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続折々の記 ①
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】02/11~     【 02 】02/13~     【 03 】02/15~
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【 08 】02/28

  02/28 26日のニュースから   
        (1) 多数派のエゴ、その先は   (政治断簡)松下秀雄
        (2) 共謀罪「テロ対策」が隠すもの   社説
        (3) 子どもの貧困、どうする? ①  (フォーラム)
        (4) 科学で見る人間の歴史   壮大な視野で「20万年」見直す
        (5) 『キャスターという仕事』   (売れてる本)国谷裕子〈著〉
  02/28 27日のニュースから   
        (1) (証言そのとき)新しいニッポンを求めて①   脱しがらみ、民から変革 牛尾治朗
        (2) 「ルペン大統領」じわり現実味   フランス(2017試練の欧州)

 02 28 (火) 26日のニュースから     

(1)多数派のエゴ、その先は
   (政治断簡)編集委員・松下秀雄
      2017年2月26日05時00分
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12815163.html

 私は時々、「喜多見と狛江の小さな映画祭」という手作りの上映会におじゃましている。小田急の両駅周辺で開かれるこの上映会、沖縄とかハンセン病とかテーマが重い。先日は映画のあと、脳性まひの上田要(もとむ)さん(68)と意見交換する場が設けられた。

 車いすで現れた上田さん、私たちに問いかけた。なぜいま多様性が叫ばれていると思いますか? 現実はそうじゃないから、全体主義がみえてきているからでは?

 その前段で話していたのは津久井やまゆり園での事件。被告は「ヒトラーの思想が降りてきた」といったそうだから、全体主義や優生思想が潜んでいるのはまちがいあるまい。けれど上田さんの話は個人の思想ではなく、社会のありようを問うていた。

    *

 「画家の山下清さんは知的障害者でしたが、全国を自由に歩きました。いま、できますか? たぶん無理です」

 「『こじき』という言葉がありました。多くは障害者だったんじゃないでしょうか。そこに『こじき』がいてよかった時代、食べ物やお金を分け与えることが許された時代と、なんのかんの縛られているいまと、どっちがいいのかなと思うのです」

 そういえば物乞いの姿をみかけなくなった。障害のある人が施設を抜け出し、放浪を続けるのも難しいだろうな。と考えていると、他の参加者から「ちっちゃなころから障害者をみて育てば平気になるのに」。そういう機会が失われているということか。

 ご自宅に押しかけて尋ねてみた。上田さん、人がまばらな地域に施設が造られる背景をこうみていた。視界から遠ざければ考えずに済むから。その方が楽だから。そして触れあった記憶も、考えるきっかけもないまま人々が育ち、無関心が広がっていないか。そこから全体主義が芽を出さないか……。

 全体主義は、個人の利益や生よりも全体を優先させる。それは少数派の痛みへの無関心、多数派のエゴイズムの結晶なのかもしれない。究極がナチスの行為。障害者やユダヤ人、同性愛者など様々な少数派を、生きるに値しないなどといって虐殺した。

 いまの世界はどうだろう。最強の米国の白人大統領が、「米国が第一」といい、立場の弱い移民を排除しようとする。テロの危険とか暮らしとか、社会に不安が高まる時は注意が要る。「他人のことにかまっていられない」と、エゴむき出しになりやすい。

    *

 上田さんは若いころに施設を出て、障害者と地域の人がかかわりあいながら暮らせる環境づくりに尽力してきた。

 ノンステップバスの普及運動に取り組み、家族に頼らなくても暮らせるよう、介助者を派遣するNPOの理事を務める。今後は障害者と高齢者が抱える課題の共通点と相違点を洗い出したいという。高齢化社会では、障害者の課題の多くがひとごとではなくなる。社会の関心を高めるチャンスと捉えているのだ。

 ひとごとではなくす知恵。それが鍵に思える。



(2)共謀罪「テロ対策」が隠すもの
   (社説)
      2017年2月26日05時00分
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12815015.html

