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お気に入りの歌⑧
<いろいろの思い出>

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  01  一月一日
  02  二宮金次郎
  03  人を恋うる歌
  04  真白き富士の嶺
  05  川の流れのように
  06  半崎美子の歌詞
  07  オバケのQ太郎
  08  鉄人28号
  09  今ありて
  10  四季の雨
  11  四季の歌
  12  下伊那農学校 校歌
  13  靴が鳴る
  14  世界の民謡・童謡
  15  静かな湖畔
  16  わらべうた・遊び歌・日本の古い童謡
  17  やさしいお母さま
  18  ねんねんころりよ おころりよ
  19  犬
  20  アッツ島血戦勇士顕彰国民歌


[ 1 ]  作詞: 作曲:

[ 2 二宮金次郎 ]  文部省唱歌

  一 柴刈り繩なひ草鞋(わらぢ)をつくり、
    親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し、
    兄弟仲よく孝行つくす、
    手本は二宮金次郎。

  二 骨身を惜(をし)まず仕事をはげみ、
    夜なべ済まして手習(てならひ)読書、
    せはしい中にも撓(たゆ)まず学ぶ、
    手本は二宮金次郎。

  三 家業大事に費(つひえ)をはぶき、
    少しの物をも粗末にせずに、
    遂には身を立て人をもすくふ、
    手本は二宮金次郎。

         ─ 『尋常小学唱歌(ニ)』明治44年6月

(注)1. 歌詞は、岩波文庫『日本唱歌集』(堀内敬三・井上武士/編、昭和30年12月
    20日第1刷発行)によりました。ただし、表記を歴史的仮名遣いに変えました。
   2. 講談社文庫の『日本の唱歌 [上] 』(明治篇)(金田一春彦・安西愛子/編、
      昭和52年10月15日第1刷発行、昭和57年7月30日第3刷発行)によれば、「この歌
      は、昭和16年の『ウタノホン』で姿を消した」そうです。 
   3. 『幼年唱歌(四ノ下)』(明治35年9月)に、桑田春風(くわだ・しゅんぷう)作
      詞、田村虎蔵作曲の「二宮尊徳」があります。

         二宮尊徳        桑田春風

   一  朝(あした)に起きて、山に柴刈り、
      草鞋(わらぢ)作りて、夜(よ)は更くるまで、
      路ゆく暇(ひま)も、書(ふみ)を放たず、
      あはれ、いぢらし、この子、誰(た)が子ぞ。
   二  勤倹力行(りよくかう)、農理をさとり、
     世に報徳の、教(をしへ)をつたへ、
      荒地拓(ひら)きて、民を救ひし、
      功績(いさを)のあとぞ、二の宮神社。

   上記の歌詞は、講談社文庫の『日本の唱歌 [上] 』(明治篇)(金田一
   春彦・安西愛子/編)により、仮名遣いを歴史的仮名遣いに改めました。

   -score 楽譜 - 二宮金次郎 ---- 文部省唱歌
   報徳二宮神社、報徳会館、報徳博物館は小田原厚木道路荻窪インターを降り3km車で5分

[ 3 人を恋うる歌 ]  作詞:与謝野 鉄幹 作曲:

1. 妻を めとらば 才たけて みめ美わしく情けある
  友をえらばば書を読みて 六分の侠気 四分の熱

2. 恋の命をたずぬれば 名を惜しむかな男ゆえ
  友のなさけをたずぬれば 義のあるところ火をも踏む

3. 汲めや美酒うたひめに 乙女の知らぬ意気地あり
  簿記の筆とる若者に まことの男君を見る

4. あゝわれコレッジの奇才なく バイロンハイネの熱なきも
  石を抱きて野にうたう 芭蕉のさびをよろこばず

5. 人やわらわん業平が 小野の山ざと雪をわけ
  夢かと泣きて歯がみせし むかしを慕うむら心

6. 見よ西北にバルカンの それにも似たる国のさま
  あやうからずや雲裂けて 天火ひとたび降らんとき

7. 妻子忘れて家を捨て 義のため恥を忍ぶとや
  遠くのがれて腕を摩(ま)す ガリバルディや今いかに

8. をかざれる大官は みな北道の訛音(なまり)あり
  慷慨(こうがい)よく飲む三南の 健児は散じて影もなし

9. 四度玄海の波を越え 韓(から)の都に来てみれば
  秋の日かなし王城や 昔に変る雲の色

10. あゝわれ如何にふところの 剣は鳴りをひそむとも
  咽ぶ涙を手に受けて かなしき歌の無からめや

11. わが歌声の高ければ 酒に狂うと人のいう
  われに過ぎたるのぞみをば 君ならではた誰か知る

12. あやまらずやは真ごころを 君が詩いたくあらわなる
  無念なるかな燃ゆる血の 価少なき末の世や

13. おのずからなる天地(あめつち)を 恋うるなさけは洩らすとも
  人をののしり世をいかる はげしき歌をひめよかし

14. 口をひらけば嫉みあり 筆を握れば譏(そし)りあり 
  友を諌めに泣かせても 猶(なお)ゆくべきや絞首台

15. おなじ憂いの世に住めば 千里のそらも一つ家
  己が袂というなかれ やがて二人の涙ぞや

16. はるばる寄せしますらおの うれしき文を袖にして
  きょう北漢(ほくかん)の山のうえ 駒立て見る日出づる方

[ 4 ] 真白き富士の嶺  作詞: 作曲:

