【目次へ】
  続折々の記へ

続折々の記 2019⑥
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】06/19~     【 02 】06/23~     【 03 】06/25~
【 04 】07/01~     【 05 】07/04~     【 06 】07/06~
【 07 】07/10~     【 08 】07/27~     【 09 】07/17~

【 01 】の内容一覧へ戻る

            人は愛と真似によって育つ:3  
               子ども学  
            
【 02 】06/23~

 06 23 (日) 人は愛と真似によって育つ:3 

人は愛と真似によって育つ:2では、幼児教育分野を主とし、ことに胎内教育やドーマンメソッドによる才能教育を取り扱ってきた。

この才能教育は、知能分野と技能分野があるが親の方針によっていろいろと将来は変わっていくだろうと思う。 この知能分野と技能分野のほかに、人それ自体の品性や素行に関する人間性が最近ことに問題になっています。

この分野になると、人格の高揚を願うものに相対すること即ち、金銭にまつわる経済への対応が、人を左右するせめぎあいになってきています。 このバランスをどう安定化するのか? この課題を避けて通るわけにはいかない。

そこで調べていてこれは大事な分野だと目を引いたのは、 「子ども学」 の対応の仕方でした。  この主張をしばらく見ていこうと思います。



「子ども学」    小林登文庫
   https://www.crn.or.jp/LIBRARY/KOBY/index.html

 内容・目次

   01 「CRNを国内外で発展させよう」
   02 『教育と脳-システム情報論の立場から』
   03 「年頭にあたり『生命感動学』を体系づけよう」
   04 「育つ育てるふれあいの子育て」
   05 「21世紀の新しい『学び』『育ち』とは?」
   06 「NICHD乳幼児保育研究から学ぶ」
   07 「21世紀は子どもの世紀にしよう」
   08 「新しいミレニアムのために」
   09 新・こどもは未来である
   10 「子ども学」事始め

01  2002.12.27
CRNを国内外で発展させよう

明けましておめでとう御座います。

2003年の新年を迎え、21世紀は3年目に入り、「サイバー子ども学研究所」"Child Research Net"も7年目に入る事になりました。幸い、大きな問題を起こす事もなく、アクセス数は日本語版で月55万程にもなったのです。大変嬉しく思うと共に、御支援戴いた皆々様に心からお礼を申し上げます。

新年に当たり、これからのCRNのあり方を考えてみたいと思います。そもそも、インターネットに特に関心を持っていなかった私が、この様なものを立ち上げようと考えたのは、10年前1992年春のノルウェー・ベルゲンで開かれた子ども問題に関する国際シンポジウムでの話し合いの場でした。21世紀を迎えるに当たり、われわれは何をなすべきか話し合ったのです。そして、世界の子どもの問題に関心を持つ者が、まずインターネットを通じて交流し、問題解決を話し合える場を作ろうという事になったのです。そして、私はベネッセの御支援を得て、このCRNを設立しました。

日本語版は順調に発展しましたが、英語版のアクセス数は、現在、月約5万ですから、本来のわれわれの目的は、まだまだ遂げられておりません。これについては、日本語版にアクセスしている方々に是非、応援して戴きたいのです。外国のお知り合いの方々に御紹介戴く等、色々なやり方があると思います。何卒宜しくお願い致します。

日本語版にアクセスして下さっている方々の殆どは、日本の方々であるに違いありません。従って、子どもの問題に関心を持っている日本の方々の交流は、そのアクセス数から見て、ある程度目的を果していると言えるでしょう。しかも、メンバー制になっているページでも、その登録数が2000名を超えた事は、それを確かなものにしています。

しかしながら、CRNが実践的な面で、直接、わが国に見られる多様な子どもの問題解決の力になっているかとなると、まだまだ充分ではないと反省をしています。CRNでの研究成果とも言うべき、交流の結果を、どの様に実践的に発展させて行くかが、今われわれに求められているのではないのでしょうか。

確かにわが国では、現在社会のあらゆる局面で、多くの問題がある事は御存知の通りです。その基盤には、20世紀末になって顕在化した共通のものがある事は間違いありません。それは一体何であるか、まず考える必要があります。少なくともその一つには、豊かさ、特に物の豊かさを追い求め過ぎ、大切なもの、特に心の豊かさを忘れてしまった事がある様に思えます。

心の豊かさを忘れ、物の豊かさのみを追った20世紀の反省という面からだけでも、育児・保育・教育から見た子どもの問題は決して少なくありません。CRN所長としては、CRNが現在行っている事が、その問題解決に少しでも実践力を発揮出来る様に、また、少なくとも実践力を強める事が出来る様に、是非、参加している皆様に御支援と御協力をお願い致します。

02
教育と脳―システム情報論の立場から―

子どもは、御存知の様に、脳を働かして学んでいる。それは極めて複雑な仕組みであるが、Youngのシステム・情報論の考えを利用すれば、比較的理解しやすく、教育問題の解決への洞察も得る事が出来る。簡単に言えば、「考える」「憶える」「まねる」など、教育に関係する多くの心の基本的なプログラムを組み合わせて出来た「学ぶ」プログラムを使って、子ども達は学んでいると考えれば良いのである。したがって、教育は、子ども達の「学ぶ」心のプログラムをうまく働かすようにしなければならない。

I 脳とその働きをシステム・情報論の立場から捉えるとは

受胎が成立すると、一個の受精卵は、進化の歴史の中で獲得した遺伝子の情報に基づく指令によって、細胞が分裂と増殖を繰り返し、そして分化する事によって、脳を含めた体というシステムと、それを機能させるプログラムを自己組織化する。すなわち、自然に自分で作るのである。その結果子どもは、基本的な心と体のプログラムを、脳の中にもって生まれて来る。

心のプログラムは、大脳を働かせて、知・情・意の心の状態を作るものであり、体のプログラムは、体を働かせて、生理機能や運動機能を発揮するものである。その存在は、教育の影響のない、胎児・新生児の行動をみれば明らかである。

この考えは、人間を機械論的に見て、脳をコンピュータに対比する立場である。子ども達は生活情報によって、この脳のプログラムを働かせ、考えたり、学んだりすると共に、体も働かして生きているのである。胎児・新生児に見られる行動の、基本的なプログラムは、単一遺伝子によって決まるとは考えにくいが、限られた数の遺伝子によると言う事が出来る。

ここで言う体のシステムとは、脳を含めた体で、それを細胞・組織・臓器とを組み合わせたシステムと考えるのである。そして体は、心臓・血管などを組合せた循環器系、肺・気道・肋間筋・横隔膜などを組合せた呼吸系、骨・関節筋などを組み合わせた運動系、そして、大脳・小脳・脊髄、それから出ている末梢神経(体性神経系と自律神経系)などを組み合わせた神経系などと、色々な臓器系を組み合わせて、統合したシステムである事は、どなたも理解されよう。

この体というシステムの中心となるのは、神経系の、脳(大脳・小脳)と脊髄で、生きて行く為に、体を構成する全ての機能系を支配する体のプログラムと共に、社会を作り、文化と共に、より良く生きて行くための知・情・意の心のプログラムも、大脳皮質、特に前頭葉を中心に持っていると考えられる。

脊髄は、大脳の一部で、脊椎の中を長く伸びているものであり、身体各部の感覚器(目・耳・鼻・舌・皮膚など)によって、情報を集めて大脳に送り、そこで処理して、指令としての情報を身体各部に送るプログラムを持っている。小脳は、体の運動を円滑に行うために、大脳と情報のやりとりをして、必要な情報を処理するプログラムを持っていて、われわれの行動、をより良いものにしている。

さて、プログラムによって働かされるのは、神経系を構成しているニューロン(神経細胞)のネットワークであって、ニューロンの突起や軸素が、シナップスを介し、他のニューロンと連絡して、立体的な網の目構造に形成されている。特に脳は、人間の全ての営みの為に、多種多様なニューロンのネットワーク・システムを組み合わせた複雑なシステムであり、それを働かすプログラムを持った、ひとつの臓器に位置付けられている。その中で軸素がのびて、体性神経の運動神経として、筋肉などに関係して体を動かすプログラム、また、自律神経も別のシステムを作り、色々な臓器も機能させる体のプログラムを持っているのである。

脳は、感覚器から情報を取り込んで伝達、さらに処理し、生きていく為に、ニューロンで情報を電気信号に変え、ニューロンのネットワークの流れの中で、その突起である樹状突起や軸系の先端まで伝えられ、シナップスを介して、次のニューロンに伝えられる。このシナップスでは、電気信号は、化学信号に変えられて、次のニューロンに伝えられるのである。したがって、情報は、ニューロンのネットワークの中を、ニューロンからニューロンへと、電気信号と化学信号と交替させ、変化しながら流れて、そのプログラムを作動させているのである。電気信号は、全てのプログラム、すなわちニューロンのネットワークシステムにおいて共通であるが、化学信号は、脳のそれぞれの場に局在するプログラムによって異なる。すなわち、詳細は別に綴るが、ニューロンのネットワークシステムの課す役割によって異なる。化学信号は、アセチル、カテコールアミン(ドーパミン・ノルエピネフリン・エピネフリン)、セロトニン・GABAなどにより、プログラムの目的によって異なった化学物質で伝えられているのである。

呼吸・循環な生存に必須のプログラムは脳幹にあるが、上述の様な行動に関係する重要なプログラムの存在するところは、大脳の表面にある皮質である。皮質の構造は特殊で、「モデュラリティ」と「階層性」を示す。「モデュラリティ」とは、機能的な単位であるモデュール、コンピュータのプログラムの構成部品(小さなプログラム)に対応する様なものであるが、脳組織では、コラム(径0.5mmの皮質を構成する円堆構造)に当ると考えられる。

コラムが集まって、夫々の機能を分担する大脳皮質の領野ができ、領野が集まって、前頭葉・後頭葉などの、4つの脳葉が出来て、色々な働きを分担している。しかし、大脳の脳葉や領野が、それぞれの機能を分担すると言っても、それが機能するには、脳全体のサポートが必要である。

プログラムについていえば、コラムには夫々基本的なニューロンのネットワークとプログラムがあり、領野に組み合わされると、そこにあるネットワークとプログラムも組み合わされ、脳葉になると、同じように更に大きく組合されると考えれば良い、と言える。その結果、例えば、前頭葉には、感覚や記憶をもとに行動を組立てるプログラムが存在する。頭頂葉は体性感覚と触覚と運動による空間的な視覚の情報処理に関係するプログラムがあり、側頭葉は聴覚と形態的な視覚情報(色や形)の処理と記憶に関係するプログラムがある。また、後頭葉は視覚情報処理に関係するプログラムがあるなどが代表である。

どの脳葉にも、生後よく発達する連合野がある。すなわち、育てられる事により、遺伝的に作られる基本的なニューロンのネットワークとそのプログラムを組み合わせたり、さらに、その組み合わせをスクラプ・アンド・ビルトしたりして、生後の生活に対応する事が出来るように、複雑なニューロンのネットワークとそのプログラムを作るのである。すなわち、必要な情報の連合、記憶を引き出したり、感覚と運動を統合するなどのプログラムを作る事によって、連合野は、高次の脳機能に関係しているのである。具体的に言えば、そこのプログラムで、視覚・聴覚、さらには觸覚などから取り込んだ運動や体徃感覚(触覚と深部感覚)などの情報を処理して、行動を起こさせているのである。

