折々の記へ
折々の記 2015 ①
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】01/17~ 【 02 】01/26~ 【 03 】02/13~
【 04 】02/14~ 【 05 】02/24~ 【 06 】02/24~
【 07 】02/26~ 【 08 】02/28~ 【 09 】03/06~
【 01 】01/17
01 17 祗園精舎の鐘の声 諸行無常
01 19 積極的平和主義・外交 平和哲学の筋は通るのか
01 21 イスラム、2邦人を人質2億ドル要求 世界秩序崩壊の最後の様相
01 22 銀漢の賦
01 17 (土) 祗園精舎の鐘の声 諸行無常
平家物語の中核
祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらは(わ)す
おごれる人も久しからず
唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ
偏に風の前の塵に同じ
祗園精舎とは
wikipedia を見ると詳しい解説がある。
鐘の声とは
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽
生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。
生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。
この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。
般若心経の中核
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
照見五蘊皆空とは
物事の本質・実相を明らかに見きわめること。また,その教え。(三省堂 大辞林)
漢文そのものからみれば <Let's 照見+目的語> であり
<五蘊は皆空であることを、明らかに見きわめましょう>でよいと思う。
度一切苦厄とは
照見五蘊皆空の表現法と同じであり、
<一切苦厄を、度しましょう>でよいと思う。
五蘊とは
諸存在を構成する物質的・精神的五つの要素。色・受・想・行・識の総称。
色は物質的存在,受は事物を感受する心の働き,想は事物を思い描く心の働き,
行は心の意志的働き,識は識別・判断する心の働き
01 19 (月) 積極的平和主義・外交 平和哲学の筋は通るのか
“インドで「積極的平和主義」アピール 岸田外相が講演”の記事がある。 憲法第九条に戦争放棄の規定があるにかかわらず集団的自衛権を閣議決定し、憲法改正を目指して戦争容認の国家にしようとしている現政権が、どのような理想の下で「積極的平和主義」をアピールするのだろうか。
積極的平和主義とはどういうことをどのようにするのか、その内容について親子のあいだに通用する説明がない。
私たちは立ち止まって、日本の将来のあり方を求めなければならない。
朝日新聞
2015年1月17日 ニューデリー=杉崎慎弥
インドで「積極的平和主義」アピール 岸田外相が講演
http://digital.asahi.com/articles/ASH1K5F2JH1KUTFK003.html
インドを訪問中の岸田文雄外相は17日、インド外務省系のシンクタンク「世界問題評議会」で講演した。岸田氏は日印関係の強化とともに、「日本は戦後70年間、平和国家として歩みを進めてきた」と述べ、安倍政権が掲げる積極的平和主義などをアピールした。
岸田氏は、インド政府関係者らが参加した講演会で「日本は先の大戦の深い反省の上に立ち、一貫して民主的で法の支配を尊重する国家をつくった」「積極的平和主義の旗のもと、世界の平和と安定に貢献していく」などと語った。
また、日印をつなぐインド洋から太平洋に至る「開かれ安定した海洋」の重要性を主張。南シナ海などで強引な海洋進出を続ける中国を念頭に、国際法に基づいた主張の必要性や、「力」を用いた現状変更を許さない考えを改めて示した。
岸田氏は、パリの新聞社で起きた銃撃テロ事件にも触れ、強い非難とともに「テロは日本とインドにとって現実的な危険」と指摘し、テロ対応での連携を呼びかけた。核軍縮・不拡散問題でも、「核兵器のない世界」の実現に向けて、両国が協力をしていく必要性を訴えた。
日本の外務省幹部は「外相の外遊は戦後70年の対外発信のキックオフだ。インドなど活気のある国や、欧米などの先進国で国際的に響く発信をしなくてはならない」と話す。
岸田氏は17日午後、インドのスワラジ外相との戦略対話に臨み、両国の外務・防衛次官級会合の早期開催で一致。防衛分野での協力や、インフラ整備の促進なども協議した。(ニューデリー=杉崎慎弥)
この記事に関するニュース
(いま国政に挑む)借金残ったけど…前向き「敗戦記」(1/17)
