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折々の記 2016 ⑥
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】05/30~     【 02 】06/06~     【 03 】06/08~
【 04 】06/15~     【 05 】06/24~     【 06 】07/17~
【 07 】07/18~     【 08 】07/18~     【 09 】08/21~

【 08 】07/18

  07 19 トルコのクーデター未遂   天声人語
  07 19 参院選―「改憲勢力3分の2」の意味   (考論 長谷部×杉田)
  07 22 自分の世界は自分で築くもの   自分の死によって消滅する
  08 06 平和宣言   松井広島市長
  08 08 象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉   (全文)
  08 16 天皇陛下、再び「深い反省」   改めて戦没者への強い思い

 07 19 (火) トルコのクーデター未遂     天声人語

▼「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄は1937年、議会での演説を前に、辞世の歌を詠んでいた。軍部の横暴に批判を加えようとする演説で、暗殺をも覚悟しなければならなかったからだ。回想録の『民権闘争七十年』にある

▼〈命にもかへてけふなす言説をわが大君はいかに見たまふ〉。前年に起きた2・26事件は、閣僚ら幾人もの生命を奪った。軍事クーデターとしては未遂に終わったが、影響は続いた。テロの恐怖を背景に軍部が発言力を増していった

▼時代や国は変わっても悲劇は続くのか。トルコで軍の一部が企てたクーデターは、多くの犠牲を伴いながらも鎮圧された。それでも懸念はなくなりそうにない。これを機に政府がこれまで以上に強権的になるのではとの見方がある

▼政権はエルドアン大統領の政敵とされる人物を事件の首謀者だと断定し、関係が近いとみられる裁判官ら2千人余の職権も一時停止した。そうでなくとも大統領に批判的な学者や記者が摘発され、言論の自由が脅かされている

▼軍事政権が生まれる最悪の事態は避けられた。しかし再発防止を理由に独裁傾向を強めれば、それもまた社会を不安定にするのではないか

▼5年ほど前、首相だったエルドアン氏を取材した。経済が好調で世界の資金が集まるのが誇らしそうで、「お金を置くのに安全な港だと世界から見られている」と語っていた。一転して政治も経済も不安定化する昨今である。対話抜きに腕力だけでしのげるとは、とても思えない


ニュース  トルコ反乱、6000人拘束 ギュレン師の身柄、米に要求

 トルコのボズダー法相は17日、未遂に終わったクーデターに関与したとして約6千人を拘束したと述べた。陸軍の幹部など複数の将官や大佐らが含まれる。またトルコ政府はクーデターを首謀したのは米国亡命中のイスラム教指導者ギュレン師だとして、米国に同師の引き渡しを求めた。▼2面=深い傷痕、7面=市民が証言、35面=不安の中帰国

 トルコ外務省は17日、今回の反乱で少なくとも290人が死亡したと発表した。このうち100人以上が反乱勢力の兵士ら。負傷者は1400人以上としている。

 政府は16日、2839人の軍人を拘束したと発表。地元メディアによると、このうち高級幹部はアーデム・フドゥティ陸軍第2軍司令官、エルダル・オズトゥルク陸軍第3軍司令官、アキン・オズトゥルク元空軍司令官らで、トルコ紙によると将官40人以上、大佐が29人いるという。また2745人の裁判官と検察官に逮捕状を出し、これまでに拘束されたのは少なくとも135人に上る。

 政府は反乱を機に、軍と司法権力から最高実力者のエルドアン大統領に批判的な勢力を一掃する構えだ。

 トルコ政府高官は17日、「軍の反政府勢力で逃亡中の複数の重要人物がいるが、間もなく逮捕される」と述べ、治安が回復されていることを強調した。最大都市イスタンブールは日常を取り戻しつつある。

 エルドアン氏は16日、クーデターを企てたのはギュレン師を信奉する勢力だとし、米国に対し同師の身柄引き渡しを要求した。一方、ギュレン師は声明を発表。クーデターへの関与を否定した。

 (イスタンブール=石田耕一郎、カイロ=翁長忠雄)


 07 19 (火) 参院選―「改憲勢力3分の2」の意味     (考論 長谷部×杉田)

 自民などの「改憲勢力」と、「安倍政権による改憲阻止」を掲げて共闘する野党がぶつかった参院選。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の連続対談は今回、「改憲勢力」が憲法改正の国会発議が可能となる「3分の2」を確保した選挙結果について、その意味を問い直す。

