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続折々の記 2020②
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】10/25~     【 02 】01/28~     【 03 】01/31~
【 04 】02/03~     【 05 】02/10~     【 06 】02/11~
【 07 】02/14~     【 08 】02/18~     【 09 】02/27~
――――――――――――――――――――――――――――――
【 06 】02/11~
           日本の建国記念日  DNAから多くの祖先を訪ねて
           緊急ニュース  雲行きの変化
             ① 首相がヤジ、辻元氏に「意味のない質問だよ」
             ② 聖戦の英雄か、テロリストか
             ③ 30代独身、シリア帰りの戦争屋
             ④ 中東でイランの影響が広がっているの?
             ⑤ 遺伝子操作の時代 「坂道」を滑り落ちぬために
             ⑥ 「強権」のままでいい若者たち

 02 11 (火) 日本の建国記念日      DNAから多くの祖先を訪ねて

今日は戦前の紀元節の日にあたる。 明治になって記念日を作ったものだから、眉唾だと思いますが、調べてみるといろいろの人たちが 活動して日本の起源を推定したことがわかります。

wikipedia で紀元節を調べてみると驚きます。 開いて読んでみてほしい。

紀元節(きげんせつ)は、古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日をもって定めた祝日。日付は2月11日。1873年(明治6年)に定められ、1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止された。かつての祝祭日の中の四大節の一つ[1]。

この2月11日の日付は、日本書紀で神武天皇が即位したとされる紀元前660年(神武天皇元年)1月1日 (旧暦)の月日を、明治に入り新暦に換算したものである。詳細は神武天皇即位紀元を参照。1966年(昭和41年)に、2月11日は「建国記念の日」として国民の祝日となり、翌年から適用された。

とあり、

「紀元節の制定まで」から「制定後から「建国記念の日」に変わるまで」を詳しく解説しており、8世紀初めに編まれた『日本書紀』にはじまり明治に到ってからいろいろと議論が交わされて1873年(明治6年)10月14日、新たに神武天皇即位日を定め直し、2月11日を紀元節とした、と詳細な解説をしています。

戦前の小学生は、1893年(明治26年)に文部省によって選定された伊沢修二作曲の唱歌「紀元節」を2月11日に歌ってきました。

天気がいいので 「雲にそびゆる髙ちほの ……… 」 と、曲が口をついて流れ出すのです。

       紀元節  作詞:高崎正風、作曲:伊沢修二(高遠藩校 進徳館)

  一、雲にそびゆる髙ちほの 髙ねおろしに艸も木も
     なびきふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ

  二、うなばらなせるはにやすの池のおもよりなほひろき
     めぐみのなみにあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ

  三、天つひつぎの髙みくら千代よろづに動きなき
     もとゐ定めしそのかみを仰ぐ今日こそたのしけれ

  四、空にかがやく日の本の萬の國にたぐひなき
     國のみはしらたてし世を仰ぐけふこそ樂しけれ



ここの紀元節の始まりを読んでいると、紀元節がいい悪いという批判よりも、故人の諸氏が学びに徹していたことに胸を打たれました。 学問としてみれば儒学をもとにしていたのだが、その一番の基礎となる学びの真剣さに頭が下がるのです。

日本古代の歴史については諸説があり、戦後はまだ歴史教育についての共通認識は定まっていないのが現状です。 しかし、いずれにしても国家として日本がまとまった時期があるはずですから、国家の起源をほっとかず一定の時期を決めなければならない。

そのことを考えると、紀元節を調べた先人の努力に感謝しなければならない。 学びの真剣さに気をつけないと、momo.960の⑤のように、最近ことに目立つようになった社会生活の(ひずみ)を改めていくことができないことになる。

日本の起源について最近多くの出版物が出ています。 このことについても「折々の記」に記録として残しておきたい。



いままでに「日本とユダヤのハーモニー」をコピーしたものが私製本として6冊あります。 よくぞ調べてくれたと、私は感謝しています。 このタイトルの目次の気に入ったところを開いて見ると、つきせない魅力と興味に(ひ)きつけられます。

いま手元にある出版物は  2018⑩ 【 09 】12/06~ に載せてあります。

27才のとき「私たちの祖先」を調べ職員研修会で発表した。 それまでの日本の起源か記紀を元にした日本歴史だったのに、安田徳太郎という人は医者であるにもかかわらず多くの外国の資料に目を通し「人間の歴史」(全6巻)を昭和26年10月20日初版発行した。 彼は独特の手法で南方起源説を紹介していた。 若い時の読書だったので、「私たちの祖先」のあらましは記憶に残っている。 それは興味津々(しんしん)の内容だったからだ。