 国会で「共謀罪」をめぐる質疑が続いている。だが、費やされた時間に比べ、議論が深まっているとはいえない。

 政府が今回の立法をテロ対策と位置づけ、「共謀罪というのは全くの間違い」(首相)としていることが、質問と答弁がかみ合わない理由の根底にある。

 経緯をおさらいしたい。

 00年に国連で国際組織犯罪防止条約が採択された。条約は、マフィアや暴力団を念頭に、重大犯罪を共謀する行為を犯罪として罰する法律をつくるよう、加盟国に義務づけている。

 これを受けて国会に共謀罪法案が3度提出されたが、強い異論があり成立に至らなかった。そこで政府は、対象を「組織的犯罪集団」に限り、犯罪のための準備行為がなされることを要件に加え、呼称も「テロ等準備罪」にすると言い出した。

 だが、犯罪が実際に行われる前の段階で摘発・処罰できるようにする本質に変わりはない。危うさをはらむ法律に、テロ対策という見栄えのいい衣をまとわせたため、そもそも何のための立法かという原点が見えにくい図になっている。

 問われているのは、人権擁護と治安保持のふたつの価値を、どう調整し両立させるかという難しい問題である。イメージに頼らず、流されず、実質に迫る審議を国会に期待したい。

 その際はっきりさせなければならないのは、法案作成や審議の前提となる条約の解釈だ。

 政府は一貫して、条約に加盟するには600超の犯罪に広く共謀罪を導入する必要があると訴えてきた。それへの疑義として「各国の事情に即した対応が認められており、現にそうしている国がある」との指摘を受けても、頑として譲らなかった。

 ところが一転、対象犯罪を減らすことも可能と言い始めた。絞り込み自体は結構だが、ずいぶん都合のいい話である。

 従来の見解が間違っていたのか。あえて過剰な法整備を意図したのか。かつての国会答弁が信用できないとなれば、これからの答弁を信用できる根拠はどこにあるのか。混乱の責任をどう考えるのか――。

 これらの疑問に対し、政府は法案が国会に未提出なのを理由に説明を拒んできた。加盟した187カ国・地域の法整備状況についても、報告をまとめたのは野党の要求から1カ月後、それも約40カ国分にとどまる。

 こうした誠実とは言い難い対応をしながら「一般市民に累は及ばない」と言われても、説得力に欠ける。議論できる環境をまず整えるのが政府の責務だ。



(3)子どもの貧困、どうする?:1
   (フォーラム)
      2017年2月26日05時00分
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12815019.html

 生活が厳しい子どもたちを社会はどう支えるか。朝日新聞社はフォーラム「子どもと貧困~共有しよう、解決への一歩」を11日、大阪市の朝日新聞大阪本社で開きました。「子ども食堂」「学習支援」「学校と地域の連携」「親支援」の4テーマの講師の活動報告、約100人の参加者を交えたワークショップの議論を紹介します。

 ■子ども食堂 家の前、通る子に「おかえり」 NPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク理事長・栗林知絵子さん(50)

 <活動報告> 外遊びの居場所づくりを始めてから、いろんな子に出会いました。「昨日から何も食べてない」「引っ越してくる前、車の中で暮らしてたんだ」という子もいました。

 中3の男の子は、母親が昼も夜も仕事。1日500円渡され、好きなものを好きなときに食べていました。「うちで食べなよ」って、私じゃなくても声をかけたと思います。

 親に余裕がないなら、地域がだんらんの場を作ればいいんじゃないか。いっぱい愛された子は困難を乗り越えられる。子ども食堂は孤立しがちな親子を次に必要な支援につなぐ場です。

