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折々の記 2016 ①
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】02/10~     【 02 】02/13~     【 03 】02/15~
【 04 】02/19~     【 05 】02/19~     【 06 】02/21~
【 07 】02/22~     【 08 】02/22~     【 09 】02/23~

【 04 】02/19

  02 19 憲法学者の考え【その二】   安倍政権の舵とり
       【001】 法学館憲法研究所
       【002-ロ】 安保法案=戦争法案の強行採決を迎えて
       【002-ハ】 「軍事による平和」vs.「九条による平和」
       【002-ニ】 イラク戦争って何だったんだろう?
       【002-ホ】 TPP参加で何が破壊されるのか
       【002-ヘ】 憲法9条をめぐる攻防とこれからの課題(2)
       【002-ト】 憲法9条をめぐる攻防とこれからの課題(1)

 02 19 (金) 憲法学者の考え     安倍政権の舵とり

第2次安倍内閣 (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC2%E6%AC%A1%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%86%85%E9%96%A3)、 や第1次安倍内閣、第3次安倍内閣でもいいが、安倍内閣の概要を知るのに好材料が整理されている。

安倍氏は今までにないアメリカ従属の政治を勝手に国益と称して進めてきた。 いまやUSAは戦争扇動国家として多くの識者から批判され、国内でも影を落としている。

あらぬことか、報道によれば9.11事件すらUSAの陰謀と囁かれ、それが暴かれさえしてきている。 国連を無視したイラクの軍事侵攻も、アフガン侵攻も陰謀と言われ、ビンラデンへの執拗なまでの追撃は、ISの無法反撃という火をつけてしまった。

軍産の暗黒モンスター(死の商人)の謀略の顛末としか言いようがない。

暗黒モンスターに操られているアメリカ行政に、あろうことか安倍氏は尻尾を振ることにしている。

日本の明るい未来のシンボルである戦争放棄の憲法が危機に瀕している !!!




   【001】法学館憲法研究所 http://www.jicl.jp/index.html
   【002】「今週の一言」 http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber.html
   【003】「浦部法穂の憲法時評」  http://www.jicl.jp/urabe/index.html
   【004】「浦部法穂の『大人のための憲法理論入門』」  http://www.jicl.jp/urabe/otona.html
   【005】「日本全国憲法MAP」  http://www.jicl.jp/now/date/
   【006】「ときの話題と憲法」  http://www.jicl.jp/now/jiji/
   【007】「中高生のための憲法教室」http://www.jicl.jp/chuukou/chukou.html

などに掲載したものをテーマごとに分類・カテゴライズしました。有益な情報が多数あります。ご活用ください。


【002】の一覧表は ‘【 03 】02/15~’ http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber.html  を開いて好きなタイトルを見ればよい。

【002-ロ】
安保法案=戦争法案の強行採決を迎えて
      稲 正樹さん(国際基督教大学客員教授)
      http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20150921.html

 9月17日の参議院特別委員会における総括質疑なしの強行「採決」を経て、9月19日未明には参議院本会議で安保法案=戦争法案が可決・成立してしまいました。特別委員会の議事の速記録(未定稿)でも「議場騒然、聴取不能」なのに、どうして「採決動議、法案2本、付帯決議、委員会報告の5つを採決した」といえるのでしょうか。「特別委員会での安保関連法案の議決の不存在確認および審議の再開を求める弁護士有志声明 ※1」の言う通り、法的に議決が存在したと言うことができないと思います。参議院では何度も、討論時間を10分に制限する動議を賛成多数で決議したと報じられました。討論を封殺するのは議会制の終わりではないでしょうか。「明らかに憲法違反の法律を力づくで成立させ、議会制と国民主権を踏みにじる現政権は憲法尊重擁護の義務を規定する憲法99条に違反しており、政府という名に値し」ない※2 と思います。

 思えば、圧倒的多数の憲法研究者による違憲性の指摘、多くの元裁判官たち、元最高裁長官、元内閣法制局長官の同様の指摘、全国各地の大学と学会横断的な多数の声明、SEALDsをはじめとする老若男女からなる国民の圧倒的な廃案要求の声に耳を傾けず、安保法案=戦争法案の成立に向けてひた走った現政権は、議会内多数派のみに依拠した専制主義、国会の向こうにいる国民の声に一切耳を傾けない独裁政治の道に転落しました※3 。この国の前途を心底憂え、安保法案=戦争法案の廃案・撤回を求める国民の圧倒的世論を無視し、国民世論に敵対し、立憲主義と法の支配を踏みにじって暴走した現政権と与党に対しては、真に恐るべきものは主権者・国民の政治的審判であることを知らしめなければなりません。

 非常に逆説的であり、歴史の狡知かもしれませんが、憲法を踏みにじって「いつでも、どこでも、切れ目なく」自衛隊を世界の戦場に送るために戦争法案の成立に突き進んだ安倍政権の非立憲の振舞い方を目の当たりにし、憲法的秩序を踏みにじる専制政治に直面して、私たち国民の中に、日本国憲法を国民の手に取り戻そう。いまこそ、主権者である国民の出番である※4 という意識が徐々に芽生え、確信になり、そして広く伝播していく契機が生まれてきたことを実感しています。

 9月15日の中央公聴会でSEALDsの奥田愛基さんは、ひとりひとり個人として、声をあげているのは「不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているからです」「私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なのだということ。そう考えています」。デモや集会といった「行動の積み重ねが、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと、私は信じています」と述べていました。

 「学び、働き、食べて、寝て、そしてまた、路上で声を上げる」一つ一つの行動が、憲法の理念を体現するという彼の言葉※5 は、これまでの「○○の権利が憲法にあるよね。それを覚えよう」という条文中心の誤った憲法教育ではなくて、憲法の基本原理は人びとの日常的な戦いと不断の努力なくして実現できないのだというまっとうな真理を私たちに思い出させてくれました※6 。

 このような主権者意識の覚醒は、深くそして広くこの国の民主主義のあり方を根本的に変えていくと思います。全国津々浦々で安保法案=戦争法案廃案の戦いを進めてきた私たちは、法案成立を越えて、国民主権という憲法原理を輝かしい確固としたものにしていくことを確信します。

 上智大学の高見勝利氏は、7・1決定における幸福追求権の援用は憲法論として無理があることを指摘した論文※7 の最後でこう述べています。「かりに同法案(安保法案のこと)が何らかの形で可決・成立したとしても、同法の適用を封ずる道が開かれるはずである。7.1決定にも拘わらず、憲法9条は、国民の間で法規範としてはなお権力を拘束する意味を持ち続けているからだ。そのことは、世論が、かかる『違憲』法律をいわば塩漬けにし、その適用を絶対に許さないことにおいて示されよう」と。

 この提案に応えて、安保法案=戦争法案が成立した今日から、直ちに「違憲」法律を塩漬けにすべく、創意工夫にあふれた市民の運動を開始しましょう。違憲の特定秘密保護法の廃案を求める運動を続けていきましょう。非立憲の政権の速やかな退陣を求める運動を粘り強く力強く進めていきましょう。統治行為論の発動を許さず、全国の裁判所において、安保法制の憲法9条違反、平和的生存権違反、憲法尊重擁護義務違反の差止請求訴訟、違憲確認訴訟、損賠賠償請求訴訟を提訴していきましょう。戦後70年の2015年9月19日を後世から見たとき、あの時が「平和国家」「福祉国家」「道義国家」への転換のときであったと振り返ることができるようにしましょう。日本国憲法の基本理念に立脚した「平和国家」「福祉国家」「道義国家」の実現には、もちろんこの困難な課題を実現していく新たな政治勢力の結集が必要です※8 。

