【目次へ】
  続折々の記へ

続折々の記 2020①
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】12/30~     【 02 】01/01~     【 03 】01/03~
【 04 】01/05~     【 05 】01/07~     【 06 】01/08~
【 07 】01/12~     【 08 】01/19~     【 09 】01/20~
――――――――――――――――――――――――――――――
【 04 】01/05~
                狂乱に直面する世相   慎むべき心得の乱れ
                     ・カナリアの歌:4・5・6

 01 05 (日) カナリアの歌      世相狂乱瓦解再編時代に向かう

カナリアの歌は12/29プロローグに始まり継続されている。 取り上げた項目は赤文字で月日を張り付けていきます。

ルポ2020 カナリアの歌:プロローグ~連続数
https://sitesearch.asahi.com/.cgi/sitesearch/sitesearch.pl?Keywords=%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%8C&Searchsubmit2=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&Searchsubmit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&iref=com_gmenu_search


(カナリアの歌:6)入会金150万円、高級人間ドック、働く医師の危惧 01/06
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14316488.html?ref=pcviewer
(カナリアの歌:6)お金じゃない、健康長寿支える近所づきあい 01/06
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14316454.html?ref=pcviewer

(カナリアの歌:5)「おかしい」と声上げた高校生、政治は変わった 01/06
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14316316.html?ref=pcviewer
(カナリアの歌:5)対話を諦めず運命を委ねない、それが民主主義 01/06
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14316276.html?ref=pcviewer

(カナリアの歌:4)中東の小さな町、難民にテント、支援つなげたい 01/05
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14315157.html?ref=pcviewer
(カナリアの歌:4)越境攻撃を逃れ、産んだわが子、母乳は止まった 01/05
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14315125.html?ref=pcviewer
(カナリアの歌:4)クルド人は、私たちの隣人 安田菜津紀さんに聞く 01/05
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14315140.html?ref=pcviewer

(カナリアの歌:3)NZ生まれ、日本代表の誇り、五輪への思い 01/03
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14314054.html?iref=pc_ss_date
(カナリアの歌:3)多様なルーツ、垣根越える選手、社会はどうだ 01/03
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14314033.html?iref=pc_ss_date
(カナリアの歌:3)それぞれの強み、相乗効果 レメキ・ロマノラバ選手に聞く 01/03
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14314047.html?iref=pc_ss_date

(カナリアの歌:2)持て余す文書の山、山、山 消えゆく歴史 01/07
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14313579.html?iref=pc_ss_date
(カナリアの歌:2)戦争や暮らし、朽ちる紙の資料、いまなら救える 01/07
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14313570.html?iref=pc_ss_date
(カナリアの歌:2)世界の片隅にある、たくさんの記録 片渕須直監督に聞く 01/07
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14313554.html?iref=pc_ss_date

(カナリアの歌:1)吹き飛ぶ屋根、「数十年に一度」何かがおかしい 01/07
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14312158.html?iref=pc_ss_date
(カナリアの歌:1)元に戻れない、地球の分かれ道、若者は動く 01/07
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14312134.html?iref=pc_ss_date
(カナリアの歌:1)これからの10年、極めて重要だ アル・ゴアさんに聞く 01/07
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14312147.html?iref=pc_ss_date

(カナリアの歌)プロローグ 就活で急に個性問われても「脅し」みたい 12/29
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14311998.html?iref=pc_ss_date
(カナリアの歌)プロローグ 自由に選んだ道、大人を気にせず自分の「正解に 12/29
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14311967.html?iref=pc_ss_date


カナリアの歌:4

中東の小さな町、難民にテント、支援つなげたい

     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14315157.html?ref=pcviewer
     2020年1月4日05時00分

 昨年12月初旬、イラク北部スヘーラ。東京から約8千キロ離れた小さな町に、日本との意外なつながりを見つけた。シリアと国境を接する丘陵に並ぶ、高さ5メートルの白色の巨大テント4棟。設置したのは日本のNPO法人「ピースウィンズ・ジャパン」(PWJ)だ。

 1棟の広さは約240平方メートル。中には毛布やマットが山積みになっていた。テントはシリアからの難民の一時避難所だ。昨年10月、少数民族クルド人が多く住むシリア北部にトルコが越境攻撃を始めて以来、約1万8千人のクルド人が越境してここに逃げてきた。

 PWJは1996年の設立以来、イラクで難民と国内避難民の支援を続けている。現在のイラク事務所の日本人トップは井上恭子(きょうこ)さん(46)。クルド人難民が押し寄せたことを受けて、新たに約3千の簡易テント設置を陣頭で指揮した。

     *

 昨年12月中旬、イラク北部ドホーク近くの難民キャンプを視察する井上さんに同行した。井上さんはPWJが整備した排水溝の前でクルド人難民の女性に「役に立っていますか」と話しかけた。「もちろん。毎日掃除しています」と喜ぶ女性と井上さんは握手した。「柔らかい手。ガサガサした手。いろんな手と握手してぬくもりを感じる時、現場に立つ大切さを感じます」

