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続折々の記 2019⑧
【心に浮かぶよしなしごと】

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           若者の凄いエネルギー  親から学ぶ
               囲碁の天才少女、10歳で最年少プロに 名人も手腕評価
               「井山先生みたいになりたい」仲邑菫さん家族の一問一答
               「AIが壊れた」観戦陣騒然 井山名人の「神の一手」
               囲碁界がスマホ規制 超人AIの設計図公開で反対論一転
           Something greatの願い(1)  FONT SIZE=1 COLOR=DARKRED>命のすべて

【 03 】10/11~

 10 11 (金) 若者の凄いエネルギー     親から学ぶ

昨日同じタイトルで取上げました。 その中で 「囲碁の天才少女、10歳で最年少プロに」 を紹介しましたが、実は私はこのような子どもを養育したご両親の育児に注目したかったからでした。

親の取り組み方によって、ジツコ・スセディック(旧姓:館林実子)さんのように四人の子供たちを素晴らしい若者に養育することもできるのです。 そうでなくて、子供の将来のために我が子をどのように養育したらいいかは、両親が考えなければならないことですね。

このことが、 「子供の望ましい成長を願う」 多くの親の共通意識になっておりません。 政治家にしても、文科省の官僚にしても、評論家にしても、教育に携わる人たちですら、少しもこの線に沿った提案をしていません。 これは、重大な認識不足と言わざるを得ません。

国の方針も、世間一般の両親の 「子供の養育をどのようにしたらいいか」 についての潮流もありません。

だから、子供の養育を考える人は個人の養育法をとっているのです。 当然といえば、これも当然です。

だが、戦前生まれの人たちは、北海道の稚内の人も沖縄の西表島の人も、だれでも文部省唱歌をいつでも合唱できるではありませんか。

この考え方は、専制国家の特徴といえばそうも言えるのですが、悪いことと考えるばかりでは融通も何も成り立ちません。

いいことはみんなに流布すべきなんです。 これもテンデンカッテが基本でしょうが、皆で幸せになろうというのも大事な心掛けです。 宗教の根底にあるのは、黄金律であることも知れば知るほど大事な心掛けなんですね。

仲邑なかむらすみれさんを育てた両親についても学んでみましょう。 動画と画像がありますのでみんな視聴するといいと思います。

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朝日デジタル
囲碁の天才少女、10歳で最年少プロに 名人も手腕評価
  2019年1月5日14時38分
  https://digital.asahi.com/articles/ASM143607M14UCVL003.html
【動画】史上最年少の10歳でプロ棋士になる仲邑菫さんらが会見=瀬戸口翼撮影
【画像】プロ入りが決まり、記者会見に臨む仲邑菫(なかむら・すみれ)さん(中央)。右は父の信也九段、左は母の幸さん=2019年1月5日午後2時46分、東京都千代田区の日本棋院、飯塚晋一撮影
【画像】プロ入りが決まり、記者会見に臨む仲邑菫(なかむら・すみれ)さん=2019年1月5日午後2時44分、東京都千代田区の日本棋院、飯塚晋一撮影
【画像】プロ入りの記者会見に臨む仲邑菫(なかむら・すみれ)さん=2019年1月5日午後2時9分、東京都千代田区の日本棋院、飯塚晋一撮影
【画像】プロ入りの記者会見が終わり、父の仲邑信也九段(右)を見つめる菫(すみれ)さん=2019年1月5日午後2時36分、東京都千代田区の日本棋院、飯塚晋一撮影
【画像】記者会見に臨む仲邑菫(なかむら・すみれ)さん(右から2人目)。右端は父の信也九段、左から2人目は張栩名人=2019年1月5日午後2時31分、東京都千代田区の日本棋院、飯塚晋一撮影

 今春、日本囲碁界で史上最年少の10歳のプロ棋士が誕生する。大阪市此花区の小学4年生、仲邑菫(なかむらすみれ)さん(9)で、囲碁先進国の韓国で修業を積み、「世界一になる逸材」として、日本棋院が新設した小学生までの採用制度「英才特別採用推薦棋士」の第1号として迎えられる。

   「井山先生みたいになりたい」仲邑菫さん家族の一問一答  別掲
   「AIが壊れた」観戦陣騒然 井山名人の「神の一手」  別掲
   囲碁界がスマホ規制 超人AIの設計図公開で反対論一転  別掲