前頭葉の連合野は、特に重要で、ここに知性の心のニューロンのネットワークとそのプログラムがあると考えられている。また、本能や情動などの心のネットワークとプログラムは、ある意味、根源的なもので、大脳辺縁系・視床下部系にある。また、何々したいという様な意欲の心のプログラムは後述するように、リウォーディングシステムと関係して組織化されたもので、この脳底部にあるのである。

爾後、プログラムの組み合わせを論する場合があるが、その基盤にはニューロンのネットワークの組み合わせがあると理解して頂きたい。

少し具体的に考えてみよう。胎児が手足を動かすのは、手足がシステムとして形成されると、その体のプログラムは脳の運動野と脊椎に形成されて、何等かの刺激で、それが働いて反射的に動かすのである。しかし、生まれてから、自分の意志によって、手足を動かすのは、連合野が発達して、第一次感覚野、運動野など皮質にある色々なプログラム、さらには、知性や意欲のプログラムともリンクして、生後、成長・発達と共に出来た複雑なプログラムの支配で作動するからである。

その代表は、胎児期から見られるステッピング反射の発達を見れば明らかである。この反射は、新生児を支えて足先を固い板に軽く当てると出現して、下肢を歩く様に動かす。したがって、歩くプログラムが存在するといえよう。この反射は、胎児期すでに何等かの刺激で反射的に現れるが、脳に続く背髄にあるプログラムで行われている。しかし、ステッピング反射は生後間もなく消える。大脳のプログラムからの抑制によって、プログラムが止まるからである。恐らく、3次元の空間知機能や体制感覚のプログラムが充分に機能していないからである。

1年過ぎて、子どもが成長・発達し、3次元の空間認知ができ、自らの体重を支える事が可能になり、筋肉や関節の体性感覚が発達すると共に、大脳前頭葉の皮質にある知性のプログラムなどのコントロールも関係して、大脳皮質にある、運動の歩くプログラムを使い、自分の意志でトコトコと歩く様になるのである。そうなる為には、前頭葉や側頭葉の連合野の発達が必要なのである。

その子どもが、保育園・幼稚園に行って、スキップしたり、ダンスするのは、前頭葉を中心として、色々な関係する連合野の発達により、組織化された脳の心のプログラム、すなわち高度の精神機能、「考える」「まねる」「憶える」などの「学ぶ」プログラムを使って可能になるのである。すなわち、外の情報により、ステッピング反射のプログラムを中心にいくつかのプログラムを組み合わせたり、変更したりして出来たプログラムで行う様になるのである。

また、胎児の吸啜も、正に体のプログラムの一つであり、反射的・突発的、さらに自動的に発現するが、生後、乳児が母親の乳房を求めて行う吸啜は、大脳皮質、特に知性や意欲のプログラムを中心に、関係する運動野のプログラムと組み合わされる事によってコントロールされて作動しているのである。

精神・心理機能に関係する心のプログラムも同じと考えられる。少なくとも筆者には、認知心理学の示すように、皮質構造のモデュラリティに対応して、心のモデュール(機能単位)があると言える。胎児・新生児の心は、心のモジュールの夫々の発現と考えられる。心のモジュールとは、われわれの心の機能を構成している心の機能単位で、それを作り出すニューロンのシステムを働かせる心の基本的なプログラムがあると考えるのである。

われわれの持っているような、胎児・新生児期以後の心は、それが組み合わされて作動し、われわれが体験するような心が現れているのである。心の基本的なプログラムも、遺伝子によって決まっているもので、それが生後に育てられる中で、より複雑な心に対応する、心のプログラムが組織化され、知性のプログラムなどのコントロールに入ると考えられるのである。

例えば、胎児の顔がニンマリと微笑する事がある。それは、胎児期にすでに、「うれしい」とか「楽しい」とかの、心のプログラムと、これに対応する表情筋のプログラムが組合わされて、セットとして存在する事を意味しよう。生後、赤ちゃんが母親にあやされて笑うとか、父親の高い高いで笑うのは、前頭葉を中心とする知性のプログラムとリンクして、複雑なプログラムが構成され、それによってコントロールされて笑うのである。さらに、心が発達して、学童が漫画で笑う、大学生や社会人が落語で笑う様になるのも、胎児期の微笑のプログラムが、同じように、さらに高度な精神機能のプログラムとリンクして、より複雑な、高度な心のプログラムが組織化されていて、それによって、胎児の微笑のプログラムが作動して笑うのである。

さらには、乳幼児期の「基本的信頼」"basic trust"の形成、あるいは、3、4歳になって、他人の行動を見て、その人の心を理解する「心の理論」 "theory of mind"の確立は、優しい子育てによって、胎児期・新生児期の基本的な心のプログラムが、お互いに組み合わされ、複雑な高度な情神とリンクすると共に、他の心のプログラムとも組織化されて、コントロールされるようになった結果と理解出来よう。

このような心の発達は、胎児期・乳幼児期の育つ姿で見ると、大脳皮質に分散システムとしてバラバラにある、心と体のプログラムが連合野の発達と共に、大脳皮質、さらには、前頭前野の知性のプログラムの支配下に入り、集中システムになると理解される。この様な考え方は、脳の可塑性、組織構造の変化によっても支持されよう。

II 進化論的に見た脳

脳の機能を進化論的に見る事は、個体発生は系統発生を繰り返すという考えからみて、理論的にも重要である。すなわち、胎児期・乳幼児期の脳発達は、脊椎動物、特に人間に見られる脳の進化の流れを追っている事になるのである。

脳の進化は、脊椎動物になって、呼吸・循環・消化吸収の「生きる」ためだけの旧脳から始まった。旧脳は、現在の脳幹に当る。それに、自らを守り、生存を確かなものにするため、たくましく生きるための本能や、情動の心のプログラムを持つ古い脳が、旧脳を覆うように進化した。すなわち、現在の大脳辺縁系・視床下部系である。そして「文化を創造し、環境に適応して、より良く、しかも、うまく生きるため」の新しい脳が、更にそれをカバーするように進化したのである。それが、大脳皮質、特に前頭葉である。

上述の、心の発達を、基本的な心と体のプログラムを組み合わせるプロセスとする考えは、この様な進化の過程を追っているのである。胎児・新生児に見られる、基本的な体のプログラムは、第一次運動野にあり、基本的な心のプログラムは、第一次感覚野・視覚野・聴覚野と共にある夫々の連合野にも、高度の精神機能に関係する基本的な心のプログラムがあると考えられる。それらは、遺伝子で決まる心と体の基本的なプログラムであって、育てられる中で、お互いに組み合わされて、大脳皮質のコントロールに入る。特に前頭前野に存在する知性のプログラムは、これらの組み合わされたプログラムを支配し、うまく作動させる事によって、文化創造の原動力が生まれるのである。

III 育児・保育・教育によって心の基本的なプログラムは組合される

胎児や新生児の持っている、生まれながらの基本的な心と体のプログラムを、連合野を発達させ、知性による集中システムにするのは、育児・保育・教育である。この教え育てる人間の営みの中で、色々な情報によって、大脳皮質に散在する基本的なプログラムは、活性化される中で組み合わされ、組織化される。その組織化された色々な複雑なプログラムによって、子どもは、その後の複雑な生活環境に対応が可能になるのである。

すなわち、育児・保育・教育が、分散システムとしてバラバラにある生まれながらの基本的なプログラムを、中枢性の集中システムとして、大脳皮質、すなわち、各葉の連合野、さらに前頭連合野の知性のプログラムにコントロールされる様になり、いかなる事態にも対応出来る複雑なプログラムになると言えるのである。このプロセスの中で、心と体のプログラムがお互いに相互作用している事も、忘れてはならない。

プログラムを働かせる情報は、「理性の情報」"logical information"と「感性の情報」 "sensitive information"に分けられるが、乳幼児期に起こる分散システムから中枢性の集中システムへの組織化には、「感性の情報」が重要であり、優しい育児・保育・教育によって行なわれると考えられる。学童期に入っての学校教育では、中枢性の集中システムになったプログラムを働かせる事になるので、「理性の情報」が重要となる。勿論、感性の情報と理性の情報とは表裏の関係にあり、前者は後者の機能を強化する事も忘れてはならない。この考えは、脳の進化からも支持されよう。

基本的なプログラムの組織化という考え方は、利根川らの(1987年・ノーベル医学賞)抗体産成に関わる免疫理論、さらには沢口・久保田(1986)の脳進化のコラム多重階層システム化仮説とも合い通じるものがある。上述の様に、大脳皮質のコラムには、モジュールとして、ニューロンのネットワークシステムと共に、それを働かせるプログラムもあるが、文化を含めた生存競争の陶汰圧によって、重層化、階層化して進化したと考える。上述の様に、系統発生は個体発生を繰り返すとすれば、プログラムの組み合わせによる集中システムへの組織化は、コラムの重層化・階層化により多重階層システムになることを意味しよう。これは、脳組織学的にもシナップ数の変動や髄鞘化の進展でも示されていると考えられるのである。

幼児期に続く、学校教育では、高度な精神機能(考える・まねる・憶える・信ずる、さらに学ぶなど)のプログラムにより、教育の場で受ける情報、特に「理性の情報」中心に行われる。その時には、乳幼児期に中枢性に組織化された集中システムとしてのプログラムを働かせ、さらに、より良くしていくと考えられるのである。

教育では、学習意欲も考えなければならない。それを、脳科学の立場で考えれば、学習の場において、どのように学ぶ楽しみを求める心のプログラムを働かせるかを考えなければならない。それは前に述べた、リウォーディング・システムである。

細い電極をネズミの脳のある部分に刺し入れて、レバーを押せば弱い電流が流れるようにすると、ネズミはレバーを押す事を直ちに学び、押し続ける様になる。脳のある場所には、自己刺激によって、快楽などに関係する物質を出す場所、快楽中枢があるのである。リウォーディング・システムは、それを中心とする神経細胞のネットワークで、それを働かすのは意欲のプログラムである。それが柱となって、教育に関係するいろいろな心と体のプログラムのネットワークが組み合わされて、上述の学びのプログラムが、組織化されればよい。

その組織化は、決して単純ではないが、赤ちゃんの時から楽しくあそび、学ばせる事、さらには「あそび」「学び」を融合させる事は重要であろう。さらに、学習成果を褒める事を繰り返す事もある。これにも感性の情報の意義がある。

IV 脳科学の立場からより良い教育を考えよう

脳科学から教育を考えるためにシステム・情報論を用いて、筆者は少々独断的な考えを展開した。この考えでは、教育には脳全体が関係するが、「憶える」「考える」「信ずる」「まねる」などの、高度な精神機能のプログラムが組み合わされた「学ぶ」心のプログラムが中心となって、重要な役を果している事は間違いない。

特に、「まねる」心のプログラムは、教育にとって必要である。最近、言語中枢のブローカーにあるミラーニューロンシステムのプログラムが、摸倣にとって、重要と考えられる様になった。新生児でもまねる事、また言語機能とも関係する事は、教育における「まねる」プログラムの意義は大きい。

