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折々の記 2016 ③
【心に浮かぶよしなしごと】

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【 01 】03/12

  03 12 東日本大震災5周年(その一)   この極限の悲痛感
        ① なお遠い日常 東日本大震災5年 避難生活17万人超
        ② 復興へ権限・財源を被災地に 東日本大震災5年 東北復興取材センター長・坪井ゆづる
        ③ (天声人語)戻れない故郷を子や孫に
        ④ 巨額復興、道半ば 工費高騰、災害住宅完成遅れ 東日本大震災5年
        ⑤ <考論>これからの復興は 3氏に聞く 東日本大震災5年
        ⑥ 次の5年「総仕上げ」 福島は支援継続 復興政策基本方針
        ⑦ 安倍首相の会見〈要旨)
        ⑧ (社説)震災から5年 心は一つ、じゃない世界で
        ⑨ 私たちは変わったのか:4 天変地異と心 解剖学者・養老孟司さん
  03 13 教育変革の必要性   幼児教育の在り方と近代化
  03 13 変化する教育   Webオリジナル 大学入試論争
        ① サンデル教授と学生の「白熱対話」詳細版
        ② 中国の大学受験/京都大学・南部広孝准教授に聞く
          
 03 12 (土) 東日本大震災5周年(その一)     この極限の悲痛感

恒久平和とは「死ぬ生きる、その悲痛感のない生活だ」と言える。

現在の自衛権の解釈も武器を手にすることになる。 まして集団的自衛権では、法的にも武力行使を意味することになる。

武器は「死ぬ生きる、その極限の悲痛感」に直結する。 すなわち、憲法前文の精神的根底、及び、第二章の第九条の具体的内容に、明らかに反する。

東北地方を襲った地震と津波は想定外と言われた。 だが、この想定外は、その後の人々の地震と津波に対する対策では再びこの想定外だという大災害に対応する考えによって対策が真剣に練られている。

一方、プルトニウムのメルトダウンという大災害は、想定外だと言われても、地震や津波に対しての対策が十分だとしても、武器による攻撃に対しては全くの無防備であると言わざるを得ない。 すなわち、再びメルトダウンが生じた場合想定外だというのだろうか。 再びプルトニウムのメルトダウンが起きたとき、憲法が時の権力から国民を守るはずの恒久平和の精神は踏みにじられてしまうのです。

東日本大震災5周年を迎えて、想定外という言葉の使い方と意味と熟視しなければならないのです。



朝日(03月11日)の情報を主として記録のために載せておく

  ① なお遠い日常 東日本大震災5年 避難生活17万人超
  ② 復興へ権限・財源を被災地に 東日本大震災5年 東北復興取材センター長・坪井ゆづる
  ③ (天声人語)戻れない故郷を子や孫に
  ④ 巨額復興、道半ば 工費高騰、災害住宅完成遅れ 東日本大震災5年
  ⑤ <考論>これからの復興は 3氏に聞く 東日本大震災5年
  ⑥ 次の5年「総仕上げ」 福島は支援継続 復興政策基本方針
  ⑦ 安倍首相の会見〈要旨)
  ⑧ (社説)震災から5年 心は一つ、じゃない世界で
  ⑨ 私たちは変わったのか:4 天変地異と心 解剖学者・養老孟司さん


① なお遠い日常 東日本大震災5年 避難生活17万人超
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12251754.html

 東日本大震災の発生から11日で5年を迎える。避難生活を送る人はなお17万人以上に上り、恒久的な住まいの一つ、災害公営住宅の完成は被災3県でまだ半分にとどまる。政府が決めた集中復興期間は3月末で終わるが、被災地が日常を取り戻すのは遠い。

 警察庁は10日、震災の死者が全国で1万5894人、行方不明者は2561人と発表した。震災後の体調悪化や自殺による震災関連死は3407人(復興庁まとめ、昨年9月末時点)。岩手、宮城、福島3県のプレハブ仮設住宅に独り暮らしで、誰にもみとられず亡くなった「孤独死」は202人(警察庁まとめ、昨年末時点)に上った。  避難者は震災発生直後の47万人から減ったものの、いまも17万4千人に上る。岩手、宮城、福島の3県で7割を占める。仮設住宅の入居戸数は3県で約5万4千戸。災害公営住宅は3県で2万9573戸の計画に対し、完成は1万4042戸と47・5%にとどまる。人手不足などで建設が遅れている。

 道路や河川堤防の復旧率が9割を超えるなどインフラ整備は進む。津波で被災した農地の74%が復旧し、主要漁港の水揚げ高は震災前の9割まで回復した。だが、主産業の水産加工業で売り上げが震災前に戻った業者は24%に過ぎない。

 東京電力福島第一原発事故による避難指示区域からの避難者は、約7万人に及ぶ。田村市と川内村の一部、楢葉町で避難指示が解除されたが、対象だった地区に帰還したのは田村市で69%、川内村で20%、楢葉町で6%にとどまる。 (石川智也)

 ■「息子が見つかるまで、復興はない」

 あの日から5年。2561人の行方が、いまだわかっていない。

 5年前に息子を奪っていった同じ海とは思えない、穏やかさだった。吉田税(ちから)さん(81)は漁船の上から、ダイバーが海中を捜索する様子を、身じろぎせず見つめていた。「この海のどこかに息子は眠っている」。海に献花し手を合わせた。

 岩手県陸前高田市沖の広田湾で10日、海上保安庁による震災での行方不明者の潜水捜索があった。約2年半ぶりのことだ。

 「骨のひとかけらでも何でもいい。息子が『いた』という証しがほしい」

 長男利行さん(当時43)の行方がわかっていない。あの日、消防団員として市役所に駆けつけた。お年寄りを屋上までおぶって運んだ後、別の人の救助に向かって津波にのまれた。

 自慢の息子だった。頼まれると嫌と言えない性格だった。商工業者の相談に乗る仕事をし、休日には好きな野球を中学生に教えた。

 遺体安置所に通い詰める日々は、安置所が閉鎖されるまで1年半続いた。「このままではらちが明かない」。それから半年ほどして死亡届を出した。

 墓に納める骨はない。野球のボールを一つ入れた。「何か納めないと、と思ったが、空しいだけだった」

 前を向くはずだった。でも、息子が冷たい海の底に独りでいる。そう思うと、一歩を踏み出す気にはなれなかった。今も、帰って来るのではと玄関を確認しに起きる夜がある。

 「あともう一度、捜してもらお。それでけじめつけっぺ」。今年1月、潜水捜索を求める署名活動を始めた。集まった署名は2万8125人分。息子の行方を思う熱意が、再捜索の実現につながった。

 約3時間に及ぶ捜索では、行方不明者の手がかりは見つからなかった。「気持ちは少し落ち着いた。だけども見つかるまで、オラたちの復興はないんだ」(斎藤徹)


② 復興へ権限・財源を被災地に
   坪井ゆづる
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12251755.html

 この復興の特徴は、人口減少と原発メルトダウンへの対応を迫られたことだ。

 復興基本法が第2条の理念に「21世紀半ばの日本のあるべき姿」をめざすと書いたのも、二つの難題を乗り越えた先に持続可能な社会を描いたからだ。

 人口減少問題では、先進例が生まれている。たとえば、宮城県東松島市や山元町は津波にのまれ、内陸に移したJR新駅前にまちを集約する。高齢者の医療・福祉サービスの一体化を試みる地域や、電力を自給できる住宅街もある。