 日本棋院が5日に発表した。菫さんは、4月1日付、10歳0カ月で日本棋院関西総本部(大阪市)の所属棋士になる。9年前、11歳6カ月でプロ入りした藤沢里菜女流本因坊(20)を抜く最年少記録となる。

 プロ棋士の仲邑信也九段(45)と、囲碁の元インストラクターの幸(みゆき)さん(38)のひとりっ子。幸さんの手ほどきで3歳で碁を覚え、7歳から一家3人で韓国・ソウルに渡って修業。日本での義務教育履修のため日韓の往復生活を続けた。幸さんによると、菫さんはすぐに韓国語を覚え、両親の通訳にもなっているという。一昨年、現地の小学生低学年のチャンピオンに。昨年、韓国棋院のプロ候補生である研究生になった。

 韓国で“囲碁漬け”の日々を送ってきた。平日は名門「韓鐘振(ハンジョンジン)囲碁道場」で、週末は韓国棋院で対局を重ねてきた。現地のプロ志望の子どもたちは朝、学校に顔を出すとすぐに道場に向かい、夕方まで囲碁の勉強をする子が多い。

 「子どもたちの囲碁環境が日本と全く違う。あれを見て、菫が世界を狙うには韓国で勉強させなければと思った」と、父の信也九段が言う。根っからの負けず嫌いで、負けると大泣きする。その勝負魂が道場で高く評価されている。

 道場を主宰する韓鐘振九段は「菫の才能は、現在の女流世界一である韓国の崔精(チェジョン)九段(22)に劣らない。むしろ上達のスピードは崔より速い。このままいけば女流の世界チャンピオンになるのはもちろん、男性のトップ棋士とも対等に戦えると思う」と話す。

 先月、一家は日本に帰国。日本棋院は採用にあたって菫さんに張栩(ちょうう)名人(38)と対局させた。あらかじめ下手が盤上に石を置き、圧倒的に有利な状態で打ち始める「置碁(おきご)」ではなく、より互角に近い「黒番逆コミ」の手合で打ち、引き分けに持ち込んだ。「衝撃的でした。うわさには聞いていたが、想像以上にすごい子。小学生時代の井山(裕太五冠)さんと打ったことがあるが、当時の彼より上をいっている」と張名人は言う。

 かつて世界最強だった日本囲碁界は、1990年代から中国や韓国に押され、2005年の張栩名人を最後に、世界メジャーのタイトルから遠ざかっている。危機感を持つ日本棋院は先月、将来の大器と見込む子どもはプロ試験を経ずとも採用する英才推薦制度を新設。その第1号として菫さんが候補に挙がり、張名人、井山裕太五冠(29)らタイトルホルダーと高尾紳路元名人(42)らナショナルチームのコーチがお墨付きを与えた。4月以降、菫さんをプロ棋戦に出場させて鍛え、世界タイトル奪還をめざす。

 菫さんが尊敬し、目標とする棋士は、同じ関西の井山五冠。好物は焼き肉、キムチチゲ、好きな教科は体育、得意な教科はなし。この日、東京・市ケ谷の日本棋院本院で会見し、はにかみながら「これからよろしくお願いします」「がんばります」とあいさつ。囲碁の魅力について「勝ったときはうれしいです」「中学生のうちにタイトルを取りたいです」「井山先生みたいになりたいです」と、質問ごとに考え考え話していた。

 同行した母の幸さんによると、「外面はいいんです。家では関西弁や韓国語でずっとしゃべり通し」。幸さんはアマ高段者の実力の持ち主だが、3歳で教えてから、娘との対局ではわざと負けて、勝つ喜びを味わわせることに気をつかった。囲碁に集中させるため、自宅にはテレビを入れていない。

 英才制度の創設を主導した日本棋院副理事長の小林覚九段は「いまの日本の囲碁界は世界に遅れをとっている。これを打開するために、才能のある人は早くプロのステージに上げる必要がある。菫さんは期待に応えてくれる可能性が非常に高いと考えている」と話した。

 韓国のプロ入り最年少記録は曺薫鉉(チョフンヒョン)九段(65)、中国は常昊(じょうこう)九段(42)。それぞれ9歳でプロ入りし、ともに世界チャンピオンとして大成している。(大出公二)

