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折々の記 2015 ①
【心に浮かぶよしなしごと】

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【 07 】02/26

  02 26 「怪物」は日常の中にいる   (論壇時評)寛容への祈り
  02 26 「命の値段」が異なる理不尽   (あすを探る 外交)
  02 26 ピケティ論、熱い余韻   (担当記者が選ぶ注目の論点)
  02 27 武器使用の要件、限定 正当防衛などを検討   新設の恒久法
  02 27 マニラ市街戦から70年   F・ショニール・ホセさん

 02 26 (木) 「怪物」は日常の中にいる    (論壇時評)寛容への祈り

2015年2月26日 (論壇時評)寛容への祈り
「怪物」は日常の中にいる
   作家・高橋源一郎

   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11621096.html

 「人質問題」をめぐり、いくつかのことを考えた。一つは、湯川遥菜さんについて語られることが少ないということだった。確かに、彼の行動の多くは、理解に苦しむものだった。だが、わたしたちはそうではない、彼は特殊なのだ、といえるだろうか。その、人間的な弱さ(と見えるもの)も含めて、実は、彼は「ふつうの人」だったように思える。そのことが、わたしには、とても悲しかった。

     *

 それから、後藤健二さんの本を、手に入るだけ集めて読んだ。どの本にも、後藤さんが死線を超えて見つめた風景が映されていた。後藤さんの本の特徴は、そこで描かれているのが、特定の誰か、それもたいていは少年・少女であること。そして、本自体が少年・少女向きに易しく書かれていることだった。

 家族を虐殺されたのに、その虐殺した人たちと共に暮らしていかなければならない国に生きる者の苦しみ〈1〉、麻薬をうたれて敵を殺し続け、そこから現実に復帰した少年兵の哀(かな)しみ〈2〉、学校に行ったことのなかった少女の葛藤〈3〉。かみ砕くには苦すぎる物語を、後藤さんはあえて「少年・少女」に向けて語った。なぜだろうか。後藤さんが見つけて来る物語に、聞く耳を持たないおとなたちに絶望していたからなのだろうか。

 後藤さんと同じように(ときには同じ場所を)駆け回ったカメラマン・亀山亮はパレスチナで取材中、ゴム弾で左目を失明する。2003年のイラク戦争について彼は、日本のメディアの多くが危険な紛争地帯に自社スタッフを送ることに消極的になったとしてこう書いた〈4〉

 「フリーランスのジャーナリストたちの誘拐や香田証生君の処刑ののち、日本のメディアはヒステリックな自己責任論で個人へのバッシングを繰り返した。日本のメディアはなんの保障もせずにフリーランスをイラクに行かせ、問題が起きると即切り捨てる。その手口は、やくざな手配師と日雇い労働者の関係そのままだった」

 それにもかかわらず、彼らはまた「戦場」に赴く。それは、「戦場」が、わたしたちにとって「遠い」出来事ではなく、わたしたちが享受している平和が実はか弱い基盤に載っていることを教えてくれるからだ。

     *

 「人質事件」をきっかけに、いわゆる「イスラム国」に関する論考が夥(おびただ)しく現れた。「狂信的テロ集団」と呼び、「非人間的」と糾弾する声も多い。ほんとうに彼らは、想像を超えた「怪物」なのか。田原牧は、違う、という〈5〉

 「彼らは決して怪物ではなく、私たちの世界がはらんでいる病巣の表出ではないか」「彼らをまったくの異物と見なす視点には、自らの社会が陥った“狂気”の歴史に対する無自覚が透けている」

 想田和弘は、彼らがヨルダンのパイロットを焼き殺した動画を見て、そこにはハリウッド映画の「文法」があるように思えたと呟(つぶや)いた〈6〉。わたしも、その動画を(途中まで)見た。残虐だが、そこにはある種の美意識さえあるように思えた。そのような残酷さは、人間だけが持ちうるのだ。田原は、こうも書いている。

 「彼らがサディストならば、ましだ。しかし、そうではない。人としての共感を唾棄(だき)し、教義の断片を無慈悲に現実に貼り付ける『コピペ』。この乾いたゲーム感覚ともいえるバーチャル性が彼らの真髄(しんずい)だ。この感覚は宗教より、現代社会の病的な一面に根ざす」