ODA、他国軍への支援解禁 政府、新大綱を閣議決定へ(1/9)
ODA、軍事転用の恐れ 新大綱「積極的平和主義」を反映 中国の援助拡大を意識(1/9)
(戦後70年)償いから始まったODA 変わる支援の形(1/6)
(戦後70年)世界からのメッセージ(1/1)
【下平・記】
日本の進路政策に独自性はあるのだろうか。 アメリカの核傘下にあって、アメリカ寄りの政策が採られ続けたことは事実である。 その方向性がどの程度いいのか悪いのか。
アメリカの国益には国際連合の意向に準じない戦争による武力行使も含まれている。 歴史の経過を見るにつけ、国益のトドの詰まりは戦争であり殺人と破壊に通じていると認識するほかはない。
第一次世界大戦後不戦条約によって戦争放棄を願ったのに、どうして失敗したのでしょうか。 政治家はそうした変化を検証し国民に説明したことがありません。 その失敗の理由を調べてみると次のことがわかる。
All About 社会ニュース/よくわかる政治
(記事掲載日/2007.08.15) 執筆者:辻 雅之
不戦条約はなぜ戦争を止められなかったのか
http://allabout.co.jp/gm/gc/293854/
第2次世界大戦前の1928年、世界各国は「不戦条約」を結んで戦争の放棄を誓っていました。しかし、それからわずか3年後に満州事変が起こり、第2次世界大戦へと突き進んでいきます。不戦条約はなぜ機能しなかったのでしょう。
【不戦条約とはどんな条約だったのか】
§ 第2次大戦前の「不戦条約の成立」
世界平和を求める動きは第1次世界大戦前から起こっていましたが、活発になったのはやはり第1次世界大戦以降です。
多くの国民が犠牲になり産業にもダメージを与え、敵味方双方の国土を疲弊させたこの大きな戦争は、国際平和実現への流れを押し進めていくようになります。
さらに、戦争末期にアメリカ大統領ウィルソンが発表した「平和原則14カ条」や、ロシア革命の指導者レーニンが発表した「平和の布告」などは、「旧外交(オールド・ディプロマシー)」に対する「新外交(ニュー・ディプロマシー)」と呼ばれ、多くの賛同者を呼びました。
そして、ウィルソンの提唱に基づいて1920年に国際連盟が発足、アメリカが議会の反対で不参加になったものの、戦勝国であったイギリスとフランスは平和外交を進めていきます。
このようななかで1922年にワシントン軍縮条約が、1926年に西ヨーロッパの安全保障を定めたロカルノ条約が締結、そして1928年にパリで不戦条約が締結されるに至ります。
このように国際関係が安定していた1920年は「黄金の20年代」よばれ、ヨーロッパの人々は永久に続く(ように思えた)平和を謳歌していました。
§ 不戦条約には大きな欠陥があった?
しかし、1929年の世界恐慌は、そのようなムードを壊してしまいます。大不況が到来した国のなかにはファシズムが台頭し、軍事的な手段で不況を克服しようとする国々が現れます。
日本もその例外ではなく、1931年には満州事変を起こして満州(中国東北部)を占領、この地を事実上の植民地としていきます。このようなことで、日本は不況を乗りきり、経済を拡大しようとしていました。
そして1935年にはイタリアが、エチオピア侵略を開始。ドイツでもナチス政権が再軍備を進め、侵略の準備をしていました。──こうして、不戦条約は「砂上の楼閣」となっていったのです。
不戦条約には、欠陥があったといわれています。第1条をみてみましょう。
「締約國ハ國際紛争解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳肅ニ宣言ス」(下線はガイドによる)
ここでは単に「戦争を否定」しているわけです。しかし、満州事変が「戦争」と呼ばれないように、戦争ではない武力行使もあるわけです。宣戦布告のない戦争などがそれにあたります。
不戦条約は、ここまで否定しなかったことが大きな問題だったといわれています。
これを受けて、戦後制定された国際連合憲章では、このように規定されています。
「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」(第2条4号、下線はガイドによる)
国連憲章では、狭い意味での戦争だけでなく、武力行使一般を否定しているのです。こうして、不戦条約の欠陥を修正したといわれています。
§ 条約の欠陥だけが問題だったのか
しかし、不戦条約の「欠陥」がなければ、第2次世界大戦は防げたのでしょうか。
たとえ「欠陥」がそのままであっても、国際的な平和の気運が高ければ、「戦争とはあらゆる武力行使をさす」という解釈が生まれ、国家を拘束することができたのではないでしょうか。
しかしもちろん、そんな解釈がなりたっても、戦争をする国は戦争をしたでしょう。
不戦条約が「骨抜き」になった国際的な背景を、次のページで見ていきたいと思います。
【不戦条約はなぜ戦争を止められなかったのか】
