折々の記へ
  続折々の記へ

折々の記 2016 ⑧
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】11/16~     【 02 】12/26~     【 03 】12/30~
【 04 】01/04~     【 05 】01/05~     【 06 】01/06~
【 07 】01/09~     【 08 】トランプ     【 09 】言論npo


【 06 】01/06

  01 06 我々はどこから来て、どこへ向かうのか:5   AIでヒトは進化するか    脳開発、SFのごとく
  01 06 混迷の世界、行く先は   考論 長谷部×杉田
  01 07 我々はどこから来て、どこへ向かうのか:6   変わる家族、手料理も外注  家庭の形、時代とともに
  01 07 駐韓大使と在釜山総領事を一時帰国とトランプ氏の言動   政治家の子供じみたやりとり
  01 08 我々はどこから来て、どこへ向かうのか:7賢く「たたむ」都市の未来
                       大災害、都市は耐えうるか   賢く「たたむ」都市の未来
  01 08 被爆者支援の米学者   天皇陛下、書簡で交流「平和を希求、努力に感謝」

 01 06(金) 我々はどこから来て、どこへ向かうのか:5     AIでヒトは進化するか:脳開発、SFのごとく

2017年1月6日05時00分
我々はどこから来て、どこへ向かうのか:5 AIでヒトは進化するか
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12734873.html

AIでヒトは進化するか

【写真・図版】情報通信研究機構と大阪大学が共同で開発したBMIの模型。手術で頭蓋骨(ずがいこつ)を開け、脳の表面に電極をおく=林敏行撮影

 ■vol.5 頭脳

 地球46億年の歴史上に現れた生物で最高の頭脳を持つ人類。いま、その知能を劇的に高める研究が進む。人類にとって朗報なのか。(笹井継夫)

 人間の脳の働きを人工知能(AI)技術が肩代わりする。そんな変化は身近になった。

 例えば、昨年11月。米グーグル社の翻訳サービスの精度が向上したとインターネットで話題になった。

 The world has so many beautiful and amazing places to visit.

 サイトに打ち込むと瞬時に日本語が出てくる。「世界には美しくてすばらしい場所がたくさんあります」。以前の訳はこうだった。「世界が訪問するので、多くの美しく、素晴らしい場所があります」

 グーグル社の賀沢秀人マネジャーによると、人間の脳をまねた最新のAI技術、ディープラーニング(深層学習)が使われた。同時通訳者の関谷英里子さんは「TOEICで300点から700点以上に上がったイメージ」と驚く。

 AI技術はいま、国内外の様々な分野で用いられ、部分的には人間を超えつつある。X線画像からがんを見つける。犯罪の発生場所を予測する。相場の動きを読んで投資する……。

 ソフトバンクグループの孫正義社長は一昨年の秋、講演で「30年後、AIのIQ(知能指数)は1万になる」と述べた。2045年。それはAIが人間の脳を超える「シンギュラリティ(技術的特異点)」が訪れるとされる時だ。

 人類に制御できない世界になるとも言われる。一方で、シンギュラリティの提唱者である米国の発明家、レイ・カーツワイル氏は2005年の著書「シンギュラリティは近い」でこんな世界を描く。

 分子レベルのロボット(ナノボット)が体内に入り、外部のAIなどの「非生物的知能」と脳がつながる。人間の知能は何兆倍にも拡大する――。

 脳とコンピューターをつなぐ技術はすでにある。14年のサッカーワールドカップ・ブラジル大会の開会式。金属製の装着型ロボットに身を包んだ若者がボールを蹴り、笑顔で右拳を突き上げた。

 若者は下半身不随。頭の中のイメージを装置に伝えて操作する技術、ブレーン・マシン・インターフェース(BMI)が使われた。

 BMIを研究する情報通信研究機構の鈴木隆文室長は、脳への入出力技術が進めば、「脳がネットとやりとりし、ネットの知識を取り込める」と話す。

 脳は新たな「進化」の段階を迎えているのだろうか。

 (3面に続く)
 (1面から続く)

脳開発、SFのごとく

【写真・図版】

 人類の脳はどう進化してきたのか。人工知能(AI)などによる変化は、人類にどんな影響を及ぼすのか。そんな疑問を胸に国立科学博物館(東京都台東区)を訪ねた。

 博物館によると、人類は約700万年前にチンパンジーの系統と枝分かれし、猿人、原人、旧人、新人と進化した。猿人の脳の容積は約450ミリリットル。現代人のおよそ3分の1だった。二百数十万年前、原人の頃から脳は大きくなり、頻繁に石器を使い始めた。

 フランス・ラスコーの壁画で有名なクロマニョン人の特別展が館内で開かれていた。現代人と同じ新人(ホモ・サピエンス)で、約4万5千~1万5千年前の欧州にいた人々だ。

 着飾るために作られた貝殻のビーズ、毛皮の服を仕立てた縫い針……。現代と比べても遜色ない道具が展示されている。

 案内してくれた海部陽介・人類史研究グループ長は「クロマニョン人の技術や芸術を見ると、旧人から脳に大きな変化があったとしか思えない」と話す。

 いま生活ははるかに高度になり、現代人は複雑なデジタル機器も使っている。脳は進化したのだろうか。

 海部氏は答えた。「人類は技術を次々と生み、世代を通じて発展させた。私たちは先人の蓄積に乗っているだけ。脳そのものは横ばいというイメージです」

     *

 その脳の力を高める研究がいま、盛んだ。

 大阪府吹田市にある情報通信研究機構(NICT)の脳情報通信融合研究センター。被験者の脳波計とつながったパソコン画面に緑色の円が映る。

 日本人の苦手な英語のLとRの発音を聞き分けられるようになる機器という。円が膨らむイメージを頭に描くと、聞き分けに必要な脳内の特定の部位が活性化し、画面の円も大きくなる。

