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続折々の記 2021①
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 02 】01/05
阿修羅に魅せられて天
「論理より力関係」が日本の空気
劇作家・永井愛
首相「パンケーキ懇談会」の思惑
時事ドットコムニュース
語る 人生の贈りもの
朝日新聞デジタル>連載
緊急事態再宣言
日本の歴史的大変化が始まる
01 05 (火) 阿修羅は母であり父だった 阿修羅に魅せられて
年末近くから阿修羅をPCにとりいれたいといろいろ考えていた。 いい案配にはいかない。 寝床で目が覚めてからもあれこれ思い続けていた。
なんでそうもひかれるのか、阿修羅であるのに優しいかおをしている。 表情から見ると若々しい。 そして第一に目と眉間の表情が私を引きつけていた。
私が魅せられひかれたのは、修学旅行で何回も見てきた興福寺の阿修羅像であり、阿修羅を検索で調べると、
「阿修羅は、古代インドのアスラが仏教に取り入れられたもので八部衆または二十八部衆に属する、仏教の守護神。略して修羅ともいう。六道の一つであり、戦闘をこととする鬼類。
八部衆は、仏法を守護する8神。仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依し、護法善神となったものである。十大弟子と共に釈迦如来の眷属を務める」
こう説明しています。
護法善神とはいえ、鬼神や戦闘神である。 私は内心仏教を守るための戦士としては似つかわしい表情ではないと思い続けてきました。
そして思いついたのです。
目と眉間の表情はなぜか? 何を意味しようとして目と眉間の表情を表わしたのか?
仏法を守護するというのは、神を守るというモーゼの言葉の意味、それにピッタリではないか !!
親を敬うこと、その表現はモーゼが教えている中核である。 その親を守護する、ということは自分の親にはじまる祖先の守護である。 親を守護するとは親の心情をまもることであろう。 親の心情とは、親の愛であり、親の子供への願いであると理解していいと私は結論つけました。
自分が親になってから、親がわが子への愛はよくわかる。 もう一つの親の願いは何であろうか? いろいろあると思いますが共通するものの一つは、マメであること-じょうぶで健康であることと言えましょう。 共通の一つは人に対して恥ずかしくない言葉遣いと行動であろう。
この二つのほかの言葉として勉強ができる運動ができる技術を身につけるなど、希望を実現できる基になることだろう。
こうして、学・芸・技・術など多方面の職種へつく可能性を身につけさせたい、そう願うことだろう。
誰にしても愛情をもってわが子がすくすく成長し人様に役立つよう願うのです。
願いだけでしょうか? いや、願いだけではない、願いが叶 うようにいろいろと心配するのも当然なことなのです。
これこそ阿修羅の目と眉間の表情を表わそうとした作者の唯一の目的だった、と私は理解しました。 間違いだかどうかは判りません。 私が自分の中でこう位置づけたのです。
阿修羅像「阿修羅像の目と眉間の表情」を見ることができます。
阿修羅のモデルになった女性は、聖武天皇と光明皇后の娘、当時16才の阿部内親王(後に2度、女帝となった孝謙天皇と称徳天皇)という。 興福寺、阿修羅像の作者は仏師将軍万福(ぶっししょうぐんまんぷく)。折々の記のあと半分程へ、阿修羅の写真を載せておきましょう。
この写真で、詳細な頭部の映像は「奈良六大寺大観」第七巻の「興福寺一」142p143p に右から見たお顔と左から見たお顔が一頁ずつの大きな像が出ているから、見られます。 これは 1969 年発行の岩波書店刊の本で、50年近く前に父母が親しくしていたころ韓国生まれで帰化していた本島武治さんから頂いた本です。 孫たちはこの本島さんに会っていないけれど、ソノ先代ばあちゃんの「歌集と思い出」194 頁に「おばあちゃん」という追悼の言葉をいただいているから読むとわかります。 因みに、この本「興福寺一」の代金は当時の定価 14,000 円という高価な本でした。 この方についてはまだ私の子もあまり知らないから、「折々の記」へ私の知っていることを書き残しておきたいと思っています。細かい説明まで書きましたが、阿修羅を身近に仰ぎ合掌して自分の母であり父であると理解し、家の中のご先祖様と同様私たちを見守っていてくれると信じ、いのちに託されている願いを叶えられるようにつとめます。 親は自分のいの生命が滅びたにせよ、いつも案じていてくれると信じて生涯を送りたいと思っています。
