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お気に入りの歌⑩
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  01  一月一日
  02  歳月めぐりて
  03  蛍の光
  04  青い目の人形
  05  ウサギとカメ
  06  一寸法師
  07  花咲かじいさん
  08  夕焼小焼
  09  雨
  10  下伊那の歌
  11  世界の国からこんにちは
  12  わらのなかの七面鳥
  13  若鷲の歌
  14  勘太郎月夜唄
  15  麦と兵隊
  16  喬木村の村歌
  17  会津磐梯山
  18  ああ我が戦友
  19  あんたがたどこさ
  20  デカンショ節


[ 1 としのはじめの]  作詞:上 真行 作曲:<千家 尊福

  年の始めの 例とて
  終なき世の めでたさを
  松竹たてて 門ごとに
  祝う今日こそ 楽しけれ

  初日のひかり さしいでて
  四方に輝く 今朝のそら
  君がみかげに 比えつつ
  仰ぎ見るこそ 尊とけれ

[ 2 としつきめぐりて]  作詞:入江好次郎 作曲:恒川鐐之助

  歳月めぐりて早ここに
  卒業証書受くる身と
  なりつる君らの嬉しさは
  そもそも何にかたとうべき

[ 3 ほたるのひかり]  作詞:スコットランド伝統曲 作曲:稲垣千頴

  蛍の光 窓の雪
  書よむ月日 重ねつつ
  いつしか年も すぎの戸を
  明けてぞ けさは 別れゆく

  とまるも行くも 限りとて
  かたみに思う ちよろずの
  心のはしを 一言に
  さきくとばかり 歌(うた)うなり

  筑紫のきわみ みちのおく
  海山とおく へだつとも
  その真心は へだてなく
  ひとつに尽くせ 国のため

  千島のおくも 沖縄も
  八洲のうちの 守りなり
  至らんくにに いさおしく
  つとめよわがせ つつがなく

[ 4 青い目の人形]  作詞:野口雨情 作曲:本居長世

  青い眼をした お人形は
  アメリカ生まれの セルロイド

  日本の港へ ついたとき
  一杯涙を うかべてた
  わたしは言葉が わからない
  迷い子になったら なんとしょう

  やさしい日本の 嬢ちゃんよ
  仲よく遊んで やっとくれ
  仲よく遊んで やっとくれ

[ 5 ウサギとカメ ]  作詞:石原和三郎 作曲:納所弁次郎 文部省唱歌

  もしもし かめよ かめさんよ
  せかいのうちに おまえほど
  あゆみの のろい ものはない
  どうして そんなに のろいのか

  なんと おっしゃる うさぎさん
  そんなら おまえと かけくらべ
  むこうの こやまの ふもとまで
  どっちが さきに かけつくか

  どんなに かめが いそいでも
  どうせ ばんまで かかるだろう
  ここらで ちょっと ひとねむり
  グーグー グーグー グーグーグー

  これは ねすぎた しくじった
  ピョンピョン ピョンピョン ピョンピョンピョン
  あんまり おそい うさぎさん
  さっきの じまんは どうしたの

[ 6 一寸法師 ]  作詞:田村虎蔵 作曲:巖谷小波

  指に足りない一寸法師
  小さいからだに大きな望
  お椀の船に箸の櫂
  京へはるばる登りゆく

  京の三条の大臣殿に
  抱えられたる一寸法師
  法師法師とお気に入り
  姫のお伴で清水へ

  さても帰りの清水坂に
  鬼が一匹あらわれ出でて
  食ってかかればその口へ
  法師たちまち躍り込む

  針の太刀をば逆手に持って
  チクリチクリと腹中突けば
  鬼は法師をはき出して
  一生懸命 逃げて行く

  鬼が忘れた打出の小槌
  打てば不思議や一寸法師
  一打ち毎に背が伸びて
  今は立派な大男

[ 7 花咲かじいさん ]  作詞:石原和三郎 作曲:田村虎蔵

  うらのはたけで ぽちがなく
  しょうじきじいさん ほったれば
  おおばん こばんが ザクザク ザクザク

  いじわるじいさん ぽちかりて
  うらのはたけを ほったれば
  かわらや かいがら ガラガラ ガラガラ

  しょうじきじいさん うすほって
  それで もちを ついたれば
  またぞろこばんが ザクザク ザクザク

  いじわるじいさん うすかりて
  それで もちを ついたれば
  またぞろかいがら ガラガラ ガラガラ

  しょうじきじいさん はいまけば
  はなは さいた かれえだに
  ほうびは たくさん おくらに いっぱい

  いじわるじいさん はいまけば
  とのさまのめに それがいり
  とうとう ろうやに つながれました

日本の童謡・唱歌。1901年(明治34年)出版。田村虎蔵(たむら・とらぞう/1873-1943)は、鳥取県出身の作曲家。「言文一致唱歌」改革に尽力した。代表作は、『金太郎』、『一寸法師』、『大黒様』など。