 愛知県出身。96年に山梨県の都留文科大を卒業後、地図製作会社に就職し、地図のデジタル化などを担当した。深夜まで残業が続く中、自分の仕事が誰の役に立つかわからなくなった。

 2008年、途上国支援の道に進もうと決意して退職した。原点は、子どもの時に見たアフリカの飢餓の写真展だ。やせ細り、腹部が出た栄養失調の子どもの写真が胸に突き刺さった。

 英国の大学院で開発学を学び、帰国後は長崎大大学院で医療支援を学んだ。15年10月にPWJに入り、17年12月にイラクへ赴任した。昨夏帰郷した際、小学生のおいっ子に「どんな仕事をしてるの?」と聞かれた。「世界には隣の国から逃げてきて、家がない人がいるの。だから、家をつくっているんだよ。家がないと困るでしょ」と答えた。

 長崎大大学院に在学中、アフガニスタンに多くの井戸と水路を残し、昨年12月に銃撃されて亡くなった中村哲医師の講演を聞いた。現地の人々と互いの差異を認め合いながら、共に働く姿勢に感銘を受けた。

 「私は日本人の先人が築いた遺産の上にポンと乗っているだけ。でも少しでも何か加えて、次の世代につなげたい。それができたら十分だと思うんです」

 イラクの首都バグダッドでは3日、米軍にイラン革命防衛隊の司令官が殺害された。米国とイランの戦争になれば、クルド人と同じように、多くの人々が家を追われることになる。(スヘーラ=高野裕介)

 (2面に続く)

越境攻撃を逃れ、産んだわが子、母乳は止まった
     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14315125.html

 難民や貧しい人々に寄り添って支援した緒方貞子さんと中村哲さん。昨年亡くなった2人の志を、私たちはどう受け継ぐべきか。(高野裕介)

     ◇

 昨年12月初旬、イラク北部バルダラシュの難民キャンプ。トルコ軍によるシリア北部への越境攻撃を逃れたクルド人難民約1万人が、簡易テントで暮らす。

 クルド人難民のペダル・ジャラルさん(31)が、幅4メートル、奥行き6メートルの「自宅」を案内してくれた。生後1カ月の長男ユセフちゃんがゆりかごで透明な液体が入った哺乳瓶を吸っていた。

 「水をたくさん飲むんですね」と話しかけると、妻のスラバさん(27)は首を振った。「砂糖水です。難民生活のストレスで母乳は出なくなり、お金がなくて粉ミルクも買えません」

 一家はシリア北部ラスアルアインに住み、ペダルさんは写真館に勤めていた。トルコ軍の攻撃開始から1週間余り経過した昨年10月中旬、イラクへの密入国を助ける業者に450ドル(約4万9千円)を払い、深夜越境した。10月31日、難民キャンプ近くの病院でユセフちゃんが生まれた。

 シリアから持ってきた現金は使い果たし、食料は人道支援団体からの配給に頼っている。仕事は見つからず、いつラスアルアインに戻れるかもわからない。

 「子どもが日本や米国で生まれていたらと考えますか」と尋ねると、ペダルさんは即答した。「クルド人に生まれたことを私たちは誇りに思う。でも難民になる人生を、子どもたちには歩んでほしくない」

 シリア内戦勃発後、シリア北部を支配するクルド人の勢力は、台頭する過激派組織「イスラム国」(IS)の掃討作戦で米軍と共闘した。介入反対が強い国内世論から空爆しかできない米軍を支えるため、地上戦を担ったのだ。米軍の後ろ盾を得て、クルド人勢力は支配地域を広げた。

 だが昨年10月上旬、トランプ米大統領がシリアからの米軍撤退を表明。直後、クルド人勢力を「テロ組織」と敵視するトルコが越境攻撃に踏み切った。巻き添えになって多くの住民が死傷し、約20万人が難民や国内避難民になった。

 クルド人勢力は、IS掃討戦で米軍よりはるかに多い約1万1千人の犠牲者を出した。それだけに、トランプ氏のシリア撤退表明を「裏切り」と非難するクルド人は多い。

 「ランボーもターミネーターも友人を守り、強敵に立ち向かった。これが私の中のアメリカだったのに、一変した」。難民キャンプで床屋を営むクルド人難民のオサマ・ファラハンさん(37)は私の髪を切りながら、ハリウッドのアクション映画を挙げて強調した。

 私は日本人だと伝えると、オサマさんは言った。「日本とアメリカは同盟国で、日本人はアメリカ人と友だちなんでしょう。私たちの現状を見てください。日本がアメリカに働きかけて、何かできることはないでしょうか」

     *

 クルドには「クルド人に友はなし。この山々を除いては」ということわざがある。私の最も身近なクルド人、イブラヒム・アブドルマジッド取材助手(31)に由来を尋ねると、「胸をえぐられる思いだ」と涙ぐんだ。

 クルド人は独自の言語と文化を持ち、「国を持たない最大の民族」と呼ばれる。推定人口約3千万人。第1次大戦後、英仏などによって居住地域の真ん中に国境線を引かれ、トルコ、イラク、シリア、イランなどに分断されて、各国で差別や弾圧を受けてきた。

