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折々の記 2016 ④
【心に浮かぶよしなしごと】

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【 06 】05/04

  05 04 立憲主義を取り戻す時   座標軸 論説主幹 根本清樹
       東証続落、518円下げ 円高進行、東京106円台   急激な円高
       消費増税 賢者の提言、受け止めるべきは   波聞風問
       個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない   社説
       「緊急事態条項」の本質を考える   WEBRONZA
       「緊急事態条項」を徹底討論する   憲法に「緊急事態条項」は必要か

 05 04 (水) 立憲主義を取り戻す時     座標軸 論説主幹 根本清樹

朝日の方針にのか現憲法の捻じ曲げを許さないという姿を、新聞を目にしていてありありと読み取ることができます。 安倍の政権運営のやり方いかんによれば、日本をへし曲げてしまう、もっとしなやかさを持たなければならない。 嫋やかさと言ってもいいかもしれない。

日本文化を品格のないものにしてしまう。 根底においてはメルケルさんの忠告を反芻して考え直す度量がなくてはならない。



2016年5月3日 (座標軸)
立憲主義を取り戻す時
      論説主幹・根本清樹
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12339830.html

 喫茶店や居酒屋での勉強会はクイズから始まる。「国民は憲法を守らないといけない。○か×か?」。正解は×――。

 「明日の自由を守る若手弁護士の会」は、憲法を楽しく学ぶ催しを全国各地で続け、5月3日を前に「憲法カフェへようこそ」を出版した。なぜ×が正解なのか、新著に説明がある。

 法律は国民が守らなければならないが、憲法は違う。憲法は、国民が首相や大臣、国会議員などの為政者に守らせる約束事。作用する向きが正反対なのだ。

 憲法には政治権力がしていいこと、いけないことが書いてある。権力を憲法で縛り、暴走を防ぎ、国民の基本的人権を守る。こうした「立憲主義」の思想をもっと知ってほしい。若手弁護士の会の共同代表を務める黒澤いつきさんらは、そんな思いで活動を続ける。

 ■非立憲的な執政ぶり

 憲法が公布されて今年11月3日で70年。歳月は重ねたが、立憲主義が本来の機能を果たしているとは到底言えない現状である。「非立憲」的と形容するしかない安倍政権の執政ぶりが、憲法の掲げる「人類普遍の原理」を傷つけている。

 憲法の縛りを何とか解き放ちたい。この点で、政権の姿勢は一貫してきた。

 発足直後から憲法96条の改憲要件を緩めようと模索し、批判を浴びて引っ込めた。普通の法律改正より厳格な手続きが必要なのは、時の権力を拘束する立憲主義からすれば当然だろう。

 安保法制では強引さが際立った。(1)9条の下では集団的自衛権は行使できない(2)この解釈は時の政権が自由に変更できる性質のものでない(3)行使を認めるには条文を改正するほかない。こうして長年にわたり三重に施されてきた錠を、安倍政権は一挙に解いた。

 憲法にもとづく臨時国会召集の要求を拒む。一票の格差是正で最高裁の判断に従うのを渋る。言論の自由や批判の自由を軽んじる。「権力分立」も「人権保障」も、およそ憲法の縛りというものに頓着がない。

 そのような政権が、憲法に緊急事態条項を書き込むことに関心を寄せている。自民党の改憲草案によれば、内閣への権限の集中と、国民の人権の制限がセットである。縛りからの歯止めなき解放に至らないか、極めて危うい。

 ■民主主義に潜む危険

 衆院選でも参院選でも勝利し、国民に信任されたではないか。首相はそう自負しているのかも知れない。正当に多数を握ったのだから何でもできるという発想だとすれば、それこそ非立憲的というほかない。

 民主主義は優れた仕組みだが、多数派の専横に陥る危険も潜む。選挙が独裁者を生むこともある。立憲主義は民主主義にも疑いの目を向け、「数の論理」の横行や少数派の切り捨てに待ったをかける。その役割を忘れるわけにはいかない。

 首相はこの夏の参院選で改憲を訴えるという。立憲主義をさらに傷つけることを許すのか。立憲主義を取り戻し、立て直すのか。主権者である私たち国民が、答えを出すしかない。


2016年5月3日
東証続落、518円下げ 円高進行、東京106円台
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12339792.html

 週明け2日の東京株式市場は、日本銀行による追加金融緩和の見送りや米景気への先行き不安で円高が進んだことを受け、全面安となった。日経平均株価の終値は、前営業日(4月28日)より518円67銭安い1万6147円38銭で、5営業日続けて下落した。

 円高による輸出企業の採算悪化が意識され、自動車や電機などを中心に朝方から売り注文が殺到。日経平均は一時、前営業日の終値より690円超下がり、1万6000円を割った。東証1部上場の約90%の銘柄が値下がりした。28日に日銀が追加緩和を見送って以降、2営業日で計1143円超下落した。

 背景にあるのが、急速な円高の進行だ。日銀の追加緩和見送りに加え、28日に発表された米国の1~3月の実質国内総生産(GDP)が市場予想を下回り、早期の利上げ観測が遠のいたこともある。第一生命経済研究所の藤代宏一氏は「米景気の強さが失われつつあることが、円高ドル安の本質的な要因だろう」という。

 さらに、米政府が日本の為替政策を監視対象に含めたことも「円高を抑える為替介入が難しくなる」(アナリスト)とみられ、円高を招いた。2日の東京外国為替市場では、約1年半ぶりに1ドル=106円台まで円高に振れた。この1週間ほどで円高は対ドルで5円超進んだ。

 連休中は日本の市場参加者が減るため、短期的な利益を狙う投機筋の思惑で為替の値動きが一方向に振れやすくなる。「1ドル=103円ぐらいまで円高に振れるかもしれない」(SMBC日興証券の吉野豊氏)との見方もある。(神山純一)

【下平記】 米政府が日本の為替政策を監視対象に含めた これはどういうことを意味するのだろうか?


2016年5月3日 連載:波聞風問
消費増税 賢者の提言、受け止めるべきは
      編集委員 原真人
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12339794.html

 安倍晋三首相は、予定通り来年4月に消費税率を10%に引き上げるだろうか。増税の延期とセットで検討されるとみられていた夏の衆参同日選が見送られる方向になった。熊本地震への対応のためだという。では消費増税は?

 そこがはっきりしない。同日選がなくなっても、衆院の年内解散とセットで増税を延期する選択肢は残っている。

 安倍政権には2014年末に解散・総選挙と同時に消費増税を延期した過去がある。その時はまず本田悦朗内閣官房参与が延期を唱え、ノーベル経済学賞のクルーグマン氏を招いてお墨付きを得た。

 似たような光景が最近あった。本田氏が延期論をぶち、海外の著名な経済学者らを招いて「国際金融経済分析会合」を開いた。まるで前例にならって増税延期のお膳立てをするかのように。注文通りクルーグマン氏、スティグリッツ氏というノーベル賞学者の2人が延期論を唱えた。

 では、また延期なのか。話はそう単純でもない。招いた賢人らの意見が割れており、増税実施論も2人いたのだ。

 そのひとり、ジョルゲンソン米ハーバード大教授に、首相は実施論者と知りながら、あえて「消費増税についてどう思いますか?」と水を向けた。仮にこの会合が増税延期の布石だったとしたらそんな演出は必要なかったはずだ。

 ドタバタと開いた会合の出席者は主義主張で選抜したわけではなかった。わずかの謝金でこれだけビッグネームを集められたのは、たまたまこの時期に訪日する学者らを端からかき集めたからだ。

 今月下旬の伊勢志摩サミットは、減速する世界経済も大きなテーマだ。議長役の首相は賢者の意見を素直に聴きたかっただけかもしれない。

 ただ、増税延期の思惑がちらついた場面もあった。首相はクルーグマン氏に、こんな率直な質問もぶつけている。「私たちは累積債務を心配しています。それは(デフレと並ぶ)もう一つの不安の源です。どうすべきでしょうか」

 日本の借金依存度は先進国で最悪。それを改善するための消費増税を延期してしまえば、延期ショックで国債が売り浴びせられる可能性はゼロではない。首相もそこに不安を覚えているからこそ、賢人に意見を求めたのだろう。

 ちなみにクルーグマン、スティグリッツ両氏は消費増税に反対だが、増税すべてに反対ではない。彼らが求める財政出動には財源が必要で、例えば環境税や相続税、法人税の増税を推奨している。

 かたや、安倍政権のこの3年の財政拡張は借金頼みだった。それも、異次元緩和で日本銀行が国債を買いまくっているからこそ可能だった。だがもちろん、そんなことを永久に続けられはしない。

 あまり注目されなかったが両賢人は図らずも「金融政策が限界に近づいている」と同じ指摘をした。実は、首相が最も重く受け止めるべき提言はそこだったのではないか。

【下平記】 日本の借金依存度は先進国で最悪 これはどういうことを意味するのだろうか? 自分勝手な思惑によって憲法まで踏みにじってアメリカとの交渉をし、日銀の金融操作も自分勝手な思惑によって黒田氏に総裁を委嘱し、この責任をどうするつもりなのか。

姑息な施策と言われればそれは甘受しなければならないし、一切の責任を取るべき段階にきているように思う。


2016年5月3日 連載:社説
個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12339741.html

 「自由とはいったい何であろうか。一口にいえば自分の良心に従って生きることである」

 「私たちはどんな考えを持ってもよい」「どんな会合をやっても、どんな団体をつくっても自由である」

 これは、いまの憲法が施行された69年前のきょう、憲法普及会(芦田均会長)が全国の家庭向けに2千万部発行した小冊子「新しい憲法 明るい生活」が説明する「自由」だ。

 「長い間私たちには、その自由さえも制限されていた。私たちは何とかしてもっと自由がほしいと願っていた。いまその願いが果(はた)されたのである」。冊子には、戦時下の息苦しさからの解放感に満ちた言葉が並ぶ。

 国政の権威は国民に由来し、権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が受け取る――。憲法前文が明記するこの主権在民と代表民主制の原理は、フランス革命など近代の市民革命によって獲得された「人類普遍の原理」だ。

 70年近くがたち、新たな社会のしくみは戦後日本に定着した。ただ一方で、国家が個人の自由に枠をはめたり、特定の価値観を押しつけたりしようとする動きがちらつき始めた。

 ◆改憲のさきがけか

 10年前にさかのぼる。

 憲法と同じ年に施行され、「教育の憲法」と言われた教育基本法が、初めて、そして全文が改正された。「戦後レジームからの脱却」を掲げて政権についたばかりの安倍首相が、最重要課題としていた。

 「我が国と郷土を愛する」「公共の精神に基づき、社会の発展に寄与する」。改正法には、個人や他国の尊重に加え、こうした態度を養うという道徳規範が「教育の目標」として列挙された。教育行政と学校現場との関係にかかわる条文も改められ、「個」よりも「公」重視、行政を律する法から国民に指図する法へとその性格が変わった、といわれた。

 安倍首相は当時、教育基本法を改正しても「国家管理を強めることにはならない」と国会で答弁していた。ところが、下野をへて政権に復帰した安倍氏は、「改正教育基本法の精神」を前面に掲げ、新たな教育政策を次々と繰り出している。

 その最たるものが、教科書検定の新しいルールだ。改正法で新たに盛り込まれた「教育の目標」に照らし「重大な欠陥」があれば不合格にできる。政府見解がある事柄には、それに基づいた記述を求める。

 高校の教科書に初めて適用された今年の検定では、戦後補償や世論が割れる集団的自衛権の行使容認などで、政権の主張が反映された記述になった。

 また、文科相による国立大への「国旗・国歌」の要請は、学問の自由や大学の自治にかかわる問題だが、そのきっかけは「教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきだ」との首相の国会答弁だった。