勿論、当然の事ながら、記憶のプログラムも同じように重要である事はどなたも理解されよう。記憶にも色々あって、いづれも教育に関係するが、この問題は割愛する。さらには、「信ずる」心のプログラムの重要性は、"1+1=2"を信じられなければ、算数は成り立たない事からも明らかであろう。

このような、教育に関係する高度な精神機能の心のプログラムをうまく作動させるには、どうしたら良いのであろうか。

プログラムを働かせるのは情報であり、それは、上述のように「感性の情報」と「理性の情報」とに分けられる。これらが、お互いに表裏の関係にある事は、母親がわが子に語りかけるマザーリースでも明らかである。母親がわが子に「いい子ね」と語りかける場合、「いい子」という情報は「理性の情報」であり、その声の独特のリズム・ピッチ・抑揚などは、「感性の情報」である。したがって、教育の場における、子ども達のコミュニケーションにも、優しさに関係する感性に情報にも、充分配慮する必要がある。

教育に関係する、上述の心のプログラム全てが、教え方、あそばせ方によってフル回転すれば、子どもは「学ぶ喜び一杯」になり、「あそぶ喜び一杯」にもなって、「生きる喜び一杯」"joie de vivre"になり、教育効果は上がる。それには、子ども達の心を読みとる、"sensitivity"(感受性)と、それに対して優しくやりとりする"interaction"(相互作用)、すなわち、子ども達への優しいまなざし、優しい勇気付け、そして、子ども達とのふれ合いも必要である事は、脳科学の立場からも言えよう。

まとめ

子どもの人格とか能力は、最近の考えでは、遺伝子で決まるものは、約50%にしか過ぎないという。約20%は胎児環境であり、約20%が生まれてからの生活環境、特に育児・保育・教育であるという。残りの10%を決める仕組みは未だ明らかはでない。したがって、育児・保育を含めた広い意味での教育は、子どもの心の発達にとって、極めて重要である。更なる脳科学の研究が求められる。

(本文は、2002年8月に行われた日本学術振興会井口基金-熱海教育セミナー基調講演「教育と脳-システム情報論の立場から」より掲載しました。)

03  2001.12.27
年頭にあたり「生命感動学」を体系づけよう

 「サイバー子ども学研究所」"Child Research Net"は、設立5年を過ぎ21世紀2年目の新しい年を迎える。そんな折、この9月のニューヨークのテロ事件に始まるアフガニスタン問題の流れをみると、「人間とは何か」をつくづく考えさせられる。しかし、当面の問題の解決を考えれば考える程、「21世紀こそ子どもの世紀に」しなければならないことは明らかである。

 1900年スウェーデンのEllen Keyは「児童の世紀」を出版し、「20世紀を子どもの世紀に」と呼びかけた。しかし残念なことに、前半に2つの大戦、そして後半発展途上国では、内戦が続き、子ども達は飢えや感染病に苦しんでいる。ある意味で発展途上国の問題が、アフガニスタンに火をつけた結果になった。先進国は、一応平和が保たれ、豊かな社会が築かれたものの、子ども達に新しい心の問題が多発するばかりでなく、自然破壊・公害・温暖化と、科学・技術そのものを利用する心のあり方も問われている。20世紀は、子ども達の心と体の健康が、世界のあちこちで、夫々のあり方で損なわれたのである。

 したがって、「21世紀こそ子どもの世紀に」するためには今われわれは子ども達の心と体を健康にするためにはどのようにしたらよいか、が問われているのである。

 "Child Research Net"は、まず子ども達の「遊び」と「学び」を新しい立場から捉え、その場をどのようにデザインするかを考えるために"Playful"「遊ぶ喜び一杯」というコンセプトを提案し研究して来た。その基盤となる学問体系として、子どもの生命感動学を新ためて考えたい。

 子どもは、小さい時、「遊ぶ喜び一杯」「学ぶ喜び一杯」になることによって、「生きる喜び一杯」、「ドキ・ドキ、ワク・ワク」、"Playful"になって生命に感動する機会を持たないと、心の発達が障害され、思春期に入って非行を犯したり、更には犯罪者になることが多いという。

 したがって、生命に感動する心の仕組みを明らかにし、どうしたら子ども達にそのような機会を与えることが出来るか、その方法も明らかにする学問体系が必要であり、それを、「生命感動学」と呼びたい。英語では"bioemotinemics"である。「情動」・「感動」"emotion"は、ラテン語で"emotinem"であるからである。

 当然のことであるが、「感動」は人間が生きていくためのエネルギーであって、生涯にわたって必要なものである。しかし、年齢ばかりでなく、大人になれば、性別・職業・趣味・宗教などによっても異なってくる。少なくとも、「子ども生命感動学」は、区別して体系づける必要があろう。

 「感動」は、"excitement"で「情動」と同じように"emotion"とも英語で言うが、「感動する」という英語"be touched, moved by"で、「心にふれられる」「心が動かされる」の意味で、「動」という字のつくことがよく理解されよう。「感動」という言葉は、国語辞典によれば、「深く感じて心を動かすこと」と書かれていることからも明らかである。

 一方、心理学でいう「情動」"emotion"は、「急激に生起し、短時間に終わる比較的強力な感情(心の情感的あるいは情緒的な面)」、である。心理学では、情動には基本的なものがあり、「恐怖」「怒り」「喜び」「愛」「驚き」「反感」「憎しみ」、さらには「受容」「嫌悪」「悲しみ」「期待」などが上げられている。「情動」と「感動」を区別するとすると、「感動」は情動の中で、体にとって良いもの、個人ばかりでなく社会にとっても意義のあるもの、価値のあるものとなろう。すなわち、「喜び」「愛」で代表される情動である。すなわち、"positive emotions"と呼ぶべきものである。

 「情動」にはいくつかの構成要素がある。第1は、主観的に経験できる感情である。

 第2は、生体反応、特に自律神経系の興奮状態を伴うこと、すなわち心拍亢進、発汗、血圧上昇などがみられるのである。

 第3は、大人では情動は思想や信仰(それに準ずる心)との、子どもではしばしば遊びとの連合体である。それは、情動と共に現れ、自動的に心に反映するものである。例えば、「喜び」を体験すると、その喜びの理由は何かを考える。「ちゃんと勉強したから、大学に合格したのだ」のように。

 第4は、情動は顔の表情に現れる。特に、口や目の動きが重要である。

 第5は、全体的な雰囲気とか感じが伴うものである。喜びや愛の情動を体験すれば、その人は明るい感じになり、悲しくなれば暗くなる。

 第6は、情動に関係して、行動に一定の傾向が現れる。「怒り」は人を攻撃的にするのは、その代表である。

 今なぜ「生命感動学」が求められるか、考える必要がある。現在の社会では、余りにも生命に感動する機会がなくなっているのである。それは、われわれ大人にとっても、子どもにとってもである。何故に、その機会が少なくなったのであろうか。そのひとつは、余りにも情報が多すぎるのが原因と思うのである。

 人間の脳の中にある、進化の過程で作られた心と体のプログラム、特に心のプログラムは、情報の洪水の中で空回りしているのである。子どもの場合には、そのため生まれながらにして持つ、基本的な心のプログラムの組織化さえも障害されるのである。そんな中で、何とか心と体のプログラムをフル回転させるにはどうしたらよいか、どんな方法があるか、それを子ども達のために考える必要があるからこそ、生命感動のあり方が求められているのである。われわれの未来を考えると、今まさに「子ども生命感動学」"Child Emotinemics"の体系づけが求められている。

04
-育つ育てるふれあいの子育て-

   日付   タイトル
  2004/11/12 エピローグ「子どもは21世紀の未来をひらく-2」
  2004/09/10 エピローグ「子どもは21世紀の未来をひらく-1」
  2004/07/09 第7章「父親の役割―まず父子相互作用で子育てにのめり込ませよう-2」
  2004/05/14 第7章「父親の役割―まず父子相互作用で子育てにのめり込ませよう-1」
  2004/03/12 第6章「母乳哺育のすすめ・・お母さんのオッパイは自然のおくりもの-6」
  2004/02/13 第6章「母乳哺育のすすめ・・お母さんのオッパイは自然のおくりもの-5」
  2003/12/19 第6章「母乳哺育のすすめ・・お母さんのオッパイは自然のおくりもの-4」
  2003/12/05 第6章「母乳哺育のすすめ・・お母さんのオッパイは自然のおくりもの-3」
  2003/11/14 第6章「母乳哺育のすすめ・・お母さんのオッパイは自然のおくりもの-2」
  2003/10/03 第6章「母乳哺育のすすめ・・お母さんのオッパイは自然のおくりもの-1」
  2003/09/05 第5章「人生の出発点における優しさの体験-6」
  2003/08/01 第5章「人生の出発点における優しさの体験-5」
  2003/07/04 第5章「人生の出発点における優しさの体験-4」
  2003/06/06 第5章「人生の出発点における優しさの体験-3」
  2003/05/09 第5章「人生の出発点における優しさの体験-2」
  2003/04/04 第5章「人生の出発点における優しさの体験-1」
  2003/03/14 第4章「母と子のきずな―母子相互作用-4」
  2003/01/17 第4章「母と子のきずな―母子相互作用-3」
  2002/12/13 第4章「母と子のきずな―母子相互作用-2」
  2002/11/08 第4章「母と子のきずな―母子相互作用-1」
  2002/10/11 第3章「赤ちゃんのすばらしい能力-そのプログラムは体の成長、心の発達の原点-9」
  2002/09/13 第3章「赤ちゃんのすばらしい能力-そのプログラムは体の成長、心の発達の原点-8」
  2002/08/09 第3章「赤ちゃんのすばらしい能力―そのプログラムは体の成長、心の発達の原点-7」
  2002/07/19 第3章「赤ちゃんのすばらしい能力―そのプログラムは体の成長、心の発達の原点-6」
  2002/06/14 第3章「赤ちゃんのすばらしい能力-そのプログラムは体の成長、心の発達の原点 - 5」
  2002/05/24 第3章「赤ちゃんのすばらしい能力-そのプログラムは体の成長、心の発達の原点 - 4」
  2002/05/10 第3章「赤ちゃんのすばらしい能力-そのプログラムは体の成長、心の発達の原点 - 3」
  2002/04/19 第3章「赤ちゃんのすばらしい能力-そのプログラムは体の成長、心の発達の原点 - 2」
  2002/04/05 第3章「赤ちゃんのすばらしい能力-そのプログラムは体の成長、心の発達の原点-1」
  2002/03/29 第2章「胎児期からの子育て-生まれた赤ちゃんはすでに1歳-4」
  2002/02/22 第2章「胎児期からの子育て-生まれた赤ちゃんはすでに1歳-3」
  2002/01/18 第2章「胎児期からの子育て-生まれた赤ちゃんはすでに1歳-2」
  2001/12/21 第2章「胎児期からの子育て-生まれた赤ちゃんはすでに1歳-1」
  2001/11/22 第1章「胎児はなんでも知っている-5」
  2001/10/26 第1章「胎児はなんでも知っている-4」
  2001/09/21 第1章「胎児はなんでも知っている-3」
  2001/08/24 第1章「胎児はなんでも知っている-2」
  2001/07/27 第1章「胎児はなんでも知っている-1」
  2001/06/22 プロローグ「愛と心のプログラム-4」
  2001/05/25 プロローグ「愛と心のプログラム-3」
  2001/04/27 プロローグ「愛と心のプログラム-2」
  2001/03/30 プロローグ「愛と心のプログラム-1」

05  2000.12.28
21世紀の新しい『学び』『育ち』とは?

