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続折々の記 2020②
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 02 】01/28~
           神とは何か   知ることができても見ることはできない
              ・ 細胞の働き(遺伝子能力による)は something great
              ・ 母こそは 命のいずみ
              ・ 神ともにいまして
              ・ 旧約聖書を調べる
              ・ 聖書の中の良いニュース

 01 28 (火) 神とは何か  知ることができても見ることはできない

神とは何か?

知ることはできたが見ることはできない!

何故、見ることはできないか?  肉眼でとらえることなどできないからだ!

何故、知ることができるのか?  細胞の働き(遺伝子能力による)は something great によるものだからだ!

何故、 something great なのか?  それはわからないのだ!

何故、わからないのか?

それは、こう理解するからである。  生物(動物と植物)はすべて細胞からできており、理論上、細胞の始まり、つまり細胞がどのようにして地球上に命をもって出来(現われ)たのかわからない。

では誰(条件、環境)が、生命のないものから生命のあるものを実現させたのかといえば、誰も答えられない。

答えは一つ、創り出したのは Got(神様) しかない。

神をどう理解するかとすれば、そう理解するほかにはない。  勿論、神様という言葉でなくてもよい。  お天道様でも、水神様でも、山の神様でも、道具の神様でも、私たちの祖先の人たちはそう呼んで理解してきていたと私は理解したい。

新しく出現することを創造という漢字を使い、つくるという漢字を見ると作る・造る・創るの三つしか出ていない。

創るを検索してみると、『「作る」「造る」「創る」 - 違いがわかる事典』 がありそれを開くと詳細な例を挙げて解説している。

「創る」をみると次の通りである。

創るは、「芸術作品を創る」「新しい雑誌を創る」など、新しいものが対象で、新しいものであれば有形無形を問わず用いられる。ただし、常用漢字表では「創」に「つくる」の訓がないため、公用文では「創る」と書かず、「作る」か「造る」と書く。
「学校をつくる」という場合、建物という意味であれば、大きな有形物なので「造る」だが、理想の学校という意味であれば、無形のものなので「作る」。
新しい学校という「創立」の意味の場合、私的文章ならば「創る」か「作る」、公用文ならば「作る」と書く。

このような使い分けがあるから、「てんちそうぞうのかみ」と入力すれば、「天地創造の神」しかでてこない。

  答えは一つ、「天地創造の神」であり、人が考えていくならば、己自身は細胞からできておりその細胞を「創り」出したのは「神」としか言いようがない。 細胞は遺伝子の相伝によるものであり、その細胞の始まりはたった一つの「天地創造の神」が創った細胞であり、それが環境適応によって進化し多細胞の生物になってきたというしかない。

だから、今でもその一つの細胞が進化し相伝して自分ができていると言うしかないのです。

この相伝を担っているのは女性であり母なのです。 そして十戒の第五戒から第十戒までの人対人の訓戒になるがその基本は最初の「父母を敬うこと」にあると言えます。

この理解の仕方によれば、モーゼが先人から伝承した言葉とする十戒の第一戒から第四戒までの神についてのグループと、あとの人対人の第二グループは、きわめて合理的な表現と考えざるを得ません。


この考えによれば、次の歌にしても極めて合理的なことなのであり極めて大切なことなのです。

  母こそは 命のいずみ      唱歌「母の歌」が見つかった・・・
  いとし子を 胸にいだきて
  ほほ笑めり 若やかに
  うるわしきかな 母の姿

  母こそは 千年(ちとせ)の光
  人の世の あらんかぎり
  地にはゆる 天つ日なり
  大いなるかな 母の姿      母の歌(楽譜)


わたしたちの生命いのちそれ自体は、細胞の集合体の生命であります。 細胞自体には something great と言われるあらゆる能力を保有しているけれど、永遠の生命ではなく種によりそれぞれの生涯があります。 ではその生涯の目的は何かといえば、種を残すこと、種子を残すとか子供を残すとか、それが感情ぬきの事実になります。