(語る 人生の贈りもの)永井愛:11
劇作家・永井愛
「論理より力関係」が日本の空気
――報道現場の変質を痛烈に描いた「ザ・空気」(2017年)、「ザ・空気ver.2」(18年)が評判を呼びました。
言論・表現の自由についての社会の変化を色々な場から書こうとする中で、メディアの話に焦点を絞ったんです。総務大臣のテレビ電波停止発言や日本の報道の自由度の低下が頭にありました。
「ザ・空気」はテレビの報道局が舞台です。メディアの人々を取材し、政治家の圧力によるドキュメンタリー番組の改変問題や権力批判をするキャスターの相次ぐ交代を受けて、上層部の圧力で特集番組が体を成さぬほど変えられていく様子を描きました。私は喜劇のつもりでしたが、観客からは「社会派ホラー」「怖い」と言われ、なるほどと思いましたね。
上演後ほどなくして、安倍政権の森友・加計問題で官僚の忖度(そんたく)という言葉が広まりました。メディアのみならず、集団で何かを決める時、論理よりも力関係に引きずられてしまう。それが日本人を取り巻く空気なのでしょう。
――「ザ・空気ver.2」は国会記者会館の屋上で、政権と癒着する記者と批判精神を持つ記者やジャーナリストが交錯します。
記者クラブという、外部の組織やフリーのジャーナリストに対して排他的な制度を持つ日本の大手メディアは、国民の知る権利にこたえようとする意識が薄いのではという思いで書きました。
先日の安倍前首相の退陣会見も、「政権の私物化といった様々な疑惑について、どうしてもっと突っ込まないの?」と歯がゆかった。菅首相のパンケーキ懇談会にも出た社と出ない社がありましたが、出るぐらいなら会見を開くよう要求すべきだったと思います。
政治的なテーマは嫌われると思ったけれど、観客からは熱心な反応があった。「よくぞ書いてくれた」と、そっと打ち明けるメディアの人も。今の社会を覆う空気に切実な危機感を抱く人々がまだまだいるのだと勇気づけられました。
(聞き手 編集委員・藤谷浩二)
時事ドットコムニュース
2020年10月25日
首相「パンケーキ懇談会」の思惑
菅義偉首相が突然、首相番記者との「パンケーキ懇談会」を始めたことが永田町で話題となっている。首相就任から1カ月余。携帯電話料金値下げなど国民生活に直結する政策を打ち出して「出だしは順風満帆」(政府筋)だった政権運営だが、ここに来て「日本学術会議」会員任命拒否問題での首相の“強面ぶり”に世論の批判が高まっているだけに、政府与党内でも「菅流のマスコミ懐柔策」(自民幹部)との見方が広がる。
【コメントライナー】任命拒否、説明できぬなら撤回を ~菅首相に「リーダーとしての懐の深さ」はあるか
この懇談会は、甘党の首相の大好物というパンケーキを、番記者と一緒に食べながら意見交換するというスタイル。対象は内閣記者会加盟各社の首相番約60人で、首相の発言内容は「完全オフレコ(直接報道できない)」が前提だ。首相サイドの発案とされ、まず土曜日の10月3日朝、都心部のパンケーキで有名な店で、2時間近く懇談した。ただ、「学術会議」問題の浮上直後で、野党やメディアなどが公式の場での首相の具体的説明を求めていただけに、「完オフ」という“縛り”に反発した数社が、出席をボイコットする事態ともなった。
各社の首相番は、ほとんどが政治部に配属されたばかりの“新米”政治記者で、首相とは親子のような年齢差があるのが通例。以前は、首相が移動する際の立ち話で番記者が質問する手法だったが、最近は首相が官邸に出入りする際に、玄関ホールで待ち構えた番記者が離れた位置から声を掛け、首相が短く応答するか無視して通り過ぎるというケースが一般的。もちろん、国政上の重大決定があった場合などは、即席の首相インタビューという形にはなるが、首相と番記者が一室に集まって親しく懇談することはほとんどなかった。
◇“菅流”手法に「密室談合批判」も
もともと、「首相への直接取材は官邸と内閣記者会による申し合わせなどで、一定の制限があった」(官邸報道室)のが実態。首相の発言はそのまま政府の方針となるため、特定の報道機関や記者が個別に取材して独自情報として報道するのを防ぐためだ。「首相は最高の公人で、メディアへの対応には公平さが必要」(内閣記者会)との判断からで、首相が特定の報道機関や記者を使って世論操作することを防ぐ狙いもあったとされる。このため、今回のように首相が番記者全員を相手に取材に応じるのは、「たとえ『完オフ』でも内閣記者会が拒む理由はない」(有力紙幹部)とみられていた。しかし、その直前に学術会議任命拒否問題が表面化したことで状況が変わり、一部の新聞社が「密室でのオフレコ説明では、国民の疑問に答えられない」などの理由で欠席する結果となった。