 ◆前面にせり出す国家

 自民党が12年にまとめた憲法改正草案は、改正教育基本法のめざす方向と一致する。

 草案では国家が過剰なまでに前面にせり出す。後退するのは個人の自由や権利だ。

 草案前文の憲法制定の目的は「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」だ。現憲法の「自由の確保」や「不戦」とは様変わりだ。

 また、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と規定する。

 一方で、国民の自由や権利の行使には「常に公益及び公の秩序に反してはならない」(12条)との枠をはめている。

 「憲法は立憲主義だけでなく、国柄をきちんと反映したものにもしたい」(礒崎陽輔前首相補佐官)というのが党の考えだ。だが、たとえどんなに多くの人が「道徳的に正しい」と考える内容であっても、憲法によってすべての国民に強いるべきものではない。

 教育現場に詳しい広田照幸・日大教授は、政治の動きを踏まえて警鐘を鳴らす。「『こういう生き方をさせたい』という教育の場での政治的欲望が、こんどは憲法改正を通じて国民全体にふってくるかもしれない」

 ◆押しつけは筋違い

 個人あっての国家か、国家あっての個人か。安倍首相は、自著でこう述べている。

 「個人の自由を担保しているのは国家なのである。それらの機能が他国の支配によって停止させられれば、天賦の権利が制限されてしまうのは自明であろう」(『新しい国へ』)

 他国の攻撃から国民を守るのは国家の役割だ。かといって権力が理想とする国家像や生き方を、「国柄だから」と主権者に押しつけるのは筋が違う。

 それを許してしまえば、「普遍の原理」を社会に根付かせてきた歴史の歩みを、後戻りさせることになる。


2016年5月3日 WEBRONZA
「緊急事態条項」の本質を考える
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12339750.html

 非常時における政府の権限を定める「緊急事態条項」を憲法に盛り込むべきかどうか――。それが、改憲論議の焦点として浮上しています。

 「『緊急事態条項』を徹底討論する」(4月29日)で、憲法学者の木村草太氏は、自民党の憲法改正草案について「このままでは問題がありすぎ」るとした上で、人権を制限することに対する「歯止めの問題意識」が非常に弱いなどと厳しく批判します。

 これに対し、自民党憲法改正推進本部副本部長で参議院議員の礒崎陽輔氏は、草案は「あくまで『自民党としての目標』」としつつ、「緊急事態において『集会を禁止する』というような規定」もある他国の憲法と比べれば「はるかに抑制的な内容」だと反論しています。

 この対談では新たな試みにもチャレンジしました。新聞にはそのエッセンスを収録するとともに、長行の対談全文はWEBRONZAで、5月6日まで無料公開しています(http://t.asahi.com/jbv6別ウインドウで開きます)。


2016年04月29日 憲法に「緊急事態条項」は必要か
「緊急事態条項」を徹底討論する
      礒崎陽輔(自民党憲法改正推進本部副本部長) 対 木村草太(首都大学東京教授)
      http://webronza.asahi.com/politics/articles/2016041100003.html

 大規模な自然災害やテロなど、非常時における政府の権限を定める「緊急事態条項」を新たに憲法に盛り込むべきかどうかが、改憲論議の焦点として浮上している。

 安倍晋三首相はこの条項の新設に意欲的だが、「実態は『内閣独裁権条項』ではないか」など様々な批判も出ている。憲法改正草案にこの条項を盛り込んでいる自民党の憲法改正推進本部副本部長で参議院議員の礒崎陽輔氏と、憲法学者で首都大学東京教授の木村草太氏が徹底討論した。(司会は松本一弥・WEBRONZA編集長)


礒崎陽輔 1957年生まれ。東京大学法学部卒。旧自治省に入省後は静岡県市町村課長、堺市財政局長、内閣参事官、総務省国際室長などを経て、総務省大臣官房参事官を最後に退職。自民党では憲法改正草案の草案作りに携わってきた。前首相補佐官。主な著書に「国民保護法の読み方」(時事通信社)、「武力攻撃事態対処法の読み方」(ぎょうせい)などがある。



木村草太 1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て現職。主な著書に「平等なき平等条項論」(東京大学出版会)、「憲法の急所」(羽鳥書店)、「キヨミズ准教授の法学入門」(星海社新書)、「憲法の創造力」(NHK出版新書)、「テレビが伝えない憲法の話」(PHP新書)、「集団的自衛権はなぜ違憲なのか」(晶文社)などがある。


http://t.asahi.com/jbv6別ウインドウ
      http://webronza.asahi.com/politics/articles/2016041100003.html

§ 「問題がありすぎる」:「あくまで自民党としての目標だ」

――自民党憲法改正草案の第9章「緊急事態」(緊急事態の宣言)98条1項には、緊急事態の類型が三つ示されています。「我が国に対する外部からの武力攻撃」、「内乱等による社会秩序の混乱」、「地震等による大規模な自然災害」です。

 自民党では最近、「外部からの武力攻撃」や「内乱等」といった緊急事態全般から、特に大災害時の国会議員の任期延長問題を切り離し、「大規模な自然災害」に絞った緊急事態条項を協議して憲法改正の入り口にしようという動きが出ています。「衆院解散時に、南海トラフ地震や首都直下地震などが起きれば衆院小選挙区で多数の議員の選出が不可能になる」などという主張ですが、どう考えますか。

礒崎 最初に前提条件を申し上げたいのですが、自民党の憲法改正草案は「自民党が掲げる憲法改正の全体像がわからない」という御要望に応えて平成17(2005)年と24(2012)年に策定したものであり、あくまで「自民党としての目標」を示したものです。ですから、その中で具体的にどの部分を憲法改正手続きにのせるかということを、自民党として決めたことはありません。

 その上で、国会議員の任期についての御質問がありましたが、2011年の東日本大震災の年はたまたま国会議員の選挙はなかったのですが、地方選挙はたくさんありました。状況は市町村によって違いましたが「選挙をするような状況ではない」ということで、選挙を数カ月間延期せざるをえないということがありました。もしあの時、3月とか4月に国会議員の選挙があったとしたら大変なことになっていたわけです。

 地方公共団体の選挙は法律で決まっていますから、法律の例外は法律で規定できるのですが、国会議員の任期は憲法で決まっていますから、その例外はやはり憲法で規定しなければならないので、草案の中に国会議員の任期の延長ができるという特例を設けたのです(99条4項)。また、緊急事態の宣言が発せられている間は衆議院の解散はしないという規定も設けました(同)。


自民党の「日本国憲法改正草案」 第九章 緊急事態(緊急事態の宣言)



第98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。



2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。



3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。



4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。



99条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。



2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。



3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。



4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特定を設けることができる。


木村 自民党の提案の趣旨はわからないわけではないですが、具体的な条文の作り方についてはこのままでは問題がありすぎてかなり難しいと思います。

 最初に純粋に条文の読み方をまず教えていただきたいと思うんですが、改正草案の99条4項には「緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより(中略)両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる」と書かれています。これは、具体的にどういうふうに任期を延長するかについては、緊急事態が起きる前に作る法律であらかじめ調整しておく、という趣旨の規定なのでしょうか?

礒崎 先ほどもいいましたように、今これが自民党の案として確定しているわけではないのですが、意図しているところは、東日本大震災の時も市町村によって状況は様々だったわけですから、大枠のところはあらかじめ法律で定めることもできるかもしれませんが、国会議員の任期を具体的にどれぐらい延長するかといった細かなことは緊急事態になってから考えるという想定です。

木村 しかし、それこそ個別の事態に応じて、任期を3日延ばせばいいだけの時もあれば、半年延長しなければならない場合もあります。こういう規定を入れることはできると思いますし、入れておくという点についてはそれなりに合理的だとは私も思いますが、仮に入れたとしても、「任期を3カ月延ばせる」と書いたらその3カ月後にまた地震が起きるということが理論的にはありえます。こういうことを細かく書いていくと際限がなくなってしまう気がするわけです。

 そうすると、こういう細かい状況を書き入れなくても、今の「一票の格差」問題のように、違憲状態ではあるけれども選挙自体は無効とはいえないというような処理もできるはずで、こうした条項をあえて入れなくても処理ができる可能性もあると思いますが。自民党としては、これはやっぱりしっかりと入れた方がよかろうということなのですか?

礒崎 はい。衆議院議員の任期は4年、参議院議員は6年と憲法に規定しています。それを延長するには法律ではできないと考えています。

木村 任期を延ばす場合に、「議員が居座ってしまう」というような事態も想定されます。要は、権力を委ねたままにしておくような事態が起こらないような「歯止め」がどうしても必要だと思うのですが、これについてはどういう制度をお考えですか?

礒崎 そのへんは議論の余地があると思いますが、憲法改正と同時に緊急事態対処法のようなものを作ってその中で一定の歯止めをかけていくという方法もあるでしょうし、「いや、やはり法律ではだめだ」というのであれば憲法の中に歯止めを規定するという方法もあると思います。歯止めを置くことは差し支えありません。

木村 法律に全部丸投げしてしまうというのは私は危険で、憲法上の歯止めが必要だと思います。例えば裁判所がコントロールするというやり方もあってしかるべきだと思います。そういうことはまったく否定はしていないということでしょうか?

礒崎 先ほどもいいましたように、草案は、自民党の憲法改正案として確定しているわけではなく、あくまで自民党が野党時代に、もう4年も前に自民党の党内議論を経て作ったものです。個々の法制的な問題は今からみなさんの御指導をいただきながら、いくらでも、もっと良いものにするという作業は当然行っていった方がいいと思いますね。

木村 この問題でもう一つ指摘しておきたいのですが、議員の任期延長問題は「緊急事態の宣言」と連動をしている形になっているわけです。でも、緊急事態で選挙ができる、できないということと、この条項が想定しているような、例えば外部から武力攻撃を受けたとか、内乱等によって社会秩序が混乱したなどとして出されるいわゆる「緊急事態宣言」というのは、必ずしもリンクしない可能性もあると思っているんですね。

礒崎 ええ。それはおっしゃる通りです。

木村 なので、議員の任期問題自体を、別の「立て付け」というか、任期を書くところに「ただし書き」のような形でつけた方が、つまり問題ごとに区分けした方がいいのではないかという気がします。

礒崎 はい、そういうこともできるでしょうが、これはあくまで「(~が)できる」規定ですからね。緊急事態だったら衆議院は解散しない、というのはそう規定しましたが、国会議員の任期を延長する方はあくまで「できる」規定ですから、延ばしてもいいし、延ばさなくてもいい。その時の判断ということですね。

木村 それからこの緊急事態条項というのはどういうところから出て来たアイデアなのかということもうかがいたいんです。もともと問題はずっと認識されていたということなんですか?