石原 和三郎(いしはら・わさぶろう/1865-1922)は、群馬県出身の作詞家。「もしもしカメよカメさんよ」の『兎と亀』のほか、『金太郎』の作詞も手掛けている。

[ 8 夕焼小焼 ]  作詞:中村雨紅 作曲:草川信

  ゆうやけこやけで ひがくれて
  やまのおてらの かねがなる
  おててつないで みなかえろ
  からすといっしょに かえりましょう

  こどもがかえった あとからは
  まるいおおきな おつきさま
  ことりがゆめを みるころは
  そらにはきらきら きんのほし

懐かしい歌です。 ことに赴任直後の千代村野池の夜の星は、美しかった。 まだ郷愁の年齢でもないからこの唄を歌ったのではない。 幼い頃に歌った歌詞の意味が心の奥にしまわれていて、後の世になって美しい心の支えになっていたと思う。 今は自然の美を親しむ風情が少ないような気がする。 クリスチャンが歌う「天然の美」は、そうした昔の体験があってこそ懐かしみを込めて歌えるのでしょう。

[ 9 雨 ]  作詞:北原白秋 作曲:弘田龍太郎

  雨が降ります 雨がふる
  遊びに行きたし かさはなし
  べにおのかっこも おがきれた

  雨が降ります 雨がふる
  いやでもお家で あそびましょう
  千代紙折りましょう たたみましょう

  雨が降ります 雨がふる
  けんけんこきじが 今ないた
  こきじもさむかろ さびしかろ

  雨が降ります 雨がふる
  お人形ねかせど まだやまぬ
  お線香花火も みなたいた

  雨が降ります 雨がふる
  昼もふるふる 夜もふる
  雨が降ります 雨がふる

[ 10 下伊那の歌 ]  作詞:鎌倉太郎 作曲:松本民之助

  一 赤右は 山脈青く
    天竜は 川波白く
    母のくに 母の国 伊那はふるさと
    ああ 兄弟(ハラカラ)よ 希望を胸に
    ともに伸びよう 手を組んで
  二 春草の 落葉の秋よ
    春台の 松の緑よ
    永遠(トコシエ)に 永遠に 光る灯(トモシビ)
    ああ 先人の 歩みを継いで
    ともに学ぼう 手を組んで
  三 段丘に 梨の花咲き
    桑畑に 歌声もれる
    豊かなる 豊かなる この伊那谷に
    ああ 平和への 願いをこめて
    ともに進もう 手を組んで
懐かしい歌です。宿業期の養育を念願として考えるようにしてから、起床前に頭をかすめた歌なのです。喬木村の若い母親たちが宿業期の養育をこの歌のねがいの様にスクラムを組んで進んでほしいのです。ずっと前に、県の教育長が「流蛇山沢ニ生ズ」と主張していました。

[ 11 世界の国からこんにちは ]  作詞:島田陽子 作曲:中村八大

   こんにちは こんにちは 西のくにから
   こんにちは こんにちは 東のくにから
   こんにちは こんにちは 世界のひとが
   こんにちは こんにちは さくらの国で
   1970年の こんにちは
   こんにちは こんにちは 握手をしよう

   こんにちは こんにちは 月の宇宙へ
   こんにちは こんにちは 地球をとび出す
   こんにちは こんにちは 世界の夢が
   こんにちは こんにちは みどりの丘で
   1970年の こんにちは
   こんにちは こんにちは 握手をしよう

   こんにちは こんにちは 笑顔あふれる
   こんにちは こんにちは 心のそこから
   こんにちは こんにちは 世界をむすぶ
   こんにちは こんにちは 日本の国で
   1970年の こんにちは
   こんにちは こんにちは 握手をしよう
   こんにちは こんにちは 握手をしよう