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① 別掲
「井山先生みたいになりたい」仲邑菫さん家族の一問一答
   村上耕司 2019年1月5日17時46分
   https://digital.asahi.com/articles/ASM155CXWM15UCVL007.html?iref=pc_extlink

【動画】史上最年少の10歳でプロ棋士になる仲邑菫さんらが会見=瀬戸口翼撮影
【画像】プロ入りが決まり、記者会見で記念撮影に臨む仲邑菫(なかむら・すみれ)さん(左)と父の信也九段=2019年1月5日午後2時53分、東京都千代田区の日本棋院、飯塚晋一撮影

 仲邑菫(すみれ)さん(9)は記者会見後、父親の信也九段(45)と母親の幸さん(38)と3人で囲み取材に応じた。一問一答は次の通り。

 ア 「盤上に構想ある」 張栩名人、仲邑菫さんの碁を語る   クリック
 イ 囲碁の天才少女、10歳で最年少プロに 名人も手腕評価  クリック

――プロになった感想を一言

菫 頑張ります。

――いつごろからプロになりたいと思いましたか

菫 はっきり覚えてない。

――菫さんが一番最初に碁に興味を持ったのはいつ、どんなシチュエーションでしょうか

幸 父親が囲碁棋士なので、いつも家で勉強していまして、気がついたら碁盤と碁石がそこにあって、お父さんが碁を並べてるなあとか。私自身も囲碁ができますので、私が最初に娘と打ち始めたという感じです。

――実際に盤で打ち始めたのは何歳くらいでしょうか

幸 娘が3歳になったときに私がルールを教えて、すぐに9路盤で終局出来るようになったものですから、そこから毎日、私が9路盤で何回も対局して、徐々に打てるようになってきました。

――お母さんはアマで何段くらいでしょうか

幸 五、六段くらいです。

――囲碁以外では友達とどんな遊びをしますか

菫 休み時間は外で遊びます。

――お嬢さんとしてはどんな性格のお子さんでしょうか

信也 とても気が強いと思います。

幸 とても負けず嫌いなので、囲碁にはいいかなと思うんですが、ちょっと性格がきつすぎて、性格が悪いなと思うこともあります。

――どれくらいでお母さんより強くなりましたか

幸 2年前に一度、関西の方でペア碁があって、一人は大人で一人は子どもという大会に一度だけ六段同士で出て優勝したことがあったんですけど、そのときは私といい勝負かなと思っていたんですが、終わってみたら、私が変な手ばかり打つから腹が立ったと。それが2年生の夏だったので、1年半くらい前。それからはほとんど打つことがなかったので、そのころには抜かされていたのかなあという感じです。

――囲碁はどんなところが面白いですか

菫 勝ったときはうれしいです。

――AI(人工知能)は使っていますか。

信也 AIは使って検討しています。

――家でテレビは見るんでしょうか。そのときはどんな番組を見ますか。

信也 テレビがないんで見てないです。

幸 埼玉から大阪に移るときに捨てていきました。もともと私たちはあまり見ないので。碁の勉強をするのにテレビは必要ないかなということで。

――1日何時間くらい碁の勉強をしていますか。

信也 学校に行っているときは6時間くらい、学校が休みのときは9時間くらいです。

――タイトルをどれくらいで取りたいと思いますか

菫 中学生ちゅうです。

――将来どんな棋士になりたいですか

菫 井山先生みたいになりたいです。(村上耕司)

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② 別掲
「AIが壊れた」観戦陣騒然 井山名人の「神の一手」
   大出公二 2018年10月17日13時35分
   https://digital.asahi.com/articles/ASLBK11MJLBJUCVL050.html?iref=pc_extlink

【画像】感想戦に臨む張九段(右)と井山名人=2018年10月16日午後、甲府市湯村の常磐ホテル、迫和義撮影

 名人から絶妙手が繰り出されたその時、囲碁AI(人工知能)は着手の意味を理解できず暴走した。井山裕太名人(29)に張栩(ちょうう)九段(38)が挑戦する第43期囲碁名人戦七番勝負第5局(主催・朝日新聞社、協賛・株式会社 明治、マニフレックス)は、戦いが終息したと思われた終盤になって、劣勢の名人の勝負手をきっかけに誰も想像できない大変化が次から次に起き、まれに見る激闘となった。