そんなこともあって、日本の起源に関しては関心も深かったからか「イヴの七人の娘たち」(手元の本は2001年12月10日第2版発行)2010年1月25日配本と書入れがあるから、その本を読んでから新たに日本の起源に再度火がついたのです。

日本とユダヤのハーモニー」をコピーし始めたのはそんないきさつがあってのことで、921頁になっているのです。

生命科学の研究はどんどん進んでおり、ミトコンドリアDNAによる遺伝子は母系だけに受け継がれていることがわかってきたので、逆に調べれば誰でも自分の祖先を何千年でもさかのぼることができるのです。

ですから、「イヴの七人の娘たち」の本の奥書の裏に、

  あなたは誰の子供なのか?

   「自分は “七人の娘” の誰の血を引くのか調べてほしい」
   本書発行後、著者ブライアン・サイクスのもとに問い合わせが殺到した。
   現在、サイクス博士はオックスフォード大学の協力を得、
   “オックスフォード・アンセスタース'”を設立し、その要望に応えている。
   あなたの“DNAの母”を調べることも可能です。

   自分のDNAの母を調べたい方は、
   www.oxfordancestors.com までアクセスしてください。
   上記ウエブサイトは、現在は英語のみの対応ですが、
   小社ウェブサイト www.sonymagazines jp では
   申し込みなどを日本語で解説しています。

と案内まで載せています。

ここで、教科書作りのつもりで今もっている考えで文章化したらどうか?

それは今はできない。 いくつかのジャンルに分けてまとめ、それを組み立てる段取りを要するからです。 しばらくはこの課題とは外れるつもりです。


 02 12 (水) 緊急ニュース      雲行きの変化

① 首相がヤジ、辻元氏に「意味のない質問だよ」
② 1面 聖戦の英雄か、テロリストか
③ 2面 30代独身、シリア帰りの戦争屋
④ 3面 中東でイランの影響が広がっているの?
⑤ 8面 遺伝子操作の時代 「坂道」を滑り落ちぬために
⑥ 25面 「強権」のままでいい若者たち


① 首相がヤジ、辻元氏に (予算委で)
「意味のない質問だよ」
     https://digital.asahi.com/articles/ASN2D54KGN2DUTFK016.html?iref=comtop_8_03

【写真】衆院予算委で、立憲民主党の辻元清美氏の質問終了直後、自席から「意味のない質問だよ」と発言する安倍晋三首相(中央)=2020年2月12日午後2時47分、岩下毅撮影

 安倍晋三首相は12日の衆院予算委員会で、質問を終えた立憲民主党の辻元清美氏に対し、「意味の無い質問だよ」とヤジを飛ばした。野党議員は「一国の総理が言うことではない」と抗議し、予算委は10分余り、紛糾した。

 辻元氏の質問が終わった直後、NHKのテレビ中継でも聞き取れる声量で「意味の無い質問だよ」とヤジが飛んだ。質問席から去ろうとしていた辻元氏が「誰が言ったの?」と声を上げると、野党議員たちは「総理だ」と指摘した。野党の予算委理事は棚橋泰文委員長(自民党)に詰め寄り、審議を止めて事実確認するよう求めたが、棚橋氏は「私には聞こえなかった」などと拒否。野党側は10分以上にわたり質問時間を浪費することになった。

【写真】衆院予算委で質問する立憲民主党の辻元清美氏=2020年2月12日午後2時36分、岩下毅撮影

 その後、質問に立った立憲の逢坂誠二氏がヤジの事実関係を問うと、首相は「辻元氏がずっと、私に言わせれば質問ではなく、罵詈雑言(ばりぞうごん)の連続だった。私に反論の機会は与えられずに。こんなやりとりでは無意味じゃないかと申し上げた」と釈明した。

 辻元氏は自らの質問の最後に「タイは頭から腐る。上層部が腐敗すると残りもすべて腐る。総理が桜(を見る会)とか加計とか森友とか、疑惑まみれと言われている。官僚がかわいそうだ」と述べたまま、持ち時間を終えていた。

【写真】衆院予算委で、立憲民主党の辻元清美氏の質問終了直後、安倍晋三首相が自席から「意味のない質問だよ」と発言したことに関して、委員長席に詰め寄る野党理事ら=2020年2月12日午後2時50分、岩下毅撮影