 だが、縮んでゆくまちの設計は難しかった。適した制度がないうえ、「人口が減るから宅地を減らすなんて言えっこない」と首長は口をそろえた。そして各地で山を崩し、土を盛り、30年後は無人になりそうな集落もできつつある。

 国主導の土建国家型の復興もうなりをあげる。三陸沿岸道路や防潮堤建設に1兆円ずつ予算を使うのが象徴的だ。東京一極集中と過疎を招いた「拡大成長」の発想と手法のまま、人口減少という現実から目を背けている例が目立つ。

 いまからでも遅くない。次の5年の復興・創生期間で、政府は被災地に一部負担を求めて自立を促す。ならばその間、国の権限も財源も県へ、県のものは市町村に渡すべきだ。住民の知恵と工夫で暮らしを再生して初めて自立できる。それが復興の理念にかなう。

 原発被災地への対応は、壮大な虚構を見る思いだ。ほんとうに除染廃棄物を30年後に福島県外へ出せるのか。除染で線量が下がれば、帰るのが当然なのか。

 来年3月末までに、帰還困難区域以外は避難指示が解除される。だが、昨秋に解除された楢葉町には1割も戻っていない。このまま帰還を促すのは支援の打ち切り狙いか、原発再稼働への露払いに見えてしまう。

 原発被害の時間軸は長い。帰還か移住かだけでなく、「待機」という第三の道を設け、住民と地域の連携を保つべきだと考える。

 関東大震災で都市化が進み、阪神大震災はNPO法を生んだ。では東日本大震災は? 答えを見いだせないまま6年目に入る。 (東北復興取材センター長・仙台総局長)


③ (天声人語)戻れない故郷を子や孫に
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12251749.html

 春は満開のサクラ、夏は闇を彩るホタルの群舞。四季の美しい光景が次々あらわれる。しかし、それらの写真に人は写っていない。ページをめくると、餌の根茎を求めて土を掘り返すイノシシや、牛舎に侵入するサルが登場する。人が消えた集落の今である▼福島県飯舘(いいたて)村の南端に位置する長泥(ながどろ)地区。福島第一原発が吐き出す大量の放射性物質を浴び、村で唯一の帰還困難区域に指定された。地区の役員や協力者の写真家、社会学者らが今月、この5年の記録として『もどれない故郷(ふるさと)ながどろ』という本を刊行した▼水素爆発直後、危険情報は地区の人々に知らされなかった。防護服の男たちが線量を測りに来ているにもかかわらず。「なぜもっと早く避難させてくれなかったのか」という怒りが、今も人々の心にくすぶる▼74世帯、281人は散り散りになった。年に1回の懇親会には100人ほどが集まるが、いつまで結束を保てるか。今のうちに本を作っておこう。区長の鴫原良友(しぎはらよしとも)さん(65)はそう思ったと語る▼あの日以前の写真も多く収録した。花見や盆踊り、老人会の催し。「じいちゃん、ばあちゃんの姿を子や孫に伝えたい」と鴫原さん。多くの聞き書きでたどった地区の歴史も子孫に手渡される▼原発被災地の痛切な記録だ。地区を超えて広く読まれればいい。次世代を気遣う鴫原さんの言葉が本にある。「地球を滅ぼすために原発やってんだか、処分場もできないうちになんでやんだかって、あの精神が俺はわかんない」


④ 巨額復興、道半ば 工費高騰、災害住宅完成遅れ
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12251744.html

 東日本大震災からの復興が折り返し点を迎えた。政府が定めた「復興期間」は10年。これまでの5年で増税などでまかなった約26兆円もの予算が使われ、これからの5年でさらに上積みされる。復興はどこまで進み、何が課題なのか。 東日本大震災からの復興が折り返し点を迎えた。政府が定めた「復興期間」は10年。これまでの5年で増税などでまかなった約26兆円もの予算が使われ、これからの5年でさらに上積みされる。復興はどこまで進み、何が課題なのか。

 「集中復興期間」の予算は総額26・3兆円。これは、国の2016年度予算案(96・7兆円)の4分の1強、被災3県の予算案(計4・3兆円)の約6倍ある。国民1人あたり20万円程度になる大きさだ。

 震災当時の民主党政権は、15年度までの5年間で必要な復興予算は約19兆円と見込んだ。だが、巨額の予算を組んで、住宅や道路などのインフラ整備を集中させた結果、資材価格や作業員の人件費が高騰し、工事が遅れ始めた。安倍政権は発足直後の13年1月、予算額を約7兆円増やした。

 最も多く使ったのは、住宅再建やまちづくりの分野(10兆円)だ。被災者が住む宅地や高台などの整備にあてた。住宅を買えない被災者には、災害公営住宅(復興住宅)を建設中だ。ただ、工事が遅れ、計画の半分しか進んでいない。

 被災者が自力で生活できるよう、工場の設備や店舗の再建も支援した。震災前よりも倒産件数は減った。

 これらの予算はすべて国が負担した。災害の復旧事業の場合、道路の予算は通常、国が約75%、地元自治体が約25%を負担する。東日本大震災では、被災した地方自治体の多くで過疎化が進み、税収が乏しいことから、「特例」として国が全額を賄うことにした。

 新年度から5年間の「復興・創生期間」では6・5兆円を使う。15年度までの集中復興期間は、所得税や法人税の増税を中心にまかなったが、これからの5年は新たな増税をしないで財源を確保する。(奈良部健)

 ■維持重荷に 流用発覚

 被災地ではもともとの過疎化に人口減が重なる。大型事業を続けても、利益を受ける住民が少なくなるばかりか、残った住民には将来の維持管理費が重くのしかかる。それでも、巨額の予算が付いたので、震災前から「悲願」とされた高速道路やスポーツ施設などが建設されていった。

 被災した沿岸部の主力産業だった水産業や農業では、国のお金で再開したものの、長年の課題だった担い手不足に直面している。

 予算の流用もあった。震災から1年をすぎたころ、調査捕鯨やウミガメの保護観察、沖縄での国道整備など、復興や被災地と関係ない事業に使われている実態が発覚。会計検査院は流用が1兆円超あると指摘した。流用が多かったのが全国防災対策(3兆円)。被災地以外の学校の耐震化などに使う目的だったが、今年度で復興枠から外した。

 東京地検が2月に起訴した、被災した高速道路をめぐる談合事件では、176億円分の工事が不当な高値で落札されたとされる。巨額の予算に「官」だけでなく「民」も群がる構図だ。

 復興予算とは別に、東京電力福島第一原発事故の後始末にも、国のお金を使っている。放射性物質が飛散した土地の除染や、中間貯蔵施設の整備、第一原発の廃炉・汚染水対策などに対してだ。財源は、政府が保有する東電株(1兆円)を将来売却したときの収入や、電気料金を集めた国の特別会計でまかなう。

 原発事故の対策費はさらに膨らむ。5年で2兆円余りの除染費は、新年度予算を含めると3兆円を超える。40年かかるとされる廃炉の費用も、総額は見通せない。

 ■<視点>納税者、使い道に関心を

 東日本大震災の復興に必要なお金をめぐっては、前例のないルールが次々に導入された。増税をした。地元の財政負担をゼロにした。被害金額を上回るお金を使えるようにした。当初試算された被害額は16兆~25兆円。これまでの手法では賄えなかったからだ。

 法人税の増税は、安倍政権が経済成長を促すとの理由から、2014年までの2年間で打ち切った。復興のための増税が7・3兆円になる所得税は、13年から37年までの25年間、2・1%の税率上乗せが続く。地方自治体に納める住民税は14年から10年間、1人につき年1千円多く払う。

