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続折々の記 2020①
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】12/30~     【 02 】01/01~     【 03 】01/03~
【 04 】01/05~     【 05 】01/07~     【 06 】01/08~
【 07 】01/12~     【 08 】01/19~     【 09 】01/20~
――――――――――――――――――――――――――――――
【 03 】01/03~
    狂乱に直面する世相   慎むべき心得の乱れ
       ・ゴーン被告、レバノンで裁判模索か 妻と再会、米紙報道
       ・「ゴーンは我々の誇り」レバノン国民、逃亡どう見た?
       ・ゴーン被告逃亡、東京地検が捜査開始 防犯カメラ分析か
       ・カナリアの歌:3
           NZ生まれ、日本代表の誇り、五輪への思い
       ・ゴーン被告、別の旅券所持 地裁容認、鍵付き透明ケースで
       ・箱根駅伝後半戦 選手の意識
       ・性暴力ない世界を ノーベル賞ムクウェゲさん講演
       ・モーセの十戒の意義
           * モーゼとはどんな人?

 01 03 (金) 狂乱に直面する世相      慎むべき心得の乱れ

2日は新聞休館でしたから、今日は2020年になって初めて発行された朝日の第一面に載せられた記事は、カナリアの歌とカルロス・ゴーンでした。 世界の激変と人間の拝金欲望である。 全体と個にかかわる世界が直面している世相なのです。

3日の新聞配達前のデジタル記事で取り上げていたのは次の三つでした。

第一の記事 2020/1/2 デジタル朝日  普通紙は休刊  7:38現在

ゴーン被告、レバノンで裁判模索か 妻と再会、米紙報道

     https://digital.asahi.com/articles/ASN117JZ9N11UHBI012.html?iref=comtop_8_01
     ニューヨーク=江渕崇 2020年1月2日05時00分

 米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告の逃亡について、「友好的な司法環境」が期待できるレバノンで裁判を受けるつもりだったと報じた。逃亡は協力者らによって数週間かけて計画され、妻キャロルさんが主導的な役割を担ったとしている。

 WSJが関係者の話として伝えたところでは、逃亡を手助けするチームが先週末に日本に集結し、ゴーン前会長を東京の居宅から連れ出したという。プライベートジェットで日本を発ち、トルコを経由してレバノンに入ったのは12月30日の早朝。そこでキャロルさんと再会したとしている。キャロルさんはWSJに対し、夫との再会を「人生最大の贈りもの」と表現した。

 ゴーン前会長は、日本での公判が始まる見込みが立たないことに加え、妻との接触が制限されていることに特にいらだっていたという。身の潔白を示すために、レバノンで裁判を受けることを模索。協力者たちは、レバノンの司法当局が日本側と協力し、訴訟をレバノンに移せると期待しているという。

 日本での訴訟を避けるために、支援者らはフランスやブラジル、米国への逃亡も検討したという。

 ゴーン前会長はキャロルさんとともに、監視システムを備えたレバノン国内の親族宅に滞在。「捕らわれて日本に連れ戻されるのを恐れている」と関係者はWSJに語った。(ニューヨーク=江渕崇)

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   ゴーン被告逃亡、東京地検が捜査開始 防犯カメラ分析か
   ゴーン被告「有罪が前提、政治的な迫害逃れた」声明全文
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   「やばい案件がある」 捜査協力選んだ日産幹部たち
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第二の記事 2020/1/2 デジタル朝日  普通紙は休刊  7:38現在

「ゴーンは我々の誇り」レバノン国民、逃亡どう見た?

     https://digital.asahi.com/articles/ASN11775HN11UHBI00X.html?iref=comtop_8_02
     ベイルート=其山史晃、北川学 2020年1月2日07時00分

 日本を離れ、レバノンに逃亡した日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告(65)。首都ベイルートの中心部で1日、道行く人々に今回の逃亡をどう思うかを尋ねた。ゴーン前会長はレバノンで「日産を立て直したヒーロー」「巨万の富を築いた成功者」として国民的な人気を誇る。だが、市民からは「もう大統領になることはないでしょう」という声も聞かれた。

 レバノンでは昨年10月以降、政府の腐敗体質の一掃を訴える抗議デモが国内各地で断続的に続いている。抗議デモの開催場所の一つであるベイルートの繁華街近くで、会社員のカップルに声をかけた。女性のレザンさん(25)は「ゴーンはもう大統領になることはないでしょう。国民を代表する立場に立てないから」と突き放したが、男性のムハンマドさん(39)は「ゴーンが我々の誇りであることに変わりはない。裁判はレバノンで受けさせるべきだ」と主張した。

 また、IT会社員のニコラスさん(33)は「ゴーンは日本で有罪判決が出ていないにもかかわらず、長く拘束されていた。司法では『推定無罪』が原則のはず。おかしいと思う」と語り、日本の司法制度への不信感を強調した。その上で「ゴーンは国民的なスターだ。レバノン国民は彼を守る」と語った。(ベイルート=其山史晃、北川学)

第三の記事 2020/1/2 デジタル朝日  普通紙は休刊  7:38現在

ゴーン被告逃亡、東京地検が捜査開始 防犯カメラ分析か

     https://digital.asahi.com/articles/ASN116S79N11UTIL00C.html?iref=comtop_8_03
     2020年1月1日21時44分

 日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告(65)がレバノンに逃亡した問題で、東京地検が捜査を始めたことが1日、関係者への取材でわかった。地検は警視庁に協力を要請。前会長が何らかの手段を使って不法に出国したとみて、出入国管理法違反容疑などを視野に出国までの経緯などを調べる方針だ。

 ゴーン前会長は海外渡航を禁じた東京地裁の保釈条件に反して出国。12月31日、「私はレバノンにいる。不正と政治的な迫害から逃れた」とする声明を公表した。

 レバノン治安当局者によると、ゴーン前会長は30日早朝にプライベートジェットでトルコから首都ベイルートに到着。旅券には本名の「カルロス・ゴーン・ビシャラ」との記載があったという。国土交通省によると、29日夜に関西空港を発ってトルコのイスタンブールに向かったプライベートジェットが1機あった。

 関係者によると、地検はゴーン前会長が不法に出国したとみて、捜査を開始。警視庁捜査1課に協力を要請し、裁判所から指定されていた東京都内の住居への人や車両の往来を確認するほか、防犯カメラを分析するなどして国内での足取りや出国までの経緯を調べるとみられる。

 レバノンメディアは、音楽バンドに扮した集団が前会長の自宅を訪ね、楽器を入れるための木箱に前会長を隠して連れ出したと報じている。前会長の逃亡に協力した者がいれば、犯人隠避容疑などが適用される可能性もある。

 ゴーン前会長は2018年11月に金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の容疑で逮捕され、同法違反や会社法違反(特別背任)の罪で起訴された。昨年4月に保釈された際、条件として東京都内の定められた住居に住むことや弁護人が前会長の全ての旅券を保管することが定められていた。前会長の弁護人によると、レバノン、フランス、ブラジルの3カ国の旅券は弁護団が保管したままだったという。

