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続折々の記 2019⑤
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】05/06~     【 02 】05/11~     【 03 】05/17~
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【 07 】06/06~     【 08 】06/11~     【 09 】06/13~

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            生涯戦争拒否、始めた立場  それは昭和20年6月10日のこと
            お地蔵さま  昔から道端に立っている
            雹   東夕立と雹
            曲折のアベノミクス:上  節約続き、乏しい恩恵

【 08 】06/11~

 06 11 (火) 生涯戦争拒否、始めた立場
         それは昭和20年6月10日のこと

昨日は6月10日でした。 時の記念日ではあるが、昭和20年のこの日は土浦海軍航空隊が爆撃されて終焉した日でした。 この爆撃を受けたことが、私にとってはかけがいのない戦争体験であり、私の生涯のバックボーンの一つとなっている。

何故か?

一つは、自分の班(甲種飛行予科練習第16期生・第42分隊・第6班)の白川義雄が兵舎裏の防空壕で直撃爆弾をうけて戦死したこと。 もう一つは、第一回の攻撃後第二回の編隊の引き返しによる爆撃により第一練兵場総司令の防空壕近くの土饅頭型防空壕で同期・並木が爆弾破片による負傷を受け、私がその介護の途中、第三回敵機襲来編隊爆撃のため 「総員第二練兵場へ直ちに避難せよ」 の指令防空壕上での 「命令」 により重傷の並木君を畑のようになった第一練兵場へ寝かせて第二練兵場へ逃げたこと。

白川義雄の両親のもとへ届けられた白木の箱の中には、彼のズボンに縫い付けられていた「第42分隊第6班白川義雄」と筆墨で彼が書き残した5~6cmの白い布一つだったはずでした。

白木の箱を受け取ったご両親の悲しみを思うと、想像もできないほどの気持ちに突き落とされるのです。 それを思うと、我が身が白木の箱の中だったとしたら、実父母の悲しみを想像だにできないのです。 この感情は、戦時中は何も起こらなかった。

年を重ね、やがて吉田松陰を知り、玉木文之進の教育を知り、その故郷の生家跡や松下村塾を目にしてきた。 彼の辞世の句は、

   親思うこころにまさる親ごころ けふの音づれ何ときくらん

であった。 自分が老齢化し、残る気持ちは一つには親への感謝であり一つにはまごの幸せを祈る、それが人本然の心情だと思われる。

もう一つの何故にたいする理由は次のようである。

‘ここは御国を何百里’ で始まる「戦友」の歌がありますが、その中に

 03 嗚呼戰の最中に 鄰に居りし我が友の
   俄にはたと倒れしを 我は思はず驅け寄って

 04 軍律嚴しき中なれど 是が見捨てゝ置かれうか
   「確(シッカ)りせよ」と抱き起し 假繃帶も彈丸の中

 05 折から起る吶喊(トッカン)に 友は漸(ヨウヨ)う顏上げて
   「御國(オクニ)の爲だ構はずに 後れて呉れな」と目に涙

 06 後に心は殘れども 殘しちやならぬ此の體
   「それぢや行(ユ)くよ」と別れたが 永の別れとなつたのか

    <http://park6.wakwak.com/~y_shimo/momo.1143.html>から

この言葉が出てきます。 この「戦友」という軍歌は、「徴兵検査」をおえて飯田から喬木へみんなでタクシーに乗って歌って帰ってきたのが、子供心に印象づけられているのです。 私が予科練で 6月10日 に体験したことは、この「戦友」の歌そっくりだったのです。 思い出しても胸がかきむしられる気持ちになります。 戦争拒否の論理は、この感情が根っこにドシンと死ぬまでも位置づいているのです。

 06 12 (水) お地蔵さま   昔から道端に立っている

朝起きて部屋のカーテンを開け、玄関のキイを外し、お地蔵さまや花たちに手を合わせる。 それが私の受け持っていることだ。

お地蔵さまに手を合わせる、なんで?