その一方で、各方面から説明責任を求められている首相にとっては「自らの考えを率直に話して理解を得たい」(政府筋)との思惑もにじむ。さらに、懇談内容は直ちに出席各社の政治部上層に伝わるだけに「首相の意図を極端に捻じ曲げたような報道に歯止めをかける狙い」(同)もあったとされる。首相はパンケーキ懇談を経て、5日、9日と相次いで内閣記者会のグループインタビューに応じたが、任命拒否問題については「総合的、俯瞰的に判断」と繰り返すだけで、具体的な理由の説明は避けた。ただ、「番記者との懇談では学術会議の閉鎖性などに強い不満を示した」(首相周辺)とされ、その後の各メディアの報道ぶりも「首相批判一辺倒ではなくなった」(同)との見方も広がる。まさに強かなメディア操縦術にも見えるが、「そのこと自体が、首相とメディア双方への“密室談合批判”を招いている」(立憲民主)こともあり、“菅流”メディア対応の成否はなお不透明だ。
【政治ジャーナリスト・泉 宏/「地方行政」10月19日号より】
朝日新聞デジタル>連載>
あのときの出来事が、いまの私につながっている――文化芸能を中心に、
語る 人生の贈りもの
様々な分野で確かな足跡を残してきた大家や名優に、その歩みを振り返
ってもらいます。
毎週火~金更新。
1〜10件目/661件中
中西進:3 昭和モダン、フィルム缶に夢中
■国文学者・中西進――1929(昭和4)年、東京西郊の旧高井戸町(現・東京都杉並区)の生まれですね。父新太郎は国の統計局に勤める官僚でした。いまの京王井の頭線にあたる鉄道の駅がすぐ近くにできると聞いて・・・[続きを読む]
2021年01月07日 05時00分有料記事
中西進:2 東京育ち、でも心には瀬戸内海
■国文学者・中西進私の生まれは東京ですが、両親はともに香川の出身です。幼い頃から、母の実家にはよく連れられて行きました。正しくはそここそが、我が産土(うぶすな)の地でしょう。かつては本州の岡山から四国・・・[続きを読む]
2021年01月06日 05時00分有料記事
中西進:1 疫病流行、万葉集には平和の力
■国文学者・中西進――91歳のいまも『万葉集』を教え、広める活動で多忙ですね。さすがに無理がたたったのか、昨年11月、40・2度の熱が出ました。新型コロナのいまですから、これはもう死ぬのかなと。検査の・・・[続きを読む]
2021年01月05日 05時00分有料記事
古谷敏:8 心に残るヒーロー、いまこそ
■スーツアクター・俳優、古谷敏科学特捜隊やウルトラ警備隊の隊員を演じた俳優仲間、円谷プロの関係者……。かつて一緒に仕事をした多くの仲間が、音信不通だった僕のことを心配してくれていました。大丈夫かな?怒・・・[続きを読む]
2020年12月11日 05時00分有料記事
古谷敏:7 2007年、アンヌ隊員からの連絡
■スーツアクター・俳優、古谷敏ウルトラセブンの放送が終了してから1カ月後の1968年10月、イベント会社「ビンプロモーション」を立ち上げました。遊園地やデパートの屋上、商店街からの依頼を受け、怪獣ショ・・・[続きを読む]
2020年12月10日 05時00分有料記事
古谷敏:6 ファンに恩返し、兄貴分の教え
■スーツアクター・俳優、古谷敏伊吉(いよし)さんは今でも僕の兄貴分であり、良き相談相手です。出会ってからもう半世紀以上になるのですが、僕の結婚披露宴では仲人もしていただきました。――タレントの毒蝮三太・・・[続きを読む]
2020年12月09日 05時00分有料記事
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この形式で「語る 人生の贈りもの」が個人別に新→旧の序列で 1 まで出ています。
折をみて調べ、残したいものは残せばよい。
01 14 (土) 緊急事態再宣言 日本の歴史的大変化が始まる
昨日は古い柿の木の焚物割りで疲れたせいか、今朝寝床から起きたのは時計は七時を回っていた。 十時間近く寝ていたことになる。
そしてまた、昨日の8日は去年からいろいろと因縁の日でもあった。 因縁というのは4月8日はコロナウイルス発生地の中国でシャットダウンの成果としてウイルス発生が終わったことを祝しての花火を打ち上げて内外に成功を誇張した日でした。 逆に私は親指骨折の厄日でもあった。 5月の8日は親指治療を木下クリニックから市立病院へ変更した日であり手術した日でもあった。 12月8日は92才の誕生日であり、1ヶ月経った今年の1月8日が緊急事態再宣言だったのです。
因縁めいた日だと言うとおかしいが、安倍総理の緊急事態宣言を発令した時の諮問委員会の尾身茂会長も一緒の1か月期限の発令である。
