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続折々の記 2019⑤
【心に浮かぶよしなしごと】

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            「ドル後」の金本位制
            いのちの終末をつくる
            something great ってなーに
            親がわが子を殺した悲しい事件(その一)
            
【 06 】05/31~

 05 31 (金) 「ドル後」の金本位制       

金本位制を意識し始めた米国と世界【2019年5月19日】 ➡ 続折々の記 2018⑤ : 【 金融問題 】③

ドル崩壊後の金融システムはどうなるのか? どうもはっきりしていない。 ドルだてのシステムは土台がぐらついているし、もともと一国覇権の考え方はアメリカ覇権であったことが暴露されて、新しいシステムをグローバルの立場で作らざるを得なくなっている。

 06 03 (月) いのちの終末をつくる    something great に支えられて

今日は 「いのちの終末をつくる」 そんなものは無いに決まっているが、一年生の草花は一年という短い期間に春になると自分で芽を出し蕾をつけて開花し春を謳歌する。 やがてその花に実を結び種を残してから生命を全うして枯れていく。

人も同じく 「 something great 」 の力によって生を迎え死を迎える。

一年生の草花は何の不足も言わず天地自然の恵みをうけ 「 something great 」 の力によって生を迎え死を迎える。

花に心があるとすれば、承知しながら生を迎え死を迎える。

人は、いろいろと学ぶことができる。

米寿を迎えてからは、何の不足も言わず死を迎える人になることを 「生命いのちの終末をつくる」 と言ってもいいと私は思う。



生命いのちの終末をつくる

藤村自身の作品を読んできても、いのちの終末づくりを感ずる作品はない。 だが、上田の無言館を見て涙するのも、予科練当時の 「帽振れ !! 」の号令に合わせて特攻隊の飛行機を見送ったのも、霞ケ浦予科練の6月10日爆撃にあい、並木(なにがし)の命に係わる負傷者をそのままにして横たえ、総指令官直属の号令のままに第二練兵場へ逃げ走った(にが)い自分の体験も、生死へ直面する体験だった。

次の「惜別の歌」の別れという言葉が、学徒出陣を秘めて作曲された曲だと知った時、藤村の詩とはかけ離れたものとなって私の脳裏に収まった。 ことのいきさつは、
<http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/04/post_4858.html>を開いて藤江英輔氏が自ら書いた『惜別の歌』の誕生物語を見ると詳しく理解できる。
ここを開くと、倍賞千恵子の惜別の歌を聞くことができる。

  遠き別れに たえかねて
  この高殿に 登るかな
  悲しむなかれ 我が友よ
  旅の衣を ととのえよ

  別れといえば 昔より
  この人の世の 常なるを
  流るる水を 眺むれば
  夢はずかしき 涙かな
       島崎藤村 惜別の歌

藤村の 別れ というのは(もと)の詩は 姉 だった。 歌の 別れ とは、まさに藤江英輔氏がそうしたことに(よ)っている。
旅の衣をととのえよ は勿論戦争による 死の覚悟 を意味していた。 だから、 別れ は人の世の常とし、水の流れを察し、涙するは もっと 厳粛な気持 が、藤江英輔氏の惜別の歌にマッチしたと思う。

次にとり上げた二つは、自作のものです。 現実はボケて死ぬ人もあるし、樹木希林さんのような言葉を残して死ぬ人もあり、それぞれの人にはそれぞれの人の死に方や考え方があると言うほかはない。 「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」の句もある。

  滅びの相を知りて物事に執着せず
  在るがまま生を送るこそいみじきことと存じ候
  老いてなお寂しさを知らざるは心やすまることなし
  花の散るごとく木の葉の落つるごとく
  幕を引くこと美しく存じ候
       庚寅水無月  水鏡
       (カノエノトラ・ミナヅキ ⇒ 1910年6月)

  木の葉みて ちりゆく心の むずかしく
       庚寅水無月  水鏡

日本の儒学者には、それぞれの死に対するとらえ方というか言い方がある。
この歴史的と言ってもいい考え方は、一般民衆の生活に浸透していた。 だから東北大震災の日本人の対応のありさまに感心した外国人が多く、その一人として米国の日本文学者ドナルド・キーン(カタカナ表記「キーン ドナルド」へ改め、通称(雅号)漢字で鬼怒鳴門)さんは日本へ帰化することになったほどである。