柔和な顔立ちで雨が降っても雪が降っても、黙ってジット立っている。 どんな苦労があってもジット耐えている、そんな様子を私たちは真似ていきたいから、昔の誰かが石屋さんに頼んで作ってもらい立てたのだろう。

地蔵菩薩って何だろう。 やっぱりはっきり知っておきたい。

地蔵菩薩
   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。

サンスクリット語ではクシティガルバ(क्षितिघर्भ [Kṣitigarbha])と言う[1]。 クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」としている。 また持地、妙憧、無辺心とも訳される。 三昧耶形は如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具)、錫杖。種字は ह (カ、ha)BonjiHa.png。

大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う 所から名付けられたとされる。

日本における民間信仰では道祖神としての性格を持つと共に、「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶ菓子が供えられている。

一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵さま」と呼ばれる。
                     以上 google 地蔵菩薩検索 冒頭の概説から
なお、菩薩とは

1. 仏の次の位のもの。みずから菩提(ぼだい)を求める一方、衆生(しゅじょう)を導き、仏道を成就させようとする行者(ぎょうじゃ=修行者=行人ともいう)。

2. 朝廷から高僧に賜った称号。 「行基(ぎょうき)―」
                     以上 google 菩薩検索 冒頭の概説から

このサイトにはこのほか、

   中国における地蔵信仰  古代インド王の転生
   日本における地蔵信仰  施餓鬼法要との関係
   子供の守護・救済     道祖神との関係

その他多くの解説が出ています。

地蔵菩薩 | 仏像ワールド
   https://www.butuzou-world.com/dictionary/bosatsu/zizoubosatsu/

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)とは?

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。

閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。
道  ( google検索「道(哲学)」ニヨル )

道(どう・タオ・Tao・みち)とは、中国哲学上の用語の一つ。人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉である。道家や儒家によって説かれた。

解釈の諸例  ( google検索「道(哲学)」ニヨル )

老子によれば、道とは名付けることのできないものであり(仮に道と名付けているに過ぎない)、礼や義などを超越した真理とされる。天地一切を包含する宇宙自然、万物の終始に関わる道を天道(一貫道ともいう)といい、人間世界に関わる道を人道という。

孔子は天道を継承し、詩経、書経で人道についても語り、「子曰 朝聞道 夕死可矣」や「子曰 參乎 吾道一以貫之哉」(『論語』 巻第2 里仁第4)といった名句に道義的真理があり、天地人の道を追究した孔子の姿勢が窺える。

道教における「道」の概念は、神秘思想の上に取り入れられ、道家のそれとはかけはなれた概念となっているとされていたが、近年はフランス学派の学者たちを中心に道家と道教の連続性を認める傾向が多くなってきている。

『中庸』では「誠者天之道也 誠之者人之道也」と「天之道」、「人之道」が「誠」であるとし、それに基づき孟子も「是故 誠者天之道也 思誠者人之道也」(『孟子』 離婁 上)と「天之道」、「人之道」と「誠」に言及している。

『菜根譚』には、「道を守って生きれば孤立する。だがそれは一時のことだ。権力にへつらえば居心地はよかろう。だが、そののちに来るのは永遠の孤独だ。めざめた人は、現世の栄達に迷わされず、はるかな理想に生きるのだ」と記し、洪自誠の主張として、一時の孤立を恐れ、永遠の孤独を招くのではなく、道を守る事が肝心と説く。

『菜根譚』  ( google検索「菜根譚」ニヨル )

菜根譚(さいこんたん)は、洪 応明(字は自誠)が明の時代に書いた随筆集です。現代の日本にも通じるものがあり、多くの愛読者がいます。
このサイトでは、菜根譚の全文(漢文、読み仮名、日本語訳)、菜根譚の書籍を紹介します。