 当たり前のことですが、日本国憲法のテキストは一字一句も変わっていません※9 。平和的生存権、戦争・武力による威嚇・武力の行使の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めている日本国憲法には、憲法変遷などは生じていません。インチキな「積極的平和主義」という言葉の欺瞞性を明らかにし、真実の「積極的平和」の憲法政策を力強く具体化していきましょう※10 。

 2015年1月末に急逝された奥平康弘先生は、「戦後日本ではこれまで、平和主義は、自由人権主義および民主主義とともに、憲法における3本の柱のひとつにおかれてきた。非武装で、海外に派兵せず、武器は使用させないといった建前のゆえに、日本では平和憲法あるいは平和主義憲法という呼び名が自然にそして広く行き渡っている。かかるものとしての平和主義は人々の間に通用して人気があるから、社会支配層はなんとか人気を保持しようと意図して『積極的』という人をまどわす形容詞をつけているのである。我々はこの程度の仕業で騙されはしない、ということを世界の人々に行動をもって示そうではないか。そうすることによって日本国憲法が、現代の混迷に満ちたアジア・世界のありようにある種独特な役割を果たしうることを検証しようではないか」という言葉を遺されました※11 。奥平先生は21年前の1994年には、平和憲法物語を、いままでとちがってもっと広い世界で、奥ゆきのあるもの・積極的なものへと発展させ、これを本当に「いい物語」へと仕立ててゆく恰好の転機にある、と考えるべきだと指摘されていました※12 。それは千葉眞氏の言う「未完の憲法革命」を、世代を超えたプロジェクトとして進めていくという課題にほかなりません※13 。

 自由法曹団のリーフレット※14 では、平和な世界を創るために私たちにできることをこう提言しています。「子供たちの未来と地球を守ろう―核兵器の廃絶と残虐兵器の根絶をすすめよう」、「なくそう格差・貧困―国際貢献としての貧困の根絶、医療支援、災害復興支援を広げよう」、「深めよう対話と理解―確かな歴史の認識を、アジア周辺諸国との相互理解を深めよう」、「広げよう平和のつながり―軍事同盟から離脱し、アジアに平和の共同体を形成しよう」。いずれも真剣な検討によって実現したい項目ばかりです。

 旧約聖書のイザヤ書2章4節では、「終末の平和」の預言が述べられています。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。昨今の国会で語られてきた「継ぎ目のない安全保障」「抑止力の強化」「日米両国のグローバルな軍地同盟」という荒廃した軍事万能思想は、イザヤの預言からいかに離れたところにあるのかを思います。終末的に待望される全世界の平和を実現するための道具として、私たちの静かな、冷静でかつ忍耐強い「平和のための戦い」を、いまからこの地で始めていきましょう。

※1 http://blog.goo.ne.jp/koube-69/e/1f6f1a8df0dfb1255b9900f42cdd8173 2015年9月20日閲覧。
※2 日本カトリック正義と平和協議会抗議声明(PDF)。2015年9月20日閲覧。
※3 石川健治「集団的自衛権というホトトギスの卵―『非立憲』政権によるクーデターが起きた」(世界2015年8月号)は、立憲主義と専制主義の対決という構図の中で、最後は政府が強行採決という無理押しをするかもしれないが、「理」はこちら側にあると指摘しています。
※4 杉原泰雄『憲法読本・第4版』岩波ジュニア新書、2014年。
※5 http://www.bengo4.com/internet/n_3690/による。2015年9月16日閲覧。
※6 播磨信義「これまでの憲法教育の問題点」播磨信義・上脇博之・木下智史・渡辺洋(編著)『新・どうなっている!?日本国憲法〔第2版〕』法律文化社、2009年所収。
※7 高見勝利「集団的自衛権『限定行使』の虚実―『保護法益』の視点から」世界2015年9月号。
※8 中野晃一『右傾化する日本政治』(岩波新書、2015年)は、リベラル左派連合再興のための基礎条件として、①小選挙区制の廃止、②新自由主義との訣別、③同一性に基   づく団結から他者性を前提とした連帯へ、を挙げています。重要な指摘です。
※9 2015年3月18日に立命館大学国際関係学部で行われた第6回平和主義研究会におけるウォシュバーン大学のクレイグ・マーティン教授の基調報告 (Craig Martin, "Art. 9 at a Cross Roads: Past, Present, and Future of Japan's Peace Constitution") によって、憲法典は一字一句も変えられておらず、立憲主義に反する一内閣の決定は無意味であることを改めて学びました。
※10 ヨハン・ガルトゥング「インタビュ―『積極的平和』の真意―軍事同盟は不要、北東アジア共同体創設に向け協力を」朝日新聞2015年8月26日をぜひ参照ください。
※11 奥平康弘「はじめに―平和主義を勝ち抜こう」奥平康弘・山口二郎(編)『集団的自衛権の何が問題か―解釈改憲批判』岩波書店、2014年。
※12 奥平康弘『いかそう日本国憲法』岩波ジュニア新書、1994年。
※13 千葉眞『「未完の革命」としての平和憲法』岩波書店、2009年。
※14 自由法曹団「平和な戦後が終わる・安倍政権の戦争法制づくり・戦争で平和が創れますか?」2015年5月。

◆稲正樹(いな まさき)さんのプロフィール

1949年12月生れ。1973年北海道大学法学部卒業。1975年3月北海道大学大学院法学研究科修士課程修了。岩手大学教育学部、亜細亜大学法学部、国際基督教大学教養学部の各教授を経て、2015年4月から国際基督教大学客員教授。専攻は憲法、アジア比較憲法論、平和研究。

主な著書等
『アジアの人権と平和』信山社、2006年。
『論点整理と演習・憲法』敬文堂、2006年(石村修と共編)。
『平和憲法の確保と新生』北海道大学出版会、2008年(深瀬忠一、上田勝美、水島朝穂と共編)。
『アジアの憲法入門』日本評論社、2010年(孝忠延夫、國分典子と共編)。
『北東アジアの歴史と記憶』勁草書房、2014年(福岡和哉、寺田麻佑と共訳)。



【002-ハ】
「軍事による平和」vs.「九条による平和」
      池住義憲さん(元立教大学大学院キリスト教学研究科特任教授)
      http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20150907.html

 民意を正しく反映しない歪んだ選挙制度。それで得た"多数派"(自公)は、数の暴力で戦争法案を参院で強行採決へ持ち込もうとしている。今月(9月)16~17日にも…。
 以下のQ&A「軍事による平和vs.九条による平和」は、今起こっている永田町での動きを、高校生や大学生たちとわかりやすくひも解き、確認するためにまとめたものです。よかったらご活用ください。

Q1.安倍首相の「積極的平和主義」とガルトゥングの「積極的平和」、同じ? 違う?

A. 平和学の父と言われるノルウェーのヨハン・ガルトゥングは、貧困・差別・抑圧・言論弾圧など、社会の構造自体が作り出す私たちへの社会構造的暴力が無い状態を、「 積極的平和」と言っています。そして、戦争や国家権力による弾圧・テロ行為など、直接的・物理的暴力の無い状態を、「消極的平和」と言います。
 「消極的平和」と「積極的平和」。この二つはコインの両面。どちらか一方が欠けても、平和とは言えません。ガルトゥングは、この二つを達成する営み、努力、行動を 、「平和創り」と呼んでいます。
 集団的自衛権行使に道を開く"積極的平和主義"とは、言葉は似ていますが、内容はまったく違いますね。

Q2.「備えあれば憂いなし」って、ホント?