ではなぜ生きるのかということが疑問になる。 いろいろ考えてみて私は生命いのちの目的は悦楽だと考えました。

何故なのか。  どの種を見ていても、子孫を残してから生涯を終えている事実と、環境適応自体はよりよく生きていこうとする意志をそれぞれ持っているからです。 そこには進化もあり、人とすればいろいろの技術や思想や文化や宗教や倫理観など、希望なり夢を持つことがあります。 生きるには悦楽の底流があるし、それに即する気質もあります。

種を残すという大きい目的の達成のために、愛もあり恋もあり子を残す歓喜もあるのです。 鮭が自分の故郷に帰ってきて卵を残した瞬間の映像をテレビで流します。 鮭の表情は歓喜そのものだと思います。 カマキリのメスは交尾中でもオスを食べてしまう。 鈴虫にしても子供を残した雄は逃げないと雌に食べられてしまいます。 これはカマキリや鈴虫に聞いてみないとわかりませんが……。


次の讃美歌はだれでも持ちたい心身の希望を大事に、と願う気持ちを生涯を終えるまでと歌い上げていると思います。 自分をだいじにという基本的な愛の在り方を歌にしています。 私はそう理解しているのです。

  神ともにいまして        歌詞と歌曲(1) 歌曲(2)
   ゆく道をまもり
  あめの御糧(みかて)もて
  ちからを与えませ

    また会う日まで
    また会う日まで
    かみのまもり
   汝が身を離れざれ

  荒野をゆくときも
  あらし吹くときも
  ゆくてをしめして
  たえずみちびきませ

    また会う日まで
    また会う日まで
    かみのまもり
   汝が身を離れざれ

  御門(みかど)に入る日まで
  いつくしみひろき
  みつばさのかげに
  たえずはぐくみませ

    また会う日まで
    また会う日まで
    かみのまもり
   汝が身を離れざれ        楽譜

生物の細胞の寿命はその種によって違っている。 しかし、生命の始まりはいずれにせよ♀と♂のうち、♀がその中核としての働きを担っていることは共通している。

♀の表現は、人の言葉としては妥当ではなく女性または母親の表現が正しい。 人間の場合は女性がひとりの人の生命を授かります。 受胎により人の生涯も始まります。

命を産みだすのは人間にとっての母なのです。 野上弥生子の「母こそは命の泉」に間違いないのです。

歌詞の作者野上弥生子は大分県臼杵市生まれで昭和初期から約60年、北軽井沢の大学村に春から秋にかけて過ごしていたという。 軽井沢町の軽井沢高原文庫には北軽井沢の山荘の離れ(書斎兼茶室)が移築されている。 臼杵市には、弥生子の生家の一部を改装した記念館がある。

「母の歌」の次に取り上げた「讃美歌405番」は「神ともにいまして」で始まり、「御門に入る日まで」と表現しています。 これこそ心身を構成している細胞(不思議な無限のエネルギーすなわち something great )の集合体であるその心身に、想いを託した「別れ」の歌だと言えます。

この歌を調べていると、 God be with you ! という別れの気持ち(神よ、あなたと共にあれ!)を表現したものとわかりました。

別れといえば、島崎藤村の「若菜集」高楼と、戦時中に一部かえて歌われた藤江英輔作曲の「惜別(せきべつ)の歌」が思い出される。 「惜別の歌」は二木紘三のサイトを開くと、蛇足と共に藤江英輔の説明や投稿者が寄せた沢山の言葉があり、大変参考になります。

