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続折々の記 2019⑧
【心に浮かぶよしなしごと】

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           ローマ教皇来日   特別ニュース
               ローマ教皇、核廃絶訴え 「核の威嚇に頼り、平和提案できるか」 長崎・広島で
               殉教の丘で
               動かない政治、踏み込む教皇 核軍縮進まず「不信と敵意の増幅、止めなければ」
               ローマ教皇 被爆地からの重い訴え
               被爆者、教皇に願い重ね 「体験語り続ける」「平和願う人の力で必ず核廃絶」
               11月26日 メモ帳

【 08 】11/25~

 11 25 (月) ローマ教皇来日     朝日新聞特別ニュースのまとめ

(1面) ローマ教皇来日 飛び入り朝日新聞ニュース
ローマ教皇、核廃絶訴え 「核の威嚇に頼り、平和提案できるか」 長崎・広島で
   2019年11月25日05時00分
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S14269200.html?ref=pcviewer

 訪日しているローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は24日、被爆地の長崎と広島を訪れて演説し、核兵器の廃絶を強い言葉で訴えた。「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、平和を提案できるのか」と問いかけ、核保有だけでなく核抑止も否定し、米国の核の傘に入る日本を暗に批判した。米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約の崩壊など、核軍縮の後退を懸念し、被爆の記憶継承と団結を世界に呼びかけた。▼2面=踏み込む教皇、6面=社説、27面=被爆者らは

 教皇は同日午前、大雨のなか長崎市の爆心地公園を訪れ、「核兵器に関するメッセージ」を発表。午後には広島市の平和記念公園で「平和のための集い」に出席し、平和を願って演説した。教皇の長崎・広島訪問は、冷戦下だった1981年の故ヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶり。

 フランシスコ教皇は二つの演説で、被爆地を「人間が過ちを犯しうる存在だと意識させてくれる」などと表現。被爆の記憶を継承することの大切さを訴えた。広島では、核兵器について、「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何ものでもない」「使用も所有も倫理に反する」などと非難。長崎では各国の政治指導者に向け、「核兵器は安全保障への脅威から守ってくれるものではない、そう心に刻んでください」と求めた。

 ■「武器開発、テロ行為」

 また、軍拡競争が続く世界の現状を激しい言葉で批判した。長崎では、武器開発について「テロ行為だ」と糾弾した。そのうえで、「軍備拡張競争は貴重な資源の無駄遣いです。(資源は)人類全体の発展と自然環境の保全に使われるべきものです」と指摘した。

 教皇はさらに、二つの演説で、核軍縮をめぐり停滞する国際社会の動きに対し、深い懸念を表明した。長崎では「兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険がある」「多国間主義の衰退を目の当たりにしている」などと指摘。日本政府が署名していない「核兵器禁止条約」にも言及し、教会として「核軍縮と核不拡散に向け、迅速に行動し、訴えていく」と日本政府に行動を促していく決意を述べた。

 広島での演説では、核廃絶に向けた行動がなければ、「次の世代の人々が私たちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう」とも警告した。

 教皇はこの日、環境問題にも触れ、国連で採択された、持続可能な開発目標(SDGs)を、「達成のために真剣に考察しなければならない」と訴えた。(河原田慎一)



(1面) 天声人語
殉教の丘で

 朝の冷たい雨がやみ、午後は一転、陽光に包まれたきのうの長崎市。フランシスコ教皇は集会やミサで「パウロ三木」という名に繰り返し触れた。教皇も足を運んだ西坂公園の日本二十六聖人記念館で評伝を探した

▼三木は、信長に仕えた武将の家に生まれた。父にならい洗礼を受け、イエズス会に入る。だが秀吉が禁教に転じ、1597年、西坂の丘で処刑される。33歳だった

▼記念館内の肖像画は刀を帯びたはかま姿。はり付けの十字架から発せられた最期の言葉が残る。「私は何の罪も犯さなかったが、我が主イエスの教えを説いたから死ぬ。国王(秀吉)と私の死刑に拘(かか)わった全ての人々を赦(ゆる)す」