 大阪大学との共同研究で成果は実証済みだ。成瀬康・副室長は「いずれ英語の勉強にゲームをしなさいという時代が来る」と話す。

 NICTや理化学研究所・脳科学総合研究センター(BSI)によると、脳のどの部位が活性化しているかを高性能のMRIでつかみ、人が感じていることを不鮮明ながら映像や文章として読み出すことも可能になってきた。マウスの脳の神経細胞を刺激し、記憶を操作することもできる。

 理研BSIの黒田公美チームリーダーは「人間の脳を操作し、行動を変えていいのか、いいのならどのような条件か、議論していく時だ」と言う。

 「これからは脳科学の進化によってAI研究が進み、AI研究が進むことによって脳科学が進む」とNTTデータ経営研究所の萩原一平・情報未来研究センター長は話す。脳の仕組みの解明は、人間並みのAIを作ることにつながる。

 昨年3月、世界最強の棋士を破った囲碁ソフト「アルファ碁」を開発した英グーグル・ディープマインド社。米国の研究機関が公開する動画で、デミス・ハサビス最高経営責任者(CEO)は昨年4月、「2017年の目標はネズミ並みのAIを作ることだ」と宣言した。いずれは人類より高い知能のAIをつくり、気候変動など人類の課題を解決させるのだという。

 米国の発明家、レイ・カーツワイル氏が予測する「脳とAIの融合」も国家レベルで研究が進む。インターネットの生みの親、米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA〈ダーパ〉)は昨年1月、脳に埋め込んでコンピューターとつなげる小型装置を開発すると発表した。オバマ大統領が13年に打ち出した「ブレーン・イニシアチブ(脳研究構想)」の一環だ。

     *

 人間はどうなるのか。

 AIに詳しい東京大学の松尾豊・特任准教授は「現段階では空想的だが、段階的に機械のようになる変化はありうる」とみる。ある人の脳をAIなどで完全に再現できれば、その人の意識や記憶をネット上やロボットに移すことが可能になる。人は肉体から切り離され、「バーチャルな存在になる」(松尾氏)という。

 それを実現しようという動きもある。ロシアの起業家ドミトリー・イツコフ氏は、人間の意識をアバター(分身)のロボットに移すプロジェクトを進める。意識を肉体から切り離せば、「永遠の命」が手に入ると考えるからだ。

 人間の存在を根本から変える世界。カーツワイル氏は著書で問う。「その結果生まれた新しい存在は、わたしそのもののように振る舞うだろうが、そこに問題が生じる。それは本当にわたしなのだろうか」

 科学技術の勢いは止まらない。超人的な脳は何をもたらすのだろうか。

 (笹井継夫)

 01 06(金) 混迷の世界、行く先は     考論 長谷部×杉田

    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12734809.html

 英国の欧州連合(EU)離脱や、トランプ氏の米大統領就任は、世界にどんな影響を与えるのか。先行きが不透明な中で幕を開けた2017年。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)による今年最初の対談は、混迷する世界の中での政治システムや社会のあり方を探る。

 ■政治不信でなく、過剰な信頼では 長谷部/グローバル競争、見せかけの対策 杉田

 杉田敦・法政大教授 昨年は波乱の年でした。イギリスの国民投票でEU離脱が決まり、米大統領選ではトランプ氏が当選。背景には「反エリート」や「政治不信」があると、一般に総括されています。

 長谷部恭男・早稲田大教授 それはどうでしょう。むしろ逆で、みんな政治システムを信じているのではないですか、過剰なほどに。ケンブリッジ大学のデイビッド・ランシマンという政治学者は、イギリスやアメリカの驚くべき選択の背景には、「政治は、最後は我々を守ってくれる」という根拠のない、深い信頼があると指摘しています。

 杉田 誰を大統領にしようが、めちゃくちゃなことにはならない、とたかをくくっていると。

 長谷部 自分たちの利益が今以上に損なわれるとは思っていないのでしょう。

 杉田 アメリカの「ラストベルト(さび付いた地帯)」の人たちは、自分たちが祖父母や親の代のような豊かな生活ができないのはおかしいと主張し、その切実な声に寄り添わないリベラルやエリートが悪いという議論も最近多いです。

 長谷部 しかしそれは、アメリカの産業・経済構造が変化した結果です。

 杉田 たしかに、寄り添おうにも「ない袖は振れない」面もありますね。グローバル競争で、地域や個人が海外と直接に競争力を比べられてしまう状況になり、その中で、地域の切り捨ても起きている。由々しき事態ですが、根本的な対策がない点では、リベラルだけでなく、トランプ氏もEU離脱派も実は同じです。しかし彼らは、国境に壁を作るとか、移民排斥とか、見せかけの対策をショーアップし、つかの間の人気を得ている。本来なら産業・経済構造の変化という「不都合な真実」を伝え、それに対応して生き方を変えるよう人々に求めるしかありません。しかし、それは人々に我慢を強いる「縮小の政治」という面があり、どうすればそんな不人気な政治を、人々の支持を得ながら民主的に進めることができるか。難題です。

 長谷部 「縮小の政治」を可能にするには、人々が共働する組織を政治が底支えする必要があるでしょう。都会でも地方でも、人間は少なければ10人以下、多くても数百人の組織の中でそれぞれ役割を担い、仕事をすることに生きがいを感じます。経済的には豊かでなくとも、「私たち」と、その一員たる「私」の実感を持てれば、人は安心と満足を得られる。グローバル化で、組織のありようが変化を迫られている中で、軟着陸させる政治の知恵が求められます。