礒崎 それは東日本大震災の時ですよね。市町村議会議員の選挙を延長しましたから。あの年はたまたま国会議員の選挙は衆参ともに予定されていなかったわけですが、先ほどもいったように、東日本大震災が3月11日に起きて、3月とか4月に国会議員の選挙があれば大変なことになっていました。選挙をやれるような状態であればいいのですけれども、やれないような状態だった場合にどうするのか。緊急事態条項は、外部からの武力攻撃も想定している条文ですから、「本当にその時に選挙をやれるのか」という話になります。まさに東日本大震災の経験から必要だと判断したものです。実際に市町村議会議員については、任期の延長を行ったということを御理解いただきたいのです。

§ 現行の法体制ではなぜ不十分だと考えるのか

――次に、東日本大震災のような大災害が将来起きたと仮定した場合、現行の法制ではなぜ不十分だと考えるのかという点を議論したいと思います。現状でも、例えば災害対策基本法では、首相が閣議にかけた上で「災害緊急事態」を布告すれば、「供給が特に不足している生活必需品の統制」などができます。緊急事態に対処するために新たな法律が必要となった場合は、内閣が国会を召集して法案を提出して国会が議決をすればいいし、衆議院が解散中だとしても、参議院の緊急集会が国会の権限を代行できます。

礒崎 現行の法体制だと何ができないかというのは、例えば今回の東日本大震災でも、国民保護法という法律はあったのですが、これは有事のときだけに適用されるのですね。「もしこの法律が東日本大震災でも適用できたらより良かった」といった意見がありました。それはどういうことかというと、例えば都道府県の区域を越えて避難する時に、都道府県知事の協力であるとか、市町村の協力であるとか、そんなことを国民保護法には全部規定しているのです。

 国民の協力は、国民保護法には5項目入っています。「住民の避難に関する平時の訓練への参加」(42条)、「避難住民の誘導への協力」(70条)、「救援への協力」(80条)、「消火、負傷者の搬送等への協力」(115条)、そして「保健衛生の確保への協力」(123条)です。

 「有事に『協力』を求める、というだけで本当に国民を守れるのか?」という議論もありましたが、国民保護法を作った当時は、現行憲法の下で有事の際に国民に指示をして何か具体的に仕事をしてもらうというのはやはり無理だろうと判断し、「国民の協力」にとどめました。

 その後東日本大震災を経験したこともあり、今回は本人を含めてまわりの国民を守るためにはやはり「一定の協力をしていただかなければならない」と考え、そのためにも、ぜひとも憲法上に根拠を置くことが必要だと判断して99条3項(「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」)を設けました。

 他国の憲法では例えば緊急事態において「集会を禁止する」というような規定もあるのですが、そんなことはまったく考えておりません。あくまで今いったように「避難をするので少し手伝って下さい」とか、「保健衛生上の処理を手伝って下さい」とか、そういう手伝いを、単に「協力」ではなく「お願いします。やって下さい」という形に置き換えたということなのです。またその場合であっても、憲法の人権の規定は最大限配慮しなければならない、という規定も置きました。

§ 「協力」と「指示」の違いについて

木村 「協力」と「指示」についてですが、指示については罰則等の強制力を伴うイメージをお持ちなのでしょうか?

礒崎 今までは国民に対して「指示」はできなかったですよね。現行法は従う義務のない、強制力のない「協力」にとどまっているので、罰則を設けようということではなく、それを従う義務のある「指示」にまで引き上げるということがポイントです。

木村 憲法上、どういう議論がなされてそうなったのですか?

礒崎 やはり「指示」といった場合、公権力が国民に対し、義務のないことを行わせるのは無理だという根本的な議論がありました。憲法上の根拠がなかったらそれは無理だろうという解釈をしたのです。

木村 指示をすることによって国民の自由権が制約されるわけですよね?

礒崎 そういうことになるのかもしれません。

木村 自由権の制約といっても、合理的な理由とか公共の福祉といった理由があれば自由権の制約も一定程度可能なわけですが、そのハードルを越えられないのではないかという議論があったということなのですか?

礒崎 そうですね、避難の指示であればその人そのものの法益を守るためですから、これはできるだろうと考えました。しかし、ほかの人の避難の誘導を援助するような公共的な話になってくると現行法制のままでは少し無理があると判断しました。

木村 ええ、現行法制のまま「指示」を入れようとすると、現行憲法18条の「意に反する苦役」の「苦役」にあたることになると思います。


現行憲法18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


 一定の場合の、いわば「労働強制」のようなものについてはこの憲法18条で絶対的に禁止されているので、それを解除するのがこの自民党憲法改正草案の99条3項の意図だということですか?

礒崎 法制的にはそういうことかもしれません。

木村 そういうことかもしれない……。義務を発生させるようなものを作りたいから、でも現行憲法では違憲になるということでこの条項が提案されたという理解でよろしいですね?

礒崎 それは、その通りです。

木村 少なくとも、現行憲法下のままで義務を発生させるようなものを新たに付け加えると違憲になるので、こうした改憲が提案されるという筋道に自民党は立っていると思うんですけれども、そうすると当然、特に現行憲法18条の「苦役を強制されない自由」というのは国民の重要な権利とされていますから、その例外を認める場合には、しっかりとした歯止めがかかるよう、やはりかなり明確に書かなければならないのだろうというふうに思います。

 その場合、どういう水準であれば「指示」を出すことが必要になるのですか? つまり、避難をするということがあったとしても、その避難に協力を求めるという時に、起きている事態によっては別にその協力がなくても大丈夫だという時にも無理やり協力させるという場合と、本当にその協力がないと人が多数死んでしまうという状況はだいぶ違うと思うのですが。

礒崎 はい。避難に限定する方がわかりやすいと思いますから避難のことを申し上げると、避難は大人数で行うのですが、避難には誘導が必要です。誘導といっても公務員の数は非常に限られており、公務員だけでは十分に誘導できないから、もう少し気の利いた人とか元気な人に誘導を手伝ってもらうということがあるわけです。

 その場合は義務を課すわけだから、避難の指示でそこまで命令するのは無理だろうと考えました。だから、あくまでそういう手伝いをしてもらうようなことに対して、国民保護法を作る時にやはり「国民の協力」でなければ難しいという判断をしました。しかし、そういう場合でも指示をして義務を課す方が、ひいては公共全体の利益になるのだという考え方に立って、指示できる仕組みが必要だという判断をしたのです。

木村 「誘導を手伝ってくれ」といわれれば、ボランティアで協力してくれる市民の方がふつうはけっこうたくさん出てくるわけで、そこに強制力、義務を伴う指示を入れなくてはいけないという理由がいま一つわからないんです。

礒崎 ふつうの災害であればそうかもしれませんが、国民保護法は武力攻撃事態を想定していますからね。自発的にやってくれるかどうかは、問題だと考えています。

木村 逆にいうと、自発的にはやってくれない状況の中で義務を課すというのは、これはどうなんでしょうか? 人権を制約するものとして人権上の問題は起きないのでしょうか?

礒崎 その場合は、先生が18条の「苦役」に当たるとおっしゃったので、それがもし「苦役」ということであれば、人権上は働く義務がないのに働いてもらうことになるので、憲法上の根拠が必要であると考えたのです。

木村 しかも自発的には協力できないということは、その方々が、それに協力することがかなり生命の危機に瀕するような状況に置かれるということが想定されますよね?

礒崎 危機に瀕することはさせてはならないと国民保護法にも規定しています。協力者の安全の確保をしなければいけないという規定がありますから、そこまでのことは考えていません。危ないことではないけれども、いわゆる公共全体のために国民に働いてもらうことは、現行憲法ではできないという判断をしたわけです。

§ 別の論点から考えるー裁判員制度

木村 ちょっと別の論点からアプローチしてみたいのです。いわゆる裁判員制度について、「あれも苦役じゃないか」という議論もあるわけですけれども、裁判員になってもらうという点で一定の労働を国民に強要してはいるわけですが、礒崎さんは、あの裁判員制度が合憲であるという理由はなぜだとお考えですか?

礒崎 それは私に聞かれてもわからないことですね。

木村 つまりですね。あの裁判員制度が合憲であれば、その程度の「指示」が違憲になるという理屈は成り立たないと思うんですけれども。

礒崎 裁判員制度は正当な理由があれば拒否できますよね。学生で勉強をしなければならないとか、公務員であるとか。

木村 ええ。でもたぶん今お話になっている「指示」もそうですよね?

礒崎 国会議員であるというのも拒否理由になるはずです。私は裁判員制度の専門家ではないですから、そこはよくわかりません。

木村 どうも、その現行憲法上問題があるようなことなのかどうかということについては、一般的な裁判所の判決などを見ていても、礒崎さんが御指摘になっている程度のことは、これはやはり法律でできるはずだと思うんですね。

礒崎 ちょっといつもと立場が逆のような気もしますけどね(苦笑)。私の説明が下手なのかもしれませんけれども、国民保護法を作る時に、そこは大議論したのです。やはり現行法下では国民に「指示」まではできないので、「協力」にとどめようということになりました。

 国民保護法の最初に「協力」に関する一般条項がありますが、それは民主党の修正意見を採用し、強制にあたることはあってはならないという趣旨を規定しました。「協力」にもかかわらず、そういう条文を後から挿入しました(「第4条 2 前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、その要請に当たって強制にわたることがあってはならない」)。そこは非常に気をつかった所なのです、やはり有事に関わることですからね。

§ 「歯止めがきかなくなる」VS「他国より抑制的だ」

木村 そうすると条文の作り方の問題がいろいろ出てきます。

 自民党憲法改正草案の99条3項の内容だけだと、指示を、強制力のあるものとして、人権を制約しても問題がないんだという条文の作り方になっているわけです。少なくとも憲法解釈の基本通りに読んでいくとそういうふうになっている。

 国民に指示をする場合には「この範囲にとどめなければいけない」というようなことをいろいろ書いておかないと、やはり警戒心ばかりが生まれてしまいますし、実際、99条3項はこのまま作ったらこれはやっぱり人権制限に歯止めがきかなくなる、ということは指摘しておきたいと思います。

礒崎 歯止めの問題ですね。それはありがたいご指摘だと思います。

木村 この緊急事態条項に限らず、ほかの条項でもそうなのですが、自民党改憲草案にはそうした歯止めの問題意識というものが非常に弱いというか、非常に不注意な感じがして、それゆえに誤解も生まれたり、あるいは無用な批判、あつれきも生まれていると思うんですけれども、こうした、歯止めをかけようという問題意識は草案を作る時にあまりなかったのですか?

礒崎 もちろんなかったわけではありません。他国の憲法を見ますと緊急事態において集会を禁止することができるというようなものもあります。そういうのと比べますと、はるかに抑制的な内容になっており、条文自体にも「指示」を行う場合であっても基本的人権を最大限尊重しなければならないことを規定しています。

§ 「法律の定める」という文言の真意は?

――自民党憲法改正草案は、条文を読むと「法律の定める(ところにより)」という文言が非常に多いですね。98、99条の中だけで8カ所あります。つまりかなりの部分が「法律の定める」という文言、法律への委任に依拠していて、とはいえその法律の原案、全体像は示されていません。そのあたりのこともあって憲法学者などの批判を招いているのではないでしょうか?

礒崎 今二つのことを指摘されました。自民党憲法改正草案の98条、99条を通じて「法律の定める」という文言が多すぎるというご指摘については、憲法改正に賛成する学者からも頂いておりますから、それは確かに御指摘を踏まえて考え直さなければならないと思っています。

 もう一点、法律の中身を示さなければならないというのは、これまで申し上げている通り、今のものはあくまで憲法改正草案であって自民党の大きな目標を示したものにすぎません。「これを今から国会に提出する」といっている段階ならそういうご指摘も受けてしかるべきだと思いますが、今の段階で法律の全体像が見えないという言い方は、それはちょっとないだろうと思います。

 「法律の定める(ところにより)」というのは、これから作る法律で何でも自由に規定するという意味ではなくて、その法律で具体的に規定するからそこは限定的なのである、という意味で規定したものです。制約をかけるつもりで法律委任を規定したのですが、そうは意味が取りにくいというご指摘もあるものですから、少し考え直したいと思います。

木村 礒崎さんが考えるようなそうした意図があまり伝わっていない、ということなんですか?

礒崎 そうですね。だからおっしゃっていることはよくわかりますので、もう少し限定的に書いた方がいいというのは、大事なご示唆だと思いますので、それは考えていきたいと思います。

木村 繰り返しになりますが、99条3項で想定しているのは、大幅な人権制約というよりは避難の指示とか、協力の指示といったような程度のことなのだということですか?

