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続折々の記 2020⑥
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 01 】08/30~
(考 最長政権:1)
     慣例破る人事、1強の源泉  安保転換、数の力で強行突破


 08 30 (日) (考 最長政権:1)     
       慣例破る人事、1強の源泉  安保転換、数の力で強行突破

安倍政権が終わりを告げた。

日本の方向は、ことさらアメリカ追従が目立っていた。 安倍政権は経済優先の政策を強行し、経団連関係者は安倍政権を支持してきた。 もともと経済圏の人たちは企業業績を伸ばすことが株主の意向に迎合し、戦争とか世界平和の思考を論ずる場とは考えてはいない。

だから、明治の変革期の政治家の資質と戦後の安住を優先する政治家の資質とは比べようがない。

政治家の資質の本来は、国家世界の平安に向かう政治手法が議論の中核になくてはならないはずである。 それは人々の生活の平安こそ人の願いだからといえるからである。

人類のあるべき方向が政治には見えなかった。 それは目標であるにしても、一歩一歩の歩みのなかに明確に位置づいていなければなせないだろう。

田中さかいニュース解説者は、アメリカのトランプ大統領の覇権放棄の方針を是としての解説だったがアメリカファーストの方向は協調と共生には見向きもしない政策を施行している。 これが間違いないとすれば、自国保護の貿易傾向が強くなり国家の方向を軍事競争へ駆り立てることになる。 田中宇のニュース解説の方向は是とは言えない。

いずれにしても、安倍政権が終わる。

日本の進むべき方向は、なんにしても100年や200年という将来をはっきり意識しそれがわかる議論を基にしなくてはならない。

大化の改新では 「 和をもって貴しとせよ 忤うことなきを宗とせよ 」 を柱にすえている。 市区の意味を理解するには義務教育でも簡単である。 しかし、「 和 」 とはなにか?  これこそ西洋で長いことあらそい獲得した人間本来の 自由 をだいじにした協調をあらわす言葉であり、 「 忤うことなき 」 とはその自由を確実するための 条件(心がけ) だと理解しなければならないのです。

一強支配と批判された安倍政権は、十七条憲法の第一条に明らかに反していた。 安倍政権のみならず、今までのどの政党にしても議決権行使としての投票に党議拘束をかけるとは、何たることであろうか?  今更こんなことを言うのは、一笑して唾棄されるでしょうが、どこにもこのことについての弁明はなされてはいない。 民主主義だと言って、いい気になるのはおかしい。

或はまた最近、夫婦での選挙違反に問われているのを見ると、国会議員選挙の政党が是認した候補には驚くほど多額の選挙資金が交付されているというのは、もともとおかしい。 これで公明選挙とはおかしい。

私たちの自由とは何でしょうか?  世界の異常気象で発言しているグレタさん、わたしは彼女の活動を見て 21世紀のジャンヌダークだと感じた。 自分の考えを自由に発言できること、それが自由の第一の理由だ。 わたしたち日本人は明治維新の変革を成し遂げて近代化を図った先輩たちがいたことを忘れてはいけない。

今朝新聞の一面だけちらっと見て、これはよく取り上げてくれたと感心し刺激を受けて以上を述べた。 その記事は次のとおりです。

(考 最長政権:1)その一 2020年8月30日 5時00分

慣例破る人事、1強の源泉 安保転換、数の力で強行突破

   https://digital.asahi.com/articles/DA3S14603628.html

写真・図版 【1強の構図】

 絶頂期は4年前だった。

 2016年7月10日の参院選投開票日。自民党本部で当選者の名前に花をつける安倍晋三首相は、カメラに満面の笑みをたたえていた。最終的に3分の2を超える「改憲勢力」を衆参両院で確保した首相は、悲願の憲法改正について「しっかりと橋がかかったんだろうと思っている」との手応えを示した。

 「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」。こんなビデオメッセージを改憲派の集会に送ったのは、その次の憲法記念日のことだった。

 だが、その橋を渡ることはなかった。06年からの第1次政権で改憲手続きを定めた国民投票法を成立させた安倍首相だが、2次政権では具体的な改憲案を国会で議論することはできなかった。28日の退陣表明の会見では、「憲法改正、志半ばで職を去ることは断腸の思いであります」と無念を語った。

 なぜ首相は憲法改正を進められなかったのか。

 12年末の政権奪還直後は、参院では自民・公明で過半数をとれておらず、衆院とはねじれ状態。翌13年1月の初めての国会演説では「過去の反省を教訓として心に刻み、丁寧な対話を心がけながら国政運営にあたっていくことを誓います」と低姿勢に徹していた。

 しかし、その夏の参院選でねじれを解消し、1強体制を確立すると、それが一変する。政治基盤と支持率の安定、そして株価上昇を原動力に、首相は安全保障面での課題に積極的に取り組んでいく。