 ■弱まる連帯、大衆迎合が増長 杉田/「真の国民」支持者だけかも 長谷部

 杉田 そのようなコミュニティーの再生は簡単ではありません。かつて大阪・釜ケ崎や東京・山谷は日雇い労働者の町として、それなりのコミュニティーだった。似た境遇の人たちが空間的に接していることによって、政治的な連帯も可能でしたが、今はバラバラで連帯のしようもない。携帯電話やインターネットなど、テクノロジーの進化が社会にもたらした、極めて重要な変化です。

 長谷部 しかし、小さな組織を自分たちで作りあげ、維持しようという気風、つまりエートスが日本社会からなくなったわけではない。このエートスが失われたら本当におしまいなので、今のうちに、組織を支える施策を講じないといけません。

 杉田 エートスは大事ですが、その基盤がどこにあるかです。かつての村落共同体が産業化で破壊された後、企業がアイデンティティーのよりどころとなっていた面がありますが、日本式雇用も壊され、どこにも居場所を見つけられない。国民的なアイデンティティーだけがせり出しています。日本はすごいと吹聴するテレビ番組を見て悦に入ったり、ネット上に差別的な書き込みをして留飲を下げたりしている。少数派を差別することで多数派の側につくという競争が行われている。それしか自らを支えるものがないからです。そういう状況に付け込む形で、我こそは真の国民の代表であると幻想をばらまくポピュリズム(大衆迎合)も出てくるのでは。

 長谷部 真の国民の代表であるとの主張は、ポピュリストの特徴です。裏を返せば、他の政治家は真の国民を代表しておらず、自分たちの政治的主張だけが正しいということになる。トランプさんは当選を決めた後、すべてのアメリカ人のための大統領になると言いましたが、私を支持する人間だけが真のアメリカ人だと言っている可能性が十分にある。甘く見てはいけないと思います。

 杉田 ポピュリズムは本来、「貧しい労働者を代表する」という左派ポピュリズムとして表れてもおかしくないのに、現状はほとんどが右派ポピュリズムです。国籍や人種の方が直観的にわかりやすいからでしょうか。ナチスの反ユダヤ主義は、一時的な「逸脱」と見なされてきましたが、経済が悪くなると同じようなことが起きる。レイシズム(人種差別)という、人間の「地金」が出てきているようにも見えます。

 長谷部 ポピュリズムはポピュリズムで、右も左もないのでは。何を物差しに「真の国民」を決めるのかという違いでしかなく、階級で決めるならマルクス主義的なポピュリズムだし、民族ならファシズム的なポピュリズムになる。腐敗した不純分子を排除すれば、偉大な国民なり国家なりが再生するという主張は共通しているはずです。

 ■政治システム、試される1年 長谷部/憲法、不満の矛先になりがち 杉田

 杉田 民主的な選挙や国民投票の結果をポピュリズムだと批判するのは二重基準だという論調もありますが、民主主義ならなんでもいいのか。だとすると、選挙で成立したヒトラー政権も批判できません。20世紀前半の危機については、じわじわと変化が生じ、どこで一線を越えたのかは、今も判然としない。沖縄での「土人」発言など、以前なら決して許されなかったことが許されたかのようになっている。すでにわれわれは帰還不能な地点に差し掛かっているのか否か、わからない。同時代を生きる人にはわからないということだけがわかっています。

 長谷部 今年はいろいろなことが試される年になるでしょう。まずは、権力を分立し、おかしな党派にすべての権力が掌握されないように設計されている憲法システムや政治システムが、トランプ次期大統領の暴走を抑えることが本当にできるかが試されます。

 杉田 日本ではまだ、イギリスやアメリカほどの鬱屈(うっくつ)したエネルギーの噴出には至っていませんが、日本で不満のはけ口になりがちなのが憲法ですね。憲法への攻撃は、エリートへの攻撃という形にもなり得て、留飲が下がるようです。

 長谷部 安倍(晋三首相)さんは、何でもいいからとにかく憲法を変えたいと思っているでしょう。狙うとすれば、ごく限定的な緊急事態条項でしょう。

 杉田 限定的な緊急事態条項では、安倍さんの支持層の反発を招くかもしれず、ハードルが高いわりにメリットは小さい。やるならやはり9条改正では。

 長谷部 安倍さんは「実」より「名」をとる人。変えたという実績をのこせれば、中身は何でもいいという考えだと思います。

 杉田 いずれにしても、憲法を変えても何の問題の解決にもならないことだけは確かで、政治的エネルギーを浪費している場合ではない。明らかに解とはなり得ないものを、自らの支持獲得のためだけに掲げるのは、極めて不健康な政治だと言わざるを得ません。

 長谷部 帰還不能地点がどこにあるかは、今を生きている人にはわからない。ならばせめて私たちは、われわれの政治システムはそれほど頑丈にできていない、甘えてもたれかかっていたら壊れてしまうという自覚を持って、政治に向き合わなくてはなりません。

 (構成・高橋純子)

 01 07 (土) 我々はどこから来て、どこへ向かうのか:6     変わる家族、手料理も外注;家庭の形、時代とともに

核家族化していく家庭の在り方は激変してきた。 その対応の仕方にどう処していったらいいか? 家庭構成としては、祖父母たち、両親、兄弟姉妹、子どもたち、孫たち、曽孫たち 所謂親族関係の連携があって誰でも育ってきた。

さしあたって、結婚した夫婦としての家族が一軒の家となる。 経済生活や子育てが独自のものとなる。

キタキツネの話がこの親子関係の独立を象徴している。 自然界の家族の在り方には環境によっていろいろとある。 18歳が法的には独立した個人として認められている。

18歳で結婚した夫婦を手放しに独立生活に追いやる親はいないだろう。 経済生活をどう組み立てていくか、新婚家庭の大事な考えなければならないことが一つ。 もう一つは生まれてくる子供の養育にはどう対処していくかという育児の方向を考えなければならないことが一つ。 こり二つは結婚して親となるには責任を持ってやらなければならない。