 だとするなら、わたしたちは、この「他者への共感」を一切排除する心性をよく知っているはずだ。「怪物」は遠くにではなく、わたしたちの近くに、いま日常的に存在している。

 雑誌「現代思想」は、社会に蠢(うごめ)いている「反知性主義」とも呼べる、一つの考え方を特集した〈7〉。だが、その中で酒井隆史は「ネット上にあふれる排外主義、レイシズム、あらゆる差別の攻撃的な言語」について、そこにあるのは「反知性主義」というより、一種の知性主義であり、自らが「非知性」と断じるものへの強い嫌悪である、とした〈8〉

 自分と異なった考え方を持つ者は、「知性」を欠いた愚か者にすぎず、それ故、いくら攻撃してもかまわない、という空気が広がる中で、日々「怪物」は成長し続けている。

 1762年3月、ひとりの新教徒が冤罪(えんざい)によって処刑された。宗教的な狂信が起こした事件だった。それを知ったヴォルテールは「人間をより憐(あわ)れみ深く、より柔和にしたいとのみ念じ」不滅の『寛容論』を書いた〈9〉。ヴォルテールが見た光景は、わたしたちがいま見ているそれに驚くほどよく似ている。

 本の終わり近く、彼は、どんな宗教の神でもなく、世界を創造したと彼が信じる「神」に祈りを捧げたが、250年たったいまも、その祈りはかなえられてはいない。

 「われわれの虚弱な肉体を包む衣服、どれをとっても完全ではないわれわれの言語、すべて滑稽なわれわれの慣習、それぞれ不備なわれわれの法律、それぞれがばかげているわれわれの見解、われわれの目には違いがあるように思えても、あなたの目から見ればなんら変わるところない、われわれ各人の状態、それらのあいだにあるささやかな相違が、また『人間』と呼ばれる微小な存在に区別をつけているこうした一切のささやかな微妙な差が、憎悪と迫害の口火にならぬようお計らいください」

     *

 〈1〉後藤健二『ルワンダの祈り』(2008年刊)
 〈2〉同『ダイヤモンドより平和がほしい』(05年刊)
 〈3〉同『もしも学校に行けたら』(09年刊)
 〈4〉亀山亮『戦場』(今年2月刊)
 〈5〉田原牧「『イスラーム国』に浮足立つな」(週刊金曜日2月13日号)
 〈6〉想田和弘のツイートから(2月上旬)
 〈7〉特集「反知性主義と向き合う」(現代思想2月号)
 〈8〉酒井隆史「現代日本の『反・反知性主義』?」(同)
 〈9〉ヴォルテール『寛容論』


     ◇

 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。著書『デビュー作を書くための超「小説」教室』が3月刊行予定。

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 02 26 (木) 「命の値段」が異なる理不尽    (あすを探る 外交)

2015年2月26日 (あすを探る 外交)
)「命の値段」が異なる理不尽
   酒井啓子

   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11621097.html

 「イスラム国」(以下IS)による日本人人質殺害事件の報道を見ていて、ずっと気にかかっていた。11年前、戦後のイラクで殺された日本人の遺族は、どう思っているのだろう。

 イラク戦争後、2年強の間にイラクで5人の日本人が銃弾に倒れ、1人が今回同様に人質となって、惨殺された。

 だがその報じられ方が、今と違う。今回の事件について朝日新聞が報じた記事は、発覚から殺害まで約200件あった。だが11年前の人質殺害事件の報道件数は、その半分以下だ。

 11年前に報道が少なかった理由は、簡単だ。当時自衛隊が、イラクのサマーワに駐留していた。人質事件は自衛隊員の命を危険に晒(さら)すものと考えられ、「人命尊重」は後景に下がった。一部の記事は、駐留中の隊員の安否や今後の派遣予定など、人質ではなく隊員の命に気を配る。自衛隊員と人質となった民間人の間には、歴然とした命の差があった。