§ 1920年代を覆った「ユートピア主義」
1920年代に行われた一連の動き、つまり国際連盟の創設や軍縮条約、不戦条約の締結は、「国際法によって平和を確立する」という思想に立っていました。
つまり、国際社会における「法の支配」の実現です。法が国家を拘束し、平和が実現するという考えです。
しかし、この考え方はある意味「ユートピア的」な発想です。非常に楽観的です。制度や組織、そして法が整えば、国家は戦争をしないだろうという考えです。
イギリスやフランス、そしてアメリカは、これがうまくいくと、あまり根拠もなく、考えていました。それほど、第1次世界大戦は悲惨だったということがいえます。邦整備をきちんとすれば、あんな悲惨な戦争を起こそうとする国はいないだろうと、彼らは考えていたのです。
§ 1920年代の「リアリティ欠如」を指摘したカー
『危機の20年代』を著し、現実主義的国際政治学者の第一人者となったエドワード・カーは、このような1920年代をこう考えました。
1920年代、各国は「戦争の防止」というユートピア的思想を目標にして外交を展開した。しかし、その過程で、目標をいかにして達成するかという「リアルな視点」が欠けていた……カーは、そう考えます。
つまり、「どうあるべきか」だけを考え、「どうなっているか、どうすべきか、なにがあるのか」を考えようとしなかったところに、1920年代外交の欠点はあったとカーは考えているのです。
§ かたよっていた「ユートピア主義」
カーはさらに、国家の「道義」について述べ、「世界の共同体を守る」ということが道義として重要であることを述べる一方で、このような指摘をしています。
つまり、1920年代の世界共同体の中身そのものが、非常に不平等であるということ。……たとえば第1次世界大戦の敗戦国ドイツは巨額の賠償金を課せられ経済の混乱を招いていた一方、戦勝国イギリスやアメリカ、フランスは順調な社会を運営していたという「事実」。
あるいは、植民地を多く抱え経済的繁栄を謳歌していたイギリスやフランスに対する、植民地を多く持たない日本やドイツ、イタリアといった国々との格差。
世界共同体は、ある意味第1次世界大戦の主要戦勝国にかたよった秩序に基づいていたといえます。この主要戦勝国によって、世界共同体は生まれ、運営されていた。このようななかで、不戦条約も作られていった。
このような不平等な構造のなかで、それに不満を持つ「反乱者」が生まれることを、1920年代の理想主義外交は想定していなかったのでした。そういった意味でも、「リアルな視点」が欠けていたのが1920年代外交だったといえます。
§ そして「反乱者」になった日本、ドイツ
実際、敗戦国だったドイツだけでなく、日本やイタリアなども、このように作られた「世界共同体」への「反乱者」となっていくようになります。
日本では、早くから「世界共同体」的なものへの反発が生まれていました。例えばのちに首相となり日中戦争開戦時の首相となった近衛文麿は、『英米本位の平和主義を排す』という論文を発表、西欧中心に作られている国際秩序の打破を訴えました。
このような思想はやがて軍部に広がっていき、軍縮条約で「英米本位に」軍縮を「押し付けられた(と感じた)」ことも重なり、現状打破のため満州、中国への進出、侵略となっていったのでした。
そしてイタリアはエチオピアを侵略。これに対し、国際連盟はいかにも無力でした。ドイツは世界恐慌の混乱のなか、ナチス政権が誕生。ヒトラーは戦後体制の打破を宣言して軍備を拡大していきます。
こうして不戦条約を頂点とした平和への努力、理想主義は一気にちょう落していきます。やがて第2次世界大戦が起こり、1920年代の平和構想は泡と消えてしまうことになるのです。
このようなことから、21世紀のわれわれは何を学べばいいのでしょうか。次ページで考えていきます。
【21世紀の平和維持にも必要な「リアルな視点」】
§ 戦後もあったユートピア思想
さて、第2次世界大戦後、アメリカとソ連は核兵器の開発競争を進め、「恐怖の均衡」と呼ばれる冷戦の時代に突入していきました。
そんななかで、「アメリカとソ連が和解し、核戦争の脅威が去れば、人類に平和が訪れる」という、またしてもユートピア的な考え方がもちあがってきていました。
しかし、それはやはりユートピアに過ぎませんでした。冷戦構造が崩壊して、世界ではむしろ戦争が増えました。「9.11」のようなメガトン・テロまで起こるようになりました。
冷戦構造の影で封印されていた民族主義や反先進国主義、宗教対立などの「リアリティ」をしっかり把握することを、人類は核兵器の恐怖のなかで忘れてしまった、気付かなかった。
カーのいう「リアリティの欠如」によって、一気に噴出した民族紛争やテロ。これらの犠牲になった人々は、ひょっとすると世界大戦に匹敵する大きな数に上ってしまうのではないでしょうか。
