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 う 言霊 実験 え 失われた20年
 お アベノミクスは失敗 か ヨガ 効果
 き フリーメイソン く ラニーニャ現象
 け 前立腺がん こ 温故知新
 さ 腸内菌と腸内免疫力 し ヒバマタ
 し 蝮の効能 す インパール作戦
 せ いのち・本能・環境 そ 日本人は世界をリードできるのか
 た 世界は日本化する ち 世界が日本人に注目している
 つ フーバー米大統領  て 時代の谷間で苦悩する小沢一郎
 と 「小沢一郎 600人訪中団」のどこが悪い? な 人間は教育によって人間になる
に 天才を育てる楽しみ ぬ 首相、麻生氏続投の考え「責任を果たして」
ね 財務省が改ざんとは…動機が解せない

 03 12 (月) ニックネイム<和戸川 純>の思想     練達な表現ができる方

既に 「世界は日本化する」 「世界が日本人に注目している」 「時代の谷間で苦悩する小沢一郎」 を拝借したが、まだ多くの見解を教えてもらいたい。

エッセイ評論要約<https://essay-hyoron.com/index.html>または<https://essay-hyoron.com/content.html#ESSEI6>を開き、必要ならばURLへEssay番号を入力して索引していけば、いろいろのエッセイに出会えるはずです。

私は教育分野の essay6<人間は教育によって人間になる> と essay28<天才を育てる楽しみ> を今日は取り上げて解説に接するつもりです。

「時代の谷間で苦悩する小沢一郎」は、essay1 を<https://essay-hyoron.com/essay1.html>のように入力し探り出したものなのです。


  人間は教育によって人間になる     essay6より
   https://essay-hyoron.com/essay6.html
   ニックネイム<和戸川 純>より
   2008年12月3日(修正2016年8月6日)

人間だけにできる教育とは

学ぶことは、下等動物にもできる。一度敵に遭遇すれば、敵が現れる前のにおいや音を記憶する。次は、そのにおいや音に反応して、敵が現れる前に逃げる。 食べ物を手に入れた時は、植物の繁茂状況を覚えていて、そのような植生のところを探すようになる。
このような学習によって、より環境に適した生活行動を取るようになる。しかし、ここに述べた学習は、個体の経験の範囲内に限定される。

教育とは、1つの個体が、自分の経験を他の個体に教えること、と定義できる。教育によって、学ぶ者の学習の範囲が大きく広げられる。1個体の経験の枠を越えられるので、教育を受けた個体は、まだ遭遇していない多様な環境にも、それらが現実化した時に、確実に対応できるようになる。

サルは子育てを母から学ぶ。小さい時から人間に育てられると、自分が母になっても子育てができなくなる。ライオンのような肉食獣は、子は狩りを大人から学ぶ。こうして、より良く生きるための複雑な生活行動が、可能になる。
動物の教育は、親から子というように家族内に限定される。サルやオオカミなどの集団性動物は、グループ内での教育が可能になる。けれども、毎日を生きるための生活の知恵が、子あるいはグループ内のメンバーにしか、伝えられない。

人間の教育は、動物の教育とは質的に異なる。

教育によって空間と時間が超えられる。地球上のどこか別のところで、人類の祖先が積み上げた知識。それを受け継いでさらに改善し、空間的にも時間的にも異なるところに住んでいる、他の人たちに伝える。
こうした積み重ねによって、人間の文明は今まで発展してきた。教育によって、人間のみが文明を構築できた。

文字がない時代でも、人間は豊富な言葉を使って、先祖代々の経験を子孫に語り継いだ。壁画によって、祖先の経験が子孫に受け継がれた。
文字が発明されてから、人間の知識はさらに急速かつ広く、他の人々に受け継がれるようになった。文字が、時間と空間の壁を軽々と越える、知識伝達のための手段になった。

学校という教育システムを作り上げた人間は、教育の高度な効率化を図ることもできた。

教育は、文明社会を構築した人間が人間であるために、人間に不可欠なものだ。

教育によってはオオカミになる

人の能力と性格は、遺伝子によっては30%しか決定されないという。残りの70%は、生後の環境との関わりによって形成される。ここで、教育が重要な役割を果たす。

昔、インドでオオカミ少年が発見された。

この少年は、産まれてすぐに、メス・オオカミによって連れ去られた。大きくなるまでオオカミによって育てられた。この少年は、人間社会へ連れ戻されたが、4足で歩き、オオカミの吠え声でコミュニケートするやり方を、死ぬまで変えることができなかった。人格形成期における教育の重要性が、この例から分かる。似たような事例(オオカミ少女)は、他でも報告されている。
環境との関わりという、広義の教育で変わる70%の部分が、遺伝子は人間だが、行動パターンはオオカミという「動物」を作ってしまったのだ。

このオオカミ少年の例は、教育をただ単に善として受け入れるのは、危険なことを示している。
教育のやり方によっては、人間はオオカミになってしまう。 オオカミを作らないために、教育は注意深く実施されなければならない。

解剖学も裏づける教育の重要性

教育によって行動と生き方が決まる人間。出生後の教育の重要性は、解剖学的によっても裏づけられる。

大脳皮質は3層から成る。最内層に古皮質がある。大脳皮質の中では最も古い構造だ。5億年前に魚類が誕生した時に形成された(エッセイ2「絶滅をバネに進化する生物」を参照)。
人間にもこの構造が存在する。生存に直接関係する、原始的な記憶や嗅覚などは、この古皮質によって担われている。

その外側に、両生類に進化した時にできた、大脳旧皮質がある。脳のこの部分は、情動や欲求などの本能、そして自分の意思ではコントロールできない、自律神経系の生体機能を受け持っている。

大脳皮質の最外層に、哺乳類で初めて出現する新皮質がある。知覚、思考、推理、記憶、自分の意思でコントロールできる随意運動など、脳の高次機能を担っている。
この新皮質が人間では特に大きい。 学習効果によって、新皮質それ自体の機能が変えられるばかりではない。さらに下層の古い皮質の機能にも、影響が出る。すなわち、私たちが本能と呼ぶ、知的思考ではコントロールできないと考えられている、脳の活動も、教育によって大きな影響を受ける。オオカミ少年の例を思い出したい。

保守と創造の対立する作業

人間を人間たらしめるために、大脳の新皮質が知的活動の中心になっている。文明の伝達と発展を考える時に、新皮質の機能を大きく2つに分けられる。

1つ目は、祖先から伝えられてきた知識を、そのまま次の世代へ伝える作業をする機能。記憶の伝達が行われる。
日本の伝統的な家元制度が、この典型的な例になる。ここでは、伝えられる知識を、加工したり修正したりすることは許されない。
伝えられた知識と全く異なることをやれば、ゼロからの出発になってしまう。文明は既に確立された知識の上に、さらに新しい知識が積み重ねられて進むという、根本のところが崩れてしまう。世代から世代への知識の伝達という、根本のところが崩れるのだ。

2つ目は、こうして獲得した既存の知識の上に、今までの世代が想像もしなかったような知識を、新しく創造し積み上げていく作業をする機能。 文明を発展させるために、この作業が必要になる。

上の2つの作業は、同時に進められなければならない。しかしながら、保守と創造という、互いに相反する作業をこなすことには、困難がある。この困難をどう乗り越えるかが、教育に課せられた重要な課題だ。

他文明の吸収・伝達には成功した日本人

日本の教育は、過去の知識を次世代に伝えるという点では、非常に成功した。これは、日本的な文化の伝達だけに限定されなかった。古くは中国文明、朝鮮文明を積極艇に吸収して、伝達した。そして、新しくは西欧文明の吸収・伝達だ。

日本人は、ここまで西欧化されていながら、今までに作り上げられた伝統的な文化や精神を、失ってはいない。これは言葉を変えて言えば、その起源がどこであろうと、日本人は異質な文明を上手に吸収し、今まで伝えられてきた知識や技術の上に、新しく付け加えてきたことを意味する。
対立軸を中心にして回転する、西欧文明を作り上げた欧米の人間にとって、この無節操に近い日本人の柔軟性は、驚くべきことだ。日本人以外に、ここまでうまく、文化と精神の吸収・伝達を成し遂げた民族はいない。

既存の知識の学習ということでは、成功した日本人。では、既存の知識の上に、自分たちが創造した知識を、さらに上乗せするようなことはできるのだろうか?