 夫婦と子ども2人の家庭の場合、いまの増税額は年間で2千円程度。決して高額というわけではないが、全国の納税者が長期間にわたって被災地の復興に協力している。

 にもかかわらず、被災地の復興につながらない事業に予算が流用されたり、必要以上に過剰で高額な設備を整えたりする事業が目立った。復興期間の10年で使う32兆円規模のお金が適正に使われているのか。被災者だけではなく、復興に協力した私たち一人ひとりが当事者として関心を持ち続けることが欠かせない。

 人口が減り続ける被災地も、過大な事業と判断すれば、予算を使い切らずに残す柔軟さが求められる。

 太平洋沖の南海トラフで巨大地震が起きれば、津波などによる被害額は220兆円規模とされる。問われているのは、大災害に見舞われても、復興予算にアクセルとブレーキの両方を持ち合わせられるかだ。(編集委員・大月規義)


⑤ <考論>これからの復興は 3氏に聞く
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12251714.html

 ■「予算が非効率」は短絡的 自民党復興加速化本部の前本部長、大島理森・衆院議長

 東日本大震災で2万人近くが犠牲になった。このような被害が今後出ないように国土強靱(きょうじん)化を図らなければ、我々は震災から何も学ばなかったことになる。それには原状復旧以上のお金が必要だ。国民には「絆増税」として理解を求めた。

 予算が多すぎるとの批判を受けることがある。細かいところを見れば、無駄がないわけではない。だが、当初、緊急的な対応を迫られ、本当にいくら必要かは見通せなかった。必要額を「概算」し、復興を進めるのはやむを得なかった。政権与党となり、予算をさらに増やしたが、これは遅れていた用地買収を進め、地元の要望にそった復興を加速させたい、という思いがあったからだ。

 そもそも、地域コミュニティーは長い歴史の中でできた。それが一瞬の津波や原発事故で失われた。まだ5年たっただけだ。区画整理をしても住民が戻らないとか、予算の使い方が非効率とか、現時点で評価するのは短絡的ではないか。

 これからふるさとに戻る人と、被災地で長期間活動しているボランティアらが一緒になって地域づくりを進めれば、人口が減っても新しい生活の豊かさが必ず見つかるはずだ。

 ■過大投資防止、人口集約も 被災地の経済を研究してきた、中川雅之・日大経済学部教授(都市政策)

 震災から5年たち、いくつかの被災自治体で、高台移転や災害公営住宅の計画が縮小されている。これは復興予算の一部に過大な投資があることを意味する。

 東日本大震災は阪神・淡路大震災と異なり、人口が減少し、経済が縮小する地域で復興を進めなければならなかった。だが、復興の予算の総額は阪神・淡路のときと同じように、建物やインフラをもとに戻すことを前提に決まった。

 政府は住民に過大な期待を与え、住民も被災前の暮らしを取り戻せるという期待を持った。実際、住宅地や学校、公民館などを原状復帰させてみると、利用者は見込みより少なく、効率的ではなく見える。建設費以上に維持管理するお金がかかり、被災自治体の財政はいずれ、逼迫(ひっぱく)する事態に陥るだろう。

 縮小地域の復興は、各市町村ごとではなく広域的に計画を作り、予算を決めなければならない。それを調整するのが政治の役割のはずだが、この5年、政治は各市町村の声を増幅させるだけだったのではないか。

 10年間で被災地を復興させるには、たとえばどこかの市町村に人口を集約させていくような広域的な計画が必要だ。

 ■補助受ける側も効果説明 被災地での創業支援を続ける、NPO法人アスヘノキボウの小松洋介・代表理事

 復興予算が多いか少ないかは、簡単に言い切ることは難しい。被災地には多くの補助金を受けて活動しているNPO法人があり、どこも真剣に頑張っていると思う。

 震災復興のように地域や社会が抱える課題を解決する事業に我々が参加するには、補助金が必要になる。特に事業を始める時だ。自分たちだけではできない時にも、補助金を使いたいと考える。ただ、ずっと頼り続けるのではなく、できる限り自立しようとする姿勢が大切だと思う。

 昨年春に宮城県女川町での企業の創業を支援したり、町民らが交流したりする女川フューチャーセンター「カマス」を開館した。

 被災地で公共事業が進むと、批判されることがあるが、箱物は造ることが問題なのではなく、使いこなさないことが問題だ。カマスは民間の財団の助成金を利用できた。ありがたかったのは、建物にしか使えないという縛りがなく、どんなイベントを開いていくかなどのソフトの開発にもお金を使えたことだ。

 こうした使いやすい補助金の制度を広げるためにも、補助金を受ける民間から効果をしっかり説明していく姿勢が必要だと思う。


⑥ 次の5年「総仕上げ」 福島は支援継続 復興政策基本方針
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12251840.html

 政府の復興推進会議(議長・安倍晋三首相)は10日、2016~20年度に取り組む東日本大震災の復興政策の基本方針をまとめた。この5年間を復興の総仕上げをする「復興・創生期間」とし、原発事故があった福島県の復興は、21年度以降も国が全面支援する方針を示した。

 基本方針は、政府が「集中復興期間」とした15年度末までの5年間が終わるため、新たにまとめられた。11日に閣議決定される。首相は10日の会議で「新たな5カ年は地震・津波被災地の復興の総仕上げ、福島の本格的な復興に向けたステージだ」と述べた。

 方針では、東京電力福島第一原発事故の被災地について「遅くとも17年3月までに避難指示解除準備区域・居住制限区域の避難指示を解除できるよう環境整備に取り組む」と明記。「福島の復興・再生は中長期的対応が必要」として、21年度以降も「国が前面に立って取り組む」とした。

 また、16年を「東北観光復興元年」と位置づけて観光に力を入れ、20年の東京五輪・パラリンピックを「復興五輪」として「復興した姿を世界に発信する」とした。常磐道の大熊インターチェンジ(IC)を18年度、双葉ICを19年度までにそれぞれ利用できるようにする方針も盛り込まれた。 (田嶋慶彦)


⑦ 安倍首相の会見〈要旨〉
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12251884.html

 今後5年間を「復興・創生期間」と位置づけ、被災地を支援する。

 常磐自動車道は、福島県と宮城県の混雑区間で4車線化を実現。JR常磐線は、東京五輪・パラリンピック開催前の2019年度中に全線開通を目指す。

 福島では来年春までに帰還困難区域を除く避難指示を解除、中間貯蔵施設の建設・除染を加速する。

 帰還困難区域見直しに向けた国の考え方を今年の夏までに明確に示したい。

 東京電力福島第一原発の廃炉汚染水対策に全力で取り組む。

 (運転差し止めの仮処分決定が出された関西電力高浜原発3、4号機について)関西電力に安全性に関する説明を尽くすことを期待する。政府も指導していく。

 自治体が地域ごとに策定する避難計画は、政府がきめ細かく関与するなど、国が前面に立って自治体を支援する。

 資源に乏しい我が国の経済性、エネルギー供給の安定性を確保するため、原子力は欠かすことができない。原発依存度はできる限り軽減させていく。

 汚染土などの中間貯蔵施設の用地取得を加速化し、施設整備を進めていく。


⑧ (社説)震災から5年 心は一つ、じゃない世界で
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12251678.html