  災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
  死ぬる時節には死ぬがよく候
  是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ
       良寛

  武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり
       葉隠 鍋島藩士山本常朝 武士の心得
       https://rekijin.com/?p=23791
源平合戦後に無常観に発した流をひく文学作品が、多くの民衆の心にしみわたることとなった。

  あだし野の露消ゆる時なく
  鳥部山の烟立ち去らでのみ住み果つる習ひならば
  いかにもののあはれもなからん
  世は定めなきこそいみじけ
       吉田兼好 徒然草 第7段 あだし野の露

  祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり
  娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす
  おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし
  たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ヒトエ)に風の前の塵に同じ
       平家物語 祇園精舎

  ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず
  淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて
  久しくとどまりたる例(タメシ)なし。世中にある人と栖(スミカ)と
  またかくのごとし
       鴨長明 方丈記

  朝(アシタ)に死に、夕(ユウベ)に生るるならひ
  ただ水の泡にぞ似たりける
       鴨長明 方丈記

拓本にもとった好きな短歌や野尻湖生まれの一茶の句もまた 「 something great 」 に根ざした心から生まれたものと思います。

  寂しさのきわみに耐えて天地に
     寄するいのちをつくづくと思ふ
       伊藤左千夫 富士見公園の歌碑

  われときて あそべや親の ない雀
       小林一茶

最近のものでこの考えはいいなと感じたものを挙げておく。

  死ぬ時がくれば人は死ぬ

  死にゆく者にとって看病人はただの見物人
 父が死んだとき五十七歳だった母は、七十八歳になって重病の床に就いた。 その二年前、母は脳出血に見舞われて奇蹟的に一命をとり止めた。 その療養中、母は看病人の目を盗んで一人で立って厠へ行こうとして転倒した。 私が駆けつけて怒ると母はいった。
「立てるのか立てんのか、ためしてみたかったんや」
 私は怒る気を失った。 その一言に怒る気を失ったのはそれだけ私が年を取った証拠なのであろう。 父の病中、床の中で尿を取らせるのをいやがる父によく腹を立てたものだった。
「武士たるものが寝床の中で小便ができるか!」
 そういって怒る父に向って私はさらに怒り返した。
「なにが武士よ! 勝手な時ばかり武士になって …… 」
 そして私は興奮のあまり絶句したものだった。 無理やり立って便所へ向かって走る父の後を、憤怒に燃えて追いかけ、
「死んでも知らないから …… 」
 と叫んだりした。 その頃の私は若かった。 今の私にはそんなファイトはない。 父が便所へ立ちたかったのは、自分にどの程度生きる力が残っているかを確かめたいのかもしれないと思うとたとえそれを医師が禁じていたとしても、私はそうさせてやりたいような気がする。 死んで行く者にとって看病人は必ずしも "助ける者" ではなく、向こう岸の見物人にすぎないのではないだろうか? この頃、私はそんなことを思う。 そんなことを思う私はよい看病人にもなれず、 また怖ろしくて病人にもなれないのである。
       佐藤愛子 『人間の煩悩』


希林さんの名言をPCで調べていると、実に愉快な表現だ。 飾らぬ希林さんを学びたい。

   「成年の失敗よりも老人の跋扈(ばっこ)が一番世の中を悪くすると思う」
  私がある80のおばあさんにいったら
   「ばっこってなーに?」
   「のさばること!」
   「あーらー!」
       樹木希林

  おごらず、人と比べず、面白がって平気に生きればいい
  仕事する為に人間やってるわけじゃない
       樹木希林

something great ってなーに

【something】➡ 主として代名詞に使う。

※ (ここでは) 何か、あるもの、あること

   I had something to tell you,but I forgot.  不定詞(の掲揚用法)が続く
      あなたに言いたいことがあったけど忘れてしまった

   There is somthing wrong with this stove.  形容詞が続く
      このストーブはどこかおかしい

   She was looking for something cheap.  形容詞が続く
      彼女は 何か安いもの を探していた

【great】➡ 主として形容詞に使う。

※ (ここでは) 偉大な、優れた : 重大な、重要な

   His novel is perhaps the greatest one of this century.  形容詞の最上級
      彼の小説はおそらく今世紀で最も優れたものだろう

   I made a great decision.  形容詞
      重大な決定をした

【something great】➡ (意味)何か素晴らしいもの : 何か言いようもないほど素晴らしいエネルギー

※ この訳語は辞書にはない。 使われていることについて私が勝手に思う意味。
欧米では神という言葉を使って大自然の説明できない生命の力を表わしているのが普通である。 東洋では大自然の力と言ってもいいと考えている。

なぜ something great なる言葉を使ったのか?