 ゴーン前会長の公判は20年4月下旬にも始まる予定だった。日本とレバノンは容疑者や被告の身柄引き渡しに関する条約を結んでおらず、日本政府が引き渡しを求めても実現は難しいとみられる。日本の刑事裁判は原則として被告が一審の公判に出廷する義務があるため、公判が開かれない公算が大きくなっている。

 東京地裁は12月31日夜、東京地検の請求を受けて前会長の保釈を取り消した。保釈保証金15億円は没収される。



そうして3日の朝日第一面に載せられた記事は、カナリアの歌とカルロス・ゴーンでした。

カナリアの歌:3

NZ生まれ、日本代表の誇り、五輪への思い

     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14314054.html?ref=pcviewer
     2020年1月3日05時00分

 ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本代表のレメキ・ロマノラバ選手(30)の自宅を訪ねると、玄関にやんちゃ盛りの長男一志(いし)くん(7)、次男基(もと)くん(5)が飛び出してきた。3男1女の6人家族。彼の在籍するホンダラグビー部の本拠、三重県鈴鹿市で暮らす。

 レメキ選手はトンガ出身の両親の下、ニュージーランドで生まれた。2009年に来日。日本で知り合った恵梨佳さん(34)と結婚し、14年に日本国籍を得た。日本語は流暢(りゅうちょう)で、漢字もかなり読める。

 「ガイジンって意識させられるのは空港での入国審査くらい。日本人の列に行こうとすると止められるから、『日本のパスポート、持っていますよ』と日本語で言うのが最近の楽しみ」

 W杯で、外国出身選手を多く擁した日本代表は史上初めて8強に進出。チームはこの国の多様化の象徴と称賛された。レメキ選手らは俳優の広瀬すずさんと、富士フイルムの新春恒例のテレビCMにも出演する。

     *

 彼には、忘れがたい8月がある。

 4年前のリオデジャネイロ五輪で、日の丸を背負って過ごした選手村の日々だ。「ウサイン・ボルトにあいさつできたし、日本チームのウェアを着た選手とは、顔も名前も知らなくても心が通じた。国家を代表して戦える栄誉は最高だ」

 12日開幕のトップリーグに集中するため、東京五輪に向けた7人制代表候補メンバーからは外れているが、その適性はリオでも実証済み。本人も自国五輪への思いは強い。リオでは母国ニュージーランドを破ったが惜しくも4位。「今度は絶対メダルが欲しい」

 彼が暮らす鈴鹿市は、F1サーキットで知られるとおり、ホンダとともに成長してきた。関連企業の工場が多く、1990年の出入国管理法の改正でブラジル、ペルーなどの日系人を中心に外国人が急増した。19年11月現在で8664人。人口の4・33%だ。市内に暮らす外国人の出身国は56カ国に上る。

 レメキ選手は、W杯に一緒に出た韓国出身の具智元選手(25)と鈴鹿市スポーツ特別奨励賞を受賞した。末松則子市長は「海外の方が多く暮らす鈴鹿市の、まさに市民の代表。スポーツが持つ共生の力を示していただいた」とたたえた。

 鈴鹿市に限らない。日本で暮らす外国人は昨年元日時点で266万人余りとなり、人口に占める割合は初めて2%を超えた。

 少子高齢化に伴い、今後も外国人労働者への依存度は増すだろう。仲間とトライをめざして結束できるラグビーと違い、日々の暮らしで交流がなければ、理解は進みづらい。鈴鹿市に、日本の「明日」が見える。
 (稲垣康介)

 (2面に続く)多様なルーツ、垣根越える選手、社会はどうだ(1面から続く)

少子高齢化が進む日本。近年、外国出身の親を持つアスリートの活躍がめざましい。その多様性に、未来へのヒントがないか。(稲垣康介)

     ◇

 冬の夕暮れは早い。放課後の校庭で、せかされるように楕円(だえん)球を追い回す少年たちがいた。

 三重県鈴鹿市の県立稲生(いのう)高校はラグビー部員21人のうち8人は外国籍だ。上野晋監督(54)が「昨年のレギュラー15人のうち、9人が外国の子どもたちでした」と教えてくれた。

 少子化のあおりで運動部の廃部が珍しくない時代。1月の県新人戦に単独チームで出るのは5校だけだ。「ドラマの『スクールウォーズ』で人気に火がついた1980年代は30チーム近かったんですが」。県ラグビー協会理事長でもある上野監督は往時を懐かしむ。

 そんな中、ブラジル、ペルー、フィリピン、インドネシア、韓国など出身国が多彩な部員が巣立ってきた稲生高ラグビー部は、日本代表に似た「ワンチーム」の活気にあふれる。近所のホンダの選手たちが毎年、集中特訓に来てくれる強みもある。

 上野監督がいう。「移民の子は皆、日本語が話せます。ただ、親が話せないケースが多い。だから、親のビザ更新の手続きで通訳代わりで学校を休む子もいます」。裕福な家庭が多いわけではない。「自分の服は買うのに、部費は滞納しがち。順序が違うだろ、と怒るんです」。厳格だが、生徒へのまなざしは温かい。

 前主将の井上ガブリエルさん(18)は「僕の人生はラグビーに救われました」と人なつっこい笑顔で言った。トンネルの骨組みを造る仕事につく父は若くしてブラジルから来日した。家ではポルトガル語で話す。

 今の冗舌さからは想像しにくいが、「中学校までは内気でした。おなかがぽっこりのおデブちゃんで、スポーツも苦手だった」。いじめ、仲間はずれにも遭った。「小学4年のとき、お菓子を誰かが教室に持ち込んだのが見つかり、皆が僕のせいにして、校長室で怒られた。つらかったです」

 稲生高に入学した日、正門でペルー籍のラグビー部員にいきなり握手され、言われた。「よろしく!」。多国籍が当たり前の雰囲気の良さから入ってみた。入学時、身長164センチ、体重73キロだった体は腹筋が顔を出し、177センチ、83キロに。因縁をつけられても「怖くなくなった」。自動車整備の仕事につこうと思った時期もあったが、今春、ペルー出身の友人とスポーツ推薦で名古屋経済大に進学し、ラグビーをつづける。

 ラグビーW杯はもちろんテレビに釘づけだった。

 「めっちゃ感謝です。外国出身でも日本のために戦う。リーチ・マイケルさんやレメキさんは日本への愛がすごくある。尊敬できるし、勇気をもらえる」

     *

 ラグビーに限らず、外国出身の親を持つ日本選手の活躍がめざましい。

 父がハイチ出身で、米国で育ったテニスの大坂なおみ選手は自らのアイデンティティーを尋ねられ、「あまり深く考えていない。私は私」と応じた。バスケットボールの八村塁選手は父がアフリカのベナン出身。「ブラック(黒人)」と「ジャパニーズ(日本人)」をあわせた「ブラッカニーズ」と自らを評した。

