折々の記へ
折々の記 2016 ④
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】04/17~     【 02 】04/25~     【 03 】04/27~
【 04 】05/01~     【 05 】05/02~     【 06 】05/04~
【 07 】05/05~     【 08 】05/05~     【 09 】05/07~

【 09 】05/07

  05 07 高齢化時代の生きる道   シンガポール前首相
       米大統領選 トランプという新標準   (私の視点)より
       人道の守護者、今も響く訴え   (風 アイルランドから)
  05 07 「認知症」という海   朝日新聞 GLOBE

 05 07 (土) 高齢化時代の生きる道     シンガポール前首相

私たちは彼の幅広いものの考え方を見習わなくてはならない。 その考えは日本にとっても基本的に大事な考え方であり、その計画の準備計画を立てるべきでしょう。

50年後を想定して体系を立てなくてはならない。 一口に百年の体系という。

幕末から明治の初めにかけての青年たちの進取の気性は、青年なるが故の計画とその実行にあった。 彼らの全体の空気は剛にして直そのものであった。 私は、明治の特色として彼らの剛直さに敬意をささげる。

戦前の空気を知るものとして、その剛直さを受け伝えなくてはならない。



2016年5月7日 (インタビュー)13面オピニオン
高齢化時代の生きる道
      高齢化時代の生きる道
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12343935.html

 アジアが急速に老いている。日本の15~64歳の生産年齢人口は2013年の推計で32年ぶりに8千万人台を割り込んだ。中国でも14年にマイナスに転じ、今年は台湾、来年はタイと韓国と、アジアの各地域で働き手が減り始める。高齢化問題に直面しながら、高成長を実現してきたシンガポールのゴー・チョクトン前首相に聞いた。

 ――シンガポールでも、少子高齢化が進み、労働力不足が問題になりつつありますね。

 「その通りです。その問題を解消するため、シンガポールは現在62歳の退職年齢を2017年に67歳に引き上げます。男性に加え、すでに多くの若い女性が働いていますが、中高年の女性にはまだ就業を促す余地があります。同時に、技術の導入や働き方を改めることで生産性を高めることも必要です。たとえば、レストランでは多くの人が働いていますが、1人でこなせる仕事を何人もかけてやっている。生産性を改善する余地は大きいと思います。ただ、そもそも人口が増えなければ持続可能な解決策にはなりません」

 ――人口を増やすには、1人の女性が生涯に産む子どもの数を示す「合計特殊出生率」がカギを握ると言われます。日本はいまは1・4程度で、シンガポールの出生率も1・2程度と同様に低い水準です。どう対処していますか。

 「単に『子供を持とう』と言っているだけでは出生率は高まりません。独身女性は結婚したくないわけではありませんが、男性と同じくらい十分な教育を受け、社会で働いています。忙しすぎてデートができない。若い男性も兵役で女性と会える時間が少ない。そこで政府が先頭に立って婚活イベントを企画し、国民が恋愛できる環境を演出しました。子育て家庭を支援する『ベビーボーナス』制度もあります。ただ、お金のために子供を産んでいるようなことにならないように注意が必要です」

    ■    ■

 ――シンガポールは、自国内の人口増施策だけでなく、外国人や移民も積極的に受け入れることで労働力不足を補ってきました。

 「東南アジアにおける産業の結節点となるために外国人や技術の受け入れが必須でした。もともと中華系やマレー系、インド系が共存してきた多民族社会だったので、外国人を受け入れることへの抵抗感も少なかった。シンガポールが必要とする年齢層や技能などを決めて、その基準に沿って移民を受け入れています」

 「移民がこの国の社会になじんでもらう政策も必要です。彼らが集団で入ってくると、生活習慣や言語が同じ仲間うちで固まってしまい、社会に溶けこめなくなるかもしれないからです」

 ――日本では、移民受け入れの議論はあまり進んでいません。

 「移民の受け入れには何らかの『代償』が伴います。日本が均質的な社会を維持することは、日本にとって長期的な強みになるでしょうか? ドイツは自国の経済力を維持するため、移民に門戸を開きました。50年先を見なければなりません。日本の人口減少は始まっています。若い人に結婚や出産を働きかけても、都市化や低出生率が定着している現状では難しいと思います。中国も高齢化問題を認識し、『一人っ子政策』を改めました。日本が決意を持って問題に対処しなければ、日本は『高齢化』する社会から、『高齢者』の社会になってしまうでしょう」

 「単純労働者の受け入れだけでは十分ではありません。企業の中堅幹部や、上級管理職が不足してくることにも気を配るべきです。それに、たとえ日本が移民の受け入れを決めても、欲しい人材が来てくれるとは限りません。そうした労働者の供給国が人手不足に悩んでいるかもしれませんから」

 ――シンガポールでは、少子高齢化社会を支える様々な制度が整っています。特に、年金制度は日本とは全く違いますね。

 「日本の年金制度の弱点は持続可能性にあります。世代間扶養の年金制度は、社会の高齢化や長寿化、出生率の低下を想定して作られていません。小さな労働人口で、層の厚い高齢者世代をサポートし続けるのは困難です」

 「シンガポールには、自分で自分の年金を積み立てる中央積立基金(CPF)という仕組みがあります。自分で年金を蓄え、そのお金で家を買い、自分の健康維持に使います。問題は物価上昇です。20年後のお金の価値は誰にも分からないので。低所得者が十分お金をためられないという問題もあります。これを是正するため、国が低所得者を支援する制度もありますが、どこまで支援するかという妥当性が難しいところです」

 ――シンガポール政府は近年、イノベーションの担い手になる起業家の育成に力を入れています。

 「もし政府や民間企業で給与を十分にもらっていて安定した仕事があるのならば、大抵の人はリスクを取ろうとはしません。しかし、人口減に対応するためには、その考えを改め、リスクをとる姿勢も必要です。一度失敗して破産したら、その『烙印(らくいん)』がずっとついて回る。銀行からも二度と融資が受けられない。そんな現状を変えていかねばなりません。失敗しても、また挑戦できる文化を根づかせていく必要があります」

    ■    ■

 ――各国が人材を奪い合う時代に入るなかで、国が外から人材を引きつけるカギは何でしょうか?

 「経済です。有能な人々はシンガポールが好きだから来るのではありません。経済成長し、自らが望む仕事があるからやってくるのです。まして専門家や技術者、経営幹部となれば、他国よりもよい給与を払わなければなりません。住みやすい環境整備も大事です。シンガポールは英語、中国語などが通じ、教育施設の充実、安全性、清潔な都市景観にも力を入れています。自国の強みを見つけると同時に、有能な方々に来てもらうために他国とどう競うかに目を向けねばなりません」

 ――日本がそうした意識を持つにはどうすれば良いでしょう?

 「まず50年先、100年先の長期的な視野を持つことです。また、歴史的な視点から他国が長期的に何をしているのかを理解できるリーダーが、日本に必要な変革を実行するため、国民を説得することです。独自路線を続けていても、他国と競争できなければ、それは国家の後退を意味します。日本の立ち位置を相対的にとらえることで、何をしなければならないかが見えてくるでしょう」

 「日本はインドネシアやフィリピンなどから(看護や介護の)労働者を受け入れようとしていますが、高度な技術者や経営幹部などはどうでしょうか。日本に住み続けることで永住者になれたり市民権を持てたりするような特区があっても良いかもしれません。TPP(環太平洋経済連携協定)は日本にとって、市場だけでなく、日本人の意識という面でも海外に門戸を開く機会になるでしょう」

 ――逆に日本から学べることはありますか?