  眞白き富士の嶺 緑の江の島 仰ぎ見るも 今は涙
  帰らぬ十二の 雄々しきみ霊に 捧げまつらん 胸と心

  ボ一トは沈みぬ 千尋の海原 風も浪も 小さき腕に
  力もつきはて 呼ぶ名は父母 恨みは深し 七里ヶ濱邊

  み雪は咽びぬ 風さえさわぎて 月も星も 影をひそめ
  み霊よ何処に 迷ひておはすか 帰れ早く 母の胸に

  み空にかがやく 朝日のみ光 闇にしづむ 親の心
  黄金も寶も 何しに集めん 神よ早く 我も召せよ

  雲間に昇りし 昨日の月影 今は見えぬ 人の姿
  悲しさ余りて 寝られぬ枕に 響く波の 音も高し

  帰らぬ浪路に 友よぶ千鳥の 我も恋し 失せし人よ
  つきせぬ恨みに 泣く音は共々 今日もあすも かくて永久に

 明治43年1月23日(日曜日)午後1時30分頃、神奈川縣鎌倉と江の島の中間七里ヶ濱の荒磯に於いて逗子開成中學校所有のボ一トが沈没し、乗ってゐた12名の少年は皆溺死した。 その人々の名と年齢は、

  逗子開成中學校     5年生 牧野文雌(23)笠尾虎治(22)徳田勝治(21)木下三郎(20)        小堀宗作(20)宮手登 (18)   4年生 松尾寛之(19)谷多操 (18)   2年生 徳田逸三(17)奥田義三郎(15)内川金之助(年不明)   逗子小學校児童 徳田武 (11)

 以上で、徳田姓を名乘る勝治、逸二、武の3人は兄弟であった。此の12名は1月23日の朝9時30分中學校のボ一トを三浦郡田越村字堀の内の海岸から乘り出した。朝から天候不穏だったので其の時海洋で演習をしてゐた田越村の消防夫たちは中止をすヽめたが、聞かずに江の島さして漕ぎ出したのである。午後に到って風が強くなり波が高くなってついにボ一トは七里が濱の沖で沈没してしまった。 七里が濱は難所して知られ、その海洋へ泳ぎつかうとすると強い底流のために東方に流される。 だから少年達は海岸へ泳ぎつく事が出來なかったのだらう。

 少年たちのうち木下三郎は二本の櫂を持って小坪の海洋(鎌倉と逗子の間)まで泳いで來たが陸地に達せずして人事不省となり小坪の漁夫2名に救はれたが蘇生しない。漁夫たちは急いで學校へ報告する。

 校長田邊氏は直に救助に向ひ、横須賀警察からは署長吉警視自ら20名の巡査を率ゐて現場に急行し、22隻の漁船に200名あまりの漁夫を乗せて屍体捜索に向かった。 24日午後横須賀鎮守府からは駆逐艦、吹雪、霞の2隻が派遣された。

 21日午後には畏くも葉山に御避寒中の皇太子殿下(大正元天皇)騎馬にて海洋へ御微行あり捜索隊の行動を望見あらせられたのみならず居合せた生徒に種種御下問あった。

 25日正午頃七里が濱の沖で始めて 2人の少年のしたい屍体が発見された。 制服着用爪の徳田勝治が。飛白(かすり)の綿入に外套を着した弟武治を確かりと抱きしめたまま死んでゐるのだつた。當日午後なほ2名の死体を発見した。

 26日は激しい風雲。27日には逗子葉山村民は皆休業して捜索に赴き、横須賀からは水雷艇7隻が出動した。さうして残る7名の死体を全部七里ヶ濱沖合で発見した。27日の午後5時、逗子延命寺で哀悼の式が行はれ、其の時此の歌が鎌倉女學校の最上級生(4年生)に依って合唱された。

 作詞者三角錫子刀自は鎌倉女學校の教諭で、逗子に住んで居り、此の事件を目撃した。

 此の曲は when we arrive home と云ふ題のアメリカの曲で garden と云う人の作である。これが「昔のわが宿変わらぬふるさと」と云ふ訳詞によってひろく女學校などで欧はれ、常時最も愛好された旋律であった。この歌詞は「哀悼の歌」と題せられて雑誌「月刊楽譜」に出てゐたものである。単行本はその後に出版され、大正7年頃からは演歌となって巻間に流布したが、歌詞も変へられ、曲は短調になってしまった。

http://sakusabe.exblog.jp/五十雀俗謡集 より

[ 5 ] 川の流れのように  作詞:秋元康 作曲:見岳章 歌:美空ひばり

   知らず知らず 歩いて来た
   細く長い この道
   振り返れば 遥か遠く
   故郷が見える
   でこぼこ道や 曲がりくねった道
   地図さえない それもまた 人生
   ああ 川の流れのように ゆるやかに
   いくつも 時代は過ぎて
   ああ 川の流れのように とめどなく
   空が黄昏に 染まるだけ

   生きることは 旅すること
   終わりのない この道
   愛する人 そばに連れて
   夢探しながら
   雨に降られて ぬかるんだ道でも
   いつかは また 晴れる日が来るから
   ああ 川の流れのように おだやかに
   この身を まかせていたい
   ああ 川の流れのように 移りゆく
   季節 雪どけを待ちながら

   ああ 川の流れのように おだやかに
   この身を まかせていたい
   ああ 川の流れのように いつまでも
   青いせせらぎを 聞きながら

2007年12月24日
美空ひばりの名曲『川の流れのように』のエピソードについて

昭和の名曲、美空ひばりの最後のシングル曲となった『川の流れのように』を作詞した秋元康が細木数子の番組に出演し貴重なエピソードを紹介した。

平成元年、享年52歳の短き生涯を終えたが、その葬儀で参列者たちが歌って送った曲がこの曲であった。
秋元康は当時とんねるずとかおニャン子クラブの作詞で多忙であったが、自身から美空ひばりに詩を書きたいといって、生田スタジオに来てといわれ、3時間から5時間待った。ようやくあえて「あなたのことは知っているわよ、よろしくね」といって終わったという。
普通ならこんなに時間をかけて待ったのにと思うが、そういうことを感じさせないオーラがあり、謁見できたという感覚をおぼえたという。