まだまだこのような戦争はなくなりません。外交や国際政治から「リアリティの欠如」をなくし、紛争の原因をしっかり見定め冷静に対処していくということは、20世紀のみならず、21世紀の現代でも大きな課題のままである、といえます。
§ リアルな平和構築とはなにか
そんななか、2度にわたる世界大戦の舞台となったヨーロッパでは、逆に「統合」の動きがさかんになっていきました。それは、非常に具体的な目線から生まれたものでした。
2度の世界大戦のことを「フランス=ドイツ100年戦争」という人もいます。この2国を中心に、19世紀後半に普仏戦争、そして20世紀に2度の世界大戦がおこったからです。その元凶として、両国の国境間に眠る鉄鉱石や石炭という資源の問題があったといわれました。
両国の平和的関係を築くため、これらを共通管理することを目的として、フランス・ドイツと、その他のヨーロッパ諸国が加わってできたものが欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)です。
そしてこれを母体にして、経済、原子力、農業、ほかさまざまな協力がヨーロッパで進みはじめ、その結果として1993年にEU(欧州連合)が発足したのです。
今や東欧を含め27国で組織されるEUは、このように具体的なひとつひとつの協力の積み重ねによってできたもので、そして今、ヨーロッパを平和的にまとめています。
ドイッチュという国際政治学者は、人々のさまざまな交流が進むことにより、「安全保障共同体」が構築されると考えました。彼によるとアメリカとカナダの関係は、戦争をすることができないくらい交流が進んでおり、「安全保障共同体」が実現しているとされています。
§ 「独善的なユートピアニズム」をどうやって排すべきか
日本と中国、日本と韓国も、経済的・文化的交流が進み、ドイッチュのいう意味で戦争のできない状況に近づきつつあります。
おたがいに、他国との関係を遮断すれば、かえって自国が大きな損害を被るような状況でしょう。国際関係論では、このような状態を「相互依存」といいます。
日本は中国や韓国からの輸入がなくなってしまえば経済がなりたたなくなるでしょうし、中国や韓国でも、日本との貿易が経済に占める比重は大きいものになっています。
さらにこのような関係をリアルな目線で進展させ、協力関係を確固たるものにする必要があるでしょう。すでにAPEC(アジア太平洋経済協力会議)などで、それへの取組みは始まっています。
しかし、ネットなどで中国や韓国について、感情的に非難する文章が目立つのも最近の傾向です。
リアルな目線を忘れた「自分の頭のなかだけの視点」はまさに独善的なユートピアニズムです。彼らのなかから中国や韓国がなくなれば平和で嬉しいのでしょうが、現実的にそれはありえません。
われわれは、「全ての当事者の立場」で平和を維持するという目標を立て、そしてリアルな視点や考え方をもって、具体的な平和構築を行っていかなければなりません。
日本にとって多少は不愉快なことでも、それがリアルな意味で平和維持につながるなら、それを実行していくことが必要です。……平和維持は、願う心や感情論では決してできないということを忘れてはならないと思います。
E・H・カー Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/E%E3%83%BBH%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC
著書 清水幾太郎訳『歴史とは何か』(岩波書店[岩波新書], 1962年)
「歴史とは現在と過去との対話である」
"An unending dialogue between the present and the past."
原彬久訳『危機の二十年――理想と現実』(岩波文庫, 2011年)
カール・ドイッチュ Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A5
安全保障共同体(security community)という概念を提起
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93
【下平・記】
執筆者辻雅之の記述を読んでいくと、いろいろと理由があったにせよ不戦条約ができてそれを批准し、三年とたたない1931年に、日本は満州事変を起こしているのです。 平和を願う不戦条約に反して侵略を始めた日本の政治の過ちを、戦後の政治家が明らかな検証をしたのでしょうか。 そうしたことを聞いた覚えはありません。
こうした点でも上記の感覚でのマスコミの切込みがきわめて少なかったと言わざるを得ないのです。
平和については国家間の談合や法的処理によって解釈しようとするところにとどまっています。
自国にとって不都合なことには触れず、都合のいいように他国に主張しているのです。 これは日本にとっての大きな過誤であって避けてはならない課題なのです。