 ウ 逆転、そしてまた逆転 囲碁名人戦の詳細はこちら   クリック


 これまでの4局は序盤から布石そっちのけの接触戦が目立ったが、本局は両者とも手堅く手を進めて終盤を迎え、双方の陣地の境界線を定めるヨセに入ると思われた。2人の戦いにしては地味な進行で、控室の検討陣は心なしか静かだった。

 対局2日目の16日午後3時過ぎ。実利で挑戦者に先行されていた名人が動いた。右辺で仕掛けたコウに勝ったものの、代償に実利を上積みされた。もう陣地の広さの勝負では勝てない。どこかでパンチを入れて、相手の白石をごっそり取らなければならない。名人はその一発にかけた。

 それが図1。盤上、△の白の二つの一団が心もとないが、検討陣はどちらも殺されるほど弱くなく、名人の狙いは不発に終わると見ていた。検討をサポートするAIが示す挑戦者の勝率も90%近くを示していた。

【画像】「神の一手」から盤上流転の大激戦

 午後4時12分、すでに持ち時間8時間の大半を使い切り、秒読みに入っていた名人が199手目を▲に打った。

 「これ、どうなの? ダメでしょ」。立会人の王銘琬(おうめいえん)九段(56)が控室の碁盤に想定図を並べながら言う。しかし、この手を挑戦者がかわすはっきりした手が見えない。「意外と難しいな」。検討に加わった新聞解説の蘇耀国(そようこく)九段(39)が、AIの読み筋を見ようとパソコンの画面に目を向けて、叫んだ。「AIが壊れた」

 通常、AIは次の一手の候補手を数手に絞って読みを掘り下げていく。ところが、この時AIは盤上にまだ石の置かれていないありとあらゆるところに手をつけ、めちゃくちゃな読み筋を示していた。着手の意図が理解できず混乱をきたしたのだ。

 「だめだ。自力で読むしかない」と蘇九段。東京から観戦に来た棋士も検討に加わり、徐々に名人の読み筋が見えてきた。「神の一手だね」。王九段がつぶやいた。▲の一手で、二つの白の一団を同時に助ける手はないのだ。

 挑戦者も▲の価値を理解していた。優勢から劣勢へ。どん底に突き落とされたが、望みは捨てなかった。▲は名手だが、針に糸を通すようなギリギリの手のため、周囲のどこかに白石が配されれば瞬く間にストーリーは瓦解(がかい)する。考慮時間はまだ2時間半以上残してある。「何かあるはずだ」。懸命に読んで繰り出した勝負手のお返しで、再び大変化が起きた。

 それが図2。今度は左上の▲十七子が危ない。すぐ下の黒の一団と握手しなければ生還できないが、タダではつながらず、黒1~3で生死をかけた大コウ争いに発展した。コウに勝つにはよそで相手に連打を許すため、盤上の景色が様変わりしやすい。

 コウが決着した出来上がり図は図3。黒は上辺の△三十二子を掌中に収め、白は左下の▲三十子を取り込み、それぞれ大地が出現。差し引き勘定は白に分があった。

 10年ぶりの名人復位をめざす挑戦者はカド番を一つしのぎ、シリーズ成績を2勝3敗とした。第6局は22、23日、静岡県熱海市である。(大出公二)

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③ 別掲
囲碁界がスマホ規制 超人AIの設計図公開で反対論一転
   大出公二 2018年9月26日15時40分
   https://digital.asahi.com/articles/ASL9R7JQFL9RUCVL00B.html?iref=pc_extlink

【画像】対局後にスマホでAIの分析を見る中国のトップ棋士、柯潔九段(右)。“AI信仰”は急速に広がっている=8月21日、東京都渋谷区
【画像】日本棋院が用意したスマホロッカー。対局前に棋士自身がここに預ける=東京・市ケ谷の日本棋院

 囲碁の日本棋院は来月1日から、棋士が所持するスマートフォンを対局前にロッカーに預ける新規則を施行する。超人的な棋力を持つAI(人工知能)不正利用の予防策。将棋界に続き、AIの脅威は盤外にも波及した。

 エ 名人が非常手段、囲碁名人戦第3局の詳細はこちら  クリック
 オ 観光用スマホまで撤去 トップ棋士が過ごす通信遮断の夜  クリック

 日本棋院はこれまで対局管理規定に「対局者は対局中に、電子機器を使用してはならない」と定めていたが、具体的な予防策は設けていなかった。新たな規定では先の文言に加え「前記の行為を防止するため、対局者は対局開始前に電子機器を備え付けのロッカー等に保管し、対局終了まで取り出してはならない」と定めた。