 「日本の共同体の精神はとても強く、人々は礼儀正しい。日本が持つこの強みは国や社会を豊かにします。日本は、国として新しいシンガポールよりも文明が進み、我々が学べるものがあります。同時に、経済面では『自信を決して失ってはいけない』ということも学びました。皮肉なことですが、日本は20年前に自信をなくしてしまった。日本はかつて世界のリーダーでしたが、バブル経済がはじけ、金融危機が起き、人々は楽観的ではいられなくなっています」

 「楽観主義は非常に重要です。シンガポールは小さな国です。人口は320万人、外国人を入れても550万人です。それでも、人口が2億5千万人近いインドネシア、3千万人のマレーシアといった隣国と競争しています。わが国の生活水準は、こうした隣国よりも高い。重要なのは人口の規模ではありません。人の資質と強さです。日本は、これから先、人口減少を補うだけのパンチ力をつければ、競争力を保てます。日本は多くの分野で他国に先んじることもできます。ただ、人口が多い国は、抱える問題も大きいのです」

 (アジア総局長・大野良祐、シンガポール支局長・都留悦史)

     *

 Goh Chok Tong 1941年、シンガポール生まれ。初代首相リー・クアンユー氏(故人)の後継者として、90年から2004年まで同国首相。

 ■アジアと共に知恵絞ろう 日本総研・上席主任研究員、大泉啓一郎さん

 生産年齢人口の減少と少子高齢化はいまや日本特有の問題ではなく、アジア諸国に共通する課題です。

 ゴー・チョクトン氏の指摘から日本が学ぶ点は多々あります。安倍総理が「50年後も人口1億人を維持する」ということに固執することが本当に良いのか。皆が効率的、効果的に働き、社会貢献するという質の向上が重要です。同氏が、重要なのは人口の規模ではないとしているのは心強いですね。

 日本も移民政策は同氏の指摘のように「50年先を見据えたもの」として、少しずつ始める方が良いでしょう。今取り組むべき課題は女性や健康的な高齢者がもっと活躍できるシステムを作ること。特に、健康かつ有能な高齢者が多い日本では、高齢者の経済社会活動への貢献をもっと積極的に考えるべきです。それをやらずして、介護のような単純労働だけで外国人労働を議論するのは問題です。

 もちろん外国人の受け入れは必要です。ただその際に考えるべきは、同氏が言うように単純労働だけではなく、日本の競争力強化にどう結びつくのかという点です。うまくいっている例として、大相撲があります。大相撲のレベルがキープ出来ているのはモンゴルの力士が頑張っているから。日本のシステムを維持し、外国人がその力を高めてくれた好例です。

 シンガポール以外のアジアの取り組みについても目を向ける必要があります。例えば韓国。実質的な定年は50歳代後半と、年金の支給額だけで生活していくのは困難で今後、高齢化問題が深刻化していくことが予想されます。国債発行の余地が少ない韓国は、日本よりはるかに小さい予算規模で高齢社会に立ち向かわなければなりません。その取り組みは日本に新しい視野を与えてくれるはずです。

 また、中国や東南アジアでは低所得の地方・農村で高齢化が進んでいます。ここに年金制度を拡充することは困難であり、地域再生と地域福祉の役割が重要になります。これは実は、日本の地域創生に近いものがあります。

 日本はアジアで最も早く人口減社会に移りましたが、アジアに提示できる高齢社会を築けていません。むしろ今後はアジア諸国と知恵を交換することが大事です。

 (聞き手・今村優莉)

     *

 おおいずみけいいちろう 63年生まれ。京大院農学研究科修了。京大博士(地域研究)。著書に「老いてゆくアジア」など。


2016年5月7日 (私の視点)13面オピニオン
米大統領選 トランプという新標準
      ゲイル・コリンズ
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12343937.html

 今朝、私たちは、ドナルド・トランプ氏が共和党の米大統領候補になる国で目覚めた。テレビドラマではない。本当の話だ。

 「我々は、再び勝利を重ね始める。大勝ちする。私を信じろ」。トランプ氏は予備選の夜、こう語った。大変な一日だった。彼のライバル候補が会見を開き、トランプ氏を「道徳心が全くないナルシストで、レイプ犯の友人だ」とこき下ろした。そんななか、インディアナ州の有権者は投票所に詰めかけ、ドナルドに大勝利を与えた。

 その勝利スピーチで、トランプ氏は、大統領然とした演説をおこなった。分かったのは、大統領然としたトランプ氏は信じられぬほど退屈で、支離滅裂だということだった。

 「我々は多くの外国の国々とすばらしい関係がある。でも彼らは、我々を敬わないといけない」とか、「このまま物事を進め続けることはできる。でも、我々の借金は、間もなく21兆ドルに達する。我々は、30、40、50年前のような立場にはいない」といった内容だった。

 このやり方は長くは通用しないだろう。トランプ氏は無反応の聴衆とはうまくやっていくことはできないはずだ。昨年、彼が大統領選への立候補を表明した際に聴衆が大きく沸いたのは、メキシコ人はレイプ犯だと言ったときだった。

 一方、共和党のライバルたちは、荷物をまとめて帰ってしまった。テッド・クルーズ氏が目にしたのは、トランプ氏が、父のラファエル・クルーズ氏と、ケネディ元大統領暗殺犯を関連づけたことだった。オズワルド容疑者と、ラファエル氏に似た人物が数人と一緒に写った写真を掲載したのはタブロイド紙「ナショナル・エンクワイアー」だった。それをトランプ氏は「その件の報道があったのに、だれもそのことを話していない」と憤慨してみせた。

 過去の大統領選で、タブロイド紙よりもひどい情報源が、狂ったような言いがかりをつけたケースはあったが、候補者本人によるそうした言いがかりは従来はなかったのだ。

 トランプ氏は7月の共和党大会までになすべきことがたくさんある。彼は、自身の財政政策について最後の仕上げをする必要がある。彼は、大減税と国防支出の増加、そして米国の借金を8年で解消する――と言っている。その通りにすれば、それ以外はすべての分野の予算がほぼゼロになる。もはや「米政府閉鎖」を巡る攻防は必要ない。だって、政府自体が消滅してしまうのだから。

 (〈C〉2016 THĒ NEW YORK TIMES)
 (NYタイムズ、5月5日付、抄訳)

     *
 Gail Collins ニューヨーク・タイムズ、コラムニスト


2016年5月7日 連載:風 (風 アイルランドから)13面オピニオン
人道の守護者、今も響く訴え
      梅原季哉
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12343936.html

 今から、100年以上前。19世紀末から20世紀初めにかけてのアフリカや南米大陸で、奴隷同然の強制労働や非人道行為についての証拠をこつこつと集め、植民地支配の罪を告発した男がいた。現代ならば国際人権NGOが手がけるような営みを、帝国主義なお華やかなりし時代に、個人でやり遂げた。

 彼の名は、ロジャー・ケースメント。大英帝国の中堅外交官だった。ベルギー国王が圧政を敷く「コンゴ自由国」や、アマゾン上流域に赴き、搾取ぶりや白人たちの残虐さを記録し、国際世論を大きく動かした。人道的貢献を評価され、1911年にはナイトの位まで授かった。

 ところが、彼の運命は暗転する。その5年後の1916年晩春、彼はロンドン塔の獄中にあった。第1次世界大戦のさなか、敵国ドイツと通じて反乱を企てた「大逆罪」の容疑がかかっていた。

 人道の英雄から、反逆者へ。ケースメントの行動を理解するには、自分を何者と考えていたのかを知る必要がある。

 彼は、英国支配下で生まれたアイルランド人だった。アイルランドは中世からイングランドに侵略され、19世紀には併合され、抑圧された。ケースメントは外交官を退いて英政府と決別し、故郷の独立解放をめざす道を選んでいたのだ。

 第1次大戦勃発で英独が開戦すると、ケースメントはそのドイツへ渡った。英国の敵がアイルランド独立の後ろ盾になると期待し、捕虜になった同郷人から反乱部隊を募った。だが誤算続きでろくに賛同を得られず、郷土へ戻ると決めた。独立派の武装蜂起計画が進んでいた。