ここでは菜根譚の前集 001条から050条 の漢文、読み仮名、現代語訳を紹介します。

前集_001

 棲守道徳者 道徳に棲守セイシュするは 道徳を守って生きれば
 寂寞一時 一時に寂寞 (ジャクバクたり 一時は孤立する
 依阿権勢者 権勢に依阿イアするは 権力に追従すれば居心地は良いが
 凄涼万古 万古に凄涼セイリョウたり その後は永遠の孤独が襲ってくる
 達人観物外之物 達人は物外の物をみ めざめた人は現世の栄達や物欲に惑わされず
 思身後之身 身後ミゴを思う 理想に生きる
 寧受一時之寂寞 ムシロ一時の寂寞を受くるも 一時の孤立を恐れて
 勿取万古之凄涼 万古の凄涼セイリョウを取るなかれ 永遠の孤独を招いてはいけない

【第一条はこうなる】

道徳を守って生きれば、一時は孤立する。 権力に追従すれば居心地は良いが、その後は永遠の孤独が襲ってくる。 めざめた人は現世の栄達や物欲に惑わされず、理想に生きる。 一時の孤立を恐れて、永遠の孤独を招いてはいけない。

以下続く。

墓地にはよく6体の地蔵が祀られています。仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守っているのです。

頭を丸めた修行僧の姿で、釈迦と同様に簡素な衣を着けますが、菩薩であることより首飾り・瓔珞などで荘厳されることもあります。錫杖と宝珠を持っている姿が一般的です。 延命地蔵は半跏像、あるいは片脚踏み上げの姿勢をとります。

仏像菩薩一覧(16)や仏像の種類(6)なども出ています。

地蔵菩薩 | ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
   https://kotobank.jp/word/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9-73667

菩薩の一つ。釈迦牟尼
《〈梵〉Śākya-muniの音写。釈迦族の聖者の意》仏教の開祖。世界三大聖者の一人。紀元前5世紀ごろ、インドの釈迦族の王子として誕生。29歳で宗教生活に入り、35歳で成道した。45年間の布教ののち、80歳の2月15日入滅。釈尊。釈迦如来。釈迦。
が没し、弥勒菩薩
兜率天(とそつてん)の内院に住み、釈迦(しゃか)入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩。弥勒仏。
が出世成道するまでの無仏の五濁悪世にあって、六道
仏教用語。生存中の行為の善悪の結果として、衆生がおもむく6種類の世界の状態をいう。すなわち、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上をいう。 (→輪廻 、六地蔵 )
に苦しむ衆生を教化救済する菩薩で、インドではバラモン教時代から日蔵、月蔵、天蔵などとともに、星宿の神として信仰されていた。これが仏教とともに中国に入り、十王思想と結びつき、末法思想が盛んになるにつれて、地蔵による救済を求める者が多くなった。日本にもこの段階で取入れられた。像容は普通、左手に宝珠(水煙の上にのせる飾り)を持ち、右手は与願印または錫杖(杖の頭部の金属製の輪に、数個の小環をつけ、振り鳴らすもの)を持ち、袈裟法衣を着けた比丘形で表現される。遺品として法隆寺の木像 (10世紀)、伝香寺の木像 (13世紀前半) などが著名。


飯田市妙琴原の六地蔵

妙琴橋を渡ったすぐ下流にある六地蔵は、1931(昭和6)年に当時の下伊那郡松尾村(現在飯田市松尾)の松尾小学校の秋の遠足の際風越プールで遭難した児童を慰霊するものです。 引率していた先生が悔恨の情ふかく、これを建て冥福を祈るとともに、その後精進を重ねて立派な先生になり聖職を全うされました。

 06 13 (木)      東夕立と雹

東夕立は来ると激しい !!  これは幼少のころ父から聞いたこの地方に伝わる戒めだった。 ことに霰や雹となると百姓にとっては大変な被害にあったりする。

その雹がきのうの午後10分くらい続いた。

玉ねぎの始末をしていたまま、玄関上部の瓦に音を立てて跳ね返り、地上あちこちに落下して来た。 降るなんていうものではなく、まさに1cm程の大粒の雹が斜めの角度から物凄い勢いで競争して落下してきたのである。

驚いて呆然としたまま、この状況を見つめていた。 この降り方は始めてだった。 北海道の東に寒気団の低気圧が居座り、九州北には暖気団の高気圧が移動していた。 寒気団が南アルプスを越えて天竜川の左岸一帯に豪雨を伴って雹が落ちてきたのである。