 20世紀は、科学・技術の進歩のお陰で物質的に豊かな社会を築き上げた「モノ」の時代であったと言えよう。その豊かさの陰では、子ども達が本来持っている育つ力、学ぶ力が歪んでいるようにみえる。子ども達の心の問題の多発は、それを示そう。

 子どもは、長い進化の流れの中で、育つ力、学ぶ力を発揮する豊かな心と体のプログラムをもって生まれて来る。しかし、現在の子ども達の育ちの場、学びの場が、それを充分に機能させていないのである。

 科学・技術の進歩によって、ハードウェアとしての体に必要な栄養や物質的な生活環境などは充分であっても、脳をふくめた体のシステムを働らかせる心と体のプログラムに必要な情報のあり方に問題があるように見える。

 われわれは、21世紀の育ちの場、学びの場に関係する育児・保育・教育を考える場合、子どもの心と体のプログラムの仕組と来たるべき新しい時代の流れへの鋭い洞察力に基づいて、それを働かせる場のデザインをどのようにするかが求められている。そのような場にとって必要な人間関係の情報のあり方とともに、プログラムを働かせる生活の場の情報のあり方も考えなければならないのである。

 子どもの「育ち」については、親による育児(parenting)と保育士などの専門家による保育(care)をどう組合わせて、より良く機能させるかであろう。また、子どもの「学び」について言えば、学びの場としての学校をどのようにするかである。特に、乖離した「あそび」と「まなび」を組合わせる工夫も必要であろう。

 いずれにしても、子どもの心と体のプログラムをフル回転させて、「生きるよろこび一杯」"joie de vivre"にする方法を考え出さなければならない。子どものことを考える人々の英知が求められているのである。

06-1
21世紀の子育てを考えよう―NICHD乳幼児保育研究から学ぶ―

 最近のわが国の子どもたちの心の問題をみると、小児科医として考えさせられることがあまりにも多い。登校拒否から始まって、いじめ、ムカつきキレる、暴力、そして援助交際まで枚挙にいとまがない。そのうえ親による虐待まで増加してきている。その原因はどこにあるのだろうか。育児(が=取消)か教育か、家庭か学校か、はたまた社会か、あるいはその組み合わせか、いろいろと論じられている。

 そして世では3歳児神話はないという話さえ聞かれるが、脳の発達のミクロのレベルでみると、少なくともミエリネション、シナップスの変化などを明らかにしている脳科学の成果との関係はどう考えるのだろうか。さらには、脳の可塑性、そしてWisel-Hubelの光刺激や接触刺激を遮断した新生仔動物のノーベル賞研究の成果も、どのように考えたらよいのだろうか。

 多くの小児科医は子育てのありかたと、現在の子どもたちの心の問題は関係しているのではないか、と疑っている。しかし、人間なるがゆえに、子育てのありかた子どもの心の発達に対する影響について、その答えを出すには多くの研究が必要であり、少なくともprospectiveな研究が必須であることは、多くの医学関係者は知っている。そのうえ、その実施となるときわめて困難であり、膨大なる研究費も必要である。

 著者が退官後、育児・保育・教育を中心に、子供の問題をひろく研究することを目的として設立したサイバー子ども学研究所Child Research Net(http://www.crn.or.jp)では、この5年間にアメリカから2人の心理学者L.P.Lipssit教授(Brown大学)とJ.Belsky教授(Pennsylvania州立大学)をお招きして、講演会および勉強会を開く機会があった。その折、アメリカのNational Institute of Health(NIH)のNational Institute of Child Health and Human Development(NICHD)が10年程前から子育てのありかたが、子どもの体の成長や心の発達にどのように影響するか、とくに早期教育がどのように関係するかを明らかにするための"prospective study"を行っていることを知った。これは、いまだかつてどこの国でも行われなかった研究である。もちろん、Lipssit教授もBelsky教授も、この重要なメンバーである。

 筆者は旧友であるNICHDのCenter for Research for Mother and ChildrenのDirector、Dr. Sumner Yaffeにお願いして、資料をいただいた。そのなかにNICHDが一般向けに公表したRobin Peth-Pierceによる"The NICHD Study of Early Child Care"というパンフレットがあり、有益な資料と考えたのでNICHDの許可を得てここに全訳を発表することにした。

翻訳にあたっては、2~3の問題が出た。わが国では、保育は施設などにおける集団的な子育てをさし、家庭での親なりによる育児とは区別されている。英語ではそれがなく"child care"のひとつである。その点翻訳にあたっての区別が困難であった。また、"interactin"は相互作用と訳したが、母子間の行動のやりとりであって、平たい言葉で言えば「ふれあい」である。"sensitive"は、子どもの心を読み取る感受性の強いことを意味すると考えられるが、平たく言えば「細やかな心」「優しい心」「デリケートな心」であろう。"early child care"をどう訳すか考えたが、一応「乳幼児保育」とした。また"in-home care giver"は子どもの家庭に来て子育てする者によると考え「在宅保育」、"child care home provider"は自分の家に子どもをおいて世話する人によると考え「家庭保育」とした。"center-based care"は、制度的にみとめられた施設での保育と考え、保育園による保育とした。

 アメリカの人口構成また育児・保育のタイプに関する円形図は表に変え、また労働力における女性の占める割合の年代変化は、文中にふれているので、その図は割愛した。さらに文中内容の重複する部分も削除した。21世紀は、母親による子育ては少なくなり、母親・父親、そして保育者がチームを組んで行う子育てが中心となろう。
 以下、ここに全文を紹介し、そのような問題を考えるのに参考にしていただくとともに、それぞれの立場からよりよい子育てのありかたを確立する運動をしようではないか。

06-2
乳幼児保育に関するNICHDの研究
   米国・国立小児保健・人間発達研究所(NICHD)

米国における保育

 保育は、米国の多くの家庭にとって、まさに人生の現実になりつつある。妊娠後、労働力に参入あるいは留まったりする女性の数が増え(註:子どもが生まれるため収入を増やす必要上か)、また片親も増えるにつれて、乳幼児や子どもの保育を母親以外に任せる家族が増えつつある。1975年には、6才未満の子どもをもつ母親の39%が家庭の外で働いていたが、現在、その割合は62%である(労働統計局)。こうした母親のほとんどが、出産後3~5ヵ月で仕事に復帰するため、子どもたちは乳幼児期のほとんどをさまざまな保育状況で過ごすことになる。

「乳幼児保育に関するNICHDの研究」について

 「乳幼児保育に関するNICHDの研究」は、保育における多様性が子どもの発育にどのように関係するか調べる、今日もっとも包括的な保育についての研究である。1991年、国立小児保健・人間発達研究所(NICHD)の支援を受けた研究者チームは、1,364人の子どもに研究に参加してもらい、その後7年間にわたり、ほとんどの子どもについて追跡調査を行った。過去2年間、生後3年間の保育と子どもの発育との関係について研究結果を発表してきたが、今後も、全米10ヵ所にある保育研究拠点から集めた情報の分析を続ける予定である。

乳幼児保育に関するNICHDの研究は、どのような問いに答えるのか

 この研究は、保育は子どもにとってよいこと、あるいは悪いことかという普遍的な問いかけを越えて、保育のありかたの違いについての側面―たとえば質と量―が、子どもの発達のさまざまな側面にいかに関係するかに焦点を当てることで、われわれが子どもの発達と保育との関係を理解するのを助けることが目的である。より具体的に言うと、認知・言語発達、母子関係、自制、従順さ・問題行動、同年代の子どもたちとの関係、身体的な健康と、保育との関係を評価している。

研究に参加した子どもと家族:どんな人たちか

 1991年に始まった研究には、米国中からさまざまな経済・人種的背景の子どもたち合計1,364人とその家族が参加した。対象家族は全米10ヵ所で採用され、その社会経済的背景、人種、家族構成もいろいろであった。76%の家族が非ヒスパニック系白人、13%近くが黒人、6%がヒスパニック系、1%がアジア系/太平洋諸島系/アメリカ・インディアンで、4%がその他の少数民族である。これは米国全体の人々の人種構成を反映している。こうした多様性によって、異なる民族出身の子どもたちが、保育の異なる特徴に、違う形で影響を受ける可能性が調査できる。

 人種の多様性を反映させただけでなく、いろいろな学歴の母親とそのパートナーを参加者に含めた。母親の約10%の学歴は12年生未満で、20%強が高校を卒業している。3分の1がなんらかのカレッジを卒業しており、20%が学士号を取得、15%が大学院あるいは専門的な学位の保持者である(米国人口全体では、それぞれ、24%、30%、27%、12%、6%である)。

 社会経済的な地位については、研究に参加した家族の平均所得は3万7,781ドル(約400万円)であった(米国家庭の平均所得は3万6,875ドル)。そして、研究参加者のおよそ20%が、国の生活補助を受けている。

この研究に参加した子どもたちは、どのような種類の保育を利用したか

 この研究では、研究者ではなく親が、子どもが受ける保育の種類と時期を決定した。事実、家族は、保育を利用するかどうかの計画に関係なくこの研究に参加した。子どもたちは、いろいろな育児・保育環境におかれた。父親、他の親戚、在宅保育者(訳注:in-home care givers保育を必要とする子どもの家庭を訪問し、そこで保育する保育者)、家庭保育者(訳注:child care home providers自宅で子どもを預かり保育する保育者)、保育園での保育などである。保育の状況は、正式な訓練を受けた保育者が一人の子どもを預かるのから、何人かの子どもを預かる保育所のプログラムまで、さまざまであった。乳児の半数近くが最初に受けた育児・保育は、親戚によるものだった。しかし生後1年、またその後にかけて、保育所と家庭でのデイケアの利用への移行が見られた。

 本研究では、保育の種類を管理したり、選択したりせず、同時に保育の質も管理したり、選択したりしようとはしなかった。保育の質は、数種類の方法で測定され、非常にばらつきがあった。しかし、全国規模で保育の質を測定した研究はないので、本研究における育児・保育が、全国的な子育てのありかたの代表としてどれだけ適切か判断する方法はなかった。

育児・保育・家族、子どもに関するどのような情報を考慮したのか

 研究チームは、子どもとその環境にかかわる数多くの特徴について、さまざまな種類の情報を集め、研究した。子ども対大人の比率やグループの大きさなどの保育の特徴とともに、保育の質や保育を受ける時間、保育開始年齢、ある子どもが同時に、また長期間に経験した異なる保育環境の数など、子ども一人ひとりの保育経験を評価した。家族の経済状況や家族構成(片親またはパートナーのいる親)、母親の語彙(知性に代るもの)など、家族の特徴も評価した。その他家族に関しては、母親の学歴、心理的な適応性(アンケートによる測定)、育児姿勢、母子間の相互作用の質、そして、子どもの最適な発育のために家庭環境がどの程度貢献しているか、などの項目を分析に含めた。性別や性格など、子ども一人ひとりのさまざまな特徴も考慮した。