次に島崎藤村の詩集「若菜集」高楼と藤江英輔作曲の「惜別の歌」を表示しておきます。

「若菜集」高 楼
「惜別の歌」漢字入り文
   わかれゆく ひとををしむと こよひより   別れゆく 人を惜しむと 今宵より
      とほきゆめちに  われやまとはん      遠き夢路に  われや纏(マト)わん
藤江英輔作曲の「惜別の歌(歌曲)」
   とほきわかれに  たへかねて   (1番)遠き別れに  たえかねて  
   このたかどのに  のぼるかな   この高殿に  登るかな
   かなしむなかれ  わがあね   悲しむなかれ  我が
   たびのころもを  とゝのへよ   旅の衣を  ととのえよ
   -
   わかれといへば  むかしより   (2番)別れといえば  昔より 
   このひとのよの  つねなるを   この人の世の  常なるを
   ながるゝみづを  ながむれば   流るる水を  眺(なが)むれば
   ゆめはづかしき  なみだかな   夢はずかしき  涙かな
   -
   したへるひとの  もとにゆく   -
   きみのうへこそ  たのしけれ   -
   ふゆやまこえて  きみゆかば   -
   なにをひかりの  わがみぞや   -
   -
   あゝはなとりの  いろにつけ   -
   ねにつけわれを  おもへかし   -
   けふわかれては  いつかまた   -
   あひみるまでの  いのちかも   -
   -
   きみがさやけき  めのいろも   (3番)君がさやけき  目のいろも 
   きみくれなゐの  くちびるも   君くれないの  くちびるも
   きみがみどりの  くろかみも   君がみどりの  黒髪も
   またいつかみん  このわかれ   またいつか見ん  この別れ
   -
   なれがやさしき  なぐさめも   君が優しき  なぐさめも
   なれがたのしき  うたごゑも   君が楽しき  うた声も
   なれがこゝろの  ことのねも   君が心の  琴の音も
   またいつきかん  このわかれ   またいつ(か)聞かん  この別れ
   -
   きみのゆくべき  やまかはは   (4番)君の行くべき  やまかわは 
   おつるなみだに  みえわかず   落つる涙に  見えわかず
   そでのしぐれの  ふゆのひに   袖のしぐれの  冬の日に
   きみにおくらん  はなもがな   君に贈らん  花もがな
   -
   そでにおほへる  うるはしき   -
   ながかほばせを  あげよかし   -
   ながくれなゐの  かほばせに   -
   ながるゝなみだ  われはぬぐはん   -

讃美歌405番が Got be with you. に基づくし、戦争によって学業を離れ戦地に赴いた学徒、それを送る 「別れ」 を覚悟した生涯の終わりを意味した「惜別の歌」だからこそ、私はちょっと横道にそれていた。

神とは何か、その言葉の中味としてモーゼの言葉を大事にするようになり、自分の考えもそれによって組み立てるようになった。 その一つとして、自分の意志でなく国家の趨勢する政策によって死地に赴いた学徒のことを思うと、自分も体験した国の意志によって死地に赴く非条理への悔恨がつねに胸を突くのです。

こんなことから、モーゼの先祖は何故 「人を殺すな」 という誰でもわかる訓戒の言葉を伝えたのか?  それを今でも大事な戒として伝えているのか?

日本には神道にしても仏教にしても、戒を10挙げなさいと言われても、神官も僧侶も「人を殺すな」ということを挙げるとは思わない。 それは何故か。 それを挙げるような歴史の環境になかったと言うほかにないだろう。

では何故モーゼの先人は10戒のなかへとり挙げたのか?  旧約聖書を調べるほかないだろう。

google で検索すると次のことが分かった。


呼称
『旧約聖書』とは、『新約聖書』の『コリントの信徒への手紙二』3章14節などの「旧い契約」という言葉をもとに、2世紀頃からキリスト教徒によって用いられ始めた呼称である。これは古い契約の書が旧約聖書であって、新しい契約が新約聖書という意味であり、『旧約聖書』という表現はサルディスのメリトン(190年)に見られ、アレクサンドリアのクレメンスがよく用いている。しかし、キリスト教側の観点でしかないために最近では『ユダヤ教聖書』、『ヘブライ語聖書』、『ヘブライ語聖典』などと呼ばれることもある。

ユダヤ教においては、トーラー、ネビイーム、ケトゥビームの頭文字、TNKに母音を付した『タナハ』と呼ばれる他、『ミクラー(Miqra):朗誦するもの』と呼ばれることもある。ミクラーはクルアーンと語源を同じくしている。