 日本選手が五輪で輝かしい成績を収めれば、多くの日本人は誇らしく思う。元気をもらえた気分になる。

 政府は「国策」として、メダル量産に力を入れる。2006年トリノ冬季五輪で金メダル一つの「惨敗」に終わったのが契機だ。

 20年東京大会で組織委員会の会長代行である遠藤利明衆院議員は、文部科学副大臣だった07年、自らの私的諮問機関に、「『スポーツ立国』ニッポン」と題した報告書を作らせた。五輪のメダル獲得を「真の先進国『日本』のプレゼンスとアイデンティティーを高めることになる」とうたった。

 東京五輪の招致成功でスポーツ強化への国の予算は増えた。日本オリンピック委員会は東京で「金メダル30個、世界3位」と野心的な目標を掲げる。

 ■「日本人」にこだわるか、共生か

 ひるがえって、私たちの社会はどうだろうか。

 昨年1月の日本の総人口は約1億2744万人。前年比で26万人強減った。このままだと2065年にはピークだった08年に比べて4千万人減り、しかも65歳以上が4割に迫る。1964年東京五輪当時は東京都内の0~14歳の人口が65歳以上の5倍いたが、今は高齢者の方が約2倍だ。

 日本の合計特殊出生率は1・42。少子化はさらに進む。政府は人手不足を解消するため、外国人の労働力に活路を見いだす。しかし、昨春導入した「特定技能1号」は在留上限5年で家族帯同を認めない。日本に定住し、子どもを育てることはままならない。

 年の瀬、議員会館に遠藤氏を訪ねた。口にしたのは人口減への危機感だった。「人口は国力の源泉だよ。日本のペースで減る国はほとんどない」

 二つの国にルーツを持つ「ダブル」のアスリートたちが日本選手団の主役を張る夏が来る。かつて「メダルは国力」論を世に問うた遠藤氏だが、一方で「ひとときの熱狂ではなく、ラグビーに続いて日本人の意識の国際化を促すきっかけになってほしい」と願う。

 「ラグビーでもそうだが、大事なのはコミュニケーション。来日する人に日本語を覚えてもらうだけでなく、我々も簡単な英会話ぐらいできないと、グローバル化から取り残される」

 均質的な「日本人だけの国」にこだわり、老いていくのか。それとも、時に摩擦に直面し、違いに惑いつつも共生への扉を開くのか。200を超す国と地域から選手が集う東京大会は、この国の分かれ道で迎える。

     ◇

 編集委員 稲垣康介 1968年生まれ。長年、五輪で日本選手に張りつき、メダルへの夢に伴走してきた。最近は少子高齢化、気候危機、移民など、母国の将来に関心が向く。専門のスポーツを切り口に、そうした課題を照らせないか。それが出発点だった。

     ◇

 映像報道部 福留庸友 1982年生まれ。小中高と日本の学校に通い、母国語より日本語が得意な「外国人」の若者たち。彼らを鈴鹿で取材し、日本人とは何かを改めて考えた。日本の将来は暗い話ばかりだが、若い世代で進む多様性の尊重に小さな希望を感じる。

 ◇岐路にある私たちの社会。かつて炭鉱でいち早く異変を知らせたカナリアのように、危機や転換点に直面する人たちがいます。記者がいま一番伝えたい現場をルポします。次回はクルド人難民が暮らすイラク北部から。

 (3面に続く)

それぞれの強み、相乗効果 レメキ・ロマノラバ選手に聞く(2面から続く)

 《ラグビーW杯日本代表のレメキ・ロマノラバ選手は、その突進力に加え、流暢(りゅうちょう)な日本語で日本人と外国人の潤滑油となり、「ワンチーム」の結束に貢献した。日本代表の自分に、強い誇りを持つ。》

 「妻は日本人だし、4人の子どもも日本で生まれたから自然なこと。国家を代表してプレーするのはプレッシャーだけど、同時に、心地良いプレッシャーだ。もちろん、両親の出身であるトンガへの愛もある」

 《日本人の気質がスポーツに生かされる面があると考えている。》

 「リオデジャネイロ五輪の陸上の男子400メートルリレーで日本チームは当時、1人も100メートルで9秒台の記録を持つ選手がいなかったのに銀メダルだった。チーム力は日本の強みだ」

 「外国出身の親を持つ日本人アスリートの活躍が目立つのは、骨格や速筋線維などが優れた人たちに、日本らしい規律や忍耐力が合わさって相乗効果が生まれるからじゃないかな」

 《少子化が進む日本だが、レメキ家は子ども4人の6人家族。両親の出身国であるトンガの出生率は3・6程度ある。》

 「たしかにトンガ人とは考え方が違うかも。日本人はきちんと就職して、それから結婚して、さらに貯金をしてから子育てをしようと考えるのかな。将来の生活設計とかを先に計算してしまうのかもしれない」

     *

 《スポーツの効能については冷静にみている。》

 「スポーツは国家や国民を束ねる力がある。ただ、万能ではない。ラグビーW杯で優勝した南アフリカでは今も人種差別が残る。でも、W杯期間中は代表チームを誰もが応援する。憎悪とか、好き嫌いとか関係なく。そうした融和は永遠とは限らないけれど」

 《東京五輪の7人制ラグビー出場を熱望している。》

 「今はトップリーグでホンダに貢献することに集中している。僕が大けがで長期離脱しているときも、ずっと支えてくれた恩がある。でも、もちろん、東京五輪は出たいよ」

 「開催国のアドバンテージは大きい。W杯のアイルランド戦の最後の10分間、ほぼ皆、足がつっていた。やばいよ。もう動けないよって。僕は観客席に向かって叫んだ。カモーンって! 力を下さいと。それで観客が盛り上がり、チームの皆が元気になった。同じことがきっと、東京五輪でも起こるよね。次はメダル、五輪のメダルがほしい」

     *

 レメキ・ロマノラバ 1989年生まれ。昨秋のW杯ではスピードを武器に相手防御をかわすウィングとして活躍。


次はゴーンの記事です。


ゴーン被告、別の旅券所持 地裁容認、鍵付き透明ケースで

     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14314053.html?ref=pcviewer

 日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告(65)がレバノンに逃亡した問題で、前会長は、弁護人が保管していた3通の旅券とは別に、フランス旅券1通を鍵付きのケースに入れて所持していたことが、関係者への取材でわかった。東京地検は2日午後、前会長が住んでいた東京都内の住居を出入国管理法違反容疑で家宅捜索。前会長はこの旅券を使ってレバノンに入国した可能性がありそうだ。▼3面=「逃亡関与せず」

 前会長はレバノン、ブラジルの旅券と、フランスの旅券2通を所持。昨年4月の保釈時は、弁護人が全ての旅券を保管する条件になっていた。関係者によると、当初は弁護人がすべて保管していたが、前会長が日産の役職を解かれて日本の在留資格の証明書を失ったため、入管法上、旅券の携帯義務が生じたという。