 この研究では、家族や子どもの性格による影響に加え、育児・保育の特徴と経験がどのように子どもの発達に独特な貢献をしているか明らかにしようとしている。これまでの研究で、一般的に、家族内で子どもが受ける育児の質は、保育における質と非常に似通っていることが立証されている。そこで、当研究チームは、保育が子どもの発達に貢献しているこの他の点について重点的に調べることとした。

 データは子どもの発育についてのさまざまな研究問題に答えるべく、いろいろと異なった方法で分析されたため、必ずしもすべての項目が分析に含まれるわけではない。以下に報告する研究結果の要約には、関連項目のリストが記されている。

乳幼児保育に関するNICHDの研究:私たちは何を学んだか

 多様な情報源(親、保育者、訓練を受けた観察者、試験者)を使い、生後7年間にわたり、家族環境、育児・保育環境、子どもの発達、身体的な成長と健康状況に関する細かい情報を集めた。

 参考文献(添付)に記載されるように、今日までに、本研究に関する論文はいくつか科学関係の学術誌に発表されている。また、他の研究結果については、学会で発表されたり、出版準備が進められている。「NICHD乳幼児保育研究」チームが共同執筆した論文では、研究問題が幅広く取り上げられている。

 研究結果は、おもな4分野に分類できる。最初の記述的な成果では、NICHDの研究に参加した子どもたちが受けた保育のイメージを描写している。これには、大人対子どもの比率、生後1年間に受けた保育の形、貧しい子どもの保育など、「管理可能」な特徴についての調査が含まれる。ほかの分野は、保育を受ける子どもにとっての家族の役割、子どもの発達と保育との関係、母子関係と保育との関係だ。こうした分野のなかで、より裕福な家庭と低所得家庭の子ども、また、非ヒスパニック系白人と少数民族の子どもにとって、保育経験がどの程度彼らの発達に関連しているか比較し、その結果が示されている。また、子どもの行動あるいは母子間の相互作用の度合いを予測するものとして、現在と過去との保育経験の比較もなされている。

06-3
乳幼児保育に関するNICHDの研究
   米国・国立小児保健・人間発達研究所(NICHD)
   NICHDの研究における保育の詳細な報告

1. 生後1年間の保育経験歴

 子どもが保育を受けた時間の長さは、いろいろであった。平均的な保育時間は週に33時間であったが、これも子どもとその家族の民族性によって異なる。非ヒスパニック系白人は、保育時間がもっとも短く、非ヒスパニック系黒人は、もっとも長かった。ヒスパニック系白人とその他の民族はその中間に位置している。

 一般的に、ほとんどの乳児が、生後1年間に2種類以上の育児・保育環境を経験していた。乳児の半数近くは、父親/パートナー、あるいは、祖父母による育児が最初の育児経験で、20%強が家庭保育、保育園に預けられたのはわずか8%だった。ほとんどの乳児は、4ヵ月になる前に保育を経験している。

 全体的にみて、研究結果は、乳児保育への高い依存度ときわめて早い時期の保育の開始を示している。ほとんどの乳児は、生後1年間を、保育所ではなく、公的ではない保育環境で過ごしている。

2. 貧困は保育経験と関連性があるか

 本研究に参加した家族・子どもの35%近くが、貧困状態あるいはそれに近い状態で生活している。貧困は、家庭の経済状況を測る標準的な方法である所得対必要生活費率によって定義された(米国商務省)。これは、連邦政府からの補助金を除いた家計所得を、その世帯に当てはまる貧困水準所得で割って計算する(1991年現在の4人家族の貧困水準所得は、1万3,924ドル)。本研究に参加した家族のうち、所得対必要生活費率が1.0を下回る家族は16.7%、1.0~1.99の家族は18.4%であった。

 研究チームは、生後1年間の貧困が、保育開始年齢や保育の種類、質・量と関連性があるか質問した。貧困が、利用する保育の特徴を決定する要因になるかを判断するため、貧困家庭およびその子どもたちを(所得対必要生活費率1.0未満)、貧困に近い家庭と子どもたち(所得対必要生活費率1.0~1.99)、あるいは、より裕福な家庭と比較した。

 保育開始年齢については、貧困状態に陥り、抜け出した家庭(一時的貧困といわれる)が、生後3ヵ月前という非常に早い時期に保育を始める傾向がもっとも高かった。そこで研究チームは、この保育の早期開始は、家族を貧困から抜け出させるために、母親が長時間の雇用に就く必要があるためではないか、と仮説を立てた。一貫して貧しく、国からの援助を15ヵ月以上受けていた家庭では、早期保育や、生後15ヵ月の時点でなんらかの保育を受ける可能性はより低かった。

 貧困家庭は、ほかの家庭に比べて、どのような保育であれ利用する可能性が低いが、利用している場合は、他の所得グループの家庭と同じぐらいの時間を保育にあてていた。15ヵ月時点で保育未経験の子どもの母親は、教育レベルがもっとも低く、大家族の出身であった。こうした大家族も、継続的に貧困状態におかれる傾向にある。

 一般的に、家庭環境で(家庭保育者あるいは家族によって)保育を受けた貧困家庭の子どもたちは、比較的、質の低い保育を受けていた。一方、貧困家庭の子どもで保育園に預けられた場合、裕福な子どもが受ける保育園での保育と匹敵する、より質の高い保育を受けていた。貧困に近い家庭の子どもたち(所得対必要生活費率1.0~1.99)は、貧困家庭の子どもたちよりも、質の低い施設での保育を受けていた。これは、おそらく、貧困に近い家庭の子どもたちは、貧困家庭の子どもたちが受ける資格のある、補助金つきの保育を受ける資格がないからであろう。

 まとめると、貧困家庭また貧困に近い家庭の乳児は、比較的質の低い保育を受ける可能性が高い。これは、生後1年間、ほとんどの乳児が保育園に預けられないのが一因である。

3.質の高い保育を構成する保育の特徴

 研究チームは、積極的な保育、つまり質の高い保育に寄与する特徴とは何かを見極めるために、さまざまな保育環境を研究した。積極的な保育は、相互作用の頻度を観察・記録し、その質を格付けをすることで測定される。また保育環境も、グループの大きさ、大人対子どもの比率、物理的な環境などの「管理可能な」特徴あるいは政府のすすめるガイドラインの観点、さらには、正式な教育や専門訓練、保育経験、育児に対する信念など、保育者の特徴という観点から測定された。

 調査の結果、つぎのことがわかった。すなわち、ほかと比べて、安全で清潔、刺激的な生活環境を有し、小規模グループで、大人1人に対する子どもの比率が低く、子どもに感情を表現させ、その意見を取り入れる保育者のいる割合の高い保育環境においては、より子どもの心をよみとる力が強く、敏感で、知的な刺激を与える保育者がいた。つまり、よりよい子供の発達に結びつくであろう保育の質である。

4. 人口統計学的特徴と家族の特徴:利用される保育の種類と関連性があるか

 本研究の目的の一つは、人口統計学上の変数そして家族についての変数が、各家庭の利用する保育の種類にどの程度関係するか調べることであった。研究チームは、人口統計学的特徴(民族、母親の学歴、家族構成)、経済的特徴(母親や家族の所得)、家族の質の特徴(母親の姿勢と信念、家庭環境の質)などの3組の変数を検証し、保育開始年齢、保育の種類、質・量との関係を調べた。

 家計は、おもに保育の量、開始年齢、種類、質に影響を及ぼしている。母親の所得への依存度が高い家庭では、依存度が低い家庭に比べて、早期に保育を開始し、保育にかける時間も長かった。母親が被雇用者で最高所得額を得ている場合、生後3~5ヵ月で乳児保育を開始する可能性が高く、生後15ヵ月間に在宅保育を利用する可能性がもっとも高かった。最低所得層と最高所得層の家庭の子どもは、中間所得層の子どもよりも、質の高い保育を受けていた。

 経済的な要素(母親および家族の所得)とは別に、母親の就業が子どもの成長によい影響を与えると信じる母親は、乳児のときに保育を開始し、多く利用する選択をしていた。一方、就業が子どもにリスクを与えると思う母親は、形式によらない、家族中心のあるいは在宅での保育を選ぶ傾向にあった。就業が子どもに与えるリスクは低いと考える母親は、保育所あるいは家庭での正式な保育を利用する可能性が高かった。

5.長時間保育を受けている子どもと母親がほとんど全面的に世話をしている子どもへの家族の影響

 本研究のもう一つの目的は、母親がほとんど全面的に世話をしている子ども(保育時間が週10時間未満)と長時間保育を受けている子ども(保育時間が週30時間超)の発育における、家族の影響を比較することである。

 家計や母親の学歴などの家族の特徴は、子どもの発育を予測するうえで、効果的な指標となる。これは、母親の世話をほとんど全面的に受けている子どもの場合も、長時間保育を受けている子どもの場合も同様である。ここでの結果は、子どもの発育への家族の影響は、両親以外が長時間保育しても、大きく減ったり、かわったりすることがないことを示した。

6.保育と母子の愛着の関係

 研究チームは、保育の量、保育開始年齢、保育の種類など保育についての変数をいくつか検証し、こうした要素が乳幼児の母親への愛着にどれだけ関係するか調べた。愛着とは、母親への信頼感のことである。

 研究チームは、生後15ヵ月の時点では、保育自体が、乳幼児の母親への愛着の安定性に悪影響を与えることもなければ、促進することもないことを発見した。愛着は、30分間に母親と子どもを離れさせてから、また一緒にするという標準的なやり方で測定した。

 確かに、ある特定の保育条件と特定の家庭環境との組み合わせは、乳幼児の母親への愛着が不安定になる可能性を高めた。質の低い保育を週に10時間以上受けた場合、あるいは、生後15ヵ月間に2ヵ所以上の保育環境におかれた場合は、母親がやや思いやりに欠ける場合に限るものの、母親への愛着が不安定になる可能性が高い。たとえば、子どもの心をよみとる力が強く細やかな子育てという点で、母親と保育者の両方が調査対象人口の下位25%に入る場合、子どもが母親に安定した愛着を持つ可能性は、ほんの45%だった。対照的に、より思いやりの深い母親と保育者の場合は、62%が安定した愛着を持っていた。

7.保育と母子間の相互作用の質

 子どもの母親への愛着の分析に加えて、保育と、母子間の相互作用、または母子間の交流との関係についても研究した。研究対象となった母親の行動は、子どもの心をよみとる力の強い細やかさ、積極的な関与と否定的態度である。子どもの行動は、その関与を評価するために観察された。研究者は、保育の質、量、家族の特徴(母親の学歴と所得)を分析し、子どもが6ヵ月、15ヵ月、24ヵ月、36ヵ月時点での母子間の相互作用との関係を調べた。
 母子間の相互作用は、遊びの時間や家庭で母子が一緒にいるところをビデオに撮影し、母親の子どもに対する態度を観察した。具体的には、複数の相対する作業に直面したときに(例:子どもを見守りながら、インタビュアーと話をする)、母親がどれだけ注意深く、敏感で、積極的な愛情を見せ、あるいは抑制的な態度を見せるか観察した。