世界から隔離されていた江戸時代に、独自の文化を発展させた。他からの影響がない時には、創造力を発揮できることは間違いない。では、全てが混じりあう現代のグローバル化された世界で、独自の知識を創造し、世界に影響を与えることはできるのだろうか?

できると思いたい。自己主張が特徴的な個人主義と、自分を殺す、自己滅却の精神を両立させなければならないが、教育でそれができる日本人を育成できる、と思いたい。
けれども、日本の教育は、余りにも一方にかたよった教育になってしまっている。まるで、知識を伝達するだけのための教育の芸術だ。創造的な自己主張が、入り込む余地はない。
典型的な例は受験教育。ただ進学するだけのために、学校で塾で、膨大な量のエネルギーと時間が使われている。受験教育が見事にシステム化されている。

この頃は改善されてきたとはいえ、私が大学生の頃は、大学は教育と研究のためだけの機関になっていた。いわゆる「象牙の塔」化していた。大学は、社会から切り離されて存在しているのが理想、とされていた。企業と連携して仕事をしようとする教授は、「産学共同を進める悪魔」というような言い方をされた。

教育は、全ての人間が、社会的にも、経済的にも、心理的にも、道徳的にも、人間らしく生きることができるように手助けする。さらに、より良い社会を作るための手段になる。

教育のための教育が至るところで行われると、壮大な無駄使いになるだけではない。良くても文明の進歩を遅くし、悪くすれば文明を停滞させてしまう。
教育の根本的な視点は、常に人間の社会を見据えたところに、置かなければならない。社会を改善し、進歩させるために存在する教育。文明の発展に貢献する教育。 そうでなければ、教育は本来果たすべき役割を果たせなくなる。

発揮できる能力を限定してしまう教育

話を抽象論から、もう少し具体的なほうへ持っていくことにしよう。

少し前まで、学校は学級崩壊で騒然としていた。いじめも、至るところで問題になっていた。
「授業中に騒いではいけない」、「友だちをいじめてはいけない」と簡単に割り切って、生徒をしかることは容易にできる。けれども、こんなスローガンをかかげて表面的な対策を立てても、教育の根本的なところにある問題は、残ったままになる。こんなことで満足していたのでは、教育が本来目指している人間を育てることはできない。

社会に出れば、1人ひとりが、苛烈な生存競争に立ち向かわなければならない。国内の競争だけではなく、現在のグローバル化された世界には、国際的な情け容赦のない競争がある。そんな社会で生きのび、さらに社会を改善できるような大人の存在が、必要になる。子供たちを教育して、このような大人にしなければならない。

そのためには、既存の知識を持った人間を育てることだけでは、極めて片手落ちだ。受け身の能力だけを発揮できても、社会を進歩させられない。
どのような環境下に置かれても、自ら考えて行動し、問題を発見し、その問題に柔軟に対応できる人間。問題の解決法を割り出すことができる人間。そのような、たくましく生きることができる人間を、教育で作らなければならない。

日本の教育は、それとは反対の方向へ動いているのではないだろうか?
日本の社会では、何かがあると、すぐに大人が子供たちの間に入りこんでくる。大人の価値判断で、問題を解決しようとする。子供たちは、自己の確立などはとてもできない。

学校で、何かというとすぐにキレル生徒。少しでもいじめに会うと、世界の終末が来たとでもいうように、落ちこんでしまう生徒。
ストレスに耐え、それをはね返す人間にするための教育が、なされていないのだ。他人とぶつかりあった時に、自ら判断して、ベストではなくても、ベターな方向で解決するだけの、気力と柔軟性を持った人間を、社会は育てていない。

何か事があるたびに、規制だ、規則だ、法律だ、校則だとやっている日本。子供たちばかりではなく、教師までもが完璧に管理される体制ができてしまった。

もっとも、このような傾向は、今に始まったことではなく、日本人の精神における前からの問題だった。 以前、M&Aやリストラが大規模に進められた時、想定外の不遇に遭遇した多くの会社員が、ストレスを感じた。そして、自殺者が大勢出た。金融危機真っ盛りの現在も、似たような状況になってきた。
一般庶民は言うにおよばず、エリート官僚や経済人も、ちょっとした挫折によってすぐに自殺をしてしまう。

もろい。精神的にとてももろい。自分が、今いる枠の中からはずれなければならなくなると、それだけで自殺をしてしまう。
今まで生きてきた小さな世界。そこから1人で飛び出し、全く違う世界を自ら切り開いていこう、などと考える強い意志を持っていない。

大人をはるかに超える子供の能力の柔軟性

大脳新皮質の機能が、まだ形成過程にある子供。いろいろな面で、大人よりも、もっと大きな能力を持っている。知識を吸収する力だけではなく、自分を変える能力も、大人よりもけたはずれに大きい。

子供を過保護に扱う大人は、子供を大事にしているように見える。けれども、実際には子供の能力を軽視している、と言っても差し支えがない。
こんな大人は、問題があるように見えると、すぐに口を出す。そうやって、問題を解決する能力を、子供自らが発揮できないようにして、成長を妨げているのと同じ結果をもたらす。

子供の能力の高さは、知識の吸収力だけを見てもよく分かる。あれほどたくさんの漢字をすぐに覚えてしまい、複雑な算数・数学を短時間のうちに学ぶことができる。

子供たちが学ぶべきことを減らすという方向で、教育の問題の解決法を探すのは、明らかに見当違いだ。 学校の授業時間数を減らすゆとり教育は、間違っていた。これは、子供たちの能力が大人と同じ程度のものと考えなければ、出てこない考えだった。
知識を吸収することによって、大人になるまでの間に、機能までも変わってしまう大きな大脳新皮質を持っている、人間の子供たち。幼少期にもともと持っている、驚くべき知識吸収能力を軽視して、子供たちの成長を小さく押さえてしまうのが、ゆとり教育だった。大脳新皮質の発展を極大化させるのとは、逆方向の教育になってしまった。

こんなことをやっていれば、最も人間的な営みである教育に力を入れたおかげで、ここまでやってきた日本が、今後は衰退することになる。

世界的に見ても学力が落ちてきたということで、ゆとり教育は見直されている。ゆとり教育を見直すとすれば、どうすればいいのか?
教える知識の量を増やすことは当然だが、教え方を変えるという方向へ持っていくことは、さらに重要だ。

自分を変えることについても、子供には大きな能力がある。たった1冊の本を読んで、子供は、自分を大きく変えることができる。それだけで、一生の人格が決定されるようなことが起こりえる。
小学校や中学校の先生のひとことが、自分の人生を左右するほど大きな意味を持った、という経験をした大人が少なからずいる。
1を聞いて、100も200もの問題を解決する能力を持っている、と言い換えることができる。こんな子供の融通無限さを、大人は直視し受け入れなければならない。子供の大きな能力をどう開花させるかが、教育改革の重要なポイントになる。

教育が未来を作る

やがて大人になって社会に出る子供たち。この子たちが人間の未来を作り上げる。 教育には、未来を作る人間を育成するという、重要な側面がある。
どうやって、教育が持つこの重要な役割を、現実化できるのか?ここを大人たちがよく分かっていないのが、今の日本の大きな問題だ。