▼彼を含む26人は後年、聖人に列せられた。館内には梅を描いたステンドグラスがある。処刑の日、梅のつぼみが輝いたと説明が添えられていた。迫害は明治まで続き、犠牲者は推定25万人に。西坂の丘一帯だけで600人に達したという

▼教皇が三木に言及したのは、数えると4度。よほどの思いがあるのだろうか。初めてイエズス会から選出された教皇である。母国アルゼンチンでは政治的迫害を受けた人々をかくまった。教皇となった後もローマ市内の少年院でイスラム教徒の足を洗った。何ごとにも「垣根」を好まぬ人らしい

▼「私たちの世界は手に負えない分裂の中にある」「それは人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまう」。教皇の言葉がいまも耳の奥から聞こえる。宗教の違いを超えて、胸にしみとおる。



(2面) (時時刻刻)
動かない政治、踏み込む教皇 核軍縮進まず「不信と敵意の増幅、止めなければ」

写真・図版  ローマ教皇が24日、長崎と広島を訪れ、国際社会に向けて、核廃絶を進めるための団結を呼びかけた。冷戦終結で進んだ核軍縮のうねりは、自国中心主義がもたらす「相互不信」で停滞する。被爆者たちが訴えへの共感を示すなか、日本政府の姿勢が問われている。▼1面参照

 フランシスコ教皇は24日、激しい雨が降る長崎の爆心地公園に立ち、険しい表情で訴えた。「世界は手に負えない分裂の中にあります」。教皇が訪日して初の一般市民に向けたメッセージに込めたのは、世界の分断への強い懸念だった。

 教皇は演説で、「相互不信が、兵器の使用を制限する国際的な枠組みを崩壊させる」と指摘。「核の理論によって促される、不信と敵意の増幅を止めなければならない」とも訴えた。

 被爆地を前回訪れたローマ教皇は1981年のヨハネ・パウロ2世だ。それから38年、世界は冷戦終結に伴う核軍縮を経験してきた。2009年にはオバマ前米大統領がプラハで「核なき世界」を訴え、廃絶への期待が高まった。16年には現職大統領として初めての広島訪問も実現した。

 だが、17年に誕生したトランプ米政権はイランの核開発を制限した多国間の核合意から離脱。ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約も失効させた。

 平和構築に向けた既存の枠組みが急速に崩れるなか、教皇はこの日の演説で、名指しはせずとも、トランプ氏を念頭に置いていた可能性が高い。それだけでなく、教皇は核廃絶を妨げるものとして、「核の傘」に入りながら平和について語るだけの国々の姿勢も非難した。

 一方で、教皇は相互不信をなくす取り組みは、政治指導者だけの課題ではないと指摘し、こう語った。「すべての人に関わる、これからの世代に対する責務だ」

 今後、核軍縮を再び前進させる妙案はあるのだろうか。教皇は広島で三つの行動を呼びかけた。未来の世代に「二度と繰り返しません」と言い続けるために「記憶すること」。自分だけの利益を追わず、平和に向かって「ともに歩むこと」。そして、原爆と核実験、紛争の犠牲者の名の下に「戦争や兵器はもういらない」と叫び、平和を「守ること」――。

 教皇はこの日、長崎・広島の会場に、仏教や神道など他宗教の指導者も招いていた。自ら唱えた「団結」を求めるかのように、一人ずつと握手を交わした。(河原田慎一)

 ■国境超える発信力に期待

 核兵器廃絶を訴えてきた人たちは、国境を超える教皇の発信力に期待する。

 カナダ在住の被爆者サーロー節子さん(87)は「大変勇気づけられた。核廃絶運動に関わるすべての人を勇気づける内容に心を打たれ、涙なしには聞けなかった。もう一度頑張れそうな気がしました」と話した。

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の田中熙巳さん(87)=埼玉県=は、教皇が説いた各国相互の「信頼関係」の重要性に共感した。「信頼関係がないから核抑止が必要になる。大事だと思っていることをしっかり言ってもらえた」と話した。