 現行の規定ではスマホの使用を禁じているものの、棋士は対局室に持ち込み、昼食・夕食休憩時には携行して外出することができる。疑いの目で見れば、対局中にはトイレで、外出中には人目につかない所で進行中の対局をスマホに呼び出し、AIに判断を仰ぐことができる。

 将棋界では、すでに2016年12月から棋士がスマホを預ける規制を導入し、17年10月からはさらに厳格化して金属探知機を使った持ち物検査を実施している。囲碁界が将棋界に倣わなかったのは、超人AIの普及が将棋界に比べ遅れていたからだ。

 当時、囲碁界では英ディープマインド社のAI「アルファ碁」が世界トップ棋士を圧倒。将棋界のAIと同様に超人の域に達していたが、同社はソフトの設計図を公開しなかったため、第三者が複製して利用することはできなかった。しかし今年に入り、ベルギーのプログラマーが開発した「LeelaZero(リーラゼロ)」、米フェイスブック社「ELF(エルフ)」の二つの超人AIの設計図が公開され、事情が一変した。

 日本棋院副理事長の小林覚九段は今夏、超人AI・Leelaがパソコンの盤上に推奨手を示し、十数手先まで読み筋を披露するのを見て驚いた。「すぐに規制しなければならない」と直感したという。外部の協力者からPC画像を電送されることも懸念された。「棋士を信じられないのか」と規制に反対する声も根強かった棋士会も総じて規制に傾き、今回の決定に至った。

強まる危機管理の色合い

 ただ、スマホをロッカーに1個預けても、疑えば2個目のスマホを身に忍ばせている可能性がある。日本将棋連盟と違い、日本棋院は金属探知機による身体検査を導入しなかった。

 小型交信機を忍ばせ外部の協力者からAI情報を入手するなど、様々なケースを考えれば「際限なく規制しなければならなくなる」(団宏明理事長)からだ。

 「棋士の気質からして、故意にスマホを不正に使うことはないと信じる」と小林副理事長。スマホを不正使用した場合は即反則負けとなるが、単に所持が判明した場合、1度目は警告にとどめる。単なる所持でも即反則負けとなる将棋界に比べ、規制は緩やかだ。

 食事休憩の際の外出も禁止していない。将棋界では外出を禁じ、食事は対局場に出前を呼んで済ませる。囲碁界の場合、長くても持ち時間3時間の国際棋戦では、勝敗が決するまで食事休憩をとらずぶっ通しで打つ。世界標準に合わせようと、日本棋院は3時間制では休憩なしの方向で検討しているが、海外にない5時間制や2日制はどうするか、議論に至っていない。

 勝負事でありながら、長く礼節を尽くす芸としてとらえられてきた囲碁の対局に、将棋と同じく危機管理の色合いが強まりつつある。(大出公二)

 10 11 (金) Something great の願い     命のすべて

命とは何か?

いのちとは、Something greatという不思議なエネルギーの力をもったものである。

その目的はと聞かれても判らない。 だが命をもったもの命を授かっているものと言った方がいいかも知れないが、動物も植物も命の原型といえばいいかたねを残してその生を終わりとしている。 種(=命の原型=いのち)を残して枯死することを知ると、いのちの目的は種(いのち)を残し、いのちを伝える……、この一点に集中していると理解することもできる。

種を残す、それはいのちの内実 Something great の目指す方向と理解すれば、そのエネルギーは想像できない程のものであることが、明らかである。

そのストーリーを見ると、タンポポのように風力を利用していのちの伝承をしている(これが偉大な力なのだ)。 美味しい種を結実させるのは、鳥やリスなどによって生きる場所を広げている。 動物にしても雌雄の別があって、このメス・オスの交配によって種を残す方法をとっている。 このメス・オスは植物も同じ方法を使っている。 人間にしても、動植物と同じ方法を使っている。

人間以外の動植物の生態についてはそれぞれの研究分野があって、詳しく実態を調査研究されています。

だが、人間については知能分野が発達し、生体そのものの研究が進んで体すべては細胞によって命まで左右することが明らかになってきている。 細胞構造まで明かされ、普段の生活でみられる知能の開発法や能力練成法、健康開発維持の方法にしても命の内実にまで進化してきました。