一番は、美空ひばりがあれだけ波乱万丈な、半生をいきていて、大丈夫よ人生なんて、川の流れのようなものだから、なんとかなるわよという応援歌をつくろうと思ってのことだという。
そのときにたまたまニューヨークに住んでいて、前にイーストリヴァーという川が流れていて、そろそろ日本へ帰りたいと思っていたので、そのときにこれは日本につながっているんだなと、それが重なって”川の流れのように”となった。

元々10曲のアルバムをつくっていたが、その中でシングル用に「♪ハハハ」という非常に元気な応援歌をシングルにしようと思っていたが、美空ひばりの方からどうしても、川の流れのようにをシングルにしたいと、歌手生活で一度もスタッフに反論をいったことがなく、全部任せていたが、この曲だけはじめてわがままを言った。

レコーディングしたときに、美空ひばりは
「この曲はいいよねといって、人生っていうのは真っ直ぐだったり、曲がってたり流れが速かったり遅かったり本当に川の流れのようなものなのよ。でもね、最後はみんな同じ海に注ぐのよ」といったという。
そのときはすごいことをいうなと思ったが、後にすごい意味をもっているなと思ったという。

 知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道
 振り返れば 遥か遠く 故郷(ふるさと)が見える
 でこぼこ道や 曲がりくねった道
 地図さえない それもまた人生

 ああ 川の流れのように ゆるやかに
 いくつも 時代は過ぎて
 ああ 川の流れのように とめどなく
 空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ

 生きることは 旅すること 終わりのない この道
 愛する人 そばに連れて 夢 探しながら
 雨に降られて ぬかるんだ道でも
 いつかは また 晴れる日が来るから

 ああ 川の流れのように おだやかに
 この身を まかせていたい
 ああ 川の流れのように 移りゆく
 季節 雪どけを待ちながら

 ああ 川の流れのように おだやかに
 この身を まかせていたい
 ああ 川の流れのように いつまでも
 青いせせらぎを 聞きながら


【ヒバリの歌のきき方】google で検索語「川の流れのように 美空ひばり」と入れて聞く方法が良い。

【楽譜の求め方】google で検索語「川の流れのように 楽譜」と入れてコピーする方法が良い。

[ 6 ] 半崎美子の歌詞  作詞半崎美子: 作曲半崎美子:

発売日順

感謝の根 言葉になる前に溢れ出したから
   https://www.uta-net.com/song/235378/
お弁当ばこのうた~あなたへのお手紙~ おかえり今日もからっぽの
   https://www.uta-net.com/song/227233/
稲穂 黄金色に輝く稲穂のきらめきよ
   https://www.uta-net.com/song/227232/
天国3丁目 あの角を曲がったら
   https://www.uta-net.com/song/227231/
深層 あなたをなくした悲しみと
   https://www.uta-net.com/song/227230/
夏花火 寄せては返す波間にもう二度と
   https://www.uta-net.com/song/227229/
鮮やかな前途 どこへ行こうとも変わりは
   https://www.uta-net.com/song/227228/
ふたりの砂時計 並んだ心が離れた日もあった
   https://www.uta-net.com/song/227227/
サクラ~卒業できなかった君へ~ 同じカバンに詰め込んだ日々と
   https://www.uta-net.com/song/224995/
明日へ向かう人 悔し涙を流した時心の奥が
   https://www.uta-net.com/song/186520/
赤色のヒーロー 生まれながらにして無敵の
   https://www.uta-net.com/song/186519/
夏の夢 あぜ道を遠くうつす陽炎が
   https://www.uta-net.com/song/186518/
36度5分 今を生きるという言葉に隠れた
   https://www.uta-net.com/song/186517/
悲しくもないのに 何事もなかったようにお互いに
   https://www.uta-net.com/song/186516/
春を呼ぶ花 同じように笑って同じように
   https://www.uta-net.com/song/186515/
選手宣誓~神頼み2015 虫の知らせが親切に教えて
   https://www.uta-net.com/song/186514/
種 心に咲いた花を摘み取ることは
   https://www.uta-net.com/song/186513/
はんざき音頭 一つ人よりたくましく二つ
   https://www.uta-net.com/song/186512/
ただいまの約束 あたたかくなったら海へ
   https://www.uta-net.com/song/160904/
あなたへの道 止まった時間を動かした
   https://www.uta-net.com/song/160903/
私の中に いつも通りに笑えるまでは
   https://www.uta-net.com/song/160902/
piece of the love piece of the love 一人で
   https://www.uta-net.com/song/160901/
残響 白く吐いたため息とわずかな
   https://www.uta-net.com/song/160900/

URLを開き「動画を見る」をクリックすると、官能の琴線に響く彼女の独特な声を聴くことができます。 おととい次の詩を創ったばかりなので、昨日の夜NHK 『7:30 金曜イチから「“夢の舞台”はショッピングモール」』 で(明日へ向かう人)を聴いてその着想に驚いたのです。 私の詩は論理面にとどまっていたのに、彼女の詩歌は情感の琴線に触れるあるいは個人の心の奥に響き渡る表現方法であった。