 13年12月の特定秘密保護法の制定に続く政権前半の最大の「仕事」は、集団的自衛権の限定行使を認めた14年7月の閣議決定と、それに続く15年の安全保障関連法の制定だ。

 歴代内閣は、「憲法を変えない限り集団的自衛権は行使できない」との政府解釈を維持してきた。憲法改正をせずに行使できるようにするために、安倍首相が最初にとった手段が「法の番人」と呼ばれる内閣法制局長官の交代だった。

 政府解釈の変更に慎重だった長官に代え、集団的自衛権の容認に積極的な外務省出身者を慣例を破る形で起用。新長官は「内閣が『右』と考えているのに、法制局が勝手に『左』と決めているのは正しくない」と公言した。

 この後安倍政権は公明党との協議をへて、米軍との共同行動を念頭に集団的自衛権の限定的な行使を認める閣議決定に踏み切った。

 憲法96条に定める憲法改正手続きを回避し、国会や国民にその是非を問わずに9条の中身を変質させる禁じ手だった。

 法制局長官人事だけでなく、安倍政権は14年5月に新設した内閣人事局を通じて官僚機構を掌握。官僚が政治家に従属する構図を固めていった。また、国会で多数を占める与党の力で、野党や世論の反対が強い法律を強引に成立させていく。こうした手法は「決める政治」を印象づけたが、このことは社会の分断を招き、後に自らの首を絞めることになる。

 ▼3面=総裁選手法に異論、7面=世界の視線、8面=社説、31面=言葉で振り返る

 ◇安倍晋三首相の突然の退陣表明で、約7年8カ月という長期にわたって続いた安倍政権は幕を閉じる。「1強」と言われる隆盛を誇った安倍政権とはなんだったのか。連続シリーズで考える。

 (2面に続く)

(考 最長政権:1)その二

分断招く姿勢、改憲は遠く 「官邸官僚」主導、国会すら軽視


写真・図版 【安倍政権の主な出来事】

 (1面から続く)

 まず官僚機構の掌握に努めた安倍政権は、それまで各省庁が幹部人事案を練ってきた慣例を改め、内閣人事局を通じて事務次官など幹部人事に官邸が直接関わることにした。

 もともとは省庁の縦割り行政の是正が狙いだったはずが、官邸によるトップダウン人事が行われると、官僚は官邸の顔色をうかがうようになった。

 こうした官邸主導は安倍晋三首相や菅義偉官房長官といった政権中枢だけでなく、次第に「官邸官僚」たちの発言力を高めた。

 経済産業省出身で、第1次政権から秘書官を務める首相最側近の今井尚哉・首相補佐官を中心に、経済、外交、安全保障などあらゆる分野で首相のまわりに集まった官僚らが霞が関全体を動かしていくようになっていった。

 国政選挙での連勝、党や霞が関の掌握によって強化されていった1強体制は、やがて国会運営や批判的な世論に対する傲慢(ごうまん)さも生んでいく。

 2015年の安全保障法制をめぐる政権の強引な進め方は内閣支持率の低下を招いた。

 政権は9月に安保法を成立させると、延長させていた通常国会を閉会。その後、憲法53条に基づく野党の召集要求があっても、臨時国会を開こうとはしなかった。

 こうした態度にもかかわらず、年を越すと支持率は回復した。

 16年5月に三重県での伊勢志摩サミットを主催すると、6月には消費税率引き上げの再延期を表明。7月の参院選では、12年の政権奪還以来の国政選挙4連勝を達成する。

 この選挙によって、自民、公明の与党に憲法改正に積極的な野党や無所属議員を加えた「改憲勢力」が衆参両院で3分の2を超え、安倍政権の1強体制が完成する。

 当時の最大野党だった民進党が反対しても、国会で憲法改正案を決め、国民投票にかけることが可能になったのだ。

 この勝利の後、政権幹部は「国民はすぐに忘れる」と口にするようになる。政権が国会審議を軽んじる姿勢が露骨になり、国会運営の強引さはますます強まっていった。

 年金制度改革法や「共謀罪」法、働き方改革法、カジノ実施法など、国民に異論や慎重論が多い法案で採決強行を連発した。

 与党の一部からはやりすぎを懸念する声が聞こえたが、自民党総裁でもある首相に選挙の公認権や資金を握られた議員たちの声はか細く、官邸に届くことはなかった。

 ■「身びいき」「忖度」、期待は不信へ

 同じころ、政治の表舞台からは見えない水面下で、政権の足をすくう事態が起き始めていた。

 17年、森友・加計学園問題が発覚。一連の問題は、首相や妻・昭恵氏に近い人物に対する「身びいき」や、それを取り繕わなければという周囲の「忖度(そんたく)」が政権にはびこっているのではないかという疑いを有権者に持たせることになる。