田中聡子さんが投げかける課題は人は誰でも自分で対応しなければならない大事な生活の基本である。




2017年1月7日05時00分
我々はどこから来て、どこへ向かうのか:6
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12736192.html

変わる家族、手料理も外注

【写真・図版】家事代行会社のスタッフが調理したおかずが、藤田さん宅の食卓を埋めた=東京都中央区、越田省吾撮影

 ■vol.6 家族

 結婚して子どもを育てる。そんな家族の形が当たり前ではなくなってきた。制度とのねじれも生じ、息苦しさを感じる人もいる。これからの家族の姿は。(田中聡子)
田中 聡子(たなか さとこ、現・竹宇治聡子(たけうじ さとこ)、1942年2月3日 - )は、日本の元競泳選手でのちにコーチ。1960年ローマオリンピック女子100m背泳ぎ銅メダリスト。出身地、熊本県上益城郡

 国政で昨年もまた、家族をめぐる議論が起きた。

 専業主婦らがいる世帯の所得税を軽くする配偶者控除を廃止するか。1980年に1100万あった専業主婦世帯はいま690万。共働き世帯は逆に610万から1100万になった。

 「配偶者控除は時代に合わない」「家事労働の価値は大きい」。賛否の中、結局廃止は見送られた。

 夫婦別姓を認めるか。同性婚は……。従来の家族観と新たな考えがせめぎ合う場面が珍しくなくなった。

 かつて家族が担った育児や介護は外部が支えるようになった。「家庭料理」もいま、そうなりつつある。

 東京都中央区のマンション。藤田友美さん(41)宅のテーブルに次々と料理が並んだ。カレー、魚の香草パン粉焼き、ひじきの炒め煮。台所で調理するのは、家事代行会社ベアーズの女性スタッフだ。5日分10種類の調理代は1万6千円。長女の夏帆さん(7)は「おいしい!」と喜んだ。

 夫と子ども2人の4人家族。藤田さんは昨夏からお菓子のラッピングの内職を始めた。実家の小物店の手伝いが重なった時などにサービスを使う。余裕ができた分は内職を進めたり、子どもの宿題を見たり。「大変な時に無理して作ってもつらいだけ。頼んだ方が家族にもプラスです」

 同社は2012年に料理の作り置きサービスを始めた。利用件数は毎年約25%増だ。野村総研の調査では、掃除なども担う家事代行の市場規模は11年時点で290億円。将来は約6倍になるとみられている。

 だんらんの象徴だった家庭料理も失われつつあるのか。中央大学の山田昌弘教授(家族社会学)は「妻が毎日温かい料理を作るのは、実は最近できた習慣です」と話す。

 戦国時代に来日したポルトガルの宣教師は、男性が食事を作ることへの驚きを記している。江戸時代の男性向けの心得書「男重宝記」にも料理についての記述がある。佛教大学の村瀬敬子准教授(生活学)によると、明治になって雑誌などに「料理を家族で囲む」という西欧流のスタイルが描かれるようになり、ちゃぶ台も登場した。高等女学校では料理の時間が設けられた。「手作りの料理が何品も並ぶ食卓が一般化したのは、生活が豊かになり、専業主婦が増えた高度成長期」と村瀬氏は言う。

 それから半世紀近く。家族はなお変わり続ける。

 (3面に続く)
 (1面から続く)

家庭の形、時代とともに

【写真・図版】単独世帯数

 「料理を手作りしなければ、という規範が強すぎる。女性の就労などで、できない家庭が増えているのに」と佛教大学の村瀬敬子准教授は指摘する。

 妻の手料理には家族への愛情が込められている。その考えを村瀬氏は「家庭料理イデオロギー」と呼び、「家族の姿が変化しているいま、とらわれる必要はなくなっている」と言う。

 30代がターゲットの女性誌「FRaU」(講談社)の昨年3月号。1995年に唐沢寿明さんと俳優同士で結婚した山口智子さん(52)のインタビューが反響を呼んだ。「私は『子どものいる人生』とは違う人生を歩みたい」と語る内容だった。

 少子化が問題になる中、ネットには「無責任だ」という批判もあった。でも、編集部に寄せられたのは「『子どもがいなくても楽しい』と大手を振って言えなかった」などの称賛の声だ。岡田幸美編集長は「結婚して子どもを産むことが当たり前ではなくなっている。それを体現する山口さんへの共感ではないか」。

 多様化する家族観に保守派の懸念は強い。自民党の西田昌司参院議員は「大切なことは先祖からもらった命をつないでいくこと。次の世代が生まれなければ、介護などのコストも高くなる」と危機感を抱く。

     *

 日本だけみても歴史上はさまざまな家族の形があった。服藤(ふくとう)早苗・埼玉学園大学名誉教授(女性史)によると万葉集などに描かれた家族から、奈良時代ごろまで子どもは母親や母方の親類で育て、「父親不在」だったことが見て取れる。男女とも複数のパートナーを持つこともあったようだ。

 平安時代になると貴族層の妻は不倫が禁じられた。身分の差が生まれ、高い位の役職を子に継がせるために父親を特定する必要が出てきたからだ。庶民まで結婚が浸透したのは、農民も生活が安定した江戸時代。夫婦と子どもで構成する家族が一般的になった。