01 21 (水) イスラム、2邦人を人質2億ドル要求 世界秩序崩壊の最後の様相
きのうは午後三時以後のニュースで 『「イスラム国」2邦人人質 2億ドル要求「断れば殺害」』 の映像とその内容が報じられ、大きいショックを受けました。 おとといの「折々の記」へ日本の外交について再検討の必要 <積極的平和主義・外交 平和哲学の筋は通るのか> を書いたばかりだった。
それにあさイチの番組で、「なぜテロが起きたのか?」「フランスに旅行に行っても大丈夫なのか?」「日本国内への影響はないか?」について、海外での取材経験が豊富な『あさイチ』レギュラーの柳澤秀夫解説委員が答えた。
その中で、フランス革命に影響を与えた哲学者・ボルテールの言葉
『私はあなたの言うことには賛成ではない。
しかし、あなたがそれを言う権利を死んでも守る』
というこの言葉を紹介し、今こそ大切にしたいと話していたばかりでした。
フランス革命の自由、平等。博愛、の三つのスローガンの中の“自由”という言葉の概念には、法律としての意味合いより人本来の個人の意識の中での意味合いのほうが、はっきりと伺えます。 ですから発言の自由について鉛筆や筆記用具の絵を手にかざして示威運動をしていました。
2015年1月21日 朝日トップ記事 ①
「イスラム国」2邦人人質 2億ドル要求「断れば殺害」 72時間内の対応迫る
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11561545.html?ref=pcviewer
イスラム過激派組織「イスラム国」のメンバーとみられる男が、72時間以内に2億ドル(約236億円)を払わなければ拘束している日本人2人を殺害すると脅す映像が20日、インターネット上に公開された。中東訪問中の安倍晋三首相は同日、イスラエル・エルサレムで記者会見し、「人命を盾にとって脅迫することは許しがたいテロ行為で、強い憤りを覚える」と非難。テロには屈しない姿勢を示しつつ、関係国と連携して早期解放に当たる考えを示した。
◆ 首相「脅迫、許し難い」
日本政府は20日午後2時50分頃に動画の存在を確認した。映像が公開された時刻は不明だが、政府の確認の直前なら、要求の期限は日本時間23日午後となる。
日本人が「イスラム国」から殺害予告を受けるのは初めて。身代金の2億ドルは、安倍首相が「イスラム国」対策として、17日に表明した難民・避難民支援の額だ。映像に出ていたのは、千葉市出身の会社経営者湯川遥菜(はるな)さん(42)と、仙台市出身のフリージャーナリスト後藤健二さん(47)とみられる。
「イスラム国」メンバーとみられる黒い覆面姿の男はナイフを振りかざしながら、英語で「日本の首相へ。あなたは『イスラム国』から8500キロ以上も離れているのに、自ら進んで(対『イスラム国』の)十字軍への参加を志願した」「『イスラム国』と戦うために2億ドルを支払うという馬鹿げた決定をした」と非難し、身代金を求めた。
さらに日本国民に「命を救うために、政府に圧力をかける時間はあと72時間。さもなくば、このナイフは悪夢になる」と脅迫した。
湯川さんは昨年8月、シリア国内で「イスラム国」に拘束されたとみられる映像が公開された後、行方がわからなくなっていた。また後藤さんは昨年10月、取材のためにシリアに向かい、「イスラム国」に入ったとみられる。その後、連絡が取れなくなっていた。(イスタンブール=春日芳晃)
◇
安倍首相は20日の記者会見で、「2人の日本人に危害を加えないよう、そしてただちに解放するよう強く要求する」と述べた。首相は「今後も国際社会と連携し、地域の平和と安定のために一層貢献していく」とも強調した。
「イスラム国」のメンバーとみられる男が身代金として、安倍首相が「イスラム国」対応で表明した無償資金協力と同額の2億ドルを挙げたが、首相は「避難民が命をつなぐための支援だ。必要な医療、食料、このサービスをしっかり提供していく」と述べ、支援をやめることはないとの考えを示した。ただ、会見で質問が出た身代金の支払いや「イスラム国」との交渉には直接言及しなかった。
その後、安倍首相はパレスチナ・ラマラでアッバス自治政府議長と会談した。アッバス氏は「テロは断じて許せない。テロに対抗していくことを宣言したい。無事に2人が解放されることを強く願う」と発言。安倍首相は「人命を盾にとっての脅迫は、許しがたい。人命確保のために、パレスチナ側の支援をぜひお願いしたい」と応じた。
安倍首相はヨルダンのアブドラ国王、トルコのエルドアン大統領、エジプトのシーシ大統領とも電話で協議し、「早期解放に向けて支援をいただきたい」などと協力を要請した。(エルサレム=久木良太)
◆キーワード
<「イスラム国」> 2003年のイラク戦争後に生まれたアルカイダ系反米組織が他の組織と合流してできた。米軍が撤退した11年、内戦中のシリアに勢力を広げた。昨年6月にイラク第2の都市モスルを制圧し、「イスラム国」と称して国家樹立を宣言した。