 辻元氏は委員室を退席後、首相のヤジについて「びっくりした。私個人に対しても問題だし、立法府全体で問題視しないといけない。発言の撤回と謝罪を求めたい」と記者団に指摘。「私は歴代総理と議論し、はっきりものを言ってきたが、罵詈雑言ととったのは(安倍)総理お一人だ」とも語った。

     ◇

 第201回通常国会。国会や政党など政治の現場での様子を「政治ひとコマ」としてお届けします。(斉藤太郎、小林豪)

② (イラン 抵抗の三日月)
聖戦の英雄か、テロリストか
     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14362121.html?ref=pcviewer

 ■プレミアムA

 闇の中で燃え上がる炎に包まれる車両。その映像に、世界が震えた。

 1月3日未明、米軍はイラクの首都バグダッドの空港近くで、イランのイスラム革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害した。

 発火点は、イラクの親イラン武装組織「人民動員隊」(PMF)。昨年末、イラクでは米軍駐留基地への攻撃で米国人が死亡した。米国は、PMFとソレイマニ司令官が関与したとみた。米軍が司令官と同時に殺害したのは、PMFの指導者だった。米国は両者の関係強化を嫌ったのだ。      *

 イスラム教シーア派の聖地イラク中部ナジャフ。昨夏、私たち記者はPMFのある戦闘団の基地にいた。

 謎めいた所だった。敷地はコンクリートの壁と有刺鉄線で囲まれ、外からは中の様子をうかがうことはできない。

 私たちは「PMFがいつか米国とイランの戦争の火種になる」という予感を持っていた。PMFは欧米側のメディアへの警戒感が強く、その実態が伝えられることは極めて少ない。3カ月以上にわたる交渉の末に取材許可を得ていた。

 鉄門をくぐると戦闘服に身を包んだ25人ほどの若者がいた。それぞれ小銃やロケットランチャーを携えている。手元の気温計は46度を指した。空気が張り詰める。目の前で実戦を見据えた戦闘員の訓練が繰り広げられた。

 「そこに敵がいるぞ。動け!」「応援部隊が必要だ」。怒号が飛び交うなか、若者たちは目標に迫っていく。10分ほどで「敵陣」は制圧された。

     *

 分厚い胸板、鋭い眼光。取材を受け入れたPMF戦闘団「イマーム・アリ師団」のイマド・ザイディ副司令官(51)の左手には、戦場で負ったやけどの痕が残る。人さし指は変形し、親指の爪はしゃくれていた。イラク国内で過激派組織「イスラム国」(IS)と戦い、3回負傷した。

 手渡されたスマートフォンの画面から思わず目を背けた。肉がえぐれ、骨がむき出しになった足の写真だった。「私は仲間内で『生ける殉教者』と呼ばれている。死ななかったことは奇跡だ。お前にはもっとやることがある、というアラー(神)のおぼしめしだろう」と笑った。

 師団のメンバーは4千人。最盛期は1万8千人を擁した。元はイラク軍の将校だったザイディ氏は、「PMFの指揮官は常に最前線に立つ。それが、後方から指揮をとる国軍との違いだ」と力説した。「我々にとって、戦いとは宗教の教義に基づく使命の遂行だ。職業軍人のようなサラリーマンの仕事ではない」

     *

 勇ましい言葉は、命をかけて戦ったという強烈な自負を感じさせた。ザイディ氏や部隊をたたえる感謝状が、壁に飾られていた。帰り際、記者が席を立つと、見覚えのある顔写真が感謝状の一枚に添えられているのが目に入った。この時から5カ月後に殺害されたソレイマニ司令官だった。

 司令官は、革命防衛隊の中でも対外工作を担う「コッズ部隊」を率いた。各国でPMFのような親イラン勢力を育ててきた。

 「シーア派の三日月地帯」。国教のシーア派にちなみ、中東に広がるイランの影響圏はこう呼ばれる。 聖戦の英雄か。テロリストか。

 三日月の中には、司令官が深く関わった親イラン勢力がうごめき、共鳴し合っている。(ナジャフ〈イラク中部〉=高野裕介、其山史晃)

 ▼3面=いちからわかる!