 家の前を通る子に「おかえり」って声をかけ続けたら、その子にとって「知ってるおばちゃん」になります。「私にも何かできないかしら」って思い続けてほしい。

    *

 <ワークショップ> 行政関係者や学生、会社員ら40人が参加。子ども食堂を始めた男性が「本当に困っている子どもに手が届かない」と発言すると、ある女性は「みんなでご飯を食べる居場所づくりが目的。いつか子どもからのSOSを受け取れるかもしれない」と話しました。栗林さんは「行政と住民との定例連絡会がきっかけで、困難を抱えた親子を行政が連れてくることもある」と説明。民生委員に、気になる子どもを一緒に連れてきてもらっている地域もあると紹介しました。学習支援や子育て支援団体との連携も重要という指摘もありました。

 運営費やスタッフの確保について、栗林さんは「子どもの貧困や居場所作りをテーマに講座があると、関心のある人が集まり、仲間ができる例もある」と発言しました。

 「自分が関わる食堂の支援対象でないが、気になる子がいる」という相談には「違う食堂に一緒に連れて行ってあげて」と助言も出ました。

 ■学習支援 その子なりの生き方に伴走 NPO法人あっとすくーる理事長・渡剛さん(27)

 <活動報告> 僕自身、未婚の母子家庭で育ちました。借金取りからの電話もあり、「うちがこんなにしんどいのに、どうして誰も助けてくれないの?」と母親に言ったこともありました。

 友人と団体を立ち上げたのは大学生のとき。学習塾は主に中高生が対象で、授業料はひとり親家庭なら半額。自己負担ゼロの奨学金制度も設けています。子どもや親の困りごとを聞いて、行政につなぐこともしています。その子なりの生き方を一緒に見つけ、伴走することをめざしています。

 子どもたちが大人になったとき、自分の経験を社会に還元して、支え合いの輪が広がればうれしい。

    *

 <ワークショップ> 大学教員や主婦、学生ら約20人が参加。4グループに分かれ、日頃の活動や思いを話し合った後、質問をふせんに書いて模造紙に貼り付け、渡さんに問いかけました。

 「講師役の学生ボランティアをどのように育成しているのか」。渡さんは、子どもの貧困をめぐる背景や事例、基礎知識など5時間の座学と、10時間の活動体験を経て採用していると説明しました。「毎日が手探りだが、授業後は毎回、講師と振り返りの時間をつくって、情報や課題を共有している」と述べました。

 「勉強と居場所づくりは両立するか」との問いには、「勉強も大事だけど、通い続けてもらうことが大切。まずは子どもたちが安心できる場所になることを意識している」と回答。勉強部屋とおやつなどを食べたり漫画を読んだりするスペースを分けるなど、メリハリを意識していると説明しました。

 「生徒との距離感をどうするか」との問いには、「講師が授業外で子どもと会うのは禁止しているが、聞いてほしいタイミングで話は聞いてあげたい。悩ましい」と話しました。

 ■学校と地域 キーパーソン見つけ、橋渡し スクールソーシャルワーカー・森本智美さん(53)

 <活動報告> 大阪府教育庁から市町村教委を経由して学校で活動しています。子どもや保護者と関わり、学校と外部の関係機関をつなぎます。授業中の立ち歩きやいじめ、不登校、暴力行為などの課題からその背景に何が潜むのかを考えます。家庭環境や友人関係にも目を配り、支援の方法を探っています。

 地域の人たちから「学校と連携しにくい」との声を聞くことも多いです。私はNPOや地域住民、行政職員、コミュニティーソーシャルワーカー(CSW)と呼ばれる地域福祉の専門職らの中からキーパーソンを見つけ、学校との間をつなぐ試みを続けています。顔が見える輪を広げて、子どもや保護者が「助けて」と声を上げられる場所づくりを目指します。

    *

 <ワークショップ> 教員や保健師、地域ボランティアら約30人が参加。連携がうまくいった例として、父子と祖母が暮らす家庭について森本さんが話しました。祖母の入院の付き添いは、祖母が信頼する養護教諭とCSWに任せ、子どもの見守りを森本さんや学校、市の福祉担当者らが担ったといいます。