設問としては、『今をどう生きるか』への答えなのだ。

【前へ進む】 2017/10/19

前へ進め、明日へ進め、後ろを振りむくな
人はそのように創られている
何とかなるさ

前へ進んで新しい道を求めるように
人はそのように創られているから

前へ進んで何とか最後まで生きようではないか
人はそのように創られている

誰がそのように創ったのか
それは、それは、神様と言ってもいいさ
それは、大自然の不可思議と言ってもいいさ

何とかなる、元気で前へ進むことさ

[ 7 オバケのQ太郎 ]  作詞: 作曲:

Q Q Q オバケのQ  僕はオバケのQ太郎
あたまのてっぺんに  毛が3本 毛が3本
だけどもぼくは とべるんだ  8キロ 10キロ 50キロ
ひとやすみ ひとやすみ  空からおりたら 犬がいた
ワン ワン  あら こわい キャー
ぼくは犬には 弱いんだ 弱いんだ

Q Q Q オバケのQ  ぼくはオバケのQ太郎
大きな口で  エヘラのヘ エヘラのヘ
ごはんの時間だ そらたべろ  1パイ 2ハイ 20パイ
もうけっこう もうけっこう  ちょっと失礼 ひとねむり
グーフニャフニャ  グーフニャフニャ 自分のいびきで 目がさめた 目がさめた

Q Q Q オバケのQ  ぼくはオバケのQ太郎
消えてみせよか  ヒョーイポン ヒョーイポン
すがたが消えても 力もち  3人 5人 かかってこい
へっちゃらだい へっちゃらだい  ぼくは正義の 味方だぞ
ウッハッハー ウッハッハー  オイオイ ウッハッハー
悪いやつらを やっつけた やっつけた

[ 8 鉄人28号 ]  作詞: 作曲:

デュークエイセス / 鉄人28号
https://www.uta-net.com/movie/3135/eoiZJxpQFo0/

[ 9 今ありて ]  作詞:阿久悠 作曲:谷村新司

 新しい季節のはじめに
 新しい人が集いて
 頬そめる胸のたかぶり
 声高な夢の語らい

 ああ 甲子園 草の芽 萌え立ち
 駆け巡る風は
 青春の息吹きか

 今ありて 未来も扉を開く
 今ありて 時代も連なり始める

      踏みしめる土の饒舌
      幾万の人の想い出
      情熱は過ぎてロマンに
      花ふぶく春に負けじと

      ああ 甲子園 緑の山脈
      たなびける雲は
      追いかける希望か

      今ありて 未来も扉を開く
      今ありて 時代も連なり始める

 ああ 甲子園 緑の山脈
 たなびける雲は
 追いかける希望か

 今ありて 未来も扉を開く
 今ありて 時代も連なり始める
 今ありて 時代も連なり始める

2018年の甲子園高校野球大会は 3/23 に始まった。 入場行進の曲が高らかに流れた。 阿久悠の「今ありて」だという。 歌詞を聞いていて、 『今』 の意味を考えてみると、 「現在の自分の今とは何か」 であり、すべてに通ずる哲学的命題でもあると感じた。 歳(トシ)のせいかもしれません。 自分の今のすべては過去のがあったからであり、未来のすべては自分の今があったからに相違ない。 それらをすべて貫くものは 『なんだもんで』 この一語に尽きる。 『なんだもんで』 とは 『学ぶことを基本とする』 生き物すべてに共通する自分を組み立てる根本的心構えを表している言葉だったからだ。

こんなわけで、歌詞を調べだし曲も判るようにしました。

   <https://www.youtube.com/watch?v=dEzgsHQ3N7E>
   <https://www.youtube.com/watch?v=s8-KXsmEYMs>

自分で歌うわけではないから、聞くだけでもと思う。

[ 10 四季の雨 ]  作詞: 作曲:

   降るとも見えじ春の雨
   水に輪をかく波なくば
   けぶるとばかり思わせて
   降るとも見えじ春の雨

   俄に過ぐる夏の雨
   物干し竿に白露を
   名残りとしばし走らせて
   俄かに過ぐる夏の雨

   おりおりそそぐ秋の雨
   木の葉木の実を野に山に
   色さまざまにそめなして
   おりおりそそぐ秋の雨

   聞くだに寒き冬の雨
   窓の小笹にさやさやと
   更行く夜半をおとずれて
   聞くだに寒き冬の雨

文部省唱歌【歌】<http://www.d-score.com/ar/A02011512.html>

格調高く四季に降る雨を歌う。「村祭」(村の鎮守の、神様の、今日はめでたい、お祭り日~)を作曲した南能衛(みなみ・よしえ)がメロディを作ったのではないかと言われている歌。1914(大正3)年、『尋常小学唱歌(六)』に発表される。

[ 11 四季の歌 ]  作詞:荒木とよひさ 作曲:荒木とよひさ

   春を愛する人は 心清き人
   すみれの花のような ぼくの友だち

   夏を愛する人は 心強き人
   岩をくだく波のような ぼくの父親

   秋を愛する人は 心深き人
   愛を語るハイネのような ぼくの恋人

   冬を愛する人は 心広き人
   根雪をとかす大地のような ぼくの母親

元々は、作者である荒木が日本大学スキー部時代に新潟・妙高で骨折して入院中、妙高高原の関温泉から眺める山々の情景をモチーフに作り、入院先で看護師にプレゼントした曲である。この歌は5番まであり歌詞も付いているが、5番は「ラララ」で代替することが多い。この曲は合唱曲としても使われる。「四季の歌」は中国などのアジア地域でもヒットした。

【解説】<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%AD%A3%E3%81%AE%E6%AD%8C>
【歌】<https://www.uta-net.com/movie/2406/>