今年のウイルス緊急事態宣言もまた同じ内容であって、不始末の轍を踏んでいる。 しかも罹患者増加率は比べるまでもなく多くなっているというのにである。
とんでもない行政機関の政策判断であると、言わざるを得ない。
日本の歴史的変化に火がついたといえる。 2月7日にはステージ3に戻すのが目安というが、そんなに甘くていいのだろうか。
Yahoo Japan のデータより
4つのステージと6指標政府の分科会は、ステージ1~4の状況に応じて休業要請や緊急事態再宣言などの対策を取るよう提案しており、現状の判断に用いる指標として6項目の指標を示しています。
※最大確保病床とは、都道府県がピーク時に向けて確保しようとしている病床数をいいます。
各都道府県の6指標は
表の黄部分はステージ3の判断指標を、赤部分はステージ4の判断指標を超えていることを示します。矢印は前週差の増減を示します。 ※大阪府のPCR陽性率は厚生労働省の発表に合わせ「10.0%」と記載していますが、9.98%を四捨五入した数値です。そのため、ステージ3未満として表記しています。
各情報の集計期間(日)は以下の通りです。 ①病床のひっ迫具合:1月5日時点 ②療養者数(10万人あたり):1月5日時点 ③PCR陽性率:12月28日~1月3日 ④新規報告数(1週間・10万人あたり):1月1日~1月7日 ⑤直近一週間と先週一週間の比較:④の期間とその前週 ⑥感染経路不明割合:12月26日~1月1日 いずれも厚生労働省の資料より集計。
呑気なことを書いている余裕はないのである。
命の終末をどう理解しているのだろうか? 個々にそのまま任していることではないのに? 施設の崩壊ばかりでなく、施設で働く人たちの崩壊にもつながっているというのに?
自主的にという言葉が独り歩きしている。 自主に任しておいていい問題ではない。 親が罹患して死んでしまうというのに、平気でいる子はいないではいか !!
生物個々の生存と死滅の道を、誰もが達観できない のです!! ヨーロッパの現実をどう理解しているのでしょうか、国民としてはいろいろと考えるのです。
さて、緊急事態再宣言はともかくとして新聞記事を見るとやっぱり8日はとんでもない日でした。
曲がり角の大事な記事が目白押しなのです。
一 緊急事態再宣言 関係
① 首相「一ヶ月で改善へ全力」4都県、来月7日まで会員記事 1面
② 大阪府も宣言要請へ 1面
③ 天声人語 緊急事態ふたたび 1面
④ (時時刻刻)苦肉の宣言、見えぬ収束 政権ちぐはぐ、都も後手 2面
⑤ 専門家 一ヶ月後解除「難しい」 2面
⑥ 政治こそ「行動変容」を 東京科学医療部長 2面
⑦ 景気「二番底」懸念 飲食や百貨店は営業縮小 スーパー大手は在庫増強 3面
⑧ 「遅きに失した」「説明を」 野党から批判相次ぐ 4面
⑨ 国会議員会食、ルール化見送り 医師会など批判受け 4面
⑩ 緊急事態宣言ドキュメント 7日の発言や動きを 4面
⑪ (社説)再び緊急事態 感染抑止に総力あげよ 12面
⑫ 信州 79人 3日連続 感染経路不明40人以上 17面
⑬ 宣言解除 東京は感染1日500人が目安 22面
⑭ 新型コロナと政治 この1年の闘い 22面
⑮ 感染拡大 歯止めなし 24面
⑯ 再び宣言 疲弊する街 25面
二 亜米利加の政変 関係
① 選挙敗北認めず、支持者「不正と闘う」 米議会乱入 3面
② バイデン氏 秩序回復訴え 国民向け演説 8面
③ 「平和的権力移行を」 各国から非難・懸念 8面
④ (社説)米議事堂騒乱 民主主義の無残な凋落 12面
どうですか、このニュースタイトルを見て? とてもではないがコピーなど取り上げてはおれない。 この新聞長野地区へ配達された記事である。 このまま永年保存していきます。
政治家にしてもどうした方策がいいのか、思い切った考え方をしようとする人はなかったと言わざるを得ません。 EUやUSAの感染増加のニュースを知りながら、この新聞を見る限り政治家の指導力が忖度に満ち溢れた結果と言わざるを得ないのです。
歴史は因果を学んで未来に備えるという事くらい、学歴を積んだ議員の膨大な集団なのに知っている筈だと私は思う。 知っていながら、この体 たらく。
ことは日本だけのことではなく、世界の大変化につながる現象が発生し進行しているのです。 そうとらえなくてはならないほどの歴史的大変化の時に出会っているのです。私はそう思う。
どうしても、生命 の在り方について紐 解いて考え直す必要があるのではないかと思う。 私はその方向へ大きな舵を切るつもりです。
生命 のとらえ方 いのちって、ナァーニ?