シリア北部ラッカを「首都」と称し、イラク、シリア両国土の約3分の1を支配。極端なイスラム法による統治を進め、少数派ヤジディ教徒らを殺害するなどしている。世界80カ国以上から1万5千人以上の外国人戦闘員が参加。原油の密売、身代金などで収入を得ているとみられる。
この記事に関するニュース
国連報道官「人質釈放は無条件で」 「イスラム国」批判(1/21)
「敵」に見立てられた日本 「イスラム国」2邦人人質 国際報道部長・石合力(1/21)
ナイフ突きつけ「日本が馬鹿げた決定」 ネットに脅迫映像 「イスラム国」2邦人人質(1/21)
日本の中東支援敵視 「脅威対応」2億ドル、発表3日後 「イスラム国」2邦人人質(1/21)
戦地で接点、2人に何が 後藤健二さん、湯川遥菜さん 「イスラム国」2邦人人質(1/21)
(天声人語)イスラム国の人質(1/21) 空爆後、次々と人質殺害 「イスラム国」、欧米に中止要求 身代金で解放の例も(1/21)
身代金が目的/日本の信用失墜のため 「イスラム国」2邦人人質、中東識者の見方(1/21)
2015年1月21日 朝日トップ記事 国際報道部長・石合力 ②
「敵」に見立てられた日本 「イスラム国」2邦人人質
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11561550.html?ref=pcviewer
シリアとイラクにまたがる過激派組織「イスラム国」は、預言者の時代にさかのぼるイスラム法(シャリア)への回帰など復古的な統治を目指す一方、若者向けの洗脳、勧誘ビデオや異教徒の殺害映像をネット上で配信するサイバー集団でもある。その彼らが安倍首相の中東歴訪のさなかに日本人の人質を取って身代金を要求し、殺害をネット上で予告した。彼らなりに周到に効果を計算して日本を「敵」に見立てたということだろう。2年前のアルジェリアでの邦人人質事件と同様、中東の混乱が「対岸の火事」ではないことを改めて突きつけた。
なぜ日本なのか――。イスラム世界では、欧州は、植民地支配の当事者であり、米国は、パレスチナを抑圧するイスラエルの支援者と映る。米英やフランスは軍事作戦で「イスラム国」の掃討を目指している。過激派掃討の名の下に、一般市民が犠牲となるケースも少なくない。
多数の穏健イスラム教徒にとって、日本は、非欧米世界で経済成長を成し遂げた成功例であり、その非軍事的な平和主義が尊敬の対象となってきた。だが、「イスラム国」は異教徒を十字軍に見立てて「聖戦(ジハード)」を掲げ、敵か味方かの二元論で世界を分断しようとしている。彼らにこうした日本の理念は通用しない。
「イスラム国」にすれば、日本を欧米側の「対テロ戦争」に押しやることで、彼らの主張や存在意義を際立たせる狙いがあるのだろう。その挑発に乗るのではなく、穏健イスラム世界との連携、連帯を意識しながら対応していく時だ。
安倍首相は「人命尊重」を掲げ、人質の解放を目指すと約束した。だが、日本の外交官は治安の悪化したシリアから脱出済み。相手側との交渉や身代金支払いに安易に応じれば国際社会の「対テロ」の歩調を乱しかねない。極めて難しい状況だが、過激派に対話のパイプを持つ宗教指導者や地元有力者らを通じて、救出の道筋を探るべきだ。
今回、「イスラム国」が要求した身代金2億ドルは、「イスラム国」から逃れた難民・避難民への支援として日本が周辺国に拠出を約束した金額と重なる。非軍事的な手法で地域の安定化を目指す支援は当を得たものだ。周辺国の難民キャンプには、NGOなどで地道な支援を続ける日本の若者もいる。
軍事的な「対テロ戦争」とは一線を画し、日本ならではの貢献を続ける。そのことをイスラム世界に対して堂々と訴えていきたい。
2015年1月21日 朝日トップ記事 (天声人語) ③
イスラム国の人質
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11561542.html?ref=pcviewer
▼戦争や紛争のさなかで取材するジャーナリストは、様々な危険に出くわす。敵意を持った相手もいる。1960年代、「泥と炎」のベトナム戦争でまず名を上げた日本人カメラマン岡村昭彦は、笑顔が大事という持論を持っていた。
▼「世界のどこへ行っても、相手が拒否できない笑顔を自分が持っているかどうかで、生き延びられるかどうかまで決まる」と。しかしその笑顔も、相手が狂気じみていては、いかんともしがたい。
▼過激派組織「イスラム国」が発信したとされる映像は、2人の日本人を盾として、身代金を払わなければ殺すと脅迫している。2人はジャーナリストと、昨夏に拘束が伝えられた男性とみられる。人道にもとる卑劣な行為を、強く非難する。
▼世界から戦闘員を集め、加わった者が離脱しようとすると、殺しているとも伝えられる。胸の悪くなる悪行の数々を書くのは控えたいが、もはや遠方のできごとではなくなった。欧米メディアは日本人を初めて人質にしたことを広く報じている。