 政権が長期化するにつれて、安倍首相の支持者と不支持者の間の溝は深まっていった。

 それが端的に表れたのが、17年7月の都議選だ。選挙戦最終日、安倍首相の街頭演説では、「安倍辞めろ」コールが起きた。首相はマイクで「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い返す。このやりとりは、首相支持と不支持の間の分断を強く印象づけた。

 18年3月に森友学園の国有地取引にからむ財務省の決裁文書改ざんが発覚すると、政権への不信は一層強まる。

 このころ自民党は憲法改正のためのいわゆる「改憲4項目」をまとめていた。17年の憲法記念日に、安倍首相が「自衛隊の存在を9条に明記し、2020年に施行したい」と打ち上げたことから党内議論を加速し、9条のほか大災害に備える緊急事態条項の新設、教育の充実(無償化)、参院選挙区の合区解消が盛り込まれた。

 だが、改ざんの発覚で内閣支持率は当時としては発足以来最低の31%にまで急落。憲法改正に向けての高揚感は、自民党内からも急速に消えていった。

 正面から9条を改正するという提案自体も波紋を呼んだ。首相は、憲法学者から違憲の疑いを指摘されている自衛隊を憲法にきちんと位置づけ、隊員に誇りを持って活動してもらうためと説明した。

 だが、すでに多くの国民が自衛隊の存在を認め、災害時の救援活動などを高く評価している。野党は「自衛隊の活動をなし崩し的に拡大しようとしているのではないか」と警戒を強め、与党の公明党も、平和主義の根幹である9条に手を加えることに抵抗感を示した。

 これが衆参両院の憲法審査会の議論の停滞を招き、自民党は安倍首相の在任中に改憲4項目を審査会の議論のテーブルに載せることができなかった。

 首相に近いベテラン議員は、森友・加計学園問題や桜を見る会など、首相個人にまつわる不祥事への対応で首相が疲労の色を深めていったとして、「あれがなければ総裁4選だってできた。憲法改正もできていた」と悔やむ。

 民主党政権の内部からの瓦解(がかい)のあと、組織をまとめる強いリーダーシップや決める政治を求める世論の期待を満帆に受け、安倍政権は再スタートを切った。

 政権前半期には、異論がある政策にも取り組む姿勢がリーダーシップとして評価される余地もあった。だが、後半期は強さがおごりやゆるみを生んだことは否めない。森友・加計学園問題で強い批判を受けたにもかかわらず、桜を見る会でも同じような問題がなお繰り返された。期待は不信へと変わっていった。

 (編集委員・国分高史、星野典久、菊地直己)

3面=総裁選手法に異論(考 最長政権:1)その三

「党員投票」省略、党内に異論 自民新総裁、来月15日までに選出の方向


写真・図版 【自民党総裁選の仕組み】

 自民党は安倍晋三首相の後継となる新総裁を9月15日までに選出する方向で調整に入った。全国の党員・党友による投票を省く「簡易型」の総裁選にする方向だ。党内からは、国会議員票の比重を増やすことで、地方の支持が厚い石破茂元幹事長の勢いをそぐ狙いがあるとの見方も出ている。▼1面参照

 首相が辞意を表明した翌29日も、ポスト安倍をめざす議員たちから総裁選への意欲が語られた。

 「女性がリーダーをめざすことは民主主義、自民党にとってもプラスになる。チャンスがあれば挑戦したい」。首相側近の一人の稲田朋美幹事長代行は29日、読売テレビの番組でそう語った。米グアムを訪問中の河野太郎防衛相はオンライン記者会見で、「これからしっかり考えていきたい。仲間と相談したい」と、意欲をにじませた。

 党執行部は9月15日までに総裁選を行う方向だ。選出方法は緊急対応を理由に全国の党員・党友による投票を省いて、394票の国会議員票と都道府県連に各3票割り当てられた141票の計535票による選出を検討。1日の総務会で正式決定するが、対応は二階俊博幹事長に一任している。党幹部からはコロナ禍の中にあることなどを理由に「政治的空白があってはならない」(森山裕国会対策委員長)と、スピード選出を求める声が上がる。

 ただ、簡易型の総裁選には党内に異論や批判もある。平井卓也・前IT担当相は自身のブログで「こういう時だからこそ、新総裁選出のプロセスの透明化が必要だ。責任与党として、次の政権の正統性を国民に丁寧に説明しなければならない」と記した。衆院若手は「総裁選が長引いても政治空白はできない。官房長官もいるし、政府は機能する」と話す。

 党内では、党執行部が党員投票を省こうとしているのは、過去の総裁選で地方から厚い支持を得た石破氏の人気を懸念しているからとの見方が出ている。

 岸田派の若手は「石破さん以外の候補が有利になるように党員票をなくしたといわれる」と懸念。簡易型の総裁選は国会議員に不人気の「石破潰し」と受け止められかねず、通常通りの総裁選を行うべきだと主張する。石破派の衆院議員は「なぜ国民の声を広く聞こうとしないのか。野党に転落したころの密室政治のようだ」と批判を強める。