 参加者同士の情報交換も盛んでした。「精神疾患で引きこもる母親への対応」が話題になると、沖縄でシングルマザーを支援する女性が「地域の子どもたちみんなを子ども食堂に誘い、そのうちに『こんどお母さんも一緒にどうぞ』って声をかけている」と実践を披露。「貧困家庭と思われるのを嫌う人は多く、アプローチに工夫が必要」と語りました。

 「地域の民間団体が学校や行政に信頼してもらえるには」とのNPO関係者からの質問に、「必ず相手に会って話をするように心がけている。人柄を知ることが大事」(保健師の女性)という意見や、「学校だけでは問題は解決できない。教師の側こそ、もっと外に出ないといけない」(定時制高校の男性教諭)などの発言がありました。

 ■親支援 言葉の裏側の思い、くみとる 母子生活支援施設「かしわヴィレッジ」施設長・橋本尚子さん(35)

 <活動報告> 母子生活支援施設は、全国に243カ所ある児童福祉施設で、母子家庭の自立を支援しています。入所者の半数がDVや虐待の被害者です。

 多くのお母さんは「大丈夫」としか言わない。人間関係でよい経験がないから、これ以上傷つきたくなくてSOSが出せない。我慢しすぎて、「なんでやってくれないの」と急に攻撃的になることもあります。

 自尊心を傷つけないよう、「これを試してみたら」と選択肢を示し、声をかけ続けます。子どもよりは時間はかかっても、次第に心を開いてくれるようになります。母子ともに「大切な他者」に出会えていないことが多いので、つながることの心地よさや、人に頼る良さを伝えたい。お母さんたちの言葉の裏側にある思いを受け止められたらと感じます。

    *

 <ワークショップ> 主婦や大学生ら約10人が参加しました。同じことをしても、夕食時に父親の気分次第で怒鳴られたり褒められたりした子の例を橋本さんが紹介。「夕食が一番緊張する、という不安定な生活では当たり前の価値観が育ちにくい」と指摘。施設で過ごすと「温かいご飯を食べてだんらんする時」だと分かってくると説明しました。

 行政職の女性が「(手厚い支援に)依存する人はいないか」と質問。橋本さんは「初めはできることは全部やる」とした上で、「安心感が得られると頼る回数も減ってくる」と話しました。

 学習支援に関わる女子学生は「見えない貧困に気づくには?」と質問。「ささいなことがきっかけになる場合も。心配されていると感じれば子どもから表現することもある」と助言しました。

 大阪市の女性職員は「生活保護を申請しない人がいる」と相談。橋本さんは「生活保護だけはしたくないという母親の場合、就労支援にも力を入れている」と回答。それでも生活が改善されない時に背中を押すと、申請する人もいるそうです。



(4)科学で見る人間の歴史
   壮大な視野で「20万年」見直す
      (ひもとく)渡辺政隆
      2017年2月26日05時00分
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12815041.html

 ぼくはよく、地球の歴史をスカイツリーにたとえる。地球の年齢46億年を高さ634メートルに換算するのだ。すると、現生人類であるホモ・サピエンスが登場してから20万年の歴史は、スカイツリーの先端に取り付けられた長さ2メートル(1450万年に相当)の避雷針の先っぽ2・8センチに収まってしまう。つまり、避雷針の先っぽについて語ることが、人類の歴史を語ることになるのだ。

 ■偏向した時間割

 それはまさに人間中心主義的な見方だが、それだけでいいのだろうか。そんな反省から登場した史観が、デヴィッド・クリスチャンが始めた「ビッグヒストリー」プロジェクトである。これは地球の歴史どころか、138億年前の宇宙の起源から説き起こす壮大な目論見(もくろみ)である。歴史の教科書にビッグバンが登場することだけでも、スケールの大きさがわかる。