現代科学は急速な開発をとげて電子顕微鏡によって人体をはじめとする生命体の構造を精密に解説しはじめた。 このことはNHKの映像放送にも登場し、だれしも知ることができ、それは驚き以外のなにものでもないのです。

ことにDNAは遺伝情報の継承と発現をうけもち、人間の身体各器官の構造や生命それ自身でさえ全身の細胞の連携によって維持され、また生命の終息それ自体をも受持っていることがわかった。

この生命の働きをなんと表現するか、すべてを神にゆだねてきたといっても過言ではない。 生命の発生 !! それ自体の現象を私たちは一人としてわかるように説明できない。 21世紀の現在においても、この現象すらみんながわかるように説明はできない。

これらの現象を神様の力といえばかたつけられる。 いつまでもそれでいいかというと、別の言葉を使いたくなるのも人情である。 ここに something great が登場した。

何だかわからないけれど、命はすごい秘密に支配されている。 このしくみを something great という言葉で表現したほうが適切だろうと思う。


親がわが子を殺した悲しい事件
   息子を殺害した父親の供述に、考えさせられる 「他人事じゃない」「やるせない…」
   https://grapee.jp/685133

2019年6月1日に東京都練馬区で起こった、実の父親が息子を殺害した事件。

70代の父親は包丁で40代の息子を数十か所刺し、自ら「息子を刺殺した」と通報しました。

警察の調べによると、40代の息子は同年5月に帰省し、容疑者や母親に対し何度もトラブルを起こしていたといいます。
産経ニュース ーより引用

容疑者は「(被害者は)ひきこもりがちで、家庭内では暴力や暴言があった」と説明。「身の危険を感じた」とも供述し、練馬署は家族間にトラブルがあったとみている。

事件の数時間前には、近所の小学校であった運動会の音がうるさいと腹を立てた被害者と、容疑者が口論になったという。
息子の命を奪った父親の供述に、「考えさせられる」の声

産経ニュースによると、容疑者は「川崎市の20人殺傷事件が頭に浮かび、息子が周囲に危害を加えないようにしようと思った」と供述していたといいます。

同年5月28日、神奈川県川崎市で起こった痛ましい刺殺事件。50代の男性が刃物を持って無差別に襲い掛かり、小学6年生の児童と39歳の男性が死亡しました。

この無差別事件に対し、ネットからは「死ぬなら1人で死ね」といった過激な言葉が頻発し、ワイドショーでも取り上げられました。

川崎市の事件についての報道を耳にするたびに、容疑者は「息子は将来どうなるのか」と不安を覚えたのかもしれません。

容疑者の供述に対し、ネット上ではいろいろな意見が上がっています。

・ タイミングから、川崎市の事件に関係ありそうな気はしていた。息子の将来を想像して不安になったのでしょう。自分は責められない。

・ 「他人に迷惑をかけるなら、いっそ自分の手で」という気持ちだったんだろうか…。殺人はいけないけど、想像するといたたまれない。

・ 不安は分かるけど、他人の殺人を自分の殺人の理由にしちゃダメだよ…。

・ 息子に手をかけるなんて、苦渋の決断たっだと思います。もし自分だったら、どうしていただろう。

・ 引きこもっていて、難しい性格の子どもを持つ多くの親の悩みなんじゃないかな。どこか相談先はなかったんだろうか。

事件や事故が起こった時、加害者の罪は『家族も背負うもの』とされることがほとんどです。

また、報道を耳にして、自分の家族が事件や事故を起こした場合を想像したことがある人は少なくないでしょう。

確かに、殺人は許されざる行動です。しかし、容疑者の供述に多くの人が「他人事ではない」と考えさせられたようです。

痛ましい事件が起こった際、根本的な原因をしっかりと理解し、悲劇を繰り返さないよう社会が対策をとらなければなりません。

 引きこもりの息子を殺害 元農水次官が周囲にひた隠した“戦慄の日常”
   https://www.excite.co.jp/news/article/Gendai_546578/