 戦後最大の国難といわれた東日本大震災と福島第一原発の事故が起きた「3・11」から、5年がたつ。

 宮城県や岩手県の海沿いでは工事の音が鳴り響く。だが、暮らしの再建はこれからだ。福島県をはじめ、約17万人が避難先での生活を強いられている。

 震災と原発事故は、今もなお続いている。被災地から離れた全国で、その現実感を保つ人はどれだけいるだろう。

 ■深まる「外」との分断

 直後は、だれもが被災地のことを思い、「支え合い」「つながろう」の言葉を口にした。年の世相を表す「今年の漢字」に、「絆」が選ばれもした。

 あの意識ははたして本物だったろうか。被災地の間ではむしろ、距離が開いていく「分断」を憂える声が聞こえてくる。

 住み慣れた土地を離れる住宅移転。生活の場である海と陸とを隔てる防潮堤。「忘れたい」と「忘れまい」が同居する震災遺構。それぞれの問題をめぐり地元の意見は割れてきた。

 人間と地域の和が壊れる。その痛みがもっとも深刻なのは、福島県だ。

 放射線の影響をめぐり、住民の価値観や判断は揺れた。線量による区域割りで東京電力からの賠償額が違ったことも絡み、家族や地域は切り刻まれた。

 ささくれだつ空気の中で、修復を求めて奔走する人たちはいた。無人の町を訪問者に案内したり、自主避難者向けに福島からの情報発信を始めたり。さまざまな活動が生まれた。

 南相馬市の番場さち子さんもその一人だ。医師と一緒に放射線についての市民向け勉強会を80回以上重ねた。まずは正しい知識を得る。それが今後の生活の方針を納得して選び、前向きになる支えになると考えた。

 番場さんらがいま懸念するのは、5年にわたる苦悩と克服の歩みが、被災地の「外」に伝わらず、認識のギャップが広がっていることだ。

 「福島県では外出時にマスクは必要か」「福島産の米は食べられるのか」。県外から、そんな質問が今も続く。

 空間線量や体内の被曝(ひばく)の継続的な測定、食材の全量検査、除染作業などさまざまな努力を重ねた結果、安全が確かめられたものは少なくない。だが、そうした正常化された部分は、県外になかなか伝わらない。

 郡山市に住む母親は昨年、県外の反原発活動家を名乗る男性から「子供が病気になる」と非難された。原発への否定を無頓着に福島への忌避に重ねる口調に落胆した。「まだこんなことが続くのか」

 ■「言葉」を探す高校生

 時がたてば、被災地とほかとの間に意識の違いが生じるのは仕方のないことでもある。

 だが、災害に強い社会を築くには、その溝を埋める不断の努力が欠かせない。いま苦境と闘う人と、そうでない人とは、いつ立場が変わるかも知れない。

 福島の人びとが「この5年」を外に知ってほしいと思うのは、原発事故がもたらす分断の実相と克服の努力を全国の教訓として共有すべきだと考えるからでもある。

 模索は続いている。

 福島県広野町に昨春開校した県立ふたば未来学園高校では必修科目に演劇を組み入れる。

 指導する劇作家の平田オリザ氏が生徒たちに課したのは、「立場の違いによるすれ違いや解決できない課題をそのまま表現する」こと。

 授業の冒頭、平田氏は言う。「言っとくけど、福島や君たちのことなんて世界の誰も理解なんてしてないからね」

 関心のない人に、どうやったら自分の思いが伝わるか。それは同時に、自分が他者の思いを想像できているかを自問することにもなる。

 番場さんは、福島担当の東電役員を招いた勉強会も始めた。事故を起こした東電とあえて交流するのは、最後まで福島の再生に努める責任を負っている相手のことを知るためだ。

 この世は、「心は一つ」ではない。歴史をみれば、分断はいくつも存在した。原爆に苦しんだ広島と長崎、水俣病など公害に侵された町、過大な米軍基地を押しつけられた沖縄――。

 重い痛みを背負い、他者との意識差に傷つき悩みながら闘ってきた全国の地域がある。いま、そうした地域と福島とで交流する催しが増えている。

 ■伝わらないことから

 住む場所も考える問題も違う人間同士が「つながる」ためには、「互いにわからない」ことから出発し、対話を重ねていくしかない。

 「伝えたい気持ちは、伝わらない経験があって初めて生まれる。その点で、震災と助け合いと分断とを経験した被災地の子どもたちには、復興を担い、世の中を切りひらく潜在的な力がある」と平田氏は言う。

 被災地からの発信を一人ひとりが受け止め、返していくことから、もう一度始めたい。


⑨ 私たちは変わったのか:4 天変地異と心
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12251666.html

 日本列島の下では太平洋、ユーラシアなどのプレートがせめぎ合っている。大地震や火山の噴火など天変地異が絶えない中で、国民性が形づくられ歴史も紡がれた。このうち、関東大震災が軍国主義化の契機になったと解剖学者の養老孟司さんは見る。東日本大震災や来たるべき大地震が日本人の脳みそや心に与える影響を聞いた。

   ――東日本大震災の直後、「戦前、日本が曲がっていったのは関東大震災からではないかと考えている。大正デモクラシーがなぜ、軍国主義に変わってしまったか。震災の影響が非常に大きかったのではないか」と言われました。東日本大震災から5年。改めて天変地異が日本人の脳みそや心にもたらす影響について教えて下さい。

 「脳は言わば入出力装置ですが、例えば『見る』という入力の結果、頭の中で意識が生じる。それらが頭の中に入って、ある種のルールを形作るのです。外界から受けた影響が残るわけです。つまり、五感の結果が、心を形作るのに非常に大きな影響を持っています」

 「それまでの経験に基づいて脳のルールができる。そこで突然、従来受け入れてきたものと極端に異なる知覚、感覚にぶち当たると、脳は受け入れを嫌うんです」

 「また、脳のルールは感覚を一切刺激しないようにつくられます。だから気温も一定、座敷の床もでこぼこしなくて硬くない方がいい。これは変化を脳が嫌うからです。都市化という現象も、環境を知覚にできるだけ影響を与えないような姿に変えていった結果で、それを進歩した社会と言っている。僕はこれを『脳化社会』と呼んでいます。心地よい都会生活を謳歌(おうか)している現代日本の都市文明は、脳化社会の典型です」

 「逆に外部から知覚、感覚が暴力的に入ってくるような事態を脳みそは嫌います。大震災などの天変地異が起こると、それぞれの人の脳に、暴力的ともいえる勢いで外部の事象が攻め立ててきて、意識の世界が妨害されます。『想定外だ』と騒ぐのも、考えたくもなかったイヤな事態の連続に直面しての反応です。こうした未曽有の事態に直面した人間の脳みそは、それまでとは大きく変わったものになってしまう」

 ――関東大震災で約10万人が亡くなり、快適な都会生活は一瞬で阿鼻叫喚(あびきょうかん)の現実に変わりました。

 「東京の下町や横浜が一面の焼け野原になった。少し前まで、豊かな都市生活が繰り広げられた場所に、焼け焦げた遺体が無数に転がった。それを目の当たりにする経験をした人々の心には、非常に深刻な影響が残りました」

    ■     ■

 ――朝鮮人が虐殺され、無政府主義者らが殺される事件もあり、狂気の嵐が吹き荒れました。

 「修羅場を体験した人は、あれから自分が変わったと思ったはずです。大震災から戦争まで一直線に流れていったのは、一晩であまりに多数の死を目撃して『あれが現実だよね』といった生の不条理に直面したことで、命をめぐって心に大転換が起きたからでしょう。『このくらいの暴力ならやってもよいだろう』。人間の命の値打ちが軽くなり、戦争を始めるハードルも低くなった。あれほど絶望的な戦争が延々と続いたのも、大震災で心の大転換があったからとしかいいようがありません」