 イラクでは1991年の湾岸戦争直後、フセイン政権を打倒するためにクルド人が武装蜂起したが、鎮圧された。報復を恐れた約180万人といわれるクルド人が、トルコやイランの国境地帯に向かった。トルコ国境では約40万人が入国を許可されず、イラク側で国内避難民になった。

 この時、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップとして問題解決に奔走したのが、昨年10月に亡くなった緒方貞子さんだ。当時、UNHCRの直接の支援対象だったのは国外に逃れた難民で、国内避難民は原則として対象外だった。緒方さんはクルド人の国内避難民を人道支援すると決断。キャンプ設営を指示し、米軍に治安維持を要請した。この決断はその後のUNHCRの支援の枠組みを大きく変えた。

 イラク北部ドホークに住むクルド人のビワル・アフマドさん(37)は当時8歳。家族と険しい山道を3日間歩いてトルコに逃げた。運良くトルコに入国でき、騒乱が収まった約2カ月後に戻った。大学卒業後は地元のクルド自治政府で働いた。だが2014年、イラクでISが台頭し、多くの人々が国内避難民になるのを見て、人道支援団体に転じた。

 「同じ経験をした私が、何もしないわけにはいかなかった」

 それから1カ月後、長男を授かり、アワールと名づけた。クルド語で「住む場所を失った」という意味だ。自分の経験を重ね、家を追われた人々を忘れないという思いを込めた。

 ■難民・国内避難民、世界に7千万人

 UNHCRによると、難民や国内避難民になった人は世界に約7千万人いる。この10年で3千万人近く増えた。昨秋以降はシリア北部に暮らす多くのクルド人が故郷を追われ、イラクで将来の希望が見えない暮らしを続けている。これが今回の取材を思い立ったきっかけだ。そして今、イランと米国が戦う事態になれば、新たに多くの難民や国内避難民が生まれる。

 バルダラシュの難民キャンプを歩いていたとき、ボランティアが幼子にクルド語の歌を教える「青空教室」に出くわした。「日本の歌を歌って」とリクエストされたが、恥ずかしくて断った。すると、隣にいたイブラヒム取材助手に諭された。「あなたは取材してばかり。何か難民の役に立てたことはあっただろうか。日本の歌は、きっと子どもたちの心に残ります」

 でも何を歌ったらいいのか。当惑していると、イブラヒム取材助手が「スキヤキ!」と声を上げた。

   ♯上を向いて歩こう 涙がこぼれないように

 初めての日本語に不思議そうな表情を浮かべる子どもたち。歌い終わると、小さな手の拍手に包まれた。

 難民キャンプでは私が日本人というだけで、多くの人に笑顔で話しかけられた。イラクで支援を続けるPWJの井上恭子さんが言うように、先人が築いた信頼があるからこそだと思う。私は取材し、記事を書くことしかできない。けれど、出会った一人ひとりと向き合っていきたい。

     ◇

 ドバイ支局長 高野裕介 1980年生まれ。2018年から現職。今回、バルダラシュの難民キャンプで、イラク・シリア国境地帯で昨秋取材したクルド人男性に偶然再会。握手を交わし、距離が縮まった。一人ひとりの顔を知ることが大切だと改めて感じた。

     ◇

 映像報道部 杉本康弘 1975年生まれ。2017年、イラクでIS掃討戦を取材。高野記者に「クルド人に生まれたことをどう思うか」と質問されたクルド人難民の男性が、無言で涙した時、シャッターを押せなかった。彼と向き合うことの方が大事と思った。

 ◇岐路にある私たちの社会。かつて炭鉱でいち早く異変を知らせたカナリアのように、危機や転換点に直面する人たちがいます。記者がいま一番伝えたい現場をルポします。次回は世界と日本の民主主義について。

 (3面に続く)

クルド人は、私たちの隣人 安田菜津紀さんに聞く
     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14315140.html?ref=pcviewer

 《日本から遠く離れた国で困窮する人々に、どう向き合うべきか。イラクやシリアに何度も足を運び、難民や国内避難民の取材を続けているフォトジャーナリストの安田菜津紀さん(32)に聞きました。安田さんは昨年10月もイラクでクルド人難民を取材しました。》

 トルコがシリア北部を越境攻撃し、多くの人々が住む家を追われた時期でした。取材した難民キャンプは、元々はISから逃れた人々のためにつくられたものでしたが、今度はここに、多くのクルド人がシリアから逃げてきました。

 《なぜクルド人の取材を続けているのでしょうか。》

 クルドの人々が暮らす地域は「風の谷のナウシカ」の「風の谷」を思わせます。宮崎駿さんもここに来たのかと思うぐらい美しい。夏は砂地だった風景が、冬になると山に雪が積もり、春になれば緑に覆われます。食文化も豊かです。ゲーマという料理は、水牛のミルクをあたためて、クリーム状になった部分をすくってハチミツをたらしていただきます。伝えなければいけないたくさんの問題がありますが、私を引きつける何かがあるんです。