[ 12 下伊那農学校 校歌 ]  作詞:飯島武男 作曲:清水勝蔵

 一 赤石永遠に崇くして
   巍々千秋の色床し
   時難にして義を思い
   濁世に節を偲ぶかな
   噫新興の気を負いて
   思いは馳する摯実の
   稲井ヶ丘の健男児
   玲瓏照らす国の本

 二 逝くものは夫れ斯くの如
   龍河は萬古に清操の
   流れは理想の影宿し
   巌映あり意気溢る
   身は青春の地に萌えて
   光明の素耜手にかざし
   拓く荊棘の秋の水
   希望はしるし永劫に

 三 策を自給の忠誠と
   堅実の地歩踏みしめて
   不覊卓犖の吾が盟友が
   神州の精を一道に
   皇御国の礎と
   志す男の自覚かも
   十七萬の先駆ぞと
   益良丈夫の血は躍る

 四 彼の秀麗の色高く
   此の雄大の影満し
   嵐の秋の紅葉ばも
   穂末に結ぶ真珠にも
   金蘭の熱さながらに
   篤実の光愛の色
   胸は高鳴る覚世の
   光栄ある途に我は立つ

若いころは良かった。 この長たらしい校歌を誰でも覚えて歌っていた。 将に青春時代である。 今はどうだ。 白秋は過ぎ去り、玄冬に身を置くこととなった。

記憶を預かる脳細胞の力は薄れてきた。 それは、生き物としての正道だろうと思う。 むやみに今流の言葉認知症に惑うことはない。 昔の言葉は耄碌であった。

耄碌という言葉のほうが、すべて柔らかな響きをもち年寄りの気持ちを温かく抱擁してくれる。

それでも質実剛健という言葉に惹かれることがあるのだ。

[ 13 靴が鳴る ]  作詞:清水かつら 作曲:弘田龍太郎

  おててつないで 野道を行けば
  みんな可愛い 小鳥になって
  歌をうたえば 靴が鳴る
  晴れたみ空に 靴が鳴る

  花をつんでは お頭(つむ)にさせば
  みんな可愛い うさぎになって
  はねて踊れば 靴が鳴る
  晴れたみ空に 靴が鳴る

歌い出しの「おててつないで野道を行けば」というフレーズが特に有名で印象に残ることから、『靴が鳴る』という本来の曲名よりも、「おててつないで」が通り名のように定着している感がある。

新宅のさきこお婆ちゃんは、孫の手を引きこうした動揺を一緒に歌っていた。 今は懐かしい。 小さい子供を育てる環境をどう作っていったらいいか、いいお手本だとつくづく思います。

このことと共に、幼子を寝かせつけるのに母親が歌ったいる歌「ネーンネン、コロリィーョ、ォコォローリィーョ」歌に合わせてそっと小さい赤ちゃんにやさしく手を触れて拍子を合わせていたものです。 それはまさに朦朧として弱り果てていく年寄りを安楽な気持ちにさせる近道なのではないだろうか。 唄は「おーてぇてーつーないでー」と唄ってやってもいいのだろうと思う。 やがて我が身、まさしく鼓動に合わせての優しさが平安な心にさせるのではないか。 報恩に対する自責を感ずるのです。 <http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/kutsuganaru.htm>には歌も入っています。
挿絵:講談社「童謡画集」(1937年)より(作:川上四郎) アマゾンに中古がある。

[ 14 世界の民謡・童謡 ]
          界の民謡・童謡 ホーム<http://www.worldfolksong.com/index.html>

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このサイトを開いていくと、その内容は半端ではないことに驚きました。いろいろに利用するとよい。 2018/3/31

[ 15 静かな湖畔 ]  作詞: 作曲:

  しずかなこはんの もりのかげから
  もうおきちゃいかがと かっこうがなく
  カッコウ カッコウ
  カッコウ カッコウ カッコウ

  よよるもふけたよ おしゃべりやめて
  もうねちゃいかがと ふくろうなく
  ホッホー ホッホー
  ホッホー ホッホー ホッホー

[ 16 わらべうた・遊び歌・日本の古い童謡 ]  作詞: 作曲:
   http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/warabeuta/index.html

曲目一覧

はないちもんめ
  勝ってうれしい はないちもんめ

あんたがたどこさ
  あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ♪

おちゃらかほい
  おちゃらか おちゃらか おちゃらか ほい!

かくれんぼ
  もういいかい まあだだよ もういいかい もういいよ♪

ソーダ村の村長さんがソーダ飲んで…『そうだ村の村長さん』   葬式饅頭うまいそーだ 明日の葬式 忙しそーだ♪

おべんとうばこのうた
  これっくらいの おべんとばこに おにぎりおにぎり ちょいとつめて

道成寺 どうじょうじ 安珍・清姫伝説
  安珍清姫 蛇に化けて 七重に巻かれて ひとまわり

おしくらまんじゅう
  おしくらまんじゅう 押されて泣くな♪

鬼さんこちら 手の鳴るほうへ
  鬼ごっこの一つ「目隠し鬼」で歌う遊び歌・わらべうた

あみだくじの歌 メロディの由来・原曲は?
  引いて楽しい あみだくじ♪ どれにしようか あみだくじ♪

向う横丁のお稲荷さん 歌詞の意味
  一銭あげて ざっとおがんで お仙の茶屋へ

インドの山奥 替え歌・遊び歌
  インドの山奥で でんでん虫カタツムリ リンゴは真っ赤っか かーちゃんおこりんぼ…

かわいいコックさん(棒が一本あったとさ)
  はっぱじゃないよ かえるだよ 六月六日にUFOが?