 「悪い影響ばかりとはいえません。首都を直撃したことで国家の要人らが惨状を自ら見て聞いて体験した。中には昭和天皇もいた。1945(昭和20)年の東京大空襲の後、天皇自ら被災地を視察した。大震災に遭遇したから、同じ焼け野原の現場を見ておこうと考えたと思う。『戦はこれ以上続けられない』との考えを生み、その後の終戦の『聖断』へつながったと思えてならないのです」

 ――先の戦争では随分悲惨なことも起きました。敵との戦いで死んだ人だけでなく、味方の将兵に殺された悲劇もあったそうです。

 「人というものは、極端な状況に置かれると、そういうことをするもんだと思うんですね。問題はそうさせてしまう状況にあるのです。人は状況に依存して生きている。一神教のキリスト教のように強力な神を持たない日本人は、神の目を恐れるというブレーキがないので、状況を安定させないと、思いきり変わってしまう危険性がある。であれば、状況を変えない、というのが日本人が持つべき最大の知恵でしょう」

 ――しかし、東日本大震災ではブレーキが壊れるような事態はありませんでした。むしろ、被災した人たちの整然とした態度が称賛されました。

 「物流も確保され、食料も深刻な危機にはなりませんでした。人間を変えてしまう恐ろしい飢餓は起きなかったのは幸いでした」

    ■     ■

 ――関東大震災のような、歴史を変える心のトラウマが東日本大震災をきっかけに生じることはありませんか。

 「発生当初は懸念しましたが、5年たってみると、悪影響はないか、あっても小さいもので済んだようです。被災地は豊かな自然が残されており、東京のような『脳化社会』ではなかった。明治、昭和と大津波も何度も経験してきた。心は立ち直れるでしょう」

 「むしろ、今後の被災地で懸念されるのは、その他の地域の記憶から、忘れ去られることです。東北は面積は広大でも人口も経済規模も日本全体の1割にもならない。加えて、日本列島は東北以外でも、天変地異が時々起きる。新たな災害が起きると以前のものの記憶は消えていく。数の論理から見ても、大震災の記憶は人々の記憶から消去されざるを得ない」

 「そうなっていく背景には東北の人たちの温厚さもありはしないか。東京にあらがう大阪や、過疎地なりに元気を持とうと葛藤する鳥取、島根などとは違います。苦渋があまりに大きすぎて、お上に従えば悪いようにはならないと信じたいのでしょうか。貴重な自然や伝統文化が残されているのだから、世界に呼びかけて『新しい郷土を造りたいのだが、知恵を貸してくれ』と呼びかけるのに非常に有利な地域なのに、そうはならない。住民が言わなければ誰も手伝いようがない。気がつけばお役所発注の巨大防波堤ばかりできている。これでは、ますます忘れられてしまわないか、心配です」

    ■     ■

 ――この列島に住む限り、大震災や噴火などと縁が切れるわけではありません。

 「問題はこれから確実に起きる南海トラフ地震や、首都圏直下型地震など、日本の中枢や人口の集積地域を襲う大災害で起きるトラウマや狂気への備えです」

 「何より物流が大変だと思います。とりわけ拠点である東京の機能停止が長期化すれば、もう地獄でしょう。季節も重要です。冬場なら寒さしのぎで火事が頻発するだろうし、夏なら夏で、身の回りのあらゆるものが腐乱して、伝染病が蔓延(まんえん)しかねない。想像を絶することが起きても、政府も誰も対応できない。人の心に、大変な衝撃を与えるでしょう」

 ――そんな修羅場を、数千万人単位の日本国民が体験するとしたら、戦後初めてのことです。

 「多くの若者を戦場に送り込んで暴力的な体験をさせてきた米国などのようなことは、幸いにして日本はしてこずに済んだ。ただ、修羅場に対応するには荒療治が必要な場合もあることは確かです」

 ――荒療治とは物騒ですね。

 「だったら、修羅場に直面しても、のみ込まれない冷静さを日頃から培っておかねばならないでしょう。外部の世界に向かって常に開かれた姿勢を取っているかが大事です。それには人間を除いた自然界が、人間の価値観と関係ない力学で動いていると直視することから始まります。自然に善悪はありません。自然食品がことさら優れているわけでもなく、台風、噴火イコール悪でもない」

 「外部世界をニュートラルに見ない社会は狂ってしまいます。既成のシステムも、その時限り、今の状況に過ぎないのに、これからも未来永劫(えいごう)、維持されると思い込む。それは頭の中毒です。中毒の行き着く先は原理主義です」

 「原理主義はイスラムの産物ではありません。我々の国は富士の裾野で造られたサリンが東京でまかれた経験を持っています。脳に心地よい都市生活と、脳にありがたいと思う原理指導者の指図とは紙一重です。外部に心を開かぬ頭の中毒に陥った知的エリートが喜々としてやった。連中には『あんた、本気で富士山見てた?』といいたくなる。でも彼らは特殊ではない。今後、避けがたい大震災が、中毒にかかりやすい現代日本人の脳みそに襲いかかるのです」

    *

 ようろうたけし 1937年生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入り医学部教授を95年に退官。「唯脳論」「バカの壁」「養老訓」など著書多数。

 ■取材を終えて

 「一日、15分でよいから人間がつくらなかったものを見たほうがいい」と養老さんは言う。自然が膨大なエネルギーを一気に放出する大震災は、脳が心地よいと感じて出来上がった現代社会を、一瞬で根こそぎ破壊する。その後、私たちを包むかも知れぬ狂気の嵐に巻き込まれないため、私は養老さんの提案を愚直に続けてみたい。 (編集委員・駒野剛)

 ◇最終回の明日は震災が問いかける「公と私」の関係について、映画監督の海南友子さん、宮城県女川町長の須田善明さん、政治学者の牧原出さんの3人に聞く予定です。


 03 13 (日) 教育変革の必要性     幼児教育の在り方と近代化

次の記事は<親の幼児教育心得を変革すること>と、<戦前の教育指導方法のグローバル化を図ること>、この二点の必要性を提供する現代教育の現況を現わしている記事です。

親が先生に苦情を伝えることの内容が、一つは合理的に必要な場合がある。

もう一つは、自分の子を見やましく育てずに、情緒不安定のままで0歳児、3歳未満児のまま、保育園にあずけ、学齢児童になっても小学児童としての情緒安定が築かれず、また対人関係など礼儀作法も育てられずに、小学校に入学させた場合がある。

後者の場合に、<親の幼児教育心得を変革すること>が変革の必要性の第一の理由です。

第二の理由は、欧米の児童、生徒、学生の指導方法が個人の自由と責任の取り方を重視した教育方法の近代化が進んだのに、日本は<明治以来の指導方法が戦後になっても改善もされず旧態依然として継承されていたこと>である。

具体的には、① サンデル教授と学生の「白熱対話」詳細版の記事を続いて読むと、納得がいきます。

今からでも「個人の自由と責任の取り方を重視した教育方法」を取り入れることが緊急の課題であると思う。



2016年3月11日
心病む先生、進まぬ対策 新任25歳の自殺「公務が原因」
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12251670.html

 東京都内の公立小の新任女性教員が2006年、自殺した。心を病んだ末の死だった。これが先月、東京地裁に「公務災害」と認められた。保護者対応や職場の支援不足などが女性を追い詰めたと、判決は断じた。しかし、心を病む教員は減っておらず、専門家は研修などの対策を促す。