 1916年4月21日未明。独潜水艦でアイルランド西岸沖へ来たケースメントは、同志2人と上陸した。銃を積んだ別の輸送艦と落ち合う計画だったが、手違いで同艦とも地元独立派とも合流できないまま、英当局に逮捕されてしまう。

 あっという間に死刑判決が出た。作家コナン・ドイルや詩人イエーツも助命嘆願したが、英政府が冷酷な手を打った。同性愛行為をつづった被告の「黒い日記」なる文書情報を流された。同性愛への偏見が強かった時代、命取りだった。8月、絞首刑に。51歳だった。

 いわゆるイースター蜂起は、大失敗に終わった。しかし、歴史作家アンガス・ミッチェル氏は、ケースメントの帰還は「蜂起中止を説く目的だった」とみる。

 ケースメントの上陸からちょうど100年にあたる今年4月21日。上陸地点の現場で開かれた記念式典に数千人が集った。あいさつしたヒギンズ大統領はこう強調した。「ケースメントが、欧州列強による植民地支配の抑圧的な体質を理解できたのは、まさに彼のアイルランド人としての意識ゆえだ。その旅路は、一貫している」。そして、こう指摘した。彼が赴任したアフリカやアマゾン地域では、今日なお、多国籍企業が「無責任に商業的利益を追求している」、と。

 大英帝国は消え、植民地主義の時代も過ぎた。だがその半面、ケースメントが訴えた問題の根は、連綿と続く。彼の悲劇は、まだ単なる過去ではない。

 (ヨーロッパ総局長)


 05 07 (土) 「認知症」という海     朝日新聞 GLOBE




朝日新聞 GLOBE
「認知症」という海
      総合ガイド
      http://globe.asahi.com/feature/2016042700017.html

    認知症は「海」のようだ。人類はいまだ、その深さ、広さを知り得ていない。     それがゆえに、底知れぬ深みに身震いし、そこに引きずり込まれる自分を     イメージしておびえる。溺れず、泳ぐにはどうすればいいのか。

「認知症」という海

  どれほど広いのか
     特効薬、本当にできる?
     病の先にあるものは
     代え難い時間を過ごす/佐々木孝
     コスト計算で見えたこと
     認知症大国・日本
  どこまで深いのか
     緩慢なる死
     「子が介護」の限界
     予防は可能?
  「認知症」という海~もっと楽に上手に
     「いい加減」は「よい加減」?【動画】
     診断の後を支える「親友」
     世界に発信、富士宮モデル
  [Webオリジナル] 「認知症」をめぐって
     富士宮モデル」とは?
     認知症の人 入院減らすには
  Memo
     スウェーデンの影
     認知症と安楽死


  どれほど広いのか
     特効薬、本当にできる?

脳の細胞が壊れることで、記憶が抜け落ちるなどさまざまな症状が出る認知症。この病に苦しむ人は世界で5000万人に迫るが、いまだ特効薬は生まれていない。

認知症の半数以上を占めるアルツハイマー病の場合、薬は4種類ある。エーザイが1990年代に発売した「アリセプト」はその代表格で、ピーク時には世界で年3228億円を売り上げた。だがいずれも症状を改善する対症療法で、進行を数カ月から2年弱、遅らせるだけだ。それでも人々は、薬にすがる。

こんな状況を劇的に変えるかもしれない新薬の開発が、海外で進む。

ロンドン郊外に住むジョナサン・グレンジ(73)は、2年前にアルツハイマー病と診断された。以来、台所に真っ青な錠剤を置き、朝晩1錠ずつ飲んでいる。

10年ほど前に退職したジョナサンは、しばらくすると、今日が何曜日なのかを思い出せなくなった。お金の計算もできなくなり、たどりついた診療所でアルツハイマー病と診断された。父も同じ病気だった。

新しい薬の安全性や効果を確認する臨床試験(治験)を医師に紹介されると、「失うものはもう何もない」と参加を決めた。

年2兆円規模の市場に

治験の参加者の3分の1は、見た目は同じだが、薬の成分が入っていない偽薬を割り当てられた。ジョナサンが飲んだ薬が新薬なのか、偽薬なのかはわからない。だがジョナサンは「よくなっているとしか思えない」。今も直前の出来事は思い出せないが、ガーデニングを楽しみ、新聞もよく読むようになった。「薬が効けば、このままずっと家で暮らし続けたい」

治験は3段階のステップを踏むが、開発中の薬は最終段階にある。2段階目の結果をまとめた論文では、1年間たっても、新薬を飲んだ人は認知機能がほとんど落ちていなかった。

「楽観的に言えば、2017年か18年には世に出せるだろう。控えめにみても、年1兆~2兆円規模の市場になる」。この薬の開発を30年間続けてきた英アバディーン大教授のクロード・ウィシクはこう予測する。この予測が当たれば、一気に売り上げトップの超大型新薬が誕生する。最終結果は、7月にも学会で発表する予定だ。

米紙ウォールストリート・ジャーナルは昨年末、この新薬の開発元のベンチャー企業が17年にも米ナスダック上場を狙っており、時価総額は、150億ドル(約1兆6500億円)に上る可能性があると報じた。

だが、大手製薬企業が軒並み参戦し、最終段階まで進んでも、薬の開発はことごとく失敗してきた。一般的に治験の成功率は10~20%程度とされるが、アルツハイマー病薬の場合は0.4%というデータもある。この薬も成功するかどうかは未知数だ。

なぜこんなに難しいのか。それは、この病気がどういう仕組みで起きるのかが、わかっていないためだ。

2025年までに治療法と予防法を開発

現在、有力なのが「アミロイドβ」と「タウ」という二つのたんぱく質が病気の発症に関係しているという仮説だ。症状が出る10年以上前からアミロイドβが脳にたまり始め、その後、タウがたまると神経細胞が死に、症状が出ると考えられている。ウィシクの薬はタウを標的とし、細胞が死ぬのを防ごうとする点が、従来の薬とは異なる。

米国立加齢研究所や製薬企業イーライリリーは、認知症の症状は出ていないが、脳にアミロイドβがたまっている人の発症を予防できるかどうかを確かめている。65~85歳の健康な人に月1回「ソラネズマブ」という薬を点滴し、3年間、経過を追う。

ソラネズマブはもともと、認知症の根治薬として開発が始まった。だが進行を抑えることができず、治験は失敗した。その後、細胞がそんなに傷ついていないごく初期の人には効果があるとわかり、再び治験が始まった。いわば「敗者復活戦」だ。

治験を主導するブリガム・アンド・ウィメンズ病院のライザ・スパーリングは「20年にも結果は出る。アルツハイマー病は予防できると証明できるはず」と自信たっぷりだ。米国は11年に「国家アルツハイマー病プロジェクト法」を制定し、25年までに治療法と予防法を開発することを目指している。

だが予防薬ができても、症状が出ていない人にも薬を使うようになれば、皆保険制度の日本では財政に大きな負担がかかる。最近認可された「がんの特効薬」の治療費は、年間3500万円にものぼる。

そもそも、新薬ができれば病を克服できるのか。3月に米国立保健研究所が開いた認知症の会議では「認知症は複雑な病気。一つの薬ではなく、複数の薬を組み合わせた治療法の開発が必要だろう」という意見が相次いだ。

(下司佳代子、瀬川茂子)
次ページへ続く

  どれほど広いのか
     病の先にあるものは

第2次世界大戦後の寿命の伸びには、目をみはるものがある。戦前は50歳に届かなかった日本人の平均寿命はいまや、80歳を超える。

医学の進歩の影響が大きく、1940年代に実用化されたペニシリンなど抗生物質の登場で、感染症で亡くなる乳幼児は激減した。「不治の病」の代表だった結核も、ストレプトマイシンの登場で劇的に死亡率が下がった。

日本では戦後しばらく死亡原因のトップだった脳卒中も、生活習慣病の知識や降圧剤の普及で大幅に減った。代わって現在、最も死亡率が高いのが、がんだ。

米大統領のニクソン(当時)が71年に「がんとの戦争」を宣言して以来、先進国は膨大な研究資金を投入してきた。これが早期発見や新しい抗がん剤の開発につながり、さらに寿命を延ばしている。

その先に待っていたのが、認知症だった。

2050年には1億3000万人が認知症に?