指きりげんまん 嘘ついたら針千本飲ます
  江戸時代の遊郭で行われた誓いの儀式に由来するという

お寺の和尚さん
  花が咲いて枯れちゃって♪ 忍法使って空飛んで♪

坊さん坊さんどこいくの?
  このかんかん坊主 糞坊主 うしろの正面だあれ

山寺の和尚さん
  猫をかん袋に押し込んで ポンとけりゃ ニャンとなく

七草の歌(七草なずな/七草ばやし)
  七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン

だるまさんがころんだ
  達磨大師の伝説との関係は? 関西では「坊さんがへをこいた」

ひらいたひらいた
  なんの花が ひらいた れんげの花が ひらいた

おおさむこさむ
  山から小僧が泣いてきた 寒いといって泣いてきた

おせんべやけたかな
  おせんべ おせんべ 焼けたかな♪

十五夜さんのもちつき
  十五夜さんのもちつきは トーン トーン トッテッタ

三月三日のもちつき(ひな祭りの餅つき)
  雛祭り(ひなまつり)をテーマとした女の子の手遊び歌

お正月のもちつき
  ぺったんこ ぺったんこ ぺったんぺったんぺったんこ♪

でんでらりゅうば
  長崎県で愛唱されるユーモラスで謎めいたわらべうた・手遊び歌

げんげんばらばら
  岐阜県・郡上八幡の盆踊り「郡上おどり」で有名

どちらにしようかな
  天の神様の言うとおり 鉄砲撃ってバンバンバン 柿の種♪

あみだくじの歌 メロディの由来・原曲は?
  引いて楽しい あみだくじ♪ どれにしようか あみだくじ♪

あぶくたった にえたった
  煮えたかどうだか食べてみよ むしゃ むしゃ むしゃ まだ煮えない

お月さんいくつ(なんぼ) 歌詞の意味
  あの子を産んで この子を産んで 誰に抱かしょ

いろはにこんぺいとう
  消えるは電気 電気は光る 光るはおやじのハゲ頭!

げんこつやまのたぬきさん
  おっぱいのんで ねんねして だっこして おんぶして またあした

ずいずいずっころばし
  茶壷が来たらピシャンと戸を閉めて 誰が呼んでも隠れてなさい

かごめかごめ
  うしろの正面だあれ?!

とおりゃんせ
  行きはよいよい 帰りは怖い?

数え歌

一番はじめは一の宮
  二は日光東照宮 三は讃岐の金比羅さん 四は信濃の善光寺

一かけ二かけて
  『一番はじめは一の宮』と同じメロディで歌われるわらべうた

いちにさんまのしっぽ
  ゴリラの息子 菜っ葉 葉っぱ 腐った豆腐!

いちじくにんじん
  さんしょにしいたけ ごぼうにむくろじゅ♪

一もんめの一助さん(一丁目の一助さん)
  一の字が きらいで お蔵におさめて 二もんめに渡した♪

郵便屋さん なわとび歌
  郵便屋さん おはいんなさい♪

一羽のカラス なわとび歌
  一羽のカラスが かぁ~かぁ 二羽のニワトリ コケコッコー

ハゲの数え歌 一つ人よりハゲがある
  二つ ふもとにハゲがある  三つ 三日月ハゲがある

遊び歌になった世界の民謡

いとまきのうた
  いーとーまきまき いーとーまきまき♪ 英語・フランス語でも歌われる遊び歌

アルプス一万尺
  せっせっせーのよいよいよい♪ アルペン踊りって何?

手をたたきましょう
  チェコ民謡 『Šla Nanynka do zelí(ナニンカちゃん、キャベツ畑へ)』

むすんでひらいて
  ルソー作曲のオペラ『村の占い師』より

案外、知らずに歌ってた童謡の謎
  かごめ かごめ かごの中のとりは…。懐かしく、想い出にあふれた童謡の数々。花いちもんめ、赤い靴、赤鼻のトナカイ、ロンドン橋など、幼い頃、誰もが歌った、あの童謡に隠されていた物語を紹介

関連ページ

日本の民謡・童謡・唱歌
  子供から大人まで親しまれる有名な童謡・唱歌、日本の四季を彩る春夏秋冬・季節の歌、わらべうた、地元の民謡・ご当地ソングなど

ちょっと一貫貸しました 手まり歌の結び
  横溝正史の長編推理小説「金田一耕助シリーズ」の傑作「悪魔の手毬唄」でも有名

[ 17 やさしいお母さま ]  作詞:稲穂雅巳 作曲:海沼実
   https://www.kashinavi.com/song_view.html?14820

  わたしが おねむになったとき
  やさしくねんねん こもりうた
  歌って ねかせてくださった
  ほんとにやさしい おかあさま

  夏は ねびえをせぬように
  冬はおかぜを ひかぬよう
  おふとん なおしてくださった
  ほんとにやさしい おかあさま

  わたしが 大きくなったなら
  ご恩をお返し いたします
  それまでたっしゃで まっててね
  ほんとにやさしい おかあさま

名曲歌碑めぐり やさしいお母さま[御殿場中央公園)を見ると、

御殿場出身穂積雅巳さんの功績をたたえて建てられた。海沼さんの出身地長野松代にもある。いよいよ太平洋戦争が始まるかという時期に作られた歌。この頃にうたわれていた歌の多くは、「軍歌」だったが、とても親しみを持って、この「やさしいおかあさま」をうたっていたとの事。

の解説とともに、この公園には、

   汽車ポッポ[御殿場中央公園) 御殿場出身宮原薫をたたえ歌碑

もあるという。

幼少時に誰しもこうした母への感慨が脳裏に残っているのでしょう。 わが身の終末が近くなってくると、慈母厳父への感謝が脳裏に浮かび、恩返しのできない悲しみがひたひたと身に迫るのです。