▼脅迫の映像は日本について、「十字軍への参加を志願した」と非難している。十字軍とは、中世欧州のキリスト教徒による対イスラム遠征軍をいう。政府は、日本の関与が難民支援など非軍事であることを、あらゆる手段で伝えてほしい。
▼映像が本物なら、猶予の72時間という砂時計はこの瞬間も落ちていく。平和国家として中東諸国でも認識され、信頼を集めてきた。戦後の歳月で培ってきた強みをここで生かさぬ手はない。
【下平】
これ以上国益という言葉を使った考え方を、正当性のある理論だとしての考え方を進めてはいけない。 人々の心の平和を求める根源となる考え方はどうあるべきか。 その具体的実現のあり方を指導者は勇気をもって考えなければなりません。
歴史から学ぶべきことは、過去と現在の対話のありようを求めるという課題にあるのです。
平和とは何でしょうか。 そのことを突き詰めて求めなくてはなりません。私はこんな風に考えるのです。
平和の根底にある生活のありようは、母がわが子を育てる心にこそあるのです。 その心とは死なせてはいけない、生命が危険にさらされたときには自分の命を投げ出してわが子を守り抜くという心がけのことではありませんか。
上伊那の長谷に伝わる親子猿の話を聞いたことがあるでしょう。 NHKの映像では子育ての母親が身を挺して子どもを庇護する様子をいろいろと知らされています。 私たちは動物のこうした母親の心情から、平和を互いに大切にする仕組みを作り出さなくてはならないのです。
難しく考えることはありません。
人もまた烏合の衆という種族保持の無意識本能をもっています。 オリンピック競技には自分の国を応援するのは、この烏合の衆の本能からきています。 寄らば大樹とか長いものには巻かれよとか、赤信号みんなでわたれば怖くないなど誰でも一理あるなと感じている言葉です。 これらの気持ちも、烏合の衆の集団帰属本能に基づいています。 そう考える考え方は理解できますね。
このことから自他の違いに打ち勝つ方法として、宗教も生まれていると思います。
イスラム教もキリスト教も、仏教も、その教えの終極の願いは、自他の違いをのり越え手をとりあい理解しあい愛しあうことにあると理解してよいでしょう。 そうだとすれば、自他を区別し他に対する憎しみや殺人などを肯定してはなりません。 母親の子にたいする心から、そんな筋道は許されていい筈はありません。
不戦条約の倫理的理解からも現状の世界のあり方は許されていい筈はありません。 第二次大戦後のユネスコ憲章の精神からも許されていい筈はありません。
ユネスコ憲章には母親の心までの表現はしていませんが、
この憲章の当事国政府は、この国民に代わって次のとおり宣言する。と謳っているのです。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
「人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」ことを中核とし、
<平和の中核>
「相互の風習と生活を知らないこと」が <無知>
「諸人民の間に疑惑と不信を起こしたこと」 <偏見>
が原因でこの為に、諸人民の不一致が「あまりにもしばしば戦争となった」
<歴史の実態>
と明記しています。
積極的平和主義と現状世界の法的解釈は明らかに矛盾に満ちています。 このことは中学生に説明しても、素直に理解できる論理なのです。
01 27 (火) 大いに論じよ歴史認識
朝日新聞の主張は私たちの指標と考えてもいい。
2015年1月27日 (社説)
国会と「70年」 大いに論じよ歴史認識
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11571335.html
第3次安倍内閣が発足してから初の本格論戦の舞台となる通常国会が、きのう開会した。
成長戦略や安全保障関連など、重要法案が目白押しの国会なのに、安倍首相の演説は来月まで先送りされた。肩すかし感は否めない。
ところが開会前日に、首相から聞き流すことができない発言が出てきた。戦後70年の「安倍談話」についてである。
首相はこのところ、戦後50年の「村山談話」や60年の「小泉談話」を「全体として受け継いでいく」と繰り返している。
その村山談話の根幹は「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と率直に認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明している点にある。
首相はおとといのNHK番組で、司会者から「植民地支配や侵略という文言を引き継ぐか」と問われ、こう答えた。