 このため弁護団は保釈条件の変更を請求。東京地裁は昨年5月、中身が見える透明ケースに入れたフランス旅券1通の携帯を認めたという。自由に使えないようダイヤル式の鍵を付け、前会長に鍵の番号は知らせていなかったという。

 フランスでは、商用で海外出張を重ねる人などには旅券を2通持つことを認めているという。

 国土交通省によると、12月29日夜、関西空港からトルコのイスタンブールに向かったプライベートジェットがある。関係者によると、法務・検察当局は前会長がこの飛行機で出国した可能性が高いとみている。ゴーン前会長の出国記録がないため、何らかの手段を使って出国審査をすり抜けたとみられる。

 レバノンの治安当局者によると、前会長はプライベートジェットでトルコからレバノンに到着し、フランス旅券で入国したという。一方、トルコメディアは2日、トルコ治安当局が逃亡に関わった疑いのある7人をイスタンブールで拘束したと報じた。4人はパイロットで、ほかの3人は宅配会社や空港の地上サービス会社の職員だという。

 東京地検の家宅捜索は4時間以上続き、係官が黒いバッグを持って住居を後にした。地検は警視庁に協力を要請し、住居への人や車両の往来を確認し、防犯カメラを分析するなどして国内での足取りや出国までの経緯を調べるとみられる。

  レバノン「逃亡関与せず」 ゴーン被告送還は度々要請 日本、国際手配求める   ▼3面=「逃亡関与せず」

【画像】捜索を終え、カルロス・ゴーン被告の住居から引き揚げる東京地検の係官ら=2日午後6時9分、東京都港区

 日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告(65)がレバノンに逃亡した問題で、ゴーン前会長が国籍を持つレバノンとフランス両政府は関与を公式に否定した。ただ、レバノン政府は日本政府に対し、前会長の送還を以前から要請していた。日本政府はゴーン前会長を国際手配する手続きを取ったが、レバノン側が引き渡しに応じる可能性は極めて低い。▼1面参照

 レバノン外務省は12月31日、前会長について声明を発表。「日本出国とレバノン入国は彼の私的な問題」と述べて政府の関与を否定した。フランス外務省も同日、声明で「日本を出国したことを仏当局は知らされていなかった」とした。

 しかし、ロイター通信は1日、関係者の話として、前会長が12月30日にレバノンに入国した直後にアウン大統領と面会して支援に感謝の意を示したと報じた。AFP通信によると、大統領府は面会を否定している。

 レバノン政府は日本政府に前会長の引き渡しを求めていた。英紙フィナンシャル・タイムズは1日、アウン氏と日本の外務省高官が12月20日にベイルートで会談した際、レバノン政府側が前会長の送還を要請したと報じた。レバノン政府は前会長が逮捕された直後から同様の要請をしてきたが、日本政府からの反応はなかったとしている。ただレバノン外務省高官は、逃亡直前の要請のタイミングは「偶然だった」としている。

 レバノン外務省も声明で「日本政府には1年前から前会長に関する数多くの書簡を送ったが返信がない」と明かしている。

 一方、米紙ウォールストリート・ジャーナルは、前会長が日本から逃亡した理由は、レバノンで裁判を受けるためだったと報じた。

 日本とレバノンは犯罪人引き渡し条約を結んでいない。さらにレバノン刑法は条約に準ずる場合などを除き、「誰も外国に送還されない」と定めている。

 日本政府関係者によると、日本の当局は国際刑事警察機構(ICPO)にゴーン前会長を起訴済みの罪について国際手配する手続きを取ったという。ただ、ICPOには強制力がなく、ゴーン前会長がレバノンにいる限り、逮捕される可能性は低いとみられる。(ベイルート=其山史晃、テヘラン=杉崎慎弥、パリ=疋田多揚)

 ■保釈のあり方、議論も

 ゴーン前会長の保釈をめぐっては、検察側が証拠隠滅や逃亡の恐れがあると一貫して反対してきたが、裁判所は弁護側の監視を条件に認めてきた。前会長の逃亡を受け、保釈保証金だけでは被告の逃亡を完全に防ぎきれない側面が浮かび上がり、今後、保釈制度のあり方が議論を呼びそうだ。

 「日本の司法制度をバカにした話だ。有罪になると判断したから逃げたんだ」

 警視庁の協力も得て逃走経路の解明に乗り出した検察幹部は2日、怒りが収まらない様子だった。

 前会長は2018年11月、東京地検特捜部に金融商品取引法違反容疑で逮捕された。身柄の拘束は昨年3月に保釈されるまで100日超に及んだ。4月に会社法違反容疑で再逮捕されたが、東京地裁は4月に再び保釈を決定。保釈保証金は計15億円に上った。

 地裁が保釈を認めた背景には、刑事弁護に精通した弘中惇一郎弁護士や高野隆弁護士ら弁護側への信頼があったとみられる。弁護側は保釈条件として、旅券を弁護士に預けることや、住居の玄関に監視カメラを付け、携帯電話の通話履歴を裁判所に提出することを提示。弘中氏は昨年3月の最初の保釈決定の際、「知恵を絞って逃亡や証拠隠滅があり得ないシステムを提示した」と胸を張った。

 地裁は昨年4月に2回目の保釈を認めた際、前会長が勾留中、何らかの手段で事件関係者に働きかけをしようとしていたことを認めた上で、弁護側の「徹底した指導監督」を評価。証拠隠滅などの可能性を考えても、弁護側と裁判に向けて打ち合わせをすることの利益が上回ると判断した。根底には、09年に裁判員裁判が始まり、被告が弁護人と綿密な裁判準備をできるよう、「むやみな勾留はやめ、証拠隠滅や逃亡の恐れは具体的に検討しよう」という裁判所の意識の変化がある。

 それでも、検察側は保釈判断を「特別扱い」と批判してきた。弁護側が提示した保釈条件も「実効性に乏しい」と疑問視。家の入り口に監視カメラがあっても、出先で事件関係者と会うことは制限できず、携帯電話も誰かに借りれば、自由に通話できるためだ。

 検事出身の高井康行弁護士は、地裁判断について「いくらでも穴はあったし、名経営者と言われたゴーン前会長が逃げるわけがないという期待があったのかもしれない。結果論として甘かった」と指摘。「日本の保釈制度は保証金で逃走は阻止できるというのが大前提になっている。GPS機器装着を義務づけるなど逃走を防ぐ新たなルールを整備する必要がある」と提言する。

 一方で、日弁連刑事弁護センターの菅野亮(すげのあきら)事務局長は「今回は極めて特殊ケース。これを一般化して保釈を厳しくするのは間違いで、裁判所が萎縮することを懸念する」と話す。

 東京地裁は2日、「具体的な事件に関することなので、コメントはありません」と保釈判断の是非について説明を避けた。



壮絶
箱根駅伝後半戦 選手の意識

3日 午後はテレビ観戦で人が本来仕組まれている尊い集団意識への決意に胸を打たれた。 これほどの命を懸けた意識は細胞に仕組まれた Something great そのものだと感じた。

