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続折々の記 2020②
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 03 】01/31~
           モーセが伝承した内容と something great   神とは何か
              ・ 神様の末裔が自分であること
              ・ 福沢諭吉の「学問のすすめ」
              ・ 最高の目的、悦楽  見られても聞かれても真似されてもいい

 01 31 (金) モーセが伝承した内容と something great
神とは何か

いままで神について、モーセの言う神と村上和雄の言う細胞の働き(遺伝子能力による) something great この二人が意味するものは、実は同じ考えによるものだと私は理解した。 それはきわめて合理的な推論によるものと確信している。

いわゆる神様、釈迦の説く仏様、その神髄になる具体的イメージは、一つの言葉で言えば細胞を創った見えない何者かを表現表現するために使ったのだと確信することになった。 それはツジツマが合うのです。 前のページで取り上げたWordPressの「聖書の中の良いニュース」(創世記1章27節)は、さらに裏付けとして牧師の書斎は詳細に解説を載せています。


神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された
וַיִּבְרָא אֱלֹהִים ׀ אֶת־הָאָדָם בְּצַלְמֹו בְּצֶלֶם אֱלֹהִים בָּרָא אֹתֹו זָכָר וּנְקֵבָה בָּרָא אֹתָם׃
● 27節の「神は人をご自身のかたちとして創造された」は、「ツェレム」 (צֶלֶם) が二重に重ねられて強調されています。原文では「ヘツァルモー・ベツェレム」 (בְּצַלְמֹו בְּצֶלֶם) で、「ご自分のかたちにかたどって」という意味です。また、人が神のことばによって創造されたということを、「創造した」 (「バーラー」בָּרָא)  という動詞を三度も重ねて強調しています。
 【下平】 「ツェレム」 を調べると、次の二つが目を惹く
    玲樹の里  :  牧師の書斎

● 人 (「ハーアーダーム」הָאָדָם) が、ここで「男」を意味する「ザーハール」 (זָכָר) と、「女」を意味する「ネケーヴァー」 (נְקֵבָה) とに創造されています。それぞれ子孫を造っていくための性としての男性と女性、雄と雌という意味でもあります。「ザーハール」 (זָכָר) の語源は「ザーハル」(זָכַר)で、「神に心に留められている、覚えられている」という意味ですが、そこから派生する名詞「ジッカーローン」 (זִכָּרוֹן) は「記念、象徴物』を意味し、男根器を意味します。逆に「女性」を意味する「ネケーヴァー」 (נְקֵבָה) の語源「ナーカヴ」 (נָקַב) に女性器の形状をイメージさせる意味があります。とりわけ、男性は「種」 (「ゼラ」זֶרַע) を持つ存在であることが重要です。でなければ、「生めよ、増えよ、地を満たせ」という神の命令を実現することはできません。

● 26節の 26節の「人」は定冠詞のない「アーダーム」 (אָדָם) であったのに対して、ここ27節では冠詞付きの「ハーアーダーム」 (הָאָדָם) になっています。ちなみに、2章における「人」は、すべて定冠詞付きのアダムとなっています。
2019.11.11
この表現は、神が創った最初の細胞がそのまま一人一人の体になっているということになります。 この理解の仕方が讃美歌405の「神ともにいまして」という改まった表現になっていると解釈して間違いありません。

something great の神様の末裔が自分であるという認識が大事になるのです。

  神様の末裔が自分であること
        神とは細胞を創造したもので
       細胞は something great 全能の性質をそなえ
       染色体の遺伝子をもつものであり
       DNA によりできている


(DNAとはなにか)
DNAは、私たちの体のすべての細胞に存在するもので、DNAの情報に基づいて体の細胞や、器官、臓器が作られます。 そのためDNAは「体の設計図」とも呼ばれています。 DNAの情報に基づいて子孫に受け継がれる特徴を「遺伝形質」と呼ぶのですが、その遺伝形質を決める因子のことを「遺伝子」と言います。

今や日常会話でも使われる「DNA」という言葉は、生物学から出てきた用語で、「デオキシリボ核酸」を略したものです。 DNAはヒトで言えば、60兆個にも及ぶすべての細胞に存在し、DNAの情報に基づいて体の細胞、器官、臓器が作られていくため、「体の設計図」とも表現されます。

DNAは精子と卵子の中にも存在し、受精を経て親の特徴は子へと「遺伝」します。 DNAが持つ情報次第で、髪や目の色などの外見的な特徴、病気のなりやすさといった身体的な特徴などが決まってきます。 DNAの情報に基づいて子孫に受け継がれる特徴を「遺伝形質」と呼び、遺伝形質を決める因子のことを「遺伝子」と言います。(解説の一部)
私は人は誰でも「神様の末裔」だという考え方に即して、考えることにします。

そうするとやはり大事なのは、学ぶことが基盤になるのです。 学ぶことについては既に書いてきましたが、改めて福沢諭吉の「学問のすすめ」を心得ておきたい。 次は冒頭の一部です。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥(どろ)との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役(りきえき)はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々(しもじも)の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本(もと)を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺(ことわざ)にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人(げにん)となるなり。