長生きすれば、発症のリスクは高まる。世界保健機関(WHO)などの報告書によれば、60~64歳の発症率は1%前後だが、80歳を超えると5人に1人が認知症になる。世界では2015年に990万人が新たに認知症になり、患者数は4680万人にのぼる。高齢化が進み、2050年には1億3150万人まで増えるとの推計もある。

認知症はそもそも、がんや結核などと違い、病気そのものではない。記憶障害や認知機能の低下など、様々な症状を合わせた状態を言う。脳の神経細胞がどう変化して発症するのか。アルツハイマー病では、その仕組みすら仮説にとどまる。

日常生活に支障が出るかどうかは、家族や地域社会の受け入れ態勢や、対応の仕方に大きく左右される。現実には、病院や施設をたらい回しにされたり、「問題行動」を薬で抑えられたりといったことが起きている。

暴力や妄想などの症状は、言動をとがめられると悪化する。患者のこころを無視するようなケアは、当事者にとってはつらいだけだ。認知症の人も暮らしやすい社会のあり方が、問われている。

(瀬川茂子、浜田陽太郎)
次ページへ続く

  どれほど広いのか
     代え難い時間を過ごす/佐々木孝

福島第一原発から25キロにある南相馬市の自宅で、認知症の妻、美子(72)を介護しながら暮らしています。

英語教師だった妻との出会いは、48年前。お互い一目ぼれで2カ月の間に60通近い手紙をやりとりして、結婚しました。私は自分の書く論文をまず妻に見せます。妻はいつもほめてくれ、「パパ、頑張って」と応援してくれました。

その妻が「生徒たちの成績処理ができなくなった」と不調を訴えたのが、15年ほど前。パスポートのサインができないなど症状は徐々に進みました。

7年ほど前からは意思の疎通も難しくなりました。私はもともと、短気な性格です。食事をさせようとして顔を背けられたり口を開けようとしなかったりするとイライラしました。でも、以前のような分別はもうつかないのだと、気持ちを切り替え、ゆっくりと待つことにしました。

5年前の原発事故当時、市がバスを用意して避難を促し、一帯はほぼ無人になりました。でも、私は最初から逃げるつもりはありませんでした。妻が避難所生活に耐えられないことは明らかだったからです。妻のおかげで魂の重心を低くでき、不思議な勇気と落ち着きをもらった気がします。

もし奇跡が起きて、美子が認知症になる前に戻れる薬が発明されたとします。でも副作用で認知症になって以降の記憶はすべて消えてしまうなら、使うことは望みません。二人がともに暮らしたこの十数年という時間は、何ものにも代え難い。

病、老化、そして死も、生きることの大事な要素です。それを、ばい菌のように排除し、見ないようにすれば、やわな社会になってしまうと思うのです。

ささき・たかし

スペイン思想研究家。76歳。都内の大学などで教授を務めた後、2002年に故郷の南相馬市に戻る。著書に『原発禍を生きる』(論創社)。

(構成・浜田陽太郎)
(次ページへ続く)

  どれほど広いのか
     コスト計算で見えたこと

世界では3秒に1人、新たに認知症患者が生まれている。国際アルツハイマー病協会の推計によると、2015年の4680万人から、30年には7470万人に増える。それに伴い、医療や介護など認知症にかかるコストも、90兆円から220兆円にふくれあがると予想されている。

世界にさきがけ、コストの視点を認知症の国家戦略に採り入れたのが英国だ。13年には首相キャメロンの呼びかけで「主要8カ国(G8)認知症サミット」を開催。高齢化が進む中、認知症を先進国共通の課題ととらえた。これがきっかけとなり、15年のWHOの大臣級会合では、途上国も含め、国を越えて取り組みを進めることで一致した。

英国で認知症が政治的に注目されたきっかけは、ロンドン大経済政治学院教授のマーティン・ナップが約10年前に行った認知症のコスト計算だ。医療費や介護費に加え、家族らによる無償介護の時間を賃金に換算し、認知症の人1人あたりにかかる年間コストを約400万円、英国全体で約2兆7000億円とはじきだした。GDPの1%超にあたる。 次ページへ続く

数字の大きさは、認知症が抱える負担の大きさを可視化した。一般の関心も高まり、主要な政治課題となったのだ。

世界の認知症患者は今後、20年ごとに倍増すると予想されている。うち6割は低中所得国に住む。新たな治療法の開発やケアのあり方を考えなければ、コストはうなぎ登りになる恐れがある。 次ページへ続く

ナップは「新薬ができれば、相当なお金を節約できる可能性がある」と指摘する。例えば、新薬により発症を3年間遅らせられれば、患者とその介護者にかかる医療や介護のコストが減り、年間コストは20%以上減るとみる。 次ページへ続く

コスト計算により、介護する側の負担の大きさも浮き彫りになった。14年の試算では、年間コストは約4兆円に増え、うち半分近くを家族らによる無償の負担が占めた。 次ページへ続く

「施設に入るより在宅の方がコストは抑えられるが、それは一方で、家族の負担を増やすことを意味する。充実した支援が欠かせません」

日本の場合、患者数は英国の約6倍にのぼる。慶応大専任講師の佐渡充洋らが計算した14年の年間コストは、約14兆5000億円だった。うち医療費が1兆9000億円、介護費が6兆4000億円で、家族らによる無償の介護が6兆2000億円にのぼった。25年には、総額19兆4000億円に達するとみる。

家族らによる無償の介護は、介護保険を利用した場合や、介護の代わりに外で働いたら得られる賃金などをもとに求めた。佐渡は「コスト計算自体は何かを解決するわけではなく、どこに課題があるのか把握するためのものだ」と強調する。「負担を軽くできれば、コストも減る。社会全体で負担を減らす方法の研究が必要です」 (下司佳代子)
(次ページへ続く)

  どれほど広いのか
     認知症大国・日本

見知らぬ街でレンタカーを走らせる。日はとっぷり暮れたが、どこまで行っても見覚えのない風景。強い不安に襲われ、思わず叫んだ。

8年前の米国出張で、パニックに陥ったあの時。それは、認知症の人が感じる恐怖に似ているかもしれないな……。

記者(浜田)は、社会保障の分野の知見を深めるため、社会福祉士の資格を取ろうと考え、今年1月から3月にかけて、高齢者施設で計23日間の実習を行った。今や利用者の大半は認知症である。

認知症対応型のデイサービスでは、今年80歳になる女性に付き添い、考えた。もしこの人と入れ替わったら……。頭の隅から引っ張りだしたのが、冒頭の記憶だ。

女性は、ほんの数分前に行ったトイレの場所を覚えていない。午前中は穏やかだが、昼過ぎから不安げに歩きまわり始める。ちょっと強めの声がけで誘導しようとすると、強く反発することもある。午後5時に女性が帰宅すると、クタクタになった自分がいた。

世界で最も速いペースで高齢化が進んだ日本。2012年時点の患者数は462万人にのぼり、高齢者の7人に1人が認知症だ。団塊の世代が75歳以上になる25年には、5人に1人に増えると予測される。

認知症患者のうち、170万人は自宅で介護保険を使っているが、入院している人も約8万人いる。スウェーデンのカロリンスカ研究所の通信教育でケアを学んだ東京の在宅医・遠矢純一郎は「認知症で精神科病院に入院中の人の在院日数は平均944日というデータもあると紹介したら、ドイツやギリシャなどの受講生に驚かれた」と話す。欧州では、それほど長期間入院する例はまずないという。「日本では、病院で症状が落ち着いても自宅に帰せないことが多い。地域でケアする力が不足し、家族に負担がかかりすぎるからです」