子どもに聞かれたら何と答えますか? 子供でかくて中学生とか、成人になった人とか、大人の人でもいい、答えは千差万別になってもいいのです。 あなたはこの要望にどう応 えますか?
相手が子どもであれば、「遠くのほうからライオンがこっちのほうへ近づいてきます。 近くに草むらと一軒の家があります。 あなたはどうしますか」と聞いてみます。 すると草むらへかくれますとか、家の中へ逃げこみますとか、応えるでしょう。 どうしてかくれたり逃げたりするの、と聞きますと、「怖いから」とか「噛みつかれるから」とか「殺されるから」とか答えるでしょう。
「そうですね、生命っていうのはいつでも自分を守っていたいという願いのことをいうのですよ。 生きていたいっていう気持ちのことをいうのですね」 「わかりますか」 「自分を大事にして生きていくことは、とても大事なことなんです」 「ライオンに噛みつかれたりすれば死んでしまいますね」 「高くて危ないがけから落ちても死んでしまいますね」 「死なないようにしていくことは、とても大事なことだと思います」
わかりますか?
子どもに答えるとすればこんなように応えれば、「うん、わかったよ」というだろうと思います。
だが、成人に達した人にこんな説明をすれば、「そりゃ、当たり前のことだよ」と言われます。
だから「生命って何?」という作文課題が出された時にはこんなことではなく、もうちょっと詳しく回答したいものです。
牛や猫などの動物と稲や杉などの植物も、人と同じように生命 は細胞によって支えられています。 生物はすべて生命に支えられて生きていますからいのちの姿はいろいろあるけれどその機能はみな同じなのです。 これもその通りだと理解できます。
高校や大学で遺伝とか染色体とか知っているとすれば、卵子や精子の働きについての知識を駆使して質問に対する答えを書くことができます。 1960年ころ以前に生まれた人はまだ高校へ行けなかった人もいますから、もし知らないにしても少し説明すれば理解はできるでしょう。 細胞の不思議な働きによって生物は生きていることは理解できます。
では、いのちの願いは何ですか? と聞かれると、さてなと考えてしまうのが普通です。 学校でも親からからも聞いたり教えられたりしないからでしょう。
このことについては今まで私の考え方を書き残してきましたから、本に書いてあったなあと思うでしょう。 この答えはいろいろあってもいいのです。
でも、私の考えだけではいのちの姿の大事な解説は、今現在での実生活では役に立ちません。 何故でしょうか?
地球の温暖化の危険度は、ここ数年の状況を見ても急速に尻上がりの様相となっており、今後10年もすれば想像以上の状況となり危険度の回復が不可能にもなると環境専門家は警告しているのです。 耳を傾けて聞いてください。 そのわけを理解すれば、ほんとだ、ほおっちゃおけないと思うでしょう。 次を読んでください。
1月9日のNHK午後9時からの番組名ぜひオンデマンドで視聴してほしい。
NHKスペシャル 2030 未来への分岐点(1)▽暴走する温暖化脱炭素への挑戦
番組内容
新シリーズ「2030 未来への分岐点」、第1回は新たなフェーズに入った地球温暖化の問題。持続可能な未来を実現するために何が必要か、この10年歩むべき道を考える。
詳細
持続可能な未来を模索する新シリーズ「2030 未来への分岐点」。第1回のテーマは新たなフェーズに入った地球温暖化。このままいくと早ければ2030年にも、地球の平均気温は臨界点に達するといわれている。それを超えていくと、温暖化を加速させる現象が連鎖し暴走を始める可能性が明らかになってきた。その時、私たちの暮らしはどうなるのか、どうすれば破局を回避できるのか。この10年歩むべき道を考える。
オンデマンドで視聴
可能
番組ではヨハン・ロックストローム氏を柱にした編集でした。 どんな人か調べると次のように検索では出てきます。
ヨハン・ロックストローム
ヨハン・ロックストローム(スウェーデン語:Johan Rockström、1965年12月31日 - )は、地球規模の持続可能性に関する分野で国際的に知られるスウェーデン出身の環境学者。ストックホルム・レジリエンス・センターの所長として12年を務めた後に、2018年10月にドイツに本拠地を置くポツダム気候影響研究所の所長となった。
生誕
1965年12月31日(55歳) スウェーデン
研究分野