 ■ 争点化せず、選挙後に明言 杉田 / 民意は「操作の対象」なのか 長谷部

 長谷部恭男・早稲田大教授 参院選の結果は野党が1人区で11勝し、かなり善戦したと言えます。共闘していなければ、とてもここまで持ちこたえられなかったでしょう。

 杉田敦・法政大教授 いま一部メディアが、野党共闘は破綻(はたん)したとさかんに言っていますが、成功したから潰したいという意図が透けて見えます。一方、自民党は大勝し、改憲に前向きな「改憲勢力」の議席が3分の2に達した。安倍晋三首相は次の国会から憲法審査会を動かし、議論を進めたいと言っています。

 長谷部 3分の2という数字にどれほどの意味があるのか、よくわかりません。街中で100人の人にアンケートしたら、3分の2の人が「山に登りたい」と言っていたというのと、どこが違うのでしょう。

 杉田 富士山に登りたい人もいれば、木曽の御嶽山をめざす人もいると。

 長谷部 「民法改正に賛成ですか、反対ですか」なんてアンケートをとれないのと同じで、「改憲か、護憲か」という問題の立て方がおかしい。しかも選挙前に一部のメディアは、自民、公明、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党の4党で計78議席が3分の2のラインとしたのに、いつの間にか、4党と改憲に前向きな無所属議員を含めて78議席と、ゴールポストを動かしている。

 杉田 安倍さんやその周辺は終始、憲法は参院選の主要な争点ではないと言ってきました。それに対して一部の野党は、安保法制などの経験からして、選挙後に安倍首相は豹変(ひょうへん)し、憲法についても信任を得たと言うに違いない、だから憲法が争点なのだと訴えた。

 長谷部 そして予想通り、豹変した。

 杉田 安倍さんは選挙後の記者会見で「いかにわが党の案をベースに3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術だ」と明言しました。国民に正面から憲法改正を問いかけることなく、手続きだけ進めてしまおうということでしょう。しかもそれが「政治の技術」と言うのだから、厳しく批判されるべきです。

 長谷部 安倍さんにとって、民意というのは尊重すべきものではなく、操作の対象なのでしょう。

 杉田 安倍さんはこの間、国民には国民投票で民意を尋ねるので、改憲項目の選定や調整は国会の役割であると強調しました。しかし、参院選でも、前回の衆院選でも憲法改正を争点化しておらず、国民が改憲を国会議員に委任をしているか、非常にあやしい。形式的には代表だからといって、議会に設置された憲法審査会が改憲項目についてどんどん議論を進めることは、立憲主義の観点から果たして適切でしょうか。

 ■ 自己目的化した「改憲」 長谷部 / 土俵に引き込まれるな 杉田

 長谷部 日本国憲法というのは極めて簡潔にできていて、条文の数もドイツの憲法に比べると約半分です。きめ細かく条文で定めていないので、新しい事態が起きても、憲法の解釈か、法律を新たに制定することでほぼ対処できる。それでも、どうしても憲法の条文自体を変えたいとなると、二つの方向しかない。

 ひとつは、意味もなく文字面だけをいじる。自民党の憲法改正草案にも非常に多く見られます。もうひとつは、立憲主義の原則自体を変える。そういう仕事を国会の憲法審査会にやらせてしまう蓋然(がいぜん)性が高い。大変に困ったことです。

 杉田 憲法審査会でどこをどう変えるか議論しても、不毛な議論になる可能性が極めて高い。それは日本国憲法のつくりや構造自体に原因があるということですね。ただ、統治機構の問題、例えば二院制の中で参院をどう位置付けるか、という観点からの改憲は想定可能ではないですか。

 長谷部 想定されるのは参院の権限縮小ですが、参院が賛成するはずがありません。仮に、参院は都道府県の代表であると憲法に書き込むと、国会議員は全国民の代表だとする憲法43条との整合性が問われる。どうして東京だけ議員の数が多いんだという問題にもなる。いったいどう調整するつもりなのか。

 隣県の選挙区を「合区」するのがけしからんのなら報酬を減らしてでも参院議員の数を増やせばいい。議員数を減らすから、投票価値の平等の観点から合区しなきゃいけなくなっている。自業自得なんです。

 杉田 もうひとつ、法案が参院で否決された場合、衆院の3分の2以上の賛成で再可決しないと成立しないことが、衆参のねじれにつながっている。だから、単純多数決で再可決できるよう憲法を変えようという議論もあります。