 《クルド人の問題は多くの日本人にとって遠い国の出来事ではないでしょうか。》

 埼玉県には、故郷を追われ、日本に逃れてきた人々を含むクルド人のコミュニティーがあります。クルド人は私たちの隣人なんです。クルド人の問題は隣人の問題というところから考えてみませんか。遠い国に住む人の痛みがひとごとであれば、近くの人の苦しみにも気づけません。

     *

 《日本が遠い海外の人々を支援する意味は。》

 平和主義を掲げる日本は、中東で出会った人々から「自分たちを攻撃しない」と信頼されていました。クルド人が多いイラク北東部ハラブジャには「広島通り」という通りがあって、毎年8月、そこで平和の祈りを捧げています。戦争で苦しんだ日本人は私たちの痛みをわかってくれる。現地で取材した人々はそう思っていました。

 《でも、日本は難民の受け入れに消極的です。》

 難民は危険な犯罪者ではなく、戦争や弾圧から逃れた人々です。他国では難民になるのに、日本では難民と認定されず、入管施設で長く収容される人々がいます。不当な境遇に追い込まれた人々がいるのに、知らぬ顔で生きる社会は豊かと言えるでしょうか。問題意識をたくさんの人が共有し、おかしいと声を上げることが必要だと思います。(聞き手・鎌田悠)

     *

 やすだ・なつき 16歳の時にカンボジアを訪れ、貧困に苦しむ子どもたちの姿を伝えたいと思って写真家を志した。東日本大震災後は岩手県陸前高田市で取材を続けている。



カナリアの歌:5

「おかしい」と声上げた高校生、政治は変わった

     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14316316.html?ref=pcviewer
     2020年1月5日05時00分

 「おかしいと声を上げたら応援してくださる方が増え、第一歩を踏み出せた。本当に感謝しています」

 居並ぶ国会議員の前に立ち、語りかけたのは東京都内の私立高校に通う2年生だった。大学入学共通テストで予定していた英語民間試験活用の見送りが決まった昨年11月1日、国会の一室で開かれた「英語民間試験の延期を求める会」だ。

 ツイッターではChris Redfield Kenと名乗るケンさん(17)に改めて話を聞くと、最近まで政治ニュースはひとごとだと受け流していたそうだ。

 「だって政治家批判なんて、してはいけない雰囲気があるじゃないですか」

 え? どうして?

 「ふつう、話さないことになってるんです。学校や塾、部活で忙しくて余裕のない人ばかりだし。『決まってることなんだから、やめなよ』『言ってもむだだよ』という人もいる」

     *

 ケンさんが変わったのは8月。当時の柴山昌彦文部科学相が、民間試験について「サイレントマジョリティは賛成です」とツイートした時だ。

 試験を受けるのはぼくたちなのに、声を受け止めずに決めるのか。怒りを覚えたケンさんは柴山さんに返信し、学校は不安な生徒の阿鼻叫喚(あびきょうかん)であふれていると伝え、「この声は拾ってくれませんか? いつからこの国は都合の悪い他の人の意見に耳を傾けようとしないようになってしまったのでしょうか?」と問いかけた。

 文科省前の抗議集会や「延期を求める会」に足を運んだ。その言葉が国会で高校生の声として伝えられた。見送りも決まった。

 ケンさんは中学の給食の時間に、毎日のように流れていた欅坂46の曲の話を始めた。その一つ、「サイレントマジョリティー」(作詞・秋元康氏)にこんな歌詞がある。

 「どこかの国の大統領が言っていた(曲解して) 声を上げない者たちは賛成していると」

 「No!と言いなよ!」

 好きな欅坂の曲から、なんとなくメッセージを受け取っていた。「言葉にしたら国や政治は変わる。民主主義って、そういうものかな」。いまはそう思う。

     *

 ただ、8月以降のケンさんは、日本では「少数派」かもしれない。日本財団がこの秋、9カ国の17歳から19歳計9千人を対象に実施した調査によれば、「自分で国や社会を変えられると思う」「社会課題について積極的に議論している」などの質問に「はい」と答えた人の割合は、日本がダントツの最下位だった。

 サイレントな人たちと、サイレントマジョリティーを代表していると称する政治。確かに選挙はしているけれど、「民意」を映せているのだろうか。(松下秀雄)

 (2面に続く)

対話を諦めず運命を委ねない、それが民主主義
     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14316276.html?ref=pcviewer

写真・図版
 民主主義って、民意ってなんだろう。世界と日本の民主主義は大丈夫なのか。答えを探して街を歩き、話を聞いてまわった。(松下秀雄)

     ◇

 昨年12月6日、北海道旭川市にある私立旭川明成高校で主権者教育の現場をみせてもらった。

 政治ってなに? 統治? 闘争? 政策? 自治?