内容
『旧約聖書』の内容は古代イスラエル人・ユダヤ人の思想活動すべてを網羅するごとく多岐に渡っている。以下に旧約聖書に含まれる文書の概略を記す。

天地創造と部族長の物語
旧約聖書の冒頭が創世記である。その冒頭では神が7日間で世界を創り、楽園に男と女(アダムとイブ)を住まわせたが、彼らが蛇の誘惑によって禁忌を犯したので楽園を追放されたという、神による天地創造と人間の堕落が語られる(創世記1-3)。以下、創世記には最初の殺人であるカインとアベルの兄弟の話(創世記4:1-16)、ノアの箱舟(創世記6:5-9:17)、バベルの塔(創世記11:1-9)などの物語が続いていく。

続いて創世記には、アブラハム・イサク・ヤコブの3代の族長の物語が記されている(創世記12-36)。アブラハムはバビロニアから出発して、カナン(現在のイスラエル/パレスチナ)にやってきた遊牧民の族長であり、神から祝福を受け諸民族の父になるという約束を与えられた(創世記12:2)。イサクはアブラハムの息子であり、彼にも子孫が栄える旨が神から約束されている(創世記26:24)。さらにその息子がヤコブであり、彼と契約を結んだ神はヤコブとその子孫にカナンの土地を与えると約束している。ヤコブはこの契約でイスラエルと改名し、彼の子孫はイスラエル人と呼ばれるようになった(創世記32:29,35:10)。ヤコブは12人の男子および数人の女子をもうけたが、男子それぞれがイスラエル十二氏族の長とされている(創世記29-30)。つまりヤコブがイスラエル/ユダヤ人の始祖である。

創世記には、この族長の3代記に続けてヤコブの末子のヨセフの物語が記されている(創世記37-50)。兄たちに殺されかけてエジプトに奴隷として売り飛ばされながら、夢占いと実力で立身出世してエジプトの宰相にまで登りつめ、飢饉に苦しむようになった父と兄たちをエジプトに呼び寄せて救う話である。創世記では、これらの他に悪徳の町であるソドムとゴモラの滅亡(創世記18:20-19:28)、ヤコブと神の使者との格闘などの話(創世記32:23-33)が有名である。

また創世記には、多くの系図が含まれておりイスラエル周辺部族の縁起等も語られている。

モーセと律法
創世記は以上で終わり、物語は出エジプト記につながっていく。前述のヨセフの時代にエジプトに移住していたイスラエル人達は、王朝が変ったために、やがて迫害されるようになる(出エジプト1:1-14)。そこに、エジプト人として教育を受けたモーセ(出エジプト2:1-10)が、神から召命を受けて立ち上がり(出エジプト3:1-4:17)イスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し(出エジプト5:1-15:21)、神が族長ヤコブに約束した「乳と蜜の流れる」カナンの地を目指しながら40年間シナイ半島で放浪する(出エジプト15:22-40:38、民数記)。モーセが数々の奇跡でエジプト王を威嚇し(出エジプト7:8-11:10)、追跡するエジプト軍を逃れるために海を二つに割ってその間を通っていくシーン(出エジプト13:17-30)などは有名であり、映像化もされている。現在も続くユダヤ教の行事、たとえば過越祭除酵祭仮庵祭などはこの出エジプトおよび荒野流浪の故事にちなむものとされており、ユダヤ文化の中でも特別で象徴的な位置を占める物語である。

シナイ山でモーセとイスラエル人は神から十戒を授かり(出エジプト20:1-16)、他にも様々な祭儀規定や倫理規定、法律が言い渡される(出エジプト19:1-34:35)。十戒は多神教の禁止や偶像崇拝の禁止に始まり、殺人・姦淫・窃盗を禁止し、父母への敬愛や隣人愛などの倫理を規定するものであるが、この十戒を基にして神はイスラエル人全体と契約を結ぶ。このシナイ山での契約は、ユダヤ教の重要な原点のひとつとされている。「ヤーウェ(ヤハウェ)」という神の名はモーセの召命時に初めて明かされ(出エジプト3:13-15)、モーセ以前には「アブラハムの神」「イサクの神」「ヤコブの神」という呼ばれ方でしか知られていなかった部族の神が、名前を明かした状態で民衆全体と契約を結んだのである。