環境学(自然環境、社会環境、都市環境など、人間の生活を取り巻く環境とその人間、動植物への影響について、物理学、化学、生物学、地球科学、社会科学、人文科学等の基礎科学からのアプローチにより研究を行う学問分野である。歴史はまだ浅いものの、様々な基礎科学分野の研究者により研究が進んでいる。環境問題に対して将来を予測しつつ総合的な対策を提案する学問分野を内包するのも特徴)、地球規模の持続可能性、水資源
概要
ロックストロームは、地球規模の持続可能性の問題について国際的に認められた研究者である。2009年には、アース・リーグのチームを率いてプラネタリー・バウンダリーの枠組みを開発し、地球が急激な変化を遂げているときに人類が発展を続けるための前提条件を提示した。ロックストロームはポツダム気候変動研究所の科学諮問委員会の副議長を務めている。2010年には、雑誌Miljöaktuelltは環境問題においてスウェーデンで2番目に影響力のある人物であるとし、スウェーデンのビジネス誌VeckansAffärerからは「ソーシャル・キャピタリスト賞」を授与。2011年には、ストックホルムでおこなわれた地球規模の持続可能性に関する第3回ノーベル賞受賞者シンポジウムにおいて議長を務める。
ストックホルム大学教授であり、ストックホルム・レジリエンス・センターの所長として12年を経た後に、2018年10月にドイツに本拠地を置くポツダム気候影響研究所(英語版)の所長となった[1]。2004年から2012年までストックホルム環境研究所の所長だった。
プラネタリー・バウンダリー
プラネタリー・バウンダリー=9個の地球システムにおける人類生存のための安全な活動領域とその境界
2009年、ロックストロームは、28人もの著名な学者からなる国際的なグループ「アース・リーグ(The Earth League)」を率いて、持続可能な発展の前提条件となるべく、新しい地球システムの枠組み(フレームワーク)として、人類が生存できる安全な活動領域とその限界点=プラネタリー・バウンダリーを把握することで、人類にとっての壊滅的変化を回避できるのではないか、そのようなバウンダリー=限界点がどこにあるかを知ることが大切であるという新しい考え方を、政府や政府関係機関に対して提案した。この概念は2009年に論文として公表され、全文がEcology and Society に、またその要約版がネイチャーに掲載された。 この枠組みは、この惑星の地球システムのプロセスには超えてはいけない「境界値(バウンダリー)」または「閾値」があることを仮定する。学者グループらは、これらの境界を超えない範囲を、「人類の生存のための安全な活動領域」と呼んで注目している。学者グループらは、人間の生き残りに不可欠な9つの「地球生存支援システム」を特定し、これらの7つシステムのうちが既に飛び越えてしまっているものがないかどうかを定量化しようとした。これらのバウンダリーを越えて、地球の居住性を悪化させる可能性のある「不可逆的かつ急激な環境変化」のリスクや脅威について、学者らは、人類の生存が脅かされる前に、人類はどれほど開発を続けることができるかを見積もった。 プラネタリー・バウンダリーは、人類が発展の領域の余裕を特定し「人間開発のための安全な領域」を定義することができる。そして人間による地球への悪影響を最小限に抑えるアプローチへの改善を促す。 上記の論文は、9つの地球システムにおける限界値(気候変動、海洋酸性化、オゾン層の破壊、窒素とリンの循環、グローバルな淡水利用、土地利用変化、生物多様性の損失、大気エアロゾルの負荷、化学物質による汚染)の評価が行われた。
受賞
2014年には米国ウッズホール研究センターのローレンス・ハンティントン環境賞を受賞
2015年には、持続可能性の研究、特にプラネタリー・バウンダリーという新しい概念における研究成果により2015年のコスモス国際賞を受賞
また同年、ドイツ環境賞をドイツ環境財団から受賞。
出演
『地球が壊れる前に』(原題:Before The Flood)気候変動をテーマにした2016年公開のドキュメンタリー映画
飛入り
いまは1月11日午前10時29分、今で成年の主張の最初の一人の女性「人の命を守りたい」を聞いてきたばかりです。 外は気温 0.1℃ ですからこの部屋へ来ています。
私の今出している課題が 「いのちって ナァ~ニ?」 です。 その問いに対する一つの端的な応えであり、生死という区別の生きていることを大事なこととした表現でした。自分だけではなく他の人も同列にとらえて考えることを大事にした表現でした。 ですから、立派な応えなのです。
以上終わり
