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【 03 】検索語一覧(28)
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04 20 (金) 尖閣諸島と竹島を放棄せよ 百年の計をたてよう
百年の計という言葉がある。 ものの考え方を現わすのに、巨視的な見方微視的な見方、論理的な考え方感情的な考え方、帰納的考え演繹的考え、実証的考え直感的考え、倫理的考え経済的考え、合理的考え直感的考え、年少者の考え年配者の考え、地理的考え歴史的考え、考え方というのは千差万別の言い方や方法があります。
U 尖閣諸島と竹島を放棄せよ
あ 平和の遠大な構想を掲げよう
17条の憲法 日本の初めての憲法をまず学ぶこと
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「以和為貴」
いろいろの思想や論理をたずね、その根底になっている人の心の持ち方を読み解いてみると、すべてが一つの糸に集まっていることにたどりつきました。 その糸の束ねは和の心でした。
宗教にはいろいろの考え方がありますが、共通している基本は和の心でした。 哲学にしても、政治にしても、倫理にしても、科学にしても、文学にしても、家庭にしても、いろいろの考え方がありますが共通している基本は和の心でした。
どのような人と議論したにしても、人として持つべき心の最高位には和であることに間違いはありません。 私がたどりついた価値観の最高位に位置する言葉でした。
人によっては愛であると言い切る人もいます。 人によっては生活する最低限の経済的収入だという人もいます。
人が多くいると、集団の決まりが大事になってきます。 意見が異なる場合にはどう解決すればいいのでしょうか。 これが家庭でも、地域でも、村でも県でも国でも、昔からの人がもつ命題かもしれません。
意見の違いはどこから生まれるのでしょうか。 このことは誰でも徹底的に考え抜かなければなりません。 考えた末に何が残るのでしょうか。
ある程度のところまでは共通する意見の人たちもいます。 意見の違いは話し合ってもどこかで妥協してしまいます。 多くの場合、ある程度の妥協する方便が必要になってくることも事実です。 誰にしても人のもついろいろの特性があります。 この特殊性は排除して議論してはなりません。 すべて特殊性にするような考えでは、集団としてのきまりが成り立たなくなりますから、 特殊性ということで除外を多くしてもいけないのです。
課題に戻りますが、意見の違いはどこから生まれるのでしょうか。
私が到達した「意見の違いはどこから生まれるのか」の結論は、人ばかりではなく生物そのものはすべて、環境の相違によって異なるから、意見の相違も育ってきた環境によって違ってしまうということだと思います。
環境によって生物すべての成長や反応は相違してきますから、この例はあらゆるものに実証されているのです。
アマラ、カマラのように狼によって育てられた人間は、両手両足で歩き真夜中になってうなり「ゥオーーーッ」と咆哮するのです。 農家の方は野菜の種をまきいろいろと面倒をみないとその野菜はとんでもなくなることを体を通して知っています。 テレビを通してわかるのですが、小さい体格の女の子が世界一のジャンプ女王に輝いたのは、親の指導と本人の努力によってそうなったことも誰でも知っていますね。 うら若い少年が将棋七段に輝いたのも驚くほかありません。
子どもは親の環境次第でどんなようにでも変わって育っていきます。 はたち過ぎての環境設定では成長や反応は子供時代の成長や反応のようなわけにはいきません。 「三つ子の魂百までも」<https://matome.naver.jp/odai/2139446140423601501>という日本には古来の諺があります。 このURLを開いてみても間違いなく環境によって成長や反応が位置付けられていることが納得できるでしょう。
い ユネスコから読みとるもの
ユネスコ憲章 前文をまず学ぶこと
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中核1
戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
Since Wars began in the minds of men. It is in the minds from men that the defences of Peace must be constructed.
中核2
ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。
The great and terrible war which has now ended was a war made possible by the denial of the democratic principles of the dignity, equality and mutual respect of men, and by the propagation, in their place, through ignorance and prejudice, of the doctrine of the inequality of men and races;
私たちは、この無知と偏見という翻訳語からくる解釈の意味に齟齬(ソゴ=(~スル)物事がうまくかみ合わないこと。食い違うこと)をきたしていると思います。
無知 ignorance 情報や知識が不足していること
(~についての)無知 (~を)知らないこと
(ワードパワー英英和辞典による)
偏見 prejudice (特に~の人種、宗教、性別に基づく場合、~への好きではない
または信用できないという、強くて道理に合わない感情)⇒
偏見、先入観、悪感情
(ワードパワー英英和辞典による)
これはユネスコの中核になるバックボーンです。
戦争時代の卒業を願いとする私にとっては、戦争の原因になっているものは何かを、心の持ち方とその中身、すなわち「知らないということと我流に固執した偏見が戦争の原因だという結論として、端的にそして明確に表現した宣誓書だと思います。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)憲章は、1945年11月に国連教育文化会議で定められました。 翌年11月に憲章が発効(力・働きが発生すること)すると ともに、国連(国際連合)の専門機関として、ユネスコが発足しました。