 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))の川崎哲(あきら)・国際運営委員は広島で、「長崎のスピーチは政治家に対する内容だったが、広島のスピーチは、戦争を繰り返してはならないと、一人ひとりの情緒に訴えた。長崎と広島をセットで教皇のメッセージと取るべきだ」と話した。「広島の記憶が薄れている、というメッセージとも感じた。広島の価値は世界的な価値であり、戦争を繰り返してはいけない、武器と武力による平和はない、と訴える内容だった」

 教皇のメッセージは、同行する各国メディアなどによって速報された。同行記者の一人、仏のカトリック系日刊紙「ラクロワ」のニコラ・セネゼ記者は「核兵器の使用だけでなく所有も間違っているとして、核保有国への批判をこれまで以上に強めた。最後に核兵器が使用された長崎で訴えたことにも重要な意味がある」と話した。(小川直樹、宮崎園子)

 ■核依存の国、背向けたまま

 教皇のスピーチについて、日本政府関係者は「力強いメッセージだった。日本の考えとは異なる部分もあるが、究極的な目標は共通している」と述べた。

 日本政府は核兵器廃絶を世界にアピールしながら、核兵器禁止条約とは距離を置く。別の政府関係者は「核禁条約についての政府の立場は変わらない。各国それぞれの考えに基づいて行動する、ということだ」と述べた。

 核不拡散条約(NPT)体制は危機にある。トランプ米政権はロシアとのINF全廃条約からの離脱を一方的に表明し、冷戦終結をもたらした同条約は今年8月に失効した。米国は低出力の「使える核兵器」開発も進め、ロシアや中国も対抗措置の構えを見せる。

 核保有国主導の核軍縮が停滞する中で、17年に国連で採択されたのが核禁条約だ。発効には50カ国の批准が必要で、バチカンなど33カ国が批准を済ませたが、核保有国のほか日本、韓国など米国の「核の傘」に依存する国々は背を向けたままだ。

 米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」が1947年から公表する「終末時計」はいま、「核使用のリスクが高まっている」として「地球滅亡まであと2分」と警鐘を鳴らす。米ソが水爆開発を本格化させた53年以来となる危機的状況だ。同誌のレイチェル・ブロンソン最高経営責任者は「教皇の日本での訴えは極めて重要だ。自国の指導者に愛想を尽かした人々に、核問題に関心を持ち続けるよう促すだろう」と話す。(田井中雅人、楢崎貴司、西村圭史)

 ■長崎でのメッセージ(要旨)

 人の心にある深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、最良の答えではありません。

 ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことを証言する町です。軍備拡張競争に反対する声は、小さくとも常に上がっています。軍備拡張競争は貴重な資源の無駄遣いです。世界では何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造や商いに財が費やされ、日ごとに武器は破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。

 核兵器から解放された平和な世界を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。一致団結しなくてはなりません。それは世界を覆う不信の流れを打ち壊す、相互の信頼に基づくものです。

 今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません。兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する国際的な法的原則にのっとり、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていかなければなりません。

 核兵器のない世界が可能であり必要だという確信をもち、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない、そう心に刻んで下さい。

 ■広島でのメッセージ(要旨)

 ここで大勢の人が、その夢と希望が一瞬の閃光(せんこう)と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには異なる言語を話す人たちもいました。

 私は平和の巡礼者として、この場所を訪れなければいけないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、静かに祈るためです。私は、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。

 戦争のために原子力を使うことは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。戦争目的での原子力の使用は倫理に反します。核兵器の所有も倫理に反します。紛争の正当な解決策であるとして、核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるでしょうか。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。

 思い出し、ともに歩み、守ること。これらは、ここ広島において、より普遍的な意味をもち、平和への真の道を切り開く力があります。ここで起きたことを忘れてはなりません。

 原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音(ごうおん)はもういらない! こんな苦しみはもういらない! 破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。



(6面) (社説)
ローマ教皇 被爆地からの重い訴え

 平和の実現にはすべての人の参加が必要。核兵器の脅威に対し一致団結を――。核軍縮の国際的な枠組みが危機にある中、被爆地から発せられた呼びかけをしっかりと受け止めたい。