今年3月には、認知症の男性が列車にはねられた事故の判決があった。最高裁は遺族に賠償責任はないとしたが、地裁と高裁は介護をしていた家族への賠償請求を認めていた。家族が深く介護に関わるほど、責任を負う可能性が高まる構図は解消されていない。

(浜田陽太郎)

  どこまで深いのか
     緩慢なる死

アルツハイマー病の人の脳の中では、症状が現れる10年以上前からゆっくりとした変化が始まっている。

最初はアミロイドβ、次にタウというたんぱく質が脳内にたまると、神経細胞が少しずつ死んでいく。脳の記憶にかかわる部分が縮み始めると、新しい出来事を記憶することができなくなる。そのため、財布をしまったことを忘れて「盗まれた」と言ったり、食事を終えた数分後に「食べていない」と訴えたりするなど、直前の出来事も思い出せなくなる。

「記憶障害で困るのは『未来の記憶』」と慶応大教授の三村将は話す。「過去の記憶を忘れると周囲は悲しいが、日常生活はそれほど困らない。未来の記憶を忘れると、悪気がないのに約束をすっぽかすなど、すぐに信頼を失う」

だが認知症は、記憶が失われるだけの病気ではない。誰もが同じ経過をたどるわけではないが、だんだん、自分が今いる時間や場所がわからなくなり、さらに症状が進むと、家族でさえ誰だかわからなくなる。排泄や食べることといった、基本的な営みさえできなくなる。なぜか。

【画像】大脳断面

たんぱく質がたまると、神経細胞の働きが悪い部分が少しずつ広がり、大事な脳のネットワークが失われるためだ。

記憶に必要なネットワークに始まり、言葉を理解して表現するネットワーク、周囲の出来事に注意を払うネットワーク、ものを考えるネットワークなど、さまざまな働きが次第に衰えていく。人の表情を読み、理解したり共感したりする部分が損なわれると、人間関係を維持することがむずかしくなる。

認知症は、人間が生まれた時から少しずつ学んで獲得し、その人たらしめている脳の働きを少しずつ奪っていく病気だ。人は誰もが死を迎えるが、その前に脳の細胞がゆっくりと壊れ、自我が失われていく。

ただ症状が進んでも、感情の記憶は長く残ると言われる。日々、患者と接している首都大学東京教授の繁田雅弘は「周囲が思う以上に、本人はいろいろな思いを感じている。何もわかっていないように見えても、家族に感謝の思いを抱いていることも多い」と話す。

(瀬川茂子)
(次ページへ続く)

  どこまで深いのか
     「子が介護」の限界

「日本式サービスは丁寧だね。医者も常駐していて安心」。4月中旬、記者が中国・山東省青島市にある老人ホーム「長楽居」を訪ねると、入居する男性が満足そうに話した。

長楽居は老人ホーム事業大手のロングライフグループ(大阪市)の関連会社が2012年から運営する。27階建てマンションを改装し、入居費は最低でも月6200元(約11万円)。青島市内の年金平均額の倍以上で、160戸のうち130戸が埋まる。個人の好みに合わせた朝食などきめ細かいサービスが売りだ。認知症などで介護が必要になると、入居者は設備が整った6階に移る。介護用フロアは今後、次々と増える見込みだ。

一人っ子政策の影響などで高齢化が急速に進む中国では、老人ホームの建設が相次ぐ。高齢化のペースは日本より速い。民政部の統計などによると、65歳以上の高齢者は14年末時点で1億3755万人と、人口の10%を占め、34年には20%に達すると推計されている。

認知症の患者数も増えている。北京の首都医科大などの推計によると、10年の時点で919万人と、20年間で2.5倍に増えた。低中所得国での認知症患者は急増しており、50年には世界の3分の2を占めると予測されている。中国は、その象徴といえる。

だが、認知症の人を介護できる施設は少ない。青島市の公設民営老人ホーム「錦雲村老年公寓」でも、受け入れを始めたのは最近だ。「まだまだ退所させてしまうホームがほとんど」と経営者は話す。

中国では「親の介護は子どもがするべきだ」との伝統的な考えが根強い。中国の介護制度に詳しい日本女子大学教授の沈潔は「認知症患者の95%以上は、家族が在宅で世話している」と話す。13年に施行された改正高齢者権益保障法は、「高齢者と別居する家族は、日常的に帰るか連絡すること」と明記する。

ただ、その慣習も変わりつつある。一人っ子政策の影響や出稼ぎ労働の広がりで、家族だけで親の面倒をみるのが難しくなってきたからだ。「未富先老」という言葉も中国メディアを賑わす。国が豊かになる前に、高齢化の波が社会を襲うという意味だ。習近平国家主席は2月、「高齢化に効果的に対応しなければならない」と党と政府に指示し、老人介護を重大政策に掲げた。

その潮流に乗り、北京市では11月、認知症患者が共同で生活する中国初のグループホームが誕生する。10年まで日本医科大学に勤務していた医師の金恩京(49)が計画した。

金の母親もアルツハイマー病のため、06年に亡くなった。地元の病院に入れることもできたが、「4人部屋のベッドに縛られてしまう」と度々帰国し、住み込みのお手伝い探しに駆け回った。母の死後、大学の研究でかかわった日本のような介護施設を作りたいと、中国に戻り施設経営者となる道を選んだ。金は「新たな産業になれば、入居者の裾野も広がる」と期待している。

(小山謙太郎)
(次ページへ続く)

  どこまで深いのか
     予防は可能?

アルツハイマー病を予防することはできるのか。米国立加齢研究所は30以上の臨床研究を進めるが、まだ確立されたものはない。

ただ、運動はリスクを下げる可能性がある。運動することで脳の血流が増え、記憶にかかわる神経細胞を守る物質が増えるためらしい。運動のほか、野菜や果物が多く脂肪が少ない食事、質の高い睡眠、動脈硬化や糖尿病の予防、禁煙などがリスクを下げる可能性がある。多くは、生活習慣病の予防と共通する。

「予防を意識したら、早い時期に始めるのがよい」と同研究所のマドハブ・サムビセッティは言う。50歳のときのBMI(肥満度を表す指標)を1下げると、アルツハイマー病の発症が6.7カ月遅れるという論文を昨年発表し、注目を集めた。

国際アルツハイマー病協会事務局長のマーク・ウォートマンは「『脳トレ』や、音楽療法などは本当に効果があるのか。効果があるのなら、どんな方法がいいのか。もっと研究が必要だ」と話す。

(瀬川茂子)

  「認知症」という海~もっと楽に上手に
     「いい加減」は「よい加減」?【動画】

「目が回るような忙しさ。スタッフが高速回転している」

「全員をトイレに誘導し、サロンに戻す一連の動きは職人芸」

実習当時の日誌を読み返すと、介護職員のハードワークぶりに圧倒された記憶が生々しくよみがえる。

今年1~3月、記者(浜田)は社会福祉士の資格取得のため、東京都内の特別養護老人ホームで9日間、実習した。入居者のほとんどは認知症で、要介護度は重い。起床、着替え、排泄、食事、入浴など日常生活のすべてに介助が必要だ。昼間は入居者ら約60人に対して10人以上の職員が働く時間帯もあるが、それでも超多忙だ。

みんな、本当に一生懸命、効率的に働いている。でも、入居者と一緒の時間を楽しむような余裕は少ない。職員は動き回り、入居者は広間でテレビを見ながら座っていることが多い。

同じころ、スウェーデンの高齢者施設で認知症ケアを実習するツアーにも参加した。場所は、スウェーデン南部にあるクングスバッカ市直営の高齢者特別住居。自宅で住み続けるのが難しいと市が認定した110人ほどが暮らす。