出エジプト記の他にもレビ記、民数記、申命記には、おびただしい量の法律、倫理規定、禁忌規定、祭祀規定が記されており、これらをまとめて律法(トーラー、原義は「教え」)と呼ぶ。たとえば法律としては「ある人の牛が隣人の牛を突いて死なせた場合、生きている方の牛を売って折半し、死んだほうの牛も折半する」など細かな規定に及んでいる(出エジプト21:35)。倫理規定としては「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ19:18)など、禁忌規定としては豚食や鱗のない魚を食べることの禁止(レビ記11章、申命記14章など)であるとか子ヤギの肉を乳で煮てはいけない(申命14:21)だとかの細かな食物規定であり、祭祀については祭壇の寸法までが細かに指示されている(出エジプト25-28章)。レビ記、民数記、申命記は物語よりは律法の記載がほとんどであり、ユダヤ教の伝統では創世記から申命記までの五書全体を律法と呼んでいる。また、これらの律法はモーセが神から伝えられたものであるし、五書自体もモーセ自身が執筆したという聖書自身の記述と伝承があったためにモーセ五書という呼ばれ方がなされていた。イエス・キリストも「モーセの律法」と呼んだとされる。

申命記の最後でヨルダン川東岸から約束の地であるカナンを遠く望んだモーセは、そこでヨシュアを後継者に指名して後、モアブの地で没する。

歴史記述
申命記から続けて、ヨシュア記ではヨシュアに率いられたイスラエル人たちによってカナンの諸都市が攻略され、そこに移住していく様子が描かれる。角笛を吹き鳴らすと城壁が崩れ落ちた(ヨシュア記6:20)とされるエリコへの攻略(ヨシュア記2-6)などが有名。

ヨシュアに続いて、デボラ(士師記4-5)、ギデオン(士師記6-8)、サムソン(士師記13-16)といった軍事指導者が続いていくのだが、彼らは士師と称され、部族連合体であったイスラエル人たちの裁判官と軍事指導者の役割を兼ねていた。また、軍事判断によって神の意向を民に伝えていたことから彼らは預言者でもある。これらの士師たちの活躍を描いたのが士師記であり、女性の間諜によって髪を切られて力を失って殺されるサムスンの話などが有名である。

最後の士師がサムエルである。ここで物語はサムエル記に移り、イスラエル部族連合体が王制国家に移行する様子が描かれている。民衆の要求に応えて渋々ながらではあるがサムエルはサウルを王に指名するのである(サムエル上9-10)。

サウルはアンモン人やペリシテ人との戦争に勝つなど功績をあげるが(サムエル上11-14)、アマレク人との戦いで神の意に背いたためにサムエルから遠ざけられた(サムエル上15)。サウルに次いでサムエルから王に指名されるのが羊飼いであったダビデである(サムエル上16:1-13)。サウルとダビデとの確執は詳細に描かれるが(サムエル上16-30)、最後にサウルは戦死して(サムエル上31)、ダビデが王国を継ぐことになる。

ダビデはまず南部のユダの王となり(サムエル下2:1-7)、次いで北部のイスラエルの王となった(サムエル下5:1-5)。そしてエルサレムに遷都し(サムエル下5:6-12)、外敵を破って(サムエル下5:17-25,8:1-14など)、王国を確立して旧約聖書中最大の賛辞を受けている王である。また、詩篇に収められた歌の多くはダビデの作になるものとされており、文武に秀で神に愛でられた王として描かれている。サムエル記はこのダビデ王の治世までを描いており、そこから先は列王記に渡される。なお、キリスト教の旧約聖書でサミュエル記の前に挿入されているルツ記は外国人であったルツがダビデの曽祖父ボアズに嫁ぐ話で、キリストの贖い(買い戻し)の型であるとされる。