 13億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇が長崎と広島を訪れ、核兵器廃絶を訴えた。

 教皇は2年前、原爆投下後の長崎で撮られたとされる写真「焼き場に立つ少年」をカードにして教会関係者に配った。今回、長崎の爆心地に立って「核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすと証言している町だ」と語り、「記憶にとどめるこの場所はわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さない」と力を込めた。

 ローマ教皇の来日は1981年以来、38年ぶり2度目だ。前回来日したヨハネ・パウロ2世が平和外交を展開して東西冷戦の終結に影響を与えるなど、教会は核廃絶を含む平和への取り組みを重ねてきた。フランシスコ教皇も米国とキューバの国交回復で仲介役を務める一方、自らが国家元首であるバチカンは、核兵器の製造や実験、使用を禁じる核兵器禁止条約が2年前に国連で採択された後、いち早く条約に署名・批准した。

 ただ、国際協調より自国第一主義が優先される現実のなかで、核軍縮への取り組みは後退している。米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約は8月に失効。2021年に期限を迎える両国間の新戦略兵器削減条約(新START)も存続が危ぶまれる。来年には核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれるが、核保有国と非保有国の溝は深まる一方だ。

 「わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にある」「相互不信の流れを壊さなければ」。そう危機感を訴え、世界の指導者に向かって「核兵器は安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない」と説いた教皇の思いにどう応えるか。唯一の戦争被爆国である日本の責任と役割は大きい。

 安倍政権は、日本が米国の「核の傘」に守られていることを理由に核禁条約に背を向け続けているが、それでよいのか。核保有国と非保有国の橋渡し役を掲げるが、成果は見えない。政府の有識者会議は10月、日本がとりうる行動を記した議長レポートをまとめたが、非保有国が多数賛同した核禁条約を拒否するだけでは実践は望めまい。

 教皇は広島でのスピーチで「戦争のために原子力を使用することは犯罪」「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できようか」と述べた。この根源的な指摘を無駄にしてはならない。



(27面) 被爆者らは
被爆者、教皇に願い重ね 「体験語り続ける」「平和願う人の力で必ず核廃絶」

 「現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません」。二つの被爆地を相次いで訪れたフランシスコ教皇。雨の長崎で、夕闇の広島で、被爆者の痛みを記憶に刻み、平和に向けて連帯して行動するよう世界に訴えた。▼1面参照

 「この町は、核兵器が悲劇的な結末をもたらすことの証人です」。降りしきる雨の中、教皇は長崎市の爆心地公園で訴えた。

 教皇はこの日、めまぐるしく二つの町を巡った。

 早朝に特別機で東京を出発して長崎へ。爆心地公園でのスピーチの後は、16世紀の弾圧で殉教した「日本二十六聖人」の記念碑がある西坂公園で、信仰のために殉教した人々を悼んだ。午後には長崎県営野球場でミサ。雨がやんで晴れ空の下、オープンカーで手を振りながら笑顔で入場した。

 その後は広島へ移動。広島平和記念公園での「平和のための集い」で被爆者の訴えに耳を傾けた。スピーチでは「すべての犠牲者を記憶にとどめる」と述べ、「ヌンカ・マス」と4度繰り返した。スペイン語で「二度と繰り返さない」という意味だ。広島の人々が訴えてきた「ノーモア」の思いと重なる言葉だった。

 ■長崎

 長崎市のカトリック信徒、松尾幸子さん(85)は24日、爆心地でフランシスコ教皇を見つめた。「核兵器の脅威に一致団結して応じなくてはなりません」。その言葉は、被爆者の松尾さんの思いと響き合った。

 松尾さんが生まれた浦上では、キリスト教が禁じられていた江戸末期の1867年、信徒が摘発され、村民3千人以上が中国地方などに流刑となった。500人以上が命を落とす中、弾圧が始まる前年に生まれた祖母ワキさんは生還。信仰を捨てずに戻った人たちと浦上天主堂の建立に力を尽くした。天主堂は30年かかって1925年に完成した。