A. 世界194カ国のうち、軍隊のない国は28カ国。これらの国はみな、非軍事を宣言して以来今日に至るまで、他国から攻撃されたことは一度もありません。過去の歴史をみて も、戦争を起こされた国及び戦争を起こした国は、すべて、軍隊を持っている国です。
 軍隊のない28カ国は、軍事に費やす膨大なお金を、教育・福祉・保健医療・雇用・異文化理解・異文化交流・平和教育などにつぎ込んでいます。徹底して、軍事に頼らな い平和外交を行っています。
 非武装・非軍事の国を攻撃することは、国際法で禁じられています。国際法治主義が徹底している今日、これから私たちはどうするか。"備えあれば憂いなし"の考え方 に立った国づくりを志向するのか。または、憲法九条の原点に立ち返った国づくりを志向するのか。決めるのは、私たちですね。

Q3.そもそも憲法とは?

A. 憲法は、一言でいえば、私たちの自由と権利を護るもの。そのためには、権力者が暴走しないように、権力者の権利を縛る必要があります。なぜなら、これまで私たちの 自由と権利を脅かし侵害してきたのは、いつもその時々の権力者だったからです。
 そうした歴史事実から私たちは、戦後、私たちの自由と権利を護るために、権力者の権力を縛る"命令書"を制定しました。それが憲法です。それを国の最高法規にして あります。
 憲法の特徴の第一は、個人の自由と人権を保障するために権力を縛るという「立憲主義」をとっていること。
 第二は、憲法前文および九条に示されている通り、徹底した「非暴力平和主義」をとっていること。前文に明記している平和的生存権は、平和の視座を国家から個人に転 換し、人権として保障しています。
 この非暴力平和主義と共に、主権在民(国民主権)、基本的人権の尊重、地方自治(地方主権)、三権分立の5つが憲法の基本原則です。「平和は地方/地域から」とい う考え方に基づいた中央と地方の仕組み、司法・立法・行政という三つの国家権力を分散させて相互チェックする仕組みなど、いずれも国家権力の暴走を許さないためのも のです。

Q4.「憲法九条の原点に立ち帰る」って、どういうこと?

A. 憲法のなかでも特に大切なのが、九条。戦争放棄、軍備不保持、交戦権否認を定めた、世界でもっとも先駆的な条項です。安倍政権が今やっていることは、憲法の解釈を 変えて専守防衛の枠を取り払い、集団的自衛権の行使を可能にしよう、というもの。これは自衛権でなく、他衛権、参戦権と言うべきものです。
 私たちは、憲法99条で、天皇や内閣総理大臣を始めとする国務大臣、国会議員、裁判官、公務員らに憲法を尊重し擁護する義務を負わせています。もし私たちが「これは、憲法違反だ!」と思ったら、主権者として暴走にストップをかけることです。憲法違反の法律は、その効力を有しません(憲法98条)。
 憲法に拠って立って、権力者の違憲な行為に対して、プロテスト(抵抗)する。自分のまわりで。出来得る範囲で。「憲法九条の原点に立ち帰る」とは、そういう生き方 、関わり方をするということです。
 こうしたことを、「服従しない権利」と呼ぶことができます。1930年、英国の塩税法に抗議して非暴力・不服従運動を起こしたガンディーのように。1955年、バス車内人 種分離法に反対して非暴力・不服従運動を起こしたキング牧師のように。キリスト者として、市民として、有権者として、不断の努力によって、今、「服従しない権利」を 行使することは私たちの義務であり、権利でもあるのですね。

Q5.九条の源泉を辿ると?

A. 九条と同じ理念を探ると、紀元前8世紀にまで遡ります。旧約聖書イザヤ書2章4節には、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を 上げずもはや戦うことを学ばない」と書かれてあります。
 その後も、たとえば紀元前5世紀頃には法句経(釈尊の言葉と大乗仏教の教え)の「殺すな、殺させるな、殺すことを許すな」、1~2世紀頃の新約聖書マタイによる福音書 の「あなたの剣をもとの処におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる」(26章52節)など。
 近年でも、1926年内村鑑三の新文明論に、「わが日本が国家的宣言を発して、国家の武装解除を宣言し、こうして全世界に戦争のない新文明を招来し得るなら、それはな んと素晴らしい日であろう」などもあります。
 このように九条の理念は、三千年近い人類平和を求める願いが積み重なって、世界でもっとも先駆的な日本国憲法に成就・成文化されているのです。

Q6.「平和の器」として歩み出すために…

A. ドイツ人神学者ディートリッヒ・ボンヘッファー(1906~1945年)は、次のように言っています。「安全保障という道によっては、決して平和に到達できない。安全保障 を追求するということは、相手に対して不信の念をもつことを意味するからです。そしてこの不信が戦争を生み出すのです」。
 安倍政権が進めているのは、「安全保障」整備。すなわち「軍事による平和」。今私たちに問われているのは、「軍事による平和」「九条による平和」のどちらを志向す るか、です。
 1970年末、オランダの国際援助組織NOVIBという団体が、社会を変えるために「あなたに出来る百カ条」というのを出しました。その第一条は、「無力感を克服すること」 。これは、私たちが平和の器となるための第一歩、ですね。

◆池住義憲(いけずみ よしのり)さんのプロフィール

1944年東京都生まれ。大卒後、東京基督教青年会(YMCA)、アジア保健研修所(AHI、愛知県)、国際民衆保健協議会(IPHC、本部ニカラグア)など計36年にわたってNGO活動に従事。自衛隊イラク派兵差止訴訟(2004年2月~2008年4月)では原告代表として、名古屋高裁で違憲判決を勝ち取る。元立教大学大学院キリスト教学研究科特任教授(2015年3月まで)。愛知県日進市在住。



【002-ニ】
イラク戦争って何だったんだろう?
      高遠菜穂子さん(イラク支援ボランティア)
      http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20110815.html

2011年8月15日

 イラク復興資金の9割以上にあたる187億ドルが消えていた。これまでアメリカの会計検査院が報告してきた66億ドルの3倍の金額だとイラク議会が発表し、国連に調査を依頼した。イラク側は、2003年から2004年にかけて統治していたのはCPA(連合軍暫定当局)で、それは米軍によって運営されており、イラク側は関与していなかったと主張している。いずれにしても、歴史上、類をみない"巨額盗難事件"である。C-130輸送機に100ドル紙幣を詰め込むと、およそ24億ドルになるそうだ。8機分の札束が消えたということか…。

 このイラク復興資金の原資はイラクの石油収入だということだ。その石油、以前はイラク国営だったが、イラク戦争後は民営化され、海外企業がその掘削権争奪を繰り広げている。今年6月16日付けのニューヨークタイムスに「イラク石油産業の復興、米下請け企業が支配」という記事があった。内容はこうだ。2年前に最大規模の掘削権を獲得したのがロシアのルクオイルで、米石油メジャーのエクソンモービルを押さえての"勝利"だった。アメリカは国際入札では負けたが、「石油のためのイラク侵略」という汚名を挽回するには効果的だった。公平に見える石油利権。ところが、下請け企業はハリバートンなど米企業4社で独占されているという。ルクオイルのトップによれば、国際入札といってもその下請け企業として実際に入札してくるのは米企業のみだそうだ。