昭和42年(1967年)3月に、三波春夫の歌でレコード発売された。 楽譜ではなく、タイトルをクリックすると動画があるので聞きたい動画で聞くようにしてください。
太陽の塔は岡本太郎の作品で、爆破されずに残るようになった大阪万博の記念塔です。 岡本太郎と言えば、孤独の世界に徹するという点で私たちに示唆を与えてくれる方です。

[ 12 わらのなかの七面鳥 ]  作詞:久野静夫 アメリカ民謡

  さあ大変だ さあ大変だ
  七面鳥が 逃げてゆく
  さあみんなで つかまえろ
  池のまわりを 追いかけろ
   ララララ ララララ
   ララララ ララララ
  一生懸命 逃げてゆき
  そら かくれた処はわらの中

  さあ大変だ さあ大変だ
  七面鳥が また逃げた
  こんどこそ つかまえろ
  庭のまわりを 追いかけろ
   ララララ ララララ
   ララララ ララララ
  一生懸命 逃げてゆき
  そら かくれた処は小屋の中

オクラホマミクサー(Oklahoma mixer)は日本の小学校や中学校の運動会(体育祭)や林間学校、また多くの子供会、レクリエーション団体などでよく踊られている、日本で一番普及しているフォークダンスの一つである。
この「ミクサー」とは欧米の社交ダンスやフォークダンスにおいて複数の男女ペアがパートナーを順に換えながら踊るダンスのジャンルである。
日本に伝えられた経緯は、長崎軍政府教育官であったウィンフィールド・ニブロが1946年秋に長崎の県幹部との会食中に、日本側が披露した踊りの返礼としてアメリカのフォークダンスである"Virginia Reel"を自ら踊ってみせ、これに興味を示した出席者たちに手ほどきをしたのが始まりと言われている。 このダンスが長崎から全国へと人気の広がりを見せ、学校の授業や職場のリクリエーションとして活用されていった。
ただこの時に踊られていた振り付けは現在のオクラホマミキサーとは異なり、男女が2列に向かい合って踊るアメリカの伝統的なスクウェアダンスの形式だった。 現在の振り付けはアメリカ合衆国のフォークダンスTexas Schottischeとの類似性があり、ウィンフィールド・ニブロ以降に導入されたアレンジによって変遷したものである。
使われる音楽は、日本においては「藁の中の七面鳥("Turkey in the Straw")」の楽曲に固定されているが、これは前記のVirginia Reelでアメリカ民謡のメドレーの形で使われる中の一曲である。振り付けと同様に日本での独自のアレンジが施されている。

[ 13 若鷲の歌 ]  作詞:西條 八十 作曲:古関 裕而

  若い血潮の 予科練の
  七つボタンは 桜に錨
  今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
  でっかい希望の 雲が湧く

  燃える元気な 予科練の
  腕はくろがね 心は火玉
  さっと巣立てば 荒海越えて
  行くぞ敵陣 なぐり込み

  仰ぐ先輩 予科練の
  手柄聞くたび 血潮が疼く
  ぐんと練れ練れ 攻撃精神
  大和魂にゃ 敵はない

  生命惜しまぬ 予科練の
  意気の翼は 勝利の翼
  見事轟沈 した敵艦を
  母へ写真で 送りたい

『若鷲の歌』(わかわしのうた)は、海軍飛行予科練習生(予科練)を題材とした1943年(昭和18年)公開の日本映画「決戦の大空へ」主題歌として作曲された戦時歌謡。
作曲は、2020年放送のNHK朝ドラマ「エール」で主人公のモデルとなった古関 裕而(こせき ゆうじ)。
ドラマ「エール」では、古関裕而役の古山裕一が召集令状を受けたが、「決戦の大空へ」主題歌作曲という名目で召集解除となるというストーリーが放送された。
作詞は、『青い山脈』、『蘇州夜曲』、『東京音頭』、『鞠と殿さま』で知られる詩人・文学者の西條 八十(さいじょう やそ)。
西条八十と古関裕而の両名は、茨城県の霞ヶ浦飛行場に置かれた土浦海軍航空隊に一日入隊し、その経験が『若鷲の歌』作曲に行かされている。
ちなみに、古関裕而作曲による戦時歌謡としては、「勝ってくるぞと勇ましく」が歌い出しの『露営の歌』も有名。
『若鷲の歌』の歌詞について、その意味や背景を若干補足してみたい。 「七つボタンは 桜に錨」は、海軍飛行予科練習生(予科練)が着用する濃紺の詰襟制服のこと。海軍の象徴である桜と錨が描かれた7個のボタンが付いており、七つボタンは予科練を表す隠語となった。
ボタンの数が7つある意味としては、「世界の7つの大陸・七大洋(七つの海)」の象徴であるとともに、海軍の艦隊勤務を表す「月月火水木金金」の訓練を表しているという。
海軍カレーも「桜に錨」
旧日本海軍の糧食をルーツとする海軍カレー関連商品として、旧海軍の横須賀鎮守府にちなんだ「よこすか海軍カレー」が発売されているが、このパッケージにも『若鷲の歌』の歌詞にある「桜に錨」がデザインされている。
現在の海上自衛隊では、長い海上勤務中でも曜日感覚を保つため、毎週金曜日はカレーライス(海上自衛隊カレー)を食べる習慣になっている。
海上自衛隊カレーは艦艇・部署ごとに異なり、同じ味やレシピは存在しないという。