礒崎 そうです。緊急時の仕事を手伝ってもらうようなイメージを持っています。

木村 それは今の松本さんの指摘ともかかわるかと思うんですが、「こういうことをやるんだ」という細かいことを具体的に定めた法律の提案を示して、それが現行憲法では違憲になるからこういう新たな憲法案で正当化するんだ、という順番で示していただいた方が、おそらくは警戒心というか、余計な論点を生まないと思います。

礒崎 ですから、現実の憲法改正手続きに入ったのであればそうさせていただきます。もう一度申し上げますが、何を憲法改正するかということは自民党としてはまだ何も決めていないのであって、今の自民党の憲法改正草案というのは憲法改正案ではありません。これを正式な憲法改正案にする時には、今御指摘いただいたことを踏まえたいと思います。

§ 「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定できる」とは

木村 次に、99条の「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」という内容についてですが、これは条文の読み方自体がよくわからないところがあります。まず論理的にどういうことをいっているのかがよくわからない。これは、法律の委任に基づいて、その範囲で政令が制定できるという意味なんですか?

礒崎 ここは、誤解が多い部分ですね。まず、現行法制から説明しますと、このような法律と同一の効力を有する政令のことを「緊急政令」と呼んでいます。現在、緊急政令は、災害対策基本法、国民保護法、新型インフルエンザ等対策特別措置法の中に全部で5条あります。緊急政令については、国会の閉会中、法律の定める特定の項目について法律と同一の効力等を有する政令を制定することができる、ということがすでに現行法に規定されています。

 現行法でもできることだから憲法に新たな条文は要らないのではないかという議論ももちろんありますが、法律の要件が少し違ってくるのと、なるべく憲法上に根拠があった方がいいのではないかということで規定を置きました。

 これでもちろん何でもできるわけではなくて、特定のもの、今だいたい二つありまして、一つはモラトリアム、一時的に借金を返さなくて済むようにする措置と、外国からの援助の受け入れに伴う特例措置、この二つがだいたい定番ですが、そのほかに物価の統制というものがあります。こうしたものは、特例措置を実施するために、緊急事態が発生した後に法律を作っていると間に合わないので、その場合は政令で暫定的な定めをすることができるという仕組みをとっているのです。

 ただし、現行法は国会の閉会中に限るという前提があります。もちろん国会が開かれたら直ちにそれらを国会で承認してもらわなければなりません。承認を得られた後、法律上の手続きが必要であり、それが完了すれば直ちに政令は失効するということになっています。この「法律の定めるところによる」というのがちょっと規定がおおざっぱであるので、「法律で定める事項について」といった書きぶりの方がいいのかなと考えています。

木村 そうですよね。あと、「法律と同一の効力」というのも、今ご指摘いただいたいのは全部がいわゆる講学上の「委任命令」というもので、法律の枠内で政府に委任をしているという枠になっています。それ自体が「法律と同一の効力」を有するというふうには説明されないものだと思うのです。あくまで委任を受けて、その範囲で政令を制定するというものなのですから。

 そこが今の自民党改正草案の条文の書き方だと、「同一の効力」ですから、「政令だけでこれまであった法律をすべて改正できる」、つまり「委任命令」ではなく「独立命令」の権限を与えている、というふうに読めてしまうんですね。

 そういう意図はないのだということは今の説明でわかったのですが、「と同一の効力を有する」というのはそういう意味にとられるので、やはり法律の定める事項について、法律の定める範囲で緊急の対応を定めることができる、とすべきです。そういう趣旨のことを入れたいと考えておられるのですよね?

§ 「法律事項」という概念

礒崎 趣旨はそうですが、行政の立場からは、「法律事項」という概念があって、国民の権利を制限し、義務を課すことは、これは法律事項だから、法律事項を定めるのは法律でなければ当然ならないという前提があります。それを政令で定めるから「緊急政令」と呼ぶのであって、こういう表現がいいかどうは別にしても、国民の権利を制限し、義務を課す場合には、もちろん法律の委任する特定の事項に限られますが、それはふつうの「委任政令」とは異なると考えています。それは、特別な政令だから、「緊急政令」と呼ばれており、現行法制ではわずか5条しか認められていないのです。

木村 礒崎さんは、現行法の緊急政令は委任命令とはまったく違うものだと考えていらっしゃるようですが、それは誤解かと思います。現行法に定められている緊急政令は、法律による委任の範囲内にあり、かつ、委任の条件も明確なので「委任命令の一種」として説明されています。そうでないと、現行法の緊急政令は、国会を唯一の立法機関とする41条の趣旨に反する白紙委任として、違憲となってしまいます。

 「法律事項は法律で定めなければならない」というのはもちろん定義上そうなのですが、その細目については、明確な条件をつけた上で、法律が政令に委任できるとされています。現在存在している委任命令は、そうした条件を満たしているから合憲と理解されているのです。

 これに対して、「法律と同一の効力を有する」という文言にしてしまうと、政令はまさに法律と同じなのですから、政令によって法律が定めていた委任の条件も変えられる、法律の委任の範囲を超えて政令を定められるようになるというように読めてしまいます。これは独立命令で、しかも法律を変える効力を持つものを定めたものと理解されますから、非常に不注意でまずい表現だと思います。

礒崎 表現については、従来、緊急政令というのはそういうふうに定義しているのです。法律と同一の効力を有するとは、法律事項を定める政令であるという意味です。それはギリギリ違憲ではない。なぜかというと、国会閉会中に限り、緊急性を要するものとしてあらかじめ法律の委任がある事項に限られるからです。加えて、「直ちに国会を召集して承認を得なければならない」という暫定性を有しており、その手続き全体をセットにして「違憲ではない」という解釈をしているわけです。

 ただギリギリセーフではありますが、やはり憲法上の根拠があった方がいいと考えているわけです。憲法上の疑義をなくすというのも大事なことだと思っています。

木村 この点は自民党にもっと強調してほしいんですけれども、この99条の政令というのは、法律に書いてあること、要するに法律事項を何でもかんでも決めるものではないということですね?

礒崎 はい。限定的かつ暫定的な政令でなければなりません。

木村 今ある緊急政令のような制度に根拠を与える。そしてそれに歯止めをかけて限定するという趣旨で作っている、と。

礒崎 おっしゃる通りです。

木村 その趣旨であるにもかかわらず、条文だけを読むと、非常に危険な条項に見えてしまうというのが私の見方です。だからこの「同一の効力を有する」ということは非常に慎重に使っていただきたい言葉だということは指摘しておきたいと思います。

礒崎 はい、わかりました。

§ 「内閣総理大臣は財政上必要な支出を行う」とは

木村 次に、やはり99条の「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い」という部分ですが、これは予算の裏づけがない支出ができるということなのでしょうか?

礒崎 一般にこういう大災害が起きた時は予備費を使うことになります。それでふつうは事足りるのですが、予備費といっても当然予算の範囲がありますから、今は4千億円ぐらいだったでしょうか、その限度があります。仮にその予備費の限度を超えるような支出が必要な場合には補正予算を組まなければなりませんから、その補正予算を組むゆとりがない時ということも考えてこういう規定を設けたのです。

木村 そうすると結局これは、法律という形なのか予算という法形式なのかはともかくとして、「上限はこの範囲で支出できる」というような法律を作ったり、予算を予備費の特別項目で作ったり、そういうことをあらかじめやっておくという前提なのですね?

礒崎 ええ。法律に支出できる金額の上限を規定するというようなことではなくて、緊急事態においてこういう経費であれば予算がなくても執行できるというものを新しく作る緊急事態対処法に規定することを想定しています。

§「権限が集中しすぎているのではないか」

木村 しかしその額がないというのは、歯止めとしては非常に心配だと思うんです。通常の予備費では足りないような予算が必要になる可能性があるのであれば、むしろ災害用の予算費というのをきちんと毎年積んでおけばいいと思うんですが、そういう技術的な対応よりも自民党改憲草案に盛り込まれているような対応の方がいいということですか?

礒崎 はい。だから今いったように予備費は4千億円ぐらいあるのですが、それを超えて経費が必要になる場合も当然あると考えているのです。

木村 その判断を一内閣、首相限りでできるということになっていますよね。

礒崎 はい、支出の権限は、「内閣総理大臣」にあると規定しています。

木村 支出といっても、要するに自分で予算を決めて、自分で支出できるということですね。

礒崎 はい、そうです。

木村 これはやはり「権限が集中しすぎている」と批判されても仕方がないのではないかと思うんですけれども。

礒崎 だから、それを「法律の定めるところにより」と規定し、法律で限定することを考えているのです。

木村 じゃあ例えば額ではないとしたら、どんな限定の仕方があるのでしょうか?

礒崎 こういうことに支出できるという「費目」でしょうね。

木村 それだとやっぱりあらかじめ通常の予算で予備費を積んでおけばよい話のように思えるんですけれども。やはりここも非常に不注意な点ではないかと思います。

礒崎 いいえ、予備費といってもそれは金額に限度があります。また、歳入がなければ歳出は組めません。仮に予備費を1兆円も2兆円も組めば、全体の予算が圧迫されます。

木村 しかしこの条項に基づいて1兆円、2兆円出した場合も同じことが起きるのではないですか?

礒崎 いいえ、その時はおそらく国債を発行するのだと考えます。

木村 それを首相限りの判断に任せても問題はない、ということですか?

礒崎 確かに緊急事態における権限は首相限りではありますが、先ほどいったように法律でいろいろと限定することになります。

木村 法律に費目を定めておくということですか?

礒崎 はい。それはいろんなことを規定することが考えられます。支出について国会に直ちに報告しなければならないと規定することもあり得るでしょう。

§ 公平性を担保する工夫は?

木村 この手の問題の場合、「法律の定めるところにより」だけだと、法律でかなり柔軟な規定もできてしまうというところが問題だと思うのです。とりわけ災害時の緊急支出のような場合には、支出の公平性の担保というのがいつも非常に問題になると思うんです。その担保をするために、やはり国会を開いて予算を決めるのだという説明をされるのだと思うんですが。

 ところで公平性の担保という点についてはどういう工夫が必要だと思われますか?

礒崎 ふつうはですね、先ほどの緊急政令も同じですけれども、できるだけ早く国会を召集してその承認を求めなければならないのです。それは、当然のことです。

 例えば予備費をすでに大災害で1回使ってしまって、その時に武力攻撃が来たらもう予備費がないという場合もあり得るわけです。

 そこはとりあえず総理大臣の判断で支出をしておいて、直ちに国会を召集する。そんなに長い期間緊急事態が続くわけではありません。98条3項で「百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようというときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない」と規定し、緊急事態宣言の期間というのも憲法上決まっているわけです。

木村 この規定については、例えば過去の災害時に、この規定があればよかったというような議論があるのですか?

礒崎 今のところは予備費で足りなかったということはないと思います。

木村 じゃあそういう意味では、あまり切迫性のある条項ではないということですね?

礒崎 はい。ただ武力攻撃事態まで考えますと、先ほどいったように、大地震が起きた後、日本が弱っているからその年の内に日本を攻撃してやろうという国が出て来た場合には「もう予備費は使ってしまった」ということはあり得るのです。

木村 あくまで抽象的に考えれば、そういうことはありうる、という前提ですね?

礒崎 これは現実にあり得ることですよ。

木村 過去の反省というよりは、抽象的に必要だという、そういう意味だということですか?

礒崎 過去にそういう事態があったという意味ではありません。

§ 「内閣総理大臣は地方公共団体の長に必要な指示ができる」

木村 99条1項の「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方公共団体の長に対して必要な指示をすることができる」についてですが、やはりこの場合の指示ということの内容が問題だと思うのです。

 こういう条文を見て、憲法学者が思い出すのは、例えばワイマール憲法の緊急事態条項で、プロイセン政府を大統領が罷免(ひめん)したといったことまで思い浮かべるわけですけれども、ここでの指示というのは、はたしてどういうふうに限定をするおつもりなのか、あるいはどういう指示を出すことを想定されているのでしょうか?