 3年生が学ぶ教室で、五十嵐暁郎校長(73)が四つの政治観を紹介した。そしてスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんや、香港の若者の動きを伝える映像をみせ、どれにあたるか問いかけた。授業が終わると男子生徒が歩み寄り、「それは海外の話ですよね。日本では年上の考えが優先される。自治とか闘争とか、きれいごとじゃないですか」と言い返した。

 五十嵐さんはこの生徒に「政治を諦めたら終わり」と説いたあと、私に「彼は自分の頭で考えているから、ああいう言葉が出てくる。良いな」と漏らした。

 日本でも、かつては若者が街頭で声を上げていた。

 とりわけ高揚したのが1960年の安保闘争だ。岸信介首相が「私は『声なき声』にも耳を傾けなければならぬと思う」と語ると、私たちこそ声なき声だと抗議するグループが各地に生まれた。その一つが「声なき声の会」。五十嵐さんは10年ほど遅れて大学院生の時に会に加わり、社会運動も、その退潮も体験した当事者。政治学者で、立教大学名誉教授でもある。

 街頭の抗議は、なぜ影を潜めていったのでしょう?

 そう聞くと、五十嵐さんは生活スタイルの変化を挙げた。高度経済成長とともに不足する人材を企業が囲い込もうとし、就職したら定年まで決められたレールを走る働き方が広がった。そこでは政治と向きあう時間を割けなかったり、しがらみだらけで自由にものを言えなかったりする。

 だが、おかしいと思ったら抗議しないと、権力者は「これが民意だ」と勝手に解釈する。物言わぬ国民は「権力者にとっては最も好ましく、最も民主的ではないのです」。

 五十嵐さんが考える民主主義は、政治に物申すことにはとどまらない。

 「民主主義とは、自分の運命は自分で決めるという運動だと思うのです」

 権力者にも、男子生徒がいう「年上の考え」にも、会社にも、運命を委ねない。自分で決められる人を育てるのが、五十嵐さんが描く主権者教育だ。

 日本では、学校で現実の政治課題に踏み込むと批判や圧力にさらされやすく、主権者教育といっても投票の仕方や制度の話に終始しがちだ。だが自由に語りあうこともできないのでは「主権者」は育たないと考えている。

     *

 経済成長を謳歌(おうか)した時代はすぎた。働き方も変わりつつある。耳を澄ませば、だれかに運命を委ねまいとする人たちの声に気づく。

 「借金せずに大学行きたい!」「学費を下げてバイト減らしたい!」

 12月22日、東京・渋谷駅前。「本当の高等教育無償化」を訴える大学生のグループ「FREE」が音楽にあわせて訴えた。大学の授業料値上げが相次ぎ、「高等教育無償化」のかけ声のもとで設けられる授業料減免制度も、対象が「真に支援が必要な低所得者世帯」に限られたためだ。

 「みなさんの将来のお孫さんやお子さんが受験する時、進学したいけどできない、させてあげられないことになるかもしれません」

 そう呼びかけたのは、授業料が値上がりした東京芸術大の2年生、北澤華蓮さん(19)。なぜ「将来のお孫さんやお子さん」を想像しようと呼びかけるのか尋ねると、「分断がテーマだと思っていて」と答えた。

 当事者以外は、授業料がどれほど負担になっているかピンとこない。特に年上の世代は、若いころの安い授業料が頭にある。

 在学生の授業料は据え置き、新入生から値上げするやり方も「ひきょう」と映る。大学に抗議しにくい立場の人に負担を強いることになるからだ。

 「在学生と新入生の間とか、いろんなところに分断を生み、声が上がりにくくしているんじゃないでしょうか」

 世代によって原体験が異なり、なじんでいるメディアも、触れる情報も違う。経済的、地域的格差も広がる。そんな時代でも、分断を超えてともに声を上げるため、FREEは学生の実態を伝え、共感を広げようととりくむ。

 分断は、世界の民主主義を揺るがしている。

 スウェーデンのV-Dem研究所の2019年の報告書によれば、過去10年間にハンガリーや米国など24カ国で民主主義の程度を示す指標が顕著に悪化し、独裁化、権威主義化へ進んでいる。

 理由に挙げるのが、社会が分断され、対話が難しくなっていることだ。対抗勢力への敬意を失った政治家は権力闘争の際に、事実に基づく議論をしなくなったり、民主主義を支えるルールを守らなくなったりしているという。政府に批判的なジャーナリストが拘束、殺害されるような例をふくめ、表現とメディアの自由や、「法の支配」が脅かされていることを指す。

 日本はいまのところ、民主主義が顕著に悪化した国には分類されていない。しかし報告書はこう問う。

 「世界はいま転換点にあるのかもしれない。問題は民主主義が力を取り戻すのか、独裁化に向かう長期的な波の中にいるのかだ」

 ■若者たちの政治参加を進めるために

 スウェーデン政府は昨年、後退する民主主義を前進させるという外交政策を打ち出し、世界の若者との対話にとりくむ。

 12月3日、東京の大使公邸に、日本の大学生、高校生ら約30人が招かれた。

 まずスウェーデンで暮らすブラジル人ジャーナリスト、クラウディア・ワリンさん(56)が、移り住んで感じた驚きを伝えた。その一つが若者の投票率だ。18年の国会議員選挙では、18~24歳の84・9%が投票した。