送検のため警視庁練馬署を出る熊沢英昭容疑者(C)共同通信社

 隣接する小学校の運動会の音を巡り、父親と息子は口論になっていた。

 東京都練馬区の住宅で、この家に住む無職、熊沢英一郎さん(44)が父親の元農林水産事務次官、熊沢英昭容疑者(76)に殺害された事件。父親は調べに対し「(長男は)引きこもりがちで家庭内暴力もあった」「周囲に迷惑をかけてはいけないと思った」と供述していることが分かった。

「息子を刺した」と英昭容疑者本人から110番通報があったのは、1日午後3時40分ごろ。英一郎さんは1階和室の布団の上であおむけに倒れ、上半身を十数カ所メッタ刺しにされ、布団は大量の血で染まっていた。英昭容疑者は妻と息子の3人暮らしだったが、妻は不在だった。

 英昭容疑者は東大卒で1967年に農林省に入り、2001年、事務方トップの事務次官に就任。しかし、牛海綿状脳症(BSE)問題の責任を問われ、02年に退官。05~08年、駐チェコ大使を務めた。

 英一郎さんは自宅に引きこもり連日、オンラインゲームに没頭。SNSにはゲームに関する投稿のほか、父親を自慢する書き込みもあった。

 「本名、熊澤英一郎と申しまして元事務次官の愚息であります。凄い人でしょう。国家レベルの人なんです」
 「庶民が私の父と直接会話なんて1億年早いわ」
 「私の父は役所で人間を色々見て、観察力があります」
 「私は、お前ら庶民とは、生まれた時から人生が違うのさ」

といった具合。さらに

 「肉体は健康だが脳は生まれつきアスペルガー症候群だし、18歳で統合失調症という呪われた身体」

という投稿も。

運動会の音を巡り口論

 家族をよく知る近隣住民がこう言う。

「奥さまも旦那さまも立派な方で、まるでお手本のようなご夫婦でしたよ。(事務次官を)お辞めになってからは、ニコニコしてとっても感じが良かった。いつも奥さまと2人一緒に買い物に出掛け、まるで新婚さんみたいでねえ。チェコに赴任していた時は、30代後半ぐらいの妹さんが1人で住んでました。10年以上のお付き合いになりますが、息子さんは見たことがありません。奥さまは『息子とは一緒に住んでない。離れたところに住んでるんですよ』っておっしゃってました。悩みがあるようには見えず、2人で楽しそうに過ごしていらっしゃったのに……」

 事件当日、隣の小学校では運動会が行われていて、「うるさい」とキレた英一郎さんを父親が落ち着かせようとしていたという。川崎殺傷事件同様、引きこもりの息子が大事件を引き起こすのではないかと危惧したのだろうか――。

元農水事務次官“御曹子殺人” 「運動会の音がうるさい」と口論
   殺された44歳“引きこもり息子”の素顔
   https://bunshun.jp/articles/-/12202

「昨日は、隣の小学校で運動会が行われていたので、そんなことが起きていたなんて、まったく気付きませんでした。いきなりパトカーや救急車が何台も来て、騒然となっていた。私のところにも夕方4時くらいに警察が来て、いろいろ聞かれて。特にお父さんと息子さんの関係について聞かれました」(近隣住民)

 6月1日(土)の夕方、東京・練馬区の住宅街で元農水事務次官の熊澤英昭容疑者(76)が、同居する息子の熊澤英一郎さん(44・無職)を刺殺。川崎市・登戸の小学生児童ら連続殺傷事件を起こした岩崎隆一容疑者(51・死亡)が長期にわたって就労しない”引きこもり傾向”にあったことが改めて社会的に議論となる中、一報は飛び込んできた。

BSE問題の責任をとって辞任した「先生」

 熊澤容疑者は東大法学部を卒業後、1967年に旧農林省入省。畜産局長や経済局長を経て、2001年からは事務方トップの事務次官を務めた。BSE(牛海綿状脳症)問題の対応にあたり、記者会見では汗をふきながら質問に答えていたが、結局、このBSE問題の責任をとる形で、2002年1月に辞任。退官後は2005年から2008年にかけてチェコ大使を務めた。