死力を尽くす青春像を直視した。 細胞すべての協力を得て自分で意思を固め死力を尽くす姿は、 something great そのものの表れとして目に映じた。 かくして神の心そのままに生きていたとみる。 細胞の力が人の心へ直接映って見え、感涙を呼ぶのです。

いつも嘆かわしいゲラ番が多いのに、今日は心に直接訴えるよいテレビだった。

それに続いて教育番組 14:00 「沈黙は共犯 闘う医師」 の再放送をみて、感銘した。 モーゼの十戒「第七戒」がいかに大事な心の在り方か再認識しました。

コンゴのデニ・ムクウェゲさんを調べていて、次のデータが手ごろな参考になると思い掲載します。

壮絶
性暴力ない世界を ノーベル賞ムクウェゲさん講演
     https://digital.asahi.com/articles/ASMBH7RJ0MBHPLZB01Q.html
     小林正典 2019年10月20日03時00分

 現代の世界の紛争地では性暴力が戦争の武器として使われている――。ノーベル平和賞を昨年受賞したアフリカ中部・コンゴ民主共和国の婦人科医、デニ・ムクウェゲさん(64)が、立命館大(京都市北区)で講演した。約600人の学生や市民らを前に、「相互尊重の精神をもって行動し、性暴力のない、より良い世界をつくろう」と呼びかけた。

 講演は、同大学が7日にムクウェゲさんに名誉博士号を贈ったことを記念し、贈呈式のあとに開催された。

 ムクウェゲさんは、1990年代後半、豊かな鉱物資源などをめぐり激化したコンゴ民主共和国の内戦などの惨状を紹介。「豊かな鉱物資源を奪取するために、この地域で紛争が続いている」との見方を示した。「違法に採掘されているコバルトは、電動自動車や電動自転車に使うバッテリーに必要なもの。先進国の環境保護や快適さのために、私たちの国の人々の命が犠牲になっている。コンゴ民主共和国の天然資源がコンゴ民主共和国の国民に恩恵をもたらしていない」と語りかけた。「被害者は主に女性と子どもだ」

 紛争下の性暴力は「支配戦略の手段だ」と指摘する。「おぞましい恐怖を植え付ける武器として、性暴力が使われている」。何より、「女性の人間性を否定し、相手を物としか見ない手段」だ。加えて、こんな卑劣な狙いもあるという。「女性を通して、家族や社会、経済の基盤を破壊し、村全体やコミュニティー全体を恐怖に陥らせる」

 99年、性暴力の被害に遭った女性や少女をケアするため、パンジ病院をコンゴ民主共和国の東部に設立した。同年以降、10万人以上の女性を治療したという。「うち、5万5千人が性的暴行の生存者だ。4万5千人は非常に深刻な生殖器の疾患に苦しんでいる。赤ちゃんもレイプされた。私が手術した最も若い女性は6カ月の赤ちゃんだった。高齢は80歳以上の人だった」。非常に大きな規模でレイプが行われている、と語った。

 病院でこうした人々に対する治療や心理的ケアをするのはもちろん、退院後に村に戻ってからのサポートも続ける。「野蛮な行為によって引き裂かれてしまった家族の絆や村での絆の再建への手助け」のためだ。

 こうしたサポートにおいて重要なのは、「ワンストップ」で対応できるセンターだという。「性的暴行の被害者は、最初に会った人に一度だけ、つらい体験を語ればすむ。不用意に何回も話をして、トラウマをよみがえらせないためだ」

 一つの場所で様々なサービスを知ることができ、自分に必要なサービスを受けることもできる。「最悪の事態を経験しながらも再び生きようとする女性たちの力に励まされ、私たちは仕事を続けることができる。苦しみを力に変えることをサポートすることに、私たちは誇りを感じている」

 被害者の治療だけではない。「人類の恥である暴力の予防をしていかなければならない」とも語る。そのためには何をしたらいいのか。

 ムクウェゲさんは、鉱物資源をめぐり紛争が起きているとして、資源の責任ある透明な取引を挙げた。日本に対しては、「日本企業が鉱物をクリーンな方法で入手するよう監視してほしい」。また、「被害者が声を上げれば、加害者の側に恥と汚名が移る」とも。女性の性的被害を告発する「#MeToo」などの世界的運動は、「男性支配のパラダイムの変化が可能になったことを表している」とみる。男性に対しても、こう呼びかける。「家父長主義や有害な『男らしさ』といった価値観から自分を解放し、女性と共に行動しよう」

 講演の最後に、性暴力のない、より良い世界をつくろうと訴えたうえで、こんな言葉で締めくくった。「これは単なる夢ではない。私たち一人ひとりが、そんな社会の実現に貢献できるのだ」(小林正典)



考え方の原点

モーセの十戒の意義

     http://seisho.holy.jp/sp/tencommandments.html

 モーセの十戒は、旧約聖書の出エジプト記20章1-17節に記されています。短くまとめるなら次のようになります。

   第1戒 わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
         主が唯一の神であること(別の表現)
   第2戒 偶像を造ってはならない。
   第3戒 主の御名を、みだりに唱えてはならない。
   第4戒 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
   第5戒 あなたの父と母を敬え。
   第6戒 殺してはならない。
   第7戒 姦淫してはならない。
   第8戒 盗んではならない。
   第9戒 偽りの証言をしてはならない。
   第10戒 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

 十戒は、シナイ山に於いて、神様がモーセを通してイスラエル人に与えられた戒律です。 それは人間が作成した法律ではなく、神が作成された法律です。 旧約聖書の律法にはさらに細かい戒律や祭りの規定、ささげものの規定、食べ物の規定などがありますが、十戒はそのすべての基本となっており、現在でも十戒は多くの国々の法律の基礎となっています。 十戒が与えられた目的、その意義を三つのポイントにまとめました。

1.エジプトの偶像習慣からの脱却のため

 イスラエル人はエジプトに430年間(BC19~BC15世紀)滞在していたと聖書は記しています。(出エジプト12: 40) 約30年で世代が変わるとするなら14世代の間ということになります。イスラエル人がエジプトに移り住んだ当初、ヨセフが生きている間はエジプトの王、パロに優遇されていましたが、次第に彼らはパロの奴隷となり、イスラエル人の生活は虐げられていきました。
 古代エジプトは多神教で、太陽神ラーを根底として、アメン神、オシリス、イシス、アヌビスなど数多くの神々が崇拝されていました。守り神としてコブラや牛、ライオン、ワニなどの姿が用いられました。日本と同じように何でも「神」にしてしまう国でした。イスラエル人も長いエジプト滞在でその影響を受け、エジプトの偶像習慣に慣れ親しみ、偶像の神々を礼拝する人たちが増えていきました。
(後にイスラエル人がエジプトを脱出した際、、モーセが十戒を授かっている間でさえ彼らが金の子牛を造り拝んでいたことは、イスラエルが如何に偶像の影響を受けていたかを物語っています。)