 このころの家族は経済的な結びつきの面が強かったと服藤氏はみる。「家族は農業や商いの経営共同体。結婚相手も家の格を最優先に決められた」

 だんらんや愛情で結びつく家族像は明治に西欧から入ってきた。明治後期には「良妻賢母」を教育の柱とする高等女学校が整備された。

 国家が家庭像を作ったのだろうか。大阪大学大学院の牟田和恵教授(社会学)は「上からの強制だけで浸透したわけではない。女性にとって、近代的な教育を受けて家庭の中心となれることは地位の向上で、喜ばしいものだった」と話す。

 「経済的な要因が家族の形を変える」と服藤氏。戦後は経済成長でサラリーマンが増えて都市に人口が集中し、核家族化が進んだ。その後の低成長やグローバル化による収入減で女性のパート就労が増加。保育所などの整備がそれに追いつかず、少子化を招いた一因となった。

 近年は非正規雇用や将来への不安から家族を持たない人が増えている。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、2035年に単独世帯の割合が約4割。生涯未婚率は男性のおよそ3人に1人、女性の5人に1人に上昇する見通しだ。

     *

 そんな家族の変化は墓にも顕著に表れている。NPO法人「エンディングセンター」(東京都)の井上治代理事長によると、子どもがいない人や単身者向けに誕生した「永代供養墓」や「納骨堂」は90年に全国に4カ所だったが、いまは数え切れないほどだ。

 欧州に多い期限つきの墓も、採り入れられ始めている。井上さんは「墓を代々守ることは、困難になりつつある」と話す。

 先祖代々の墓があっても別の墓を選ぶ家族も出てきた。東京都町田市の菅野清恵さん(66)は4年前、木の下などに埋葬する樹木葬の区画を買った。娘と猫、「死後は実家の墓に」と言っていた夫も入る予定だ。「行き先は自分たちで決めたかった」と菅野さん。

 日本がモデルにした西欧の家族は多様化の道を歩む。結婚していない男女から生まれた婚外子の差別撤廃が60年代から進み、スウェーデンやフランスは婚外子が5割を超える。同性婚を認める国も増えている。

 結婚するのか、子どもを産むのか、誰と住むのか、死後をどうするのか。生き方の多様化が、家族も多様化させる。あらゆる家族を受け入れる未来を、私たちはつくれるのだろうか。(田中聡子)

 01 07 (土) 駐韓大使と在釜山総領事を一時帰国とトランプ氏の言動     政治家の子供じみたやりとり

2017年1月7日05時00分
(社説)韓国との外交 性急な対抗より熟考を
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12736091.html

 政府が、駐韓大使と在釜山総領事を一時帰国させると決めた。釜山の総領事館前に慰安婦問題を象徴する少女像が設置されたことへの対抗措置という。

 そのほかにも、緊急時にドルなどを融通しあう日韓通貨スワップの協議の中断や、ハイレベル経済協議の延期、釜山総領事館職員の地元行事への参加見合わせも発表した。

 少女像問題の改善へ向けて、韓国政府は速やかに有効な対応策に着手すべきである。日本政府が善処を求める意思表示をするのも当然だ。

 しかし、ここまで性急で広範な対抗措置に走るのは冷静さを欠いている。過剰な反発はむしろ関係悪化の悪循環を招くだろう。日本政府はもっと適切な外交措置を熟考すべきである。

 日韓政府間ではこれまでも、歴史認識問題のために関係全体が滞る事態に陥った。

 だからこそ、歴史などの政治の問題と、経済や文化など他の分野の協力とは切り離して考えるべきだ――。そう訴えてきたのは、当の日本政府である。

(以下省略)

2017年1月7日05時00分
(社説)トランプ氏 企業たたきの愚かさ
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12736092.html

 企業活動に対するあからさまな政治介入である。

 トランプ次期米大統領がツイッターで、トヨタ自動車のメキシコでの新工場建設計画について「米国に建てるか、国境で高い税金を払え」と迫った。

 またもやネットを使った一方的な攻撃だ。米国企業では空調機器のキヤリア社や自動車大手フォード・モーターが、トランプ氏からの圧力でメキシコでの工場建設を撤回したが、その矛先が日系企業にも向けられた。

 トランプ氏はまだ大統領ではなく、就任後にどう振る舞うかは定かでない。しかし、近く手にする絶大な権力を背景にした不当な圧力にほかならず、断じて許されない。トヨタが計画する新工場と生産を増強する予定の工場とを混同したとみられるなど、「事実」へのがさつな姿勢は相変わらずで、その異様さがいっそう際立つ。

 今回のトヨタの計画は、米国内の工場や生産ラインを国外に移すという話ではない。トヨタ自身が「新工場ができることによって、米国における生産台数や雇用が減ることはない」としている通りだ。メキシコにカナダを加えた北米自由貿易協定(NAFTA)に基づいて商品が米国に入ってくることを、トランプ氏は徹底的に排除するつもりなのか。

 一連の発言に共通するのは、「米国第一主義」とその根底にある保護主義的な考えである。

 トランプ氏は、NAFTAに否定的なのに加え、日本など12カ国で合意済みの環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱も表明している。多国間から二国間へと交渉の軸足を移し、世界最大の経済大国の力を前面に出す強圧的な姿勢が鮮明だ。

 しかし、それが中・長期的には逆効果になる恐れが強いことを理解できないのだろうか。

(以下省略)

【下平・記】
今日の社説を見ると、政治家の品格はないし、協調性のなさは聞き分けのない子供じみたものと映る。
私たちは一人ひとり、

  第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
         公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

この規定に守られているから、自分の意見を開陳してはばからないのです。

戦前
    戦争(殺戮)時代  認容
    土浦海軍航空隊・予科練習生として入隊 満16才

戦後
    長野青年師範学校三年生の時 UNESCOの中核を知る 満19才
    UNESCOの中核  戦争は人の心の中で生れるものであるから,
                 人の心の中に平和のとりでを築かなければならない こと
    活動の中核     無知(ignorance)と 偏見(prejudice) を取り払う こと
    戦争時代       拒否・卒業