元農水事務次官“御曹子殺人” 「運動会の音がうるさい」と口論 殺された44歳“引きこもり息子”の素顔

「熊澤さんのことは農水次官で偉かったこともあり、『先生』と呼んでいました。先生は自分の家の前を通るのでよく挨拶していた。奥さんと2人で年中いっしょにいて、仲はよさそうだったけれど、息子の悩みはもとより、息子がいるとは知らなかった。先週もお会いしましたが、家庭内で悩んでいる様子は見えませんでした」(別の近隣住民)

「周囲に迷惑をかけてはいけなかった」と熊澤容疑者は供述

 一家が引っ越してきたのは十数年前だが、不動産関係者は「今度すごい人が来ますよ!」と近隣に触れ回っていたという。最近でも黒塗りの車が自宅前に迎えに来るのが目撃されていた。熊澤容疑者は背広を着て、車に乗り込んでいたという。

「年に1回、秋くらいに同期会をやっていて、お酒を飲んだりしていたが、家庭の話は一切することはなかった。息子や娘がいることは知っているが、詳しくは聞いたことがない。(熊澤容疑者)本人はとても真面目な人間です」(元農水省の同期官僚)

 だが、熊澤容疑者が抱える家庭内でのストレスは暴発寸前だった。捜査関係者が話す。

息子の家庭内暴力で精神的に参っていた

「熊澤容疑者は息子の家庭内暴力のことでかなり精神的に参っていたようです。周囲や官僚仲間にも息子の引きこもりについての相談をしていました。

 この日も小学校の運動会がうるさくて、そのことが原因で口論に発展。日頃から家庭内に暴力を振るっていたが、熊澤容疑者は『周囲に迷惑をかけてはいけなかった』と話しています」

連日ゲームをやり続けていた息子

 殺された息子の英一郎さんは、ネットで本名の「熊澤英一郎」を名乗り、ゲーム「ドラゴンクエスト」についてのツイートをしていた形跡が残っている。また、SNSには本人と思しき人物による、こんな書き込みも残されていた。

〈あの本名、熊澤英一郎と申しまして元事務次官の愚息であります。凄い人でしょ? 国家レベルの人なんです〉

今風のマッシュルームカットでムスッとした様子だった

 SNSやウェブ上には、連日ゲームをやり続けていた形跡が残されている。近隣では生前の英一郎さんを見たという人が一人だけいた。

「私がここに住むようになって何年も経つけれど、一度しか息子さんを見ていない。3年前の昼間で、白いTシャツ姿。今風の長めのマッシュルームカットだった。あいさつなどもなく、ムスッとした様子でした。

 お父さんは朝からウォーキングしたり、お母さんもお花に水やりしたり、とてもやさしそうな、感じのいいご夫婦でしたが……」(別の近隣住民)

 熊澤容疑者は明日6月3日、送検される。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年6月6日号)

熊沢容疑者、自宅のメモに「息子を殺すしかない」
   [2019年6月5日2時7分]
   https://www.nikkansports.com/general/news/201906040000809.html

捜査関係者によると、熊沢容疑者は「息子が中学2年のころ、いじめをきっかけに不登校になったのを機に家庭内暴力が始まった」と供述。暴力は当初、妻に向けられ、その後、自身も被害を受けるようになったとして「以前から身の危険を感じていた」と話している。

英一郎さんは10年以上前から熊沢容疑者らとは別の所に住んでいたが、5月下旬、英一郎さんの希望で練馬区の熊沢容疑者宅で再び同居を始めた。英一郎さんは家にこもり、オンラインゲームにふける一方、暴力を振るうようになった。興奮したり激高すると、口癖のように「ぶっ殺すぞ」と言い、両親にあたったという。熊沢容疑者の体には複数のあざがあった。熊沢容疑者は5月26日ごろ、妻に「次にまた暴力を振るわれたら、やるしかない」と殺意をほのめかした。