[ 18 ねんねんころりよ おころりよ ]  江戸の子守唄
   http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/edo-lullaby.htm

  ねんねんころりよ おころりよ
  ぼうやはよい子だ ねんねしな

  ぼうやのお守りは どこへ行った
  あの山こえて 里へ行った

  里のみやげに 何もろうた
  でんでん太鼓に 笙の笛

おじいちゃんもおばあちゃんも聴いてねむった子守歌

『江戸の子守唄』の原曲(歌詞)は、第11代将軍・徳川家斉の文化文政時代には記録が確認されており、参勤交代などを通じて江戸から各地に伝えられたと考えられている。

江戸時代中期以降の裕福な商家・農家に生まれた子供の母親の視点からストーリーが描かれていると考えられる。

当時は、貧しい農家の子供たちが裕福な商家・農家へ住み込みで奉公へ出され、男子は丁稚・小僧として、女子は子守り・走り使いとして働かされることが多かった。

奉公人が実家へ帰れる「藪入り」

住み込みで働く奉公人たちは年に2回、盆と正月に実家へ帰ることを許されていた。この日は「藪入り」と呼ばれ、主人は奉公人たちにお仕着せの着物や履物と小遣いを与え、手土産を持たせて実家へと送り出した。

奉公人がお里(実家)へ帰った藪入りの間は、実の母親が自ら赤子の子守をすることになるが、『江戸の子守唄』の上述の歌詞は、この母親の立場から歌われたものと考えられる。

里帰りのお土産が笙の笛?

歌詞の最後では、奉公人が里帰りのお土産として「でんでん太鼓に 笙の笛」を持ち帰ったと描写されている。

でんでん太鼓は子供をあやすオモチャだが、笙の笛とは、神前結婚式などで耳にするあの雅楽の管楽器のことだろうか? それはいくらなんでも庶民のお土産としては違和感がある。

果たして、奉公人がお土産とした「笙の笛」とはいったいどんな笛だったのだろうか? 他にもお土産はなかったのだろうか?

この点については、こちらのページ「でんでん太鼓に笙の笛 『江戸の子守唄』お土産の謎に迫る」を適宜参照されたい(解説を見ていると、「笙の笛」篠竹の篠をショウと読むので、単音だけなる篠笛であろうと考えられます)。

[ 19 犬 ]   作詞作曲者不詳/文部省唱歌

   外へ出るとき とんで来て
   追っても追っても 付いて来る
   ポチはほんとに かわいいな

   内(うち)に帰ると 尾を振って
   袂(たもと)に縋(すが)って 嬉(うれ)しがる
   ポチはほんとに かわいいな

なんでこの歌が突拍子もなく頭に浮かんだのか? たぶんそれは人の心を一番理解する生きものだと感じたからだろうと思います。 動物は人の言葉を理解できないと勝手に思い込んでいるから、普段は気にも留めずに今まで暮らしてきました。

だが、警察犬の学習をしている小学生の放映を見ていたら、子供たちが興味をもって頭を撫で背筋をだいじそうにさすっている様子には、犬はちゃんと承知しているように見えたからです。 犬は一部始終を承知しているんではないのか?  “ポチはほんとに かわいいな” この歌の言葉が事情をそっくり表わしているんじゃないか。

パソコンで調べてみると、歌詞についても出てくるし、歌については YouTube でも紹介していた。

殊に次のサイトを見ると、この思いは間違いないと思いました。

   https://www.youtube.com/watch?v=mZCBiWkfsJY
     寝たきりの犬が飼い主に伝えたい想いとは・・・  視聴回数 2,842,311 回

「細胞レベルでは兄弟」の想いで「犬」の歌を普段に口ずさみたいものです。

[ 20 アッツ島血戦勇士顕彰国民歌 ]  作詞:東巽久信 作曲:山田耕作 昭和18年 朝日新聞選定歌

  一 刃も凍る北海の
    御楯と立ちて二千余士
    精鋭こぞるアッツ島
    山崎大佐指揮をとる
    山崎大佐指揮をとる
     (以下終行繰り返し)

  二 時これ五月十二日
    暁こむる霧ふかく
    突如と襲う敵二万
    南に邀え北に撃つ

  三 陸海空の猛攻に
    我が反撃は火を吐けど
    巨弾は落ちて地をえぐり
    山容ために改まる

  四 血戦死闘十八夜
    烈々の士気天を衝き
    敵六千は屠れども
    我また多く失えり

  五 火砲はすべて砕け飛び
    僅かに銃剣手榴弾
    寄せ来る敵と相撃ちて
    血潮は花と雪を染む

  六 一兵の援一弾の
    補給を乞わず敵情を
    電波に託す二千キロ
    波濤に映る星寒し

  七 折柄拝す大御言
    生死問わぬ益荒男が
    ただ感激の涙呑む
    降りしく敵の弾丸の中

  八 他に策なきにあらねども
    武名はやわか汚すべき
    傷病兵は自決して
    魂魄ともに戦えり

  九 残れる勇士百有余
    遥かに皇居伏し拝み
    完全鬨と諸共に
    敵主力へと玉砕す

  十 嗚呼皇軍の神髄に
    久遠の大義生かしたる
    忠魂のあとうけ継ぎて
    撃ちてし止まん醜(シコ)の敵(アダ)

 アッツ島は,アリューシャン列島西端に位置する. 18年5月12日,米軍1万1000が上陸した. 対する日本軍は,山崎保代大佐以下2500. 当初は増援を送る予定であったが,23日,大本営は,「最後ニ到ラバ潔ク玉砕シ,皇國軍人ノ精華ヲ発揮スルノ覺悟アルヲ望ム」と電報.