 学問とは、ただむずかしき字を知り、解(げ)し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦(よろこ)ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴(とうと)むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟(ひっきょう)その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。

 されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬(たと)えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言(もんごん)、帳合いの仕方、算盤(そろばん)の稽古、天秤(てんびん)の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土(ふうど)道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。

 これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取り調べ、たいていのことは日本の仮名にて用を便じ、あるいは年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事につきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、みなことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。

 学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生まれつきは、繋(つな)がれず縛られず、一人前(いちにんまえ)の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限(ぶんげん)を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界(さかい)は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。譬(たと)えば自分の金銀を費やしてなすことなれば、たとい酒色に耽(ふけ)り放蕩を尽くすも自由自在なるべきに似たれども、けっして然(しか)らず、一人の放蕩は諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず。

 また自由独立のことは人の一身にあるのみならず、一国の上にもあることなり。わが日本はアジヤ州の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交わりを結ばず、ひとり自国の産物のみを衣食して不足と思いしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより外国交易(こうえき)のこと始まり、今日の有様に及びしことにて、開港の後もいろいろと議論多く、鎖国攘夷(じょうい)などとやかましく言いし者もありしかども、その見るところはなはだ狭く、諺(ことわざ)に言う「井の底の蛙(かわず)」にて、その議論とるに足らず。日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、情合い相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥ずることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸いを祈り、天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴(こくど)にも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄(す)てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。

 しかるを支那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄(いてき)夷狄と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤(いや)しめこれを嫌(きら)い、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄に窘(くる)しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。王制一度(ひとたび)新たなりしより以来、わが日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、すでに平民へ苗字(みょうじ)・乗馬を許せしがごときは開闢(かいびゃく)以来の一美事(びじ)、士農工商四民の位を一様にするの基(もと)いここに定まりたりと言うべきなり。

 されば今より後は日本国中の人民に、生まれながらその身につきたる位などと申すはまずなき姿にて、ただその人の才徳とその居処(きょしょ)とによりて位もあるものなり。たとえば政府の官吏を粗略にせざるは当然のことなれども、こはその人の身の貴きにあらず、その人の才徳をもってその役儀を勤め、国民のために貴き国法を取り扱うがゆえにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。旧幕府の時代、東海道にお茶壺の通行せしは、みな人の知るところなり。そのほか御用の鷹(たか)は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避くる等、すべて御用の二字を付くれば、石にても瓦(かわら)にても恐ろしく貴きもののように見え、世の中の人も数千百年の古いにしえよりこれを嫌いながらまた自然にその仕来(しきたり)に慣れ、上下互いに見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟これらはみな法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、ただいたずらに政府の威光を張り人を畏(おど)して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威というものなり。今日に至りてはもはや全日本国内にかかる浅ましき制度、風俗は絶えてなきはずなれば、人々安心いたし、かりそめにも政府に対して不平をいだくことあらば、これを包みかくして暗に上(かみ)を怨(うら)むることなく、その路を求め、その筋により静かにこれを訴えて遠慮なく議論すべし。天理人情にさえ叶うことならば、一命をも抛(な)げうちて争うべきなり。これすなわち一国人民たる者の分限と申すものなり。

 前条に言えるとおり、人の一身も一国も、天の道理に基づきて不覊(ふき)自由なるものなれば、もしこの一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るるに足らず、この一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚はばかるに足らず。ましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、いずれも安心いたし、ただ天理に従いて存分に事をなすべしとは申しながら、およそ人たる者はそれぞれの身分あれば、またその身分に従い相応の才徳なかるべからず。身に才徳を備えんとするには物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには字を学ばざるべからず。これすなわち学問の急務なるわけなり。 (以下 略)

   端書(はしがき)

 このたび余輩の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧(ふる)く交わりたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴りしかば、或る人これを見ていわく、「この冊子をひとり中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せばその益もまた広かるべし」との勧めにより、すなわち慶応義塾の活字版をもってこれを摺(す)り、同志の一覧に供うるなり。
 明治四年未ひつじ十二月                          福沢諭吉

「学問のすすめ」を見ていると、現在のトランプ政権のような国家中心の考えであったことによる不穏当な考えがあります。 けれども、当時の日本の歴史を考えると、日本が近代化するための疾風怒濤のさ中であったことや欧米の知識の導入と幕藩体制という環境の中で士族の先達たちはすべて国の為すべては(みんな)の為という日本の近代化の激変時代であったことを思うと、ところどころの表現は別として、私は感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っています。

それと共につけ加えておきたいのは、明治文学者の夏目漱石の先進文明国ロンドンへの留学中に、文学のバックボーンとしての精神において、西洋文学での価値観を拒否したと思われることでした。 拒否というと可笑しいのですが、少なくとも後年学習院で行なった「私の個人主義」に現れた考えや作品「草枕」に現われてくる創作の中に、東洋のバックボーンへの帰趨を強く感じているのです。 作品系列から見えてくる絶筆の「明暗」は完成しなかったにしても、かれの「則天去私」の表現は道元が辺境の地に修行寺を設けた心や帰朝後のインタビューで「眼横鼻直」と(こた)えたものに通ずると私は思っています。