王国はダビデの息子のソロモン王の時代に最盛期を迎える。彼はダビデがエルサレムに運び込んだ「契約の箱」を安置するための壮麗な神殿を建築してユダヤ教の中心地としてのエルサレムを確立し、次いで自らのために豪華な宮殿を造営した。旧約聖書ではその富の噂を聞きつけて遠国からの献納が絶えなかったとしている。その中ではシバの女王の来訪などが有名であろう(列王上10章、歴代下9章)。新約聖書の中でも「ソロモン王の栄華」といった言葉が登場する。またソロモンは知恵に優れた者とされており、格言集である箴言はソロモン王に帰せられている。しかし、ソロモンは神殿や宮殿の造営を過酷な課税で賄っていたために、ことに北部の反感を買った(列王上12:4など)。王の死後、北部のイスラエル王国と南部のユダ王国に分裂することになる。

列王記はこの後、南北の王朝史を綴っていくことになる。それによれば、北部のイスラエル王国は短命な王朝が相次ぎ最後にはアッシリアに滅ぼされてしまう。また南部ユダ王国ではダビデ王の血筋が続くものの最後にはバビロニアに滅ぼされ、神殿は破壊されて多数の国民が連行されてしまう(バビロン捕囚)。ユダ王国では、宗教改革が行われたことが伝えられており、ヨシア王の時代にモーセの律法が再発見されたという(列王下22章)。

歴代誌はサムエル記と列王記と内容的に重複する歴史書であるが、南王国の立場から書かれていて、北王国については何も書かれていない。

バビロン捕囚での様子は旧約聖書の歴史書には記されず、預言書の中から窺い知るしかない。イザヤ書やエレミヤ書、エゼキエル書がバビロン捕囚の時代に編纂されたと推定されており、流謫の嘆きが語られているし、詩篇の中にも捕囚時代が反映しているとされる歌が収められている(詩篇137:1-6)。また、哀歌はエルサレム陥落を嘆いたとされる歌をまとめたものである。

やがてバビロニアがペルシャに滅ぼされると、ユダヤへの帰還活動が始まる。エズラ記によれば第一次帰還がキュロス王の布告で実施されるのだが、他民族の抵抗により神殿復興は叶わなかった。ダレイオス1世の時代になって神殿建設が許可され、エルサレム神殿は復興する。その後、アルタクセルクセス王の時代に「モーセの律法に詳しい書記官」であるエズラがペルシャ帝国からエルサレムに派遣されて、ペルシャ王の「献酌官」ネヘミヤと共にモーセの律法の復興運動を起こしたことがエズラ記、ネヘミヤ記で描かれている。エズラは外国人との結婚を無効宣告し、ユダヤ人の純化運動を進めた。ここで復興された神殿がハスモン王朝時代に拡張され、イエスの時代に至っている。

キリスト教の旧約聖書にあるエステル記は、この時期にペルシャ王の后になったユダヤ人女性エステルについての挿話である。

以上、旧約聖書における歴史記述を概観したが、王国時代の歴史記述が最も詳しく、バビロン捕囚以後の歴史は断片的にしか語られていない。ヘロドトスの『歴史』で有名なペルシャ戦争も、ユダヤは軍隊の通行路に当たっていたと考えられるが、旧約聖書では全く言及されておらず、歴史記述が途切れている。

例外として、ヘレニズム時代のマカバイ戦争とハスモン朝の勃興を描いたマカバイ記がある。ペルシャがアレクサンダー大王によって滅ぼされるとユダヤは大王の死後に成立したセレウコス朝の支配下に入るのだが、アンティオコス4世はエルサレム神殿を略奪し、ユダヤ教を迫害したためにハスモン家の主導で反乱が起こる。ユダヤ人はこの反乱によって再独立を果たし、ハスモン王朝が成立するのである。新約聖書に登場するヘロデ大王もハスモン王朝に連なっている。なお、このマカバイ記はユダヤ教やプロテスタントでは聖書正典とされておらず、正教会やカトリック教会が正典とする第二正典の一つである。