 党の若手有志は、党員投票を含む総裁選を実施するよう求める署名集めを開始。1日までに党執行部に提出する予定だ。中心メンバーの村井英樹衆院議員は「広く党員の声を受け止めるべきで、特例の総裁選を選ぶ必要はない」と語る。SNS上では、党員投票を求める地方議員らも次々と声を上げており、今後、総裁選のあり方をめぐる批判が強まる可能性がある。(石井潤一郎)

 ■総裁選で党員投票を求める自民党内の声

<石破茂元幹事長>(記者団に)

 党員の権利を行使させず理解が得られるかどうか。党の存亡に関わる問題だ

<野田聖子元総務相>(ツイッターで)

 コロナ禍の今だからこそ正統な総裁選を。一般党員が権利行使するまっとうな選挙を

<小林史明青年局長>(自身のブログで)

 国民と協力して国難を乗り切って行くためのリーダー選び。広く信任を得る必要がある。全国の党員投票をともなった総裁選を

<安藤裕衆院議員>(朝日新聞の取材に)

 時間をかけ国民の前で堂々と政策論争を。フルスペックの総裁選をやった方がいい

<竹下亘元総務会長>(記者団に)

 党員投票から積み上げてやるのが王道を歩く総裁選だ

その四 7面=首相退陣 世界の視線

安倍外交、対峙した国は 中国・韓国


 約7年8カ月にわたり、日本外交のかじ取り役を担った安倍晋三首相。安定した長期政権下、継続性のある取り組みが可能となり、「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」や「戦後外交の総決算」を掲げた。世界は安倍外交をどう評価するのか。対峙(たいじ)した国の足元から報告する。▼1面参照

 ■氷河期抜けて実利を優先 中国

 「安倍政権前半の日中関係はまさに氷河期。我々を決定的に怒らせた一件がある」。中国外交当局者は、そう明かす。

 2013年秋のことだ。前年の尖閣国有化を機に、日中関係は1972年の国交正常化以降、最悪と言われる状況に陥った。第1次政権の安倍首相は、最初の外遊先に中国を選び関係改善に動いたが、第2次政権では憲法改正に意欲を示すなど中国を刺激し続けた。

 その頃、中国高官に日本の官邸幹部から電話が入った。「そろそろ歩み寄らないと互いに困るでしょう。首相が靖国神社に参拝しないことを条件に、首脳会談を実現させないか」。官邸幹部はそう告げたという。

 首相の靖国参拝は、両国の歴史問題に深く関わる極めて敏感な問題だ。それを政治カードのように扱う提案に、共産党政権内では怒りが広がったという。中国はこの申し出を拒否。安倍首相は数カ月後に靖国参拝を決行した。

 14年に北京で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)で安倍首相と習近平(シーチンピン)国家主席は初会談にこぎ着けたが、その後も戦後70年の首相談話発表や安保法制の制定などで中国を刺激する首相に、習指導部は警戒を続けた。

 転機は17年に訪れた。習氏肝いりの巨大経済圏構想「一帯一路」の国際会議に、二階俊博自民党幹事長と側近の今井尚哉首相秘書官を派遣。一帯一路に前向きな姿勢を示す首相の親書が習氏に手渡された。

 日本経済の中国依存が強まるなか、経済界に押された形のアプローチだったが、習指導部も南シナ海問題など周辺国との摩擦を多く抱え、外交の立て直しを図る時期だった。思惑は一致し、18年の李克強(リーコーチアン)首相訪日、安倍首相訪中につながった。

 安倍首相が尖閣を巡る対立や歴史問題などを争点化させず実利優先の対中姿勢へ軸足を移したことで、日中が複雑な国際情勢のなかで戦略的に結びつく余地が生まれた。

 日中接近の流れは、深まる米中対立なども背景に強まっていった。今春の習氏の国賓訪日は新型コロナウイルスの影響で延期されたが、双方が経済協力の強化を求める構図は崩れていない。

 ■香港・一帯一路で影

 しかし、習指導部の対日姿勢には影が差し始めている。日本が香港国家安全維持法に遺憾を表明する動きは、中国には内政干渉に映る。一帯一路への協力が具体化しない点も、中国側の疑念を呼んでいる。

 外交当局者によると、習氏は昨年末、訪中した安倍首相との会談を終えると「日本との建前の議論はもういい。現実的な成果を求めよ」と指示したという。

 対中政策が安定する意味から、中国側も安倍政権の長期化は歓迎するようになっていた。ただ、外交当局者は、習氏と安倍首相の間に、難題の解決に必要な指導者同士の信頼関係は育たなかったと見る。

 「2人の関係でできるのはここまでだ。その意味では、辞任はいいタイミングだったかもしれない」(北京=冨名腰隆)

