越境文化論2006年5月3日記録より)
日本国憲法は誰が作ったのか?
    http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/Ekkyo/data/chunks/kenpo.html

日本国憲法は誰が作ったのか?

 クラス唯一の”日本人”(あ、阿川を除いてですが)の小華(夕華子)に、日本国憲法は誰が作ったのかと質問したら、アメリカ(GHQ)という答えだったね。この認識はけっこう”日本人”の間に広まっている。「今の日本の憲法はアメリカが作って日本に押し付けたものだから、今、”日本人の手によって”書き直そう」という人たちも少なくないようです。事実はどうなのか?

 事実はどうなのか、と言っても、これは”解釈の問題”というか、憲法の制定過程をどのような物語として語るかによって違ってきますよ。その語りには、当然ですが、語り手の立場があり、イデオロギーがあるわけです。詳しくは頁の最初の方にあげた参考URL(日本国憲法の誕生<http://www.ndl.go.jp/constitution>/、もっと詳しいのが日本国憲法成立過程における極東委員会の役割と限界<http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17242/KJ00000150444.pdf><http://ci.nii.ac.jp/naid/110000040180><http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/16923/kh06-02.pdf>)を見てくださいね。

以下、ちょっとだけ憲法制定の経緯を書いておきますね。

 まず1945年10月、”憲法を改正しなさい”という要求(”自由主義化”の要求、と言われます)が、GHQから出され、これを受けて”日本政府”による明治憲法の調査研究が開始され1946年2月8日に”日本側”の最初の憲法草案が完成します。その前の2月1日に、この草案が毎日新聞にスクープされるのですが、それを見て「これではまだ保守的、現状維持だ」と考えたマッカーサーは、2月3日、GHQ民政局長であったコートニー・ホイットニー(Courtney Whitney)にGHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業を指示します。ホイットニー自身は弁護士でもあったけれど憲法についての実務的な知識に欠けたため日本の民間憲法草案などを参考として(とくに12月27日に発表された憲法研究会の憲法草案を入念に検討し「民主主義的で賛成できるものである」と高く評価したと言われます)大急ぎで(ほぼ10日間で・・・無論、それ以前にも準備していただろうとは思いますが)GHQ草案を作成した。2月13日、スクープされていた”日本側草案”が手渡されると、マッカーサーはその場でこの草案を拒否し、ホイットニーらの作成したGHQ草案を検討するように指示します。”日本側”は、このGHQ草案に原則として沿う形で案を練り直して3月2日に再提出し、これが最終案になります。最終案はホイットニーらのGHQ案といくつかの相違点があります(例えば第25条の生存権など)が、ほぼGHQ案に沿ったものになりました。

 マッカーサーが憲法の制定を急いだのは、1945年の12月にイギリス、ソヴィエト、アメリカの外相会議で極東委員会(Far Eastern Commission)の設置が決まり、13か国(米国・英国・中国・ソ連・フランス・インド・オランダ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・フィリピン、1949年11月からビルマ・パキスタンが加わる)の代表から構成されるこの委員会が、1946年2月26日以降、活動を開始した後は、憲法改正に対するGHQの権限が制限されることになっていたからだと言われます。つまり、同じ”戦勝国”だけれど共産主義圏のソヴィエトが口を出してくる前に自分の手で憲法を作り上げてしまおうということですね。

 マッカーサーがホイットニーに指示したのは、後に「マッカーサー三原則」と呼ばれる三つの原則を明確に打ち出した草案を作れということだったようです。三原則とは、

1.「天皇は、国家の元首の地位にある」(The Emperor is at the head of the State)
2.「国家の主権的権利としての戦争を放棄する」(War as a sovereign right of the nation is abolished)
3.「日本の封建制度は、廃止される」(The feudal system of Japan will cease)

  の三つだと解釈されています(2月3日にマッカーサーがホイットニーに宛てたメモ、いわゆる「マッカーサー・ノート」の三つのポイント)。天皇制を維持しようという判断は、”日本”を早期に”安定される”ことが対共産圏戦略として至上命令であり(マッカーサーの独断という感じもしますが)、そのためには天皇の戦争犯罪追及も、天皇制の廃止も、マイナスに働くと考えたのだろうと思います。この判断の背景には、無論、当時の”日本側”の強い要求があった。天皇に手を出すようなことをしたらわれわれは何も保証できないぞ、という雰囲気をマッカーサーも感じ取っていたのでしょう。

 2番目の「戦争放棄」は、結果的に”日本”に独自の戦争能力を持たせず、米軍の基地化する(少なくとも当面は)戦略に見えますが、憲法に「戦争放棄」を謳うことは、1946年1月に行われたマッカーサー・幣原(当時の首相)会談で、幣原から提案されたものだという説もあります。

 3番目の「封建制」廃止には、本来は天皇制が含まれなければ矛盾していますが、皇族は除外されています。これは天皇制の存続と連動していたので矛盾してもしょうがない、ということでしょうかね。これによって、しかし、華族は解体され、華族の権利もほぼ消滅しました。いわゆる「民主化」を進めるための最低限の要求に見えます。

 このように見てくると、確かに日本国憲法最終案はGHQ案に沿ったものなのだけれど、そのGHQ案そのものが”日本側”との折衝の中で生まれているとも見えるし、”日本側”の憲法研究会の案が大筋で取り入れられたものだとも言えます。『憲法は”アメリカ”が作って”日本”に押し付けた』とも言えるし、『アメリカの対共産主義戦略の下で急いで作らなくてはならないというプレッシャーの下ではあったが、”日米共同”で作られた』とも言えるし、『天皇制の継続、戦争放棄、国民主権などのキー概念を”日本側”が出して、GHQがこれにいくつかの粉飾をした』とも言える・・・。

『日本国憲法はアメリカが作った』という発言のパフォーマティブな意味

 『日本国憲法はアメリカが作った』という言い方は、『だから、それは日本のものではない。それゆえ”日本人”の手で作り直す必要がある』という主張に繋がってきます。そのパフォーマティブな意味は、いろいろ考えられると思いますが、第一に”国家主義(ナショナリズム)”的だと思いますね。この「作り直し」の主張(異議申し立て)は、現状では「日本軍の憲法上の認知」と「海外派兵の憲法上の認可」という軍事的な改革を狙っていると解釈されます。だから、これに対して「憲法を守ろう」という側は、何よりも第9条(いわゆる平和条項)を守るという主張になるわけです。


集団的自衛権とは戦争であり、人を殺し殺される。 政治家は人を殺し殺される家族の悲しみを踏みにじっています。

今こそ集団的自衛権反対の意思を貫かなければなりません。