 ◇よりすぐりのニュースやルポルタージュを、紙面とデジタルを駆使して伝える「プレミアムA」。今回の「抵抗の三日月」では、米イランの緊張が高まる中、渦中にある謎に包まれた武装組織の実態を中東各地で追いました。13日付から国際面でも連載を始めます。

 ◆キーワード

 <人民動員隊(PMF)> 過激派組織「イスラム国」(IS)に対抗するため、イラクのイスラム教シーア派最高権威シスターニ師の呼びかけに応じた民兵や市民で2014年に組織された。現在は約50の戦闘団の連合体。イランのイスラム革命防衛隊の支援を受け、反米的な戦闘団も多い。

 建前上は国の軍事組織の一部だが、実際は独自の指揮系統を持つと言われる。米国はイランと特に近い「カタイブ・ヒズボラ」など一部の戦闘団を「テロ組織」に指定。昨年5月にイラクを予告なしに訪問したポンペオ米国務長官は、アブドルマハディ首相に対してPMFを政府の統制下に置くことを求め、「できなければ米国が武力で対応する」と警告したと報じられた。

 (2面に続く)

 (1面から続く) ③ (イラン 抵抗の三日月)
30代独身、シリア帰りの戦争屋
     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14362050.html?ref=pcviewer

写真・図版  ■プレミアムA

 人民動員隊(PMF)の基地での取材を終えた私たちは、ある男と会うことを模索していた。だが、音沙汰がないまま1週間がたとうとしていた。

 「やはり無理か」。あきらめかけた時、男が取材に応じるとの連絡が入った。

 指定された場所はイラク中部にある民家。薄暗い一室で男を待った。

 「シリア帰りの戦争屋」。私たちはそう呼んでいた。米国からは「テロリスト」とされる人物だ。

 やがて姿を現した若い男は中肉中背のジーパン姿。ボタンがはち切れそうになったシャツは、中の鍛え上げた肉体をうかがわせた。

 名前はムハンマド、30代独身。

 私たちは戦闘員名、生年月日も確認したが、彼は「取材を受けたとわかれば殺される」と、それ以上の個人情報の掲載は拒んだ。

 「僕はイラク人だけど、イランで軍事訓練を受け、シリアで戦っている。カネのためにね」

 ソファに腰を下ろしたムハンマドは落ち着いた口調で話し始めた。意外に人なつこい笑顔を見せる。

 ■対米の最強硬派

 「シーア派民兵」。彼は、そう総称される戦闘員の一員だ。中でも、大国の思惑が渦巻くシリア内戦に派遣されたムハンマドはいわば「最前線」にいる存在。ベールに包まれた実態を語れる生き証人だ。

 所属はアラビア語で「神の党旅団」を意味する「カタイブ・ヒズボラ」(KH)。PMF傘下の戦闘団の一つだが、米国が「外国テロ組織」に指定する親イランの対米最強硬派だ。PMFの中でもメディアの接触は格段に困難な組織だ。

 米軍がイランの革命防衛隊・ソレイマニ司令官を殺害した発端は、昨年末のイラクの米軍拠点への攻撃だ。米トランプ政権はKHを「実行犯」と断定。司令官と共に殺されたPMFの指導者はムハンディス副司令官。KHの創設者だった。いわば、KHは米イランの緊張激化のど真ん中にいる存在だ。

 PMFへの取材で、「死すら恐れない狂信的な集団」との印象を抱いていた私たちには、「戦うのはカネのため」というムハンマドの言葉が気になった。

 ■大学出たものの

 「荒廃したこの国で飯の種を見つけるのは簡単じゃない。命は惜しいが、戦いに行くしかなかった」

 大学卒業後も、民間の就職口はなかった。信仰心と金目当て。どちらの入隊者が多いのか。「半分半分だな」。にべもなく言った。

 「できるだけ高給」との基準でムハンマドが選んだのがKHだった。

 2016年から10回以上、シリアに渡って戦った。アレッポ、パルミラ、ダマスカス近郊の東グータ地区。どこも激戦地だが、「人気の職場」だという。

 戦闘員の基本給は月額60万イラクディナール(約5万5千円)。イラクの平均給与と同じ水準だ。しかし、45日周期のシリア派遣に参加するごとに1400ドル(約15万円)が上乗せされる。KHでは、現地で革命防衛隊員から米ドル紙幣で手渡されるこの報酬を「(イランの最高指導者)ハメネイ師の贈り物」と呼んでいた。

 ムハンマドは、パルミラを訪れたソレイマニ司令官をすぐ近くで見たことがあると言った。司令官は、シリアにあるシーア派の聖地を守る大切さを戦闘員らに説き、「聖戦のために何か必要としているものはないか」と尋ねていたという。