高度経済成長期には、努力をすれば自分も国もより豊かになるという希望が、夢ではなく現実のものであることを、誰もが実感していた。豊かな人生を可能にする教育。迷いはなかった。
高度成長が終わった頃から、日本人の人生目標が不明確になってきた。 未来の夢がなくなれば、未来を作る人間をどう育てるのかという、教育の方法論も失われる。大人が混乱すれば、教育を受ける子供たちも混乱し、意欲を失なってしまう。

大人たちは、今の子供たちが大人になった時に、どのような社会を作ってほしいのか?大人たちは、どのような理想を掲げて、次の世代を教育するのか?
これらの質問にきちんと答えることが、とても大事だ。次の世代にどのような進歩を期待しているのかを、はっきりと示す。これが私たちの世代の務めだ。

子供たちは、どのような社会の中で、どのような人間になることを期待されているのかを、知らなければならない。そうやって、子供たちは、自分がどのような夢を持つことができるのかを、自ら考えるようになる。自らの夢を現実のものにするために、労働と新しいものを創造する知的活動に、労を惜しまなくなる。
人間の過去の知識の蓄積の上に、次の世代が新しい知識を創造していくという、教育が本来持っている役割が、ここで果されることになる。

未来像を明確に描くこと

大人たちが、社会の未来像を明確に描くことができなければ、子供たちのやる気を引き出すことは難しい。目的もなく、訳も分からずに学び続けることは、誰にとってもとても難しい。
未来を見つめた教育。それをやらなければ、次の時代を作る自覚を持っている人間を育てることは、困難になる。

たとえば、情報化でより自由で豊かな社会を作る、という目標を掲げる。
独創的な仕事を支える、基礎的な知識と技術を習得することが、まず必要になる。その仕事にふさわしい心理を兼ねそなえることも、大事だ。技術の発展を、人間の自由な精神活動の発露に役立てるためには、自由を主張するだけではなく、責任感と義務感を持った世代を育てなければならない。

以上のことを成し遂げるための自覚を、大人たちが共有し、未来への道筋を子供たちに示す。そうやって、子供たちは、未来を見通すことができるようになる。未来の社会の中にいる自分の姿を、想像できるようになる。その夢へ向かって努力をすることに、個人的にも社会的にも、大きな意味のあることが分かってくる。前の世代の夢を現実化し、さらにその先の夢を現実化できる大人が誕生する。
未来は、今の子供たちのものになる。

現在の教育の問題は、教育の明確な理想像を描けない大人たちの問題だ。教育とは、前の世代が次の世代を育成することなのだから、それは当然だ。

異質を認める教育の必要性

日本の学校で、ワルが何人か集まって1人をいじめると、全員がそれに荷担をする。積極的に加担をしなくても、見て見ぬふりをする。
ワルに対峙して、いじめられる生徒の側に立つ友だちは、まず出てこない。 子供だけではない。大人の世界でも、大勢に流されることを好む者が多い。正しいと思うことを、1人になっても主張し続ける日本人は、余りいない。 会社にもしばしばある大人のいじめ。ここでも、弱いほうの味方をする人は出てこない。
こんなことがしばしば起こる日本。

同質性を望む人間の画一化は、今までの歴史を見ただけでも、とても危険なことが分かる。社会全体としてバランスが取れなくなる。 社会がワッと間違った方向へ走り始めると、止める人間は1人も出てこない。誰もが、いっせいに崩壊へ向かってつっ走る。 第2次世界大戦がそうだった。

多くの日本人には、個の確立ができていないように見える。と言うよりも、個が確立されないように、積極的に教育がなされてきた、と言ったほうがいいかも知れない。
全員が同じように行動するのをベストと考え、違う行動をする者を排除する。同質性が絶対で、異質性が拒否される。

こんな人間を作る教育は、もう止めたほうがいい。グローバル化された世界では、異質な人間たちが身近に住んでいる。遠くに離れて住んでいても、緊密に連携して仕事をしなければならない。そんな世界で、日本人は誰とでも協力しあって、生きていかなければならない。 異質な人間に自分を認めてもらうと同時に、自分も異質な人間を認めなければならない。異質が多様性を生み出し、多様性が大きなチャンスを生み出すことを、明確に自覚することが必要になる。

日本では今、教育を含めて、社会の至るところが行きづまっている。しかし、これは大きなチャンスだ。全てがうまくいっていると、誰も現状を変えるような改革を考えない。未来へ向かって日本を変えるための大きなチャンスを、逃がさないようにしたい。
<和戸川 純>

  天才を育てる楽しみ     Essay 28より
   https://essay-hyoron.com/essay28.html
   ニックネイム<和戸川 純>より
   2012年7月25日

過去への旅

少しでも時間があると、その時点でやっていることとは無関係なことを、ふと想ってしまう。それが私の楽しみ(のうちの一つ)になっている。
ただし、誰かと話をしているときにこんなことをやると、失敗をする。相手の言っていることが聞こえなくなってしまうのだ。私の目が、どこか遠くを見つめているのに気づいた相手は、一瞬けげんな顔をする。

けれども、目の前の相手がコンピューターならば、何も心配することはない。
というわけで、オーストラリアから日本へ帰国してからのことだが、コンピューターでとても現実的な作業(投資に関係したアナリシス)をやりながら、突然に昔のことを想いはじめてしまった。現実的な作業を続けるのが困難になり、作業を中断して、その思い出に集中することにした。

『あのフィル』を発見

過去へさかのぼる旅は、オーストラリアへ行き着いた。 オーストラリアにおける二番目の職場は、W大学のScience Faculty(理学部ではない。理学部よりも専攻領域が広い。科学部とでも訳せばピッタリ)だった。主任研究員として仕事をした。バリバリの若手研究者といえた。

そこで、学生のフィルに出会った。

「あのフィルは、今何をしているのだろうか?ありとあらゆる情報が詰め込まれている、インターネット。調べれば、フィルが今どこで何をやっているのか、分かるかもしれない」

フィルのフル・ネームを使って、検索エンジンで検索をしてみた。あらためて感動。インターネットはすごい!すぐにフィルが見つかった。

運がよかった。フィルは、自分のページに顔写真を載せていたのだ。写真がなければ、同姓同名の他人の可能性が高い、と思わなければならなかった。何しろ、フル・ネームのフィリップ・ホジキンは、英語圏ではとても一般的な名前なのだ。フィリップ・ホジキンは掃いて捨てるほどにいる。
さらに運がよかったこと。50才に近いフィルの顔が、学生の頃とほとんど変わっていなかったのだ。太ってはいたが、写真を見た途端に、間違いなく『あのフィル』を見つけたことを知った。

世界でトップ・クラスの研究者になったフィル

フィルは、メルボルンにある、Walter and Eliza Hall Instituteという基礎医学の研究所で、免疫の研究をしていた。大金持ちの夫婦の寄付によって作られた、免疫学研究では世界でトップ・クラスの研究所だ。

「クローン選択説」という理論で、免疫学分野で世界で初めてノーベル賞を受賞した、バーネットがこの研究所で仕事をしていた。免疫系で中心的な役割を担っているT細胞が、ここで発見された。抗体を産生するB細胞に関する発見や、コロニー刺激因子、それに臓器移植で問題になるMHCなどの発見もあった。 押しも押されもしない業績を上げ続けた、ノーベル賞受賞者を何人も輩出した研究所だ。

フィルは、この研究所の中心になる、免疫学部門の部門長をやっていた。メルボルン大学の教授も兼任していた。オーストラリア免疫学会の学会長でもあった。

この研究所のフィルのメール・アドレスへメールを送ると、すぐに返事がきた。

フィルが学生だったときに、私が研究の指導をした。学生だったフィルに、私が与えた研究テーマの延長線上で、フィルはずっと研究を続けていたのだ。 そのテーマに対する最終的な答が、もうすぐ出る予定だという、自信ありげなメールの内容。 私にそんなメールを書くことが、フィルにはとてもうれしかったはずだ。