一番から四番まですべて「予科練の」という歌詞が同じ位置で用いられ、曲全体を貫く題材として反復的に明確な印象を与えている。
「予科練の手柄」「予科練の 勝利の翼」「見事轟沈」など、華々しく活躍する強い予科練のイメージが強調されている。

[ 14 勘太郎月夜唄 ]  作詞:佐伯孝夫、作曲:清水保雄、唄:小畑 実・藤原亮子

  1(女)
    影か柳か 勘太郎さんか
    伊那は七谷(ななたに) 糸ひく煙り
    棄てて別れた 故郷の月に
    偲ぶ今宵の ほととぎす

  2(男)
    形(なり)はやくざに やつれていても
    月よ見てくれ 心の錦
    生まれ変わって 天龍の水に
    うつす男の 晴れ姿

  3(男女)
    菊は栄える 葵は枯れる
    桑を摘む頃 逢おうじゃないか
    霧に消え行く 一本刀
    泣いて見送る 紅つつじ

《蛇足》 太平洋戦争まっただ中の昭和18年(1943)に公開された東宝映画『伊那の勘太郞』の主題歌。

 映画は幕末の動乱期を舞台に、天狗党の乱に加担し、やがて故郷の伊那に帰ってくるヤクザの物語です。
 国策映画や軍国歌謡一色の世相では異色の股旅もので、情緒的なものに飢えていた世人に迎えられ、映画・歌とも大ヒットしました。

 大ヒットを記念して「伊那の勘太郎顕彰碑」が建てられました(写真)。場所は伊那市の春日公園。勘太郎の事跡もれいれいしく刻まれています。ある世代以下には、勘太郎を実在の人物と思う人もいるかもしれませんね。

 小畑実は朝鮮半島出身で、本名は康永喆(カン・ヨンチョル)。秋田県大館出身の小畑イクに面倒を見てもらったところから、小畑実と名乗るようになりました。

 戦時中に『湯島の白梅』『勘太郞月夜唄』という2つのヒットを飛ばしましたが、最も活躍したのは敗戦後の昭和20年代で、『小判鮫の唄』『薔薇を召しませ』『アメリカ通いの白い船』『長崎のザボン売り』『ロンドンの街角で』『星影の小径』『高原の駅よさようなら』など、多くの人々の記憶に残るヒットを連発しました。 (二木紘三)

二木紘三さんへのコメントの一部
先般東海北陸自動車道が全線開通したのを機に、久しぶりに飛騨の高山までドライブに行ってきました。富山県西部の我家からは片道一時間あまりですが、ハンドルを握っている間ずっとこの唄が耳の底に流れていました。今回訪れたのは高山市郊外にある飛騨一ノ宮、水無(みなし)神社というところです。ここは嘗て小説『夜明け前』の主人公青山半蔵こと島崎正樹(島崎藤村の父)が、維新後失意を胸に秘めて明治7年から4年余りの間宮司を務めていた神社ですね。境内には彼の詠んだ歌碑があります。
 伊那の勘太郎が加勢した(??)水戸の天狗党という名前を私が知ったのは、学生時代にこの『夜明け前』を読んだのがきっかけでした。幕末の伊那・木曽地方から美濃にかけては半蔵のような平田篤胤の信奉者が多かったこと、武田耕雲斎たちが「勘太郎の案内で」伊那から無事に木曾谷まで抜けて宿泊したのが半蔵の家(馬籠本陣)であったこと、奇しくもそこは以前天狗党など勤王党にとって目の敵であった井伊直弼も宿泊した本陣であったことなども、この小説で知りました。『夜明け前』は浦賀にやってきたペリーが、軍艦の威力を見せつけながら日本に国交を迫るあたりから始まりますが、あれから約170年たった今日の日本では、ペリーの子孫たちが普天間に佐世保に、あるいは横須賀、三沢にと縦横に活躍しています。
この勘太郎月夜唄が発表された昭和18年というのは、島崎藤村が日本の行く末を案じながら世を去った年でもありますね。偶然の一致とはいえ何かしら感慨にさそわれます。
投稿: くまさん | 2010年6月10日 (木) 21時41分