礒崎 これも国民保護法の策定の時に大議論しました。その結果、国民保護法の中に地方公共団体の長への指示というのをいくつか規定しました。これを規定しないときちんとした法律ができないと考え、国民に対するものは「国民の協力」にしましたが、すべての地方公共団体の長が武力攻撃事態において国の方針通りにきちんと動いてくれるとは限りませんから、地方公共団体の長への指示を規定することとしたのです。

 現行法には、国民保護法以外にも指示があるものはありますが、やはり憲法上の根拠をきちんと置いた方がいいということで規定しました。どのように限定するのかというご質問ですが、繰り返しになりますけれど、「法律の定めるところにより」という文言は、限定の意味で規定しているのです。国民保護法や災害対策基本法においてあらかじめ規定された場合に限って指示できる、という前提でこういう条文案を作ったのです。

§ 法律と憲法は違う

木村 法律に「できる」規定を入れるということと、憲法に「できる」規定を入れるということは、やはり意味合いが違っています。憲法に「できる」規定を入れてしまうと、憲法の他の条文の例外をここで認めるという構造になるからです。

 例えば地方自治の本旨という規定ですとか、あるいは先ほどもいった国民の人権の条項について、そうした条文を根拠に例外が許される、自治や人権を制約できるという意味になってしまいます。今おっしゃったような趣旨なのであれば、憲法に書かずに、現行憲法の範囲で指示をしているというふうにした方が歯止めがかかるという見方もできると思うんですよね。

礒崎 そういう意見もあると思います。

木村 ここはやはり現行法制ではできないことがある、だからこの条文を入れようというような趣旨の話ではなくて、地方公共団体の長への指示については、あくまで根拠があった方がいいという話で出て来たということですか?

礒崎 そうです。

木村 そうすると、今お話をうかがってきた時に、憲法の条文にあえて入れないといけないというのはどうも国民への指示ぐらいのところで、あとは現行法に根拠を与えるというのが基本的な問題意識だったと理解してよろしいですか?

礒崎 国民の指示については、ご指摘の通りです。

木村 99条については、現行法を非常に大きく変えるというところまでは想定して議論した……。

礒崎 緊急政令は現行法にもあるから現行憲法でもできるのではないかという意見もあると思いますが、やはり憲法上に根拠があった方がいいと思います。三権分立は大事ですから、法律事項を政令で決めるという場合には憲法上の根拠があった方が適切だと思います。それから、地方公共団体の長に対する指示というのは、緊急政令に比べればそれほど強い法制上の緊急性はないのかもしれません。

木村 緊急政令については憲法上かなり危なっかしいことはやっているという自覚はある、と。

礒崎 例えば緊急政令については憲法上の規定を置いたら、緊急事態以外の事態では緊急政令は使えなくなると思います。緊急政令についてはそれでいいと思っています。

木村 えっ、憲法に項目を書いてしまうということですか?

礒崎 自民党憲法改正草案のように99条1項を置けば、緊急事態以外の事態では緊急政令は制定できないという法制になるのだと考えています。

木村 なるほど。緊急事態の宣言ができている時以外は、緊急政令は使わせないという限定の意味はあるんだということなんですね。

礒崎 はい、そういうことになると思います。

木村 やはりお話をうかがっていて、お考えになっていることと、条文に表現されていること、条文の文言との間がだいぶ乖離(かいり)がある印象はあるので、そのあたりは先ほどからいっているように無駄な論点が生まれてしまっているという気がしますね。ですからそのあたりの情報発信をもっとしっかりしていっていただいた方が、議論が有益になるんじゃないかと思います。

礒崎 自民党憲法改正草案はあくまで自民党の国会議員の議論により基本的に作っていったものです。もちろん法制的なことを無視して作ったわけではありませんが、具体的な憲法改正案として法制化をする時には、今御指導いただいたところを踏まえて、もう少しわかりやすいようにしていかなければならないと思います。

§ 「何でも『緊急事態』ということになりかねない」

木村 98条の「緊急事態の宣言」についてですが、「武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害」といった具合に「等」がたくさん書いてあって、さらに「その他の法律で定める緊急事態」とまでありますから、緊急事態については法律の定義に丸投げしているようなところがあります。やはりここはもっと限定をかけていただかないと、何でもかんでも「緊急事態だ」ということになりかねません。これはあえてゆるやかにしたいからこうしているわけではない、ということですか?

礒崎 ここの点が評判が悪いことは認識しています。いろいろな緊急事態があるので、すべてを書き切るのは難しいと考え、一部法律委任の規定を置いたのです。ここは、憲法上に限定列挙できるようなことを研究、工夫してみたいと思います。

木村 それから、これもよく指摘されることですが、現行憲法には内閣の国会召集権というのがあって、いつでも国会は召集できる。また、参議院の緊急集会があって、衆議院の解散中であれば緊急集会の開催を求めることができるということになっているので、緊急事態が起きて法律上の対応が必要な時は、基本的には国会に諮(はか)ればよいという法制、憲法上のシステムになっていると思うんです。

 でも、この緊急事態の宣言について、例えば韓国だと「国会の召集が不可能になった場合にのみ」という法制にもなっているわけですが、自民党改正草案で緊急事態が宣言されるのは、国会の召集はできるんだけれどあえて緊急宣言ができるというような仕組みにするのか、それとも国会がもう動かない、そういう非常に例外的な状況を想定して使うのか、礒崎さんとしてはどちらに考えているのか聞いてみたいのですが。

礒崎 そこははっきりいって完全には想定できていません。国会召集にもやはり一定の時間はかかります。閣議決定をして召集を決め、実際に集まるまでには時間がかかります。緊急事態の最初の2、3日が非常に大事な場合もあります。

 国会が召集されて、法案を作って審議するにも最低でも各院1日2日はいくらなんでもかかるので、その間はやはり緊急事態宣言は意味があると思いますね。

木村 お話をうかがっていると、国会が有効に機能し始めて以降は特に必要がない、必要性は高くない、それが礒崎さんのお考えかと思うんですけれども。

礒崎 それはそういうことですが、国会が召集されたからといって緊急事態に直ちに対応できない場合もあると考えます。

木村 あくまで国会が対応を取れない時に、緊急的に取る措置を決めるためにそういう条項を設けるのだという理解、少なくとも礒崎さんが考えておられる方向はそういう方向だということですね?

礒崎 はい、その通りですが、緊急事態というのは国会との関係だけではなく、地方公共団体の長への指示とか、国民への指示とかいった規定も有効にするものですから、国会が召集されたとしても緊急事態宣言が有効な部分はあると考えます。

木村 わかります。つまりやっぱり項目ごとに要件が違うんだろうと思うんですね。自治体への指示ということについては、国会との関係とは違う話だから、国会召集の可否とは関係なくできたほうがいいということもあるでしょうし。まあ現に現行法はそういうふうになっているんですけれども、それとは別に法律事項についての決定は原則として法律で決めなくてはいけない……。

礒崎 そうですね。

木村 とはいえ、いまの状況だと、やはり非常事態宣言の効果が非常におおざっぱだということはありますね。宣言がされると何でもできるようになってしまう。自民党憲法改正草案は、国会が開いている間でも法律事項を政令で決定できたりするような仕組みになってしまっているので、やはり項目をきちんと分けて、区分けして議論をしなくてはいけないのではないか、という指摘をさせていただきます。

礒崎 ご意見は承ります。

§ 恐慌やハイパーインフレなどの経済事案は?

――今度は大災害以外のケースについての質問です。例えば戦争ですとかテロ以外に、恐慌、ハイパーインフレといった、いわゆる経済的な事案で非常に大規模な破綻(はたん)が起きたという場合に、この緊急事態条項は適用されるのでしょうか? 適用の範囲は具体的にどのように考えているのでしょうか。

礒崎 戦争やテロは当然入ってきますが、経済だけの事態というのは緊急事態条項の射程の範囲ではないと思います。だから恐慌やハイパーインフレの場合は入りません。

木村 98条の条文に「社会秩序の混乱」という文言が入っているからいろいろな疑念を生むのです。

礒崎 その前に「内乱等」とありますが、「等」は内乱に相当するものですから、この場合の「等」は大規模テロを指します。

木村 ただ、文言は「大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」ですから、「その他」にいろいろ入れられてしまうのではないかという疑念ですね。

礒崎 「その他」の法律委任の規定の評判がよくないのはわかっていますから、先ほどいいましたように少し限定的になるように考えていきたいと思っています。

§ 立憲主義の根幹にかかわるのではないか

――条文の細かい点もさることながら、国家緊急権というのは、権力の暴走を防ぐために権力者の手足を縛っていた「拘束衣」である憲法の秩序(権力分立・人権保障)を、一時的にせよ「緊急事態だ」という理屈で停止するという考え方です。それを憲法に新たに盛り込もうとするのは、立憲主義の根幹にかかわる重大なことであるがゆえに、慎重な議論が必要だとは考えませんか?

礒崎 最初にいいましたように、国家緊急権というのはほかの国の多くの憲法にすでにあるものです。それはなぜかというとまさに緊急事態だからです。なぜ緊急事態だとそれが許されるかというと、緊急事態においては国民の生命、身体、財産が危険にさらされるからです。国家としてはそれらを守ることが最大の責務ですから、その時には一時的に憲法の三権分立などを部分的に停止することが認められるのだと考えます。

 立法権が一時的に少し小さくなって、その分、行政権が大きくなるということであって、人権の制限ということはまったく考えていませんが、三権分立が少しゆがんだ形にはなるのは事実です。ただそれは今申し上げた理由で認められる。まさに緊急事態という特殊な状況のもとで、暫定的に、限定的に認められるということだと思います。

――木村さんはWEBRONZAに寄稿された論考で改正草案を批判していますが(「緊急事態条項の実態は『内閣独裁権条項』である」)、どうお考えですか。

§ http://webronza.asahi.com/politics/articles/2016030100008.html

木村 例えばアメリカの場合は、大統領が国会召集権を持っていないので、緊急時には連邦議会を召集できるとなっていますが、これは日本では緊急でなくてもできる話です。ドイツの場合はそもそも連邦制なので、一時的に連邦議会の方に権限を集めなければいけないことがあるために緊急事態条項があるといった具合で、いちがいに外国と比較することはできないと思います。

 また、そもそも現行の日本の憲法にも、衆議院が解散中でも参議院の緊急集会が国会の権限を代行できる(憲法54条2項)とか、内閣は国会を召集できる(憲法53条)とかいった規定があり、これらも緊急事態条項といえばそう呼べるので、日本国憲法に緊急事態条項がないということではないと思います。

§ 「提案をする際はぜひ慎重に」

――緊急事態条項が、自民党の草案に書かれているような形で憲法に新たに盛り込まれたと仮定して、東日本大震災のような大災害がもし将来起きたとしたら本当にうまく機能するのか?という点について話し合いたいと思います。

 まず最初に一点うかがっておきたいのですが、東日本大震災の時の自治体関係者ですとか、あるいは学者の方も含めて、防災に関わる実務担当者の方から「自民党憲法改正草案のような緊急事態条項を憲法に盛り込んでほしい」という具体的な要請が政府や自民党の方に実際に届いている、ということはあるのでしょうか?