 2004年のクリスチャン最初のテキスト出版からプロジェクトは発展を遂げ、新しい大部なテキスト『ビッグヒストリー』がこのたび翻訳された。これに先立って出版されたクリスチャンの単著『ビッグヒストリー入門』(渡辺訳、WAVE出版・1944円)は、アクティブ・ラーニング用に適した副読本にあたる。

 冒頭で地球史における人類史の矮小(わいしょう)さを強調したが、人類史においても時間割は偏向している。人類史では狩猟採集時代が19万年を占め、農耕時代は1万年、近代はわずか250年にすぎないのだ。

 人類は農耕時代に入ったことで、それ以前よりも不自由になったと喝破したのはユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』(柴田裕之訳、河出書房新社・上下各2052円)だった。そして、人々を縛るために社会制度、宗教、科学技術が生み出されてきたとも。

 今や人類は、地球に君臨する傍若無人な存在である。地球の相貌(そうぼう)を一変させた近代は、新たな地質年代「アントロポシーン」(人の時代)として区分すべきだという主張まである。仮に、スカイツリーは避雷針の先っぽのために建設されたという言い方を許すなら、20万年の歴史をもつ人類は、わずか250年のために登場したことになる。

 ■社会変える発明

 その近代における科学の発展は、資本主義が推進したと、前出のハラリは書いている。そして科学技術が、社会を変えてきた。一つのイノベーションが予想外の波及効果を及ぼすそのような因果の連鎖を、ジョンソンは『世界をつくった6つの革命の物語』で「ハチドリ効果」と呼ぶ。植物と昆虫は、吸蜜と受粉という互恵関係をバネに進化してきた。そこに、空中を自在に移動しながら蜜を吸うハチドリが進化した思いもよらぬ連鎖反応にたとえたのだ。

 ジョンソンは、ガラス、冷たさ、音、清潔、時間、光をキーワードに、社会の変革を語っている。ガラスの発明は眼鏡や望遠鏡を生み、ひいては光通信のインターネットにつながった。クーラーの発明は、アメリカの地理的な人口分布を変え、大統領選にまで影響を及ぼすに至った。真空管の発明はラジオ、拡声機を通じて黒人ミュージシャンの地位向上をもたらす一方、ヒトラーの台頭をも許した云々(うんぬん)。

 ムロディナウはカリフォルニア工科大学の理論物理学者にして「新スタートレック」の脚本も書く作家である。『この世界を知るための 人類と科学の400万年史』は、知りたいという欲求から始まった人類の旅を、ホロコーストを偶然生き延びた父の生涯と重ね合わせることで、科学は無味乾燥な自然法則のみならず、人生の意味を知ることにもつながると語る。人類の意味、人生の意味を知るには、壮大なスケールと身の丈のスケール両方の視点が必要なのだ。

 ◇わたなべ・まさたか 筑波大学教授、同大サイエンスコミュニケーター 55年生まれ。『ダーウィンの遺産』など著訳書多数。



(5)『キャスターという仕事』
      (売れてる本)国谷裕子〈著〉

      2017年2月26日05時00分
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12815040.html

 ■「クロ現」の23年を自己検証

 NHK「クローズアップ現代」が打ち切りになり、国谷裕子(くにやひろこ)キャスターの顔がテレビから消えたのは昨年の3月だった。

 折からアメリカは大統領選のさなか。その8カ月後には、ヒラリー・クリントンがあのまさかの結果にみまわれる。

 ヒロコとヒラリーになにが起こったのか。いま、ゴルフに興じる新大統領と日本の首相を目のあたりにすると、そこに世界の流れが見えてくるのだが。

 その話はさしあたり本書の主題ではない。23年つづいた番組「クロ現」とはなんだったのか。テレビ報道のスタイルをどう変えたのか。それを当事者が振り返って検証している。

 第1章のタイトルには「ハルバースタムの警告」とあるが、メディア業界以外の人には「それ誰?」だろう。もとより気軽にすらすら読める本ではない。それがこの短期間に6万部だという。著者への評価と人気の高さを示す数字にほかなるまい。

 国谷ファン向けのパーソナルなエピソードも、ごく控えめながら、探せばある。たとえば、当初はジャーナリズムと無関係だった著者が、この世界に入るようになったきっかけは?