 長谷部 しかし、憲法の統治機構の定めが何のためにあるかというと、一つの重要な要請は権力の行使にチェックを働かせることです。その時々の衆院の多数派が権力をふるいやすくすることを目的に憲法を変えるなら、そもそも憲法はいりません。改憲が自己目的化して、やるべきでないことをやろうとしています。

 杉田 こう話してきて、いつの間にか、憲法改正自体は必要で、後はどこを変えるかだという風に戦線がずらされてしまっていることを実感します。いろいろ批判したところで、安倍さんは憲法改正をやるだろうから、野党もメディアも、それを前提に考えなきゃいけないという状況追認的な議論にどうしてもなりがちです。でも、よくよく注意しないと、改憲が自己目的化した人たちの土俵に引きずり込まれます。

 ■ 世界で過激な民主主義 長谷部 / 再び立憲主義の想起を 杉田

 杉田 安倍さんはいま、「政治の技術」を発揮し、しきりに国民投票があるんだから、最後に決めるのは国民だと強調していますね。しかし、レファレンダム(国民投票)と、プレビシット(人民投票)は違う。プレビシットは民意を聞くためではなく、為政者への人民の信任を求めるために行われる国民投票で、為政者が自らの権力維持を図る狙いで行われるものです。行政の長たる首相が主導する形で行われる国民投票はプレビシットの典型です。その腑(ふ)分けをきちんとしておく必要があります。

 長谷部 まず憲法改正の必要性を、きちんと立証してもらわなければなりません。加えて憲法審査会は、確実な知識に基づいた議論をしてもらわないと困る。英国の欧州連合(EU)離脱を問う国民投票をめぐり、当時司法相だった離脱派のマイケル・ゴブ氏は「専門家の意見は聞き飽きた」と言っていた。経済の専門家は、離脱したら長期的には成長率は下がると言うが、聞く必要はないと。そのような「反知性」の潮流は日本にもあると思います。

 杉田 大阪都構想と、ほとんど構造が同じです。専門家がリスクを語ると、その言い方が気に障ると。米国のトランプ現象もそうだが、社会に不満が鬱積(うっせき)している時には、現状維持的な議論は人々の感情に訴えない。危ないと言われても、飛び降りてみないとわからない、座して死を待つのかという方に流れがちです。

 長谷部 EU離脱は、祖先伝来の優越意識の表れだと指摘するコラムが英国の新聞に載りました。ナチスにも英国だけが残って戦った。英国は特別なんだというナショナリズムが離脱派を精神的に支えていると。

 杉田 伝統とか誇りとか、物質的じゃないものの価値に人々がしがみつく現象が、世界で同時多発的に起こっている。日本も例外ではありません。安倍さんの改憲の本丸である9条の改正には、今のところ世論は反対の方が強い。ただ、「自主憲法制定」に吸引されるような回路が今後現れないとは言い切れません。

 長谷部 過激な民主主義が世界的に広がっています。憲法の抑制と均衡というブレーキは外して、政党という壁も取り払って、とにかく民意で突き進めと。

 杉田 国民主権だ、勝手に決めるなという意識は大事です。ただ、一方でそれは「最後に決めるのは国民の皆さんです」と言いながら行われる人民投票と実は相性がよくて、独裁政治を引き寄せてしまう危うい側面もある。やはり民主主義だけではだめで、権力の暴走を抑えるという立憲主義をもう一度想起しないといけません。

 (構成・高橋純子)

 07 22 (金) 自分の世界は自分で築くもの     自分の死によって消滅する

亀の生死を見よう。 キタキツネの子育てを見よう。 茄子を自分で作ってみよう。

そして、自分の生死を整理してみよう。

亀も、キタキツネも、茄子も、自分にしても、みんなで作るものではない。 みんな自分で、遺伝子と与えられた環境への適応に添って一生を生き抜き、やがて、死をむかえ消滅しています。

当然といえば当然のことと誰しも理解できます。 はかない一生といえば、はかない一生といえます。  でも、高山植物は好きこのんで寒暖の激しい場所を選んだものではないはずですし、私自身も長野県の下伊那郡の喬木村の小さい百姓の次男として好きこのんで生まれてきたわけではありません。 思えばすべての生きものは、好きこのんで自分の現在地に生を享けたものではないのです。

きょう提起した課題の意味合いはおよそ見当がつきますね。

人はだれしも死をむかえる年ごろになると、そんないらんことを考えるようになると思います。 思うように体を動かし思うように活動できなくなってくると、それでも、人の生きざまについての自分なりの矛盾しないそして統一した考えを持ちたいと思うようになるのでしょう。 でたらめな人だったというように、子や孫には思われたくないという気持ちがはたらくのだろうと思います。