私が、免疫学を一生の仕事にするきっかけをフィルに作った。一生涯の研究テーマを与えた私のことを、フィルはとてもよく覚えていた。フィルが卒業するときに、私がフィルに贈った一こま漫画を今でも持っている、ということまでメールに書かれていた。

私は研究者としてのフィルに、大きな影響を与えることができた。それ以上に、これから書くように、一人の人間としてのフィルの人生に、決定的な影響を与えたのだ。

フィルも、私にとても大きな影響を与えた。私はフィルのことを、昨日会った人のようにはっきりと覚えている。それは彼が、天才的な能力の持ち主だったからだ。一生に一人でも会えれば運がいい、といえる天才。

私が出会った二人の天才

私が今までに出会った、天才といえる人は二人。フィルと上述のバーネットだ。

バーネットの「クローン選択説」をもとに、現代免疫学が発展した。バーネットは、免疫学のアインシュタインのような人だ。

私が渡豪して最初に勤めたのはメルボルン大学。そこで、駆け出しの研究者として仕事をした。同じ建物の中に、名誉教授だったバーネットがオフィスを持っていた。
その当時のバーネットには、研究や教育の義務はなかった。余生を送っている、全てを悟りきった、とても穏やかな熟年の紳士としか見えなかった。学生時代のフィルのような、抜き身の刀を思わせる危険な天才の雰囲気を、漂わせてはいなかった。

全くえらぶらず、若い日本人の研究者である私と、いつでも雑談をしてくれた。
他のスタッフは、高名なバーネットを煙たがって、明らかに距離を置いていた。バーネットが身近にいてうれしい私は、気遣いをしなかった。そんな向こう見ずな私を、バーネットは喜んでくれているように見えた。けれども、私の英会話も駆け出しだったので、会話中にいらいらしたことがあったと思う。

「なるほど、本物の天才とはこんな人なのだな」、と妙に感動したことを覚えている。

フィルとは違って、バーネットと私の間には広くて深い溝があった。私などよりも、ずっと高いところにいるバーネット。

最悪の評価を受けていた学生時代のフィル

オーストラリアの大学には教養課程がなく、1年目から専門コースへ入る。Science Facultyの4年目はHonors Courseと呼ばれ、日本の修士課程と同じことをする。このコースの学生は各研究室に配属され、与えられた研究テーマのもとに実験をして、卒業論文を書かなければならない。

フィルは私が指導することになった。これはフィルの希望があったためだ。
オーストラリア人の学生が、自分からわざわざ名指しをして、日本人を指導教員に選ぶのは珍しい。 日本語学科ならば、日本人教員を名指しにするのは、不思議でも何でもない。けれども、私が仕事をしていたのは、日本とは何の関係もないScience Facultyだった。

フィルが、有力教員ではない外国人の私を選んだ理由の一つに、権威者に対する反発の気持があった。 彼は反逆者だった。

人生経験がなく立場の弱い学生に、権威を示すのを楽しむ教員は、どこの国の大学にもいる。こういう教員は、学生を自分の指示通りに動かすことに、喜びを感じる。試験の解答、セミナーでの議論、レポートの内容などの全てを、自分が教えた通りにやることしか、学生には認めない。

普通の学生をこういう状況に置いても、特に問題は発生しない。なぜならば、与えられた教育内容をマスターし、試験で良い点数を取ることが大学でやること、と割り切っているからだ。
ところが、フィルのような学生には、こんな教え方は通用しない。ありきたりの知識と教え方に、全く興味を持っていないのだ。天才的な頭脳には、全てが分かりきっていておもしろくない。

そこで、フィルは当時こんなふうにやっていた。
試験では、低い点数だが、落第しないだけのぎりぎりの点数を取る。レポートも、わざと、クラスで最低の評価を受けるように書く。でも、落第点はつかないようにする。

こんなことができるというその事実だけを取っても、フィルに感心しなければならなかった。成績はクラスでビリだが、落第しないだけの点数はちゃんと取っている。こんな調整を思うようにできるということ自体が、フィルにとんでもない能力のあることを、示していた。

そうはいっても、 教授や准教授の評価では、フィルは箸にも棒にもかからない、全くダメな学生。何かというと反論をし、反抗的な態度を取り、しかも成績が最低なフィル。
それで、フィルが私を指導教員に選んだとき、フィルをダメ学生と評価していた教授、准教授は、きっと喜んだと思う。やっかい者の面倒を、見なくて済んだのだ。やっかい者は日本人に押しつけておけばいい。

私の研究室に、おしゃべりなオーストラリア人の女子大学院生がいた。彼女は、あちらこちらでいろいろな情報を収集してきては、私に教えてくれた。フィルはダメ学生という情報も、ちゃんと集めてきた。

「ジュン、本当にあんな学生を引き受けるの?とってもひどい学生だって、先生が言ってるわよ」

最初の面接で直感したフィルの才能

研究室に入り口から入ると、右側に、4畳半ほどの広さの三方がガラス張りの小部屋がある。これが実験室を眺めわたせるオフィスだ。

このオフィスにフィルを呼び、指導する側とされる側の、意志の最終確認をすることになった。この面接で、両者が納得をすることが配属のための条件になる。

フィルと初めて話をしたとき、私はとても驚ろいた。フィルの感受性が、ずば抜けて高いことがすぐに分かったのだ。私の言い分を、完璧に理解しただけではなかった。自分が考えていることを、私が間違いなく理解できるように、とても的確に説明した。
私が一つを話せば十を理解する。しかもこの十の中には、私が考えてもいなかったような意見が含まれる。

「これはタダの学生ではない」、と私にはピンときた。そして、タダの教員がこんな学生を前にすると、教員の立場から、自分の言い分を高圧的に押しつけてしまう状況を、はっきりと想像できた。 その結果、本人をだめにしてしまう。そんなこともすぐに理解できた。

こういう学生に、誰もが知っているようなことをやらせようとしても、全く興味を持つことはない。 ◆ 私が与えた最も困難な研究テーマ

次の日に、フィルに研究テーマを与えることにした。
テーマを考えるとき、私はフィルを学生とは考えなかった。 世界中の最先端の専門家が興味を持っている、大部分が未知の分野の研究テーマを与えることにした。
それは、私自身がとても興味を持っていたテーマだった。しかし、私がオーストラリア政府の医学研究基金から得ていた研究費で、カバーできる範囲の仕事ではなかった。免疫反応の中心に存在する液性因子が、免疫ネットワークにどのような作用を及ぼしているのかを、明らかにしようとする研究テーマだった。

この分野は、現在ではかなり明らかになっている。けれども、当時はほとんど闇の中。こんな研究テーマを、学部の最終学年の学生に与えたのだ。指導教員である、私にも指導できないような研究テーマ。
それを知った他の教員、特に免疫学が専門の准教授は、私を厳しく批判した。 経験のあるトップ・レベルの研究者でさえも、とても苦労しながら取り組んでいるテーマ。それを、よりによって学生、しかもダメ学生のフィルにやらせるというのだ。その准教授が、驚いたりあきれたりするのは、当然といえば当然だった。

「馬鹿日本人が、馬鹿学生に馬鹿げたテーマを与えたって、xxが言ってたわよ」、と上記の女子学生が私に教えてくれた。

他の教員が学生に与えたテーマは、授業としてやった実験室での実験を、延長したようなものだった。必ず答が出るという研究テーマ。それも、指導教員が知っている範囲の答が。