86歳の男性です。私はこの勘太郎月夜歌が大好きで、学生当時によく口ずさみ、またいつも携帯していた手帳にその歌詞を記入していました。
 昭和19年学徒出陣で豊橋予備士官学校に入隊することになり、名古屋から豊橋に行く電車の窓から、ちょうど渡っていた鉄橋の上で、この手帳を投げ捨てました。パラパラとめくりあがって私の大事な手帳は、大きな川の中へ吸い込まれて行きました。
 (軍隊に入れば、生還は期しがたい、さらば、世間よ、青春よ・・)という若者特有の悲壮な、また多少センチメンタルな気持ちからでした。あれは確か「矢作川・やはぎがわ」だったと思います。  軍歌ばかりの戦時中に青春を過ごした私にとって、伊那の勘太郎の歌は数少ない青春の歌でした。
投稿: 紫蘭 | 2010年7月19日 (月) 22時24分

横浜という土地は、幕末明治の新開地であり、それが原因かは知りませんが、いろんないわくの人の子孫が住んでいます。勘太郎は架空の人物といわれていますが、自称子孫だという人を知っております。父君は旧制木更津中学の校長で、光クラブ事件の山崎は教え子、3代続いての東大家族です。学歴で事の真偽を判断はできませんが、人格、識見ともに優れたご本人を見ると本当かなーと思ってしまいます。それにしても、有名なやくざの子孫という人を何人か知っていますが、皆とんでもない高学歴なのには驚きます。余談ですが、曲を聞きながら、
投稿: bunbun | 2013年10月10日 (木) 21時12分

bunbunさんのお話おもしろいですね。ヤクザの親分は、みんな頭が良かったと思います。昔、官軍が江戸をめざして進んでいたとき、大久保一蔵が清水の次郎長に会いたがったそうですね。どうして大勢のならずものを統率できるのか、その要諦は?と聞きたかった。 ヤクザの親分は、キリストや釈迦と一緒で、大学出てなくても、頭はめちゃくちゃ良いです。修羅場くぐってますから。いわゆる地頭(ヂアタマ)が良いというやつです。いってみれば大学を作る側の人間、福沢、大隈みたいな存在です。 架空の人物、勘太郎の子孫というのは、格別おもしろいですね。
 先の話の次郎長の答えです。ある人間を叱る時には、必ず人のいないところで叱る、1対1で叱る、でした。自尊心の尊重ですね。今聞いても、すごい話です。
投稿: 方解石 | 2013年10月10日 (木) 23時18分

 天狗党を書いた山田風太郎の『魔群の通過』という小説に、薄井督太郎という人物が登場します。その人の記事を概略してみます。
 飯田の貧しい商家に生まれ、志を立てて江戸で佐久間象山に入門、また、京で頼三樹三郎の弟子になったりしてあっぱれ天下の志士となった。
 筑波の義挙には最初から参加して、以来一党の参謀の一人となっていた。 一党は和田峠の戦いに勝利し下諏訪まで下りますが、ここで問題がおこります。この先の進路に伊那路をとるか木曽路にするか。
 薄井は伊那路を通ることに猛反対します。故郷の飯田が焼け野原になるおそれがあるからです。しかし彼の意見はいれられず、その夜のうちに彼は姿を消しました。天狗党の幹部の脱走はこれがはじめてです。
 「伊那の勘太郎」にまつわる皆さんのコメントを読んでいて勘太郎さんはこの人だと直感しました。 その後、彼はまんまと生きのびます。維新後、薄井龍之と名を改め、北海道開拓使の役人となって札幌建設にかかわり、町の一角に自分の姓の一字をとって薄野とつけた。 勘太郎さんですよね。
投稿: 颱風人 | 2014年9月15日 (月) 16時36分