 幼いころから学校で民主主義や批判的に考えることを学ぶ。自分たちの声が尊重される経験を積む。選挙の争点について議論し、実際の政党や候補に模擬投票する。そんな積み重ねがあるから高いという。

 参加者はグループにわかれて対話した。終了後、日本の大学生に聞くと「積極性や未来への希望が違う」と驚き、3年前に日本で選挙権年齢が18歳に引き下げられた際、自分たちは「投票しろっていわれても」と困惑したと振り返った。

 日本の若者の投票率は低い。昨年7月の参院選の20歳の投票率は26・34%(抽出調査)にとどまる。

 低さを心配する声は政界でも上がる。自民党の鈴木隼人衆院議員(42)は「いまの20代の投票率をもとにざっくりと試算すると、40年後くらいの全体の投票率は三十数%程度になる」と憂える。それでは選挙をしても幅広い民意を映せず、民主主義が空洞化する。

 若者の政治参加にとりくむ鈴木さんは、超党派の若者政策推進議員連盟の結成に動き、その事務局長代理を務めている。議連は18年5月の発足からこれまで、被選挙権年齢引き下げなどの提言をまとめ、いまは主権者教育のあり方を検討する。それらを含む若者の政治参加基本法案を20日召集予定の通常国会にも提出することをめざす。

 議連は若者の政治参加の場でもある。登録した若者団体(58団体)は議論に参加できる仕組みにしたからだ。議連事務局は「日本若者協議会」が担う。「若者が議論に与えている影響は大きい」と鈴木さん。

 若者の声が法に実れば、大きな成功体験となる。それが呼び水となって参加が広がり、民主主義が前進する日がくるかもしれない。

 希望は、未来を担う若者にある。

 ■大臣ツイート、適切だったか

 昨年8月当時、文部科学相だった柴山昌彦さんが英語民間試験について「サイレントマジョリティは賛成です」とツイートしたのは適切だったのだろうか。

 柴山さんは8月の記者会見で、その根拠に朝日新聞の調査で賛成が多かったことを挙げた。だが、これは17年12月~18年1月の時点で、英語の「聞く・読む・話す・書く」力を入試で測ることへの賛否を保護者に尋ねたもので、「民間試験」と明示して聞いたわけではない。

 9月の会見では、民間試験導入に「賛成」が多かった別の調査も根拠に挙げた。その後、11月の朝日新聞社の世論調査では、民間試験活用に反対が賛成を上回っていた。

 柴山さんは取材に対し「私がツイートした時点では多くの方々が賛成していたと思う」とし、民間試験を導入し定着すれば「『(導入の)決断はよかった』という世論調査が出ることも十分想定されるのではないか」と話した。

 しかし「賛成」とみえる調査結果があったとしても、世論は政策の意義や問題点がわかるに連れて変わりうる。民意は我にあると決めつけず、反対の声にも耳を傾け、対話を重ねるのが担当閣僚の務めではなかったか。

     ◇

 編集委員 松下秀雄 1964年生まれ。以前は主に永田町・霞が関を取材してきた。近年は政治参加や憲法改正国民投票などに関心をもつ。

 ◇岐路にある私たちの社会。かつて炭鉱でいち早く異変を知らせたカナリアのように、危機や転換点に直面する人たちがいます。記者がいま一番伝えたい現場をルポします。次回は万人が願う健康長寿と、経済格差について。

カナリアの歌:6

入会金150万円、高級人間ドック、働く医師の危惧

     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14316488.html?ref=pcviewer
     2020年1月6日05時00分

 ガラス張りの「点滴ルーム」。眼下を新幹線が行き交い、日比谷や有楽町の街並みが望める。

 東京駅から徒歩数分の「パシフィックセンチュリープレイス丸の内」9階に、「SBIメディック」はある。ソフトバンクで孫正義氏の側近だった北尾吉孝氏率いるネット金融大手、SBIホールディングス傘下の会員制組織。富裕層に「健康管理支援サービス」を11年前から提供する。

 2日間で100項目以上を検査する「総合人間ドック・スーパープレミアム」に加え、同じフロアのクリニックと提携し、しみとりや疲労回復の点滴なども受けられる。健康保険は適用されないサービスだ。

 入会金は150万円、さらに毎年の会費が50万円。どんな人が利用するのか。

 昨年末に取材で会った会員の中野了さん(88)は、絵に描いたような品の良い老紳士だった。「今月は、クリスマスや忘年会と称する会合が9回あるんです。毎日、楽しいですよ」

 父親が創業した化粧品会社のトップを長く務めた。経営の一線を退いた今も、ライオンズクラブなどの活動で忙しい。健康の秘訣(ひけつ)は、毎日やることがあり、生活のリズムを変えないことだという。「ここに入れて安心感があります。私は本当に恵まれている。経済的にも、人の縁にもね」