私の心の奥深く秘めているのは上記の終わり四行です。


 01 08 (日) 我々はどこから来て、どこへ向かうのか:7     大災害、都市は耐えうるか;賢く「たたむ」都市の未来

大災害!! 孫が新横浜駅の近くに努めている。 大事な孫です。

いつも話しているのですが、「安全なところへ逃げること」「火災では煙で死ぬから、防毒マスクを準備しておくこと」この二つです。


2017年1月8日05時00分
大災害、都市は耐えうるか
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12737587.html

【写真・図版】「ゼロメートル地帯」の住宅密集地をうねるように流れ、光り輝く中川=東京都葛飾区、本社ヘリから、林敏行撮影

 ■vol.7 巨大災害

 日本列島に迫る巨大災害。今世紀を見通せば、いずれ避けて通ることはできないだろう。発達した都市が被害を増幅する。未来の街をどう描けばいいか。(編集委員・佐々木英輔)

 日本は、災害多発時代を迎えつつあるようだ。

 南海トラフ地震が50年以内に起こる確率は90%程度。これまで最短90年の間隔で繰り返し、前回からすでに70年が過ぎた。被害は関東から九州に及ぶ恐れもある。発生前後は内陸の地震も活発になるとされる。

 東京圏で想定されている首都直下地震も、活発な時期を迎える可能性がある。今世紀中に複数回起きても不思議ではない。

 さらに、気候変動の影響も加わる。台風は勢いを増し、豪雨も増えていく。

 巨大台風が東京に襲来する前に、100万人以上の住民を避難させる。パニック映画を思わせるような壮大な検討も始まった。

 海面より低い「ゼロメートル地帯」が広がる東京都江戸川区などの5区は昨夏、大水害の1日前に共同で広域避難勧告を出すと決めた。洪水と高潮で広範囲が浸水すれば、逃げ場となる高台はほとんどない。

 人口は約260万人。高層階などに全員は避難しきれず、浸水は最大2週間以上続く。風雨が強まる前にどう移動するか。受け入れ先や災害弱者は――。地元や国で検討が進むが、「従来の考え方では無理」との声が相次ぐ。

 人や物の集中が進んだ都市が未経験の災害に見舞われたとき、被害は想像を絶する。南海トラフ地震が最大規模で起これば死者は32万3千人、都心直下が震源の地震は2万3千人と想定されている。

     *

 南海トラフ地震、首都直下地震に首都水没。河田恵昭・関西大学社会安全研究センター長はこれらを「国難災害」と位置づける。

 実際、江戸時代末期に続けて起きた。1854年、南海トラフの連続地震。翌年に江戸で地震。その10カ月後に江戸を台風が襲う。万単位の死者と家屋の被害が出て、幕府の衰退につながったと河田氏はみる。

 阪神大震災の前から「減災」を唱えてきた河田氏は最近、「縮災」を訴えている。被害を減らすだけでなく、被災後に速やかに回復できる社会をつくる考え方だ。「必ず起こると考え、先んじて対策を取るよう文化を変えなければ」

 大地震の少ない時期に発達した大都市。東日本大震災を経ても集中は止まらない。「経済の活性化が重視され、危ない方、危ない方へ行っている」。建築学が専門の和田章・東京工業大名誉教授はこう案ずる。

 昨年の熊本地震では一時、19万人以上が避難した。多数の建物が同時に被災すれば人々は行き場を失い、復旧もままならない。

 少し長い目で、未来へのヒントを探ってみたい。

 (3面に続く)
 (1面から続く)

2017年1月8日05時00分
賢く「たたむ」都市の未来
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12737523.html

【写真・図版】東京都の人口推移

 地球の歴史を刻む地質年代で、約1万年前から現代は「完新世」と呼ばれる。このうち人の影響が大きくなった時代を「人新世」と分けてはどうか。そんな論争が学者の間で起きている。

 人類は地球の環境を大きく変えてきた。産業革命以降、大気中の二酸化炭素は急増。人口も爆発的に増え、自然破壊も広がった。

 安成哲三・総合地球環境学研究所長は「人類は転換点に立っている。自然と人間の関係はどうあるべきか、地域レベルで文化や社会の仕組みを考えていかなければならない」と言う。

 気候変動に伴う災害は、過去から続くツケの結果ともいえる。無秩序に膨張してきた都市もまた、災害への弱さを招いている。

 東京では関東大震災直後、当時の郊外に生じた木造住宅密集地域が1世紀近くたった今も防災上の課題だ。計画性に乏しいまま市街地が広がる「スプロール化」も各地で進み、災害リスクの高い低地や山際にも開発は及んだ。

 一方で日本は人口減時代への転換点も迎えた。住む人が減るなら、もっと災害に強い土地の使い方ができないものだろうか。

 歴史人口学者の鬼頭宏・静岡県立大学長によると、日本では縄文時代後半、平安~鎌倉時代、江戸時代後半と過去に人口減時代が3度あった。いずれも文明が成熟し、集中した人口が各地に分散した時期でもあった。「次の文明や技術の種を育む重要な時期だった」

 今回も同じく分散に向かうかどうかは社会の価値観がどう変わるか次第という。災害リスクや環境への考え方もその要素になる。

     *

 実際は土地への愛着や生活の利便性も重視され、リスクの観点だけで住む場所は決まらない。しかも、一度できあがった都市はきれいには縮まない。

 「都市は『スポンジ化』していく」と都市計画が専門の饗庭伸・首都大学東京准教授は言う。国は機能を集約したコンパクトシティーを促すが、現実は穴が開くように空き家が増えていく。都市をいかに計画的に「たたむ」かを地域で考えていくことが大事という。