そんな中、5月28日に川崎市多摩区でスクールバスを待っていた私立カリタス小の児童ら20人が殺傷される事件が発生した。熊沢容疑者宅に隣接する小学校で運動会が開かれた1日、英一郎さんは運動会の物音に腹を立て「うるせえな、ぶっ殺すぞ」と騒いだ。注意すると、口論になり、また暴力を振るったという。熊沢容疑者は「(川崎の事件のように)息子も周りに危害を加えるかもしれないと思った。刺さなければ、私が殺されていたと思う」と供述している。自宅からは「息子を殺すしかない」と書かれたメモも見つかっている。

英一郎さんのものとみられるツイッターアカウントからは「中2の時、初めて愚母を殴り倒した時の快感は今でも覚えている」など、家庭内暴力をうかがわせる投稿が確認されている。川崎の事件では同居する親族から市への相談があったが、熊沢容疑者が行政や知人など周囲に相談した形跡はない。警視庁では継続的な家庭内暴力で心身共に追い詰められ、事件を起こした可能性があるとみて経緯を調べている。(共同)

「児童ぶっ殺す」と長男 元次官、川崎殺傷よぎり殺害か
   2019年6月3日20時53分
   https://digital.asahi.com/articles/ASM635D49M63UTIL026.html

 元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が東京都練馬区の自宅で長男(44)を殺害したとされる事件で、長男が事件直前、運動会中の児童らについて「ぶっ殺す」と発言していたことが、捜査関係者への取材でわかった。警視庁の調べに対し、熊沢容疑者がそういう趣旨の供述をしたうえ、川崎市で児童ら20人が殺傷された事件に触れ、「長男が危害を加えてはいけないと思った」との内容の説明をしているという。

  「引きこもりの我が子どうすれば」 鳴りやまぬ相談電話 
  元農水次官、川崎殺傷に触れ「長男が危害加えては…」 

 熊沢容疑者は「長男は引きこもりがちで、中学2年の頃から家庭内暴力があった」とも説明。「殺すしかない」との趣旨のメモ書きも見つかったという。警視庁は、熊沢容疑者が精神的に追い詰められた末、事件直前の発言をきっかけに殺害を決意したとみている。

 警視庁は3日、殺人未遂容疑で現行犯逮捕していた熊沢容疑者を殺人容疑に切り替えて送検した。練馬署などによると、送検容疑は1日午後3時半ごろ、自宅で長男の無職英一郎さんを包丁で刺すなどして殺害したというもの。司法解剖の結果、死因は首を切られたことによる失血死だった。上半身を中心に数十カ所の傷が確認されたという。

 英一郎さんは別の場所で暮らしていた時期もあったが、5月下旬、自ら「帰りたい」と電話し、熊沢容疑者ら両親のいる実家に戻った。熊沢容疑者は「再び暴力を振るうようになった」「『ぶっ殺すぞ』とたびたび言っていた」と話しており、体にはあざができていたという。

 事件当日は朝から隣接する区立小学校で運動会が開かれていた。「運動会の音がうるさい。ぶっ殺すぞ」と言う英一郎さんを熊沢容疑者は注意。英一郎さんが不機嫌になるのを見て、「怒りの矛先が子どもに向いてはいけない」と感じたといい、数時間後に殺害したとされる。

 アカウント名に「熊沢英一郎」を含むツイッターでは、人気オンラインゲームに関するやり取りが頻繁に行われ、ゲームに没頭していた様子がうかがえる。このアカウントの人物と約2年前からやり取りしているという女性は取材に「元次官の息子だと明かし、熊沢容疑者のことを尊敬しているようだった」と答えた。

「引きこもりの我が子どうすれば」 鳴りやまぬ相談電話 

 川崎の児童ら20人が殺傷された事件や元次官が長男を殺害したとされる事件を受け、長くひきこもる子どもと暮らす、老いゆく親に動揺や不安が広がっている。専門家は、家族に過重な責任を負わせずSOSを出しやすくするよう、呼びかけている。

「児童ぶっ殺す」と長男 元次官、川崎殺傷よぎり殺害か 中高年のひきこもり問題、まとめ読み  「ひとごととは、思えません」。東京都内に住む母親(71)は一連の事件の報道に、胸を詰まらせる。40代の娘は、不登校をきっかけに30年近くひきこもり、ここ5年間は話していない。家の中で包丁を持ち出して暴れ、自殺を図った時には、怖くて人に話せなかった。