 それゆえ、神様は十戒のはじめに

  第1戒 わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
  第2戒 偶像を造ってはならない

 と命じられました。神は唯一であることを教え、その唯一の神を礼拝すべきであると教えられたのです。

2.イスラエルをご自分の宝とするため

 神様はイスラエルの民を選ばれ、祝福されました。それはアブラハムとの約束のゆえです。
出エジプト19:5 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。
19:6 あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。

 この約束のゆえにアブラハムの子孫であるイスラエルは、神様にとって特別な民族となりました。誰でも愛する人が成功するのを喜びものです。反対に、愛する人が道を踏み外し、堕落するなら悲しみます。神様にとってイスラエルは愛する国民、宝の民ですから、イスラエルが祝福の道を歩み、喜びおどる姿を見たいと願われています。そのために神様はイスラエルに十戒を与えられました。彼らが神の選民として正しい歩みをし、他の異邦人のように愚かな歩みをしないために十戒は与えられました。

  第3戒 主の御名を、みだりに唱えてはならない。
  第4戒 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

 これらの戒めは、自分勝手な礼拝ではなく、神が喜ばれる秩序を持って礼拝すべきであることを教えています。このことは教会に集うクリスチャンにも適応できることです。信仰を持っていればどんな礼拝のやり方でも良いのではありません。神様が喜ばれる礼拝の仕方があるのです。信仰を持っていれば教会はどうでも良いのではありません。信仰があれば聖書教理などどうでも良いのではありません。御言葉によって教えられ、正しい真理に立ち、心からの祈りと賛美をささげる礼拝・・それを神様は喜ばれます。

  第5戒 あなたの父と母を敬え。
  第6戒 殺してはならない。
  第7戒 姦淫してはならない。

 これらは今から約3500年前の時代にあって、人として最低限守っていかなければならない法律でした。当時は力ある者が支配し、暴力がものをいう時代でした。その様な時代にあって、神様に創造された人間としての尊厳を保つために必要な戒めでした。

  第8戒 盗んではならない。
  第9戒 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
  第10戒 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

 これらは、力によって支配する時代にあって、自分の欲望に負けないように教えます。そして、「落穂拾い」の規定と同じように、愛を持って弱者を思いやる律法だと言えるでしょう。

 このように十戒は、神様が望まれる正しい生き方を教える法律でした。それはちょうどシートベルトの規制のようです。車に乗るときにはシートベルトを装着することが義務付けられています。それは安全のために設けられた規定です。シートベルトは私たちを縛り付けるのですが、それは私たちのいのちを守るためです。十戒も同じように人の身体のいのちと、霊的ないのちを守るために与えられたのです。神様がイスラエルに十戒を与えられたことは、彼らにとって大きな恵みであり、喜び、誇りでありました。

(現在の日本の憲法はアメリカの憲法が基本にあります。そのアメリカの憲法の基本は聖書の十戒です。憲法があることによって秩序ある社会が維持され、人間の尊厳が保たれます。それは人のいのちが守られるためにあるのです。)

3.罪を示し、キリストへ導く

 十戒が与えられた三つ目の意義は、新約聖書を読まなければ理解できないことでした。律法の目的は私たちをキリストに導くと言う目的のために与えられました。
ガラテヤ 3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

 では、どうして律法が私たちをキリストに導くのでしょうか?・・・律法を守ろうとするときに人はそのすべてを守ることが出来ないことを知ります。律法によって「私は罪びとである」ことを知るのです。それで自分の罪が赦されること、自分の罪を贖ってくださるお方が必要だと認めるのです。それは救い主を神様が遣わしてくださるという希望となりました。ですから律法の目的は「キリストの救いに導くこと」だったと教えているのです。

モーセの十戒の学びから何を得るのか?

 それでは現代においてモーセの十戒を学ぶときに、何を得ることが出来るでしょうか?

①神の聖さと、その御心を知る。

 十戒には神の義が示されています。神がいかに聖く、義を愛されるおかたであるかを教えています。また、神は罪を犯した人間を必ず裁かれるかたであることを示します。十戒はそれらを教えることにより、私たち人間が神に造られたものとしてどう歩むべきかを教えています。

②神の深い恵みと、真実な愛を知る。

 神が『わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。』と語られるとき、そこには神が私たちを愛しておられることが前提となっています。
律法には「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。」申命記 6:5  と命じられています。それは神様が最大の愛を持って私たちを愛しておられるから、そう命じられるのです。また、『殺してはならない』と命じられるとき、神がいかに人間のいのちを大切なものとされているかを知ります。その神の愛を知るときに、私たちは強いられてではなく、喜びを持って神様に仕えていくことができます。

③自分自身を知る。

ローマ 7:14 私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。

 律法が要求していることは、単に外面的(行ない)な従順だけではなく、心から神に従うという内面的(霊的)な従順をも求めています。その戒めを聞くたびに私たちは自分自身の行いと心を探られるのです。神の義に到底達することができない醜さ、肉の弱さを示され、罪びとである自分を知るのです。

モーゼとはどんな人?
     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB
     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

モーセあるいはモーゼ(ヘブライ語: מֹשֶׁה‎モーシェ、ギリシア語: Μωυσής、ラテン語: Moyses、Moses、アラビア語: موسىٰ‎)は、旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる、紀元前16世紀または紀元前13世紀ころに活躍したと推測されている、古代イスラエルの民族指導者である。正教会ではモイセイと呼ばれ聖人とされる。

モーセはユダヤ教・キリスト教・イスラム教およびバハーイー教など多くの宗教において、最重要な預言者の一人とされる。伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされてきた。

『出エジプト記』によれば、モーセはエジプトにいるヘブライ人家族の子として生まれたが、ファラオがヘブライ人の新生児を殺害することを命じたので、それから逃れるためにナイル川に流され、ファラオの娘に拾われて大切に育てられたという。長じてエジプト人を殺害し、砂漠に隠れていたが、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受けた、とされ、エジプトから民を率いて脱出したモーセは民とともに40年にわたって荒野をさまよい「約束の地」にたどり着いたが、(モーセは神の指示を忠実に守らなかった過去があり、約束の土地を目前にして、ヘブライの民はそこに入ることができてもモーセはそこに入ることが神から許されず)約束の地の手前で世を去ったという。

『旧約聖書』におけるモーセ

ドゥラ・エウロポスのシナゴーグから出土した3世紀頃の壁画。モーセがナイル川から拾われる場面を描いている 『旧約聖書』の『出エジプト記』によれば、モーセはイスラエル人(ここでヘブライ人と同じ意味)のレビ族の父アムラムと、アムラムにとって叔母にあたる母ヨケベドとの間に生まれ、兄アロンと姉ミリアムがいた[注釈 1]。モーセが生まれた当時、ヘブライ人が増えすぎることを懸念したファラオはヘブライ人の男児を殺すよう命令した[3]。出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、パピルスのかごに乗せてナイル川に流された。たまたま水浴びしていたファラオの王女が彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ヘブライ語で「引き上げる」の意味)にちなんで「モーセ」と名づけた[注釈 2]。モーセの姉の機転で、実の母親を乳母として王女に雇われることができた。