 災害に強く、持続可能で魅力的な都市へと少しずつたたんでいく。林良嗣・中部大学教授は、そんな「スマートシュリンク(賢い縮小)」を提唱する。

 浸水リスクの高い土地は排水ポンプなどの維持費用もかかる。地図上にリスク、コスト、利便性などのデータを示し、どう集約し、どんな街を目指すか地域ごとに考える。住宅の認証制度や税制で、地域内の移転や景観との調和を促してはどうか、と言う。

 建物は平均約30年で建て替わっている。「うまく機会を生かせば30年後には将来にも耐える街になる。経済が縮小してしまうと難しく、今取り組むしかない」

 とはいえ、私たちはどうしても目先の損得にとらわれがちだ。住民が未来人になりきってみる。そんな手法で町の長期計画を練っていると聞き、盛岡市のベッドタウン、岩手県矢巾町を訪ねた。

 ワークショップに参加した住民が、現世代と、2060年の人を代弁する「仮想将来世代」に分かれ意見を出す。現世代は「周辺と同じように開発を」「待機児童の解消を」と今の課題の延長線上で考える。一方、将来世代になった人は「原風景を残すことが資産」「廃虚になる建物は不要」と違う発想をするという。

 町役場の吉岡律司さんは「将来から逆算し、今からやるべきことを考えるのに有効な方法」と話した。

 未来からどう見えるか。転換期の今、そんな視点がもっと必要かもしれない。


     *

 大規模水害が懸念される東京都葛飾区の東新小岩7丁目町会。いざとなれば住民が助け合うしかないと救助用のゴムボートを購入。小学校での実演や川での訓練ツアーを通じ、「浸水」だけでない「親水」の文化づくりを進めてきた。

 町会長の中川栄久さん(80)は「都心に近く、リスクはリスクとしてきちんと取り組めば東京で一番いい街になる。100年後、200年後のことを考えたい」。将来に向け、避難できる構造の建物や高台を増やすなど工夫していく余地はある。

 土地の低さは、地下水くみ上げで40年ほど前まで続いた地盤沈下の結果でもある。専門家として携わる加藤孝明・東京大学准教授は「気候変動が深刻化したとき、遅れてきた20世紀の負の遺産と言われないようにしたい」と言う。雪国で「一面雪景色」と言うように、氾濫(はんらん)しても「一面水景色」と呼んでやり過ごせるほどになるのが理想だ。

 被災後のまちづくりを前もって考えておく「事前復興」の取り組みも各地で広がる。今の私たちの選択次第で、「その後」の未来は変わってくる。(編集委員・佐々木英輔)

 01 08 (日) 被爆者支援の米学者     天皇陛下、書簡で交流「平和を希求、努力に感謝」

2017年1月8日05時00分
天皇陛下、書簡で交流 被爆者支援の米学者
    「平和を希求、努力に感謝」
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12737588.html

【写真・図版】フロイド・シュモー氏

 昭和天皇、現天皇陛下と、戦後日本の復興や平和運動に携わった米国人との交流を示す英文の書簡15通が、米シアトルのワシントン大図書館で確認された。米国による原爆投下で壊滅的な被害を受けた広島での支援活動が縁となり、侍従らを通じた手紙のやりとりを半世紀近く重ねていた。専門家は「戦後の日米交流と皇室の関わりを示す貴重な資料」と話す。▼31面=平和のキャッチボール

 皇室と書簡をやりとりしていたのは、森林学者だったフロイド・シュモー氏(1895~2001)=キーワード=。平和主義で知られるキリスト教・クエーカー教徒で、被爆者向けの復興住宅を建てる救援組織をつくり、1949年夏に広島を訪問。天皇陛下が皇太子の時に家庭教師を務めた同教徒のバイニング夫人とも知人で、その縁もあって手紙をしたためたとみられる。

 今回見つかった書簡のうち最も古いものは、昭和天皇にあてた49年7月6日付。シュモー氏が訪日前に自らの活動への理解を要請した内容だった。

 「もし(支援活動の)精神が日米両国の人々に理解されるなら、救済や復興のために私たちができる物質的な作業よりも、将来の世界平和にとってはるかに重要なものとなるでしょう」

 これに対する返信は同月31日付。当時の三谷隆信侍従長の署名で、昭和天皇が訪日中のシュモー氏による支援活動への謝意を伝える内容だった。

 「陛下(昭和天皇)は手紙を受け取ったことに礼を言うことと、あなたの寛大さと日本国民への温かい友情に深く感謝するだけでなく、救援派遣団の高貴な性格と精神への高い称賛を伝えることを熱望されています」

 書簡交流は90年代まで続いた。特に天皇陛下は、皇太子だった49年10月と88年11月の2回、東宮御所などでシュモー氏と面会し、功績をねぎらっていた。90年にシュモー氏が寄付を集め、被爆後に亡くなるまで病床で折り鶴を作り続けた佐々木禎子(さだこ)さんの銅像も備えた「平和公園」をシアトルに開設した際には、楠本祐一侍従が同4月20日付で、天皇、皇后両陛下の謝意を伝える書簡を送っていた。

 「両陛下は、この素晴らしい事業で示された、あなたとシアトルの人々の平和を希求する強い思いに感銘を受けておられます。皆様の精力的な努力に深い感謝の意を表しておられます」

 (岡本玄)

【▼31面】
平和のキャッチボール
    シュモー氏と皇室の書簡 陛下と面会も
    http://digital.asahi.com/articles/DA3S12737569.html