 それをご本人は「長い海外経験のおかげで英語の発音が」よかったからだというが、むろんそれだけではないだろう。並外れた美形にひかれてというファンはたくさんいる。今回、岩波新書が、特大の帯にカラーの著者ポートレートを奮発した狙いもわからないではない。

 ところが、そんな好感度の持ち主がときに不興を買う。1997年、ペルー日本大使公邸人質事件で人質救出後にフジモリ大統領が来日したときのこと。手柄話を聞いたあとで、キャスターは同大統領の暗部である内政面での強権的手法に臆せず切り込んだ。

 すると放送後、日本の恩人に失礼だとの抗議がどっときたというが……。それでもきくべきことはきく。自分の信念に喜んで殉じるのも、ジャーナリストの仕事の一つに違いない。 山口文憲(エッセイスト)

     *

 岩波新書・907円=3刷6万部 17年1月刊行。「岩波新書としては女性読者の割合が高い。“クロ現”開始のころ社会人になった40代以上が手に取っている」と担当編集者。

 02 28 (火) 27日のニュースから     



(1)(証言そのとき)新しいニッポンを求めて①
   脱しがらみ、民から変革
 牛尾治朗さん
      2017年2月27日05時00分
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12816326.html

 日本経済が持続的発展を遂げていくには、何が必要か。「官」や「規制」が民間の発想や起業精神の妨げになっていないか。経済同友会や日本生産性本部のトップをつとめたウシオ電機会長の牛尾治朗氏(86)の半生は、古いニッポンのしがらみ構造を改めていく挑戦だった。戦後70年が過ぎ、次の70年にどう臨むべきか、伝言に耳を傾けた。

 《牛尾さんは兵庫県姫路市に生まれた。祖父は大正時代、姫路を起点に電力やガス、銀行などの事業を手がけた経営者だった。父親は東京商大(現一橋大)の1期生で、私立大の講師を務めていたが、祖父の死後、事業を継いだ。その父が倒れ、3代目経営者になった。》

 もともと私は医者やジャーナリスト、外交官などになりたかった。が、父の反対もあって大学卒業後は東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に進んだ。

 カリフォルニア大バークリー校の修士コースに私費留学し、political science(政治学)を学んだ。同級生に緒方貞子さんがいた。日米の懸け橋を夢見ていたが、父の病気を知り、次男の私も急きょ日本に戻った。26歳だった。

 ■中小の切実さ実感

 亡くなった父が残したのは、赤字まみれの牛尾工業という小さな会社。戦後間もない1948年に父は公職追放にあい、電力、ガス、銀行などの公益事業から手を引かざるを得ず、会社は縮小していた。無念だったと思う。私も家業を継ぐとは予想しておらず、むしろ嫌だったが、身をおいて痛感したのは中小企業の切実さ、大変さだった。

 日本は大企業の社員や官僚が最も信用され、終身雇用で安心できる社会なのだが、地方の中小や個人事業主は必ずしもこの「安心社会」に属していないのだ。

 やる気とアイデアのある自立した個人なら、学歴や所属に関係なく実力を発揮できる「信頼社会」になってほしい。そう考えた。青年会議所(JC)活動、経済同友会、日本生産性本部などでその後、社会構造改革を進める際、行動の原点になった。

 《牛尾工業は複写機のランプの製造や販売、関連機材の納入などをしていたが、銀行から移って5年目の64年、電機部門を「ウシオ電機」として独立させ、33歳で社長に就いた。》

 今でいうITベンチャーの旗揚げだろうか。社員の平均年齢23歳。給料も安かった。「最初の3年計画を達成できれば姫路で最高の給料を出す」「次の3年計画達成なら上場企業の平均賃金を出す」と約束。会社の繁栄と従業員の人生の充実が一致する経営を目指した。