 今年はNY同時多発テロから10年。イラク攻撃開始から8年である。巨額使途不明金、石油産業のニュースが「イラクの今」なら、いまだ400万人以上が"難民化"したままであることもまた「イラクの今」である。イラク戦争後、イラク人の置かれている状況はどう見ても悪化している。湾岸戦争直後から科せられた国連の経済制裁下では100万人が飢えと医薬品不足で命を落とし"人道危機"と言われていた。米英のイラク攻撃で独裁者が倒され、経済制裁が解除され、民主化が進められて8年。イラクは再び「人道危機」に陥っているというのはどういうことか。夫を失った女性が100万人、両親あるいは片親を失った子どもが450万人。ストリートチルドレンは増え続け、家族のある子は家計を支えるために働き始め、就学率はどんどん下がり、貧困の度合いはますますひどくなり、栄養失調の子どもが増えている。最近、私の元に送られてくるバグダッドの写真は、ゴミ山から空き瓶やアルミ缶を拾うスカベンジャーの子どもたちが多くなった。隣国のヨルダンやシリアには命の危険にさらされた人たちが今も逃げてくる。

 毎週、イラク各地で起きているデモは、米軍の完全撤退、長年続く停電、失業率の改善を要求。しかし、イラク警察や治安部隊は市民に発砲し、ジャーナリストやデモ参加者を次々と連行、拷問にかけている。デモを取材していた友人のカメラマンは、小学生の息子たちが2度も襲われ、脅迫を受けたことで報道の仕事を辞めた。8年前は米軍がデモ参加者を撃ちまくり、市民を連行してアブグレイブ刑務所で拷問した。今は、イラクに残留する5万人規模の米兵たちは「アドバイザー」となり、イラク治安部隊が自国民に発砲、拷問しているというわけだ。国際人権団体のアムネスティインターナショナルは、イラク政府に対してただちにそのような人権侵害を止めるよう警告した。

 さて、日本。この戦争と占領を熱烈に支持したのは前政党政権。猛烈に反対したのは現政党政権。検証できないはずはない。

<新刊「破壊と希望のイラク」のご案内>
  高遠菜穂子著 発行㈱金曜日 2011年3月刊 定価1500円+税

イラク戦争から8年。どれだけの命が奪われ、愛や希望が失われたのか。
拘束・解放で止まっていた高遠菜穂子の「命の時計」が回り始めた。支援ボランティアを続ける著者渾身のイラクリポート!(帯より)

「イラク侵攻もその後の宗派対立による殺戮も、日本人である私たちのお金が注ぎ込まれていたことは、私たちが知らなければならない不都合な真実の一つです。しかも、イラク攻撃の大義はすべて崩れてしまっているのです。世界史の教科書には、ほんの数行だけイラク戦争のことが書かれているのでしょうか。その行間を、この本が少し埋められたなら幸いです。(「おわりに」より)」

◆高遠菜穂子(たかとおなほこ)さんのプロフィール

イラク支援ボランティア。2000年からインド、タイ、カンボジアの孤児院とエイズホスピスでボランティア活動に取り組む。2003年イラクでの緊急支援を開始し、ファルージャなど報道されない現場の声を発信。現在は、イラク難民支援、医療支援をイラク人と共に展開中。3.11以降は福島県南相馬市での瓦礫撤去作業に参加。イラク支援活動から学んだ「被ばく防護策」をブログで公開した。「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」呼びかけ人。



【002-ホ】
TPP参加で何が破壊されるのか
      白川真澄さん(「季刊ピープルズ・プラン」編集長)
      http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20110815.html

2011年3月28日

トヨタ栄えて、農滅ぶ

 菅首相は、「平成の開国」と称してTPP参加を唐突に言いだした。TPPは現在9カ国が参加して交渉を進めているが、日本が加われば日米両国で全体のGDPの90.4%(2009年)を占める。事実上の日米FTA(自由貿易協定)になる。しかし、2カ国間のFTAとちがって、TPPは「例外なき関税撤廃」を特徴としている。農産物はFTAでは例外扱いされることが多いが、農産物を含む全品目の関税が10年以内に全廃される。

 アメリカは、対日輸入総額の32.2%を占める自動車、電気機械(輸入総額の16.6%のうちテレビなど7.2%)などに関税をかけている。自動車2.5%、テレビ5%の関税が撤廃されると、日本の輸出額は自動車で年2.4%、電機製品で年1.6%伸びると試算されている。しかし、関税全廃の恩恵を最も受けるのは、アメリカの農産物輸出である。日本の対米輸入のトップは24.4%を占める農林産品だが、その半分のコメ・牛肉・バターなどに高い関税(コメは778%)をかけている。この関税を全廃すれば大量の安い農産物が流入してくるから、米作や畜産・乳製品の農家はほとんど経営が成り立たなくなるだろう。すでに40%にまで低下している食料自給率は、14%にまで下がると予測されている。

 TPP参加によって輸出部門のグローバル企業の利益は増大するが、引き換えに農業は壊滅的打撃を被る。農業には、経済効率性の論理だけでは捉えきれない独自の重要な役割がある。生命や健康の維持、地域経済の存立、自然環境や生物多様性の保全。これらは社会を再生産するための不可欠の要素であり、農業が滅ぶとたちまち失われる。

生活のあらゆる分野でルールを破壊

 TPPは、関税撤廃だけではなく、非関税障壁の撤廃を義務づける。実は、非関税障壁の撤廃は、関税の撤廃以上に広い分野を包括し、私たちの生活に深刻な打撃を与えるのである。アメリカ主導で行なわれているTPPのルールづくりの交渉は、24分野の作業部会を立ち上げている。そこには、市場アクセス(農産物や工業製品の貿易)以外に、SPS(衛生と植物防疫のための措置)、政府調達、知的財産権、金融サービス、電気通信サービス、労働者の入国、投資、環境、労働、制度的事項といった分野が含まれている。非関税障壁が撤廃されると、たとえば次のようなことが起こると予想される。

 食の安全性を確保するための規制は、アメリカからすると非関税障壁である。したがって、BSE対策として月齢20カ月の牛に限って輸入を認めているアメリカ産牛肉の輸入規制は廃止される。遺伝子組み換え作物の表示義務も廃止され、食品添加物の審査・承認の手続きは簡素化・迅速化される。

 医療の分野でも、重大なルール変更が行われるだろう。日本では、誰もがいつでも医療サービスを受けられるように、全員加入の公的な医療保険(健康保険)制度が機能してきた。そのため、健康保険が適用されない治療や投薬も自由に受けられる「混合診療」は、事実上制限されてきた。これも非関税障壁と見なされる。

 「混合診療」が全面解禁されれば、医療機関や製薬会社は、高額な医療サービスや薬でも買ってくれる高額所得者を主要な顧客にし、お金がなくて公的保険に頼るしかない人びとを相手にしなくなる。健康保険で受けられる医療サービスが縮小され、お金のない人びとは医療から排除されるにちがいない。このことは、アメリカの保険会社をはじめ民間の保険会社にとって、大きなビジネスチャンスが生まれることでもある。高額の医療サービスを受けるような人は、民間の医療保険に加入するからだ。

 医療、そして保険の分野で予想されるルール変更は、1990年代以降の日米両政府間の「年次改革要望書」(実際にはアメリカ政府からの一方的な要求)ですでに提案されている。「年次改革要望書」やそれにもとづく小泉政権時代の「日米投資イニシアティブ報告書」は、小泉「構造改革」を推進する指針となった。そこではアメリカの対日直接投資の増大が謳われているが、その標的とされたのが医療の分野である。医療法人以外に株式会社の参入を自由化する規制緩和だけではなく、医療保険・ガン保険・損害保険の分野への外資の進出を保証することが、日米政府間で約束されていた。民間保険にアメリカ資本が進出する最大の障壁こそ、郵便局の簡易保険であった。郵政民営化は、簡易保険と郵便貯金を解体し、外資を含む民間の保険会社や銀行がとって代わることを真の狙いにしていたのだ。