漱石は慶応3年(1867.01.05) - 大正5年(1916.12.099ですから明治元年の前年生まれで不遇な幼少期~少年期を過ごしたけれど、どんな教育環境だったか知る術もないが学業成績は抜群のようであった。 「虞美人草」を読むかぎり漱石の漢学素養ははかり知れないし、「文学論」を開いてみたとたん英語解読にも舌を巻くばかりの英才だったと思う。 「学問のすすめ」をよみ漱石を見て今日の日本の現状を考えるとき、まさに雲泥の感があるのです。

現在の安倍晋三総理大臣に明治の志士の率先しての体当たりの気概を見ることもできないではないか。 17才のグレタ女史の意気概を、環境大臣小泉進次郎に見ることができないではないか。

現代の日本人が明治初年の日本のリーダー達の若々しい進取の気性を真似するような大人がいなくなっている。

こんな環境からは、若々しい進取の気性を学ぶことはできない。

神が願っている未来は、あくまでも悦楽の世界なのである。 私はそう考えている。 手っ取り早く言えば戦争という19世紀が引きずってきた絆を取り払うことだといえるのです。 それなくして世界の平和は望むすべはないのです。

口では世界平和と言いながら、人殺しの兵器を造ったり高額な兵器を買ったりして、どこに平和の手がかりがあると言うのでしょうか。

膝つき合せたときに、人と人が納得できる論理でない限り、まやかしの論理に振り回されるのはもう御免なのです。

国民一人一人がその立場をとらない限り、平和にはなりません。 平和という悦楽の世界は来ない。

悦楽こそ、あなたもわたしも、神様の心を大事に自覚しなくてはならないのです。

人は神の末裔だという思いにいたって、そのこと自体いろいろと調べてきてそのことに自覚を持つことになったのも、勝手な言い分だがいろいろと調べることができたからだと思う。

これも一つの学びという言葉で処理しておきたい。 歳を取ると考えがあちらこちらにふわふわと動いていくようになった。 同じようなことを繰り返して活字に変えて 「折々の記」 に記したように自分でも思う。 まあこれも仕方ない。

最高の目的、悦楽……具体的言葉として……平和、そのためには生命を授かった胎児に始まる幼少期の教育環境……即ち、母親を中心とした家庭の教育環境を、まねて育つ家庭環境を……どうしたらできるかを学ばなくてはならないのです。

  見られてもいい、聞かれてもいい、まねされてもいい
そういう育ての環境を自分たちがみんなで作らなくてはならないのです

違いますか。

筋が通った考え方は、簡単な言葉で誰でも納得できるものです。

考え方を正しくしていけば、お金をかけなくても育ての環境はできるのです。

お金をかけなくてもできる最高の育児法、 それは誰でもそうありたいと思うのです。 そしてそれは、基本的にできるのです。

その方法は一人でやろうとすると、なかなか難しいし、なかなか続かないものと思います。

みんなで考えて皆で理解し話し合いながら実践していけば、できるものなのです。

私は、そう思っています。

そうは言っても中味を考えてみるといろいろあって、どうゆう中味をどうゆう順序で具体的にはどの様にしたらいいのか。 一口ではそれに応(こた)えられません。

その中身をちょっと整理してみましょう

子育てといえば産む前から胎教とか栄養とか準備とか不安とか、いろいろあります。 お産はどうなんだろうとか生まれたら何をしていくのがいいのかとか、一つ一つ考えていくと、整理がつかなくなってくるだろうと思います。

ではどうするか、本を読むとか先輩の人からお聞きするとか友達からほんとのところを聞くとか、いろいろあるのです。 そうしたことを、予(あらかじ)め皆で自分の考えを出しあったり、人の話をお聞きしたり質問したりして、およその目当てを自分で持つことが一番いいことでしょう。

愛するわが子が自分でいろいろ考えいろいろ人にお聞きし自分の考えをもって行動するということが、現代はことに言われています。 その為には子供を育てる親自身が自分で物事を処理できることが大切なことなのです。

子供は親のようになるということは、故人のことわざにもいろいろと表現されています。 瓜の木に茄子はならぬ、とか親に似ぬ子は鬼子だとか、親を見れば子がわかるとか、言われます。 私も40年近くも中学の子供さんたちに接してきました。 そして篩(ふるい)に残った大事な言葉は、 「子育てとは、見られてもいい、聞かれてもいい、真似されてもいいこと」 だったのです。 間違いのない実感として胸に刻んだのです。

ですから、それを目指して自分で普段の生活を組み立てていくことが何より大事だという思いになってきたのです。 これは私のことだけではなく大事なお子さんの為には、家中(うちじゅう)の人が、見られても聞かれても真似されてもいいという心がけが大事なことと思うのです。

この基本姿勢でこれからも進めたい。