 ■保護者への対応で悩み

 「泣きそうになる毎日だけど。。。。でも私こんな気分になるために一生懸命教師を目指したんやないんに…おかしいね」。母親にこんなメールを送ってしばらく経ってから、25歳の女性教員は自殺を図った。06年10月のことだ。女性は同年12月に亡くなった。

 その後、うつ病を患っていた女性の自殺を公務災害としない処分を決めた地方公務員災害補償基金(本部・東京)に対し、両親が処分取り消しを求めて提訴。東京地裁は今年2月、「自殺は公務が原因」として処分を取り消す判決を言い渡した。

 判決によると、女性は06年4月、初めて赴任した学校で2年生を担任。5月、ある保護者に電話で「(児童が)万引きをした」との情報提供があったことを伝えると、「事実を示せ」と激しい抗議を受けた。最後は校長が謝罪する事態になった。

 「小テストの採点は子ども同士ではなく、先生がしてほしい」。連絡帳にこう記した保護者への返事が遅れた際は、電話で長時間釈明せざるを得なかった。授業での班分けについて、夜間や休日に携帯電話に繰り返し要望してくる親もいた。

 新人教員向けの研修に参加した際には、講師から「(新人は)いつでもクビにできる」「病休・欠勤は給料泥棒」と聞かされた。保護者とのトラブルについて、校長から全職員の前での説明を求められ、謝罪したこともあった。心労を重ねた女性は7月、うつ病と診断されて病気休職した。だが9月に復帰した後も不調が続いた。

 「毎日夜まで保護者から電話とか入ってきたり連絡帳でほんの些細(ささい)なことで苦情を受けたり…」。母親へのメールには、仕事の苦悩が記されていた。判決を受け、父親は「教育関係者には、子どもたちを育てる場に、決して過労死問題を持ち込まないでいただきたい」と話した。(岡雄一郎、千葉雄高)

 ■減らぬ休職、年に5千人

 文部科学省の人事行政状況調査によると、心の病で休職する公立校の教員は06年度以降も、年5千人前後で高止まりしている。

 14年度は5045人(前年度比34人減)。所属校での勤務期間別では「1年以上2年未満」が最多の23・2%で、次いで「6カ月以上1年未満」が17・7%、「2年以上3年未満」16・2%など。年代別では、50代以上が最多の1974人で、40代1390人、30代1134人、20代547人などだった。

 背景には何があるのか。

 「子どもの変化に学校の対応が追いついていない」。公立学校共済組合近畿中央病院(兵庫県伊丹市)の臨床心理士、井上麻紀さんは、こう指摘する。

 15年前から同病院で教職員の心のケアや復職支援に取り組んできた。最近は教員の負担が増していると思う。授業についていけなかったり、乱暴になったりする「支援の必要な子ども」が増えたと実感するが、教員数は少子化に合わせて減少していることが影響しているとみる。「教員は責任感が強く、頑張り過ぎる人が多い。人に頼んだり、無理な仕事は断ったりする技術も身につけてほしい」

 保護者対応に関する本「なぜあの保護者は土下座させたいのか」などの著者の関根眞一さんは「学級担任をする前に、研修などで保護者対応について学ぶべきだ。研修も、教育界以外の講師を招いた方がいい」と指摘。「保護者の理不尽な要求が来たら、言い分を慎重に調査したうえで、きっぱり断るなど腹の据わった対応も時には必要だ」と話す。(高浜行人、芳垣文子)


 03 13 (日) 変化する教育     Webオリジナル 大学入試論争

サンデル教授の「白熱対話」という授業形態は、しばらく前からテレビ放映されていたから知ってはいた。 だが、個人の自由と責任という立場が、今日ほど痛感したことはなかった。

それというのも、現政権が多数決の立場から、与党の一部勢力の言うがままに勝手に政治権力を行使して、恒久平和を謳っている憲法をそっちのけにして、「死の商人」そのままの兵器生産販売を決め、秘密保護法を作り、さらに集団的自衛権を殆どの憲法学者の反対をものともせず多数決で国会での成立を成し遂げたのである。

もともと、自衛隊は武器使用を訓練し陸海空軍を作り上げたものであって、明らかに憲法違反そのものでした。 ただ、敗戦後の米軍占領下にあって日米安全保障条約の重圧を無抵抗に受け取る癖がついていたといえば言える。

日本はスタートにおいて、足を踏み違えさせられていた。 それ以後、アメリカの言い分に従属せずに独自性を持とうとした人たちをすべて、潰し去っていた。 それは偽らざる歴史の歩みだった。

そして、再軍備をしてまで、アメリカ追従の国家に変えてしまった。 まだ、まだ、平和憲法は国民投票がないから、改悪には至っていない。

現政治勢力を選挙によって弱くしない限り、日本の平和は崩れるしかない。

それには一人一人の自由な発言という自由権と自由を守るための責任感を親子間で築き上げることと、それを18歳までに導き育て上げること、この二つを欠くことができないのだ。



変化する教育

大学入試論争
   ① サンデル教授と学生の「白熱対話」詳細版
   ② 中国の大学受験/京都大学・南部広孝准教授に聞く


① サンデル教授と学生の「白熱対話」詳細版
      http://globe.asahi.com/feature/side/2016030300001.html

大学入試における「正義」とは何か。「ハーバード白熱教室」で知られる政治哲学者のマイケル・サンデルと、サンデルの愛弟子であるハーバード大3年生、楠正宏に語り合ってもらった。(紙面に掲載した対談の詳細版です)

楠 最初に、僕とサンデル教授との出会いについて話させてください。僕は6年前に英国から日本に戻り、進学校として知られる灘高に入学しましたが、授業はとてもつまらなかった。先生が生徒に一方的に教えるばかりで、生徒たちも東京大や医学部の入学試験に合格することだけを目指して勉強していました。

僕はそれになじめず、友人と一緒に、あなたの講義を学ぶ課外活動を始めたんです。あなたの講義を自分たちなりにアレンジし、他の生徒たちも招待して、あなたの提起した問題について議論しました。

この経験は僕に大きなインスピレーションを与えてくれましたし、僕がハーバードを志望するきっかけにもなりました。

サンデル それはうれしいね。勉強会は君の発案だったのかな?

楠 そうです。生徒主導で、先生たちには秘密にしていました。そもそも僕たちがこの活動を始めたのは、学校が嫌いだったからです(笑)。

サンデル なるほど!(笑)。先生は君たちの秘密の議論に気づいたのかな?