 研究者は、保育の質・量と母子間の相互作用の質とには、わずかではあるものの、統計的に重要な関係があることを発見した。保育の量が増えるにつれて、母子間の相互作用の細やかさや親密さが薄れるという関連性が、ささやかながら現われた。生後3年間を通じて、母親以外のケアを受ける時間が長いほど、子どもに対する母親の積極的な行動がいくらか減少した。保育を受ける時間が長かった乳幼児は、母親との関与がやや薄かった。

 これまでの調査で明らかになった保育の量と母子相互作用との間に、このような関連性が発見されたことで、研究チームは、乳幼児期の保育の量が、その後の母子相互作用の質に関係するだろうか、という疑問へと導かれていった。研究者は、36ヵ月の時点で、生後6ヵ月間の保育時間が長いほど、母親の子どもの心をよみとる細やかさが減少し、子どもの積極的な関与が低いことを発見した。しかし、子どもの保育経験よりも、所得や母親の学歴、両親がそろっていること、母親の離別の不安、母親の気分的落ち込みなどの家族と家庭の特徴のほうが、母子相互作用の質に深く関係していた。

 質の高い保育(保育者と子どもの積極的な相互作用)は、母親による関与と子どもの心をよみとる細やかさの増加(生後15ヵ月と36ヵ月の時点)、子どもと母親の積極的な関与(生後36ヵ月の時点)の増加とささやかながら関係があった。質の高いフルタイムの保育を利用している低所得の母親は、保育を利用していない低所得の母親あるいは質の低いフルタイムの保育を利用している低所得の母親に比べて、6ヵ月の時点で、積極的な関与の度合いが高かった。

8.保育と素直さ、自制、問題行動

 保育の特徴(質、量、保育開始年齢、種類、安定性)と家族の特徴を検証し、それがどのように子どもの自制、素直さ、問題行動と関係しているか調べた。その結果、子どもの保育経験よりも、家族の特徴(とくに母親の子どもの心をよみとる細やかさ)のほうが、子どもの行動に強い関係があることがわかった。

 研究者は、保育の特徴は、子どもの問題行動や素直さ、自制と、ささやかな関係がある程度だと判断した。このなかで、保育の質は、子どもの行動ともっとも一貫した関連性をもっていた。より細やかで繊細な配慮が受けられる保育に預けられている子どもは、2~3歳時点で、保育者が報告した問題行動の数が少なかった。

 生後2年間に保育に預けられる時間が長いと、2歳の時点で、保育者が報告する問題行動は多かったが、こうした影響は3歳までには消滅していた。3人以上の子どもとグループで時間を過ごすことの多かった子どもは、行動に関する問題(保育者による報告)がより少なく、保育におけるより強い協調性が見られた。

9.生後3年間の保育と子どもの認知・言語発達

 本研究のもう一つの主な目標は、保育の特徴(質、保育時間、種類、安定性)が、子どもの認知・言語発達や就学レディネスに関係するかどうか判断することであった。子どもの認知発達と就学レディネスは、標準テストを利用して測定した。言語発達は、標準テストと母親からの報告書を用いて評価した。質の高い保育は、積極的な保育の提供と言語的な刺激、と定義された。つまり、保育者がどれだけ頻繁に子どもに話しかけたり、質問をしたり、子どもの問いに答えたりしたか、である。

 生後3年間の保育の質は、子どもの認知・言語発達に、わずかながら一貫した関係をもっている。保育の質が高い(積極的な言語的刺激と子どもと保育者との相互作用が多い)ほど、15ヵ月、24ヵ月、36ヵ月時点での子どもの言語能力、2歳時点での認知発達が優れており、3歳時点での就学レディネスも高いことが示された。

 しかし、ここでも、家計や母親の語彙、家庭環境、母親による認知的な刺激などの要素を合せると、これらのほうが、15ヵ月、24ヵ月、36ヵ月時点での認知発達、および36ヵ月時点での言語発達と強い関係があった。

 認知発達に関しては、母親による長時間の育児は、子どもにとって、なんらプラスにならないことがわかった。長時間、母親が世話をしている子どもの認知・言語測定での点数は、保育されている子どもと同じぐらいの事例が多かった。実際、長時間母親が世話をしている子どもと、保育を受けている子どもとを比べたときに、認知・言語結果において現われた数少ない差異は、長時間の母親による育児に比べて、質の高い保育は有利で、質の低い保育は不利だということであった。保育者と子どもの相互作用の質を考慮した場合、週10時間以上保育されている子どものなかでは、保育所に預けられている子ども、そして、やや少ない度合ではあるが、家庭保育を受けている子どもは、それ以外の保育を受けている子どもに比べて、認知・言語測定での成績がよかった。保育経験と子どもの認知・言語・就学レディネスとの関係では、さまざまな所得グループあるいは民族的な背景による違いはなかった。

10.規制可能な保育の特徴と子どもの発育

 本研究のさらなる目的は、保育園の「管理可能」な面と子どもの発達との関係を調べることであった。教育者、小児科医、公衆衛生の専門家からなる専門機関の助言に従い、子ども対スタッフ比率、グループの大きさ、教師の訓練、教師の教育の4項目を分析に利用した。

 研究チームは、子ども対スタッフ比率、グループの大きさ、教師の訓練、教師の教育について、助言された四つのガイドラインすべてを満たしている保育園はほとんどないことがわかった。ガイドラインの遵守度が高い保育園に預けられている子どもは、36ヵ月の時点で、言語能力と就学レディネスがより高かった。また、24ヵ月と36ヵ月の時点では、問題行動も少なかった。ガイドラインを一つも満たしていない保育施設に預けられた子どもは、こうしたテストの成績が平均よりも低かった。

06-4
まとめ

 「乳幼児保育に関するNICHDの研究」は、1,300人以上の子どもを対象とし、そのほとんどを7歳まで追跡調査し、異なる保育の形態が子どもの発達にいかに関係するか調べた。これまでの科学論文は、生後3年間を中心に書かれてきた。子どもの育児・保育環境は、そのコミュニティで提供される保育の種類、費用の手頃さなどを考慮し、家族が選んだものであり、無作為にさまざまな種類、質、量の保育に振り分けたわけではない。研究に参加した家族は、多くの人口統計学的な特徴において、米国全体を代表するものであった。

 NICHDの研究では、全米の家族にとって、家族の状況と家庭環境の質が、保育の選択と強い関係を持つ。そこで研究チームは、すでに十分に認識されている、家族の特徴・状況と子どもの発達との関係という重要な点に加えて、子供の発育に保育がどのように独自に貢献しているか見出すことに焦点を当てた。

 本研究の分析結果は、育児・保育に関する多くの質問になんらかの答えを与えるものとなるだろう。今、多くの米国家庭がもつ育児・保育像を捉えることができるようになった。どのくらいの頻度で、どのくらい早期に保育が始まるか、また、今日の家庭の多くがどういった種類の保育環境を選ぶかなどを垣間見ることができる。研究ではまた、長時間保育を受けた子どもと母親がほとんど全面的に世話をしている子どもとを比較し、家族の特徴と子どもの発育との関係も検証した。そして、家族の特徴が、乳幼児が受ける保育経験と関係があるかどうか評価した。最後には、保育の特徴と、子どもの知的発達、言語発達、就学レディネスとの関係、および、保育の特徴と母子関係との関連性を検証した。

 研究チームは、家族や子ども一人ひとりの性格に加え、保育が子どもの発育に与える新たなあるいはマイナスの価値を探した。一般的に、保育の要素よりも、家族の特徴と母子関係の質のほうが、子どもの発達に強い関連性をもっていた。これは、子どもが長時間保育を受けている場合でも、おもに母親が世話をしている場合でも当てはまる。

 研究では、保育のある特徴や経験が、ほんのわずかではあるが、子どもの発達に影響を与えることがわかった。これは「乳幼児保育に関するNICHDの研究」の研究結果の要約表(表3)に記されている。研究の結果認められた保育の影響は概してわずかだが、取るに足らないとはいえないものである。

*質の高い保育は、つぎの点に結びつくことが発見された。
•母子関係がよりよくなる。
•細やかさに欠ける母親の場合でも、乳幼児が不安定な愛着を持つ可能性が低い。
•子どもの問題行動の報告が少ない。
•保育を受ける子どもの認知能力が高い。
•子どもの言語能力が高い。
•就学レディネスが高い。

*逆もまた真なりである。質の低い保育は、以下に結び付く。
•母子関係の調和度が低い。
•すでに赤ちゃんの心をよみとる細やかさに欠ける母親の場合に、母子の愛着がさらに不安定になる可能性が高い。
•問題行動が多く、認知・言語能力、就学レディネスがともに低い。

*より長時間の保育、あるいはより長時間の保育歴は、以下に結びつく。
•母子間の相互作用が弱い。
•2歳時点で問題行動に関する報告が多い。
•細やかさに欠ける母親の場合に、乳幼児が不安定な愛着をもつ可能性が高い。

*より短時間の保育は、以下に結び付く。
•母子間の相互作用がよりよくなる。
•赤ちゃんの心をよみとる細やかさに欠ける母親の場合でも、乳幼児が不安定な愛着をもつ可能性が低い。
•24ヵ月における問題行動が少ない。

 保育園での保育は、ほかの環境での同様の質の保育に比べ、認知・言語能力、就学レディネスともにより高い。グループ保育は、3歳の時点で、問題行動の報告の少なさにつながっている。したがって、乳幼児保育の経験は、子どもにとって意味があるといえる。

 新しい保育環境に入る回数で測られる保育の不安定さは、母親が細やかさに欠け、敏感でない場合に、乳幼児が不安定な愛着をもつ可能性の高さにつながることがわかった。

 本研究に参加した子どものほとんどは、現在、7歳で1年生である。研究チームでは、今後数年も、今回の調査では解明されなかった保育と子どもの発達との関係についての疑問を明らかにするために、データの分析を続け、専門家会議や科学関係の学術誌を通じて、新たな研究成果を発表していくつもりである。

06-5
乳幼児保育に関するNICHDの研究
   米国・国立小児保健・人間発達研究所(NICHD)