無謀な挑戦に喜ぶフィル

研究テーマを示したときに、私はフィルに結論を出すことを求めなかった。
「やれるところまでやればいいよ」

いかに天才的なひらめきを見せるフィルでも、わずか1年間で何らかの結論を出すことは、不可能なのは明らかだった。
私の信念はこうだった。大学では、その学生に合わせて、能力を最大限に引き出せるような教育指導を、しなければならない。その教育をもとにして、本人が、人生をかけたチャレンジをするための目標を、見つけることができれば幸いだ。

もっとも、他の平均的な学生を前にしては、私も他の教員のように行動した。答と答に到達する過程が、既に分かっているテーマを与えたのだ。私がフィルを別格扱いしたのは、私が考える最もチャレンジングなテーマを、フィルはこなすことができる、と判断したからだ。

フィルは、私が示した研究テーマにとても喜んだ。やっと、自分が全力投球でチャレンジできるテーマを、与えてもらったのだ。同時に、私が初めてフィルの能力を高く評価したことが、大学教員から、人間としての価値を認めてもらったような喜びを、フィルに与えたはずだ。

フィルは、私の意図を完全に理解した。免疫ネットワークの中心を攻める研究。世界中で激しい競争が行われている研究分野における、プロの研究者にとっても難しいテーマだ。フィルに対する私の要求は、最善を尽くすことのみ。

それからのフィルは、真夜中でも大学へ出てきて実験をした。 彼の研究を見守りながら、私は、フィルが天才的な能力の持ち主であることを、再び確認した。

最先端の研究論文を読むと、その論文の全体的な研究分野における位置づけを、すぐに理解するだけではなかった。その論文の中の一つの数字、一つの言葉の意味を、論文の著者自身よりも、恐らくより明確にとらえてしまった。
実験計画が、問題の解析のために適切なだけではなかった。出てきた結果の意味をたちどころに理解し、実験をさらにどちらの方向へ発展させればいいのかも、イメージとして示すことができた。

私は、フィルを私と同じプロの研究者として扱い、いろいろな議論をした。私が気づかないことも、鋭く指摘するフィル。そんな彼を、自分よりも経験と能力の劣った学生として扱うことなどは、とてもできなかった。私が知っていることは教えるけれども、逆の場合は教えてもらう。それしか選択の余地はなかった。

そんなこんなで、知的刺激がとてもたくさんあって、私の研究生活において最も楽しかった1年だった。

ビリから1年で最高の評価になったフィル

私から見れば当然のことながら、フィルの卒業論文は出色のできばえになった。全90ページの研究論文は、豊かな経験のあるプロの研究者の論文並み。全編にわたって論理がきちんと通っていた。

他の教員、特に一番厳しくフィルと私を批判していた免疫学の准教授は、フィルの高い能力の確証を眼前に突きつけられて、驚愕した。フィルの論文の価値を認めざるを得なかった。

それまで、試験やレポートの結果が、クラスで最低だったフィル。しかし、卒業論文では、Science Facultyで歴史上最高という評価を得たのだ。
その卒業論文を、私は今でも手元に持っている。今読んでも、実験の流れと論理はとても正確だ。すぐれた論文が古くなることはない。

* * * * * * * *

天才フィルは、研究以外でも、若いうちからいろいろな人生経験を積んでしまった。性格が穏やかでかわいい同級生と、学生結婚をしたのだ。そして妊娠。

しかし、ネットで見つけた写真のフィルには、同年代の他の人よりも早く駆け抜けた人生の疲れはなく、まだ若い。私と一緒に研究をしていた、学生時代のフィルが、そこにいた。

私の思い出をとても大事にしているフィル

日本へ帰国してから、私は独立行政法人の研究所で仕事をしていた。フィルをネットで見つけてから、仕事で同僚とともにメルボルンへ出かけた。勿論、フィルには事前に連絡をした。

フィルは、自分の車で空港まで出迎えてくれた。大分肥ったが、あの目が輝いている学生時代のフィルはそのままで、その目は私しか見なかった。
メルボルン市内の何箇所かの訪問先へも、一緒についてきてくれた。帰国時にも、自分の車で空港まで送ってくれた。その途中で、ワイン・ショップへ連れていってくれ、一番いいワインを選んでくれた。

研究所の同僚は、「とても驚いた」と帰りの飛行機の中で言った。免疫学会長、世界でトップ・クラスの研究所の部門長、大学教授のオーストラリア人が、ここまで時間を割いて私の面倒を個人的に見てくれた。素直に考えれば、確かに誰でも驚く。
しかし、私とフィルの関係に、社会的な地位が影響することはない。私がいなければ、大学生活で落伍し、人生の敗者になる可能性が高かったフィル。私がフィルの能力を認め、免疫学領域へ引き込んだおかげで、フィルは世界でもトップ・クラスの研究者になった。
現在という時間は、二人の人間の過去の偶然の出会いの延長線上に、あるに過ぎない。

私は、自分の影響によって、一人の人間の人生の価値を、ここまで高めることができたことに、自分のことよりも喜びを感じている。

フィルは、学生時代のあの論文を、研究所の自分のデスクの上の一番よく見える棚に、飾っている。その論文には、指導教員だった私の署名が入っている。訪問者である私たち二人にその論文を見せながら、「これが私の研究の出発点です」、とフィルは言った。 ◆ 天才を育成するための原則

フィルの現在の研究は、理解するのが誰にも難しい。コンピューターをフルに使って解析することにより、液性因子と免疫細胞の反応の全体像を、描き出そうとしているのだ。即ち、免疫系の壮大な理論構築に取り組んでいる。

東京の某大学で仕事をしている友人が、フィルとの共同研究を望んで、私に接触してきた。私は友人をフィルに紹介した。
友人は、共同研究の内容を検討するために、フィルの研究論文を読んだが、フィルの仕事を理解することができなかった。共同研究はあきらめざるを得なかった。

ここで再び否応もなく、フィルの天才性が証明されることになった。フィルの研究を理解できる研究者は、世界でも多くはないと思われる。最高のコンピューター理論を駆使した、生物学研究の過程は複雑だが、結論は恐らく単純になる。フィルには、そうしなければならないことは、自明の理と思われる。 フィルの研究成果がノーベル賞に結びつくことを、私は願っている。

最後に、ひとこと付け加えておきたい。
天才を育てるひとは、天才である必要はない。天才とは何かが分かっていればいい。そして、どうすれば天才が伸びるのかも。それだけで十分だ。
活躍の場を適切に作ってやれば、あとは天才は自分で自分を伸ばす。
<和戸川 純>

 03 12 (月) 戦後最大の政変、世界への恥さらし     午後2:30 パソコンに向かう

デジタル新聞を開いて目に飛び込んだのは

  【速報中】文書書き換え「最終責任は佐川氏」麻生氏協調  2018/3/12 15:06

の見出しだった。

冒頭の写真・図版(書類を読みながら公表する麻生氏)には、
決裁文書の書き換えについて、手元の資料を見ながら取材に応じる麻生太郎財務相=12日2時17分、東京・霞が関、関田航撮影


続いて、

学校法人・森友学園との国有地取引に関する決裁文書の書き換え疑惑で、財務省が12日、国会議員に開示した決裁文書とは別の決裁文書が複数存在することを認めました。政権や政党、国会の動きをタイムランで追います。


とありました。 コピーを取りました。


ズゥッ……と長い間、暗雲低迷の気持ちでいたのが一気に晴れ晴れとした晴天になった思いでした。 政権の巷に渦巻く忖度なる言葉が吹き飛ぶんだという気持ちが胸いっぱいに広がったのです。 嬉しかった。 欣喜雀躍、昔習ったこんな言葉が頭にポッカリ浮かんだ。

来るべき時がきた !!   これでよくなる !!

ウソがウソをよび、すべての国民の心を泥の中へ落とし込んでいた !!