1月9日の 2030 未来への分岐点(1)▽暴走する温暖化脱炭素への挑戦の放映を見た(オンデマンドでこれから見てもいい)限り、「いのちって ナァ~ニ?」そのままでは私たちみんなの生存が保障されないと思います。 ですから、第一に地球の温暖化を世界中が一つになって改善しなければならないのです。
グレタさん、ダボス会議で演説 「今すぐに行動を」をもう一度見て今は18歳になっているグレタさんの主張を世界中の人が再確認し、さらにEUが一つになって進めようとしている環境学者ヨハン・ロックストローム氏の考えを地球規模で理解し温暖化阻止に尽力しな向けばならないのです。
グレタさんも環境学者ヨハン・ロックストロームさんの主張を実感し紅蓮(グレン)の炎と化して世界にその警告を告げることになったに相違ありません。
地球の温暖化阻止 !! それがコロナとともに私たちに課せられている緊急課題なんです。
人間生存どころの話ではなく生物すべての生存にかかわっている緊急課題なんです。 この原因は人間という動物の絶えまなく続く欲望によって生まれてきたのです。 生きるとは何か、いのちとは何か、その生存自体の根底になっている生きていくことそのものが危機に瀕しているのです。
人の終局は、とどのつまりは、生まれて生きて死んでいくことと達観していたとしても、いのちの願い(即 、子どもを残すこと)それ自体が崩壊に向かっているのです。
生命 って ナァ~ニ?
再び問い直さなくてはならないのです。 昔ユネスコができ人殺しの戦争が終わりになるのかと思って喜んだのに、こんどは戦争という嫌な現実を抱えたままでコロナウイルスによる生存崩壊に向かっているのです。 初期のユネスコ事務総長のジュリアン・ハクスリー(Huxley)はこんな言い方もしたと若いころ聞いたことがある。
「恐竜はその体格が強大であったために世界を席巻しそのために滅びた。 さて、人類は優れた頭脳をもって世界を征服したと見えるがそのため滅びる危険性もある」と。
こういう内容だったが、もっと短いフレーズ(句)でした。 ハクスレイ(Huxley)と記憶していたがこう言ってもよかった。 新書版で「進化とはなにか―20億年の謎を探る」の日本語版がある。
ハックスレイの概要は<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC>を開くといろいろ出ています。 日本で翻訳している本も20冊余りもあって驚く。
その中には「マルサスの人口論」、この問題に触れた主張も述べられていた。
マルサスの人口論とはこの「マルサスの人口論」は若い時に未解決のままの課題で頭の隅にあったことでした。 この問題にも関連している問題として出ています。
まずマルサスは基本的な二個の自明である前提を置くことから始める。
第一に食糧(生活資源)が人類の生存に必要である。
第二に異性間の情欲は必ず存在する。
この二つの前提から導き出される考察として、マルサスは人口の増加が生活資源を生産する土地の能力よりも不等に大きいと主張し、人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しないので、生活資源は必ず不足する、という帰結を導く。
ハクスレイを検索した解説の中には、次のようなことも出ています。
優生思想と人種私はなぜこの優生思想と人種の項目を取りだしたのかといえば、マルサスの人口論もその一つだが実は資本主義の渦に巻き込まれて生活苦に追われ住むところも奪われて放浪の末、生きる場所としてヨーロッパへの難民として無法になだれ込んでいる現象は、世界全体が責任を背負うべきだと思うからです。
ハクスリーはイギリス優生学協会(英語版)の著名な会員であり、1937-44年に副会長、1959-62年に会長を務めた。彼は優生学が人の遺伝子プールから好ましくない変異を取り除くのに重要だと考えた。彼は少なくとも第二次世界大戦の間、人種は生物学的に意味のない概念で、人間へそれを適用することは非常に矛盾していると考えた。1920年代と30年代のもっとも極端なタイプの優生主義の率直な批判者だった。それでも彼は優生運動の重鎮であった。1936年と1962年の二回、ゴルトン記念講演を行った。著作の中で何度か次のフレーズを用いた:「農作物の生殖質の管理のための知恵を疑う人はいない。それならなぜ人に同じ概念を用いないのか?」。ハクスリーは当時、社会の最下層の人々が遺伝的に劣っていると考えていた知識人の一人だった。