 当のイラン政府は革命防衛隊員を派遣しているが、アサド政権軍の「顧問」に過ぎないと説明している。

 しかし、ムハンマドによれば、「地上戦に関わることは革命防衛隊が仕切っている。作戦指揮に始まり、武器や戦闘服の支給から、給与にいたるすべてだ」。

 シリアでは内戦前の人口約2200万人のうち、約555万人が国外に逃れている。大量の兵士が政権軍を離脱し、難民の多くも徴兵を嫌う若者だ。

 弱まった政権軍の戦力は、イランが育て、その指揮で動くムハンマドのような外国人戦闘員が補う。結果、イランの覇権が広がるというからくりが浮かぶ。

 こうした戦闘員はどう育成されるのか。ムハンマドが訓練を受けたのはイラク国内ではなかった。そして、イランの首都テヘラン近郊の訓練キャンプの存在を証言した。

 ■2カ月間の訓練

 キャンプの訓練は狙撃、爆破、山中や農地など地形に合わせた戦術、暗視ゴーグルを使った夜戦など多岐にわたった。2カ月間続いた訓練の教官は革命防衛隊員だった。訓練は戦闘団ごとだったが、食事はほかの戦闘団と共にした。「食堂には我々イラク人だけでなく、アフガニスタン人やパキスタン人の集団も大勢いた」

 また、座学もあり、イスラム法学者が繰り返し説くのだという。「世界を抑圧する米国とイランの戦争では、諸君が必要とされる」

 「イラク人にシリア内戦は関係ないだろ」。私たちは2年前に会ったシリア人の男を思い出した。アサド政権を倒そうと反体制派に入り、アレッポでPMF戦闘員に撃たれた。後遺症で右足を引きずっていた。

 イラク人がシリアで戦うのをどう正当化するのか。ムハンマドは迷わず言った。

 「KHのメンバーは全員イラク人だが、忠誠を誓うのはイランのハメネイ師。そのハメネイ師がシリアで戦うよう命じている」

 では、一人のイラク国民としてイランをどう思っているのか。

 彼は少し考えて話した。「イランのせいで、イラクはもっと壊れるかもしれない。だけど、イランの影響力を取り除くなんて、もはや不可能だ」(イラク中部=其山史晃、高野裕介)

④ (いちからわかる!)
中東でイランの影響が広がっているの?
     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14362143.html?

写真・図版 【映像】米国とイランをめぐる主な出来事

 ■反米掲げ勢力拡大。「シーア派の三日月」と呼ばれる

 アウルさん イランはいつから近隣(きんりん)の国々に関与(かんよ)し始めたの?

 A 契機(けいき)は1979年のイスラム革命(かくめい)だね。親米王朝が倒れ、イスラム教に基づく共和国が作られた。革命前は親米国同士でイスラエルと仲が良かったけど、イランの初代最高指導者ホメイニ師が「イスラエル占領(せんりょう)下で苦しむパレスチナ人を解放する」として、イスラエルと断交(だんこう)し、反イスラエル政策を始めたんだ。

 ア 大きな転換(てんかん)だね。

 A その後、イスラム教シーア派を国教とするイランは、反イスラエルの闘争(とうそう)を続ける中東のレバノンなどの武装組織(ぶそうそしき)への支援を始めた。

 ア イラクでもイランの影響(えいきょう)が大きくなっているんでしょ。

 A 米国がそのきっかけを作ったと言える。米国が主導した2003年のイラク戦争で、イランの宿敵だったフセイン政権が倒れたからだ。同じイスラム教でもスンニ派が支配していたフセイン政権に代わり、イランと同じシーア派中心の政権が誕生した。イランが入り込みやすい土壌(どじょう)ができたんだ。イラクを足がかりに、イランの影響力が大きくなるという恐(おそ)れが中東全体に広がった。特にスンニ派の国々はイランを警戒していて、ヨルダンのアブドラ国王がイランの影響圏を「シーア派の三日月」と表現したほどだ。

 ア 国外の勢力をどう支援しているのかな。

 A イランには国軍とは別に最高指導者直属(ちょくぞく)の精鋭(せいえい)部隊・革命防衛隊がある。その中の「コッズ部隊」という部隊が、外国での活動を任務としている。コッズは聖地である「エルサレム」を意味する。コッズ部隊がイラクやシリア、レバノンなどに行って武器や資金などの支援を行ったり、現地の武装勢力の訓練をしたりしているとされる。

 ア なるほど。

 A トランプ米政権はこういった外国への介入(かいにゅう)をするイランを「世界最大のテロ支援国家」と非難しているよ。コッズ部隊を率い、「国民的英雄」だったソレイマニ司令官は米国にとって脅威(きょうい)だった。司令官が殺害されたのはこのためだ。

 ア なぜイランは影響圏を作ろうとするのかな。

 A イランには、豊富な石油の利権(りけん)をめぐって、欧米から不平等な扱いを受けてきたとの歴史的なトラウマがある。そのため、地域のイスラム勢力が結集して対抗するとの考えから、親イラン勢力を中東各地に張り巡(めぐ)らせている。最高指導者ハメネイ師は、このネットワークを「抵抗(ていこう)の枢軸(すうじく)」と呼ぶ。米国と事を構えるときに、ゲリラ戦に持ち込むためとの見方もある。

 ア そもそも、イランはなぜ米国と仲が悪いの?