人間社会の分野は、ミツバチやアリゴの集団のような社会生活に戻れないという不可逆の孤立化の世界にまで変化してしまったことが大きな相違です。

個人の孤立化は、集団殺戮という闘争世界を繰り広げるようにまでなったのです。

人は植物や多くの動物のように、他人に危害を加えなしに生きることができなくなったのも、命を守り種を残すことができないと考えたからです。 このことに関しては、私たちに残されている歴史を見ていくとはっきりとそのことが残されています。 各地に残されている黄金律がそれです。

もともと、 「命とは何か」 という命題も、私が出会った言葉 「Something great」 にしても、誰にしても、大昔の人の群れで考えたことも、

一つのいのちを授かった(そのものの)自分が 「種(いのち)を残したい」 という いのちに刻印されている不思議な力に導かれて 「生き残りたい」 と願うから ……

モーゼの十戒や黄金律を大事にしたのでしょう。



具体的に見ていきましょう。

芥川龍之介の 「蜘蛛の糸」 は、黄金律にもとづく慈悲の心をもったそのものが糸だという設定の話であった。 犍陀多は罪深い男ながらある時、一匹のクモを踏みつけようとしたが、可哀そうだからやめようと思って踏みつけなかった男でした。

それで地獄の業火の池で喘いているところ、ひとすじの蜘蛛の糸が垂れ下がってきたので、これは有り難いと思いよじ登ってきた。 下を振り向いてみると人が何人も我も我もとよじ登ってくるではないか。 これじゃぁ切れちゃう!

「おーーい、これは俺の糸だぞ! 登ってくるな!」 と一喝した。 途端に糸はきれて再び業火の池へ犍陀多は落ちていった。

蓮池でこれを見ていたお釈迦様は、静かに立ち去った。 人の業はなぜか深い。こんな内容だった。

次は房総の勝浦の亡くなった西江孝之さんの奥方ミチコさんの話です。 脳溢血で言葉を忘れ去った奥さんが旦那さんの並々ならぬ介抱によって少しは回復し、いろいろと絵画を書き残していた。 その中におしゃかさまが出家したときの出馬の絵画が描かれていた。 その絵の片隅にはご主人を見送る王女が小さく書かれている。

出家の決心!  王家に育った彼にとってはただ事ではないはず。 生きものの哀れに直面した発心からである。 それを熱心に描いた絵でした。 倒れて何もかも失った奥さんの心に去来した心が描かれた作品だと思っている。 ちなみに西江さんは仏教を訪ねて生涯を送った方でした。

いのちは本来、助け合って生きようとすることがメス・オスの細胞にインプットされている。 単体の細胞から進化した人も同じに、いのちの発生そのものからすべてのことを学びとって自分を築くようにインプットされています。

40年ほど昔のことでした。 本当かどうか疑わしく思うようなことが放映されました。 その映像はこんな内容でした。 産んでくれた親に育てられたサルは、親がしたように自分で赤ちゃんを育てるようになりますが、赤ちゃんを産んですぐ親が死んでしまったとき、動物園の飼育係は専門で丹精込めて飼育して育てるのです。

そのサルが妊娠し赤ちゃんを産んだ。 ところが、そのサルは驚き跳ね上がって赤ちゃんをほったらかして、あちこちの金網を飛び回って子供を育てようとはしなかったのです。

なぜこんなことになるのか?

自然のままに生まれたサルの赤ちゃんは、無意識だと思うようなことすらちゃんとすべてを学び取っているのです。

いのちというものは、周囲の環境すべてのものをすべてを自分を築き上げるために取り入れるように仕組まれているのです。 この本性は生涯続くのです

NHKの放映ですから、それは保管してあるはずです。

胎児教育に関する本をあれこれ読んでいますと、これが事実だと認めざるを得ません。 ジツコ・スセディックさんの 「赤ちゃんはみんな天才だ」 の中に、言葉を教える(大脳細胞への言葉のインプット法とでもいえます)方法が書かれています。

また、ロシヤの音楽家が演奏会用の曲を練習したその曲を、その子供がピアノを弾くようになってからいきなりその曲を弾いたことがあったという。 その音楽家はその曲を聴いて 「はてな? 聞いたことがある曲だ」 と思い、考えてみるとその曲は自分が演奏会のために何回も弾いた曲で、その時は身ごもっていてその後弾いたこともない曲だった、と思い出したというのです。