楠 ええ。何人かの先生は、僕たちのたくらみを喜んでくれました。そうでもなかった先生もいらっしゃったみたいですが・・・。

この話からもご理解いただけるように、日本の教育は、一発勝負の大学入試を突破するのを主な目的にしています。一方で、米国の大学の入試は、より「包括的(holistic)」です。教授はハーバードの入試についてどう考えますか。

サンデル 君も知っているように、ハーバードに限らず米国の大学入試では、SATという共通テストは判断材料のひとつに過ぎない。高校時代の成績や学校内外からの推薦状、さらに奉仕作業などの課外活動、音楽やスポーツにおける表彰なども考慮して合否を決める。

こうした入試をしているのは、多様な背景を持つ学生が集うことで、教室での議論が活性化することを目指しているからだ。米国内の多様な地域、さらには世界中から学生を集め、経済的に恵まれない家庭の出身者も受け入れ、人種的にも多様性を確保しようとしている。

より多様な経験と考え方を持つ若者たちがクラスに集うことで、学生たちは自分自身とは異質な人間と学び合い、多様な生き方に対する敬意を育む。それはきっと、多元的な社会を作り上げていくことに役立つだろう。それが米国型入試を「正義」と見なす根拠だ。

だが、米国型の入試が日本でも成功するかどうか、私には判断できない。そもそも、日本の大学入試をよく知らないからね。君自身は、日本の入試についてどう考えているのかな。

楠 日本は歴史的に、試験の成績という単一の物差しで志願者の実力を評価してきました。このやり方は非常に透明性が高い。生まれに関係なく、誰もが平等に合格を目指せるし、コネや家柄も関係ない。実力だけの勝負です。それが日本型入試の大きな利点です。

だけど、教育の目的は時代によって変わります。ハーバードもかつては聖職者を養成するための機関でしたが、現代ではまったく違う。しかし、日本はあまりにも過去の入試のあり方に固執しすぎています。それは、グローバル化された現代社会では、必ずしも効果的なやり方とは言えないのではないでしょうか。

サンデル 日本の大学生とハーバードの学生にはどんな違いがあるのだろう。君の意見を聞かせて欲しいな。

楠 単純な一般化はできませんが、いくつかの明確な違いがあります。その一つはリスクに向き合う姿勢です。

ハーバードの多くの学生は、積極的にリスクを取る傾向が強いですね。入試がブラックボックスで、合格するかどうか受けてみないと分からないという所からも、その傾向は垣間見ることができます。

一方、日本では例えば東大を受験する時には、東大向けの模擬試験を受ければ、自分が合格できそうかどうか、すぐに分かります。合格した後も官僚や医師として安定した人生が保障されている。その結果、安定志向が非常に強くなっていると思います。

ハーバード卒業生の28%は、リスクをある程度積極的にとることが求められる、証券会社などの金融業界に就職します。それに対して僕の母校の灘高では、多くの卒業生が医師を目指します。医師になることで非常に安定した収入を得られるからです。

サンデル 日本では、大学入試でペーパーテスト以外の要素を考慮する議論が始まっているそうだね。東大でもそういう動きがあると聞いているよ。

楠 東大は今年初めて、一部の受験生をペーパーテストではなく推薦によって選抜する試みが始まりました。おそらく、文部科学省と東京大学は、自分たちの行っている入試が世界的な流れと大きく異なっていることや、グローバル化に対応するにはペーパーテストに合格する以外の能力も必要なことに、気づき始めているのではないでしょうか。

サンデル 君自身は日本のペーパーテストと米国型入試のどちらがいい?

楠 難しい質問ですが、ペーパーテストの方でしょうね。準備がしやすいと思いますから。だけど、ハーバードの受験は楽しかったです。エッセーを書く時、自分は何者で、なぜハーバードを目指すのかを真剣に考えましたし、試験官の心をどうやって動かすかも工夫しました。その経験を通じて、人としても成長できたと思います。

サンデル ハーバードは米国型入試によって、本当に多様性を実現できているだろうか?また、そのことによって教室の議論を活性化させ、多元主義的な教育を行うことができていると思うかい?

楠 ハーバードに入学したことで、日本にいたら決して会えなかったような人々と出会えたことは事実です。アフリカの王族出身の学生もいれば、経済的・社会的に恵まれない家庭の出身者もいる。僕はそうした仲間たちとハーバードで生活できることをとても感謝しています。

でも、多様性を強調しすぎることで、さまざまな問題が覆い隠されてしまう面もあるように思います。

ハーバードでは確かに、人種的、宗教的な多様性は実現できている。だけど別の面からみれば、大半の学生はエリート校や裕福な家庭の出身者です。

サンデル それは米国型入試の弱点だな。米国の大学は授業料が高額過ぎて、貧困層はもちろん、ワーキングクラスの中間層さえ大学には通えない。

ある研究によれば、米国の著名な146の大学で、所得層が下位4分の1の家庭出身の学生は、全学生の3%に過ぎない。所得層が下位半分の家庭出身者でも10%だ。米国では、高等教育に対する経済的障壁が高すぎるんだ。

ハーバードは幸運なことに、経済的に授業料を払えない家庭の出身者にも門戸を開くことができる。ハーバードは非常に裕福な大学で、授業料を払えない学生に無償の奨学金を支給できるからだ。

しかし、大半の大学はハーバードほど資金が潤沢ではないから、経済水準によって、大学に通えるかどうか大きな格差が生じてしまう。この格差は決して「正義」とは呼べないだろう。

学生の多様性について考えるならば、入試だけではなく大学の財政の問題も考慮する必要がある。そして、財政の問題は「貧困な家庭の出身者を大学から排除してもよいのか」という公平性の問題とも大きく関わってくる。

日本の大学の財政はどうなっているのかな。

楠 東大、京大をはじめ日本の最難関大学の多くは国立で、税金によって賄われています。学生が負担する授業料は東大で年間54万円程度ですから、それが経済的な障壁になることはほとんどありません。アルバイトをすれば十分賄える額です。米国の大学と比べ、低所得層の出身者でも大学に通いやすいと言えます。

だけど、日本のトップレベル大学の学生も、実際には高所得層の出身者が多い。彼らは貧しい家庭の生徒らが通えない塾や予備校に通い、入試の効果的な突破方法を学べるからです。

サンデル 日本だけではなく米国でも、受験生がペーパーテストに対してどれだけ準備できるかは、親の経済力によって大きく変わる。

米国の共通テストSATは元々、大学入試における機会の平等を実現するために導入されたものだった。1920年代、30年代のハーバードの入試は、階級や宗教や人種などさまざまな偏見によって大きくゆがめられていたからだ。

ペーパーテストという共通の土俵を作ることによって、どんな出自の人間であっても、試験でよい成績を取れば大学に入学できる。それが差別や偏見を克服し、公平な入試につながると考えられたんだ。

しかし、現実には、高収入の家庭の出身者ほど、ペーパーテストでよい成績を取れる、という傾向がはっきりと現れてしまった。だから私は少なくとも米国では、テストの成績だけで合格者を決めるのは誤りだと考えている。

楠 ハーバード卒業生の子弟は「レガシー」と呼ばれ、入試でも他の受験生よりも優遇されています。これはハーバードが目指す多様性とは、逆の方向ではないでしょうか。

サンデル レガシーの優遇には二つの面がある。一つはそれが卒業生たちの間に、世代を超えた共同体意識をもたらすことだ。

もう一つは財政だ。ハーバードの豊かな財政の一部は、ハーバードの卒業生らによる多額の寄付金で支えられており、それらは経済的余裕がない学生への奨学金にも使われている。

これは一種のパラドックスと言えるだろう。レガシーを優遇することは一般的に富裕層出身者に有利に働くが、それによって得られる寄付金のおかげで、ハーバードは低所得階層出身の学生も入学させることができる。

このパラドックスは「白熱教室」のよいテーマになるだろうね。もちろん、レガシーならば誰もが合格できる、というわけではないが。

楠 僕も奨学金があるからこそ、ハーバードに通えている。レガシー優遇は、全体的に見れば、大学の多様性を促進するというメリットの方が大きいのでは?