植物は与えられた環境にできるだけ適応しようとして種子を残してきました。 その花にしても自分の種子を確実に残そうとしていろいろ工夫し変化しつづけてきました。 人もまた同じように本当のことを求めようとがまんし努力していろいろと変化しつづけてきました。 そうした足跡はいろいろの文化として受けつがれて今日にいたっております。

人はまた、どのように生きたらいいのかという課題についていろいろの角度からの考えを経て、宗教がうまれ、倫理の道が求められ、生活の合理化がすすめられ、科学技術が進歩して人の社会生活が豊かになってきました。 私たちはこれらを文化とよんでいます。 文化には目に見える物質文化と目には見えない内面文化にわかれます。

物質文化はその質においても量においても広がりや進歩の度合いにおいても、発明、発見、創作、製造、建設などの広い分野で生活の便利性がすすめられ合理化がすすめられてきています。

目に見える文化はその変化が既設のものとして受けとめられて享受

 08 06 (土) 平和宣言【平成28年(2016年)】     

広島市長 松井 一實


平和宣言

1945年8月6日午前8時15分。澄みきった青空を切り裂き、かつて人類が経験したことのない「絶対悪」が広島に放たれ、一瞬のうちに街を焼き尽くしました。朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜などを含め、子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、その年の暮れまでに14万もの尊い命を奪いました。

辛うじて生き延びた人々も、放射線の障害に苦しみ、就職や結婚の差別に遭(あ)い、心身に負った深い傷は今なお消えることがありません。破壊し尽くされた広島は美しく平和な街として生まれ変わりましたが、あの日、「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、歴史と共に育まれた伝統文化は、二度と戻ることはないのです。

当時17歳の男性は「真っ黒の焼死体が道路を塞(ふさ)ぎ、異臭が鼻を衝(つ)き、見渡す限り火の海の広島は生き地獄でした。」と語ります。当時18歳の女性は「私は血だらけになり、周りには背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、水を求めて泣き叫ぶ人がいました。」と振り返ります。

あれから71年、依然として世界には、あの惨禍をもたらした原子爆弾の威力をはるかに上回り、地球そのものを破壊しかねない1万5千発を超える核兵器が存在します。核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

私たちは、この現実を前にしたとき、生き地獄だと語った男性の「これからの世界人類は、命を尊び平和で幸福な人生を送るため、皆で助け合っていきましょう。」という呼び掛け、そして、血だらけになった女性の「与えられた命を全うするため、次の世代の人々は、皆で核兵器はいらないと叫んでください。」との訴えを受け止め、更なる行動を起こさなければなりません。そして、多様な価値観を認め合いながら、「共に生きる」世界を目指し努力を重ねなければなりません。

今年5月、原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領は、「私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない。」と訴えました。それは、被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という心からの叫びを受け止め、今なお存在し続ける核兵器の廃絶に立ち向かう「情熱」を、米国をはじめ世界の人々に示すものでした。そして、あの「絶対悪」を許さないというヒロシマの思いがオバマ大統領に届いたことの証しでした。

今こそ、私たちは、非人道性の極みである「絶対悪」をこの世から消し去る道筋をつけるためにヒロシマの思いを基に、「情熱」を持って「連帯」し、行動を起こすべきではないでしょうか。今年、G7の外相が初めて広島に集い、核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛け、包括的核実験禁止条約の早期発効や核不拡散条約に基づく核軍縮交渉義務を果たすことを求める宣言を発表しました。これは、正に「連帯」に向けた一歩です。

為政者には、こうした「連帯」をより強固なものとし、信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、「情熱」を持って臨んでもらわなければなりません。そのため、各国の為政者に、改めて被爆地を訪問するよう要請します。その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、必ずや、被爆の実相を心に刻み、被爆者の痛みや悲しみを共有した上での決意表明につながるものと確信しています。

被爆者の平均年齢は80歳を超え、自らの体験を生の声で語る時間は少なくなっています。未来に向けて被爆者の思いや言葉を伝え、広めていくには、若い世代の皆さんの力も必要です。世界の7千を超える都市で構成する平和首長会議は、世界の各地域では20を超えるリーダー都市が、また、世界規模では広島・長崎が中心となって、若者の交流を促進します。そして、若い世代が核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、具体的な行動を開始できるようにしていきます。

この広島の地で「核兵器のない世界を必ず実現する」との決意を表明した安倍首相には、オバマ大統領と共にリーダーシップを発揮することを期待します。核兵器のない世界は、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界でもあり、その実現を確実なものとするためには核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。また、日本政府には、平均年齢が80歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、本日、思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、被爆地長崎と手を携え、世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