 ■「努力報われず」募る不満 韓国

 「韓日関係の発展に多くの役割を果たしてきた安倍首相の突然の辞任発表を残念に思う」。安倍氏の辞意表明後、韓国の文在寅(ムンジェイン)政権は大統領府報道官名の短いコメントを出した。「多くの役割」について、韓国政府関係者は「具体的に頭に浮かばないので、抽象的な表現になった」と明かす。

 2012年末に第2次安倍政権が発足した際、日韓関係はすでに悪化していた。この年の夏に李明博(イミョンバク)氏が大統領として初めて、竹島(韓国名・独島)に上陸したからだ。

 日本の植民地支配を受けた韓国では安倍氏を、過去を反省しない「極右政治家」とみなす向きが強い。13年2月に発足した朴槿恵(パククネ)政権も、安倍氏の歴史認識には懐疑的だった。安倍氏との首脳会談の条件として、慰安婦問題での誠意ある対応を求め続けた。

 日韓の対立が解けないなか北朝鮮の核ミサイル開発は進み、米オバマ政権が双方に関係改善の圧力を強めた。15年末、日本が元慰安婦の支援を目的に10億円を拠出し、最終的かつ不可逆的に問題を解決するとの慰安婦合意が交わされた。だが、17年5月に政権交代した文政権は、前政権の業績を否定し、慰安婦合意も空文化させた。公式謝罪や賠償ではないと批判する世論を重視した。

 安倍政権は強く反発したが、文氏は安倍政権と良好な関係を築こうとした。南北協力の実現には対北朝鮮制裁の緩和が欠かせず、日本の理解も必要と考えた。安倍氏の最重要課題は拉致問題。日朝の橋渡し役を担えば、対日関係も改善できるとの計算が働いた。

 18年3月に北朝鮮に特使として派遣され、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と会談した徐薫(ソフン)国家情報院長(現・大統領府国家安保室長)はその1週間後、東京で安倍氏らと面会した。日本政府関係者によると、徐氏はこの場で、トランプ米大統領と「ぜひ会談をしたい」と希望する正恩氏の発言を伝え、日朝交渉に協力する考えも示した。

 ■元徴用工問題で悪化

 同年秋、韓国大法院(最高裁)が日本企業に元徴用工への賠償を命じる判決が出ると、日韓関係は極度に悪化した。韓国側は鄭義溶(チョンウィヨン)・国家安保室長(当時)らを東京に派遣。日本企業と韓国企業、韓国政府が資金を出し合って賠償に充てる「1+1+α」など複数の解決案を水面下で提示した。だが、日本側は拒否した。

 大統領府に近い関係者によると、鄭氏ら政権幹部は安倍政権の姿勢に「こちらの努力に全く報いようとしない」と不満を漏らすようになったという。

 米朝交渉が停滞し、日朝交渉の見通しも立たなくなると、歩調を合わせるかのように安倍政権の対韓外交はより硬化した。19年7月には対韓輸出規制の強化を発表。文政権は対抗措置として翌月、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を日本側に通告した。米国の圧力で一転、協定の維持を決めたが、関係悪化の要因である徴用工問題を積極的に解決しようとの動きは双方にない。(ソウル=鈴木拓也)

その五 8面=社説

アベノミクス 「道半ば」で行き詰まり


 安倍政権の支えと言われた「アベノミクス」。不人気な政策の実行や、スキャンダルの噴出があっても、経済が盤石であれば支持は揺らがない。それが政権の基本戦略と言えた。

 だが、その経済政策も実は行き詰まりが見えていた。政権発足直後こそ一定の成果を上げたが、中盤以降は政策の看板の掛け替えが続き、2年前に景気後退が始まったころから「アベノミクス」自体が後景に退いた。

 さらに、コロナ禍による打撃を克服する展望を見いだせていないのが現状だ。長期政権にもかかわらず、なぜ「道半ば」を繰り返すだけに終わったのか。丁寧に総括しなければ、後継政権も漂流を続けるだろう。

 安倍政権はまず、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略を掲げた。金融政策手法の「異次元」さこそ際だったが、この「3本の矢」自体は不況期の標準的な政策メニューといえる。世界経済の復調という追い風もあり、円高の行き過ぎが修正されて企業業績が回復。雇用も好転し、物価もいったんは上昇基調に乗ったかに見えた。

 だが、ならしてみれば成果は限られる。19年度までの経済成長率は年度平均で実質1%、名目1・6%程度。目標とした実質2%、名目3%の半分に過ぎない。異次元緩和の「出口」でのコストが増す一方、物価上昇率目標の2%には程遠い。

 15年の「新3本の矢」で掲げた名目GDP600兆円、出生率1・8、介護離職ゼロの目標に至っては、出生率が15年から下がり続けているように、実現への道は霧の中だ。

 民主党政権から続く政策では、TPP締結を果たし、2度の消費増税も実現した。ただ前者は米国が脱落し、後者は予定を2度後ろ倒しして財政再建を遅らせたうえ、増税後に景気が腰折れした。