記者以外の4人の参加者は日本で介護職に就いている。高級有料老人ホームの勤務者もいたが、みな一様に驚いたのは、そのゆったりとした働き方だった。

「排泄介助、飛ばしてないか?」

「朝は忙しいって聞いたけど、スタッフがまずコーヒーを飲んでる!」と男性介護職員。日本だと、夜勤明けと早出の少ない職員でたくさんの業務をこなすため、最も忙しい時間帯だ。「勤務中にお茶するなんて、考えられない」

「呼び出しに急いで対応しようとしたら『走らないで』と何度も注意された」と40代の女性ケアマネジャー。日本じゃ走るのが当たり前。ベッドから落ちて骨でも折ったら大変だからだ。

一方、こんな観察も。「オムツを開けたら結構ぐっしょりだった。排泄介助、飛ばしてないか?」と20代の男性介護福祉士。日本ならきっちり2~3時間に1回は排泄の有無をチェックするけれど……。ここでは食後の歯磨きも、毎回ではないようだ。

確かに日本の特養に比べれば、スウェーデンの方が職員の数は多いように見えた。でも、それ以上に、介護観の違いがあるようなのだ。

一汁三菜以上の温かい食事、週2回の入浴や排泄ケア、事故防止の徹底。日本の介護はとっても丁寧、きちょうめんだ。

一方、スウェーデンでは、朝食はヨーグルトとパン、コーヒー程度のことが多い。シャワーは週1回で、本人が嫌がればそれも無理強いしていない。

事故防止の考え方もずいぶん違った。オムツなどの備品庫のドアが開きっぱなしなのに気づいた参加者が、現場の職員に「認知症の人が入り込んだらどうするの」と尋ねると、「何かあったら、その時、考えればいい」という答えが返ってきた。

空気がやわらかい

はっきり言おう。日本から来た「介護のプロ」たちの目には、「手抜き」「非効率」「いい加減」に映る場面が多々あったのだ。

そのかわり、「お年寄りとゆったりと過ごす、いい時間はたっぷり」(参加者の一人)あり、場の空気がやわらかかった。もしかして、「いい加減」じゃなくて、「よい加減」なのか?

記者が最も印象に残っているのは、女性職員が両手の指で、認知症の男性の白髪をゆっくりと梳(す)いている光景だ。男性は今でも攻撃的になることがあるが、体に触れるケアで落ち着くという。朝の起床介助では、入居者がその日着たい服を選ぶのに、おしゃべりしながら20分くらいかけたことも。その様子は、時に「友だち」のように見えた。「日本で入居者を『様』づけで呼ぶのが、いいのかどうか」と男性の参加者は考え込んだ。

記者と同じユニットにいたスウェーデン人の女性職員(35)に、日本との違いを問いかけると、こんな答えが返ってきた。「私たちだって気が急いてストレスがかかることもある。でも、それがお年寄りに伝わったら、穏やかな気分でいられなくなる。もし仕事が残ったら、別の日にやればいいのよ」

(浜田陽太郎)
(次ページへ続く)

  「認知症」という海~もっと楽に上手に
     診断の後を支える「親友」

認知症と診断された直後は、本人も家族もショックと不安でいっぱいになる。自分はこれからどうなるのか、いままで通りの生活を続けられるの……。そばで支える家族も、何をすればいいのかわからない。

この時期に必要なのは、治療でも介護でもなく、当事者の心をほぐし、家族を支える第三者かもしれない。

英スコットランドには「リンクワーカー」と呼ばれる専門家がいる。診断を受けた人の家を訪ね、認知症についてかみ砕いて説明したり、趣味の続け方をともに考えたり。いわば、行政が用意する「親友」のような存在だ。

この取り組みは、ひと家族の体験から生まれた。

グラスゴー郊外に住むジェームズ・マキロップ(75)はかつて、銀行員として働き、週末には妻モーリーン(62)と4人の子どもとピクニックや博物館に出かける平穏な日々を送っていた。

ブレンダ・ビンセントとの出会い

人生の歯車がかみ合わなくなったのは、50代半ばを過ぎたころだった。けんかっ早くなり、同僚の名前を忘れ、お金の計算も難しくなった。

家庭では、ささいなことで怒るジェームズを、子どもたちは避けるようになった。だが、ジェームズはなぜ愛する家族に疎まれるのかわからなかった。

さまざまな検査を受け、認知症と診断されたのは59歳のとき。生活が破綻しはじめて、すでに3年が過ぎていた。

ある冬の日のこと。一人で出かけたジェームズが、通りで倒れているところを発見された。子どもたちもパニック発作や強迫性障害を発症した。モーリーンは追い詰められ、抗うつ剤を飲むようになった。

そんな家族が変わったのは、アルツハイマー病協会の職員だったブレンダ・ビンセントとの出会いがきっかけだった。

ブレンダは、ジェームズが行きたい所を聞いて誘い出し、自身の体験を人前で話す機会をつくってくれた。講演を重ね、スムーズに話せるようになったジェームズは、自信を取り戻していった。

日本も患者支える仕組みづくり模索

ブレンダはジェームズ以外の家族のことも気にかけて、行事に巻き込んだ。ジェームズの変化に気づくと、家族にそっと伝えた。

モーリーンは「信頼できて頼れる、家族みんなの親友」と感謝する。

ジェームズは次第に医療に関わる人や政治家にも自分たちの声を届けたいと思うようになり、2002年に当事者団体「スコットランド認知症ワーキンググループ」を設立した。「診断された日から、よりよく生きる支援が必要だ」と訴え続け、スコットランド自治政府は13年、「診断から最低1年間、リンクワーカーの支援を受けられる」とする国家戦略をうちだした。

「今は自分の人生の大半をコントロールできている気がする。ブレンダのおかげで、充実した生活が送れるようになった」とジェームズは話す。

日本も、診断直後の患者を支える仕組みづくりを模索する。介護福祉士らが自宅を訪ね、相談にのる「認知症初期集中支援チーム」を、18年度までに全市町村につくる方針だ。リンクワーカーの取り組みを参考にしたいと、スコットランドには官民からの視察が絶えない。

(下司佳代子)
(次ページへ続く)

  「認知症」という海~もっと楽に上手に
     世界に発信、富士宮モデル

静岡県富士宮市は、認知症の人が普通に暮らせる街づくりで知られる。全国から視察があるが、昨年10月に来た視察者には、市長の須藤秀忠も驚きを隠せなかった。「欧州の福祉先進国から来たんだよ。本来なら、こっちから視察に行くようなところなのに」

オランダ政府の保健・福祉・スポーツ省副大臣、マーテン・ファン・レイン(60)。首相訪日に先立って来日した際、丸一日を使って富士山のふもとに足を運んだ。新幹線車内で記者の取材に応じたファン・レインは「認知症の人の支援に、新聞配達などの事業者を巻き込んでいる。たくさんの目で見守れるのが素晴らしい」と称賛した。

短い滞在中になぜ、富士宮市を訪れたのか。国際医療福祉大教授の堀田聰子は「認知症になっても安心して暮らせる地域に向けて、立場を超えてともに行動する。富士宮の取り組みは世界に発信したいモデルです」と話す。オランダ大使館に視察をアドバイスしたのが、堀田だ。

富士宮市では、認知症の人が集まるサロンや、旅行やスポーツのサークル活動を市民が独自に運営する。店舗や金融機関、タクシー会社の職員らが認知症当事者の声を直接聞く機会を持つ。市役所主導ではなく、税金や保険料を使う介護保険とも別の取り組みだ。

高齢者にやさしい地域づくり

2000年度の介護保険制度の誕生で、利用できるサービスは飛躍的に増えた。だが介護保険の総費用も急増し、16年度は10.4兆円と、00年度の3倍近くになった。危機感を抱いた政府は、軽度の人向けのサービスを保険から給付するのではなく、市町村に任せてコストを抑えようとしている。