                  平成28年(2016年)8月6日  広島市長 松井 一實



 08 09 (火) 象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文)     

天皇陛下のお言葉、立場を心得てのつつましい表現に心を打たれました。 その通りの内容になるよう国民の意思によって改善してあげようと思いきす。


(宮内庁8月8日発表・全文)

 戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。

 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ケ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 国民の理解を得られることを、切に願っています。


 08 16 (火) 天皇陛下、再び「深い反省」      改めて戦没者への強い思い

今上陛下は私たちの誇りです。


朝日新聞 2016年8月15日21時29分 島康彦
 天皇陛下、再び「深い反省」 改めて戦没者への強い思い
      http://digital.asahi.com/articles/ASJ8G5H2LJ8GUTIL013.html?iref=comtop_8_02

 天皇陛下が8日に「生前退位」をにじませたビデオメッセージを公表して以降、初めて公の場で述べる「おことば」は例年以上に注目を集めた。「過去を顧み」とさきの大戦をはじめとする戦争の歴史に言及。昨年の戦没者追悼式で新しく用いた「深い反省」の表現を再び選び、改めて戦没者への強い思いを明かした。

 昨年は戦後70年の節目とあって新しい表現が多く加えられたが、今年はその中から「深い反省」の表現が残った。1992年に歴代天皇として初めて訪問した中国での歓迎晩餐会(ばんさんかい)、94年に韓国の大統領を歓迎した宮中晩餐会で用いられた表現だ。

 「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」。陛下は8日のビデオメッセージでそう語った。象徴として陛下がとりわけ重きを置いてきたのが、戦没者への慰霊だ。

 陛下は折々に「過去の事柄が正しく継承されること」の大切さを口にしてきたが、戦争の歴史が忘れ去られることに焦燥感を募らせているとも聞く。戦後70年に続いて「深い反省」を用いたのは、改めて過去に向き合おうというお気持ちの表れともいえる。(島康彦)


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 戦後71年の終戦の日となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、天皇、皇后両陛下が臨席して約310万人の戦没者を悼んだ。安倍晋三首相は昨年に続き不戦の決意を強調したが、アジア諸国への加害と反省には4年連続で触れなかった。

  天皇陛下のおことば 戦没者追悼式 ⇒
  安倍首相の式辞全文 戦没者追悼式 ⇒


 追悼式には全国から約5300人の遺族らも参列した。安倍首相は式辞で「皆様の尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを片時たりとも忘れない」と哀悼の意を表明。さらに海外に残された約113万柱の戦没者遺骨を念頭に「おひとりでも多くの方々が、ふるさとに戻っていただけるよう、全力を尽くす」と誓った。

 歴代の首相が踏襲してきたアジア諸国への「加害」と、それに対する「深い反省」や「哀悼の意」については、第2次安倍政権の発足以来、式辞の中で触れていない。安倍首相は昨年に続いて「戦争の惨禍を決して繰り返さない」との表現で不戦の決意を示した。

 正午の黙禱(もくとう)に続き、天皇陛下は「おことば」で昨年と同様に「深い反省」という表現を選び、「戦争の惨禍が再び繰り返されないこと」を切に願うと述べた。

 参列を予定していた5100人余りの遺族は世代交代が進む。20年前に1千人以上いた戦没者の妻は初めて一桁となる7人。子や孫は3千人を超え、全体の6割に達した。遺族を代表し、父親の瀬川寿(ひさし)さんがフィリピンで戦死した広島県東広島市の小西照枝さん(74)が追悼の辞を述べた。(久永隆一)

・天皇陛下のおことば 戦没者追悼式

 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に71年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


・安倍首相の式辞全文 戦没者追悼式

 本日ここに、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式を挙行するにあたり、政府を代表し謹んで式辞を申し述べます。

 あの苛烈(かれつ)を極めた先の大戦において祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃(たお)れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に亡くなられた御霊、皆様の尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを片時たりとも忘れません。衷心より、哀悼の誠を捧げるとともに、改めて敬意と感謝の念を申し上げます。

 いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、脳裏から離れることはありません。おひとりでも多くの方々が、ふるさとに戻っていただけるよう、全力を尽くします。

 我が国は戦後一貫して戦争を憎み、平和を重んじる国として、孜々(しし)として歩んでまいりました。世界をよりよい場とするため惜しみない支援、平和への取り組みを、積み重ねてまいりました。