今までのことは前代未聞の醜聞だった !!

歴史を紐解いていても、世界中の一国の指導者にはこのような恥ずかしい人を見たことがない。 悲しいことだった。

家内にお茶に呼ばれ、この様子を、高鳴る胸のうちをつたえた。 お茶をすませてからパソコンを開くと、画面は変わっていた。 だが、

   【ライブ中継】財務使用が野党に説明 住友文書問題

とあったから、4:50ころまでは目を凝らしてみていた。

なぜ改ざんしたのか、誰の指示で改ざんしたのか、確答はできなかった。 一億の国民がそれを知りたいと願っているのに、その場の返答のみにこだわって応じているのが表情から察しられた。 まっとうな公務員としては耐え難い心の極に達していたはずです。

自分の良心を大事にして、自ら情報を発信して政治を正していってほしいと願うのです。 大蔵官僚の自負心を失ってしまってもいいのですか !!

遅くなってしまう、新聞記事を保存します。

デジタル朝日ニュース
  【速報中】首相、麻生氏続投の考え「責任を果たして」
       https://digital.asahi.com/articles/ASL3D3H44L3DUEHF004.html?iref=pc_extlink
       デジタル朝日より
       2018年3月12日17時34分

写真・図版】決裁文書の書き換えについて、手元の資料を見ながら取
        材に応じる麻生太郎財務相=12日午後2時17分、
        東京・霞が関、関田航撮影

 学校法人・森友学園との国有地取引に関する決裁文書の書き換え疑惑で、財務省が12日、国会議員に開示した決裁文書とは別の決裁文書が複数存在することを認めました。政権や政党、国会の動きをタイムラインで追います。

写真・図版】記者の質問にこたえる安倍晋三首相=12日pm4:56、首相
        官邸、仙波理撮影

安倍首相「麻生氏には責任を果たしてもらいたい」続投の考え示す(16:55)

安倍首相「麻生氏には責任を果たしてもらいたい」続投の考え示す(16:55)



 午後4時55分、安倍晋三首相が首相官邸で記者団の取材に応じ、コメントを発した。

 「本日、財務省から文書を明らかにした。行政全体の信頼を揺るがしかねない事態であり、行政の長として責任を痛感している。国民の皆様に深くおわびを申し上げたい」と述べ、頭を下げた。

 首相は続けて、「国民の皆様から厳しい目が向けられていることを真摯(しんし)に受け止め、なぜこんなことが起きたのか、全容を解明するため調査を進めていく。麻生財務大臣にはその責任を果たしてもらいたい。その上で、全てが明らかになった段階で、二度とこうしたことが起きることのないように信頼の回復に向けて、組織を立て直していくために全力をあげて取り組んでもらいたいと考えています」。麻生太郎財務相を続投させる考えを示した。

野党、書き換えは「首相答弁がきっかけでは」 財務省は否定(16:40)

 財務省は、決裁文書書き換えの開始時期を「昨年2月下旬」と説明した。この時期が意味することは何か。

写真・図版】決裁文書の書き換えについて説明するため衆院財務金融
        委の理事懇談会に出席した、財務省の富山一成理財局
        次長(左)=12日午後1時58分、東京・永田町の
        衆院第1議員会館、岩下毅撮影

 野党ヒアリングでは出席した議員から、2月17日の「私や妻が関係していたなら首相も国会議員も辞める」との安倍晋三首相の衆院予算委員会での答弁がきっかけだったのではないか、との指摘が出た。これに対し、財務省の富山一成理財局次長は「恐縮ですが、私、今の先生のご指摘があったようなことであったとは考えておりません」と全面否定した。

 2時間超に及んだヒアリングは、午後4時47分に終了した。

 共産・辰巳氏「改ざんやるのは、誰かのメリットになるからだ」(16:00)

 野党6党のヒアリングで、共産党の辰巳孝太郎氏が「ここまで大規模な書き換え、改ざんをやるのは、誰かのメリットになるからだ。それは誰か」とただした。財務省の富山一成理財局次長は「その時(書き換え時)までの答弁と、その後想定される答弁が誤解を生じないようにすると考えていたのではないか」と説明した。

 これに対し、辰巳氏は「誤解を生じる答弁をしたなら、答弁を修正すれば良い。公文書を改ざんする話には、普通はならない。なぜメリットもないのに、ここまで大規模な改ざんが行われたのか。それに対する答えが全くない」と批判した。

 午後4時半を回り、ヒアリングは開始から2時間が経った。

 公明・山口代表「行政の信頼を失う、誠に遺憾」(15:30)

写真・図版】多くの記者に囲まれ、決裁文書の書き換えについて取材
        に応じる麻生太郎財務相(中央)=12日午後2時6
        分、東京・霞が関、関田航撮影

 与党・公明党の山口那津男代表が記者団の取材に応じた。「(決裁文書改ざんは)行政の信頼を失うもので、誠に遺憾。財務省理財局の判断で、国会に明らかにするべきものをそうしなかったとすれば、立法府を軽視するものであって、断じて許されない」と、理財局を批判した。

 麻生太郎財務相や安倍晋三首相の政治責任についての質問については「理財局の独断と言うか、理財局がこうした書き換えを行っていたという説明だから、まずは麻生大臣が説明を尽くしていく、国会の議論に答えて頂くことが重要だ」と述べるにとどめた。

写真・図版】取材に応じるため大臣室を出る麻生太郎財務相=12日
        午後2時4分、東京・霞が関の財務省、林敏行撮影

 立憲・辻元氏「予想以上に深刻だ」(15:30)

 立憲民主党の辻元清美国会対策委員長が記者団の取材に応じた。「予想していた以上に事態は深刻だ」と切り出した。

 「変える前と後で、文書が別の物になっている。一部を消したとか抜いたという話ではない。ある意図に沿って、別の文書、報告に変えている。何のために、誰が、この隠蔽(いんぺい)、改ざんをやったのか明らかにならない限り、政治全体への信用を失っているので(国会)審議する環境にはない」

 これに先立つ野党の国会対策委員長の会談では、幹事長・書記局長会談を開いて今後の国会対応を話し合うことを決めた。 ◆ 財務省局次長「(職員)本人が無意識にやったとか、そういう話ではない」 野党は失笑(15:10)

 立憲民主、希望など野党6党の合同ヒアリングが始まった。午後3時すぎ、財務省の富山一成理財局次長が書き換えについて報告するが、議員からは「『書き換え』でなく『改ざん』ではないか」と認識についての批判が相次ぐ。

 富山氏は「現時点で『書き換え』という単語を使っているが、その点は、今後の調査結果によっては、我々としても違うか正しいのかは考えたい」。議員が「意図的にやったことは間違いないですね」とたたみかけると、富山氏は「少なくとも、おっしゃっている意味は重々分かっている。(職員)本人が無意識にやったとか、そういう話ではない」と答弁すると、会場は議員の失笑に包まれた。

 首相の様子は「泰然とした感じ」 面会した自民党議員(15:00)

 自民党の河井克行・総裁外交特別補佐が首相官邸を訪れ、安倍晋三首相と面会。帰り際、記者団の取材に応じた。首相とは国際情勢について語ったというが、財務省の文書書き換え問題は「(話題に)上らなかったですね」。首相の様子は「普段と変わらず、泰然と、泰然とした感じでした」と語った。

写真・図版】参院予算委の理事懇談会に臨む与野党の理事ら=12日
        午後0時57分、国会内、岩下毅撮影

 午前中の尾身幸次・元科学技術担当相に続き、河井氏がこの日2人目の来客。国会や財務省の混乱と比べ、首相官邸の出入りは閑散としている。

 麻生氏「最終責任者は理財局長である佐川」(14:15)