これらは胎内の赤ちゃんのことでした。 実は妊娠後5~6年の間は大脳の旧皮質へのインプット時代が続くと考えられるようになってきているのです。 これは能力逓減のグラフとしてとらえられています。 生きる基本はこの時から善悪の篩にかけることなく、すべて自分を築く材料として大脳は処理して真似ていくというのです。 知的なものからしゃべることも、対人情緒反応のことも、人柄もすべて自分を築くように、いのちにインプットされているのです。

声を聴きとったり話をしたりするとき、聴力の能力や声帯の発音能力はある時期を過ぎると、直すことがとても困難になるといわれています。 絶対音感は4~5才を過ぎるとその能力は身につかなくなるとか、日本人にとって英単語のスペルの中の R と L の聞き取りや発音がほとんどできないというのは、この時期を外すと聴力や発声ができない。 体で覚える能力はこうした大脳能力の時期的な限界があるのです。能力限界のバリアといいます。

聴力や発声能力ばかりでなく、満4~5才までの時期が過ぎると、だんだんに大脳の新皮質のインプットに代わってくると言います。 このことが幼児教育と言われる時期の特徴であり、私たち大人は十分承知していなくてはならないのです。

大脳の旧皮質と新皮質の違いはなんであるのか?  赤ちゃんはある程度一人としての意識で生きていくという能力がついてきたときの変化なのです。 自分の判断によって取捨選択し必要だと思うことは大脳へインプットするしそうでないと判断すればインプットしないのです。 この切り替えを親は承知していないと、子供の判断はうまくできなくなるのです。

こまかいことに入りましたが、こうして赤ちゃんは独り立ちの道を進むようになります。

私はこのありさまを、日本語ではごうという表現で表していると考えています。 いのちの始まりの4~5年の間は、人にとって非常に大事な時期です。



いのちは、このようにすべてを自分を築くために自分の環境から積極的に取り入れるようにプログラムされているのです。

いのちはまた、黄金律で説かれるような人が喜ぶようにことも仕組んでいます。

芥川の 「蜘蛛の糸」 とは全く逆の行動を私はとったことがあります。

何かといいますと、人を救おうとしていて自分が死にそうだと直感して救おうとした相手の体を蹴飛ばしていたことです。 これだけじゃなんだかわかりません。 昔は小学校のころ、夏は暑いので学年で天竜川へ水泳に連れて行ってくれたのです。 当時弁天橋付近の天竜川で川遊びをしており水泳が得意だったので、友達との水泳も楽しかったのです。

ところがある日、一人の友達が波にのまれておぼれたのを見てすぐ救いに行ったのです。 友達は 「おぼれる者は藁をもつかむ」 といわれるように私に掻きついた。 助ける方法も知らずに救おうとした私は、これであたふたしてしまった。 これじゃあ死んでしまうという思いが脳裏をかすめ、いきなり友達の体を蹴りつけて放そうとしたのです。 時間にしてみればわずかなことだったに違いはないが、自分の足が川底についたのだ。 よかったという思いとともに、悪いことをしてしまったという思いが頭いっぱいになったのである。 だからそのことはその後ずっと恥ずかしいので黙ったままでした。

その友達とは卒業後クラスも違うし、ほとんど会うことはなかった。 七十過ぎになり、たまたま行き会ったとき話のついでに彼は言いました。 「いのちの恩人だ」 と私に言うのです。 大げさだと思いましたが、そんなことはない、と聞き流しました。 だが、内心恥ずかしかった。 その後彼は亡くなった。 助けるつもりが、恥をかくことになったのである。

それで思うのです。 人はさて死にそうだと感ずると、自分を大事にするという本音がむっくり起きだすものだ、と。 恥ずかしいことだがそれが本音であって、どうすることもできないこととあきらめている。 いのちの本音は死にたくないということだ、と明らめることにしている。 これも、いのちがもっている一面だと言えるのです。



種(いのち)を残す、このことについてどう理解していけばいいのか?

