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続折々の記 2020①
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 08 】01/19~
                (続)真実は何故正しいか 心のよりどころ
                植物にも感覚があるか

 01 19 (日) (続)真実は何故正しいか     心のよりどころ

私の0歳教育は七田真の著書によって始まり、〔 0歳教育参考資料 〕をずっと調べてきた。

調べていくと早教育で分かってきたのは、カール・ヴィッテに端を発していたことがわかり、ヴィッテに続いてストーナー夫人の早期話しかけが続いてからその流れは切れていました。

現代の早期教育や独自の教育法が始まったのはアメリカであることが分かった。 日本へそれが取り入れられたのは(大正六年)木村久一著「早教育と天才」でした。

この流れは早教育と天才で詳しく述べたものです。

この流れとは別だと思いますが、アメリカのグレン・ドーマンにも目を向けなければならなかった。 なぜかといえば七田真さんから頂いたドッツ法はドーマンの考えからできていたものだからです。

ドーマンは下記を見ればわかるように障碍者を治すためにいろいろ考案した人で、そのドッツ法による右脳認識という方法はドッツばかりではなく文字にしてもそのほかのものにしても、実物なり描画なり映像なりにして認識する方法だったからです。

日本ではヴィッテの流れとともに、ドーマンの流れを多分に習っているから大事な方法なのです。 ソニーの会長だった井深大が尽力した0歳(教育の最適時期)以下手元にある6冊の著書は右脳開発に徹したものでした。 三石由紀子「天才児を創る」にしても、その他多くの草教育にかかわる本を書いている人たちもドーマンメソッドの考え方を取り入れているのです。

人間能力開発研究所を創立したドーマン

グレン・ドーマンは、人間能力開発研究所の創立者です。創立以来半世紀以上にわたって、世界各地から両親がここを訪れています。グレン・ドーマンと人間能力開発研究所は、脳障害児にかんする活動の先駆者として、また、健常児の早期発達に関する 活動で、その名を知られています。

50年以上にわたって、2万を超える家族と密に接してきたのに加え、グレン・ドーマンは、 「親こそ最良の医師」 をはじめ、親が自分の子どもに家庭で教える 方法を説いた「穏やかな革命シリーズ」と名付けられた一連の著書および教材をつうじて、何100万もの家族に大きな影響を与えています。

グレン・ドーマンは、世界で最も文明の進んだ都会から、世界の最も未開の場所まで、100か国を越える国々の子どもたちを対象として、ともに時間を過ごし、研究し、仕事をしてきました。

第二次世界大戦での傑出した勇気が認められてジョージ六世より、英国陸軍戦功十字章を受勲。戦闘における並外れた勇敢な行為によって、合衆国の殊勲十字章、武装した敵に対する勇敢さによって、シルバースター章、戦場における英雄的行為によりブロンズスター章を受勲しました。また、バルジ大作戦において、ルクセンブルグ公国に対する戦功を認められて、シャーロット大公妃からも勲章を授与されました。

戦功による叙勲と対照的なのは、1966年に、世界の子どもたちのための功績を認められてブラジル政府から、ブラジルの最高の勲章、南十字星勲爵士を授与されました。さらに、子どもに関する功績により、イタリア上院メダルなど、多くの国々の機関や団体からも、表彰されています。

仕事の中心をなしていたのは、重い脳障害のある子どもたちにかかわるものでした。「世界一素敵な両親と、世界一勇敢な子どもたち」と向き合い、人間能力開発研究所スタッフや両親に、脳障害児をよくするための、最良の方法を指導し続けました。

自分にとって最も価値のある財産は、わが子に教えることで発見できた喜びについて書かれた、お母さんたちからの手紙だと言っています。最近では、おばあちゃんからも手紙が届くようになりました。自分の子どもが小さかった時に、グレン・ドーマンの著書を使って教えたことの成果が、いまだに子どもの人生のなかに生きていることを伝える手紙です。