 TPP参加に備えて、行政刷新会議の規制・制度改革分科会は、249の項目を挙げて規制緩和を急ぎはじめている。それは、食品添加物の承認手続きの簡素化・迅速化、農業への企業参入、一般用医薬品のネット販売、空港使用料の自由化、駅ナカ保育施設の整備の規制緩和、外国人の介護福祉士の受け入れ促進など、広い分野にわたっている。

 これまで、人びとの生命や生活を守るために市場の暴走を規制し、安全性や公共性や公平性を確保する一連のルールが社会のなかに作り出されてきた。TPP参加は、これらのルールを自由な競争を阻害する非関税障壁と見なして否定し、すべてを市場競争に委ねるというルール一本に置き替えてしまうだろう。

国際競争に勝つことを至上目的にする社会は望ましいか

 民主党政権は、当初は医療・介護・子育てや環境の分野で需要と雇用を創出するという内需主導型の経済成長を打ち出した。それは、小泉政権時代の外需=輸出依存型の経済成長が格差社会(企業の利益は増えても労働者の賃金は増えない)をもたらし、さらにリーマンショックによって破綻したことへの反省からであった。しかし、成長神話に呪縛されたためにこの路線を貫徹できず、「新成長戦略」によって外需=輸出依存型の経済成長へと軸足を移した。

 そのなかでTPP参加が唐突に持ち出されたが、これは、アジアの成長を取り込むという「新成長戦略」にも背を向けるものだ。中国も韓国も、TPPには参加しないからである。TPPは、アメリカにとって米中二極体制(覇権を争いつつ協調する)のなかで中国を牽制する戦略である。政治的・軍事的に日米同盟強化に回帰する菅政権だが、TPP参加はアメリカとの従属的な一体化にのめり込むことにほかならない。

 TPP参加を推進する理由は、日本が成長を回復して生き残るためには輸出を伸ばし、国際競争に勝つしかないという論理である。しかし、国際競争に勝つことを至上目的にする社会は、賃金コストの切り下げのために非正規雇用を拡大し、規制緩和を進め、法人税を引き下げてグローバル企業を優遇する社会である。

 「平成の開国」のライバルとされモデルともされているのが、韓国である。1987年のアジア通貨危機をきっかけに、韓国は自由化推進による輸出主導型の経済に転じ、国際競争力を向上させてきた。だが、サムスンやLGなどはグローバル企業に成長したが、その巨額の利益は労働者に還元されなかった。その結果、所得の不平等度を表わすジニ係数は、1997年の0.26から2008年には0.298へと上昇した。格差がいちじるしく拡大し、貧困が増えたのである。その大きな要因は非正規労働者の急増であり、労働者全体に占める比率は日本の34%を上回る55%である。

 こうした社会が、私たちにとって望ましい社会であるとはとても思えない。

◆白川真澄(しらかわ ますみ)さんのプロフィール

1942年、京都市生まれ。京都大学大学院経済研究科修士課程修了。学生時代から、1960年安保闘争、ベトナム反戦闘争などの社会運動に関わり続け、1990年代からは「地域から政治を変える」運動にも参加。フォーラム90s、ピープルズ・プラン研究所など在野の理論活動の発展を目指してきた。現在、季刊『ピープルズ・プラン』編集長。グローカル座標塾講師。著書に『もうひとつの革命-近代批判と解放の思想』(社会評論社)、『脱国家の政治学-市民的公共性と自治連邦制の構想』(社会評論社)、『格差社会から公正と連帯へ-市民のための社会理論入門』(工人社)、『格差社会を撃つ―ネオ・リベにさよならを』(インパクト出版会)ほか多数。



【002-ヘ】
憲法9条をめぐる攻防とこれからの課題(2)
      内藤功さん(弁護士・元参議院議員)
      http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20110815.html

2011年1月10日

* 2011年新年にあたり、法学館憲法研究所・伊藤真所長が内藤功さんにインタビューし、憲法9条をめぐる歴史や今後の課題について語っていただきました。

<前回からの続き>

(伊藤)
 こんにち、米軍は日本と極東を守るということを超える役割を果たし、日本の自衛隊がそれを支援する動きが広がっています。内藤先生はどのように見ておられますか。

民主党政権の安全保障をめぐる情勢分析と方針の危険性

(内藤さん)
 2009年9月に民主党政権ができました。その際民主党は沖縄の県民世論を十分考慮せざるを得ず、鳩山代表は選挙の演説で「普天間基地は国外、少なくとも県外へ移設」との明確な公約を言いました。民主党中心の政権は発足後、その公約を守れという県民の大きな世論と、日米同盟・合意を守れというアメリカとの間に立って迷走を繰り返しました。そして、ついにアメリカ側に屈服して、2010年5月28日に普天間基地の代替施設を辺野古崎地区及びおよびその近辺の水域に持っていくという日米共同声明を出すわけです。

 実は、5・28共同声明の内容はそれだけではないのです。よく読むとその後に、沖縄の米軍訓練及び活動を日本の本土の自衛隊基地に移動することを拡充するとあります。5・28声明の翌日には防衛大臣の名前で、本土の自衛隊基地のある地方自治体の長に、"おたくにも米軍が行くよ"という連絡をしています。日本政府は米軍に対して、本土をどうぞお使いくださいという約束をしたということです。

 それから日米の基地の共同使用です。日本の自衛隊の基地は米軍がどんどん使っていい、米軍の基地も自衛隊が使っていい、米軍と自衛隊が一体の基地になるということなのです。

 そして日米同盟、安全保障協力の深化です。自民党・公明党政権のときは日米同盟の「進展」と言っていましたが、民主党中心の政権は「深化・発展」としました。

 日米同盟の深化がどういうかたちで表れているのか。それは「防衛計画大綱」策定にむけた一連の動きで明らかです。2010年秋、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(新防衛懇)の提言(8月27日)、防衛省が提出した2011年度防衛省予算概算要求(8月31日)、防衛計画大綱に関する民主党の提言(11月30日)、が出され、年末12月17日に防衛大綱がつくられました。それと時を同じくして、12月3~10日に実施されました日米共同統合実動演習、2010年2月1日に出されたアメリカ国防総省のQDR(4年ごとの国防戦略の見直し)、これらの動きを注視しなければなりません。

 新防衛懇の報告は自公政権もやれなかった内容です。そこでの情勢認識は、

   ①アジア太平洋におけるアメリカの圧倒的な優位はもはや絶対的なものではない、
   ②中国が台頭してきている、
   ③故にアメリカは同盟国日本に多大な期待をかける、

ということです。これは2月1日に出されたアメリカ国防総省のQDR(国防戦略の見直し)の中の情勢認識の大筋と同じです。

 この情勢認識に基づいて、民主党は5つの方針を出しています。第一は、従来の基盤的防衛力と決別して、動的防衛力、動的抑止力をつくるということです。この動的というのは実際に軍隊を動かすことによって、相手の侵略を抑えるのだという考え方です。それから南西諸島の防備を強化するということです。しかし、これは「抑止」どころか、軍備拡張競争、軍事対抗の悪循環の危険をはらみます。第二は、それを支える人的基盤です。自衛官の若返りをはかり精強な自衛隊をつくるということです。第三は、武器輸出三原則の緩和です。中国対策の新鋭ステルス戦闘機の国際共同開発などをねらっています。第四は、国際活動、海外派兵をやりやすくするためPKO5原則を緩めるということ、第五は、それらを支える内閣の安全保障機能の強化です。