太平洋北岸から南西に吹く寒気団は、昔から東北地方に冷害をもたらしてきた。 地球温暖化は日本列島各地に予想外の気象現象を巻きおこしている。 今年はどんな災害がどこで起こるのだろうか。 これは日本だけの問題ではなく、地球全体の問題であり、協力して文殊の知恵で何とかしなければならない。 政治家の緊急課題である。

きのうの雹の降雨報道は長野地方局ではなんの音沙汰もなくてすませた。

曲折のアベノミクス:上    節約続き、乏しい恩恵
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S14052176.html?ref=pcviewer

三回に分けて取り上げるようです。


写真・図版 【写真・図版】東京都西東京市の女性(46)の家計簿(5人家族)の変化は?

 第2次安倍政権になって3回目となる夏の参院選が迫ってきた。6年半に及ぶ長期政権は何をもたらしたのか。その実績を検証していく。まずは政権が重視し、力の源となってきた経済政策「アベノミクス」を3回にわたり取り上げる。▼3面=浮かぶひずみ

 「食費は節約できても、授業料はまけてもらえない。今がふんばり時だけど……」。東京都西東京市の女性(46)は、家計簿をつけながら、やりくりを考え直す必要を感じている。

 会社員の夫(56)、大学生の長女(19)、高校生の次女(17)、実母(81)との5人家族。毎年、年の初めに費目ごとの予算を立てる。長女が大学に入った今年4月は、教育費が大幅に予算をオーバーした。

 アベノミクスが始まった直後の6年前の2013年4月と見比べると、夫の月給は、4万1238円上がった。しかし、税金と社会保険料の合計も3万899円増。電話代は2万4347円増えた。この間に携帯電話をスマートフォンにしたことが大きい。

 外食はしないようになり、食費が予算を超えそうな時は乾物など家にあるものを使って乗り切る。ライフスタイルの変化もあり、食費は1万5千円ほど減ったが節約の工夫を重ねる。

 夫の給料はこれから下がる時期に入り、自分も週3日パートで働き始めた。ただ、介護認定を受けている母親がデイサービスに行く日に限られるため、介護サービスの縮小が進めば働き続けられないかもしれないのも不安だ。「金利が低いままで預金も増えず、企業ばかりがもうけて消費者は損をしている気がします」。給料が増えた分の多くが税金と社会保険料のアップなどに消え、アベノミクスの恩恵を感じることができない家庭の姿がここにある。

 ニッセイ基礎研究所が内閣府の統計などを元に推計した家計の自由に使える可処分所得は、物価などを勘案した実質で今年1~3月期に、アベノミクス開始直前の12年10~12月期とちょうど同水準にとどまる。明治安田生命が全国の20~70代を対象にした今年4月の調査では、「昨年と比べて自由に使えるお金に余裕ができた」と答えた人は7・9%で、「余裕がなくなった」が27・7%と上回る。(栗田優美)

 ■地銀逆風、支援断つ

 山形市にある創業50年で、東証ジャスダック市場に上場する菓子製造販売「シベール」が今年1月、民事再生手続きを申し立てた。社長を送り込むなど、お金と人の両面で支えてきた県内最大手行の山形銀行が支援を打ち切ったことが大きく響いた。山形県内の上場企業の倒産は18年ぶりだった。

 メインバンクの山形銀を含む銀行団は支援の打診を受けていた。だが、複数の山形銀関係者は「新商品の開発や販売拡大を促したが、うまくいかなかった」といい、打ち切りはシベールの経営悪化が理由だとする。

 ただ、ほかの取引銀行からは、山形銀の「お財布事情が苦しかったからではないか」との見方も出る。長谷川吉茂頭取は否定するが、山形銀の19年3月期決算は、純利益が前年比19%減の34億円で、4年連続で減益だ。不振企業への支援はさらなる損失となりかねず、踏み切りにくい状況だ。長谷川頭取は「マイナス金利に加え、人口減少と高齢化という大きな問題がある。この二つを乗り越えないといけない」と話す。