 《70年の大阪万博では、岡本太郎さんの「太陽の塔」の目にウシオ電機製の大型キセノン・ランプ投光器を納入、業績を拡大した。》

 高度成長っていうのはすごい。波にのれたのが幸いだった。大阪大に新技術を紹介してもらい、産学連携のようなこともした。複写機用ハロゲン・ランプの独自開発にも成功した。

 会社はその後、92年に納入先の米クリスティー社を買収し、映画館の映写システムで世界シェア4割を占めた。立体的に映像を映し出すプロジェクション・マッピングの光源も大半は我が社のランプだ。

 ■日本型経営を警告

 《69年7月9日の朝日新聞経済面に、「トップ・セミナー 牛尾演説で締まる」の見出しが躍った。長野県軽井沢で開かれた財界セミナーに牛尾さんが初登場。当時の日本型経営の甘さを指摘して場が引き締まったことを伝えた記事だった。》

 私は38歳。日本青年会議所会頭に選ばれ、先輩経営者らを前に演説をぶった。日米安全保障条約改定をめぐり騒然としていた時代。経済は右肩上がりのため、「黙ってついてこい」式の経営で行けたが、労使はもたれあっている面があった。いずれ低成長になった時、経営も安穏としていれば「企業内でも内ゲバが起きかねない」と警告。経営者は理念を掲げ「参画を促すリーダーシップと対話の場を」と訴えた。

 そのころから様々な場に呼ばれるようになった。松下電器産業(現パナソニック)創始者の松下幸之助さんや、第2次臨時行政調査会を仕切った土光敏夫さんらに教えを聞く機会も得た。私は50歳くらいまでどこに行っても若手だった。

 経済団体で様々な役職についたが、一番印象的だったのは2001年から5年半ほどつとめた経済財政諮問会議の民間議員だ。

 《官邸主導が旗印の諮問会議は、公共投資10%削減、構造改革特区の導入、郵政民営化など、毎年、大方針を決めていった。ただ、選挙で選ばれていない民間人が政策づくりに直接タッチするやり方に批判も出た。》

 それまでの自民党政権は大蔵省(財務省)を中心に水面下で調整し、毎年11月ころにばたばたと大臣折衝で決めるやり方を繰り返していた。与党も族議員を介し地方や農家、商店街、中小企業にカネを配る。民間は党や役所に陳情し、見返りを求める。これは政や官に依存する土壌を生みかねず、事実そうだった。

 その仕組みを壊したのだから、反発や批判は当然だ。でもメンバーはみな、ひるまなかった。

 諮問会議をさかのぼること約20年前、「土光臨調」で土光さんがこう言っていたのを当時よく思い出した。「(官尊民卑は)官が尊大だからそうなるのではなく、官に取り入ろうとする民の卑しい心が官尊民卑を招くのです」。卑しくなるな、との戒めである。

 民間議員としての我々の主張は、物乞いや陳情とは違うんだ。公(おおやけ)は官僚だけのものではなく、まして政治だけがモノを申せるのではない。民も対等に提言し、既得権益を打破、政策決定プロセスを透明にしたから、世論の支持も受けたのだと思う。

 ■政官民一体で知恵

 《「官から民へ」。土光臨調や諮問会議で構造改革を語る際に、「小さな政府」と並んでよく使われるキャッチフレーズだ。》

 それは単に官業を民に払い下げることではない。国鉄も電電公社も郵政も、官業の非効率さを改めようと民が知恵を出すことが結局は国民のためになるのだ。民営化は万能ではないが、官のままの弊害の方がたいがい大きい。一人ひとりが公を自らの問題として考えることが大事なのです。

 明治維新から約70年たって調子にのって帝国主義的なことをして戦争に負けたが、戦後70年で経済面では近代化に成功し資本主義陣営でベスト5に入ったのを目の当たりにしてきた。