 11月30日の民主党の提言は、新防衛力懇の提言のポイントをほぼ承継しました。そして、12月17日、基本的にはこれらの流れに沿った防衛大綱が閣議決定されました。

 日本における新防衛大綱の背景にはアメリカの国防計画があります。アメリカの国防計画は、昨年初めて、中国を名指しでライバルとしました。アメリカは、外交と軍事の二面政策を常に用いていますので、その表明の仕方は非常に慎重ではありますが、接近拒否能力を持った中国を打破する軍事力を持たなければならないということをアメリカ国防の六目標の一つにしたのです。そして、統合空海戦闘構想(Joint air-sea battle concept =JASBS)を中国に対する軍事戦略として打ち出しました。それは、あと10年ないし15年経つと中国の経済力、軍事力は強大なものになる、その時に台湾で何か起きたときには中国軍がアメリカの空母打撃部隊を襲ってくるだろう、また沖縄と日本本土の米軍基地を攻撃してくるだろう、それに対抗しなければならない、これがJASBCです。とくに大事なのは、「南西バリア」構築を打ち出していることです。南西諸島の防衛というのは日本の沖縄を守るためのものだと思われていますが、実は、宮古島と沖縄本島の間の宮古水道から太平洋へと中国の潜水艦が出てこないようにする、そのために、日本の海、空、陸の自衛隊にきっちりと壁を作ってもらうというアメリカの戦略が「南西バリア」構想なのです。

 これは絵空事ではありません。12月3~10日の日米共同統合実動演習には陸海空の自衛隊全て参加しました。参加人数は米日あわせて4万5千人、艦艇60隻、航空機400機でした。重大なのはその数だけではなく、演習の想定が今まで話してきた米戦略と全く符合しているということです。演習内容の想定は、全てアメリカの中国による接近拒否戦略への対抗、それとJASBCの線に沿っているわけです。これが日米同盟の深化の実相なのです。

 民主党中心の政権は、普天間基地問題がなかなか進展していかないことへの「罪償い」に、アメリカに対して、一生懸命「これでいかがでしょうか」と代償を出している、という情けない状況になっているのではないでしょうか。こんにちの民主党政権は、アメリカの要請にもとづく防衛計画が日本の防衛のためだと思いこみ、また国民に思いこませているわけであって、私はこれほど危険な道はないと思います。

日本の平和運動には力と可能性がある

(伊藤)
 このような危険な状態だということを政治家もあまり言わないし、メディアもあまり報道しない現実があります。内藤先生はこのことをどのように考えますか。

(内藤さん)
 やはり日本の平和運動の力がまだアメリカや日本の政府を追いつめるまでに至ってはいない、ということがあります。しかし、決して弱いわけではありません。まず先頭に立っているのは沖縄です。沖縄は戦後65年の苦難のたたかいの中から、たたかいの方向を学んできたわけです。暴力を用いない、非暴力でねばり強くやる、戦争体験・占領体験がひろく語り継がれている、これはいかなる理屈よりも強い。たたかいの中で団結の力、尊さも学んできました。大事なところでは、県民大集会を開いて10万人に近い人びとが集まります。昨年の知事選では三つの党派が一緒になって伊波洋一氏を応援したことも、その表れです。選挙のたたかいも非常に重視しています。米軍占領時代でも主席公選選挙では平和を唱える候補が勝ったことがあります。同じく占領時の那覇市長選挙で沖縄人民党の瀬長亀次郎氏が当選しています。こういった沖縄のたたかいの豊かな教訓から私たちは学ぶべきだと思います。本土はいまのところ沖縄に比べると少し遅れているように見えますが、北海道矢臼別、東冨士、北冨士、相模原、座間、岩国、等々でのたたかいが起きています。

 もう一つやらなければならないのは、これらの問題の根本に安保条約があるということをしっかり踏まえ、ことある毎にこれを学習して広げていく。そして、安保条約は憲法と矛盾するもので憲法上許されないものであり、憲法9条を実現することが安保をなくす道であるという大義をもっともっと広げていく必要があるだろうと思います。

 希望はあるのです。昨年春の琉球新報と毎日新聞の沖縄での共同世論調査では、日米安保条約をなくすべきという人と日米友好条約に変更すべしという人を合わせると60%を超えていました。これは非常に重要です。この方向に本土での世論・運動を引き上げていくということが大切です。

 安保条約をなくすことは黙っていては絶対に50年、60年経っても実現できないかもしれません。意識的に国民的論議を開始する必要があります。これは草の根の運動から開始するということです。

 日本には、①「九条の会」があります。それから古い歴史をもった、②原水爆禁止運動があります。広島・長崎の世界大会には多くの若者が参加します。それから先ほど申し上げた、③沖縄の運動です。そして長い歴史をもつ、④基地闘争です。それと、⑤軍事費を削って暮らしにまわせという運動です。この点はもっと声高に言う必要があると思います。今こそ軍事費を暮らしにまわせと言うべきです。「事業仕分け」を本当に徹底的に真面目にすすめるならば、まず軍事費にメスを入れるべきでしょう。

 こういう5つの運動が結びつくと、平和勢力は国会の議席以上の力を発揮すると思います。平和勢力の国会の議席が少ないことは残念ですが、私は草の根の力があれば、それを補って必ず押し返せると思います。

 その中で法律家の担う役割は大きいです。法律家は憲法9条の歴史、意義、これを最も妨げている安保条約の危険性というものを法制面から正面から対置して学習と訴えを精力的に展開する必要があると思っています。

(伊藤)
 私たちは「戦争をしない国 日本」というドキュメンタリー映画の製作に協力し、全国各地の方々に観てもらっています。この映画についてのコメントもいただけないでしょうか。

(内藤さん)
 映画「戦争をしない国 日本」は日本国憲法とその平和主義をめぐる動向を歴史的に追うものとなっています。砂川事件の伊達判決がその後の恵庭事件のたたかいに結びついたこと、三矢作戦計画の危険な本質、恵庭事件でのたたかいが長沼事件の裁判で実ったこと、百里基地のたたかいで農民たちが「絶対に戦争のためには土地を渡さない」との立場を貫いたこと、等々私が実際に関わったたたかいの本質を突く内容になっています。よい作品ができて喜んでいます。私はこの映画をみて感動しました。

平和と福祉の運動を広げる

(伊藤)
 ありがとうございます。

 さて、先ほど砂川事件のお話をうかがいましたが、あの時も憲法25条の生存権をめぐって朝日訴訟が提起され、「大砲からバターへ」という主張が展開されました。軍事費を削って平和にまわせということは、50年前から主張され続け、今また同じような現象が起きつつあるということですね。

(内藤さん)
 戦争、軍隊ほどの浪費の最たるものはないのです。戦争の本質は一定期間長期継続する大消耗戦なわけです。戦闘で勝つためには、たとえば100人と100人の軍隊が対峙した場合は撃ち合いになります。そうすると弾が早くなくなった方が敗走するわけですから、勝負は弾薬の補給量で決まるわけです。そしてその弾薬量は国力に比例するわけです。補給・増産する予算があるかどうか。そうすると戦争に勝とうという道に国家が踏み出しましたら膨大な軍事費が必要になります。その場合、弱い者から削っていくのは明らかです。戦争屋の論理は、必ず社会保障・福祉の切り捨てということにつながります。