 戦争の惨禍を決して繰り返さない。これからも、この決然たる誓いを貫き、歴史と謙虚に向き合い、世界の平和と繁栄に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世の中の実現に全力を尽くしてまいります。明日を生きる世代のために、希望に満ちた国の未来を切り開いてまいります。そのことが御霊に報いる途(みち)であると信じて疑いません。

 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に永久(とわ)の安らぎと、ご遺族の皆様にはご多幸を心よりお祈りし、式辞といたします。

・戦争を知らない君に 101歳が 17歳が 平和祈る

 追悼式に参列した101歳は亡き夫に不戦を誓い、17歳は戦争の記憶を受け継ぐ決意を固めた。それぞれの思いを胸に迎えた15日の「終戦の日」。戦場で死線をくぐり抜け、100歳に達した元兵士たちも、改めて平和に思いをめぐらせる。

■元兵士「記憶残すのが役目」

 「互いに憎しみもない人間同士が殺し合うのが戦争。異常な世界ですよ」。水戸市の元陸軍兵、河原井卓さん(102)は戦地での経験をふり返る。

 農業をしていた1941年、22歳の妻と生まれたばかりの娘を残して出征。東南アジアで輸送任務などにあたったが、食料や水不足に悩まされ続けた。「死んでたまるか。絶対に生きて帰る」。懐の家族の写真に誓い、カタツムリまで食べて飢えをしのいだ。

 戦地ではマラリアや赤痢が蔓延(まんえん)し、何人もの戦友をみとった。「『天皇陛下万歳』と言って死ぬ兵士なんていなかった。みんな一番最後は『お母さん』だった」

 戦後、自民党国会議員の地区後援会長も務めた河原井さんだが、日記や戦争体験をまとめて近く自費出版する本では、集団的自衛権の行使容認などを進めた安倍政権を批判するという。「戻ってはいけないあの頃に近づいている気がする。戦争の記憶を残すことは、その惨めさや野蛮さを知っている私たちの役目だと思っています」

 静岡県沼津市の矢田保久さん(100)は15日、毎年のように続けてきた東京・靖国神社への参拝を諦めた。亡くなった戦友を慰霊したかったが、数日前から体調が悪くなったためだ。

 35年、陸軍近衛歩兵第2連隊に入隊。翌年、二・二六事件の鎮圧に加わり、その後は中国戦線へ。マラリアになったり、師団司令部で爆撃を受けたりしながら7年間戦い続け、戦後は国会議員秘書などを務めた。

 今、海洋進出に野心的な中国の動きを危惧する。人が次々に死んでいく戦場を見てきただけに、安全保障法制に反対する主張などには「『戦争反対』を叫ぶだけで平和が守れるのか」と疑問を感じるという。

 岐阜県垂井町の三輪春夫さん(100)は陸軍部隊に所属し、中国や東南アジアなどを転戦した。ミャンマーでは捕らわれた部隊の救出作戦に加わり、機銃掃射に何度もさらされた。「いつ死ぬかわからない。毎日が苦しかった」

 出征時は24歳。その頃は世界情勢に疎かったという反省から、今では新聞を読み、テレビニュースを見るのが日課だ。先の大戦は、領土と資源の争いだったと考える。今の世界でも今後、温暖化や人口増で資源配分の問題が深刻化するとみる。「平和のことを年中考えている。色んな問題はあるが、国同士の話し合いでうまくやってほしい」(東郷隆、奥村智司、岩崎生之助)

 15日の全国戦没者追悼式に参列した最高齢者は、東京都多摩市に住む101歳の中野佳寿(かず)さんだった。巡洋艦「最上」の航海長だった夫の信行さんは1944年10月25日、34歳の時にフィリピンの近海で戦死した。「とっても人格者で、私にはもったいないくらいの人でした」と話す。

 海軍兵学校の教官だったが、戦況が厳しくなる中で「何もしないでいるのは耐えられない」と志願して43年4月に出征。その年の暮れ、巡洋艦の修理のため広島・呉に戻ってくると聞き、駆けつけた。信行さんは6歳だった長男のためランドセルや筆入れ、鉛筆といった学用品を一式そろえて待っていてくれた。

 それが最後だった。中野さんは「後から思うと、覚悟していたのかもしれない」と振り返る。

 「子どもたちは元気でいるか」「生活はどうか」――。これまでしばしば届いていた家族を気遣う信行さんの便りが、翌年に突然、途絶えた。胸騒ぎがして信行さんの同期に問い合わせ、戦死したと知った。