サンデル 私の考えは「レガシーであろうと、多様性を促進するためであろうと、学業について行けない学生を入学させてはならない」ということだ。多様性の本来の目的である、教室の議論を豊かにすることに貢献できないからだ。

ハーバード志願者の約半分は、学力面では十分な水準に達しているだろう。だからこそ、学力以外の要素も考慮した入試ができるんだ。

本当の問題は、ハーバードや東大のように、十分な学力を持つ若者たちが定員よりもはるかに多く応募してくるような大学では、どんな基準で合否を決めるべきなのか、ということだ。

この問いへの答えは、「大学教育が何を目指すか」によって変わる。

大学の目的が優れた研究者の育成だけであるならば、合否の基準は学力だけでいい。だが、ハーバードのように社会のリーダー育成も目指すのであれば、多様性を考慮して志願者を選抜する方が、妥当だし公平だろう。

グローバル社会に適応したリーダーや民主的な市民を育てるには、多様な背景を持つ学生を集め、相互に刺激させあう必要があるからだ。東大もそう考えて推薦入試を始めたのではないのかね?

楠 東京大学は国立大学であり、市民のための大学です。本来ならば「東大の教育目的は何か」ということは、非常に重要な問題のはずですが、それに関する理解や議論が進んでいるとは思えません。

米国式の入試をコピーしようとしているだけのようにも見えます。

サンデル 高等教育は「社会のリーダーを決める」という重要な役割を担っている。だからこそ、大学教育や高等教育の目的について公的な場できちんと議論をする必要があるし、そうした議論なしには、「大学入試はどうあるべきか」ということも決められないだろう。

高等教育や大学の目的は、それぞれの社会によって異なる。しかし、すべての社会は「大学教育は何を目的とするべきか」という議論を通じて、多くのことを学べるはずだ。議論の場には、社会のリーダーや大学の教職員だけではなく、学生自身も加わることが重要だろう。

日本でこうした議論を行うには、どんな場が適していると思う?

楠 僕たちが灘高で作った秘密クラブは、その議論をするのにうってつけの場のひとつでしょうね。

サンデル (笑)

楠 だけど、たったひとつのシンポジウムや、あるいは新聞記事だけでは、解決する問題ではないと思います。日頃から多くの人々がこの問題に次第に気づき、日常的に関心を持つようになって初めて、議論が活発化するのではないでしょうか。

サンデル その通りだね。大学の果たすべき役割、そして大学入試のあり方は、それぞれの社会が自ら選択するべきことだろう。しかし、どんな選択をするにせよ、中程度の収入の家庭出身者が高等教育を受けられる機会を保障することは非常に重要だ。そしてそれこそが、米国の社会が直面し、いまだに解決できていない問題なんだ。

君は私の講義を二度選択したね。一度目は大教室の講義で、二度目は少人数のディスカッション形式の講義だった。君には、私の次の著書への協力もお願いしている。ハーバードで日本人学生は決して多くないが、君と共に学べるのは、私や他の学生たちにとって大変名誉なことだ。

さまざまな国の学生と共に学ぶことは、知的な刺激を得られるだけではなく、より広い世界に旅立つ準備をするための素晴らしい方法なのだよ。

② 中国の大学受験/京都大学・南部広孝准教授に聞く
      http://globe.asahi.com/feature/side/2016030400019.html

1800万人にものぼる中国の18歳人口のうち、昨年は約半数の942万人が受験した中国の大学統一試験。中国の入試にくわしい京都大学の南部広孝准教授に、具体的な選抜の仕方について話を聞いた。

――中国の大学全国統一試験、「高考」とはどういった試験でしょうか。 

1952年に始まり、文化大革命による中断を経た後1977年に復活し、現在まで実施されています。新入生の9割以上がこの試験の成績だけで決まります。各大学がまず省別に合格者の人数枠を割り振り、各省で上位の得点者から希望する大学に入学できるようになっています。全国統一試験と銘打ってはいますが、省ごとに試験科目や試験問題が決まっています。大学ごとの試験では、大学側は膨大な受験生を相手にしなければならず、受験生は住む地域によっては何千キロも移動しなければいけなくなります。双方の負担を解消し、効率よく優秀な人材を選ぶために生まれた仕組みです。

――受験熱は高いのですか?

大学進学率は2~3年制も含めると2014年で37.5%に達し、以前よりは進学しやすくなってはいますが、競争は依然として激しい状況がみられます。有名大学への合格が有利な就職に結びつく点も大きいですね。90年代半ばまでは国が就職先を決めていましたが、現在はそういった割り振りはありません。市場経済が発展する中で、企業はますます有名大学の卒業生を求めるようになっています。具体的に言えば、211プロジェクトという教育政策によって予算が優先的につけられている約120校の「重点大学」に人気が集まっています。その卒業生を受け入れたいと公言する企業が増えているのです。就職市場が生まれたことで、大学がいっそうはっきりランク分けされてきたといえます。

  ――本人の政治的な思想で落とされたり、コネで合格したりはしないのですか?

まずは成績。入学は点数だけで決まるといっていい。政治的な思想は大学入試に決定的な要素にはなっていないようです。よほど政治的に過激なことをしていない限り落とされることはなく、成績が優秀であればそちらのほうが優先されます。誰が見ても合否がはっきりしているところが高考の利点です。本人の点数や各大学の最低合格点は公開されるので、1点足りなかった、5点足りなかったと分かります。その面では落ちた受験生も親も納得でき、受験競争は加熱しますが、公平感は保たれる制度だといえるでしょう。政府も公平感については強く意識していて、カンニングなどの不正に対して厳格に対処しているとメディアを通じて大きくアピールしています。

――高考のほかには大学への道はないのですか?

点数重視による受験競争の弊害が指摘され、2003年から、高考による選抜とは別に各大学が独自に選考できる制度が導入されました。自主募集と呼ばれ、各大学で作成した試験や面接などと高考を組み合わせて合格者を決めています。ただ、自主募集ができるのは、短大もあわせると2500校あるうちの上澄みの約80校だけ。さらにその大学内の合格者の5%にしかすぎませんから、全体から見れば高考で合格がほとんど決まるという構図は変わっていません。これ以外に推薦入学制度などもありますが、とても小さな規模にとどまっています。

ただ、一発型の統一試験ではない選抜方法の拡大を中国政府も考えていて、2010年からの10年間で改革を進めるという方針を示しています。徐々に変わっていくのではないでしょうか。

――省ごとに問題が異なり、合格者の定員も割り振られているのはなぜでしょうか?

地域間の公平性を図るという考え方があると思います。全国一律に学生を募集して点数だけで合否を決めるとなると、経済格差、教育格差が大きい内陸からは、都市部の有名大学にほとんど入れなくなるおそれがあります。そこで大学側が省ごとに合格者枠を設定することで、そういった地方からも北京大や清華大などトップ大学の入学者が出るように配慮しているのです。

その卒業生が故郷に帰って、地方政府で指導的地位についてもらえば、政権党である共産党にとってもやりやすい。こういった人材の割り振り方で国全体の安定をはかるという狙いも、この仕組みには含まれています。

東アジアの他の国や地域を見てみると、台湾は高校ごとの成績上位者をとるというやり方をして、結果的に地方出身の子たちをすくい上げていますし、韓国でも地域間格差に配慮した選抜方法が導入されています。日本ではこの点の取り組みはまったく遅れています。地域や家庭の経済力と進学状況との関係が話題となるように、もう少し日本全体で考えないといけない問題ではないかと思っています。  (聞き手 GLOBE記者 小山謙太郎)

南部広孝(なんぶ・ひろたか)

  1967年生まれ 京都大学大学院教育学研究科准教授(比較教育学)。中国を中心とした東アジアの高等教育制度を研究する。今年2月、『東アジアの大学・大学院入学者選抜制度の比較―中国・台湾・韓国・日本』(東信堂)を出版した。