「乳幼児保育に関するNICHDの研究」研究者・研究機関とその所在地

「乳幼児保育に関するNICHDの研究」は、NICHDおよび下記の大学の行動科学者によって行なわれた

  カリフォルニア大学サンディエゴ校 マーク・アップルバウム
    (619)534-7959
    (619)534-7190(ファクス)
  ペンシルバニア州立大学 ジェイ・ベルスキー
    (814)865-2639
    (814)863-6207(ファクス)
  ワシントン大学 キャスリン・ブース
    (206)543-8074
    (206)685-3349(ファクス)
  アーカンソー大学リトルロック校 ロバート・ブラッドリー
    (501)569-3423
    (501)569-8503(ファクス)
  ピッツバーグ大学 セリア・ブラウネル
    (412)624-4510
    (412)624-4428(ファクス)
  ノースカロライナ大学チャペルヒル校 ペグ・バーチナル     (919)966-5059
    (919)962-5771(ファクス)
  アーカンソーこども病院小児科 ベッティー・コールドウェル     (501)320-3333
    (501)320-1552(ファクス)
  ピッツバーグ大学 スーザン・キャンベル
    (412)624-8792
    (412)624-5407(ファクス)
  カリフォルニア大学アーバイン校 アリソン・クラーク=スチュワート
    (714)824-7191
    (714)824-3002(ファクス)
  ノースカロライナ大学チャペルヒル校 マーサ・コックス
    (919)966-2622
    (919)966-7532(ファクス)
  国立小児保健・人間発達研究所 サラ・L・フリードマン
    (301)496-9849
    (301)480-7773(ファクス)
  テンプル大学 キャスリン・ヒルシュ=パセック
    (215)204-5243
    (215)204-5539(ファクス)
  テキサス大学オースティン校 アレサ・ハストン
    (512)471-0753
    (512)471-5844(ファクス)
  リサーチ・トライアングル・インスティチュート ボニー・ノック
    (919)541-7075
    (919)541-5966(ファクス)
  ウェルスリー・カレッジ ナンシー・マーシャル
    (617)283-2551
    (617)283-2504(ファクス)
  ニューハンプシャー大学 キャスリーン・マッカートニー
    (603)862-3168
    (603)862-4986(ファクス)
  カンザス大学 マリオン・オブライエン
    (913)864-4801
    (913)864-5202(ファクス)
  テキサス大学ダラス校 マーガレット・トレシュ・オーウェン
    (972)883-6876
    (972)883-2491(ファクス)
  米国科学アカデミー デボラ・フィリップス
    (202)334-1935
    (202)334-3768(ファクス)
  バージニア大学シャーロッツビル校 ロバート・ピアンタ
    (804)243-5483
    (804)243-5480(ファクス)
  ワシントン大学シアトル校 スーザン・スピーカー
    (206)543-8453
    (206)685-3349(ファクス)
  ウィスコンシン大学マディソン校 デボラ・ロウ・ヴァンデル
    (608)263-1902
    (608)263-6448(ファクス)
  テンプル大学 マーシャ・ワインラウブ
    (215)204-7183
    (215)204-5539(ファクス)

  運営委員会委員長
    ヘンリー・N・リチウティ(1991~1993年)
    ベッティ・コールドウェル(1993~1995年)
    ルイス・P・リプシット(1995~現在)

「乳幼児保育に関するNICHDの研究」出版・プレゼンテーションの参考文献

  1) "Child Care During the First Year of Life"。1997年 第43号 「Merrill-Palmer Quarterly」掲載。340~360頁
  2) "Characteristics of Infant Child Care::Factors Contributing to Positive Caregiving"。1996年 第11巻「Early Childhood Research Quarterly」掲載。269~306頁
  3) "Familial Factors Associated with Characteristics of Non-maternal Care for Infants"。1997年 第59巻「Journal of Marriage and Family」掲載。389~408頁
  4) "Poverty and Patterns of Child Care"。「Consequences of Growing up Poor」収録。発行所:ラッセル=セージ(ニューヨーク)。発行年:1997年
  5) "Child Care and Child Development. The NICHD Study of Early Child Care』。S. L. フリードマン、H. C. ヘイウッド編「Developmental Follow-Up: Concepts, Domains and Methods」(1994年)収録。377~396頁
  6) "Child Care Debate:Transformed or Distorted? "。1993年 第48号「American Psychologist」掲載。692~693頁
  7) "Child Care and the Family: An Opportunity to Study Development in Context"。 児童発達学会 ニュースレター。1996年春号。4~7頁
  8) "Infant Child Care and Attachment Security::Results of the NICHD Study of Early Child Care"。1997年 第68(5)号「Child Development」掲載。860~879頁
  9) "When Child-Care Classrooms Meet Recommended Guidelines for Quality"。   1998年11月開催、米国児童教育協会でのプレゼンテーション
  10) "Relations Between Family Predictors and Child Outcomes:Are They Weaker for Children in Child Care"。「Developmental Psychology」印刷中
  11) "Infant Child Care and Qualities of Mother-Infant Interaction at 6 and 15 months"。「Developmental Psychology」掲載のため寄稿
  12) "Child Care and Mother-Child Interaction at 24 and 36 Months"。「Developmental Psychology」掲載のため寄稿
  13) "Early Child Care and Self-Control, Compliance and Problem Behavior"。「Child Development」印刷中
  14) "The Relationship of Child Care to Cognitive and Language Development"。1997年4月3~6日開催、児童発達学会会議にて発表。1997年ワシントンDC

※「小児科診療」第63巻-第7号(診断と治療社)より抜粋

07
「子ども学」によって21世紀こそ子どもの世紀にしよう
   ―パラダイムの転換を求めて―

 スウェーデンの女性思想家Ellen Key(1849-1926)は、1900年に「児童の世紀」"Barnets dr hundrade"を刊行し、20世紀は「児童の世紀」(子供の世紀)にしなければならないと論じた。すでに50歳に達した彼女は、1870年代ヨーロッパ各国で起こった、教育制度を整理・拡大・充実し義務教育化する動きを見て、20世紀こそ、子どもが幸せに育つ平和な社会を築かなければならないと考えたものと思われる。

 しかし、今20世紀を終わりつつある現在、わが国の子どもたち、さらには先進国の子どもたちにとって、今世紀は良い世紀だったといえるだろうか。もちろん発展途上国では、事態はさらに深刻である。筆者は、子どもたちの問題ばかりでなく、今世紀末の湧き出た社会の諸問題を考え合わせると、子どもを対象とする学問体系の専門家がパラダイムを転換して、一堂に会して話し合う必要があると考える。そのような、学問的な話し合いの場を形成する理念的な柱として「子ども学」を提唱してきた。

  本文では、なぜそれが求められるかを論じたい

    1.人間の歴史の中での「今」を考える。
    2.20世紀末の兆候
    3.パラダイムの転換を求めて
    4.「子ども学」―子どもに関係する学問にもパラダイムの転換が必要

08
21世紀は子どもの世紀にしよう、新しいミレニアムのために

 平成12年は、新しいミレニアム(千年紀)の始まりであり、20世紀最後の年でもある。千年紀も世紀も、17世紀以後の考えでキリスト教文化に基づく。キリスト誕生から100年を1単位とするのが世紀、1000年をそれとするのが千年紀は御存知の通り。1000年はキリストの到来(復活)から再来(再臨)までの期間である。

 ミレニアムについて言えば、紀元前の歴史のない神話の時代を脱却して、キリスト教を初め世界的宗教が体系づけられ、エジプト・ギリシャの古典文化が築かれたのが第1である。勿論、キリスト誕生からと厳しくとれば、紀元前の神話時代を第1とすることも出来よう。それに続く第2(?3)の国家が組織され、文化が文明化したミレニアムが終わった。

 第2のミレニアムで人権が確立したことは、近代国家の成立にとっても重要であった。そもそもは、800年程前、イギリスでマグナカルタによる貴族・僧侶の権利主張が始まりで、アメリカの独立戦争やフランス革命によって、200年前にそれが市民の権利に拡大した。しかし、それは男性の権利にすぎなかった。第2次世界大戦後やっと女性の権利(1975)、最後に子どもの権利(1989)が、いずれも国連によって確立され、やっと新しいミレニアムに間に合ったのである。

 この新しいミレニアムの始まりの年が、20世紀最後の年というのは、子どもの権利からみても意義がある。20世紀冒頭に、スウェーデンの女性社会学者・教育者のケイは、「20世紀を子どもの世紀にすべき」と述べているからである。

 20世紀に近くなって、やっと子どもは社会的地位を持ち、アイデンティティが認められ、子どもにとって今世紀は明るく見えたのである。しかし、前半では2つの大戦、しかも子どもや女性を巻き込む悲惨な戦争であった。後半になって先進国は、科学・技術の力で豊かな社会を享受したものの、子どもの心の苦しみや悩みはかえって強くなっている。さらに、後進国にいたっては、民族戦争が相次ぎ、貧困と飢餓で、子どもの心と体の健康は損なわれている。子どもの世紀とは、ほど遠い現実なのである。

 21世紀こそ、子どもの権利を尊重し、真の子どもの世紀にして、新しいミレニアムの基盤を創り上げなければならない。子どもに関心をもつ全ての大人は、子ども達に何をすべきか、それぞれの立場で世紀末の混乱に学び、20世紀最後の年にあたり熟考すべきである。

09
-新・こどもは未来である-

   日付   タイトル
  2001/03/16 国際児童年におもう-2
  2001/03/02 国際児童年におもう-1
  2001/02/16 おしおきの病理学-2
  2001/02/02 おしおきの病理学-1
  2001/01/19 母と子の人間関係が乱れる-2
  2001/01/05 母と子の人間関係が乱れる-1
  2000/12/22 父親の出番-2
  2000/12/08 父親の出番-1
  2000/11/24 わが子も他人-2
  2000/11/10 わが子も他人-1
  2000/10/27 母親からもらったフローラ-2
  2000/10/13 母親からもらったフローラ-1
  2000/09/29 わが子を守る母親の免疫抗体-2
  2000/09/14 わが子を守る母親の免疫抗体-1
  2000/09/01 コミュニケーションは、こうして-2
  2000/08/18 コミュニケーションは、こうして-1
  2000/08/04 言葉は引っぱり出される-2
  2000/07/21 言葉は引っぱり出される-1
  2000/07/07 言葉も育つ-2
  2000/06/23 言葉も育つ-1
  2000/06/09 こどもとあそび-2
  2000/05/26 こどもとあそび-1
  2000/05/12 赤ちゃんも「考える人」-2
  2000/04/21 赤ちゃんも「考える人」-1
  2000/04/07 生きていることをたしかめる指しゃぶり-2
  2000/03/24 生きていることをたしかめる指しゃぶり-1
  2000/03/10 ねる子は育つ-2
  2000/02/25 ねる子は育つ-1
  2000/02/10 赤ちゃんは笑って行動する-2
  2000/01/28 赤ちゃんは笑って行動する-1
  2000/01/14 よく泣く子と泣かない子-2
  1999/12/24 よく泣く子と泣かない子-1
  1999/12/10 人生ではじめての社会行動はうぶ声-2
  1999/11/26 人生ではじめての社会行動はうぶ声-1
  1999/11/12 愛情も栄養となる-2
  1999/10/29 愛情も栄養となる-1
  1999/10/15 母親の心音をきいて、やすらかに-2
  1999/10/01 母親の心音をきいて、やすらかに-1
  1999/09/10 においも母と子のきずなを強くする-2
  1999/08/27 においも母と子のきずなを強くする-1
  1999/08/13 目と目でたしかめる母と子の愛-2
  1999/07/30 目と目でたしかめる母と子の愛-1
  1999/07/16 肌からはじまる母と子のきずな-2
  1999/07/02 肌からはじまる母と子のきずな-1
  1999/06/18 わが子をだくこと、母親になること-2
  1999/06/04 わが子をだくこと、母親になること-1
  1999/04/02 母乳にかわるもの、ミルク-2
  2001/12/12 母乳にかわるもの、ミルク-1
  1999/03/05 育児のために自然はあらゆることをする-2
  1999/02/19 育児のために自然はあらゆることをする-1
  1999/02/05 母親にもマザーリングを-2
  1999/01/22 母親にもマザーリングを-1
  1999/01/08 母乳は赤ちゃんのフルコース-2
  1998/12/11 母乳は赤ちゃんのフルコース-1
  1998/11/27 母乳の成分に人間の文化がある-2
  1998/11/13 母乳の成分に人間の文化がある-1
  1998/10/30 人生の4分の1をかけておとなに-2
  1998/10/15 人生の4分の1をかけておとなに-1
  1998/10/02 こどもは未来のはじまり、愛は偶然を決める-2
  1998/09/18 こどもは未来のはじまり、愛は偶然を決める-1