礒崎 具体的な要請については私が窓口ではありませんからそれが来ているかどうかはわかりません。しかし、例えば地方議員の選挙も実際に延長したわけですし、国会議員の選挙があったら本当に大変なことになっていましたから、そういう意味で「緊急事態において国会議員の任期の延長は必要ではないですか」という意見は来ています。「法制の整備はきちんとして緊急事態に備えてほしい」という一般的な意見はあるのではないでしょうか。

木村 これもよくいわれることですが、東日本大震災の時に、別に当時の自民党も、当時の民主党の菅首相に「独裁権を与えろ」という主張は全然していなかったわけですし、その点はやはり強調しておきたいですね。

 この自民党改憲草案は全部そうなのですが、書かれている条項はどれも非常にどぎつい内容なんです。

 だから、メディアの方から「自民党改正草案についてどう考えますか?」と聞かれたら「この条文の通りだとまずいと思います」と答えるしかありません。しかし、実際に例えば礒崎さんとお話すると、「そういう条項ではないんです、そんなつもりはないんです」と説明されることが非常に多いわけですね。今提案されていることは、基本的には現行法を根拠づけるという範囲の中で考えておられるのだ、と。だからやはりこういう提案をされる時にはぜひ慎重になっていただきたいと何度も申し上げておきたいと思います。

§ 被災者支援で大事なことは何か

――緊急事態条項についての議論で言及されることが多いのが東日本大震災の例です。原発事故や大津波など「想定外の事態」にうろたえた政府や行政、電力会社などが迅速・的確な対応をとれず、多くの国民が混乱の中に取り残されたからでしょう。とはいえ、だからといってあの時、「国家に様々な権限を集中させていれば困難な事態を乗り越えられた」かどうかはまた別の話です。「緊急事態一般」をめぐる言葉のイメージにあおられることのない、しっかりしたファクトに基づく冷静な議論が必要ですが、その際、何より重要なのは過去の失敗の検証だと考えます。

 その意味でも、現場で被災者救済に取り組んでこられた方々の体験に謙虚に耳を傾けることが非常に大事だと思いますが、そんなお一人に、阪神淡路大震災で神戸の事務所が全壊して以来、災害問題に取り組んでこられた方に永井幸寿さんという弁護士がおられます。東日本大震災では日弁連の災害対策副本部長として実際に被災者支援法をつくり、4万件もの法律相談にのってこられた方です。

 その永井さんは、「災害における被災者支援活動において、国と自治体との役割分担を考えた場合、国にではなく、被災者に一番近い自治体、つまり市町村に主導的な権限を与えることが必要」だと指摘しています。

 なぜなら、市町村は日頃から地域に密着しているので、迅速に被災地の情報が入りやすく、個々の被災者に対して迅速・柔軟で最も効果的な支援活動を行うことができ、これに対して、国には情報が迅速に入らないだけでなく、画一性や公平性が要請されるからだといいます(「憲法に緊急事態条項は必要か」、岩波ブックレットなど)。被災者救済に関わってこられたほかの弁護士さんたちも同様のことを訴えておられますが、こうした指摘をどう考えますか。

礒崎 いろいろ御意見はあるとは思いますが、憲法が直接災害対策に使われるということではありません。先ほどいいましたように、緊急政令ができれば、その中で例えば外国から救援を受け入れる際の円滑化を図るとか、「国民の協力」というところを国民への指示にして国民が一緒になってがんばれるような円滑な体制を作るとか、そういうことができるようになるわけです。現実に憲法改正手続きが始まれば、もう少し条文を具体化してなぜこういう条文が必要か、個々のことも示していきたいと思います。

――「憲法が災害対策に直接使われるわけではない」というお話ですが、とはいえ自民党自身が「東日本大震災における政府の対応の反省も踏まえて緊急事態に対処するための仕組みを憲法上明確に規定しました」として、現実の大災害の話とつなげて緊急事態条項の必要性を説いていますね。

木村 弁護士さんですから、今の自民党の条文を見たらほとんどの法律家は「まずい」というだろうと思います。それは条文が、礒崎さんが考えておられるような内容には必ずしもなっていないからです。ですから弁護士さんが警戒心を示すのはよくわかるところです。

 ただそれとは別に、やはり大災害の対応ということであれば、まさに憲法だけでなく、法律とか避難訓練とかいろいろなことを同時に考えなければならないわけです。そのあたりのことは自民党もきちんと対処しなければいけないという問題意識があるわけですよね?

礒崎 もちろんそうです。憲法はもちろん大事です。大枠を決めるのが憲法でして、その中でいろいろな法律、個別の法律が機能するのであって、個別の法律が機能しやすいようにこういう憲法の改正を提案しているわけです。そして、具体の法律を通じていろいろな災害対策が機能するのだと考えています。

§ 国民の順守義務を考える

――次に、99条3項の、国等の指示に対する国民の順守義務(「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」)と、自民党が新たに盛り込もうと考えている「憲法尊重擁護義務」の102条について考えたいと思います。


憲法尊重擁護義務 102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。 2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。


 現行の国民保護法には、国民には協力を求めるという形で規定されているわけですが、この自民党憲法改正草案の条文の内容がこのままの形で改正されたとすると、今度は国民には新たに「国その他公の機関」からの指示に従わなければならないという義務が課せられることになります。また、改正された憲法については緊急事態条項だけでなく、改正憲法全体についても「尊重擁護義務」が課せられることになってきます。

 そうなると、国民が国家に対して注文をつけるという今の憲法のあり方が事実上逆立ちしてしまい、国民は国家から、「緊急事態条項を含む新たな改正憲法全体に従わなければならない」という突きつけられ方をするのではないかと思いますが、この点をどうお考えですか。

礒崎 立憲主義をどう考えるかについても、学説にはずいぶん違うものがあります。この間、自民党で講演した憲法の先生は、国家の存立を守ることも立憲主義の内容には含まれているという御説でした。そういう学説もあるので、そういう観点から考えれば、国民の生命、身体及び財産を守らなければならない緊急事態において、国民に協力を求めなければならないような部分について指示をすることも可能とすることは、立憲主義にまったく反することはないと考えています。憲法観がまったく違う方とは議論がかみ合わないと思います。

――木村さんはいかがですか。

木村 そうですね。まあ、国家を守るといっても、結局のところ、究極的には人権を守るのだということですよね?

礒崎 ええ、もちろんそうです。

木村 ですから別にそこは大きな憲法観の対立はないというふうに理解をするほうが適切だと思うんですけれども。

礒崎 そういっていただくとありがたいですね。

木村 つまり、人権を守るために一定程度調整が必要な場面は、別にこの緊急事態条項があろうがなかろうが存在するわけで、実際のところ法律にも緊急事態に限らずいろいろな条項がありますから、国民に対する指示というのがどういう範囲で行われて、どういう歯止めがかかっているのか、それが納得できるようなものなのかというところが大事なんだと思うんです。

 それがいまのような抽象的な書き方ですと、法律で定めれば国の都合に合わせて人権がいくらでも制限できるのではないかという警戒心が生まれてしまいます。ですから従わなければならない範囲がどういう範囲なのかということはより明確にしていく必要があります。

 これだけ非常にあいまいな規定を憲法の中に入れれば濫用される恐れはいくらでもあるので、やはり「立憲主義に反する」、あるいは「国民だけでなく国家を守ることができない」という評価をされてもやむをえないということだと思います。

礒崎 これも付け加えますと、条文の「国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して」というのは最初の条文にはなくて、「やはりもう少し限定した方がいい」という意見があり、後から挿入した部分なのです。それでずいぶん限定的な規定になったと考えていますが、党内で少し議論をしてみたいと思います。

§ 「多くの法律家は『このままではまずい』と考える」

――自民党の草案に対してはこれまで挙げた以外にも様々な批判が出ています。木村さん、改めていかがですか。

木村 私がいっているのは、今、自民党が示されている条文だけですと非常にあいまい、かつゆるやかな手続きですし、緊急事態宣言中にできるとされることについてはほとんど歯止めがかかっていないように読めるということです。ですからこの緊急事態条項の条文を憲法に入れることは危険だし、おそらく多くの法律家が、弁護士の方も含めて「このままではまずい」と考えるのはやむをえないことです。

 ただ今回、礒崎さんと議論をしていて、懸念される部分についてはそれなりに議論が進んだと思うのです。つまりこれは私がこの条文から自然に読み取れるようなものではなくて、礒崎さんとしては現行法のいろんなイメージがあって、それを根拠づけたり、制限づけたりするという趣旨で作ろうとしているんだということですから。

 そういうふうにおっしゃるのであれば、やはりこの緊急事態条項を本当に提案される時には、これまで何度も指摘をさせていただいたように、きちんとした限定をかける形で、多くの法律家が「これなら納得がいく」という形で出していただく必要があるだろうと思います。

礒崎 それは異議ありません。自民党の憲法改正草案は、自民党の国会議員が議論して作ったものであり、国会議員というのは法律家ではないし、法制のプロでもありませんからね。そのへんはまさに法律の専門家の先生方、法制の専門家の役人、こうしたみなさんの意見を聞いて、より明確で限定的なものにしていくというのは、当然のことだと思います。何度もいいますが、この草案のまま憲法改正案にするという気持ちはまったくありません。より良いものにしていきたいと思います。

§ 「選挙の勝ち負けと「草案が支持された/されない」は違う

――ただあえて指摘をしたいと思いますが、礒崎さんが話されたような考えの方向にこの草案が本当に行くのかどうか、自民党の中にもいろいろな考えの方がいらっしゃるわけですから、その点は依然として私は疑問符をつけさせていただきたいと思います。国民の前に示されているのはこの草案だけで、我々は現時点でこの草案しか判断する根拠がないわけですから。

礒崎 何度もいいますが、自民党が仮に緊急事態条項を提案するとなると、党内でももう一回大議論をしなければなりません。与党内でも大議論になります。そしてまた野党からも、今ご指摘いただいたような点を含めてたくさん意見が出てくると思います。憲法改正というのは、まさに国民の、より多くの人の意見を集約するのが仕事です。自民党の案があるからこれでやろうかということでは全然なくて、みなさんの意見で作っていくものなのです。そうして段階を踏みながら憲法改正案というのはだんだん作られていくものです。

 この草案については、かばんの中には入れてはおきますけど、これをこのままおもてに出してどうだという気はまったくありません。

木村 ですからこの案を示して、例えば自民党が選挙で勝った、負けたということは、この草案が支持された、されないということとは違うんだという理解でよろしいですね?

礒崎 ええ。それは何度もいいますように、この草案を憲法改正手続きに持っていこうという気持ちはまったくありません。また、この草案は憲法の全部改正案であり、繰り返しになりますがその中のどの部分を実際に改正するかについても自民党は一切決めておりません。まあ、緊急事態条項はたしかに非常に有力な条文だと思っているぐらいの話であります。そこのところはくれぐれも間違いのないようにお願いしたいと思います。

木村 今の草案というのは、これは公約やマニフェストといった文書よりは、かなり内部的なもの、私的なものだというレベルとしてとらえておいた方がいいものだということですか?