 確かに企業収益の好調と就業者数の拡大が最近まで続いたことは評価すべきだ。だが力強い賃上げと消費の増加には結びつかず、経済の持続的な拡大には至らなかった。「官製春闘」と呼ばれた動きや「働き方改革」も打ち出したが、いずれも中途半端に終わっている。

 財界を支持基盤の柱とする政権の限界であり、「働き手の生活を豊かにする」という視点が薄かったといわざるをえない。

 企業業績の回復を超えたビジョンがなければ、様々な「成長戦略」もスローガンの羅列に終わる。よりよき経済社会とは何か、その実現には何が必要か。コロナ禍と米中対立、巨大IT企業の支配力の高まりといった課題が山積するなかで、議論を深めるべきときだ。

その六 社説  2020年8月29日 5時00分

最長政権 突然の幕へ 「安倍政治」の弊害 清算の時


 首相在任7年8カ月、「安倍1強」と言われた長期政権の突然の幕切れである。この間、深く傷つけられた日本の民主主義を立て直す一歩としなければならない。

 安倍首相がきのう、持病の潰瘍(かいよう)性大腸炎が再発し、国民の負託に自信をもって応えられる状態でなくなったとして辞意を表明した。治療を続けながら職務を続ける道は選ばず、秋冬に備えた包括的なコロナ対策を自らの手でとりまとめたことを区切りとした。首相の重責を踏まえた重い決断である。健康の回復に向け、療養に努めてほしい。

 ■行き詰まりは明らか

 退陣の直接の理由は、わずか1年で政権投げ出しと批判された第1次政権の時と同じ持病である。しかし、長期政権のおごりや緩みから、政治的にも、政策的にも行き詰まり、民心が離れつつあったのも事実である。

 先の通常国会では、「桜を見る会」の私物化が厳しく追及された。公文書改ざんを強いられて自ら命を絶った近畿財務局職員の手記が明らかになったことで、森友問題も再燃した。

 河井克行前法相と妻の案里参院議員による大規模な買収事件が摘発され、選挙戦に異例のてこ入れをした政権の責任も問われている。検察官の独立性・中立性を脅かすと指摘された検察庁法改正案は、世論の強い反対で廃案に追い込まれた。

 それに加え、コロナ禍への対応である。首相が旗を振っても広がらないPCR検査、世論と乖離(かいり)したアベノマスクの配布、感染が再燃するなかでの「Go To トラベル」の見切り発車……。多くの国民の目に、政権の対応は後手後手、迷走と映った。

 朝日新聞の先月の世論調査では、首相が感染拡大の防止に指導力を「発揮している」と答えた人は24%で、「発揮していない」が66%に達した。内閣支持も33%と低迷。支持率の高さを力の源泉のひとつとしてきた政権にとって、袋小路に追い込まれていたといってもいい。

 ■安定基盤を生かせず

 第2次安倍政権は、民主党政権を含め、1年前後の短命首相が6代続いた後に誕生した。衆参のねじれを解消し、政治の安定を回復したことが、世論に好意的に受け止められたことは間違いあるまい。

 アベノミクスのもとで株高が進み、企業収益や雇用の改善につながったことも事実である。ただ、賃金は伸び悩み、国民が広く恩恵を実感できる状況ではない。内閣府は先月、12年12月に始まった景気拡大が18年10月に終わり、翌月から後退局面に入ったと認めた。コロナ禍の影響もあり、良好な経済という政権の金看板も色あせつつある。

 衆参の国政選挙では6連勝を果たした。しかし、その政治基盤を活用して、社会保障改革や少子高齢化対策などの難題に道筋をつけるまでには至らなかった。むしろ、巨大与党の「数の力」を頼んで、集団的自衛権行使に一部道を開く安全保障法制や特定秘密保護法、「共謀罪」法など、世論の賛否が割れた法律を強引に成立させた。

 外交・安全保障分野では、首脳間の関係を深めるのに長期政権が役立った側面はあるが、「戦後日本外交の総決算」をスローガンに取り組んだ北方領土交渉は暗礁に乗り上げ、拉致問題も前進はみられなかった。

 事実上、次の首相となる自民党の後継総裁選出の手続きは、二階俊博幹事長に一任された。自民党の党則では、特に緊急を要するときは、両院議員総会で選任できるとされており、執行部はこの方式を採用する方針だという。

 コロナ対応に切れ目があってはならないが、そうならないよう首相が当面の対策をまとめたのではないか。「政治空白」を避けるという理由なら成り立たない。全国の党員・党友が参加し、国民の目にもみえる総裁選を実施すべきだ。