(伊藤)
 今まさに貧困・格差の時代といわれて、生存権をめぐる問題も深刻です。実は憲法25条の背後に9条の問題、軍事費増強の問題があるのだということを理解することが必要だと思います。9条と25条が一体となって、平和国家・福祉国家という本来の憲法のあるべき姿に近づけることができるということだと思います。

(内藤さん)
 私はどちらかといえば憲法9条と軍事の分野で活動している立場です。いわばプールのこちら側の第1コースを泳いでいるようなもので、ときおり横の第3コースを見ながら、あちらコースではあの人も頑張っているなと思ったりしています。平和の問題を主に取り組んでいる人たちと福祉の問題に主に取り組んでいる人たちが、それぞれのコースでまっしぐらに進んでいいのです。そしてときどき意識的に合流し励ましあっていくということです。私が申し上げた五つの運動(①「九条の会」、②原水爆禁止運動、③沖縄の運動、④基地闘争、⑤軍事費を削って暮らしにまわせという運動)は、それぞれの独自の伝統と歴史と個性をもっていますので、それぞれ前進させて、自然に合流し呼応し、励ましあっていく。日本の底力はここにあると思います。そして法律家は積極的に裁判を起こして、勝敗だけに拘泥せず、たたかいのプロセスを重視して、その中で憲法の理念を徹底的に活かしていく。その表れの一つが名古屋高裁で出たイラク訴訟での自衛隊派遣違憲判決でした。

(伊藤)
 貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。ありがとうございました。
 今年も一年、よろしくお願いします。

◆内藤功(ないとういさお)さんのプロフィール

1931年生まれ。弁護士として、砂川事件、恵庭事件、長沼事件、百里事件の基地訴訟にたずさわる。
1974年からは参議院議員を二期務める(日本共産党から)。
現在、日本平和委員会の代表理事も務める。
イラク派兵違憲訴訟全国弁護団の顧問も務める。
最近の著書に『よくわかる自衛隊問題』(学習の友社)がある。

◆伊藤真(いとうまこと)

1958年生まれ。弁護士。 法学館憲法研究所所長。伊藤塾塾長。 『伊藤真の憲法入門』(日本評論社)、『憲法の力』(集英社新書)、『憲法の知恵ブクロ』(新日本出版社)など著書多数。



【002-ト】
憲法9条をめぐる攻防とこれからの課題(1)
      内藤功さん(弁護士・元参議院議員)
      http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20110103.html

2011年1月3日

* 2011年新年にあたり、法学館憲法研究所・伊藤真所長が内藤功さんにインタビューし、憲法9条をめぐる歴史や今後の課題について語っていただきました。

(伊藤)

 新年おめでとうございます。

 昨秋から東アジアの安全保障をめぐって、新たな緊迫した情勢が展開しています。いま日本には、戦争放棄・戦力不保持の憲法の理念にもとづく外交努力が求められています。

 そこで、日本国憲法9条を裁判の場で具体化するたたかいの先駆者である内藤先生から、まずはその経験をご紹介していただきながら、9条の意義を確認したいと思います。

画期的な砂川事件第一審判決

(内藤さん)

 憲法は国家権力を縛るものであり、裁判を通して国家権力を縛る規範=裁判規範としての役割を果たしてきました。私が最初にそれを実感したのは、砂川事件でした。

 この事件は、米軍基地の拡張のための測量が行われていたところに、抗議のデモ隊がその柵の中に進入したという事件でした。デモ隊のメンバーは安保条約にもとづく行政協定に伴う刑事特別法2条の立ち入り罪で逮捕され、起訴されました。

 この事件の裁判は、1959年3月30日、東京地裁の伊達秋雄裁判長による判決が出されました。その核心は3つ、次のことを明らかにしたことにあります。

 第1、在日米軍は戦略上必要と認められる場合は日本区域外に出動できる、したがって日本は直接関係のない戦争に巻き込まれる危険性がある、これは「政府の行為によって戦争の惨禍が起こることのないように」という憲法前文に反する、ということ。

 第2、駐留米軍は日本国が施設・区域・費用を提供して協力して駐留しているのだから、それは9条2項のいう「陸海空軍その他の戦力の保持」にあたる、ということ。

 第3、一般国民が通常の立ち入り禁止区域に立ち入る場合は軽犯罪法による科料または拘留にとどまるのに、米軍基地に入った者だけが刑事特別法違反で懲役2年の刑が課せられる、これは米軍基地への立ち入りを重く処分するものであり、そのような重い保護に合理的な理由はない、ゆえにそのような取扱いは憲法31条違反である、ということ。

 この判決の後、マッカーサー駐日大使がただちに藤山外務大臣を訪ね、跳躍上告するように勧め、最高検が跳躍上告に踏み切ることになりました。

 裁判は最高裁に移り、安保条約と憲法の関係を正面から審理されることになりました。当時の私は弁護士4年目でしたが、私たち弁護団は一生懸命に勉強して、第一審の伊達裁判長の判決を全面的に擁護する立場で弁論を展開しました。しかし、最高裁の判決は破棄差戻しで、審理は東京地裁に戻されました。

 ちょうど1959年から1960年にかけては安保改定反対の大闘争が展開されていた時期です。当時の国民の中には、戦争は嫌だ、安保は危険だ、という考え方が満ち満ちていたので大きなたたかいになったのですが、私たち法律家のたたかいもそれをサポートすることができました。この時から、私は、憲法は裁判規範であるとともに国民の行動の規範なのだということを確信するようになりました。

軍国主義とたたかう面魂(つらだましい)

 1962年、北海道で恵庭事件が起きました。野崎健之助さん一家が牧場を営んでいたのですが、そこは自衛隊の大演習場の隣接地でした。米軍機、自衛隊機が牧場の上空を急降下してはまた上昇する訓練が繰り返され、それが一日に1000回を超える日もありました。家族は難聴になったり、胃を悪くしたり、大変な被害を受けました。1960年代には、陸上自衛隊の大砲の実弾射撃が始まりました。牛は音に敏感ですから、牛の被害も続出しました。そこで、野崎さんは防衛庁に抗議をしたのですが、埒があきませんでした。1962年12月11日、野崎さんの二人の息子さんが演習場に入っていって自衛隊の中隊長に抗議しました。しかし、演習は続きました。そこで野崎さんは通信線を切ると通告し、切ったのです。

 はじめ野崎兄弟は器物損壊罪で捜査を受けました。ところが野崎さんの検察官送致の段階で、罪名が自衛隊法違反に切り替えられたのです。検察官は自衛隊の「防衛の用に供する物」を損壊した、ということを問うことにしたのです。私たちは、これは政府が自衛隊合憲の最高裁判決をとろうとしているからだと判断しました。政府はその前の砂川事件で、安保条約が違憲かどうかは高度の政治問題だから、裁判所は審査しないという最高裁判決をとりましたから、自衛隊についても最高裁までいって合憲判決をとろうと意図していると考えたのです。そこで、私たちは恵庭事件の大弁護団を組織することにしました。弁護士が200数十名参加しました。東京からは私と佐伯静治・六川常夫・渡辺良夫の4人の弁護士が札幌に通うことになりました。

 私はある先輩から"この事件は最高裁で自衛隊違憲とか無罪をとることは難しいよ"と言われ、そして、"野崎さん一家は自衛隊の武力に恐れないでたたかった、いろいろな抵抗をした。この野崎さん一家の面魂(つらだましい)を法廷内外で明らかにする、多くの国民が軍国主義の復活は危険だと思っており、軍国主義の復活に対してたたかっている野崎さん一家の姿を明らかにすることが弁護団の任務ではないか"と言われました。私は、これはもはや弁護士の任務というより、運動の任務だと思いましたが、この先輩の言葉で目から鱗が落ち、割り切れました。当時私は30代でしたが、以降この恵庭事件、長沼事件のために約10年間札幌地域に通うことになりました。