聖書をいろいろ調べていて、モーゼの十戒と神は something great(村上和雄筑波大学名誉教授がいう細胞の生命(いのち))だという考え方は、間違いがないものと考えていたことが、聖書の創世記1章を読んではっきりしました。

聖書の中の良いニュース
     このウェブサイトは、聖書についての理解を深めます
     https://yoi-shirase.trueseed.net/2016/07/21/in-the-image-of-god/

私たちがどこから来たのかを理解するために、聖書から学ぶことができるでしょうか?
多くの人は「いいえ」と言いますが、聖書が伝えることの観点から、私たちについて納得のできることが書いてあります。
例えば、聖書が私たちの原点について伝えていることを考えてみてください。
初めの章ではこう言っています。

(創世記1章2627
そして神様は言いました。
「人間を私たちの生き写しとして作りましょう。」
そして神様は、人間を神様自身の生き写しとして創造しました。
神様は、男と女、彼らを作りました。


「神様の生き写し」
人類は、神様の生き写しとして作られたということは、どういう意味なのでしょうか? それは、神様は2つの腕と1つの頭があるということを意味しているのではありません。 しかしそれは、私たちの基本的な特性は神様からきているということを意味しています。 聖書では、神様は悲しんだり怒ったり、喜びに満ちたり、私たちが持っているものと同じ感情を持っています。 私たちは、毎日決断したり選択をしたりします。 神様もまた、決断したり選択をしたりします。 私たちは考えることができ、神様もまたそうなのです。 神様の生き写しということは、私たちが精神や感情、そして意思を持っているということなのです。 なぜならば、神様が精神や感情、そして意思を持ち、このように神様に似せて私たちを創造したからなのです。 神様が私たちの中にある源なのです。

私たちは「私」と「あなた」に関して自覚があります。 私たちは「それ」という非人称ではありません。 神様がこのようであるので、私たちはこうであるのです。 聖書の中の神様は、映画スターウォーズにでてくる「パワー」のような非人称ではなく、私たちもまたそうではないのです。 なぜならば、私たちは神様の生き写しだからです。

なぜ私たちは美を好むのか?
私たちもまた芸術、演劇や美を評価します。 私たちは、音楽や本といった美を周りに必要とします。 音楽は、私たちの生活を豊かにし、心踊らせます。 私たちはよい物語を好みます。 なぜならば、物語にはヒーローや悪者、劇的な物語があり、そして素晴らしい物語は、このようなヒーローや悪者、劇的な物語を私たちの想像の中に引き込むからなのです。 私たちは芸術を楽しみ、くつろいだりリフレッシュするのに取り入れます。 それは神様が芸術家であり私たちは神様の生き写しであるからなのです。 それは、質問するに価値のあるものです。 「なぜ私たちは芸術の美や、演劇や音楽、ダンス、自然や文学を追求するのでしょうか?」 無神論者であり脳開発の権威者であるダニエル・デネットは、非聖書の観点からこういっています。

(ダニエル・デニット「解明される宗教──進化論的アプローチ」p43) 「しかし、この研究のほとんどは未だに音楽を当然のことと思っています。それはほとんど ”なぜ音楽が存在するのか” と、こう尋ねません。そこには短い答えがあり、それは本当なのです。今のところ、音楽は存在します。なぜなら、私たちは音楽を愛し、それゆえに私たちは音楽を、存在の中に持ち続けます。しかし、なぜ私たちは音楽を愛すのでしょう?それは、私たちは音楽が美しいとみなしているからです。しかしなぜ音楽は私たちにとって美しいのでしょう?これは、完全な素晴らしい生物学的な質問です。しかしそれはまだいい答えではありません。」