 命の値段には違いがある。テロリストが外国人を惨(むご)たらしい姿で殺害するのは、その命が「高い」とわかっているからだ。ISに乗っ取られたシリアとイラクで、殺されているのは外国人ではなく、専らイスラーム教徒だ。2011年の内戦以来、シリアでの死者は18万人を超え、イラクではIS侵攻以来、毎日100人弱が亡くなっている。

 だが、それでは世界は動かない。日本人のだれが、毎日数百人の中東での犠牲者に追悼記事を書くだろうか。今回の人質殺害事件で、イラクのアラビア語紙が紙面半分を割いて、日本人の死を悼む論を掲載したというのに。

 彼らの命と私たちの命は同じだ、と一番実感している日本人は、中東で取材したり駐在したりしている人々だろう。03年に2人の外交官が殺害されたときには、イラク人の運転手も殺された。04年に殺害されたジャーナリストの橋田信介さんと小川功太郎さんの脇には、日本人ではない遺体があった。危険を共有する人々にとって、命の重みは同じだ。

 国籍は違っても目の前の同じ命を救いたいと感じ、日本人として何かしなければと思う。報道を、援助を、貿易を、交流を通じて。人道支援の核はここにある。命の値段の「高さ」を当たり前に考え、遠く危険の及ばないところから行う支援は、施しにすぎない。

 しかしその命の等価性を引き裂くものが二つある。外国人の「高い」命を危険に晒して、多くの見返りを得ようとするテロリスト。そして、「高い」命なのだから危険に近づくなと、自国民の命だけを大事にする国内の空気。

 後藤健二さんの紛争地報道への意欲も、政府の難民支援も、世界から見向きもされない命に手を差し伸べることから始まったはずだ。だが、人質事件への対応の過程で、中東の人々の命の値段はますます、日本人の命と乖離(かいり)していく。日本人を守るために、同じく拘束されたヨルダン人の安否は蔑(ないがし)ろにしてもよい、という空気が流れる。

 そして今、日本人だけを守るためにどうするかに議論が集中している。では日本人とともに生きる現地の人々の命は誰が守るのか。なぜ同じ暴力の犠牲になっている人々全体を守ろうとは考えないのか。

 日本はイスラームや中東の理解が足りない、と言われる。だが、欠けているのは知識ではない。「不公正」に対する怒りへの理解だ。

 命の値段が違う。パリのテロには世界が連帯するが、武装勢力ボコ・ハラムがアフリカで何百人の住民を殺害しても、世界は動かない。白人の暴力は事故とされるが、イスラーム教徒の暴力はテロ扱いだ。

 その都合いい基準、不公正に、中東・イスラーム社会の人々は傷つき怒っている。彼らは、そのことをこそ、わかってほしいと思っている。

 (さかい・けいこ 1959年生まれ。千葉大教授・中東研究。著書に『中東から世界が見える』など)

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 02 26 (木) ピケティ論、熱い余韻    (担当記者が選ぶ注目の論点)

2015年2月26日 (担当記者が選ぶ注目の論点)
)ピケティ論、熱い余韻
   (週刊ダイヤモンド2月14日号)

   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11621097.html

 『21世紀の資本』が話題の仏経済学者ピケティの来日に合わせて、経済格差について考える論考が目立った。

 同書を巡っては、資本主義経済でなぜ格差が拡大するのか、理論的説明が不十分との指摘がある。山形浩生は、2世紀分以上の税務記録を元にした研究を評価して「本書の力は何より実証の力だ。理論がどうあれ、データはこうなっています、といえるところに本書のパワーがある」。「格差議論に多かった水掛け論や印象論を抑えて、今後の議論の基礎となるだけの力をもちえている」とみる(「『21世紀の資本』のパワー」Voice3月号)。

 飯田泰之は「最先端の数理モデルよりも地道なデータ収集が議論を決定づけるのは、かつての日本の経済学が得意としていた手法だ。それを私たちが忘れかけていたという事実に……気付かせてくれた」(週刊エコノミスト2月17日号)。

 一方、伊東光晴「誤読・誤謬(ごびゅう)・エトセトラ」(世界3月号)は「この本に欠けているものは何か。1980年以後、政治的には、サッチャー、レーガンによって主導された新自由主義――市場優位の経済政策がもたらした所得格差の拡大である。そこには資本主義の病がある」と指摘。「現在の先進国はピケティの問題提起とは別に新自由主義の病への対策をうたねばならない」