10
-「子ども学」事始め-

   日付   タイトル
  1998/09/04 子どもの権利を考える
  1998/08/28 「日の丸」「君が代」問題を考える
  1998/08/21 ムカつきキレる子どもたち
  1998/08/14 チャイルド・エコロジーの立場から
  1998/08/07 チャイルド・エコロジーとは
  1998/07/31 登校拒否と不登校
  1998/07/17 「いじめ」の構造
  1998/07/03 臨床教育学①-いじめ
  1998/06/12 臨床教育学と教育学的小児科学
  1998/05/22 発育は相互作用で支配
  1998/05/08 発育現象に臨界期
  1998/04/10 「発育の原則」その2
  1998/03/13 5つある「発育の原則」
  1998/02/20 子どもの育つすがたを表す言葉
  1998/01/30 人間の体内時計
  1998/01/09 「子どもの行動問題と生活リズム」
  1997/12/19 プリクラの流行
  1997/12/05 いじめ発生の基盤
  1997/11/21 友達づくりの発達
  1997/11/07 母子相互作用と言葉の発達
  1997/10/24 アイ・トゥー・アイ・コンタクト
  1997/10/09 母子相互作用と母乳哺育
  1997/09/26 スキンシップの意義
  1997/09/12 母子相互作用
  1997/08/29 脳を揺さぶる優しさ
  1997/08/15 優しさの効力
  1997/08/01 感性情報の役割
  1997/07/25 子どもの生活リズムと行動問題
  1997/07/18 母と子のチークダンス
  1997/07/04 生活環境から情報
  1997/06/20 心にもプログラム
  1997/05/09 生きる力はプログラム
  1997/04/04 インフォメーション・シーカー
  1997/03/18 人類進化の流れと子ども達
  1997/02/26 多様性の生物学的基盤
  1997/02/13 子どもへのまなざし
  1997/02/05 何故子ども学か

何故子ども学か
  -生物学的存在として生まれ 社会的存在として育つ- …… 特別に掲載する

 読者の中には、「子ども学」というと、おやっと思われる方が沢山おられるに違いない。筆者は、こんな考えで、「子ども学」を提唱しているのです。

 子ども達のために、何かをしたいと考える方々は、この世の中に沢山おられます。筆者の様な小児科医は勿論のこと、学校や幼稚園の先生、保育園の保母さん、そして当然のことながら親ごさんです。子どもの生活に関係しては、本・おもちゃやテレビ・ビデオ・ゲームを作る人達も、また、洋服・靴、更にはお菓子を作る人達もいます。そんな、子ども達に直接・間接に関係する人達は、夫々の立場で、これからの未来を託す子ども達のことを、良かれと考えているのです。

 そういう人達の学問的背景には、いろいろな学問体系があります。まず、発育学・心理学・教育学・保育学・育児学、そして小児科学・小児保健学も当然あります。更に間接的には、栄養学・法律学・社会学・工学・建築学なども関係してきます。考えてみれば、関係する分野には限りがありません。

 専門の立場で子どものことを研究なさっている方々は、夫々の学会で成果を発表し、基盤となる理念を討議し、意見を交換することが出来ますが、専門を越えて広く一緒になって、それをするとなると、なかなか機会はありません。それを解決するには、学際的に夫々の専門家が一堂に会して基盤理念を話し合うことが第一です。それを可能にする学問的基盤が「子ども学」なのです。

 「子ども学」の柱には、「子どもは生物学的存在として生まれ、社会的存在として育つ」という事実に対して、学問的にどのように対応するか、が重要と思うのです。この生物学的側面と社会的側面はインタラクティブで、それを切り離すことなく、総合的・統合的に捉えなければなりません。それが「子ども学」にかせられていると思います。

 「子ども学」という言葉を用い本を作ったのは恐らく筆者が始めてではないかと思いますが、自信はありません。1985年、小嶋謙四郎先生・原ひろ子先生・宮沢康人先生と計って、「新子ども学」を出版しました。「新」とつけたのは、子ども学という言葉を使ったのは、私が最初かどうか自信がなかったからです。本書は、「育つ」「育てる」「子どもとは」の三部からなり、子どもの生物学的側面と社会的側面をカバーすることを目的としたのです。これを出版したのは海鳴社で、この本で表彰をうけました。

 爾来「子ども学」という考え方は次第に普及し、数年前には、ベネッセ・コーポレーションから季刊誌「子ども学」が出版されるようになりましたし、甲南女子大学からは定年退官後の私に「子ども学」の講義の依頼がまいり、昨年四月から始めているところです。その上、大学に国際子ども研究センターをつくる話が始まっています。

 更に私にとって嬉しいことは、「子ども学」の新しいタイプの研究所が作られたことです。子どもに関係する研究は、夫々の分野で大学なり研究所などの沢山のところで行われています。何を今更と思われる方々もおられるのは当然のことです。私の研究所はシンクタンクの様なもので、インターネットで、あちこちで行われている研究ばかりでなく、子どもに関係する現場の情報も集め分析すると共に、国内・外の関係と交流するのが目的なのです。

 この考えは、1991年、特別講演で招かれた子どもに関する国際会議で、話し合った時に出たものです。来るべきマルチメディア時代にそなえて、インターネットを利用した、サイバー研究所と言えましょう。幸い福武教育振興財団、ベネッセ・コーポレーションの絶大な御支援をいただく事が出来、チャイルド・リサーチ・ネット・CRN(Child Research Net. http://www.crn.or.jp/)として出発したところです。国内では「マルチメディア時代の子ども達」「いじめ問題」をとり上げ、やりとりが始まったところです。国外でも、ノルウェーとリンクして、「マルチメディア時代の子ども達」を始めたところで、これからが楽しみです。

 「子ども学」は、まだ十分に体系づけられたものではありません。ただどなたも、現在の子ども達の問題を考える方は、その必要性をお認め下さると思います。私個人として、上述の実践を通して、「子ども学」を体系づけたいと思いますので、いろいろ御教示下さい。

人類進化の流れと子ども達
  -自然環境、文明に適応してきた人類~宇宙へも生活圏拡大- …… 特別に掲載する

 子どもの多様性を筆者が強調し、その生物学的基盤まで論じようとするのは、目の前にいるのがどんな子どもであっても、教育現場では優しい目なざしを持ってもらいたいからなのです。子どもの現在からは、後の人生の在り方を予知することは困難であり、次の世代になるとほとんど不可能といえるのではないでしょうか。その上これからの教育のあり方を考えるためにもこの問題を人類進化の流れの中で考える必要があると思うのです。

 そもそも生命の始まりは、45億年もの前に、この宇宙に地球が現れ、そこに存在した原子がお互いに反応し始め、化学進化、分子進化をおこし、生命の基本となる複合分子が出来たのです。そして、40億年前に単細胞のかたちをとり、7億年前にやっと多細胞に進化したのです。

 有性生殖は、5億年前に始まり、多様性の幅を多きくし、進化を加速させ、4億年前に脊椎動物を、そして3億年まえには哺乳動物を進化させたのです。

 哺乳動物が、生殖細胞(卵子・精子)を作る時、うけついだ雄・雌の染色体をランダムにふり分けるばかりか、その一部をキアズマとして切り張り交換までする仕組みは、恐竜の絶滅後6千万年の間に出来上がり、哺乳動物の多様化の原動力になったと言われています。それなくしては、人類は現れなかったのではないでしょうか。

 その流れの中で、哺乳動物のひとつが猿類に進化し、それが人類の原型となる猿人(ホモ・ハビルス)としてアフリカに現れたのが4百万年前のことでした。そして、原人、古代型ホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、新人(クロマニオン人)と進化し、われわれ現代人になったのです。

 長い進化の歴史の中では、突然変異が多様性に関与していることも考えなければなりません。即ち、遺伝に関係する物質が、紫外線・X線・化学物質などによって、量的・質的に変化することです。それが大きければ、生命維持は不可能でしょうし、小さくても、生存に支障を来たす場合も勿論ありましょう。

 しかし、逆に、生存に有利な場合もあり、世代を越えて、それが遺伝される場合も有り得たのです。

 アフリカ中央部に現れた祖先は、何かを求めて、いろいろな方向に歩き始めた様です。百万年程前には、現在の中近東に入り、さらにひろがり、アフリカは勿論のこと、中近東・ヨーロッパ・アジアの各地に定住していったのです。そして、われわれの祖先は、多様性に助けられ、子どもを生み育てながら、世代を繰り返し、生き続けてきたのです。

 その過程の中で、まず自然環境に適応することが第一であったに違いありません。それにこそいろいろな手段で現れた多様性が重要な役を果たしたのです。アフリカに住みついた祖先は、強い太陽光線に適応出来る、皮膚色素の少しでも多いものが、逆にヨーロッパでは、弱い光線でも生活出来た色素の少ない人間が生き残ったと考えられるのです。すなわち、自然淘汰・適者生存の結果、いわゆる白色人種がヨーロッパ中心に、黒色人種がアフリカ中心に、その中間としての黄色人種がアジア中心に現れたことになります。

 人間は、自然環境ばかりか、自らが創造した文化・文明にも、広い意味で適応しなければならなかったのではないでしょうか。2百万年前の石器、ネアンデルタール人の埋葬、クロマニオンの洞窟絵画などは文化・文明の始まりと言えますが、それが道具の発達、家族や社会の形成にと発展し、現在の文化・文明に繋がっているのです。勿論、その基盤には、人類の脳、特に大脳前頭葉の発達があります。

 このような進化の流れの中でも、生命の「かたち」の多様性、そのひとつとしての人間という生命体としての多様性、そして子どもの多様性も捉えることが重要なのではないでしょうか。化学進化・分子進化で出来上がった、核酸(遺伝子)で代表される生命の複合分子は、この地球上に現れて以来、自らが生きのびるために、いろいろな生きものの「かたち」をとって来たとも言えるかも知れないのです。

 そのひとつとして現れた人間は、技術を開発し、道具としての機械を発達させ、海も制覇し、地球全体に住みついて、今や極地、深海ばかりでなく、宇宙にまでも生活圏をひろげようとしているのです。ですから21世紀を生きていく子ども達は新しい生き方が求められているのです。


小林登文庫
-育つ育てるふれあいの子育て-
   https://www.crn.or.jp/LIBRARY/KOBY/KOSODATE/index.html
小林登文庫
-「子ども学」事始め-
   https://www.crn.or.jp/LIBRARY/KOBY/HAJIME/index.html
小林登文庫
   https://www.crn.or.jp/LIBRARY/KOBY/index.html

「子ども学」によって21世紀こそ子どもの世紀にしよう―パラダイムの転換を求めて―