 中野さんは今、戦争を知る人が少なくなったことに不安を感じている。「どうか関心を持って、よく考えていただけますように。絶対に戦争はだめです」

 そうした思いを受け継ぐ若い世代も参列した。熊本県立小川工業高校3年の森田裕也さん(17)。曽祖父の市喜(いちき)さんは36歳の時、乗船していた輸送船が魚雷攻撃で撃沈されて戦死した。

 森田さんは幼い頃から、市喜さんの長男で祖父の義満さん(80)に戦後の苦労を繰り返し聞かされた。ほかの戦争体験者の話を聞く機会もあり、「曽祖父はたまたま戦争の時代に生まれた。時代が違えば、戦死したのは自分だったかも知れない。戦争は恐ろしい」と考えるようになった。

 将来は、祖父・義満さんのように戦争体験を語り継ぐ「語り部」の活動をするのが目標だ。追悼式では若い世代を代表して献花し、曽祖父にこう誓った。

 「平和な未来を築きます。ぼくが戦争の話を同世代に語り継ぎます。あきらめません」(伊藤舞虹、久永隆一)

■遺族「みな犠牲者」

 15日の全国戦没者追悼式で、全国の遺族代表として「追悼の辞」を述べた小西照枝さん(74)。広島県東広島市から参列した。

 終戦の前日、日本陸軍の兵長だった父・瀬川寿(ひさし)さん(当時36)はフィリピン・ルソン島で戦死した。米軍との激戦で20万人以上が亡くなったとされる地だ。

 「異郷の地において、帰らぬ人となられましたご英霊を思う時、さぞ残念であったろうと尽きることのない無念の思いでいっぱいでございます」

 1944年3月、農家の父に召集令状が届く。残される母と祖母、照枝さんら2人の幼子。父は紙包みを託して出征した。髪の毛と手指の爪。「帰れないかも。そう覚悟したのでしょう」。仏壇に供え、朝晩手を合わせて無事を祈った。

 45年8月6日、米軍が広島に原子爆弾を落とす。照枝さんは当時3歳。防空壕(ごう)の中にいて、閃光(せんこう)、きのこ雲は見ていない。大人たちは「ピカドンが落ちて、広島の街は大変なことになっとる」と話していた。

 終戦。父は帰らない。

 2年後、戦死の知らせが届く。くずおれる母と祖母。遺骨はない。髪と爪を墓に納めた。出征前、描いてもらった肖像画が遺影になった。「寿は、よう生きて帰らんかった……」。祖母のつぶやきが耳に残る。

 戦後、照枝さんは農協で働き、遺族会の会計や相談員の仕事を続けてきた。5月、オバマ米大統領の広島訪問。「米兵も原爆の犠牲になった。ご遺族は悲しんだでしょう」。そして思った。「戦争に加害者も被害者もない。みな犠牲者」。心にけじめがついた。

 1カ月後、遺族会から追悼の辞を頼まれ、引き受けた。父とともに戦没者を悼みたく、肖像画を携えて上京した。「戦争で親を失う苦しみは、もう誰にもさせたくない」。その思いを追悼の辞に込め、誓う。

 「悲惨な戦争を繰り返すことなく、世界の平和、命の大切さをしっかり後世につなぐべく、たゆまぬ努力をいたします」(岡本玄)

・CNN、日本特集番組増やす 天皇陛下など海外関心高く

 世界最大級の国際ニュース専門テレビ局「CNNインターナショナル」がこの夏、日本の特集番組を増やす。天皇陛下の生前退位や経済政策「アベノミクス」の行方など海外でも関心を集めるテーマが増えているためだ。来日したエレーナ・リー上級副社長兼編集総責任者に話を聞いた。

  「日本に世界が再び注目」 CNN・リー氏 ⇒

 リー氏は、天皇陛下のビデオメッセージが公開された8日に朝日新聞の取材に応じた。同社の英文サイトでは、リオデジャネイロ五輪関連に次いで大きな扱いだった。「天皇陛下は海外でも尊敬されている。平和を重んじてきたためで、特に東アジアで関心が高い」という。

 リー氏は「アベノミクスへの関心が、経済規模で中国に抜かれた日本を世界の舞台の中央に戻した」と説明する。現状については「大きな船の向きを変えるには時間がかかる。成否を論じるには時期尚早だ」と指摘。「先進国は日本をテストケースとして、何がうまくいき、何がうまくいかないかに注目している」とした。