山崎大佐は,「ソノ期到ラバ,在島將兵全員喜ンデ一丸トナツテ死地ニツキ,魂魄ハ永ク祖國ヲ護ルモノト信ズ」 と打電. 29日,部隊は,萬歳突撃を敢行.米軍に,戦死550,戦傷2300の損害を与え,玉砕した.

なお,この時から,玉砕という言葉が使われるようになった.(以上は歌詞索引より)

 「アッツ島の戦い」 概要を知る適切な資料

 牛島秀彦 『アッツ島玉砕戦 われ凍土の下に埋もれ』 光人社〈光人社NF文庫〉、1999年。
   西島照男 『アッツ島玉砕 十九日間の戦闘記録』 北海道新聞社、1991年。(二冊購入済)

 老生予科練の体験と重なり、戦後の生きざまを大きく決めだした一つとなった。 鬼気迫る壮絶の一語、生きる死ぬに係わる認識の根底になった。 一つの環境のもとにあると、後世の軍国主義とか自由民権という意識の範疇からは誰にしても外さなければならない。

 「アッツ島玉砕の真実」(報道特集)と「防潮堤問題の転換点」(報道ステーション)
   http://d.hatena.ne.jp/cangael/20130808/1375917832

 「玉 砕」 隠された真実
   http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/attu_gyokusai/attu_gyokusai.htm

 アッツ島の戦い・地図・生存者・昭和に行われた日本とアメリカの戦い。
   https://matome.naver.jp/odai/2143666686305597401

 岩崎公宏のブログ
2010-09-06 08:30:59
NHKスペシャル「玉砕 隠された真実」 その2


レコードに収録された「アッツ島血戦勇士顕彰国民歌」の一部である「敢然鬨(とき)と諸共(もろもろ)に  敵主力へと玉砕す 敵主力へと玉砕す」という歌声が放送された。

番組ではこの歌についての説明がなかったので付け加えておく。この歌の歌詞を募集したのは朝日新聞だった。アッツ島の守備隊が全滅した直後の1943年(昭和18年)6月3日の紙面に「アッツ島に壮烈鬼神を哭かしむる最後の突撃を敢行、玉砕した山崎部隊長以下二千数百勇士の血戦に一億国民の血涙感謝を捧げその青史不朽の武勲と赫々たる皇軍精神を永く後世に伝ふべき、記念国民歌を左記により広く募集する」という記事が掲載された。

この記事を読んだ読者から9,600通を超える応募があった。朝日新聞だけでなく陸軍省と情報局も後援しており、審査員を出していた。応募作の中から兵庫県立伊丹高等女学校の教師だった裏巽久信氏の歌詞が選ばれた。全部で10番まであり歌詞の全文を以下に掲載する。旧字体は変更した。

 1. 刃も凍る北海の  御楯と立ちて二千余士
    精鋭こぞるアッツ島  山崎大佐指揮をとる  山崎大佐指揮をとる
 2. 時これ五月十二日  暁こむる霧ふかく
    突如と襲う敵二万  南に邀(むか)へ北に撃つ  南に邀へ北に撃つ
 3. 陸海敵の猛攻に  我が反撃は火を吐けど
    巨弾は落ちて地をえぐり  山容ために改まる  山容ために改まる
 4. 血戦死闘十八夜  烈々の士気天を衝き
    敵六千は屠れども  我また多く失えり  我また多く失えり
 5. 火砲はすべて砕け飛び  僅かに銃剣手榴弾
    寄せ来る敵と相撃ちて  血潮は花と雪を染む  血潮は花と雪を染む
 6. 一兵の援一弾の  補給を乞わず敵情を
    電波に託す二千キロ  波頭に映る星寒し  波頭に映る星寒し
 7. 折柄拜す大御言   生死問はぬ益荒男が
    ただ感激の涙呑む   降りしく敵の弾丸の中  降りしく敵の弾丸の中
 8. 他に策なきにあらねども 武名はやわか汚すべき
    傷病兵は自決して  魂魄ともに戦えり  魂魄ともに戦えり
 9. 残れる勇士百有余  遙かに皇居伏し拝み
    敢然鬨と諸共に  敵主力へと玉砕す  敵主力へと玉砕す
 10. 嗚呼皇軍の神髓に  久遠の大義生かしたる
    忠魂の跡受け繼ぎて   撃ちてし止まん醜(しこ)の敵(あだ)
    撃ちてし止まん醜の敵

 「アッツ島血戦勇士顕彰国民歌」の作曲を担当したのは山田耕筰だった。彼は戦意高揚を目的にして、この曲以外にも「燃ゆる大空」など多くの軍歌を作曲している。当時は山田耕筰に限らず多数の作詞家や作曲家が軍歌を作っている。これは戦争遂行に積極的に加担した行為であり、戦争責任を負うべきだと意見がある。

10年くらい前に図書館で森脇佐喜子氏の「山田耕筰さん、あなたたちに戦争責任はないのですか?」(梨の木舎)というタイトルの本を見つけた。手に取ってページをめくってみた。著者の意見に素直に賛同する気にはならなかった。当時の日本では戦争は悪いことではなく、自国の正義を主張するための手段であり、その国策に積極的に協力することは国民にとって当然のことであり、戦争に反対することは非国民と見なされる時代だったのだ。戦争は全て悪いことだという戦後の価値基準のみを尺度にして判断することは適切とは思えない。

「アッツ島血戦勇士顕彰国民歌」は1943年(昭和18年)11月に日蓄工業(現在のコロムビアミュージックエンタテインメント)から発売された。現在でもユーチューブで聴くことができる。