 池上彰はピケティと対談。彼から「本の第一目的は、知識の民主化にあります。民主主義を社会に広めていくためには、専門家だけが経済学を独占してはいけない」「この本が支持されている理由には、『しっかりと情報を判断した上で行動の起こせる市民を生み出すのに役立つ本だ』という評価もあったのでしょう」という言葉を引き出した(週刊ダイヤモンド2月14日号)。

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【下平】
  「21世紀の資本」    みすず書房 購入
  「図解 ピケティ入門」  あさ出版   購入

 02 26 (木) 武器使用の要件、限定 正当防衛などを検討    新設の恒久法

2015年2月27日 
)武器使用の要件、限定 正当防衛などを検討
   新設の恒久法

   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11623258.html?ref=pcviewer

 自衛隊の海外派遣をめぐる恒久法(一般法)について、政府は、現地での武器使用基準を正当防衛などに限る方向で検討に入った。恒久法の制定に慎重な公明党は自衛隊の派遣について厳格な要件を求めており、同党の理解を得るための「歯止め」と位置づける狙いがある。

 政府が検討している新たな恒久法は、「国際社会の平和と安定」のために活動する他国軍への後方支援に加え、当事国の同意に基づく人道復興支援や治安維持活動でも自衛隊を派遣することを想定している。

 これまでの解釈では、憲法9条が禁じる「武力行使」に抵触しないよう、海外派遣された自衛隊の武器使用基準は、正当防衛に当たる「自己保存のための武器使用」に限られていた。

 だが、昨年7月の閣議決定は基準を変更。「国または国に準ずる組織」がいないことが確保された地域であれば、離れた場所で武装集団などに襲われている他国部隊を救援する「駆け付け警護」や、治安維持活動など「任務遂行のための武器使用」も認めるよう法整備をすることが盛り込まれた。

 これを受け、自民・公明両党は、停戦合意や紛争当事者の受け入れ同意などを派遣の条件とする国連平和維持活動(PKO)では、PKO協力法を改正し、武器使用基準を緩和する方針で一致した。

 一方、PKO以外で自衛隊を派遣する根拠法となる恒久法では、より危険な状況である可能性が高く、公明党から「国に準ずる組織が本当に存在しないとどうやって言い切るのか」といった異論が噴出。内閣法制局にも憲法に抵触する可能性を指摘する声があり、政府は恒久法での大幅な武器使用基準緩和を見送り、正当防衛などに限る案を進めることにした。

 ただ、外務・防衛両省では自衛隊の活動の幅をできるだけ広げたいとの考えが根強く、「正当防衛を超える武器使用の導入は諦めていない」(防衛省幹部)との声もある。

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 02 26 (木) マニラ市街戦から70年    F・ショニール・ホセさん

2015年2月27日 (インタビュー)
マニラ市街戦から70年
   F・ショニール・ホセさん

   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11623112.html?ref=pcviewer

 70年前の2月、マニラでは首都奪還をめざす米軍と抵抗する日本軍による激しい戦闘があり、フィリピン人10万人が死んだとされる。90歳を迎えた国民的作家、F・ショニール・ホセさんは太平洋戦争を知る生き証人だ。戦中、日本を憎み、戦後、日本の作家らと交流を重ねた屈指の知日家に、日本との過去と現在、そして未来を聞いた。

問―― 戦後70年、ホセさんが初めて来日してから60年になります。

 「1955年に訪れた時、東京はまだ一部が廃虚で空き地もいっぱいあった。路面電車が走っていた。地下鉄も銀座線などわずかしかなかった。当時は1ドルが2ペソ(1ペソ=180円。今は1ペソ=2・7円)だったから随分と金持ちの気分だった」

問―― 初来日の印象は。

 「落ち着かず、不安だった」

問―― なぜですか。

 「私は戦争末期の45年1月、米軍の医療班の軍属となり、敗走する山下(奉文)将軍の隊列を追撃してルソン島を北上した。地元のゲリラに参加する手もあったが、米軍に加わったほうが日本に行くチャンスがあると考えた。日本に行って、一人でも多くの日本人を銃で殺したいと思っていた。当時、私の周囲の若者の多くはそんな考えだった」