 日本銀行は13年にアベノミクス「1本目の矢」となる異次元と呼ばれる金融緩和に乗り出し、マイナス金利政策は16年に導入した。

 金利を下げてお金を借りやすくするためだが、お金を貸して得る利ざやが減る銀行には逆風だ。特に海外に活路を見いだしにくく、有力な貸出先も限られる地銀は厳しい。朝日新聞の集計では、19年3月期は103行のうち7割の純利益が減益か赤字だった。

 今月3日、シベールは新たな経営陣のもとで再スタートを切ったが、取引先企業の関係者は不安がぬぐえない。「銀行が自分たちの傷口を小さくしようとして、同じことが次々と起こるのではないか」(笠井哲也)

▼3面=3本の矢、浮かぶひずみ
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S14052245.html?ref=pcviewer

写真・図版 写真・図版 【左1】アベノミクスの「3本の矢」
【左2】アベノミクスの恩恵は広く行き渡っていない

 アベノミクス最初の「3本の矢」は、輸出企業の業績改善や株高などの恩恵をもたらした。ただ、それは大企業や富裕層に偏る。政権が狙った、景気拡大や賃上げの効果の庶民や地方への波及は不十分なままだ。最大の目標のデフレ脱却にはまだ届かず、長期にわたる政策のひずみもところどころに出始めている。▼1面参照

 ■金融緩和 あふれるお金、目詰まり

 「これまでとは量的にも質的にも次元が違う」。2013年4月、安倍政権に任命された日本銀行の黒田東彦(はるひこ)総裁は「1本目の矢」となる新たな金融緩和策の導入を宣言した。デフレ脱却に向けて物価上昇目標「2%」を2年間で達成するとし、常識外れの資産買い入れ策が始まった。

 大量のお金を市場に流し込んで金利を抑え、企業や個人の使うお金を増やす。企業業績や賃金アップにつなげ、さらなる消費活性化で恩恵を広めていく――。こんな好循環をめざすアベノミクスの出発点だ。

 奇策はまず金融市場の風景を変えた。1カ月後に円相場は約4年1カ月ぶりに1ドル=100円台の円安水準をつけ、日経平均株価はリーマン・ショック前の1万4千円台まで回復した。「超円高」に悩んできた輸出企業も息を吹き返した。

 日銀の政策を分かりやすく反映させるのが株式市場だ。東京株式市場で日経平均株価の下落が続いた今年5月末。日銀は週末を挟んで5日続けて計3500億円を超える上場投資信託(ETF)を買い入れた。

 午前中に株価が大きく下がる日は、「必ず日銀による買い入れ観測が強まり、買いに回る投資家が出てくる」(ニッセイ基礎研究所の井出真吾氏)。日銀の今年3月末のETF保有額(時価ベース)は約28兆9千億円と、東証1部の時価総額の4・8%を占める。今のペースで買い続けたら、来年には日銀が「日本株の最大保有者」になる。

 大量の「緩和マネー」は不動産市場にも流れ込んだ。不動産経済研究所によると、19年4月に首都圏の新築マンション1戸当たりの販売価格は5895万円で13年1月から1170万円ほど上がった。不動産情報会社、東京カンテイの井出武上席主任研究員は「富裕層や共働きなど年収の高い世帯を除けば価格上昇についていけず、購入を諦める層が出ている」と話す。

 株や不動産を持つ人々の資産はさらに増え、企業の業績が上向いたのに中低所得者への恩恵がひろがらない大きな要因の一つに、企業がもうけをため込んでいることがある。法人企業統計では、18年3月末の企業(金融業、保険業を除く)の内部留保は446兆円で6年間に約164兆円増えた一方、物価変動の影響を除いた実質賃金は「アベノミクス」の6年間のうち4年がマイナスだ。高齢化で社会保険料の負担も増す。所得に占める税や社会保障費などの19年度の「国民負担率」は、12年度より3・1ポイント高い42・8%に上がる見通しだ。好循環へのお金の流れは目詰まりしたままだ。(湯地正裕、田中美保)