 A まず、1979年2月のイスラム革命と、同年11月の在イラン米国大使館人質事件があげられる。この事件では、革命でイランから逃げた国王を米国が受け入れたことにイランの学生らが反発し、米国大使館に突入したんだ。人質となった大使館員ら52人は解放されたが、80年に両国は断交した。88年の米海軍によるイラン航空機撃墜(げきつい)事件も、反米感情の素地となっている。

 ア イランは親米アラブ諸国をどう見ているの?

 A 親米国家であるサウジアラビアなど湾岸諸国への強いライバル心がある。イランでは古代ペルシャ帝国(ていこく)を作りあげた民族の末裔(まつえい)であるとの誇りがあり、「歴史的、文化的に湾岸諸国に比べてイランの方が成熟している」との意識が強い。この自尊心と、親米王制を倒したイスラム革命のイデオロギーが相まって、米国やイスラエルへの対抗心になっていると言える。

 ア 今後のイランと米国の関係は?

 A 当面の全面戦争は回避されたけど核合意の離脱(りだつ)以降、イランへの制裁を強化し続ける米国との対立関係は変わっていないよ。また、各地の親イラン勢力は司令官らの殺害への報復(ほうふく)を誓っていて、イラクでは米関連施設への攻撃が続いている。米側に死者が出た場合は再度、緊張は一気に高まる。トランプ氏の出方次第では、戦火は中東各地に広がりかねない。(杉崎慎弥)

⑤ (社説)
遺伝子操作の時代 「坂道」を滑り落ちぬために
     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14362039.html?

 世界中を驚かせた「ゲノム編集ベビー誕生」の発表から1年余。中国の裁判所は昨年末、研究者に懲役3年と罰金刑を科したが、根源的な解決は遠く、問題はくすぶり続ける。

 ねらった遺伝子をピンポイントで書き換えるのがゲノム編集だ。農水産物の品種改良などに使われるが、対象がヒトの受精卵となると話は違う。

 生まれる子に健康被害が出たり、思わぬ影響が子孫に受け継がれたりする恐れは拭えず、世界保健機関(WHO)の専門家会議は「現時点で臨床応用は無責任」との見解を示している。厚生労働省の委員会も、禁止のため法規制を含む措置をとるべきだとする報告をまとめた。

 それでも、受精卵の段階で遺伝子の異常を修復する基礎研究は世界各地で行われ、欧米の学術団体が条件を満たせば応用も容認されうると表明するなど、予断を許さぬ状況が続く。

 そんななか、立ち位置がなかなか定まらないのが日本の現実だ。生命とは何か。技術の進歩にどう向き合うべきか。社会全体で考えなければならない課題が、山積している。

 ■なし崩しの危うさ

 1978年、世界初の体外受精児が誕生した。倫理に反するとの批判や疑問が巻き起こったが、やがて広く受け入れられ、今や日本では子どもの16人に1人がこの方法で生まれる。

 90年代には、体外受精した受精卵から細胞の一部を取り出して遺伝子の状態を調べ、問題ないものを子宮に移植する「着床前診断」が可能となった。

 病気や障害のある人への差別につながりかねないため、日本では重篤な遺伝性の病気を対象に診断を認めてきた。その範囲を広げるかどうか、日本産科婦人科学会で先月末から議論が始まった。失明の恐れはあるが、命に関わるとまでは言えない目のがんについて、申請があったのを受けた動きだ。

 科学の進歩で病気の原因となる遺伝子の異常が次々と判明している。一方で、何を「重篤」ととらえるかは、立場や価値観、社会状況によって異なる。現行ルールはおよそ20年前につくられたものがベースになっているため、再検討する。

 妊婦の血液から胎児の染色体異常を調べる「新型出生前診断」をめぐっても、状況は揺れる。学会の指針で、3種類の異常についてのみ、カウンセリング態勢を整えた施設での実施が認められてきた。だが、これに従わない認可外施設が横行し、対処が求められている。