 「娘のことを恥ずかしいと思ってはいけない、隠してはいけないとわかりながら、家の外で何かしてしまうのではないかと思い、そうしてしまう。自己嫌悪で沈んでいます」。夫は、向き合うことから逃げていると感じる。自分もうつ状態になり、精神状態を保つのでせいいっぱいだ。「私もいつまでも生きているわけじゃない。先延ばしできないと思いながらも、衰弱してしまって誰かに相談する気になれません」

 東京・巣鴨でひきこもりの当事者と家族を支援するNPO法人「楽の会リーラ」の事務所。川崎の事件以来、週2回の相談電話が鳴りやまない。「大声を出して家の外で迷惑をかけるんじゃないか」「世間に対して恥ずかしい」。40~50代のひきこもる本人の「川崎の事件で世間の目線が怖くなって家から出られなくなった」の声に交じって、60~70代を中心とした親たちの声が相次ぐ。娘が以前ひきこもっていた事務局長の市川乙允(おとちか)さん(72)は、「以前から親の不安は強かったが、川崎の事件で本人の不安定さが増し、親にも伝わっているのかもしれない」。

 一方で、20年来、ひきこもりの当事者と家族からの相談を受けている精神科医の斎藤環・筑波大教授は、「親はわらにもすがる思いだと思うが、一部の暴力的な支援には頼らないでほしい」と話す。親からの依頼で来た支援業者に、ドアを破られ施設に連れ去られたという相談も多い。「『お子さんが通り魔になったらどうしますか』などと親の不安をあおる業者もいるが、本人の尊厳を傷つけトラウマ化させ、『自分を売った』と恨まれて親子関係も壊れ、かえって長期化しやすい」と指摘する。

 一部SNS上には、元次官の行動に理解を示すような書き込みも相次いでいる。関水徹平・立正大准教授(社会学)は、「ひきこもりの支援に対して『国がお金を出してやるようなことか。家族の責任だ』と言われるような、家族主義的な風潮が背景にあり、追い詰めている」と指摘。しかし、「親やきょうだいは何とかしなければいけないと過重な責任を負わされて悲鳴を上げ、限界を迎えている」と話す。

 「むしろ社会は『もっと頼っていい』『SOSを出していい』と発するべきで、必要なのは、家の外に居場所を増やし、家族の機能を分担することだ」

 38都道府県に支部があるKHJ全国ひきこもり家族会連合会には、高齢の親から、家庭内暴力や、近所の音に対して大声を出すといった相談はあるが、家の外で暴力を振るうという相談はまれだ。内閣府の調査から中高年のひきこもりは61万人いるともされている。事務局長で、自らもひきこもった経験がある上田理香さん(47)は、「いまや特別なことではないので、家族だけで抱えず、話せなくても、まず自助会に足を運んで自分と似た家族の経験を聞くことで、悪循環から少しでも脱してほしい」と話す。(田渕紫織)

     ◇

 《8050(ハチマルゴーマル)問題》 80代の高齢の親と、ひきこもる50代の未婚の子が同居する家族の諸問題を言う。70代の親と40代の子として「7040(ナナマルヨンマル)問題」とも呼ばれる。高齢化、未婚率の上昇など社会の構造変化が背景にある。長期ひきこもりに加え、介護離職、高齢者虐待、経済的困窮など、複数の困難が折り重なっている事例も少なくないとされる。現役世代の子が同居していることから、「高齢独居」「老老」世帯などと比べて、支援のはざまに落ち込みやすいと懸念されている。人口が多い「団塊ジュニア」を含む就職氷河期世代が中年期を迎えていることが、中高年ひきこもりの数を押し上げているという指摘もある。

元農水次官、川崎殺傷に触れ「長男が危害加えては…」 

 元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)=殺人未遂容疑で逮捕=の長男(44)が東京都練馬区の自宅で殺害された事件で、熊沢容疑者が警視庁の調べに対し、川崎市で児童ら20人が殺傷された事件に触れ、「長男が子どもたちに危害を加えてはいけないと思った」との趣旨の供述をしていることが警視庁への取材でわかった。

  元農水次官「迷惑かけたくないと思った」 長男殺害容疑 

 警視庁は3日午前、熊沢容疑者を殺人容疑で送検した。練馬署によると、送検容疑は1日午後3時半ごろ、自宅で長男の無職英一郎さんの胸などを包丁で複数回刺し、殺害したというもの。