神様から離れると、なぜすべての芸術の様態は私たちにとって大切なのか、という明確な答えはありません。聖書の観点からすると、それは、神様がものを美しくし、美を楽しむことを作られたからなのです。私たち神様の生き写しは、同じなのです。この聖書的教えは、私たちの芸術に対する愛を理解しているのです。

なぜ私たちは道徳的なのでしょうか
神様の生き写しであることは、私たちの道徳的な能力を説明しています。私たちは、言葉や言語は違っていても、何が「間違っている」行動で何が「正しい」行動なのかを理解しています。道徳上の筋道は私たちの中にあります。有名な無神論者であるリチャード・ドーキンスはこう言っています。

(リチャード・ドーキンス「“神は妄想である”」p223)
「私たちの道徳上の判断の営みは、普遍的な道徳上の決まりです。言葉にすれば、私たちの道徳上の基本を作る原理は、私たちの意識から目立たないように活動しています。」

ドーキンスは、私たちの善悪の意識は、言葉を持つための私たちの能力のように私たちの中に作りあげられます、と説明しています。しかし、なぜ私たちはこれがたった身体的な源からくるのかを説明することが、彼にとって難しいのです。神様が私たちに道徳上の羅針盤をくださったことを理解しないと、誤解が生まれます。他の有名な無神論者であるサム・ハリスの議論を例えてみましょう。

(サム・ハリス ”キリスト教 科学教育” p38-39)
「もしあなたが宗教の信念が本当の道徳上の基本を提供するということを信じることが正しいとするならば、無神論者は信者より道徳がないことでしょう。」

ハリスは誤解しています。聖書によると、私たちの道徳上の良識は、信者からではなく神様の生き写しからくるのであります。なので無神論者は、私たちと同じく、この道徳上の良識を持ち、道徳的に行動できるのです。無神論者は、なぜ私たちはこのようであるのか理解していません。

なぜ私たちはこんなに関係があるのか
聖書的には、私たちを理解する初めの地点は、私たちが神様の生き写しであるということに気づくことです。人々が、絆を置くことの大切さに気付くことは、難しいことではありません。いい映画をみることはいいですが、友達と見るともっといいでしょう。私たちは経験を共有したり、健康を向上させるために、家族や友達を探し求めます。対照的に、寂しさや壊れた家族関係は、私たちにとってストレスになります。もし私たちが神様の生き写しであるならば、神様と一緒にこの重要性を見つけ出すことに期待するでしょう。そして私たちはそうであります。聖書はこういっています。「神様は愛である。(1ヨハネ4章8)聖書には、神様は私たちの愛を彼と他の人々のために定めたという重要性について、多く書かれています。それらは、聖書の中で2つの最も重要な統率であるイエスによって呼ばれています。あなたがそれを考える時、愛は少なくとも二人の間で起こる関係であるべきでしょう。

なので、私たちは、神様は、愛する人と考えるべきでしょう。もし私達が神様を慈悲深いものであるとみなすならば、それは、聖書的な神様ではないのです。むしろそれは、私たちが私たちの中に作り上げた神様なのです。神様がそれであっても、神様はまた人間関係においても情熱的であります。神様は愛を「もっている」のではありません。神様が、「愛」なのです。神様と人間との関係の状況で、聖書上最も重要な関係は、父と子、そして主人と妻の関係なのです。それらは遠い関係ではなく、深く根本的な人間関係なのです。聖書は神様はこのようであると言っています。

ここに、私たちがこれまでに学んだことがあります。人々は、精神であり、感情、そして意志を持つ神様の生き写しであります。私たちは、自分や他人に気づいています。私たちは、善悪の違いを理解しています。すべての形の中に、美や演劇、芸術や物語に感謝し、そして他の人との友情関係や人間関係を向上させ、探し求めるでしょう。私たちはすべてこうであります、なぜならば、神様がこうであり、私たちは神様の生き写しであるからです。次に、なぜ私たちの人間関係はいつもがっかりさせ、なぜ神様は遠い存在に感じるのかを説明している聖書を学びます。なぜ私たちの深い願望は決して満たされないように思われるのでしょうか。