誤訳はどうして起こるのか。原書のまま訳すと分かりづらいため翻訳者が文章を補ったり、日本語の使い方を誤っていたり、単語の間違いから文章全体の意味がおかしくなっていたり、当時のだったため翻訳者には分かりづらいものだったり。となると、当然ながら変換ミスなるものによる誤訳もでてくる。また、警察組織の中における役職なども間違えやすい場合があるようだ。しかし、たった一つの単語の間違から大きな誤解に発展するのが誤訳というもので、考えると恐ろしい。ミステリではないが、翻訳があまりに酷いので絶版になった本もあるという。restroomを休憩室と訳すぐらいのことは当たり前。……というのがこの本の触りだが、どの誤訳も、原典のタイトルは書かかれていない。危ないのでタイトル等は伏せているのだろう。原典を読んだ人にだけ分かるという仕組みだ。
銃のクリーニング・キットを「洗濯キット」と訳したらしい、という例。「修理工がホームシックになったので、修理が終わるのはあしたになる」という、ある翻訳本の一文は、修理工が病気で家に帰った、の誤訳、という例。心当たりがあるのにタイトルが思い出せない作品もある。そういうのに出会うとなんだかカユい。
「ホームシック」の箇所はわたし自身、読んでいて違和感を覚えたからこそ記憶に残っていたに違いない。わたしは少々翻訳が酷くても平気な方だが、意味不明の文章にはやはり参る。それでも、昔の本なら、ああこの頃は辞書が整備されてなかったんだな、と時代を感じる楽しみ方もあると思う。誤訳というものを楽しめる臨界線はその辺りだ。
数作の翻訳物で読んだ気のする、でたらめという意味合いのbullshitを「牛のクソ」と直訳したケース。牛のクソという言葉は海外物によく登場する印象があるので、誤っても仕方ないように思える。
誤訳とは違うが、ハードボイルドの作品を訳すとき、一人称の主人公を「おれ」と訳すか、それとも「私」か、「ぼく」かというのが重要、というページでは笑ってしまった。確かに。
話題作が結構載っている。もちろんタイトルは秘密なのでいちいち書かない。これを読むと、翻訳者にとって、どういった原文が曲者か、といったようなことが分かる。原文自体のミスもあるはずだし、最近のアメリカのミステリなどはスラングや略語だらけで大変だろう。それに流行り言葉や常套句というものがある。時代によって色々な含みのある言葉や、できすぎたジョークの裏の意味を掴んで読者に分かる日本語に直すのは重労働に違いない。
それにしても素晴らしいのは正確さにこだわった著者の努力。ミステリに限らないが、数え切れないほどの出典から不可思議な翻訳を拾い上げている。翻訳者と翻訳の誤りを正す側、双方があってこそ正当な海外ミステリの評価が生まれると思う。わたしも今度、小説の中で「牛のクソ」という語に出会ったら、誤訳か否かを考えてみたい。