 この日は朝から隣接する区立小学校で運動会が開かれていた。熊沢容疑者は「運動会の音がうるさい」と言う英一郎さんを注意。英一郎さんが不機嫌になるのを見て、「怒りの矛先が子どもに向いてはいけない」と感じたといい、数時間後に殺害したとされる。

 英一郎さんは別の場所で暮らしていた時期もあったが、5月下旬に自宅に戻り、熊沢容疑者、その妻との3人暮らしだった。熊沢容疑者はこれまでの調べに「長男は引きこもりがちで、私と妻に暴力を振るうこともあった」と話しているが、「暴力は中学生の頃からあった」と明かしたという。

 「殺すしかない」との趣旨の熊沢容疑者のメモ書きが見つかっていたことも判明した。警視庁は、熊沢容疑者が精神的に追い詰められていたとみて事件に至る経緯の解明を進めている。

【衝撃】父親に殺された熊澤英一郎さん
   父親と一緒にコミケで同人誌販売していた事が判明
   http://buzz-plus.com/article/2019/06/04/kumasawa-eiichiro-comiket-news/

父親である元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76歳)に殺害された、息子の熊沢英一郎さん(無職44歳)が中学2年生の頃から家庭内暴力を行っており、熊沢英昭容疑者の体には熊沢英一郎さんに殴られたあとがあることが判明しているが、新たに衝撃的な情報が入ってきた。

熊澤英一郎の母親の教育方法が酷い?
   生い立ちや学歴!

エリート人生を歩んでいた農林水産省の元事務次官である熊澤英昭容疑者が自分の長男である熊澤英一郎さんを包丁で刺し殺したとして現行犯逮捕をされました。

そんななんとも驚きの事件ですが、加害者よりも被害者の熊澤英一郎さんに注目が集まっています。

障害持ちで引きこもりニート噂が耐えないようですが、その熊澤英一郎さんが母親から受けてきた教育方法が「酷い」ということが言われているようです。

事件の概要や長男である熊澤英一郎さんの学歴などの情報、熊澤英昭容疑者の犯行動機などについてご紹介させていただきます。

また熊沢英一郎さんの両親(母親)や毒親についても下に追記しております。

熊澤英一郎の母親は?教育環境が悪かった?

今回、逮捕された熊澤英昭の妻であり、英一郎さんの母親である人はどのような人物だったのでしょうか?

中学校のときから家庭内暴力があったということが報道などでは明らかとなっており、また熊澤英一郎さんはツイッター上で母親のことを「愚母」と呼んでいます。

そして勉強をしなければ愚母、つまり母親におもちゃを壊されるという教育を受けていたという旨の内容になっています。

またこれまでには勉強をしなかったことでおもちゃを壊されたことも告白されています。

この「エルガイムMK-Ⅱ」が壊されてしまったということですが、勉強をしなければおもちゃを壊されるという教育方法にも疑問がありますね。

教育環境に問題があった?

エリート官僚でもあった父親を持つ家庭に生まれた熊澤英一郎さん。

父親のその偉大さなどから世間体からもプレッシャーが大きかったのではないでしょうか?

「賢い親の子は賢いはずだ」「エリートの家庭の子供はエリートになるはずだ」と世間体の思い込みなどがプレッシャーとなり、また親自身も実際に間違った教育をしてしまうこともあるものです。

今回熊澤英一郎さんの両親がどのような教育をしていたかは不明ですが、勉強をしなければおもちゃを壊すというツイートを見る限り「毒親」ともとれてしまうでしょう。

もしかすると引きこもりで様々な噂をさらている熊澤英一郎さんだけでなく、両親にも問題があったかもしれません。

熊澤英一郎は 小学校、中学校、高校といじめられ、それが原因で統合失調症になるという、壮絶な生い立ちを抱えていたようです。

学校での暴力的ないじめが原因だったのかもしれません。また、熊澤英一郎は生まれつきスペルガー症候群であったことを告白しています。

熊澤英一郎は生まれながらにアスペルガー症候群でいじめで統合失調症になるなど、壮絶な生い立ちを抱えていたことが分かりました。

また、熊澤英一郎のツイートから、息子は母親の教育方法が気にいらなかったのではないかと思われます。