礒崎 憲法改正は自民党の党是であるということは変わりませんけれども、草案は私たちのおおまかな意味での目標ではありますが、個々の改正案がどうこうということは自民党で一切決めたことではありません。ただし、草案は自民党が公表したものである以上、内容についてご批判いただくのはまったく結構なことであります。

木村 今うかがったような認識というのは、自民党議員の方はみなさんそう思っていらっしゃるということなんですか? 礒崎さんはそうおっしゃいますけれども、安倍総裁まで含めて、自民党議員の基本的な認識だと理解していいのでしょうか。

礒崎 この草案は自民党が野党時代に作った文書です。当時でもこのままだったら国会を通らないわけでして、ふつうの議員立法でも与野党で真剣に議論してどんどん中身は変わるのです。実際に憲法改正案として提案する時はもっと違うバージョンのものが出てくると思います。

§ ワイマール憲法など過去の「負の歴史」から何を学ぶか

――英国の歴史家E・H・カーは「歴史とは何か」の中で、歴史とは「現在と過去との間の尽きぬことを知らぬ対話」だと述べましたが、過去の歴史をどうとらえ、向き合っておられるかをうかがっておきたいたいと思います。特にここでは第一次大戦に敗れたドイツが1919年に制定したワイマール憲法がたどった道について取り上げたいと思います。

 当時最も民主的といわれたこのワイマール憲法を使ってナチス政権は合法的に独裁権を取得していきましたが、その際、共産党の躍進を「脅威」と考えた当時の保守派や経済界の思惑に後押しされたことに加えて、ワイマール憲法48条に国家緊急権(大統領緊急令)の規定があったことが契機になったといわれています。

 公共の安全や秩序に重大な障害が生じる恐れがある時は、大統領が緊急命令を発布できるとするワイマール憲法が濫用され、経済的な混乱の解決などにも拡大解釈されて適用された結果、憲法は形だけのものとなり、ヒトラーは「全権委任法」とも呼ばれる授権法を手に入れて、ナチス独裁への道を開くことになりました。

 憲法改正作業の中で、自民党はこうしたドイツの「負の歴史」とどう向き合われたのだろうかという点と、「負の歴史」があるがゆえにドイツ基本法には「権限の集中の度合いに厳密な歯止めをかけた」と指摘されている、戦後ドイツの真摯な取り組みから何を学ばれたかという点をうかがいたいと思います。

礒崎 御指摘は基本的にその通りだと思います。ワイマール憲法には緊急権があって、たしかにこれが後に野党の弾圧等に利用されたという部分がありますし、だからこれは反省しなくてはなりません。

 ただ一方で、授権法というのは、これはナチスというひどい政党が政権を取ってから制定したものであり、法律に反する憲法は無効だという無茶苦茶な法律を作って憲法をないがしろにしてしまったという歴史ですから、授権法の話とワイマール憲法の話は直接関係はないということは御理解いただきたいと思います。

 ドイツはそういう歴史を経ていますから憲法をとても大切にしていますが、憲法改正はしばしば行われています。ただそのドイツでさえも国軍を設置する憲法改正については、大議論の末ではありますけれど、実施しているのです。そういうこともぜひとも指摘をしておきたいと思います。

 もちろん戦前ドイツに起きたようなことは二度と起きてはならないし、民主主義は我が国の憲法において一番大切な価値であり、国民主権というのも一番大切な価値ですから、それはいささかも揺らいではいけませんし、また平和主義も大切であり、基本的人権の尊重も含め、そういう日本国憲法の三大原則というようなものは絶対的に守らなければならないものですから、これにいささかでも動揺を与えるようなことはしてはならないというのは当然のことです。

§ 解散権のありようは問題ないか

木村 ドイツのワイマール憲法をめぐる負の歴史という点からすると、礒崎さんもおっしゃったように、まず緊急事態条項についての反省は必要だと思います。ただそれだけではない反省もいろいろ必要です。

 ドイツの基本法には日本から見てもいろいろおもしろい規定が盛り込まれていると思うので、ぜひこれはご意見をうかがいたいなと思いますが、例えばドイツの場合は自由な解散権という考え方が否定されていて、内閣不信任決議が通った時だけ解散できるわけです。そうしないと与党が有利なタイミングを選んで解散するという悪しき慣行ができてしまうからだという考え方があるのです。

 しかし最近の解散の仕方については、安倍さんの解散にも批判がありましたし、民主党の野田さんの解散についてもそうでしたが、このあたりについてはどうお考えですか。礒崎さんは参議院議員ですから解散とは少し距離を置いて眺めておられるとは思いますが、現在の解散権のありようについて問題がないと考えておられるのですか。

礒崎 首相の判断に基づいて行う「7条解散」というのは憲法に明文の規定がないわけでして、天皇陛下の国事行為である解散が、実質的には内閣総理大臣が決定できるという仕組みですから、議論はあると思います。

 何も大義名分がない時に解散していいのかとか、あるいは内閣不信任案が可決されないのに解散していいのかという議論はあるし、それは私も考えるべきだと思いますけども、ただすでに戦後70年この憲法を使ってきてずっと「7条解散」を行ってきたわけですね。そういう意味で、憲法慣例はできているのだと思います。

 だからそれを現実政治の中で「いや、7条解散はだめだ」ということをどう決めるかというのはなかなか難しい。そこは、今のところは内閣総理大臣の判断ということではないでしょうか。一般的に政治論として申し上げれば、解散には大義名分が必要だということはいえるのだとは思います。

木村 なるほど。ちょっと面白い現象だなと思ったのは、自民党の憲法改正草案では第53条の「内閣は、臨時国会の召集を決定することができる」というところで、「いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があったときは、要求があった日から二十日以内に臨時国家が召集されなければならない」と書いていますね。

 現実には昨年の11月に野党から臨時国会を開いてほしいという請求があって、結局その国会本体は開かれないまま通常国会が来てしまったというような現状を見ていると、この「20日以内」という規定を自分たちで草案では提案しておきながら、実際には召集しなかった。いっていることとやっていることが違うという印象を受けるのですが、これについてはどうお考えですか?

礒崎 それは、憲法改正草案はあくまで憲法改正草案ですから。共産党もそういう指摘をしてきましたけどね。草案にそう規定してはいますが、では野党は憲法改正に賛成するのですかということになります。今の憲法53条に臨時国会の召集期限が規定していないのは憲法の欠陥であると自民党ははっきりいっていますので、そこは憲法改正の時に賛成が得られれば改正したいと思っています。しかし、現行憲法は現行憲法の解釈によるわけですから、憲法改正がないのに憲法改正をしたと同じようなことをすべきであるというのは、論理的には少し飛躍があると思っています。

木村 20日以内に召集をした方が好ましかったとは思っているのですか?

礒崎 いいえ、それは現行憲法の解釈が前提になりますから、期限の定めがない以上、いつまでに召集しなければならないということはないと思います。

木村 今ご指摘がありましたように、共産党もそれを指摘してきたというのはとても面白い論点だと思うんです。緊急事態条項よりもこの53条の条項の方が理解が得られるかもしれないという考えはないのですか?

礒崎 さきほど申したように、自民党としてどこを改正するかということは決めていません。ただいわゆる政治性のないもので改正したい点はいくつかあります。例えば内閣総理大臣の臨時代理について、小渕総理が倒れた時に、臨時代理の憲法上の根拠がないので困りました。そのような所はいくつかあります。その中の一つに今の臨時国会の召集期限の問題があると思いますから、そういうところで合意ができれば私はいいのではないかと思っています。

木村 つまりワイマール憲法の反省というのは必ずしも緊急事態条項に限定されるわけではなくて、例えば議会手続きの有効なコントロールといったものも、ドイツの憲法はワイマール憲法の反省として出て来ているわけですね。ヒトラーが政権を取ったり、あるいは破壊的に不信任決議を繰り返したりといったような事柄というのは必ずしも緊急事態条項とは関係なく行われているので、やはりワイマール憲法の反省というのはより広くとらえるべきであろうということは指摘させていただきます。

礒崎 はい、異議ありません。

§ 内閣独裁の恐れも VS 「9条改正は終わっていない」

――憲法改正の進め方についてもうかがいたいと思います。政府与党や自民党の動きをみていますと、最初は憲法改正の国会発議要件を3分の2から過半数の賛成にする96条改正を唱えられたわけですが、これに対し「裏口入学だ」などの批判が上がり、世論が反発すると、今度は「憲法解釈を変える」という話になって安保関連法制を成立させた。

 次に「同意できる条項から改正しよう」ということから、緊急事態、環境権、財政規律の3条項の「お試し改憲」案が浮上し、現時点ではこのうち緊急事態条項がクローズアップされているという流れだと思います。

 この緊急事態条項をめぐっては、当面は「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱」といった部分を切り離し、各党の賛同が比較的得られやすいとみられている、大災害時の国会議員の任期延長に特化する形で憲法改正に臨み、後から、激論になることも予想される内乱等も含めたフルスペックの緊急事態全般に内容を広げる改正をしようとしているのではないかとの臆測も呼んでいます。つまり、後からなし崩し的に「内閣独裁」への道を開こうとしているのではないだろうかという懸念です。

 そうした懸念も指摘されていることもあり、仮にこの条項を新設するのであれば、裁判所等による監視の仕組みも同時に導入しなければ、「緊急事態への対応」に名を借りた「内閣独裁」になりかねない、憲法改正に着手するというのであれば、この条項を入り口にするのではなく、9条改正を正面に掲げて正々堂々と国民に問うべきだという批判にはどう答えますか。

礒崎 緊急事態には期間の制限があるので、独裁につながるという批判は当たらないと考えます。9条改正について、そういうご意見があることは承知しています。また、憲法解釈の変更というのは、これは裁判所法にも規定された法的手続きなのです。それは実質的に解釈の変更が憲法の許容する範囲であるかどうかの議論であって、その範囲に収まる憲法解釈の変更は憲法に反するものではありません。

 正々堂々とやるべきではないかというご意見については、憲法解釈の変更で済む話は憲法解釈の変更で対処しても問題がないと考えますが、9条については、安保法制が成立して9条改正が終わったというわけではありません。自衛隊についてはシビリアンコントロール(文民統制)の規定がないわけですから、名称の如何(いかん)は別にして、自衛隊というものを憲法上にきちんと位置づけ、それに対するシビリアンコントロールの規定を設けることは、私はむしろ平和主義に資するものだと考えています。

 一方で憲法改正というのは、その発議に衆議院、参議院のそれぞれ3分の2の勢力の賛成が要るわけですから、これは容易なことではありません。自民党だけが「ここを改正したい」といっても、合意が得られません。

 私はもう2年前から「憲法改正は参議院選挙後」といっているのでありますが、野党も入れた上で、私は野党第一党の民進党にも入っていただきたいと思っていますが、「憲法改正をしてもいい」という衆参3分の2の固まりを作らなければなりません。具体的な内容は、その人たちがみんなテーブルについて「ではどの部分の憲法改正をしますか」という話に進むのだと思います。

 緊急事態条項についてもいろいろご指摘がありましたけど、憲法のどこを改正するかということは自民党は一切決めておりません。どの部分を憲法改正するかということはまさにその3分の2の枠組み、憲法改正勢力の枠組みができたところで私は考えるものだと思います。

 自民党の中には憲法改正事項を自民党が先に絞った方がいいという意見もありますが、私はそれには与(くみ)しません。あくまで憲法改正を目指す大同団結をして、集まったその勢力の中で「具体的にどこをどういうふうに改正していくか」という議論を一から行うべきだと考えています。そこのところはぜひ御理解いただきたいと思います。

§ 9条改正の争点整理

木村 9条の問題についてはここで議論をするというのではなくて、争点だけは整理してみたいなと思うんです。まず自民党、与党が、あるいは安倍政権も、集団的自衛権の行使の全面容認はしないんだということをかなり早い段階で打ち出していたと思いますが、それはやはり9条の武力行使の禁止、あるいは戦力の不保持という大原則があるので、全面的な行使はできないんだろうと。これはたぶん多くの人と合意している事柄だと思うので、それはそういう理解でよろしいですか?