 759人いる会員は、中小企業の経営者やその家族が多い。平均年齢は58歳。「健康長寿になるだけでなく、SBIグループの金融サービスから知恵を吸収して資産長者も実現し、100歳を超えても充実した人生を送っていただきたい」と広報担当者は言う。

     *

 ここで会員の健康管理を担う「東京国際クリニック」の高橋通院長(51)にも会った。こちらの頭の中を見透かしたかのようにこう話した。「楽だと思ったら大間違いですよ」

 全会員が年1回受ける人間ドックでは、「3分の2の人に異常が見つかる」。会員は健康の知識が豊富で、質問も鋭い。

 「金持ちの相手しかしていないイメージがあるでしょう」。高橋さんが切り出したのは意外な話だった。人間ドックの結果を伝える準備で連日夜遅くまで働きながら、週に1日、がん患者の訪問診療を手伝っているというのだ。

 公営住宅や生活保護を受ける人も多い地域で、患者が家で過ごすのをサポートする。そんな現場で働くことは「医師としてバランス感覚を保つことにつながっている」という。

 医療の世界では、遺伝子情報などを使い、病気の発症を予測し介入する技術の開発が進む。こうした最先端の医療は高額だが、SBIメディックの会員の関心は高い。「でも、これを公的な医療保険でカバーするのは難しい。健康格差が生まれやすい時代になった。一医療者としては危惧があります」(浜田陽太郎)

 (2面に続く)


お金じゃない、健康長寿支える近所づきあい
     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14316454.html?ref=pcviewer

写真・図版 写真・図版
 老後を家族ばかりには頼れない。政府も財政難で心もとない。貧富が命の格差に直結しかねない時代。「健康長寿」をどう支えるのか。(浜田陽太郎)

     ◇

 国民皆保険のもとでの医療が「必要かつ十分」で「最適」であり続けるためには、市場原理ではない何か別の仕組みが必要――。

 沖縄県立中部病院(うるま市)の内科医、高山義浩さん(49)は最近、自身のフェイスブックでこんなメッセージを発した。

 担当は「地域ケア科」。厚生労働省や地元自治体で地域医療や介護の計画づくりに携わり、現場と政策の両方を知る。

 高山さんの言葉を自分の目で確かめようと、案内をお願いし、昨年末に沖縄県中部を回った。

 まず訪ねたのは、金武町に住む61歳の男性。がんの手術で3カ月入院した後、「たばこが吸えない病院はイヤ」と、覚悟の帰宅を果たした。歩くのも不自由ながら、一人で暮らす。

 この男性のもとを週2回訪問する看護師、長田陽子さん(43)は驚きを隠さない。「なんでこんなに尽くすんでしょうか」。近所の「ヒラノ」さんという人のことだ。家族でもないのに庭の掃除や、おかゆづくりまでやっている。男性とは「長年の友だち」という関係だ。

 長田さんはヒラノさんとほぼ毎日連絡をとり合っている。男性が薬をちゃんと飲んでいるか、確認をお願いすると、「オー、いいよ」と二つ返事で引き受けてくれる。

 取材当日、長田さんにヒラノさんと連絡をとってもらったが、姿を現さなかった。恥ずかしがりなのだと長田さんはみるが、信頼は厚い。「(男性の)具合が悪い時は、泊まり込んでもらえるか頼んでみようと思うんです」

     *

 次に向かったのは、うるま市で一人暮らしの桑江ミツ子さん(90)。米軍に接収されたこともあるという家の居間では、女性5人がミツ子さんを囲み「ゆんたく」の最中だった。沖縄の言葉で「おしゃべり」のことだ。

 手作りのお菓子を持参したペルー出身の登川カロさん(50)は、ミツ子さんを車に乗せて一緒に買い物に行くという。ほかの人たちも毎日、さりげなく安否確認をしたり、食事を届けたり……。周りとの緩やかなつながりが、ミツ子さんの健康と長寿を支え続けていた。

 驚いたのは、3年ほど前、ミツ子さんが認知症を疑われたのがきっかけで入院したときの出来事だ。高山さんの知人の医師、犬尾仁さん(50)によると、彼女たちは「ミツ子さんは退院できる。自宅で暮らせる」と言って、病院に直談判に来たという。

 1人当たり県民所得は全国で最低水準の沖縄県だが、75歳の人の平均余命は女性が全都道府県で1位、男性は2位。お金がかかる社会保障や民間サービスばかりに頼るのではなく、ご近所づきあいも高齢者の暮らしを支えている姿が見えた。

 「市場原理ではない別の仕組み」の一つは、お金で買えない人のネットワークだった。高山医師は言う。「大変なのは、団塊世代と団塊ジュニアが高齢期を過ごす2040年ごろまで。各地域が弱者を見殺しにせず、下り坂を下りていけるのか……。私たち日本人の力の見せどころですよ」

 ■「ピンピンコロリで医療費減」の幻想

 「『ピンピンコロリ』をめぐる物語」。東京大の武藤香織教授(保健学)は10年ほど前、こんなタイトルの文章を雑誌「現代思想」に寄せた。

 体育指導が専門の長野県職員が、高齢者との対話の中から「ピンピン生きてコロリと死ぬ」というフレーズを思いつき、「PPK運動」として学会で発表したのが1979年。その後、女性デュオ「ピンコロズ」が「ピンコロルンバ/ピンコロ音頭」を04年に発売し、普及に一役買った。