三矢作戦研究で追及、裁判所は憲法判断回避 - 恵庭事件

 恵庭事件の裁判での私の担当は、自衛隊が違憲であることを証拠により論証することでした。それは当時難しいことでしたが、私は、そのためには何よりも自衛隊が危険なものだということを証明していく必要があると考えました。一つは、自衛隊はアメリカ軍と一体化し従属した軍隊だということ、二つ目は、自衛隊は攻撃的な訓練をし、攻撃的な装備をすでに持っており、将来さらに拡大されようとしている、つまり、自衛隊はもはや自衛のためのものではないということ、三つ目は、たとえば野崎さんに対したように、自衛隊は国民を敵視し、場合によっては治安出動で弾圧するのだということ、この三つを立証すれば、裁判官は自衛隊が軍隊であるということを認め、違憲と判断する可能性が生まれてくるのではないかと考えました。

 しかし、この構想はなかなかまとまりませんでした。そのような中で、1965年2月10日、私は熱海での学習会に行くために東京駅で新幹線に飛び乗ったのですが、その時新聞の夕刊を見たら、衆議院予算委員会で社会党の岡田春夫議員が三矢作戦研究について暴露した記事が載っていました。私は、これこそがいま自分が求めている証拠資料だと思いました。これだ!と思いました。三矢作戦研究は陸海空の幕僚部の制服幕僚が防衛庁に集まって実施したものです。これは朝鮮半島の軍事境界線で武力紛争が起きた場合を想定した作戦についての研究でした。米軍が出動し、日本の自衛隊がその後方支援をする、さらに状況によっては米軍の支援をして樺太・千島を占領する、同時に国会で有事立法をつくって実施する、というような内容でした。これは重大なことだと、私は岡田議員と連絡をとり、資料をもらい、岡田議員には衆議院予算委員会の会議録にその資料を掲載してもらうようお願いしました。会議録に掲載されればその資料は会議録と一体になり、それは裁判所に提出する証拠としての能力も高くなります。このことは実現し、岡田議員が提示した資料は国会の会議録の一環として掲載されました。そのような工夫をしました。

 私は、1965年3月3日の公判の冒頭にこの資料を検察官に提示し、これでも自衛隊は合憲だと言えるのかと詰め寄りました。そして、まずこの三矢作戦研究の統裁官をつとめた統合幕僚会議事務局長の田中義男陸将を証人に呼ぶよう求めました。これでようやく憲法裁判への入り口が開けたのです。

 私たち弁護団は、このように三矢作戦研究によって楔を打って、裁判をたたかうことになりました。そうしたら、さすがに検察官も、裁判所も、これは大変なことになる、と思ったようです。そこで裁判所は、弁護人側申請のその余の証拠はすべて却下するとしました。その後の裁判の展開には紆余曲折がありましたが、最終的に判決(1967年3月29日)は、通信線の切断は野崎さんを罰するための構成要件に該当しない、つまり通信線というものは防衛用の器物にはあたらない、機関銃とか戦車のように直接人を殺傷するものではない、という理由で無罪にしたのです。

 そういう論法で裁判所は憲法判断を避けたのです。これは全く意外なことでした。裁判所は、私たち弁護団が公式に主張したわけでもない点にしぼって、独自の判断をしたのです。そうして憲法論争から逃げたということです。野崎さんは無罪になったわけですが、裁判所というものは本当に油断のできないものだということを痛感しました。

長沼事件、百里事件へと9条の精神が広がる

 恵庭事件で、私たち弁護団には、無罪をかちとり確定したので、これで勝ったという気持ちと、違憲判決がとれなかったのは残念だという両方の思いがありました。そのような中で、長沼事件の裁判が始まったのです。長沼町馬追山の対空ミサイル基地の建設にあたり、私たちは自衛隊は憲法違反だということを正面に掲げてたたかうことになりました。恵庭事件の裁判終結から2年余でしたので、長沼事件の裁判の支援団体も弁護団も恵庭事件の態勢が継続され、さらに増強されました。そして、恵庭事件で私たち弁護団が研究・主張したことが長沼事件の判決で実を結ぶことになりました。

 長沼事件の裁判では、福島重雄裁判長が画期的な判決を出しました。

 その特徴の第一点は、明確に自衛隊が「陸海空軍」という「戦力」に該当し違憲だと言ったことです。

 二点目は平和的生存権です。馬追山という山にミサイル基地ができると、有事のときには最初に攻撃される危険がある、したがってその周辺住民には平和的生存権を根拠に訴訟を起こす利益はあるということです。これは基地闘争の中で、今後もずっと使える論理です。

 三点目は、憲法9条には裏づけが四点あるとしたことです。一つ目は、国内的に平和で民主主義的な国家として進むことにより、国内的に戦争の原因を発生させないこと。二つ目は、平和的な民主主義国家としてあゆむわが国を脅かすものはいないという確信。三つ目は、世界には戦争はやらないという風潮が広まっているということ。四つ目は、国際連合という紛争解決の組織ができているということ、この四つです。この判決が、9条は単なる理想ではなくて、国内・国際政治、および国際連合憲章による裏づけがあるといったことは非常に大事なことだと思います。

 私はこの長沼事件一審判決は今に残る宝物だと思います。ある方は、「長沼裁判では、裁判長自身が平和のうちに生きる権利を実践した」と言いました。

 百里基地訴訟は1958年から約31年間たたかわれました。判決主文は全部、自衛隊違憲を主張した原告の負け、請求棄却ですが、この裁判で重要なことは自衛隊の実態調べを詳細に行ったことです。恵庭・長沼事件よりももっと詳しく長時間にわたり、証人尋問をやりました。運動の面では、地元農民たちの粘り強いたたかいがありました。百里基地の航空機の誘導路は"くの字"に曲がっているのです。誘導路は第二滑走路の役割を果たすものなので、通常ではまっすぐでなければならないのですが、誘導路の途中に、基地に反対し土地を売らない農民の民有地があり、"くの字"に曲がっているのです。

 いま、その土地にお稲荷さんをおまつりしあります。そこには平和を求める農民たちを支援する日本山妙法寺の塔もあって、支援団体によって平和公園になっています。ここでは毎年2月11日に初午祭りが行われます。平和稲荷の扉を開きますと金属の板に憲法9条が彫ってあって、まつられています。そこで集会をやったあと、お神酒をいただいてお祝いをします。平和公園と平和稲荷と初午祭が残っているということが重要です。裁判では棄却されましたが、9条でたたかったという当時の精神が生きているということは、砂川・恵庭・長沼とともに9条の成果だと思います。

◆内藤功(ないとういさお)さんのプロフィール

1931年生まれ。弁護士として、砂川事件、恵庭事件、長沼事件、百里事件の基地訴訟にたずさわる。
1974年からは参議院議員を二期務める(日本共産党から)。
現在、日本平和委員会の代表理事も務める。
イラク派兵違憲訴訟全国弁護団の顧問も務める。
最近の著書に『よくわかる自衛隊問題』(学習の友社)がある。

◆伊藤真(いとうまこと)

1958年生まれ。弁護士。
法学館憲法研究所所長。伊藤塾塾長。
『伊藤真の憲法入門』(日本評論社)、『憲法の力』(集英社新書)、『憲法の知恵ブクロ』(新日本出版社)など著書多数。