 安倍晋三首相が意欲を示す憲法改正については「(一部の国で)戦争の傷痕はいえていない」とした上で、「平和憲法は日本だけでなく、ほかの国々にとっても影響があるので積極的に報じていく」とした。閣僚の靖国神社参拝についても「海外で関心が高く、今後も報道していく」とした。

 海外では、日本の移民政策への関心も高まっているという。「高齢者の介護や東京五輪の準備のための人材などが不足すれば、日本でも計画的な移民の受け入れが選択肢になる」と指摘。「日本の移民に対する考え方はアジア諸国と通じるものがある。日本の対応から、他の国は何をすべきかを学べる」と述べた。(藤崎麻里、上栗崇)

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 〈エレーナ・リーCNNインターナショナル上級副社長兼編集総責任者〉 米ジョージタウン大卒、ニューヨーク大大学院修了。CNNニューヨーク支局で経済番組「イン・ザ・マネー」を立ち上げ、その後もCNNでアジア発のニュース配信などに取り組んできた。現在は、CNNインターナショナルで米国以外の地域を総括する。

「日本に世界が再び注目」 CNN・リー氏

 CNNインターナショナルのエレーナ・リー上級副社長兼編集総責任者との主なやりとり。(インタビューは8月8日)

CNN、日本特集番組増やす 天皇陛下など海外関心高く

 ――天皇陛下の生前退位のニュースはどう取り上げますか。

 「CNNインターナショナルの英文ニュースサイトではいま(8日)、トップがオリンピックで2番目が天皇陛下の話です。北東アジアで関心が高い。天皇陛下は、日本だけでなく、他の国でもとても尊敬されています。いつも平和の側に立っているからです」


 ――日本への関心は高まっていますか?

 「日本は世界2位の経済大国から3位に落ち、中国が台頭しました。しかし、安倍晋三首相の政権になり、(経済政策の)アベノミクスがどうなるかは世界が注目しています。日本は再び、世界の舞台の中央に戻ってきたと思います」

 ――アベノミクスへの関心は、不安が強いのでしょうか。それとも期待という文脈からですか?

 「ジャーナリストはどちらかの立場に立って断じたがりますが、アベノミクスはまだ白黒をつけられないと思います。日本では小泉純一郎首相の後、存在感の薄いリーダーが多かった。安倍首相はリーダーシップを発揮して日本に強いムードをもたらしたので海外でも話題になっています」

 「ただ、政策が実際に功を奏したのかがわかるには数年かかります。安倍首相は経済を輸出型から消費型に変えようとしていますが、それは大きな船の向かう先を変えようとしているようなものです。アベノミクスの成否を論じるには時期尚早だと思います」


 ――7月の参院選では与党が勝利しました。与党はアベノミクスへの信認と受け止めています。

 「国民が全面的にアベノミクスに賛同したというわけではないと思います。政権に政策を実行する権力と時間を与え、アベノミクスの結果を見極めたいという民意ではないでしょうか」

 ――少子高齢化や低成長は先進国共通の課題です。

 「日本を一つのテストケースとして、何がうまくいき、何がうまくいかないのかを注視しているといえるでしょう。日本の抱える多くの課題は、ほかの多くの国が向き合うことになる可能性があります」

 ――憲法改正の議論も日本では注目されています。

 「平和憲法は優先度が高いテーマです。決定は日本国内だけでなく、ほかの国々にいろんな形で影響するからです。戦争の傷痕が癒えていない国もあります。国際的な関心が高いテーマとして取材します」

 ――海外メディアでは日本が右傾化しているとの論調も見受けられます。

 「平和憲法が改憲されるとしたら、自然にそこ(右傾化)が論点になると思います。ただ、世界で起きているのは右か左かというよりも、内向きか外向きかなのかの議論だと思います」

 ――世界でも議論になっている移民の受け入れに日本は慎重です。

 「日本でも人手不足の解決のために計画的な移民政策が議論になるかもしれません。単純に賛否を論じられないテーマですが、重要なのは計画的な移民政策と、ただ無制限に国境を開くことの違いを理解すること。良識が必要です」

 ――ほかには日本のどんな点が注目されているのでしょうか?

 「CNNは日々のニュースのほかに、テクノロジー、健康、マネー、スタイル(ファッション)など幅広いジャンルの情報を番組で発信しています。日本はコンテンツがそれぞれ豊富です。今年は特に多く、8月には『ディスカバージャパン』、10月には『オンジャパン』という番組を放映します。2020年の東京五輪に向け、さらにリポートが増えるでしょう」(藤崎麻里、上栗崇)