似たような動きがオランダでも進む。在宅ケアの責任を国から市に移し、家族や地域の支え合いをより活用しようとしている。この政策を推進するのがファン・レインだ。「医療・介護の長期ケアの費用は年4~5%伸びたが、経済成長率は良くても2%。このままでは持たないと考えた」と振り返る。

ただ、オランダでも多くの自治体は、こうした動きに十分ついていけていない。日本には富士宮だけでなく、福岡県大牟田市や京都府宇治市などでも優れた取り組みがある。

G8認知症サミットを受け、日本は「新しいケアと予防のモデル」を担当することになった。高齢者にやさしい地域づくりを進める「新オレンジプラン」ができたのが15年。適切な医療や介護の提供や、介護者への支援など七つの柱が立てられた。

社会保障財政が苦しいのは、どこの国も同じだ。高齢化率世界一の日本が先駆的なモデルをつくり、海外がお手本にする。そんな時代が近いのかもしれない。

(浜田陽太郎)

取材にあたった記者

浜田陽太郎(はまだ・ようたろう)
1966年生まれ。社会保障担当論説委員などを経てGLOBE記者。スウェーデンへの出張は4回目。5月1日付でデジタル編集部に異動。

瀬川茂子(せがわ・しげこ)
1962年生まれ。科学医療部で医学や基礎科学、災害などを担当。2025年までに認知症克服をめざす米国の研究者の熱気に驚いた。

下司佳代子(げじ・かよこ)
1982年生まれ。国際報道部記者。ジェームズさんの伝言。「専門家と当事者が団結すれば日本は認知症ケアのリーダーになれる」

小山謙太郎(こやま・けんたろう)
1974年生まれ。広州・香港支局長などを経てGLOBE記者。さすが本場。中国の老人ホームでも予防をうたい麻雀卓が並んでいた。

  [Webオリジナル] 「認知症」をめぐって
     富士宮モデル」とは?

個人を支え、施策にいかす

市職員インタビュー

静岡県富士宮市は、住民が中心となり、「認知症になっても、これまでと変わらぬ暮らしができる街づくり」を進めてきた。海外からも注目を集めるこの動きは、認知症の当事者が自らを語り始めたことが始まりだが、黒衣としてそれを支えてきた市職員の役割も見逃せない。市役所の福祉総合相談課で認知症を担当してきた稲垣康次さん(写真左)と望月昌宏さん。自治体職員として、組織内外の様々な困難を乗り越え「住民とともに地域をつくる」実践を重ねてきた2人に話を聞いた。(聞き手・浜田陽太郎) 稲垣康次さん(左)と望月昌宏さん

――富士宮市が、認知症を抱える人の支援に力を入れ始めたのは、当事者が起点だったそうですね。

まず押さえて欲しいのが、富士宮市役所は、直営の地域包括支援センターにいる保健師や主任ケアマネジャーなどの専門職がすごく優秀なのです。とことん、住民と向き合ってニーズを掘り起こしています。

2008年2月、佐野光孝さん夫婦が市役所にやってきました。夫の光孝さんは前年、58歳のときに認知症と診断され、仕事に行けなくなりました。ご本人は「人間失格だ」とまで落ち込んでいたのを、奥さまが半ば強引に市役所まで連れてこられたのです。認知症の人が一歩、社会に出るのは、ある程度、強制的に連れて来られることが多いみたいです。

認知症の人が窓口に来たとき、市役所はまず介護保険サービスにつなぐことを考えます。でも、どうでしょうか。つい最近まで会社で働いていた60歳前の人に、利用者の平均年齢が80歳を超えているデイサービスの一覧表を紹介したら、ご本人を追い詰めるだけでしょう。窓口で最初に応対した久保田絵美子・保健師は、最初から介護保険のサービスを紹介するなんて考えていませんでした。

佐野さんの話を聞いて、元営業マンで人と話すのが好き、バイク好きで旅行が趣味、焼きそばを食べ歩いているといった話を聞いて、ひらめいたのが観光案内所のボランティア。その日のうちに、話をまとめてしまいました。

――事務職の稲垣さんが、当事者とどうつながったのですか。

久保田保健師が、「佐野さんと話をしてはどうか」と誘ってくれました。私は介護障害支援課にいて、包括の担当部署(福祉総合相談課)ではなかったし、事務職ですので普段相談には出ません。でも、久保田保健師が調整してくれたおかげで、3日後に佐野さんと初めて話すことができました。

――専門職は個人の支援が仕事ですが、事務職の人が関わると「市民はみんな平等なはず。個人を助けるのは公平じゃない」と言われませんか?

地域支援の課題は、個人の生活課題からしか見えません。目の前の人をどう支援するか、しっかり考えていく。これは、譲れない原点です。平等公平だけを唱えていたら、誰一人救えません。

ただ、事務職が市民一人の支援だけしていたら、えこひいきになってしまう。個人の支援に終わらせず、地域全体の課題に展開し、施策へと昇華させる必要があります。

――具体的にはどう進んだのでしょうか?

佐野さん自身も、一部の親族を除いて認知症のことをカミングアウトしていませんでした。その段階で、ただ観光案内所に話を持ち込んでもなかなかうまくいきません。

観光案内所は商店街のなかにありましたので、そこの商店主さんたちにも理解してもらわなければいけません。佐野さんをサポートしてくれる人と打ち合わせをしないといけない。ご夫婦への支援も継続していかなければならない。時間をかけて面的な広がりをつくる必要があります。

その過程では、常に問題が出てきます。実は4年たったところで、観光案内所の運営補助金が切れて、閉鎖されてしまいました。佐野さんは1年間、行く場所がなくなってしまいました。今もそうですが、「うまくいっている」という感覚は私たちにはありません。

それでも、専門職と事務職が一緒になって佐野さんの支援に動くなかで、「認知症の人が暮らしやすい街」というイメージが見えてきた。その中で、我々も成長できました。

――住民の協力が得られたということですか?

その感覚は少し違います。「住民が協力する」ではないのです。一般的に自治体職員は「認知症サポーターを養成し、活用する」と言いますが、この感覚はおかしい。サポーターは行政に養成されるものでも、活用されるものでも、協力するものでもないんです。

この地域に住んでいるのは住民です。認知症の当事者はすでにリスクを抱えていますが、他の高齢者だってあと10年たてば5人に1人は認知症になるリスクを負うわけですよね。そんなリスク社会で、「みなさんは、どうやって生活していくのですか?」という話。自分事として考えられるかどうか、なんです。

普通、認知症サポーター養成講座というと、「80種類の病気が関係していて、中核症状と周辺症状があって……」という講義になるじゃないですか。そうではなくて、「同じ地域に住んでいる人が認知症になったら、どうしますか」という課題を、行政と住民が一緒になって考えるということです。

たとえば、ある一人暮らしのお年寄りの家に通っているヘルパーが、冷蔵庫が卵でいっぱいになっているのを発見した。どうやら毎日、卵を買ってきているらしい。これに対して、近所の商店街はどう対応するか。商店街は毎週水曜日に会合を開いているから、役所から説明に来いとなる。で、行ってまず、問いかけます。

「みなさんは、この人は施設に入ればいいと思いますか、それとも、ここで生活し続けて欲しいと思いますか」

そのとき、「ここで生活し続けるなら、どうしたらいいんだろう」となったら、初めて「この人は認知症を抱えていて、こんなリスクがあるんですよね」という説明をし、その後に商店街全体を対象にしたワークショップを開いてもらう。そうすると、「その日のうちだったら、返品に応じるよ」という店主もいれば、「返品はムリだけど、一言注意をします」という人もいます。各商店がやれる範囲で考えてくれたらいい。