この右脳開発を主とした考え方はドーマンですが、ヴィッテの書いた本がアメリカにありそれを読んだ教授たちがこのながれをうけ、さらに改良した考えをスセデックが学び、彼と結婚した日本人の舘林実子さんが体内教育を四人の子供で実践し、その著書が出版された。 この流れがジツコ・スセディックの 「胎児はみんな天才だ」 に象徴されている。

幼児期養育には調べてみると、とくかく沢山あります。 選ぶのに困ってしまうのです。 そこで私が勧めたいのは、ヴィッテの流れとドーマンの流れを取り入れた方法に即することがいいと思います。

具体性に富んだ書き方をしている「胎児はみんな天才だ」ジツコ・スセディック著と「天才児を創る」三石由紀子著の二冊を丹念に学び取ることをお勧めしたいと思います。

 01 22 (水) 植物にも感覚がある     植物も細胞が生きている

植物も細胞によって生きているから、命をまとめて生きる感覚の総合やその総合した生体の生きていく意思ももっている、そう考えざるを得ない。

地球上に生命が誕生したのはどのようであったのか、それは求めてやまない課題であり人の夢でもあり科学者の夢でもあります。 単細胞が生まれそれが何故どのような意思で複数細胞へと進化したのか。 そもそもの疑問はそこに集中してくる。 なぜ細胞に something great が具備されたのか。 推測も不可能なものすごい未知の能力を思うとき、モーゼの十戒のいう主または神の表現と形に表すな、みだりにその名前を言うな、という表現は、どう考えてもこの細胞の始まりを表現した言葉であると考えざるを得ないのです。

正教会・聖公会・プロテスタント(ルーテル教会以外)の場合、 モーゼが伝え聞いたという十戒の最初の部分の表現を照合してみなさい。

  1. 主が唯一の神であること
  2. 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
  3. 神の名をみだりに唱えてはならないこと

どうですか。 私はそう考えても一向にかまわないと思います。 そしてまたこの表現の中味を推察するとき、不合理を感じないしむしろ合理的ではないかと思うのです。


ですから、 「植物にも感覚があるのか」 という言葉でグーグル検索してみると、次のようなことが一番初めに出てきたのです。

植物は視覚、嗅覚、触覚、位置感覚、記憶を駆使して生きている
   情熱の本箱 191
   情熱的読書人間・榎戸 誠

『植物はそこまで知っている――感覚に満ちた世界に生きる植物たち』(ダニエル・チャモヴィッツ著、矢野真千子訳、河出文庫)は、本文が185ページしかない文庫本であるが、今後、植物に関する最も重要な一冊と位置づけられるようになるだろうという予感を抱いた。

著者の結論を一言で言えば、植物は確かに見ている、匂いを嗅いでいる、接触を感じている、位置を感じている、憶えている、知っているが、聞いてはいない――ということになる。植物学の最前線の研究を踏まえ、植物には実際に感覚があるのだと主張しているのである。

植物の知能について。「厳密に言えば、植物は『知っている』という私の言葉の使い方は正しくない。植物には中枢神経系、つまり体全体の情報を調整している『脳』は存在しないからだ。それでも植物は環境に最適化するよう各部位を緊密に連携させて、光や大気中の化学物資、気温などの情報を根や葉、花、茎で伝え合っている。そもそも植物とヒトのふるまいを同等に扱うことはできない。植物が『見る』あるいは『匂いを嗅ぐ』と書いたからといって、それはかならずしも植物に目や鼻(あるいは感覚器から得られる入力情報に感情を結びつける脳)があるという意味にはならない。しかし、ヒトのふるまいにたとえた表現を用いるほうが理解しやすくなることもまた事実だ――視覚や嗅覚について、植物とヒトについて、想像力をはたらかせながら考えて、認識を新たにするためには」。著者が採用したこの表現法のおかげで、私たち門外漢も植物の世界に容易に足を踏み入れることができるのだ。