礒崎 いいと思います。

木村 武力行使は原則的に9条があるからできないんだけれども、例えば13条のような国民の生命などを守る義務というのが日本政府にはあるから、個別的自衛権は合憲だ。これはこれまでの政府解釈ですよね。

現行憲法13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 で、13条で基礎づけられるのは、個別的自衛権よりももうちょっと先の範囲も含まれるんじゃないか。それは集団的自衛権で根拠づけられるものなんだけれども、というような解釈の変更を行ったのであって、今争われているのは、全面的に集団的自衛権が合憲かどうかではなくて、13条でどこまで基礎づけられるかという点について、従来の政府解釈を支持する人と、今回の政府解釈との間に対立がある。私はこう理解しているんですが。

礒崎 ええ、そういっていただくと、ある意味ありがたいと思います。砂川判決がいったのは、「自衛のための措置」は国家固有の権能であるということであり、この点を私たちは重要視しています。従来の昭和47年の政府解釈では、「自衛のための措置」の範囲は個別的自衛権に限られるとたしかに解釈していたのですが、国際情勢の変化も伴って、従来は認められていなかった集団的自衛権のごく一部に、我が国の存立を脅かす明白な危険があるような限定的な状況のもとでは、国際法上の集団的自衛権ではあるけれども、「自衛のための措置」といえるものがあるのではないかということなのです。

木村 これは日本を自衛するための措置として、あくまで正当化するということなんですか? 日本を自衛するための措置として、ということですね?

礒崎 そういうことです。

木村 だから昨年9月に成立した安保法制で認められた集団的自衛権は、その自衛のための措置、あるいは13条に基づいた国民の保護義務の範囲になると私は理解しています。その範囲についての争いであったということですね?

礒崎 そういっていただいていいと思います。

木村 最近のメディアでは、つまり「集団的自衛権は合憲だ」といっている人の中には、集団的自衛権を行使してはいけないとは憲法に書いてないのだからいくらでもやっていいんだ、「大は小を兼ねる」なんだから今回の安保法制は当然合憲だというふうにとられる方もいるのですが、そういう論理で正当化しているわけではないということですよね?

礒崎 もちろん、そうではありません。

木村 やはりそういう人たちが安倍政権の応援をどんどんしたりするので、政権の立場が過大に見えてしまう面はあると思うんですけど、争点は実は自衛の措置の範囲、あるいは国民の保護義務の範囲ということなんだ、ということですよね?

礒崎 その通りです。

木村 そこから先、私と礒崎さんは意見が違うんですけれども、そこが焦点なんだということは確認したかった点です。

礒崎 ありがとうございます。

§ 自衛の措置をめぐる二つの系列の議論

木村 次に9条改正ということになると、今度は日本の自衛の措置としては説明できない武力行使をどの範囲でやるのかという論点と、あとは今礒崎さんがおっしゃった自衛隊に対するコントロールを具体的にどうするのか、という二つの系列の議論があると思うのです。

 安倍首相もずっと、湾岸戦争やイラク戦争のような戦争に日本の自衛隊が米軍と一緒に空爆しに行くようなことはないんだとおっしゃっていますけれど、そういうことをするための、いわば集団的自衛権の全面解禁のための憲法改正というようなことについては、これは自民党内でもそういうことをやろうといっている人はあまり多くないように見えるんですけれども、そのあたりはそう理解していいのでしょうか?

礒崎 多くないといっていいと思います。ただ私が自民党改憲草案の「Q&A」を書いた時の考え方として、あまり自衛権を憲法で縛るのはどうかという問題意識を持っていました。自衛権の中身は、今回もそうでしたけど、国際情勢の変化によって変わるものです。一応憲法上自衛権はあることにしておいて、具体的に自衛権でどこまでできるかということは法律で縛るのでいいのではないかという感じは持っています。そんな感じを持ってはいますけれども、安倍総理の考え方では、今回の集団的自衛権の限定容認を超えるものを認めるには憲法改正が必要ですから、その時はやはり大議論をしなくてはなりませんね。そこから先どうするかということは、現在自民党として決めているわけではありません。

木村 これからは他国防衛のための全面的な武力行使というものを広範囲にやっていくんだということを、少なくとも強い方針として打ち出すつもりは今のところないということですか?

礒崎 今のところはありません。そんなことを自民党で決めたことはありません。

木村 ないということですね?

礒崎 はい。

木村 礒崎さんとしてはむしろ、9条改正をするのであれば、自衛隊に対するコントロール、憲法上によるコントロールを適切に与えようという方向の改正をまずは考えているということですか?

礒崎 9条改正で残された課題の焦点は、むしろそこにあると私は思っています。

木村 そこに焦点があるということですね?

礒崎 はい。

木村 礒崎さんが9条改正についてはそういうお考えだということがわかりました。憲法改正の進め方について一点気になるのは、これは非常に技術的な話といえば技術的な話なんですが、ふつうの法制であれば、内閣法制局とか、衆参の法制局が法制チェックをしていくという段階を踏んだり、あるいは審議会の意見を聞いたりというような過程があると思うんです。憲法改正の時には、そうした法制チェックのようなものをどうやってやっていこうとしているのですか?

礒崎 自民党の草案を作る時にも議院法制局のチェックはきちんと受けています。今、主に衆参両院の法制局を入れて自民党の草案を作らせていますし、今後、新たなバージョンを作るにあたってもそういうところからのチェックはずっと入っていくと思います。

木村 ずっとやっていくのだろうということですね?

礒崎 付き添っていくと思います。

木村 専門家の問題についていいますと、昨年6月4日の衆院憲法調査会で、自民党が推薦した長谷部恭男さんなど参考人の憲法学者3人が安保関連法案は「憲法違反」だと指摘した「長谷部事件」というのがあったわけです。

 今、例えば緊急事態条項について意見を聞こうとして憲法学者を呼ぶとなると、この前のことを繰り返さないようにと自民党が考えて、「合憲」といってくれる極めて数少ない人の中から推薦しなければならない形になってしまうのではないかという心配が私にはあるんです。緊急事態条項に関して有権者の意見を聞くという手続きを踏んでいくことについて、礒崎さんはどのようにお考えになっていますか?

礒崎 それはいろいろな人の意見を聞く、もちろん反対意見も聞いていいと思います。

木村 何かをやる時は、法制局チェックもするし、有識権者の意見も聞くという段階を踏んでいかないといけない。

礒崎 そうでしょうね。先ほどもいったように、憲法改正というのは、最終的には野党も入ってきます。与党だけではできませんからね。野党が入ってくれば、当然、野党側に近い学識経験者の意見を聞く機会も出てくると思いますから、いろいろな人の意見を聞くことになります。国民的合意ができなければ憲法改正はできません。だから与党が押し切るような話は、憲法改正に限っては絶対にありえないことだと私は思っています。

§ 法的安定性について

――最後に「法的安定性」についてうかがいます。

 礒崎さんは昨年7月、大分市での国政報告会で次のように語って批判を浴び、陳謝されるということがありました。「政府はずっと、必要最小限度という基準で自衛権を見てきた、時代が変わったから、集団的自衛権でも我が国を守るためのものだったら良いんじゃないかと(政府は〕提案している。考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない。我が国を守るために必要なことを、日本国憲法がダメだということはありえない」。

 法的安定性とは、憲法や法律の解釈が時の権力者によってみだりに変更されないことによって社会が安定するということで、法治国家として、民主国家としての基本中の基本ですが、今改めて法的安定性についてどう考えておられますか?

礒崎 地元の支援者に対する講演だったので非常にラフな言い方をしてしまいました。その分はすでに国会でも取り消させていただいたので、それを正当化するつもりはありません。ただその時には、その発言の前段で、「我が国の自衛権の行使は必要最小限でなければならない」という憲法解釈は戦後一貫していて、今回の平和安全法制にいたるまで変わっていませんという話をずっとしていたのです。

 しかし、その必要最小限度が何かということは国際情勢の変化によって変わるものですから、その部分は「直接的には法的安定性には関係ない」といえばよかったのです。もう少し限定的にていねいにいえばよかったのだと反省しています。ただし、もちろん、自衛権に関する憲法解釈の法的安定性全体を否定したものでもありませんし、今回の政府の解釈は法的安定性を保っているものだと考えていますので、そういう理解をしていただきたいと思います。

木村 法的安定性については、先ほどの論点がありますけれども、今回の政府解釈については、政府解釈よりもかなり進んだというか、極端な立場で政府解釈を正当化される方がかなりいらっしゃるわけですね。

礒崎 そうですね。

木村 まさに書いてないから何でもやっていいというような意見です。でも礒崎さんはそうではなくて、かなり限定をされているんだという考え方をされているので、そこはやっぱり分けるべきだと思うんですよね。私も自衛隊は合憲だと考えている立場なので、自衛隊違憲論からの安保法制違憲論とは私の立場はかなり違うわけです。そういう意味で、礒崎さんと私は、その両極の方々との距離からすれば、かなり近いところで議論をしているとは思っているのです。

 その上で、もちろんご自身が取り消されたように不注意なご発言だとは私も思いましたけれども、礒崎さんは今回の政府解釈はあれで法的安定性は保たれている、解釈としては整合しているということですし、私は踏み越えている部分があるという感じを持っていますが、その争点自体をまずはっきり理解してほしいということですね。

 つまり「日本の自衛のため」、あるいは「憲法13条で規定された国民の自由や生命を保護する義務の範囲がどの範囲なのか」というところが争点なのだ、その範囲で議論をするんだという点においては従来と変わっていない、だから法的安定性は保たれていると礒崎先生はおっしゃいますし、私はその範囲で議論をしたとしても踏み越えているのではないかという議論をしています。そうした枠組み自体がよく理解されないまま議論をしても混乱を生むだけですから、結論においてどちらの立場をとるにせよ、やはりその論点をまずは把握してほしいと思います。

§ 「憲法はこうあるべきだ」を一言で表現すると

――今の草案で自民党が一番表したかった考え方、自民党として「憲法はこうあるべきだ」という考え方を端的に表現するとどうなるでしょうか?

礒崎 一言でいえると思いますが、自民党は綱領の中で自助、共助、公助ということを掲げていますから、やはりそういう国柄を表すものでなければならないと思って草案を作っています。

 憲法というのは、立憲主義がもちろん一番大切なわけですけれども、立憲主義だけではないのだと思いますので、国柄をきちんと反映したものにもしたいのです。自民党以外の方からすると非常に保守的に聞こえるかもしれませんが、私たちはそういう日本人の心とか、日本の伝統とか、そういうものを大切にすることが必要であると考えています。

――木村さんにも同じ質問をします。憲法に求めるものを一言でいうとしたらどうなりますか。

木村 基本的人権を尊重し、権力をきちんと分立し、権力が濫用されることのないようにすることだと思います。その点は礒崎さんとここまでお話させていただいて、基本的なところは一致をしている、ということはいっていいと思います。ただし自民党の草案というのは非常に不注意なこともたくさん書いてあるので……。

礒崎 (笑)

木村 その点については指摘をしたいですし。あとは私としても今日話した事以外の論点でいろいろ指摘したいこと、批判したいことはたくさんあります。ただ大事なのは、やはり合意できることもたくさんあるということで。

礒崎 そうですね。

木村 それを少しずつ詰めていくということも大事なんじゃないかと思います。これまで礒崎さんが説明されたことというのは、この自民党改憲草案の条文を素直に適用した場合よりはだいぶ限定的なことを考えておられるようなのですね。おそらく三権分立とか基本的人権の尊重といった、立憲主義の基本を踏まえたことは考えておられるのだろうというふうには思います。

 ただそれがうまく条文に表現できていないという点については、私は非常に残念だと思いますし、そのあたりはやはりもっときちんと発信していかないと。この条文をふつうに読めば「独裁条項を作るものだ」という批判は当然出て来ますから。今後はより精密な提案にして進めていただかないと、無駄な議論が増えていくのではないかという気がします。

礒崎 まさにいい御指摘をいただいていますので、頑張っていきたいと思います。この憲法改正草案を金科玉条と考えているわけではありませんから、どんどん勉強して改善していかなければならないと考えています。

(撮影:吉永考宏)


 05 01 (日)      




      
      



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