 ■「分断」「忖度」克服を

 今回の総裁選では、安倍政権の政策的な評価のみならず、その政治手法、政治姿勢がもたらした弊害もまた厳しく問われねばならない。

 野党やその支持者など、考え方の異なるものを攻撃し、自らに近いものは優遇する「敵」「味方」の分断。政策決定においては、内閣に人事権を握られた官僚の忖度(そんたく)がはびこり、財務省の公文書改ざんという、民主主義の土台を崩す前代未聞の事態を招いたことを忘れるわけにはいかない。

 懸念されるのは、安倍1強が長く続く中、自民党内で闊達(かったつ)な論議がすっかり失われたことだ。首相と石破茂元幹事長の一騎打ちとなった一昨年の自民党総裁選では、大半の派閥が勝ち馬である首相に雪崩をうった。

 最大派閥出身の首相の影響力に遠慮して、安倍政権の功罪がしっかり検証されず、政策論争そっちのけで、数合わせに走るようなことがあってはならない。国民の信頼を取り戻せるか、自民党にとってまさに正念場である。

その七 31面=言葉で振り返る

(首相退陣)7年8カ月、お言葉ですが


 政治家は言葉が命といわれる。憲政史上最長の7年8カ月で、安倍晋三首相はどんな言葉を残したのか。その言葉を受け止めた人たちは、辞任に何を思うのか――。▼1面参照

 ■五輪は延期

 「想定外も想定外だよ」。東京五輪の大会組織委員会幹部は、辞任表明に驚きを隠さなかった。

 2013年の国際オリンピック委員会(IOC)総会の演説で安倍首相は、東日本大震災で起きた原発事故の放射能汚染水の状況を「アンダーコントロール(制御されている)」と強調。震災からの「復興五輪」を掲げ、招致が決まった。

 東京五輪は安倍首相の政治的レガシー(遺産)になるはずだった。だが、新型コロナウイルスの感染拡大で来夏に延期された。2年後の開催を提案した組織委の森喜朗会長に、安倍首相は「ワクチンができる。大丈夫」と1年後の開催にこだわったとされる。大会関係者の一人は「『2年延期』だったら開催は確実だった」と語る。

 政府は9月4日から、組織委や東京都と、感染防止策を講じた五輪開催に向けて議論を始める予定だ。組織委のある幹部は「今の官邸は大会準備に熱心だが、首相が代われば陣容も変わる。今後も同じ思いでやってくれればいいが」と案じる。別の幹部は「五輪への否定的な見方が国民に広がり、気持ちが離れていくのがこわい」と話す。(斉藤佑介)

 ■安保法成立

 「私たちが求めていた通り、安倍首相のもとでの改憲はこれで不可能になった」。護憲派の市民団体「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の事務局次長で福祉施設職員の菱山南帆子(なほこ)さん(31)は言った。安倍政権は14年7月、集団的自衛権の行使を禁じた憲法9条の解釈を閣議決定で変更し、翌年9月に安保関連法を強引に成立させた。菱山さんは国会前で「立憲主義に反する」と抗議の声を上げ続けてきた。「『戦争法』をはじめ、森友・加計問題など政権のうそやごまかしで日本の民主主義が壊された。だれが次の首相になろうが、それを元に戻すのが課題だ」(編集委員・豊秀一)

 ■「黒い雨」控訴

 「『核兵器廃絶』と言いながら、それにつながることを何もしなかった。『黒い雨』問題も解決していない」。広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(75)はそう語る。

 広島地裁は7月、原爆投下後に「黒い雨」を浴びたと訴えた原告84人を被爆者だと認定した。佐久間さんは今月6日の広島原爆の日、他の被爆者団体とともに広島市内で安倍首相と面会し、控訴断念を求めた。しかし、国は広島市や広島県とともに控訴に踏み切った。年老いた「黒い雨」の被害者らは被爆者健康手帳を手にできないまま、控訴審での闘いを余儀なくされる。佐久間さんは言う。「被爆地の思いは、安倍首相には全く通じていない」

 辞任表明会見を最初から最後までテレビで見た。記者に問われるまで核兵器廃絶という言葉は出てこなかった。「核兵器廃絶は私の信念」と言いながら、抑止力の必要性にも言及した。(宮崎園子)

 ■辺野古強行

 沖縄出身の大学院生、元山仁士郎さん(28)は、首相の記者会見を見てむなしさを覚えた。「安倍さんの成果は何だったのだろう」

 安倍政権は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を「唯一の解決策」と繰り返してきた。19年2月の県民投票で、元山さんは署名活動で投票を実現した市民団体の代表を務め、投票結果は7割超が辺野古の埋め立てに反対。だが、「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」と繰り返してきた安倍首相は、工事を止めなかった。沖縄では「国に何を言ってもむだ」という諦めが広がったと感じている。次期政権に向け、「やはり、一度白紙に戻して再度検討してほしい」と願う。