成長したモーセは、あるとき同胞であるヘブライ人がエジプト人に虐待されているのを見て、ヘブライ人を助けようとしたが、はからずもエジプト人を殺害してしまう。これが発覚し、ファラオに命を狙われたモーセは逃れてミディアンの地(アラビア半島)に住んだ。ミディアンではツィポラという羊飼いの女性と結婚[注釈 3]し、羊飼いとして暮らしていたが、ある日「燃える柴」のなかから神に語り掛けられ、イスラエル人を約束の地(聖書中では「乳と蜜の流れる地」と言われている現在のパレスチナ周辺)へと導く使命を受ける。神は、みずからを「わたしはある者」と名乗った、とされる。

モーセはイスラエル人から『主はあなたに現れなかった』と言われた場合(つまり、預言者であることに疑義をとなえられた場合)に備え、3つのしるしを与えられた、とされる。「杖が蛇になる」「手が癩病(レプラ)で雪のように白くなる[注釈 4]」「ナイル川の水が血に変わる」である。

エジプトに戻ったモーセは兄アロンとともにファラオに会いヘブライ人退去の許しを求め、前述のしるしの1つ「杖が蛇になる[注釈 5]」を使って自分の杖を蛇にして見せたが、ファラオの配下の魔術師たちもその程度はできたのでファラオは驚かず、アロンの杖の蛇が他の蛇を食ってしまったことで一応勝ったものの、ファラオは拒絶し、許可を出さなかった。

そのためモーセは次のしるし「ナイル川の水が血に変わる」を使い、これを始めに十の災いがエジプトにくだり、最後にはファラオの息子を含めてすべてのエジプトの初子が無差別に殺害された[8]。ファラオはここにいたってヘブライ人たちがエジプトから出ることを認めた。エジプト出発の夜、人々は神の指示通り、子羊の肉と酵母を入れないパン(=「タネなしパン」)を食べた。神はこの出来事を記念として行うよう命じた[9](これが今もユダヤ教徒が祝う「過越祭」の起源であり、キリスト教ではイエスの十字架上の死の予兆とされる)。ヘブライ人がエジプトを出ると、ファラオは心変わりして戦車と騎兵からなる軍勢を差し向けた。葦の海に追い詰められ、絶体絶命の状況に陥った。これに対し、奴隷的な状態のままであってもエジプトにいた方がよかったと不平をもらす者もいたが、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができた、とされ、しかし後を追って葦の海を渡ろうとしたファラオの軍勢は海に沈んだ、とされる。

その後、モーセは民と共に苦しい荒れ野の旅を続ける。人々は水や食べ物のことでしばしばモーセに不平をいい、モーセはそのたびに水や食べ物を与えて神の力を示した。このとき、神から与えられたとされる、荒野で夜毎に現れる、まるで蜜入りのウェファースのような味の白い(謎の)食料を食べて民たちはしのぎ、人々はその(謎の)食料を「マナ」と呼んだ[11]、とされる。やがて人々がシナイ山に近づくと、神が山上に現れ、モーセは山に登って十戒を受けた[12]、とされる。さらに神はヘブライ人と契約を交わした、とも[13]。『出エジプト記』のモーセに関する記述はこれで終わり、後半部(20章~40章)は守るべき掟と儀式に関する詳細な規定の記述に費やされている。

続く『レビ記』『民数記』『申命記』ではさらに詳細な律法の内容が語られ、その合間にモーセの生涯とヘブライ人たちの歩みとについて記している。モーセは石版の破片を入れた『契約の箱』を先頭にシナイ山を出発し[14]、約束の国を目指してカナンを進んだ。その途上ではモーセとアロンへの反逆が行われたり[15][16][17]、不平を言う民を罰する為に神が炎の蛇を送り、多くの死者が出たため、モーセが青銅の蛇を示して民を救った出来事などがあった[18]。人々はカナンの人々と戦いを繰り返し、アモリ人らを撃ち、全軍を滅ぼした[19]。さらにミディアン人たちを撃つなど戦いを続けた。

モーセ五書の最終巻にあたる『申命記』ではモーセの最期が描かれている。メリバの泉で岩を打って水を出し、その後にもう一度水不足が訪れたときに岩に命じるようにとの命令であったのにもう一度岩を打ったため[21]、約束の国に入ることを許されず、ヨルダン川の手前でピスガの頂ネボに登り、約束された国を目にしながらこの世を去った。120歳であった[22]。モーセはモアブの谷に葬られたが、その場所は誰も知らないとされている。

モーセの死後、その従者であったヌンの子ヨシュアが後継者となり、神の民を導いた。

イスラム教におけるモーセ

『クルアーン』(コーラン)ではアラビア語でムーサー (موسى Mūsā) と呼ばれる。イスラム教の聖典『クルアーン』では、モーセすなわちムーサーは過去の預言者のひとりにして、ユダヤ教徒の共同体に神(アッラーフ)から使わされた使徒として登場する。ムーサーは『クルアーン』においてムハンマドを除く諸預言者の中では最も偉大[要出典]な預言者であるとみなされており、ムスリム(イスラム教徒)はムーサーを「神と語る者(カリームッラーフ)」と尊称する。

ムーサーの名は『クルアーン』中において非常に多くの個所で言及され、特に、第28章「物語」は全編がムーサーの物語になっている。『クルアーン』によれば、ムーサーはエジプトで生まれ育ち、のちに「聖なる谷」で神の声を聞いて預言者となった。また、彼の兄であるハールーン(アロン)もムーサーを補佐するための預言者とされる。ムーサーとハールーンはエジプトのファラオに唯一なる神を信仰するよう求め、神の偉大さを伝えるために杖を蛇に変えるなどの奇蹟を示すが、ファラオに拒絶されたためにイスラエルの民を連れてエジプトを離れた。出エジプト物語は『聖書』と基本的に同じであり、シナイ山(アラビア語ではムーサー山と呼ばれる)で、ユダヤ教徒に対して与えられた啓典であるトーラー(律法)を神から授かったという。

クルアーンのムーサーの物語では、ユダヤ教徒たちがムーサーの言うことを聞かず、時に偶像をあがめたことについて非常に詳細に言及されており、このようなクルアーンの、正しい神に選ばれた使徒ムーサーに従わないユダヤ教徒に対する批判的な言及が、歴史的なムスリムによるユダヤ教徒に対する差別心、敵意の原因のひとつとなったと指摘されることも多い。

ムーサーはイスラム教においてノア(ヌーフ)、アブラハム(イブラーヒーム)イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされる。また、ムーサーという名はムスリムに好まれる男性名のひとつとなっている。