 書き換えは誰の指示、責任だったのか――。麻生太郎財務相に対し、記者団からこの点への質問が相次いだ。

 麻生氏は「書き換えの一番トップはその時の担当者で、そんな偉い所じゃないと思うが、最終的な決裁として佐川(宣寿・前国税庁長官)が理財局長だったから、その意味で理財局長となろうと思う」と述べ、佐川氏の責任になると指摘した。

 「佐川さんの判断で行ったか」との問いには「佐川の判断の前の段階だと思う」としつつ、「書き換えは当時の理財局の一部の職員によって行われたので、最終責任者が理財局長である佐川ということになると思う」と、辞任した佐川氏の責任を強調した。


【下平】公文書書き換えということは、A級公務員といわれる官庁官吏退職者の話では「公文書書き換え」をすることは考えられない、と言っていた。 ウソをつかせたのは誰だ。 国民の多くは直接上司以外にはないではないかと思うのが偽らざる気持である。 偽らざる感情でもある。 ◆ 麻生氏「佐川の答弁に合わせて書き換えた」 「忖度」は否定(14:10)

 麻生太郎財務相はぶら下がり取材で、書き換えの理由をこう説明した。「(昨年)2月下旬、佐川の答弁と決裁文書との間の齟齬(そご)があった、間違いがあった、そういう風に誤解を招くということで、佐川の答弁に合わせて書き換えたというのが事実だ」

写真・図版】自民党本部に入る自民党の二階俊博幹事長=12日午後
        0時2分、東京・永田町、関田航撮影

 当時の佐川宣寿・財務省理財局長は国会で事前の価格交渉を否定するなどしていた。こうした答弁と整合性を取るために書き換えた、との説明だ。麻生氏はまた、書き換えの背景に政治家への「忖度(そんたく)」があったかとの質問には、「考えていません」と否定した。

 自由・山本太郎氏「完全な『改ざん』」(14:10)

 参院予算委員会の理事懇談会で財務省の説明を受けた自由党・山本太郎共同代表。終了後、記者団に「(財務省が説明で使う)『書き換え』は間違いで、完全な『改ざん』。それ以上でも以下でもない。本当にあきれるような話ですけども」と憤った。

 山本氏が理事懇で、「財務省の(書き換えによる)メリットは何か」とただしたところ、財務省側からは「個人的な見解」と断った上で「書き換え前後の文章を見ても、財務省に何かメリットがあるとは思えない」との返答があったという。山本氏は政治家側の関与を追及する姿勢を強調した。

 麻生氏「私の進退については考えていません」(14:05)

 麻生太郎財務相が午後2時5分、財務省内で記者団の取材に応じた。

 「昨年2月下旬から4月にかけて、本省理財局において、森友事案に関する14件の決裁文書の書き換えが行われていたことが明らかになった。決裁された行政文書について書き換えを行うことは、極めてゆゆしきことであって、まことに遺憾。私も深くおわびを申し上げる次第だ」と陳謝の言葉を述べた。

写真・図版】安倍昭恵氏

 今後については「捜査にも全面協力し、二度とこうした事態がおこらないよう、さらなる調査を進めて、その上で信頼回復に向けて努力したい」と述べた麻生氏。進退を問われると「私の進退については考えていません」と否定した。

 財務省、与野党理事に書き換え問題を説明 参院予算委理事懇終わる(13:47)

写真・図版】財務省に登庁する麻生太郎財務相=12日正午、東京都
        千代田区

 午後1時47分、参院予算委員会の理事懇談会が終わった。財務省から与野党の理事らに対し、文書書き換え問題について説明があった。ここまでの取材では、財務省側から「(書き換えが)なぜ行われたのか申し上げられることは、理財局のなかで行われた。恐らく国会答弁との関係で誤解を招きかねない表現、『先方からの要請』などの表現を削除したのではないかと思う」などの説明があったという。

麻生氏、まもなく記者団に説明へ

 財務省は、麻生太郎財務相が午後2時5分から省内で記者団の取材に応じると発表した。

 財務省、野党含め国会に報告 参院予算委理事懇始まる(12:59)

写真・図版】定例会見に臨む菅義偉官房長官のファイルには「森友」
        「佐川辞任」などとメモされた付箋(ふせん)があっ
        た=12日午前11時5分、仙波理撮影

 午後0時59分、参院予算委員会の与野党の理事らによる「理事懇談会」が始まった。財務省の文書書き換え問題について、野党も含めた国会全体に対し、財務省が報告する初めての場となる。

 自民・二階幹事長が党本部入り 西村官房副長官・福田財務次官らが待機(12:02)

 午後0時2分、自民党本部に二階俊博幹事長が入った。党本部4階の幹事長室にはすでに西村康稔官房副長官、福田淳一財務事務次官らが待機している。二階氏は政府側から、森友文書書き換え問題を巡る調査結果の説明を受けるとみられる。

 他の自民、公明両党関係者に対しても、この日朝から財務省幹部が手分けして訪問し、説明が続々と進んでいる。

 共産・小池氏「昭恵さんの名前削除、首相本人の責任に直結する極めて重大な事態」(11:45)

 午前11時45分、共産党の小池晃書記局長が記者団の取材に応じた。「安倍昭恵さんの名前も削除されていたと報道されている。まさに政権中枢、安倍(晋三)首相本人の責任に直結する、極めて重大な事態だ」とした上で、「内閣総辞職に値する問題にいよいよ発展してきている」と述べた。

 朝日新聞が国有地をめぐる取引の問題を報じたのは昨年2月。小池氏は、首相が昨年2月の国会で自身や昭恵氏が関与していれば退陣すると答弁したことに触れ、「この答弁をめぐって改ざんが行われたということがあれば符合する話になってくる」とし、首相答弁と書き換えとの関連をただす意向を示した。

首相夫人・昭恵氏の名前削除か 森友文書の書き換え疑惑

写真・図版】西村康稔官房副長官から「森友文書」書き換え問題に関
        する説明を受けた後、取材に応じる自民党の森山裕国
        対委員長=12日午前10時31分
        国会内、岩下毅撮影

 学校法人・森友学園(大阪市)との国有地取引に関する決裁文書の書き換え疑惑で、安倍晋三首相の妻昭恵氏の名前が削除されていたことが、複数の政権幹部の話でわかった。

 一連の文書には、森友学園の籠池泰典・前理事長側の説明として、昭恵氏が森友学園で講演したという記述が含まれていたが、問題発覚後に削除されたという。

 野党側は昭恵氏の証人喚問も求めている。

 麻生氏が財務省入り 「進退は」の問いかけに、無言(12:00)

 正午、麻生太郎財務相が財務省に入った。記者団から「大臣の責任を明確にするのか」「進退は」などの問いかけが飛んだが、麻生氏は無言だった。

 首相、尾身幸次元科技相から「ご苦労ですね」(11:25)

 朝から緊張が走る首相官邸のエントランスに登場したのは、尾身幸次・元科学技術担当相だ。安倍晋三首相と会談後、記者団の取材に応じた尾身氏は、財務省の文書書き換え問題を巡って「いろいろご苦労ですね」と首相にねぎらいの言葉をかけたという。記者団は首相がどう返答したかを尋ねたが、尾身氏は「何も言わなかったよ。もっと世界のことを話してきた」と述べるにとどめた。

 菅官房長官、麻生財務相の進退論を否定「麻生大臣に徹底した調査の指揮をとっていただくべきだ」(11:05)

 午前11時5分、菅義偉官房長官が首相官邸で午前の定例記者会見に臨む。「麻生太郎財務相の責任論についてどう考えるか」との問いに、菅氏は「麻生大臣においては今、財務省をあげて調査を行われているところであり、徹底した調査を行い、まずそうしたことはすべてはっきりすべく、指揮をとって頂くべきだ」と答えた。調査の指揮を優先させ、ただちに進退論にはつながらないとの見方を示した形だ。