勿論、結婚して子供を養育する、それがいのちを残すことだとはわかっている。 けれど、のことについては人生の面白い夢が与えられていると私は理解している。 誰でも、こうしたい、ああしたい、という希望を持っていることだ。 生物はすべてそうと考えてもいい。 この希望を持っていることが進化として表れていると理解していい。

いのちを残すことを考えていこう。 誰にしてもすべてのものに対しての愛着を持っている。 持ち物では人によっても、好きな人、大事な人という思いがあって違っている。 それは間違いない。 ところが異性が好きになるというとを考えてみると、対象の相手は一人なのだ。 これが問題を醸し出して楽しさも苦しみも生まれてくる。 このことは文学や詩やマスコミどの題材に登場してくる。 多彩な人間模様が描かれたり、現実問題としても現れてくる。

進化にしても人間模様や動物の現実にも、こうしたいろいろな問題が生まれてくる。 この夢とか望みとか希望とか、すべては生物に深くインプットされていると考えてもいい。 さらに言えば、こうしたことすら小さな細胞がもっている。

説明することもないが、西欧の人の文学作品の多くは、愛を取り扱う作品が多い。 東洋の詩には古来の中国の詩句が自然の恩恵を謳歌する表現が多い。 その影響があるのかわからないにしても、日本では万葉集に始まる長歌、短歌、俳句それぞれに自然をたたえたり自然と共生する歌が多い。

こんなことまで入り込むと話の筋道が間違いやすい。もっと端的なことに絞って進めます。

人はだれでも、異性に対しての好き嫌い愛する恋する片思い悲恋などそうしたことに直面する。 いろいろあるにしても、とこかに折り合いをつけて結婚することになる。

不思議なことに10才頃までは異性に対して好き嫌いはあるにしても、性生活を想定する感情は不思議なことにない。 だが、たれでも人として成長し成熟してくると男子は睾丸に精液ができるようになり、女子は卵子が成熟して排卵月経という現象がみられるようになる。 この発達段階に達してから、性に対する恥ずかしさが生まれるし、いわゆる異性に対するいとしい思いから結婚(受精)という過程に達します。

このメス・オスの関係は、動物に共通することである。 植物はメス・オスの関係は受粉という形態によりいのちを残す生物の Something great による本能を遂げるのです。

植物における受精という形態は、これまた不思議な能力を見ることができるのです。 いのちを残すために生存地域を広げる対策(虫媒花・鳥媒花・風媒花)という夢とか希望を実現したのです。 この植物の進化をみると、「どうなっているの?」 と思わざるを得ません。

虫媒花のために、それぞれの花は虫が来るように考えて、いろいろの美しい色の花を咲かせよい香りを放ち甘い蜜を用意したのです。 また、鳥たちが喜んで食べるように、いろいろの味を考え色や形を整え種が熟したころに食べれるように柔らかい果実を用意したのです。 タンポポや杉などたくさん実をつけて風の力で当区まで広がるように考えて種を運ぼうとしたんです。

このように、生物はいのちを残すために、動物にしても植物にしても夢・希望を実現してきたことを理解すると驚嘆のほかはありません。 だからこそ、生物が持ついのちは、 「Something great」( = 何か物凄い不可思議なエネルギー) が本質の実在なのです。 そしてまたそれは、小さな一つ一つの細胞に授かり続けているのです。



いのちを支えるためにどのようにしたらいいのでしょうか?

植物は自然そのものを利用して自分で生きていけれるようにしました。

一番大事なものは太陽でした。 太陽の光や雨温度湿度の気象条件に合わせ、大地から水分や窒素・リン・加里をはじめそれぞれの必要なものを選んで吸収して生きるようにしました。

陸では、この植物を食べて動物が生きていくことになります。 さらに、植物や動物が分解して水に溶けだした窒素・リン・加里などは、雨によって川から海へ運ばれます。

海では、その栄養は植物プランクトンを生じ、海藻などに利用され、食物連鎖により動物プランクトン、魚類などへとつながります。

北米に育ったメタセコイアは想像もできないほどに成長する植物ですが、どうしてそんなに大きくなるのかメタセコイアに聞くしかありません。 そうかと思うと、顕微鏡で見ないとわからないほどの小さいものもあるんです。 あるいはまた、トマトの水耕栽培によると、あの小さいトマトの種から1万3千個のトマトの実をつけたという能力を持っていたりします。

植物や動物の命の支え方には、それぞれの種類によって独特の食べ物、栄養の取り方があり、それぞれ一つの種類を決めて調べれば人が生涯をかけても調べきることができないほど沢山あるでしょう。 私が初めて双眼実態顕微鏡で見たカニムシなど、ほんとに驚いた可愛い虫でした。 調べれば一代かかることになります。

  (続き)  次のページにします。