イスラム伝承ではムーサーはイスラエル民族の救世主としての役割のみならず、さまざまな知的追求も行う人として描かれており、クルアーンにはユダヤ・キリスト教には無い話。知識を求めるムーサーが、従者を連れ賢者に会いに行き、教えを請う物語などもある。エジプト脱出から死去までの時間に開きが大きいのも、その間に知的追求への旅など、イスラエル民族に対する救世主的行為以外にも携わっていたからだと考えられている。

トーラーの記者としてのモーセ

『創世記』からはじまって、『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』までの『ヘブライ聖書』(キリスト教では『旧約聖書』)の最初の五書は、総称して「モーセ五書」と呼ばれてきた。新約聖書にイエス・キリストがモーセを聖書記者として言及している聖句があり、聖書信仰に立つ福音派の教会ではモーセをモーセ五書の記者として認めている。

これらは聖書自身の記述と古代からの伝承によってモーセの手によるものとされてきたが、ユリウス・ヴェルハウゼンらの文書仮説を支持するものはそれに反対する。福音派にはこれらの主張を「信仰の敵」と呼ぶものもいる[26]。「モーセ五書」の別称は「トーラー」であり、日本語訳では「律法」とされることが多い。トーラーの原義は「指針」ないし「方針」である[27]。

聖典関連以外のモーセ

フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』第II巻第X章では、出エジプト記の第2章10節と11節[注釈 7]の間付近に入るエピソードとして「モーセはエジプト軍の指揮官としてエチオピア攻略で活躍し、彼の強さを認めたエチオピアの王女タルビスは和平交渉をして彼の妻となった。」というものが書かれている。

モーセの実在と出エジプトの物語の信憑性は、考古学的知見、歴史的知見、紅海の海底調査の結果[28]、カナン文化における関連する起源神話などから考古学者およびエジプト学者、聖書批評学者の間では疑問視する人々が多い[29][30][31]。その他の歴史学者は、モーセに帰せられる伝記の詳細さとエジプトの背景は、青銅器時代の終わりに向かうカナンにおけるヘブライ部族の統合に関わった歴史的、政治的、宗教的指導者が実在したことを暗示していると擁護している。

エジプト側に残るモーセに関する物語と関連するものとして、エジプトの神官マネトによる記録のヨセフスの引用がある。それによれば、アメンホテプ3世が地を清めるためにと皮膚病患者を隔離した際、オサルシフォス(Osarseph)[32]というヘリオポリスの祭司が皮膚病患者の一団の監督者となった。皮膚病患者たちはかつてのヒクソスが首都を置いたアバリスに収容され、オサルシフォスはエジプトで禁じられているあらゆることを指示し、エジプトで許されているあらゆることを禁じた。さらにヒクソスを国に引き入れてエジプトを再征服し、13年間彼らと統治した。最終的にエジプトの地を追い出されるが、オサルシフォスはモーセの名を名乗る。

この物語は出エジプト記とは異なっているが、いくつかの共通点があり、例えば、エジプトに災いをもたらすモーセという名の宗教指導者が存在したこと、エジプト北方に勢力を持った西アジア系移民が存在したこと[34]、その異分子はヘリオポリス(オン)の宗教指導者と近しい関係を築いていたこと[35]、皮膚病を利用したこと[36]、エジプト人と異なる法を敷いたこと、そしてエジプトの地から出たこと、などが挙げられる。

なお、この話自体はヨセフスの時代の頃それなりに広まっていたものであるが、ヨセフス自身を含む大半のユダヤ人からはこれと結びつけることはモーセを侮辱するものだと考えられて[注釈 8]おり、前述のヨセフスの引用(『アピオーンへの反論』第2章229節)では引用しつつも書き手のマネト(原文は「マネトーン」)たちにレプラ患者と自分たちの先祖を一緒にするなと反論しており、別の著書の『ユダヤ古代誌』(第III巻11章3-4節)ではレビ記13章の記述から引用(一部改竄[注釈 9])しつつも「レプラ患者にこんなに厳しく扱うモーセが患者自身であるはずがなかろう」という趣旨の反論をその後にわざわざ書いている。

絵画・彫刻

キリスト教美術においてはモーセは通常老人の姿に描かれることが多い。

中世ヨーロッパ美術においては、ミケランジェロの彫刻やレンブラントの絵画にみられるごとく、モーセはしばしば角のある姿で描かれるが、この理由には二つの説がある。一つは、ヴルガタ訳の描写をもとにしたためだというものである(『出エジプト記』 34:29-30, 35)。元来、ヘブライ語には母音を表す文字が存在せず、ヘブライ語で「角」を意味する語は「輝く」という意味にも解釈可能であり、現在の『聖書』翻訳では一般に後者の意味で訳出されている。もう一つの説は、ヴルガータとは関係なく、モーセの顔が光り輝くのを角のような形で表現したというものである。フランスの美術史家のエミール・マールは後者の説をとり、最初典礼劇でそのような表現がなされたものが絵画や彫刻にも影響を与えたと考えている[37]。一方、日本の尾形希和子は前者の説をとりつつも、12~13世紀のイングランドの教会法学者ティルベリのゲルウァシウス(英語版)の著書中に「モーセの角の生えた顔とは、すなわち彼の顔から輝く光が出ていたから[38][注釈 10]」とあるのを紹介している。他の中世人の著作を見ると、クレルヴォーのベルナール『雅歌講解』にも件の場面でモーセの顔が光り輝いたということを前提としている記述がある。

異説

聖書学者の関根清三は著書[40]において、そもそも出エジプト記の該当箇所は「角のある」と解釈するのが正しいのだと主張している。

「光り輝いている」と訳したヘブライ語はカーランという動詞で、用例が「角のある」という意味であることは確かである。カーランはケレンという名詞の派生語と思われるが、名詞の用例は たくさんあって、その意味が「角」であることははっきりしており、牛との関連で使われている詩篇の動詞形の意味も「角のある」といったあたりに自ずと定まるからである。

そこで 出エジプト記の方のカーランも、旧約のラテン語訳・ヴルガータではこれと呼応して cornutus(角のある)と訳しているのである。それに対し、ギリシア語訳・ セプトゥアギンタ(七十人訳)はdedoxastai(光り輝いた、栄光化された)と意訳した。

近代の翻訳も日本語訳を含め、「顔の肌」から角が生えるというのはそれこそ面妖であるので、 みなセプトゥアギンタの方にしたがっているのである。

なお、牛や山羊や羊や鹿などの角は「豊穣=富と子孫繁栄の象徴」であり、(ギョベクリ・テペの遺跡などから推測されるに、おそらく紀元前1万年の)太古より、ユーラシア大陸の各地に、豊穣神たる「角を生やした(主に牛の)神、有角神」への信仰があり、儀式の際に角の被り物をするなど、カーランを「角のある」と解釈することは、むしろ正統な発想である。異形なる角は、善(神)であれ悪(悪魔)であれ、人を超えた神聖な存在、権威ある者、であることを示す表現方法なのである。