私が時事通信社発行の「ユネスコの解説」を手に入れたのは、青年師範の三年生の冬だったと思います。 年の暮れが迫った12月、下宿の檀田地籍の弥勒庵の近くに浅川小学校に勤めていた老先生から、「クリスマス前夜祭をしませんか」と誘われて佐々木賢明さんと先生の下宿へ参上した時、老先生の紹介でユネスコ憲章があることとその概要を知ったのがきっかけでした。
早速注文して手に入れた本です。
当時の出版事情を考えると、1946年の11月発足したばかりのユネスコ組織であり、日本での出版は1948年ですから1年ちょっとで出版された本です。 本の出版が戦後始まったばかりの仙台ユネスコ協力会の本だったのです。 冒頭の句が全身に染みこんだのも当然だといえば当然だったのかもしれません。 それは新鮮な、そして論理的で格調高い表現だったのです。
日本ユネスコ協会連盟のあゆみ http://www.unesco.or.jp/unesco/role/
仙台から、パリのUNESCO本部へ。
世界初の民間ユネスコ運動を伝える第一報は、障子紙に書かれていた。
世界で最初に、民間ユネスコ運動がはじまった国は、日本だった。それは戦後間もない1947年7月19日のこと、まず仙台でユネスコ協力会が産声をあげ、すぐに京都、神戸、大阪と続き、全国各地に協力会が次々に誕生した。
当時は、食糧さえ不足する厳しい生活事情であったにもかかわらず、国内の民主化を求める声とともに、平和と文化の国際協力への運動が盛り上がっていた。すでに同じ年の11月には、東京の日比谷公会堂で「第1回日本ユネスコ運動全国大会」が開かれている。大会当日は、会場に入りきらない大勢の聴衆が、場外スピーカーの声に熱心に耳をかたむけるほどの盛況だった。
「仙台ユネスコ協力会」の創始者の一人である土居光知は、当時のUNESCO(パリ本部)の事務局長あてにメッセージを起草。
これが、日本の民間ユネスコ運動を世界に伝える第一報なったが、その手紙は戦後の窮乏生活のため、土居宅にあった障子紙に書かれていた。
日本から世界へと広がっていった民間ユネスコ運動。いまでは世界118カ国で5000を超えるユネスコ協会やユネスコクラブが活動を続けており、また、仙台が民間ユネスコ運動発祥の地であることを記念して、モロッコのカサブランカに「センダイ・パーク」という名の公園が残されている。
う 温故知新の教え
私は第二次大戦に土浦の予科練生として参加した。 戦争をした軍隊に籍を置いた少年だった。 昭和20年4月茨城県の土浦航空隊へ入隊し、6月10日の土浦爆撃に出会い、その後千葉県の茂原海軍航空基地(http://www.shimousa.net/kaigunkichi/mobara.html)へ出むき掩体壕造成の任務につき敗戦となってから土浦へ戻り、8月末除隊となって帰郷することとなった。
08 26 (日) 合掌の心 ときにこれを習う
忘れもしない36災害、その頃の一人の女性から数年前に手紙をいただいた。 人生においての感謝をしみじみ心に刻んでいるという内容であった。
もう70歳くらいになる。 どういう心境なのかは書いてなかった。 住所も書いてなく、名前は昔のままFとしたためてあった。 さもあらんと私も彼女の心根に感動したのだが返信は出せなかった。 そんなことが時々思い返されてきた。
話は違うが、28歳のころ冨士見の公園にある伊東佐千夫の万葉仮名をつかっての句碑を拓本に取ったことがあった。 その後山間の浪合につとめていたとき、春秋の季節によって山肌の色合いの変わりようが素敵だったのを見ていて、伊東佐千夫の句を思い出したのです。
それは
寂志左乃 極尓堪弖 天地丹 寄寸留命乎 都久都九止思布
さびしさの きわみにたえて あめつちに よするいのちを つくづくとおもふ
でした。
これについては次のような記録を残しています。
私は、今まで長い間に見たり、聞いたり、考えたりしてきました。 今では朝起きてから居間のカーテンを開け、玄関の戸締りを外して、そこにある4つ5つの植木鉢の葉にふれ、下駄箱の上にある小さな石の地蔵様に合掌するのです。 そして 「分子のレベルではみんな同胞なんだと思い、人も生物もその生涯でいろいろの “もの” を残し、自分の役目を閉じて(ただ人は自分が残したものを文化だと言って)逝くのだ。 自分はこうした自然の働きによって今まで生かされてきたのだと気づき、合掌するのです。TR>
窓辺から (45:4:15)
寂しさのきわみに耐えて天地に
寄するいのちをつくづくと思ふ 左千夫
学校の教室から、流れゆく小川に迫っている小さいいくつかの山の稜線、それにこの山あいに造られているダムにたたえられてた水面を眺めていると、左千夫がうたった詩が頭に浮かぶ。日本の山水のうつくしさは古来、人の情緒を温かく抱擁していることが偲ばれる。
左千夫がなにを意味していたかわからないけれど、私は感傷的な意味あいのものてはなく、弱い人間が自然にむかい謙虚な心持ちで一歩さがって自然を賛美し、そしてそうしている自分をしみじみ感ずる、というように思う。人というものは思うように生活できない極めて弱いものであるから、それを自分で悟りその寂しさにじっと耐えて、天地自然の雄大さに自己を托して泰然として生きてゆくことができる自分を、自然がある故にそうできる自分の幸せをたたえていくことができよう。
この詩には誇張も感じられないし、他にはたらきかけようという気持ちも感じられない。私がこのように受けとめたせいか、気持ちのよい詩である。
浪合の山や川は私にそのような気持ちをすなおに投げかけてくれる。窓辺の感じをわすれるのが惜しく、しるす。
植木鉢の花たちは水を注いであげずにいると、「かなしてな」と言っています。 水差しで水を注いでやると、次の朝は 「元気ですよ」 と言っているのです。 細胞レベルでは同胞だと感じています。
合掌の心というのは、小さいことでもいい自分にとって一つの有難い気持ちになったときに合掌の心と思います。手を合わせてもいいし、形になくてもいい。 よく考えてみると、生活そのものは合掌の連続によって成り立っていると思います。 合掌