 しかし、45年8月9日、原爆によって破壊された。松尾さんは空襲に備えて避難していた山の上から見て、ワキさんと一緒に泣いた。

 20年ほど前、語り部として体験を語り始めた。姉は爆心地から約700メートル離れた自宅で、家の下敷きになった。父は体に斑点が出て、8月28日に死去。親族20人が犠牲になった。

 この秋も週に2回ほど講話したが、体力は衰えている。語り部も今年限りだろうか――。教皇が来日すると知ったのは、そんな風に思っていた頃だった。信仰を残してくれた祖母のためにも会おうと思った。

 言葉だけでは変わらないと思い、行動を続けてきた。爆心地を訪れた教皇の姿に自らの願いを重ねた。「若い人たちに、元気を出してがんばんなさいよということだと思う。私も語り続けます」(榎本瑞希)

 ■広島

 フランシスコ教皇は午後6時40分過ぎ、広島平和記念公園に到着。暗闇のなか、約2千人が拍手と歓声で迎えた。

 広島で被爆した梶本淑子さん(88)=広島市西区=はマイクの前に立ち、教皇に向けて被爆体験を証言した。「平和を願う多くの人の力と亡くなった人の魂によって、核は必ず廃絶されることと確信しております」。その言葉を、フランシスコ教皇はじっと聞いていた。

 学徒動員先の工場で崩れた建物の下敷きになり、全身を焼かれた人々が逃げ惑う地獄絵図を見た。父は1年半後に血を吐いて死に、母は20年間苦しんで亡くなった。今年で被爆74年。今も白血病やがんで苦しむ人がいる。「核兵器は、この地球上に存在してはならない。この苦しみを子どもたちや世界の誰にもさせてはならない」と訴えた。慰霊碑前で、教皇が平和へのメッセージを読み上げるのを聞いた梶本さん。「原爆を強く非難されていた。来日を通じ、世界の人に被爆の実相を改めて知ってほしい」と願う。

 慰霊碑前でキャンドルをともした教皇に、火を渡したのは広島大学付属高2年の松田小春さん(17)。核兵器廃絶の署名集めなどをする「高校生平和大使」として活動しており、6月にはバチカンで教皇に謁見(えっけん)した。再会後、松田さんは「平和を祈るため来て下さったと実感した。教皇と同じように平和を祈りながら火を渡した」と話した。(宮崎園子、西晃奈、山城響)

 ■盛岡の修学旅行生「優しさを感じた」 「声」欄きっかけ、招待

 「平和のための集い」には、修学旅行で盛岡市から訪れた盛岡誠桜(せいおう)高校の生徒たちも参加した。

 修学旅行が教皇の広島訪問と重なり、予定していた平和記念資料館の見学が中止になりかけた。打開策がないかと校長が朝日新聞「声」欄への投稿で訴えたことをきっかけに、教会側から集いに招待された。資料館も特別に夜間開館されることになった。

 スピーチを聞いた修学旅行委員長の中塚夏美さんは「語り口から優しさを感じた。小さなことかもしれないけれど、平和について自分にできることを考えていきたい」と話した。(太田原奈都乃)



11月26日 メモ帳

・オトコ中村の楽しい毎日 https://otokonakamura.com/tennenkoji-4/
・米ぬか健康法 http://kadoya.shopnews.jp/category/1253967.html
・米ぬかを活用しよう https://www.megumimura.com/content/brownrice/archives/13
・玄米発酵サプリの健康成分の研究
    https://www.genmaikoso.co.jp/cultivate/web/detail.asp?id=2
・「水溶性食物繊維」と「不溶性食物繊維」の含まれる食物と効果
    http://www.matsushima-hp.or.jp/women/diagnosis/evacuation/article06.html
・食品に含まれる食物繊維量一覧
    https://www.otsuka.co.jp/health-and-illness/fiber/intake/foods-amount/
・お手製ゆず味噌★覚書  https://cookpad.com/recipe/5061560