 じゃあ次の70年どうするんだ、と。あと70年幸せに生きていくのは並大抵のことではない。将来を見通す時、官や政治だけでは駄目、「民」も加わりニッポンの将来の選択肢を議論するような社会が好ましい。

 今の財界をみていると、政治と一体になることが目的化しているきらいがある。必要なのは、リアリズムにもとづいた民間経営者からの提言であるはずだ。

 =肩書、組織名は当時  (聞き手 大阪経済部長・平野春木)

    *

 うしお・じろう。1931年生まれ。東大法学部卒業後、東京銀行勤務を経て、64年ウシオ電機を設立し社長(79年から会長)。経済同友会代表幹事、政府の経済財政諮問会議の民間議員などを歴任した。現在は公益財団法人NIRA総合研究開発機構会長。

 ◆キーワード

 <ウシオ電機> ハロゲンランプなど産業用光源で世界首位。1980年に東証1部に上場。兵庫県姫路市にあった本社は71年に東京都に移転した。2016年3月期の売上高1791億円、純利益111億円。連結社員数5888人(16年9月)。



(2)「ルペン大統領」じわり現実味
   フランス(2017試練の欧州)

      2017年2月27日05時00分
      http://digital.asahi.com/articles/DA3S12816316.html

写真・図版 【図版】仏大統領選はルペン氏がトップを走る

 フランスの右翼・国民戦線(FN)のルペン党首が、4月に迫る大統領選の第1回投票に向けて先頭を走っている。与党・社会党の不人気に加え、野党候補の金銭スキャンダルも、固い支持層を持つルペン氏への追い風だ。「決選投票では敗れる」とも言い切れなくなりつつある。

 ルペン氏は26日、仏西部ナントで集会を開き、「大量の移民はもういらない」「国境を再構築する」と訴えて喝采をあびた。もともと左派が強い街。前日には労働組合などが呼びかけたデモがあり、危機感を強める約2千人の参加者が「FNにノン」などと叫びながら市中心部を練り歩いた。

 選挙戦を優位に進めるルペン氏は先立つ23日、50カ国ほどの外交官らを前にパリで講演会をした。ロシアやシリアとの関係改善を訴えたほか、中東リビアへの軍事介入などを念頭に、「フランスは自らと関わりのない戦争をしてきた」と指摘。外交・安保面でも「自国第一」を強調した。

 景気が足踏みを続け、失業率が高止まりするなかでFNは、既存政党への不信や、国民の不満を吸収して支持を広げている。ある地方議員は「押しも押されもせぬ大統領候補なのだから、各国大使らが関心を持つのも、顔を合わせて話をするのも当然だ」と語った。

 仏大統領選は、第1回投票で過半数を得る候補が出なければ、上位2人での一騎打ちとなる。大統領選の主な顔ぶれが出そろった1月以降、世論調査でルペン氏は首位の座を保つ。欧州議会議員のスタッフに党務を担わせたとする不正疑惑の捜査も進むが、大きな打撃にはなっていない。

 逆に、最大野党の中道右派・共和党のフィヨン元首相は1月、妻を架空雇用し公金を流用した疑惑が明るみに出て勢いを失った。社会党はオランド大統領の不人気が響いて苦戦が続く。

 ルペン氏を追うのは、「右でも左でもない」と独自に立候補するマクロン前経済相だ。中道政党・民主運動のバイル代表の支持も得て支持率の差を縮めた。

 FNはこれまで、差別的で憎悪をあおる政党だとして嫌悪される存在だった。だが2011年に党首に就いたルペン氏は、「ふつうの政党」へのイメージ転換をはかった。決選では「反FN」意識が高まるとみられるが、棄権が増えるようだとルペン氏のチャンスが広がる。政治学者のレミ・ルフェーブル氏は「(決選の相手も含めて)先が読めない異例の展開だ。ルペン氏当選の可能性も排除できない」と話す。(ナント=青田秀樹)