 ■財政出動 続く借金頼み、細る財政

「2本目の矢」は「機動的な財政政策」だ。1本目の矢による好循環が実現するまで景気を下支えする役割で、政権を奪取した直後の13年1月にはインフラ整備など総額20兆円規模の緊急経済対策を打ち出し、13兆円の補正予算を組んだ。

 金融緩和と合わせたスタートダッシュは、経済を刺激する一定の効果があったとの評価がある。しかし、14年4月の8%への消費増税で消費が落ち込むと、安倍首相は15年10月に予定していた10%への消費増税を延期。16年にも増税をまた延期し、事業総額28兆円の経済対策を打った。

 当初は、経済成長で税収を増やして財政も健全化させることを狙ったが、年金や医療などの社会保障費が膨らむ中で借金に頼る構図は続いた。国と地方の長期債務残高は、19年度末に1122兆円(同198%)に達する見込みだ。

 だが借金頼みはいつか限界がくる。国民を待つのは「負担の増加」か「受益の縮小」の二者択一だ。問題になった金融庁の「老後2千万円不足」報告書は、給付より負担の抑制を優先した年金改革の結果でもある。

 政府内からも「景気が良い間にやるべき改革ができなかった。大きな経済危機や災害が来たとき、十分な対応を打てる財政的な余地がなくなりつつある」と懸念する声が出ている。(木村和規)

 ■成長戦略 加速役、乏しい成果

 「3本目の矢」の「成長戦略」は、1、2本目の矢で景気を下支えして時間を稼ぐ間に、日本経済を成長軌道に戻して加速させる役目だ。18年度末時点で152の数値目標を掲げており、30年に5~7割をめざす次世代自動車の国内販売比率などは「A」評価とする。ただ順調に進んでいるのは51項目にとどまり、日本経済の「実力」を示す潜在成長率は18年は1・1%(内閣府調べ)とあえぐ。

 難航する代表例が、原発の海外輸出だ。英国での日立製作所の計画は今年1月に凍結が発表され、官民で手がける計画は事実上すべて頓挫した。

 官民ファンドも成果が乏しい。「優等生」とされる旧産業革新機構(現INCJ)は、日立製作所、ソニー、東芝の液晶事業を統合し、2千億円を出資して12年に「日の丸液晶会社」ジャパンディスプレイをつくったが、18年度まで5年連続で純損益の赤字を計上。いまや債務超過寸前だ。(桜井林太郎、久保智)

 ■<視点>やみかける追い風、等身大の成果は

 第2次安倍政権は、経済規模の拡大による「強い国」づくりをめざしてきた。その手段となるアベノミクスのデビューは追い風と重なった。12年後半、欧米経済への不安が和らぎ、政権発足の1カ月前、日本の景気は底入れした。

 輸出企業を悩ませていた円高は円安へ反転し、株価も上昇した。その恩恵を最も受けたのは大企業だ。企業発の効果の波及をめざした政権の狙い通りのスタートだった。

 だが、2%の物価上昇目標の達成は遠い。実質賃金はわずかな物価上昇分もはね返せずに伸び悩む。アベノミクス最大の成果と見られてきた雇用の改善も、日本を覆う、より深刻な人手不足の裏返しでもある。

 政権は個人には「自己責任」による努力を求めてきたが、15年秋に「新3本の矢」を掲げた。大企業優先の施策の一方、子育てや介護、地方といった条件の不利な現場からの悲鳴を無視できなくなっていた。しかし「強い国」のために働き手を増やしたいとの思惑が透け、現場のニーズに応えきれていない。

 米中の貿易摩擦の激化などで世界は景気後退の懸念に直面する。円安基調にも変化の兆しが見え、追い風はやみかけている。6年半に及んだ政策が本当に私たちの暮らしや働く場を安心できるものにしてきたのか。転機を迎えつつある今、等身大の成果を見つめて評価を下すことが求められている。(斎藤徳彦)