植物の視覚について。「植物は生き残るため、つねに移り変わる周囲の環境に敏感でいなければならない。光の方角、量、持続時間、色を知らなければならない。つまり、電磁波を(ヒトにとって可視的なものも、そうでないものも)間違いなく感知しているということだ。ヒトも電磁波を感知するが、感知できる範囲は限定されている。植物はそれより短い波長のものも長い波長のものも認識する。植物はヒトより世界を広域に見ていることになるが、それを像として見ているわけではない。植物は光の信号を像に翻訳する神経系をもっていない。そのかわり、光の信号を生長のためのさまざまな指示に翻訳している。植物に『目』はない。ヒトに『葉』がないのと同様に。受けとる器官が違うだけで、植物もヒトも光を感知している」。

「光を感知する能力は原初クリプトクロムからあらゆる生き物へと受け継がれ、進化していき、やがて植物と動物では大きく違う視覚システムに分かれていったということだ」。

植物の嗅覚について。「植物も動物も大気中の揮散性物質をたしかに感じとっている。だがこれは、植物による嗅覚と考えていいのだろうか? 植物には嗅覚神経も、信号を解釈する脳もない。2011年現在、揮散性物質をキャッチする植物の受容体として見つかっているのは、エチレン受容体ただ一つだ。それでも、熟する果物や、ネナシカズラや、ハイルが実験したライマメや、その他自然界にある植物はみな、私たちと同じようにフェロモンに反応している。植物は大気中の揮散性物資を検知し、その信号を生理的反応に変換している。これはまさに、嗅覚と考えていい」。

植物の位置感覚について。「一つところに根を張って定着している植物は、退却したり逃げたりはできないが、環境が変わったとき、それに合わせて代謝を変えることができる。接触その他の物理的刺激にどう対応するか、生物のふるまいとしては植物と動物で違っているが、信号の発生という細胞レベルで見れば驚くほどよく似ている。ヒトの神経への機械的刺激と同じく、植物の細胞への機械的刺激は細胞のイオンバランスを変え、その結果、電気的な信号が生まれる。動物の神経系と同じく、植物でもこの信号は細胞から細胞へと伝播し、カリウム、カルシウム、カルモデュリンなどの通路の開閉を調整しているのだ」。

植物の聴覚について。「数量的なデータを出せない以上、いまのところ、植物は『聞く』という感覚を進化の過程で獲得しなかったと判断すべきだ」。他の感覚とは異なり、植物にとって聴覚は進化上、必要でなかったのである。

植物の位置感覚について。「ヒトが平衡感覚の受容器として内耳に耳石を必要としているように、植物は重力を感じるために平衡石を必要としているのだ」。

「ニュートン力学のとおり、植物の各部位の位置はそこに作用する力のベクトルの合計で決まる。それにより、植物は自分がいる位置と、どの向きに生長すべきかを知る。ヒトも植物も、重力に似たような方法で対応しており、位置と平衡の情報はそれを知らせてくれるセンサーからとり入れている」。

植物の記憶について。「植物の記憶はヒトの免疫記憶と同様、タルヴィングの定義による意味記憶やエピソード記憶ではない。むしろ、手続き記憶にあたる。この種の記憶は外部刺激を感知する能力で決まる。タルヴィングはさらに、3層の記憶はそれぞれ関連する『意識のレベル』が違うと提唱した。手続き記憶は自分が何をやっているのかわからない無意識の記憶だ。意味記憶は自分が何をやっているか、どんな状況なのかがわかる意識的な記憶だ。エピソード記憶は、自分が経験したものを頭の中で組み立て直すというような自我意識のからむ記憶だ。植物には、意味記憶やエピソード記憶を可能にするような意識のレベルは存在しない。しかし、『手続き記憶に特徴的な最低レベルの意識(無意識)が外部刺激および内部刺激を感知しそれに対応できるという能力を指すのであれば、すべての植物および単純な動物には最低レベルの意識があるということになる』と主張する文献もある」。

私にとって個人的に興味深いのは、チャールズ・ダーウィンが息子のフランシスとともに、現在の植物学研究に繋がる一連の実験をしていること、しかも正しい結果を得ていることだ。

植物図鑑は植物の世界を広く知るために必要な本、本書は植物を深く知るために必要な本と言うことができるだろう。


動物の感覚とは違っていても、生きるための感覚は分子レベルの感覚として備えている。 それは間違いはないといえる。