 受精卵のゲノム編集、着床前診断、新型出生前診断――。問われているのは、生まれてくる命に対し、遺伝子レベルでの介入をどこまで認めてよいかということだ。最初は限定的でも、なし崩しに広がってしまう「滑りやすい坂道」の上に立つことでも、三つは共通する。

 ■問われる「命の選別」

 病気や障害を排除し、より優良と考える子孫を残そうとする思想は「命の選別」とされ、ナチスへの反省も踏まえて批判の対象だった。しかし技術革新がその意味の問い直しを迫る。

 例えば、ゲノム編集によって本来生まれてくることのできない異常のある受精卵を治せるなら、それは新生児を救う「医療行為」と同じで、「命の選別」とはいえない可能性がある。ならば認めても良いのではないかとの意見が予想される。

 だが現実には、治療と予防を区別するのは容易ではない。

 では知能や身体能力を高めるための改変はどうか。個人の尊重を唱えるのなら、一律に禁止する根拠や理由はあるのか。

 この考えを突き詰めれば、親の希望で遺伝子を書き換えるデザイナーベビーを容認せざるを得なくなるかもしれない。一人ひとりの親が自分にとって最適な選択をしたとしても、望んだ社会になるとは限らない。もたらされるのは、多様な生を認めない生きづらい世の中ではないか。そんな声にも耳を傾け、合意点を見いだす必要がある。

 ■パッチワークを超え

 日本では新しい生殖技術が登場すると、そのつど対応を検討してきた。結果として、法律、行政機関の指針、学会による自主規制などが乱立。パッチワーク状態になっていて、貫く原則や理念は見えてこない。

 第三者の精子・卵子を使った生殖補助医療や代理出産も同様だ。子の権利や福祉に直接影響する話であり、多様な角度から検討して、整合のとれた制度を築くことが不可欠だ。

 政府の総合科学技術・イノベーション会議の下に生命倫理専門調査会が設けられてはいる。だがテーマは限られ、経済成長を目的とする会議体のため、人権や福祉の視点からの検討は軽視されがちだ。独立性の高い組織を設け、トータルな議論をする必要がある。国際的な動向への目配りも欠かせない。

 社会として守るものは何で、新しい技術に何を期待し、許容するのか。簡単に答えの出ない問題だからこそ、態勢を整え、考えを深めなくてはならない。

⑥ (民主主義は限界なのか)
「強権」のままでいい若者たち 中西新太郎・関東学院大教授に聞く
     https://digital.asahi.com/articles/DA3S14362028.html

写真・図版 【写真】主催した「桜を見る会」で挨拶する安倍晋三首相=2019年4月13日、東京都新宿区の新宿御苑(代表撮影)

 安倍晋三首相の通算在職日数が歴代最長になった。最近では「桜を見る会」で野党の追及を受けているが、これまでは「モリカケ」問題などの危機を乗り越え、底堅い支持を保ってきた。支持の背後にある社会意識とはどのようなものか。「保守化」が指摘される若者たちはどう見ているのか。若者と政治の関係に詳しい、中西新太郎・関東学院大学教授(現代日本社会論)に聞いた。

 ■今の「秩序」重視/代表制・多数決に「押さえつけられる」

 ――安倍政権下で「民主主義的な統治が変質している」と指摘されています。

 「『独裁』とはいえないかもしれませんが、辺野古の基地建設問題などを見ても、私たちが考えてきた民主主義的な統治の枠組みから外れたことが行われています。極めて権威主義的、強権的性質を持っているといえるでしょう」

 ――なぜ強権的な政治が行われ、支持を集めるのでしょうか。

 「それは安倍政権の特異性だけで説明できるものではなく、世界で進行する民主主義的な統治プロセスの空洞化とも関係があると考えています。『衆議を尽くす』進め方そのものが、『効率が悪い』と考える風潮が強まっています。社会・経済システムを革新していくためには権威主義の方が都合が良く、民主主義的統治は『邪魔』だという考え方です。ロシアや中国のように民主主義的統治と違う形の統治を実践するリーダーもいる。日本もそうした統治を創り上げなければ国家が衰退するという危機感が、安倍政権を支持する一つの力になっていると思います」

 ――若者が「保守化」しているという声もあります。なぜ、若者は政権を支持するのでしょう。

 「30代までの若年支持層を見た時には二つの特徴があります。一つは『権威』や『秩序』を守ることを重んじる人たち。比較的恵まれた層で、格差社会の中で『自分は安全だ。このままでいいんじゃないの?』と思える人たちが支持しています。もう一つは、なんとかギリギリ生活している層です」