【写真・図版】昭和天皇のメッセージを伝えた三谷隆信侍従長(当時)によるシュモー氏宛ての英文書簡。日付は1949年7月31日

 皇室と米国の学者との「平和交流」――。昨年、米シアトルのワシントン大で確認された書簡15通のうち10通は、天皇陛下の意向を踏まえ、侍従らが森林学者だったフロイド・シュモー氏に送ったものだった。陛下は皇太子時代の1949年と88年、日本の復興や平和運動に尽くしたシュモー氏と直接面会していた。▼1面参照

 ■米に禎子像…「友好の象徴に」

 1度目の面会は、シュモー氏が被爆者向けの復興住宅建設のために来日した49年10月。皇太子だった天皇陛下が東京・小金井に滞在時、シュモー氏が訪れる形で実現した。陛下は、広島での活動について説明を受けた。小泉信三・東宮御教育常時参与らが面談後、シュモー氏に礼状を書いていた。

 「皇太子殿下は、(住宅を建設した)あなたの2カ月間にわたる崇高かつ実用的な活動に深く感銘しておられます」「殿下の国際的な友情への確信がますます育まれますように望んでいます」

 シュモー氏は翌50年、再び広島を訪れ、復興住宅建設を再開。同7月にはこの間の活動を書簡で報告し、野球ボールをプレゼントとして贈った。清水二郎・東宮傅育(ふいく)官は同年末、ボールへの礼状と覚書を送った。

 「世界平和のためにあなたが日本でされている素晴らしい仕事への感謝を込め、クリスマスと新年のお祝いを申し上げます」「(殿下は)ボールを学習院大に持って行かれ、学習院チームにプレゼントされました」

 その後も手紙の往来は続いた。昭和末期の88年11月、反核・平和に貢献した人や団体に贈られる「谷本清平和賞」の受賞が決まり、シュモー氏が広島を訪れた際に再び面会。一緒に御所の庭を散策するなど、もてなしを受けた。

 シュモー氏が寄付を募り、90年にシアトル市内に造った平和公園には、被爆後に亡くなるまで病床で折り鶴を作り続けた佐々木禎子(さだこ)さんの銅像も建てられた。楠本祐一侍従が同4月20日付で出した書簡には、天皇、皇后両陛下がシュモー氏の長年にわたる社会福祉や平和への貢献をねぎらう言葉がつづられていた。

 「両陛下は戦後、この国の社会福祉の促進にあなたが貢献されたことをよく覚えておられます」「禎子像とシアトルピースパークが、世界平和と、すべての人々の友好の象徴として役立つことを両陛下は強く望まれています」

 天皇から民間人に送る書簡は意を受けた侍従らが書くのが慣行とされ、皇室からシュモー氏への11通(うち1通は昭和天皇の意向による書簡)も当時の侍従らの署名で送付。残る4通はシュモー氏が皇室に送った。今回確認された最後の書簡は94年3月7日付。シュモー氏が現皇太子さまに、終戦50年の95年に合わせて米国を訪問するようお願いした内容だった。実現はしなかったが、シュモー氏が晩年まで日米の親善と平和交流を望んでいたことがうかがわれる。

 シュモー氏の功績を伝える活動をする市民団体「シュモーに学ぶ会」(広島市)の今田洋子代表(73)は、確認された書簡について「皇室と親交があったと聞いていましたが、具体的なやり取りが分かり、驚きました。地位や国籍を超えて、ともに手を携えることが平和の原点だと教えられました」と話す。

 (岡本玄)

 ■人間的つながり感じさせる書簡

 日本近現代史や皇室にかかわる著書が多いノンフィクション作家・保阪正康さんの話 今上天皇ご一家とシュモー氏の人間的なつながりを感じさせる書簡だ。天皇の家庭教師だったバイニング夫人と同じクエーカー教徒だったため、親しみを感じたのかもしれない。

 文面からも天皇がシュモー氏に礼節を持って接していることがうかがえる。戦争中に苦労したときや、戦後復興で苦難に直面したとき、助けてくれた善意の人たちを「真の友人」と受け止めているからではないか。

 天皇は戦後、追悼と慰霊の旅を繰り返してきた。歴史と向き合い、悲惨で残酷な戦争を再び繰り返さない、という覚悟を行動で示してきた。その心中には、言葉による励ましだけではなく、広島に家を建てるという具体的な行動で善意を示したシュモー氏の影響があるのかもしれない。

 ■皇室からシュモー氏にあてた書簡の主な文面

 <1949年7月> 「あなた方のような善良な人々による継続的な努力のおかげで、ゆっくりではありますが、確実に世界の平和が戻りつつあると知ることは、陛下の大きな喜びの源です」(三谷隆信侍従長)

 <10月> 「皇太子殿下(現天皇陛下)は、あなたが先週の水曜日、小金井までいらっしゃったご厚意への感謝だけでなく、もっとも誠実な感謝の気持ちを伝えるよう切望されています」(小泉信三・東宮御教育常時参与ら)

 <50年12月> 「親切なメモとすてきなボールの贈り物を受け取り、皇太子殿下はとても喜んでおられます」(清水二郎・東宮傅育官)

 <89年5月> 「天皇陛下は(昭和天皇の逝去に際しお悔やみの書簡を送った)あなたの心遣いに感謝されており、よろしく伝えるようおっしゃられました」(西園寺公友侍従)

 <90年4月> 「天皇、皇后両陛下はあなたの長期間の努力が、禎子像に象徴されるシアトルピースパークの形でまもなく実を結ぶことを喜ばれています」「みなさま方の精力的な努力に深い感謝を表しておられます」(楠本祐一侍従)

 〈原文は英文。侍従らの肩書は書簡の送付当時。本文のかっこ内は朝日新聞が補足した〉