この勘太郎月夜唄については特別な思い出があります。というのは私の義兄が長野県伊那市の出身で、義兄は優しくて豪放磊落、心の大きな人でした。その彼が酔うと必ず出てくるのがこの勘太郎月夜唄でした。その義兄も先週、17回忌を迎えました。先夜、わが家の仏壇の前で義兄のことを祈りながら、義兄の好きだったこの歌を歌い、生前の在りし日の義兄を偲びました。♪影か柳か 勘太郎さんか… きっとこの歌声は天国に届いたと思います。
投稿: 光男 | 2018年7月15日 (日) 14時36分

[ 15 麦と兵隊 ]  作詞:藤田まさと 作曲:大村能章

   「徐州々々と 人馬は進む
   徐州居よいか 住みよいか」
   酒落れた文句に 振り返りゃ
   お国訛りの おけさ節
   ひげがほほえむ 麦畠

   友を背にして 道なき 道を
   行けば戦野は 夜の雨
   「すまぬ すまぬ」を背中に聞けば
   「馬鹿を云うな」とまた進む
   兵の歩みの 頼もしさ

   腕をたたいて 遥かな空を
   仰ぐ眸に雲が 飛ぶ
   遠く祖国を はなれ来て
   しみじみしった 祖国愛
   友よ来て見よ あの雲を

   行けど進めど 麦また麦の
   波の高さよ 夜の寒さ
   声を殺して 黙々と
   影を落して 粛々と
   兵は徐州へ 前線へ

[ 16 喬木村の村歌 ]  作詞:福沢青藍作 作曲:長谷部巳津次郎

  南信濃の下伊那に
  類稀なる大村は
  阿島の傘ともろともに
  その名も高し喬木村

  天竜川の荒波に
  腕を強く鍛えつつ
  矢筈峠の月影に
  心を清く磨きつつ

  伊久間の原の春がすみ
  かすみをわけて桑をつみ
  大和の神のみ社に
  蚕飼の幸を祈りつつ

  夏は小川の耕の湯に
  しばし耕す身を休め
  加々須の川の瀬戸の滝
  玉なす汗を洗いつつ

  秋沢山の紅葉葉に
  飾る錦を誓いつつ
  業励みなば鬼が城
  鬼の頭も手にいらん

  やがて深雪の城山に
  家も富田の冬ごもり
  心を協せていそしまば
  村の誉れもあらわれん

  教えの庭に育し立つ
  喬木の里の教え子よ
  行末国の柱とも
  雄々しく直く育ちてん

  学びの道を進みては
  九十九谷のけわしさも
  まゆまず越えて五世界の
  人の鑑となれよかし

※喬木村の発足
明治8年に当時の阿島・小川・伊久間・富田・加々須の5か村が合併して発足しました。以来、一度として分村も合併もせずに今日まで歴史を積み重ねています。
※村名の由来 『幽谷より出でて喬木に遷(ノボ)る(詩経)』
  学問や人格が向上することのたとえ。 また、出世することのたとえ
  低い地位から高い地位にうつることを望む意。 栄転を望むこと。
  鶯(うぐいす)が谷間から出て喬木(高い木)にうつること。
  (詩経)「詩経―小雅・伐木」の詩の一節から。仲間を求めて
  「幽谷より出でて喬木に遷る(薄暗い谷から出て、高い木の上に移ってくる)」
  鳥の姿を、仲間を求めて社会に出て、高い地位へと昇っていく人間の姿に
  たとえてうたっています。 出典 故事成語を知る辞典
  「詩経―小雅・伐木」の内容
  伐木丁丁<音爭>、鳥鳴嚶嚶<音鶯>。出自幽谷、遷于喬木。嚶其鳴矣、求其友聲。
  相<去聲>彼鳥矣、猶求友聲。矧伊人矣、不求友生<叶桑經反>。神之聽之、
  終和且平。興也。丁丁、伐木聲。嚶嚶、鳥聲之和也。幽、深。遷、升。喬、
  高。相、視。矧、况也。○此燕朋友故舊之樂歌。故以伐木之丁丁、
  興鳥鳴之嚶嚶、而言鳥之求友、遂以鳥之求友、喩人之不可無友也。
  人能篤朋友之好、則神之聽之、終和且平矣。
  【読み】 木を伐ること丁丁[とうとう]<音爭>たり、鳥の鳴くこと嚶嚶
  [おうおう]<音鶯>たり。幽谷より出でて、喬木に遷[のぼ]る
  嚶として其れ鳴く、其の友を求むる聲あり。彼の鳥を相[み]<去聲>るにも、猶友を
  求むる聲あり。矧[いわ]んや伊[こ]の人、友生<叶桑經反>を求めざらん