また、そうしたワークショップをしていると、タクシー協会から「お金をもってないお客様にたくさんの距離を走らされて困ったんだ」とか、清掃業者等から「認知症の人に車をぶつけられた」などの情報が入る。それを一緒に考えて、整理する姿勢が、大切だと思いました。「ここは自分たちでできるけど、ここは行政が動いてほしい」とかいう対話を通じて、行政の役割が見えてくる。

もちろん、すぐに課題が解決できることもあるし、長期スパンで取り組むこともある。そこは、行政パーソンだから、関係者で話し合って、事業計画に乗せて、単・中・長期で組み立てることが必要と感じました。

だから、行政が「養成する」とか「活用する」ではなくて、住民と一緒に「自分たちの地域で、自分たちが生きていくために、何が一緒にできるのか」を考えることが、「公共」というものだと思ったのです。

――「住民の皆さんにご協力をお願いしたい」ではないと。

僕らは「ありがとう」とは言いますが、「お願いします」とあまり言いませんでした。行政が「お願い」すれば、「行政の責任と負担を押し付けられた」と感じる方は多いと思います。

住民のみなさんは、同じ地域で一緒に暮らしている住民のために、何かしたいとは思っている。目の前の人が倒れたら、誰でも声をかけて助けるでしょ。ただ、人とつながれていないから、その気持を行動に移す機会がない。人をつなぐ機会を提供することも公的機関には必要だと感じました。

それと、プラスの情報をどんどん出すことが大事です。「みなさんのちょっとした活動のおかげで、認知症の人も、いま、こんな生活が送れています」とかね。

  [Webオリジナル] 「認知症」をめぐって
     認知症の人 入院減らすには

ロンドンとグラスゴーでの取り組み

日本では、行き場のない認知症の人が長期にわたって精神科病院に入院するケースが問題となっている。英国の北東ロンドン地区や、スコットランドのグラスゴー郊外では、入院患者を減らす独自の取り組みが行われていた。(下司佳代子)

取り組みを担うのは、国営医療サービス(NHS)の医師や看護師らによる「認知症危機サポートチーム」だ。

土日も含めて毎日午前9時から午後5時まで、地域の病院やかかりつけ医、老人ホームからの電話だけでなく、認知症の人をケアする家族からの相談も受け付ける。毎月100件ほどの相談が寄せられるという。

毎朝9時から1時間の会議で、緊急性を判断して対応する順番を決める「トリアージ」を行い、事例ごとのケア計画も決める。チームは一つの事例につき最長4週間、集中的に通い、その後は必要があれば他の組織に引き継ぐ。

92歳の女性のケースでは、同居していた介護者に対して暴力的になり、心配したかかりつけ医がチームに連絡した。「このような場合は、緊急性が高い『赤』。チームが即自宅に出向きます」と、取り組みの発案者であり、チームを率いる老年精神科医のアフィファ・カジ(46)。このときも精神科医が女性の家に駆けつけて、薬を飲んでもらうことにした。

しばらくの間は毎日通って薬の効果を確かめ、介護者を支えた。女性は次第に落ち着きを取り戻し、チームの電話番号を知った介護者は「いつでも連絡できる」と安心し、自宅介護を続けることになった。

「認知症の人は、ときに暴力的な振る舞いをすることがあります。これまでは警察を呼んで入院させるしかありませんでしたが、チームが対応することで、家や老人ホームに住み続けられるようになりました」とカジ。

チームはかかりつけ医や老人ホームとの連携も密にしている。カジは昨年1年間で、老人ホーム15カ所、175人のスタッフを対象に研修をした。研修の内容は「ニーズを見て決める」。認知症に詳しくないスタッフが多いホームでは、症状など基本的な説明をし、認知症の人が多いところでは落ち込んでいる人への対処法など、具体的な話をする。

取り組みが始まった2年前に比べ、地域の精神科病院への入院は半減した。100万ポンド(約1億6000万円)のコスト削減につながった、とカジは試算する。

「認知症の人は、場所が変わると混乱して症状は悪化します。自宅の方がストレスが少ない。入院が減れば社会的なコストも抑えられ、浮いたお金をよりよいケアに向けられます」

入院を減らす取り組みとしては、スコットランドのグラスゴー郊外にも「ホスピタル・アット・ホーム」と呼ばれるチームがある。自宅で過ごしたいと希望する認知症の人を含む高齢者に、入院時に近いケアを提供するのがコンセプトだ。かかりつけ医や救急隊などからの紹介を受けて、医師や看護師らのチームが自宅を訪ね、血液検査や心電図、点滴などをする。

チームを率いる老年病専門医のローエン・ウォレスは「地域の病院をベースにした医師が、メンタルヘルスや救急対応など様々な専門をもった看護師らと連携して対応します。脳卒中など極度に緊急性の高いものを除き、私たちにできることはとても幅広いのです」。サービスを利用する80代の重い認知症の男性の家族は、「入院だと看護師は忙しく、日夜、小さないすに腰掛け、交代で付き添う家族の負担も大きかった。家で過ごせて、本人も家族も助かっている」と話す。

  Memo
     スウェーデンの影

スウェーデンといえば、高福祉の理想国家というイメージが強い。だが日本で有料老人ホームなどを運営する同国出身のグスタフ・ストランデルは「暗い過去があるのは日本と同じです」と話す。

かつて、高齢者が家族にとって厄介者になると、崖から突き落としたり、長い柄のついた木槌で打ち殺したりしていた……。作家・ジャーナリストのイーヴァル・ロー=ヨハンソンが、老人ホームの悲惨さを告発した著書『スウェーデンの高齢者』(1952年)の中で紹介している。その後、スウェーデンは「福祉国家」という国際評価を定着させていった。

だが、その評価を揺るがすような事件も起きている。2010年、同国北部にある施設で、職員がゼロになる夜間、認知症の入居者を閉じ込めていたことが発覚した。認知症連盟会長のパール・ラームストロームは「職員配置に国の統一基準がないので、自治体間に大きな格差がある」と指摘する。11年には、大手民間介護サービス会社の施設で、入居者が排泄物にまみれたまま放置されて亡くなるなど、ずさんな介護が問題化した。この会社を所有する投資企業が、税金から上げた利益を租税回避地に流出させていた実態も明らかになった。

ロー=ヨハンソンの著書の共訳者でもある東京経済大教授の西下彰俊は、「日本人は、スウェーデンの高齢者福祉をバラ色に描きがちだが、光と影がある。どちらも見なければ全体像が把握できず、日本がくみ取るべき教訓も学べない」と指摘する。

(浜田陽太郎)

  Memo
     認知症と安楽死

オランダ政府は昨年12月、安楽死のガイドラインを改め、重い認知症の人でも安楽死を選べる道を開いた。

2002年に施行された安楽死法は、本人の明確な意思表示がある▽耐え難い苦痛がある▽治療法がない──などの条件を満たした場合、安楽死の対象になるとしている。塩化カリウムなどを注射して患者を死に至らせる積極的安楽死と、医師が致死薬を出す自殺幇助(ほうじょ)の二つの方法が認められている。日本ではいずれも、認められていない。

各国の安楽死制度に詳しい横浜市立大准教授の有馬斉によると、認知症は「耐え難い苦痛があるかどうか」が明確でなく、意思の疎通が難しくなった患者の安楽死はほとんど行われてこなかった。

現地の報道などによると、ガイドラインは「重い認知症の人であっても、深刻な不安や苦痛を経験しうる」と説明。明確な意思表示ができるうちに、文書で「安楽死を希望する」と残していた場合は、医師が合法的に実行できるとした。「事前によく医師と話し合うことが大切」とも指摘している。

統計によると、オランダで14年に安楽死した人は5306人。うち認知症の人は81人に上り、希望者は増える傾向にある。今回のガイドライン改定について、反対する市民団体からは「患者を安楽死させるよう、医師をそそのかしている」など批判の声が上がっている。また事前に意思を示していたとしても、誰が実行する時期を決めるのかという問題も残る。

(下司佳代子)