「いままで重ねてきた文言を使うかどうかでなく、安倍政権としてこの70年をどう考えているかという観点から出したい」 「今までのスタイルを下敷きとして書くことになれば、『使った言葉を使わなかった』『新しい言葉が入った』というこまごまとした議論になっていく」
驚くべき発言だ。
植民地支配や侵略というかつての日本の行為を明確に認めなければ、村山談話を全体として受け継いだことにはならない。同じ番組で公明党の山口代表が「(談話の継承が)近隣諸国や国際社会にちゃんと伝わる表現でないと意味がない」と語った通りだ。
こうした表現をめぐる議論を、「こまごまとしたこと」と片づけるわけにはいかない。安倍談話の内容は、中国や韓国だけでなく、東アジアの安定を求める欧米諸国も注目しているからだ。
最近は封印しているが、安倍氏は村山談話の見直しに意欲を示していた。だが、村山談話はその後のすべての首相が継承し、国際社会でも高い評価が定着している日本外交の基礎である。いかに国会で圧倒的多数を占める政権とて、これをあっさりと覆すことはできない。
「未来志向」の談話にしたいという思いはわかるにせよ、首相の発言を聞くにつけ、内外からの批判をかわしつつ、村山談話を骨抜きにするための狭き道筋をひたすら探っているように思えてならない。
談話そのものは国会で審議するものではない。だが、背景にある首相の歴史認識について、国会は大いに論じるべきだ。
01 22 (木) 銀漢の賦
『銀漢の賦』 文春文庫 葉室麟(ハムロリン)著 木曜時代劇
http://park22.wakwak.com/~nauitashika/saikinbun/ginkannohu.html
「銀漢の賦」の銀漢は、北宋第一の詩人、蘇軾の漢詩「中秋月」に由来するのです。
解 説 …… 島内景二
葉室麟。必ずや文学史上に、その名が大きく刻まれるに違いない逸材である。そして、第14回・松本清張賞受賞作『銀漢の賦』も、長く読み継がれることだろう。
何よりも文体が、比類なきまでに清冽である。人間の心は、悩みや苦しみさえも、こんなに高雅な文章で掬い上げることができるものなのか。時として強烈な血の匂いを行間に嗅いだような気がするけれども、肉体から流れ出た血液ではなく、魂の傷口から滲み出た形而上学的な血液なので、まことに透明である。
葉室の作品は、待望久しかった「大人の時代小説」である。それでいて、「青春の回想シーン」が、みずみずしいリリシズムを漂わせている。彼の作品は、遠くない未来に、「現代の古典」となるだろう。
因みに、蘇軾の「中秋月」を紹介しておきましょう。
暮雲収め尽くして清寒溢れ
銀漢声無く玉盤を転ず
此の生、此の夜、長くは好からず
明月、明年、何れの処にて看ん
日暮れ方、雲が無くなり、さわやかな涼気が満ち、
銀河には玉のような明月が音も無くのぼる。
この楽しい人生、この楽しい夜も永久につづくわけではない。
この明月を、明年はどこで眺めることだろう。
と葉室さんは訳しています。
「唐詩は酒、宋詩は茶」と言われる。杜甫を始め唐詩は悲哀に満ちているが、宋詩は同じように悲哀がありながらも、これに酔わず、乗り越えようとする気概があった。と本書にありますが、まさに、この小説自体が、この宋詩の趣を体現したものとなっていると思ったのは私だけではないと思います。
中秋月
暮雲収盡溢清寒 暮雲 収め尽くして清寒溢れ
銀漢無聲轉玉盤 銀漢 声無く 玉盤を転ず
此生此夜不長好 此の生 此の夜 長くは好からず
明月明年何處看 明月 明年 何れの処にて看ん
漢詩の朗読から
http://kanshi.roudokus.com/
http://kanshi.roudokus.com/cyuusyuunotsuki.html
蘇軾の「中秋月」
暮雲収盡溢清寒
銀漢無聲轉玉盤
此生此夜不長好
明月明年何處看
暮雲 収め尽くして清寒溢れ
銀漢 声無く 玉盤を転ず
此の生 此の夜 長くは好からず
明月 明年 何れ(いずれ)の処にて看ん
日暮れ時、雲はすっかり無くなり、心地よい涼風が吹いている。
銀河には音も無く玉の盆のような月があらわれた。
こんな楽しい人生、楽しい夜、しかし永遠に続くものでは無い。
この名月を、来年は、どこで見ているだろう。
【中秋の名月】は旧暦八月十五日の月。昔は七月・八月・九月を秋とし、
それぞれを【初秋】【仲秋】【晩秋】としました。
よって【中秋(仲秋)の名月】は八月十五日の月となります。
上杉謙信「九月十三夜陣中の作」
http://kanshi.roudokus.com/kugatsujyuusanya.html
霜満軍営秋気清
数行過雁月三更
越山併得能州景
遮莫家郷憶遠征
霜は軍営に満ちて 秋気清し
数行の過雁 月三更
越山 併せ得たり能州の景
遮莫(さもあらばあれ) 家郷 遠征を憶う
霜は軍営に満ちて、秋気が清清しい
雁がいくつかの列を成して飛んでいき、月は真夜中の空に冴えわたる。
越中・越後に加えて、今は能登の景色まで目の前にしている。
家族が私のことを心配しているだろうが…ええい、そんなことはどうでもよいのだ。