 ――全く異なる層が支持しているわけですね。

 「ギリギリの生活をしている若者が、今の生活が何によって守られるかと考えた時に出てくるのも、『ルール』とか『秩序』という言葉なのです。若年層は総じて将来への希望を持っていない。この先良くなるわけじゃない、でもこれ以上悪くなったら困る、と考えた時に、この『ルール』や『秩序』がないとやっていけないのではないか。そんな意識が支持の背景にあると思います」

 ――「桜を見る会」問題では、政治の「私物化」も問われていますが朝日新聞の世論調査をみる限り、事態の深刻さの割に政権支持への影響は大きくないようです。

 「税金を使って支持者を呼ぶ、文書を廃棄して調べないなど、民主主義の観点からいえば、むちゃくちゃな話です。ただ『しょせん、政治ってそういう世界の話でしょ』という前提に立てば、とても小さな問題として捉えられてしまう。そこには、政治に対するシニシズム(冷笑主義)があります。あらかじめ、政治と距離を置き、『政治とはその程度の事柄だ』という態度です。日本はこうした政治文化が非常に強い」

 ――「民主主義」は若者にどのように映っているのでしょうか。

 「『代表制』や『多数決』も含め、民主主義は自分を押さえつける仕組みだと捉える若者も多いのではないでしょうか。『民主主義は大事だ』と唱えるだけでは通じないのです」

 ――著書で、民主主義が「損壊」されていると指摘しています。修復するにはどうすれば。

 「『#MeToo』運動に代表されるように、自分がおかしいと思うことに声を上げ、お互いの姿を確認してつながるという回路も出てきている。もっと、たくさんあるはずです。それは民主主義を取り戻し、社会を編み直すプロセスにつながるはずです。生活の延長線上に政治があり、その感覚で自ら直面する困難を捉え直した時、はじめて『民主主義は必要だ』と思えるのではないでしょうか」(聞き手・立松真文)

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 なかにし・しんたろう 48年生まれ。横浜市大名誉教授。著書に『若者は社会を変えられるか?』など。



緊急ニュースとしたのは、郵便箱から新聞を取り出したとき目にしたタイトル、それが「聖戦の英雄か、テロリストか」の大見出しの活字だった。 “聖戦 or テロ” 何のことか?

目を惹くタイトルだ !!  中近東の戦闘に関することだった。

もともと 9・11テロ に端を発した 米:イラク の不仲ではあるが、根拠も曖昧なアメリカの武力覇権を原因とする湾岸戦争が中東騒乱の中近東戦闘を招くことになっている。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生。9・11テロについてもサッダームは演説で「アメリカが自ら招いた種だ」と、テロを非難せず、逆に過去のアメリカの中東政策に原因があると批判、同年10月20日まで哀悼の意を示さなかった。同時テロ以降のアメリカ合衆国は、アルカーイダを支援しているとしてサッダーム政権のイラクに強硬姿勢を取るようになった。もっともイラク攻撃自体はアメリカ同時多発テロ事件以前から、湾岸戦争時の国防長官であった副大統領ディック・チェイニーや国防長官ドナルド・ラムズフェルドを中心とする政権内部の対イラク強硬派、いわゆるネオコンらによって既に議論されていたようである。ただし、サッダーム政権転覆計画については、前のクリントン民主党政権から対イラク政策の腹案の一つとして存在していた。

2002年1月、アメリカ合衆国のジョージ・W・ブッシュ政権は、イラクをイランや北朝鮮と並ぶ「悪の枢軸」と名指しで批判した。2002年から2003年3月まで、イラクは国際連合安全保障理事会決議1441に基づく国連監視検証査察委員会の全面査察を受け入れた。

2003年3月17日、ブッシュは48時間以内にサッダーム大統領とその家族がイラク国外に退去するよう命じ、全面攻撃の最後通牒を行った。サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーンは戦争回避のために亡命をするように要請したがサッダームは黙殺したため、開戦は決定的となった。

2003年3月20日、ブッシュ大統領は予告どおりイラクが大量破壊兵器を廃棄せず保有し続けているという大義名分をかかげて、国連安保理決議1441を根拠としてイラク戦争を開始。攻撃はアメリカ軍が主力であり、イギリス軍もこれに加わった。
( from wikipedia )
私たちは中近東の歴史は定かではなく、しかもイスラム教の派閥などが中近東不安定の元にあるなどとは知らずに今日に到っている。

そうしてみると、アメリカの一挙手一投足で世界があちこちしていくのは、とてもたまらない。 しかも石油産出というお金にかかわる軍産の目論見によっての動きであるとすれば、こんなバカげた話は(かな)わない。