麻生財務相の進退が焦点に

写真・図版】首相官邸に入る安倍晋三首相(中央)=12日午前9時
        2分、岩下毅撮影

 財務省が森友文書の書き換えを認めたことで、麻生太郎財務相の進退問題が当面の焦点となる。野党は追及を強める構えだ。

 希望の党の玉木雄一郎代表は11日、記者団に「麻生氏自身の責任も問われる事態に当然なる。辞任を求めて行く動きにならざるをえない」。立憲民主党の長妻昭政調会長も「(書き換えを認めるとの報道が)事実だとしたら、政治責任は免れないのではないのか」と指摘している。

 麻生氏自身は、佐川宣寿・前国税庁長官の辞任を受けた9日の記者会見で、「私自身の進退については、今特に考えているわけではない」と述べている。

 自公幹部「書き換えられているらしい」政府からの報告認める(10:28)

 「西村(康稔・官房)副長官から、書き換えられているらしいという報告があった」。12日午前10時30分前、公明党の大口善徳国会対策委員長が、国会内で記者団に語った。政府・与党が書き換えを初めて公に認めた。

 直後に、自民党の森山裕・国対委員長も「政府から、森友学園への国有地処分に関する決裁文書に、どうやら書き換えがあったようだとの報告を受けた」と記者団に語った。

 大口、森山両氏は午前9時45分ごろから、そろって西村氏から説明を受けた。約40分間の説明の後、取材に応じた。

 立憲・福山氏「前代未聞の異常事態」(10:15)

 立憲民主党の福山哲郎幹事長が、国会内で記者団の取材に応じた。野党はまだ財務省からの報告を受けておらず、「改ざんされる前の元の文書が提出されるとすれば」とした上で「国会審議の信頼と前提を根本から覆す、前代未聞の異常事態」と断じた。

 「誰の指示で、いつ、なんのために改ざんされたのか明らかにすることは不可欠。財務省だけで判断することは絶対にない。官僚だけに責任を押しつけて済ますことはあってはならない。政府全体の責任は極めて重い。まずは、佐川(宣寿)元国税庁長官の証人喚問を求めたい」と述べた。

安倍首相、記者団の問いかけに答えず

 安倍晋三首相は12日午前9時過ぎ、首相官邸に入った。記者団の「財務省が書き換えを認めるとの報道について受け止めを」との問いかけには答えず、硬い表情で執務室に向かった。

 首相は2日に書き換え問題が発覚して以降、財務省に対応させる姿勢を強調してきた。5日、参院予算委員会で「私は全くこの話、あずかり知らないから答えようがない」と答弁。8日の同委で「できるだけ早期に説明できるよう、同省をあげて最大限努力をしてもらいたい。政府も誠意を持って対応する」と述べた。

 10日も記者団に「同省において来週早々に(調査)結果について示せるよう全力で取り組んでもらいたい。麻生(太郎)財務大臣をはじめ同省を挙げて取り組んでもらいたい」と対応を委ねた。
◇      ◇      ◇      ◇      ◇


 財務省の森友文書書き換え問題は、今月2日に朝日新聞が報じた。同省は同日、6日までに調査・報告すると国会に約束。だが6日の報告は「文書をただちに確認できない」などとする内容にとどまり、野党は「ゼロ回答」と反発。自民党の二階俊博幹事長も会見で「理解できない」と述べ、対応が後手に回る展開となった。

 同省は8日になって近畿財務局の決裁文書のコピーを開示したが、すでに国会議員に開示されていた物と同じで、疑惑払拭(ふっしょく)にはつながらず。9日午前には、同局職員が自殺していたと見られることも明らかとなった。同日夜、決裁文書の国会提出時の担当局長だったなどとして、佐川宣寿国税庁長官が辞任した。

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 03 13 (火) 戦後最大の政変  財務省が改ざんとは…動機が解せない     

やっぱり、こうした元官僚の人たちの言葉は間違いなかった。 今回の松井官房副長官のインタビューも保存しておきたい。

デジタル朝日より
  財務省が改ざんとは…動機が解せない
戦後最大の政変
       https://digital.asahi.com/articles/ASL3D5G41L3DUPQJ00F.html?
       慶応大教授・元官房副長官  聞き手・池田伸壹
       2018年3月13日16時43分

慶応大教授・元官房副長官・松井孝治さんに聞く 森友文書問題

 私は、通産官僚時代の1990年代に羽田、村山、橋本政権で内閣副参事官を経験し、官邸で官僚として政治家に仕えました。政治家に転じてからは、官房副長官として、官邸で官僚と向き合うという逆の立場も経験しました。

   【タイムライン】森友文書の書き換え認める  google検索
   改ざん前・改ざん後の決裁文書はこちら  google検索

60年生まれ。83年に旧通産省に入省、内閣官房副参事官、行政改革会議調査員などを経て2001年から民主党の参院議員2期。13年から現職。

 官僚は幹部になればなるほど、政治家からさまざまな要求をされます。こうした期待にどう応えるかは常に大きな問題です。私が見てきた先輩で印象に残っているのは、村山内閣時の古川貞二郎官房副長官や谷野作太郎内閣外政審議室長でした。政権の意向が自分自身の理念や歴史観、過去の政策と一致していなくても、どこまで応じるべきなのかを胃の痛む思いをしながら探り続けておられました。官僚としての軸を持ち、黒衣として直言すべきはされていました。

 そうした先例からすると、今回の件は信じられず、驚いています。文書を改ざんするリスクをとってまで、忖度(そんたく)しなければならない事柄は本来はありません。政権の国会答弁の整合性をとるために、過剰な組織防衛に走ったということかもしれませんが、動機が解せません。

 本来、財務省(旧大蔵省)は、省庁の中でも最も尊敬を集めてきた省庁です。霞が関では、同省のキャリア組といわれる幹部と幹部候補生が極めて優秀であることはよく知られています。ただ、それだけでなく、分厚いノンキャリア職員の真面目さ、モラルの高さでも他省庁を圧倒していて、それが「省庁の中の省庁」と呼ばれてきた理由の一つでした。

 問題となっている近畿財務局でも、そうした方々が文書管理などをしっかりやっていたことは容易に想像できます。決裁文書を改ざんするなどということは最も起こりにくい組織のはずです。なぜ一線を越えるに至ったのか、さらなる真相解明が求められます。

 私は、今回問題になっている官僚の幹部人事を内閣全体・各省横断で判断・決定する制度を推進してきた立場ですが、官僚のプロ意識を希薄にすることを意図したわけではありません。官僚が政治と向き合うと同時に、実務で公正中立性を保つため、「政」と「官」が互いの役割をいま一度、謙虚に検証するべきです。「政」が「官」に過剰に介入し、「官」が文書を改ざんしてまで「政」におもねるようでは、明治以来築き上げられてきた「公」に対する信頼が失われる危険があります。

 日本人が長年持ってきた、「公」への信頼を崩すという点では、過去の汚職事件よりも重大な事案かもしれません。政権の行方という政局以上に、今回失墜した「公」への信頼を、どう取り戻していくのかを注目しなければならないと思います。(聞き手・池田伸壹)

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(日曜に想う)
美しき誤解、惨憺たる理解 編集委員・大野博人
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13386723.html?ref=pcviewer

明仁天皇の「生前退位の意志表明」は安倍政権と日本会議の改憲=戦前回帰に対する最後の抵抗だった! 天皇陛下の生前退位 米紙が皇太子を分析「改憲と対照的」
   http://sharetube.jp/article/3570/

宮内庁関係者の間では、今回の「生前退位の意志」報道が、安倍政権の改憲の動きに対し、天皇が身を賭して抵抗の姿勢を示したのではないか、という見方が広がっている。生前退位