  や。神の之を聽いて、終に和らぎ且つ平らかならん。興なり。丁丁は、木を
  伐る聲。嚶嚶は、鳥聲の和らぐなり。幽は、深き。遷は、升る。喬は、高き。
  相は、視る。矧は、况んやなり。○此れ朋友故舊を燕するの樂歌。故に木を
  伐ることの丁丁たるを以て、鳥鳴くことの嚶嚶たるを興して、鳥の友を求む
  ることを言い、遂に鳥の友を求むるを以て、人の友無かる可からざるに喩
 [たと]う。人能く朋友の好を篤くすれば、則ち神の之を聽いて、終に和ら
  ぎ且つ平らかならん。
  ※ 村名を取り上げた「詩経」は、偶成「少年老い易く学成り難し」七言
    絶句の作詩者・朱熹によって説かれた教えです。
※歴史
1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩県伊那郡富田村・加々須村・阿島村・小川村・伊久間村が合併して喬木村となる。
1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により下伊那郡の所属となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により単独で自治体を形成。
※所在地
長野県の南部、下伊那郡に位置し、伊那谷を南北に流れる天竜川が悠久の流れの中で作った日本でも最大規模と言われる河岸段丘上にある村。
  住所 長野県下伊那郡喬木村6664
  電話番号 0265-33-2001
※東経 137度2分
※北緯 35度30分
※標高 411m
※人口 約6300人
※面積(平成26年)総面積 66.61平方キロメートル
※気候
内陸気候の特徴である気温の日較差が大きいことから、当地域特産の果物、市田柿等が、とても甘く彩り豊かに実ります。四季の変化も明瞭で、鮮やかな新緑・紅葉が楽しめます。冬は比較的温暖で、雪が少ないのが特徴です。
※村章
喬木村の8区の統合を実現して八咫の鏡の形となし、中心に村名をいれたものです。
※喬木村8区
  阿島区・小川区・伊久間区・富田区・
  大和知区・氏乗区・加々須区・大島区
※村歌
昭和46年1月27日公告 (昭和46年1月27日施行)
福沢青藍 本名は悦三郎、伊那町出身、飯田中学校教師、明治7年6月生

[ 17 会津磐梯山 ]  作詞:福島県民謡 作曲:福島県民謡

  エイヤー会津磐梯山は
  宝の山よ
  笹に黄金が
  エーマタなり下がる

  エイヤー東山から
  日日の便り
  行かざなるまい
  エーマタ顔見せに

   小原庄助さん
   何で身上潰した
   朝寝、朝酒、朝湯が大好きで
   それで身上潰した
   ハーモットモダーモットモダ

  エイヤー会津盆地の
  緑の夏よ
  風もほがらに
  エーマタ鶴ケ城

  エイヤー何故に磐梯
  あの様に若い
  湖水鏡で
  エーマタ化粧する

磐梯高原を含めて磐梯朝日国立公園に属する。  元は「いわはしやま」と読み、「天に掛かる岩の梯子」の意味がある。  磐梯山の麓は、南が表磐梯、北が裏磐梯と呼ばれる。
会津といえば磐梯山、会津城、白虎隊、猪苗代湖、翁島の野口記念館と光明寺など、旅に出ていろいろと思い出が残っている。 懐かしいとこである。

[ 18 ああ我が戦友 ]  作詞:林柳波 作曲:細川潤一

 一 満目百里 雪白く
   広袤山河(こうぼうさんか)風あれて
   枯木に宿る 鳥もなく
   ただ上弦(じょうげん)の 月蒼(あお)し

 二 光に濡れて 白じらと
   打伏す屍(かばね)我が戦友(とも)よ
   握れる銃(つつ)に 君はなお
   国を護るの 心かよ

 三 死なば共にと 日頃から
   思いし事も 夢なれや
   君は護国の 鬼となり
   われは銃火に まだ死なず

 四 ああ我が戦友(とも)よ 二人して
   約せしことは 知りながら
   君が最期を 故郷(ふるさと)へ
   なんと知らせて よいものぞ

 五 君の血潮は 満州の
   赤い夕陽に 色添えて
   大和