 一方、宜野湾市の福里清孝・商工会長(74)は辞任表明を「残念」と話す。早く基地を返還してほしいが、負担を辺野古に押しつけるようで口にしにくい。だからこそ「ぶれない安倍政権の姿勢はありがたかった」。

 沖縄県の玉城デニー知事は28日、安倍政権の7年8カ月を振り返り「残念ながら言葉だけなのかなという印象をぬぐえない」と指摘した。(岡田将平、藤原慎一)

 ■道徳教科化

 教育現場を変えた安倍政権の政策の一つが、道徳の教科化だ。小学校では18年度、中学校では19年度に始まり、子どもたちが評価されることになった。安倍首相は、14年1月の施政方針演説でこう述べていた。「公共の精神や豊かな人間性を培うため、道徳を特別の教科として位置づけることとし、教員養成など準備を進めてまいります」

 大阪府の60代の公立小校長は「道徳は大事だけど、価値観は教科書で教え込むものではないと思う」と話す。「例えばいじめがあったとして、それをクラスみんなで受け止めて、どう学ばせるかが大切。子どもの心を真ん中に置くべきです」。教師によって価値観が違うため、評価の難しさも課題だと感じている。(宮崎亮)

 ■安倍首相の主な発言

 ・「再チャレンジ」

 2012年12月26日、第2次安倍内閣が発足し、稲田朋美氏を再チャレンジ担当相に。若者の雇用対策のテーマにも

 ・「3年間抱っこし放題での職場復帰」

 13年4月19日、日本記者クラブで会見し、働き手として女性の人材を活用することを柱とする成長戦略を説明

 ・「この道しかない」

 13年6月20日、参院選公約でアベノミクスを「大胆で次元の違う『3本の矢』で日本を覆う暗く重い空気は一変」とした

 ・「アンダーコントロール」

 13年9月7日、20年五輪の開催地を決める国際オリンピック委員会の総会で、東京電力福島第一原発の汚染水漏れは管理下にあると強調

 ・「Buy my Abenomics(アベノミクスは「買い」だ)」

 13年9月26日、ニューヨーク証券取引所の講演で

 ・「積極的平和主義こそが、我が国が背負うべき21世紀の看板」

 13年10月15日、所信表明演説で

 ・「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、全力で取り組む」

 13年12月25日、首相官邸で沖縄県の仲井真弘多知事と面会。沖縄振興策や基地負担軽減策を語った後に

 ・「日本が再び戦争をする国になることは断じてあり得ない」

 14年7月1日、集団的自衛権行使容認の閣議決定を受けた会見で

 ・「憲法ができて長い年月がたって、時代に合わなくなった条文もある。憲法を変えていくべきだ」

 15年3月6日、衆院予算委員会で

 ・「家庭で職場で地域で、もっと活躍できる『一億総活躍』社会をつくる」

 15年9月24日、記者会見で。新たな「3本の矢」を提唱し、アベノミクスの第2ステージを宣言

 ・「核兵器のない世界を必ず実現する」

 16年5月27日、広島を訪れたオバマ米大統領と、平和記念公園で演説

 ・「私や妻が関係していたということになれば、私は総理大臣も国会議員もやめる」

 17年2月17日、衆院予算委員会。森友学園を巡る国有地売却問題に関する質問に

 ・「こんな人たちに負けるわけにはいかない」

 17年7月1日、JR秋葉原駅での都議選の応援演説の際、聴衆からの「やめろ」コールに対し

 ・「拉致被害者がご家族と抱き合う日まで、私の使命は終わりません」

 17年11月17日、衆参両院本会議の所信表明演説で

 ・「総理なので森羅万象すべて担当している」

 19年2月6日、参院予算委員会で。毎月勤労統計の不正調査を巡る特別監察委員会の報告書を読んだかと問われ

 ・「悪夢のような民主党政権が誕生した」

 19年5月21日、都内のホテルであった自民党細田派のパーティーで

 ・「ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」

 19年9月5日、ロシアの東方経済フォーラムでプーチン大統領に平和条約締結を呼びかける

 ・「幅広く募っているという認識で、募集しているという認識ではなかった」

 20年1月28日、衆院予算委員会で。首相主催の「桜を見る会」を巡り、首相の地元事務所が功績や功労と無関係に参加者を募集した疑いを指摘され

 ・「神社参拝は密閉ではなく、人が集まっているが、密接かどうかは別。三密が重なったらだめだということを私は申し上げている」

 20年4月17日、衆院厚労委員会で。妻の昭恵氏が新型コロナ対応の改正特措法施行翌日に大分県の神社を参拝していたことについて問われ

 ・「法務大臣に任命した者として責任を痛感している。説明責任も果たしていかなければならない」

 20年6月18日、記者会見で。元自民党議員の河井夫妻の公職選挙法違反容疑での逮捕を受け

 ・「国民の負託に自信をもって応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではない」

 20年8月28日、辞任の意向を表明した記者会見で