問―― だから落ち着かない気分だったのですね。なぜそこまで日本人を憎んだのですか。

 「残虐だったから。いとこや友人の多くが戦争で死んだ。私も何度も日本兵に殴られた。理由? 理由なんてない。道を歩いていたら反対側にいる兵隊に『コラ』と呼びつけられてビンタだ。彼らが41年に来た当初はコメの配給もあり、さほどひどくはなかった。日本語クラスの教師は若い海軍の将校で、英語もうまく優秀な人だった。そのうち食糧にも困るようになり、略奪が始まった」

問―― 戦後なぜ日本を訪れようと考えたのですか。

 「最初は米国に行く途中に立ち寄り、1カ月滞在した。その前に日本を研究した。歴史に関する多くの翻訳を読んで、学ぶべきところが多いと気づいた。明治維新に興味を持った。農地改革にも関心があった」

問―― それから毎年のように日本を訪問し、滞在されています。

 「初回から多くの興味深い出会いがあった。通訳、作家、学生らと交流し、親しむようになった。京都の農家に泊まったこともあった」

 「安全で快適、見るべきものがいくらでもあるしね。日本で書き上げた本もある。地下鉄で何度も忘れ物をしたが、いつも戻ってくる。倫理的な社会だと思う」

    ◆     ◆

問―― 若い同胞に「明治維新に学べ」と繰り返していますね。

 「鎖国で孤立していた日本を、世界の強国に変化させた世紀の出来事だった。続く日露戦争は、封建制の下で何世紀も孤立していたアジアの国が近代化できることを示したという意味で、日本だけではなくアジアの勝利でもあった。戦時中の日本の残虐性ゆえに多くのフィリピン人は気づいていないが、第2次大戦も、献身的な国民のいる小国に何ができるか、私自身も含め多くの人々の目を覚ます効果はあった」

問―― 日本人の良いところは。

 「職人気質。日本に行く若い人には、民芸品の展示されている博物館を訪ねるべきだと勧めている。日本が発展した基礎が理解できる。民芸品の美、職人芸は欧米を超え、アジアの他国にない質の高さがある」

 「それと職業倫理だ。人材をのぞけば資源に乏しい国が、ここまで豊かになるうえで倫理は大切だった。発展の基礎はいつも倫理や道徳だ」

問―― 多くの日本の作家と交流を重ねています。印象に残るのは。

 「大岡昇平は初対面でいきなり『私はフィリピン人を殺していません』って言うんだ。レイテ戦やミンドロ島での体験など、話は弾んだ。礼儀正しい人だった」

 「アジアの作家の作品集を編む時に、三島由紀夫にも頼んだ。銀座の喫茶店で会うことにしたが、待たせたあげくに『協力できん』と言う。それならここに来ることはなかったと私は席を立った。だがしばらくしてマニラに『これを使え』と、すてきな短編を送ってくれた。最初から協力する気だったんだ」

 「遠藤周作、堀田善衛、川端康成、平林たい子、サイデンステッカー。彼らといろいろ話し、学んだが、みんな亡くなってしまった」

    ◆     ◆

問―― この2月はマニラ市街戦からちょうど70年です。当時の様子を。

 「米軍と地方にいたが、マニラに戻ると、戦闘は終わっていた。市役所、教会、ホテル、すべてが焼け落ちて橋という橋は崩壊していた。死体がころがり、死臭が街を包んでいた。米軍の砲撃で死んだ人も多かったが、日本軍がとどまったからこれだけ多数の死者が出た」

問―― 日本では知らない人が多い。

 「教育のせいだ。若い世代に伝えることを避けている。日本人は歴史が好きだ。映画や書物でも歴史物を好む。でも自国のイメージを傷つけるものについては話が違う。その点では非常に国粋主義的だ」