 武藤教授は「もともとは『丈夫であること』に力点があったPPKは、90年代後半から医療費抑制や介護予防推進の文脈で使われるキャッチフレーズに変容した」と分析する。

 いま、PPKの意味を考え直したい。そう思うのは、安倍政権が「全世代型社会保障」の看板施策として、「健康寿命の延伸」を掲げているからだ。

 健康寿命とは「平均寿命から寝たきりなど介護状態の期間を差し引いたもの」。米国の大学教授らが国際比較した調査では、日本は男性70・6歳、女性75・5歳(10年時点)で、世界一長い。

 支えてきたのは、「政府」による社会保障の拡大だ。61年に国民皆保険が実現し、00年に始まった介護保険は、「家族」が担ってきた高齢者のケアを「社会化」しようとした。

 ただ、社会保障にかかる費用は高齢化の進行と相まって増え続けている。団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になる25年、高齢人口がピークに達する40年をどう乗り切るのか。

 いまは、財政が厳しい政府の役割は抑え込み、「市場」の役割を広げようとする力が優勢に見える。

 「後期高齢者の病院での窓口負担を2割に」といった形で、受診のハードルを上げ、公的な負担は削る。一方で、民間企業が提供する予防サービスの市場拡大をはかる――。透けるのは、「予防の効果で健康寿命が延び、平均寿命との差が縮めば、医療や介護費を減らせる」という発想だ。

 これはPPKの思想とも重なり合うが、幻想に近い。実際は予防医療で生涯の医療費が減ることはなく、むしろ長生きする分、増える可能性が高い。この認識は、専門家にほぼ共通する。

 武藤教授は警鐘を鳴らす。「誰でも、いつ病気になるかはわからない。病気とともに長く生きていく可能性があり、なかなか簡単に死ねない。その当たり前に向き合わないといけない」

 命長き社会を支える役目が市場だけに偏り、「カネの切れ目が命の切れ目」になる社会。それは、誰も望んでいないだろう。

     ◇

 編集委員 浜田陽太郎 1966年生まれ。社会福祉士の資格を持ち、一人暮らしの高齢者を支援する活動もしている。今回の取材で救いだったのは、現場の医師や看護師らの志の高さだった。働く環境は違っても、社会全体を考え、使命を果たす矜持(きょうじ)を感じた。

     ◇  映像報道部 越田省吾 1972年生まれの団塊ジュニア世代。カメラマンとして約20年、日本のあちこちで「格差」の広がりを垣間見てきた。今回の取材を通して、命を預かる医療現場では、それがより切実な形で表れることを見せつけられた。

 ◇岐路にある私たちの社会。かつて炭鉱でいち早く異変を知らせたカナリアのように、危機や転換点に直面する人たちがいます。記者がいま一番伝えたい現場をルポします。次回は新しい学びの場を求める人々を描きます。

※ 歌を忘れたカナリヤ ってどういう意味ですか???
   https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1460266449

  歌を忘れたカナリアは 後ろの山に棄てましょか
  いえいえ それはかわいそう

  歌を忘れたカナリアは 背戸の小薮に埋けましょか
  いえいえ それはなりませぬ

  歌を忘れたカナリアは 柳の鞭でぶちましょか
  いえいえ それはかわいそう

  歌を忘れたカナリアは 象牙の舟に銀のかい
  月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す

童謡「かなりあ」(詩・西条八十)です。童謡は大正時代に、鈴木三重吉、北原白秋など唱歌に飽きたらぬ文学者や詩人たちが、「子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むような歌と曲」を与えようと立ち上がって作られた子供のための歌なのです。

西条八十は幼い日、教会のクリスマスに行った夜のことを思い出しながら、この唄を作詞しました。教会内に華やかにともされていた電灯の中で、彼の頭上の電灯が一つだけポツンと消えていました。

幼き心に「百禽(ももり)がそろって楽しげにさえずっている中に、ただ一羽だけ鳴くのを忘れた小鳥であるような感じがしみじみとしてきた」のです。

子供の心を知る西条は、そのように傷つきやすい子供らの心に希望を与えようとして、この「かなりあ」を作詞したのです。唄を忘れたカナリアも、自分の居場所を見つけることができれば再び美しい声で歌い出すのです。 このカナリアは、作者の西条八十自身であり、創作活動に行き詰まりを感じていた当時の心境を歌詞にしたとも言われています。

「唄を忘れたカナリア」になった彼は、詩を捨てたほうがいいのだろうか、それとも無理にでも詩を作ったほうがいいのだろうかと悩みます。

世界には、まだまだ詩となるべき美しいものが満ちているはずであり、自分はそれに気が付いていないだけだ。それを見つけることができたなら、忘れていた詩を作れるようになるという思いを込めて、この童謡を作ったのです。