 「だから首相が靖国神社に参拝するのだろう。国民向けの行為だと理解する。中国への返答かもしれない。だが私には受け入れられない」


問―― なぜですか。

 「あの神社を訪れ、ミュージアム(遊就館)を見た時、怒りが収まらなかった。あなた方の名誉ある兵士は、我が国を蹂躙(じゅうりん)したのだ。私はフィリピン人として参拝を批判する」

問―― フィリピンの人々は日本を赦したのでしょうか。いまや親日国家と言ってもいいと思います。

 「フィリピン人は、過去にこだわって糾弾するようなことはあまりしない。生き残った元日本兵も随分減った。時間が多くの傷を癒やした

問―― アキノ政権は、日本との安保協力にも積極的です。

 「膨張を続ける中国の存在がフィリピンを日米に向かわせている」

 「中国は大きな存在になったが、都市部とそれ以外の格差、政府の腐敗など矛盾に満ちている。私たち夫婦は中国の食品は買わない」

問―― あなた自身は日本をもう赦したのですか。

 「いや赦したわけではない。私は忘れない。それでも過去が未来を見通す際の妨げになってはいけないと思う。過去の犠牲にこだわりすぎると、ものが見えなくなる

    ◆     ◆

問―― 日本は経済的にはかつての勢いがなく、高齢化も進んでいます。

 「東京のレストランに入ったら、すべての席がお年寄りばかりだった。人口動態上の問題につきあたっているのだと実感した」

問―― 日本は復活しますか。

 「90年代に日本が一番で米国はだめだと言われた時期があった。でも私は当時、米国には自己再生の力があると言った。だが日本にそれがあるかは疑わしい。直面する問題についての開かれた議論が少ない。メディアも支配層への批判をためらいがちだ。例えば移民問題。米国は受け入れることで、新鮮なアイデアと発展につなげてきた。だが日本は受け入れない。島国なのだ。自分たちは独特だと思い込む自己陶酔がある」

問―― 日本の見通しは暗いですね。

 「いや日本は成熟した民主主義を持っている。日本は随分穏やかになった。成熟とは歴史の長さではない。司法や政治制度が機能し、官僚制度もしっかりしている。人々、特にお年寄りを大切にする仕組みもあるということだ。日本は英国のようになればいい。国際的な影響力は小さくなっても、ロールスロイスはしっかりブランドを保っている」

問―― 日本人は雰囲気に流されやすいとエッセーで危惧されています。

 「日本人は不可解な存在だ。変化へ向けてムードが変わると、すべてを受け入れる。国民的雰囲気とでもいうか。しかも一夜にして変わることがある。常に理性に基づいて行動するわけではないことは41年の開戦で明らかだ。国粋主義的になれば危ない。第2次大戦の黒幕のような扇動者が出てきたら、簡単に説得されてしまうのではないか。平和を求める雰囲気が続くことを願う」

     

 F.Sionil Jose 作家 1924年生まれ。社会派作家。ナショナルアーティスト(文化功労者)の称号を持つ。マグサイサイ賞、勲三等瑞宝章を受章。「仮面の群れ」「民衆」などが日本を含む多くの国で訳されている。

 ◆取材を終えて

 マニラ首都圏の高級モールで先日、旧日本兵に扮した男女からビラを渡され、どきっとした。70年前の市街戦を追悼するイベントだった。ほかにも多くの行事が催された。

 太平洋戦争中、フィリピンでは約52万の日本人が戦没した。一方フィリピン人は111万人が亡くなった。当時の国民の16人に1人。「人口に比してアジアで最も大なる惨禍を受けた国」(ロムロ元外相)だ。

 戦後、日本の戦没者慰霊碑がフィリピンに多く建てられたが、遺族が高齢化し顧みられない碑も増えた。フィリピン人を悼む碑は多くない。

 「アジアの病人」と揶揄(やゆ)された経済停滞から抜け出しつつあるフィリピンには、日本からの駐在員や英語留学する若者が増えている。「親日」を感じ、強調する人はいても、過去を振り返る機会は少ない。

 卒寿にしてなお、定期の長文コラムを英字紙に書き続ける作家の多彩な言葉を聞きながら、日本の歴史にからむ近隣国の出来事を記憶にとどめ、伝えることの難しさを思った

 (機動特派員・柴田直治)