「 最下層の人々はあまりに早く生殖しすぎる。したがって…自然選択の最後のチェックの除去によって子供があまりに簡単につくられたり生き残ったりしないように、彼らはあまりに簡単に福祉や病院での治療にアクセスすべきではない。長期の失業は不妊の基礎でなければならない 」ここでは一般の労働者階級ではなくて、「もっとも退廃したわずかな人々の仮想的除去」を指していた。この見解は当時は珍しくなく、ウィリアム・アーネスト・キャッスル (William Ernest Castle)、C.B.ダヴェンポート、H.J.マラーらにも共有されていた。公衆衛生と人種政策に関して次のように書いた。
「 [文明化された社会は]人の生殖の管理と人口のコントロールのために、少なくとも人種的な素質の悪化を防ぐために、十分な方策を発明して実施しない限り、人類は崩壊する運命にある… 」そして生物学的手法は社会政策を科学的なものにするための主要な道具でなければならないと述べた。Duvallの見解では「彼の意見はイギリスのリベラルな知的エリートの間で容認できる範囲内だった。彼はネイチャーと産児制限や「自発的な」不妊への熱意を共有していた」。中央集権的社会、経済計画への熱意と産業主義的な価値観への反対は二度の大戦の間の左翼主義的な思想家に共通していた。人生の終わり頃、ハクスリーはこの考えがどれほど嫌われているかを認識した。二巻組の自伝ではインデックスに優生学もゴルトンもない。そしてこのテーマは訃報と伝記からも省かれた。例外はイギリス優生学協会によって手配された会議の議事録である。
1930年代にヨーロッパでファシズムが高まったことで、民俗学者アルフレッド・ハッドン (en)、昆虫学者アレクサンダー・カール=サンダース (en)、科学史家チャールズ・シンガー (en) とともに『We Europeans』[注釈 1]を書くよう依頼された。ハクスリーは「人種」という単語が「民族集団」におきかえられるよう主張した。第二次大戦の後、人種問題に関するユネスコ宣言のために尽力した。
「 人種は、生物学的視点から、種ホモ・サピエンスを構成している人類集団の一つと定義できるかもしれない。…今、科学者は現在のところ認識されている人類のグループについて何を言うべきだろうか?人種は異なる人類学者によって異なる分類ができ、また分類されてきた。しかし現在、大部分の人類学者は現代人を主要な次のように分けることに同意する。モンゴロイド集団、ネグロイド集団、コーカソイド集団…カトリック、プロテスタント、ムスリム、ユダヤは人種ではない… 」戦争後の時代にあって、優生的な概念が大量殺人を引き起こしたという認識の後で、ハクスリー(1957)は人類が科学とテクノロジー、そしておそらく優生学も含めて、そしてまた重要なことに、社会環境の改善を通して自身を向上させなければならないという見解を表すために「トランスヒューマニズム」の用語を提案した。
命ってなぁ~に? 自分一人の命として考えるのではなく、生物の間違いない理解、実像の合理的理解という観点から私たちにとっての重大問題になっているのです。
ですから、静かな水面にこの問いを投げ込んだとすればその波紋は限りなく広がっていくのです。
ドル支配の崩壊が近いといわれています。 この金融システムを理想的なものに変えていくとすればどうしていくことが最適なのかという課題、これも波紋のエックス%を占める課題なのです。
資本主義の崩壊も近いと思います。この資本主義が生み出した数々の不平等は人々の顰蹙 を買う(良識に反する言動をして人から嫌われ、さげすまれる)ことになってきた。
この顰蹙の範囲には第一に金銭に対する執着に毒されるようになったこと、それは人間性を否定するような言動をはびこらせる結果になってきています。 政治関係にしても、職業選択にしても、物質生活にしても、更に損か得かという利己的な経済判断にしても、人々が喜ぶ方向ではないものが多くなっています。
タックスヘイブンなど金銭による権力、「死の商人」に象徴される戦争推進の歴史は文化が進んだとしても人としての品性は質的に崩落してきています。
経済研究の結果としてフランス人のトマ・ピケティ著「21世紀の資本」では資本と労働について300年に及ぶデータの分析によって今までの経済活動結果を統括しています。 それは所得格差は大きくなる一方だと結んでいます。
命ってなぁ~に? 問題は社会的な課題だけではなく、個人的な価値観にかかわっても課題としてとらえなければならないのです。 更に地球の温暖化を何とかしなければなりません。 ですから命とは何かと問われてみると、自分の生命だけの課題ではなく世界全体みんなで考えなければならない課題なのです。
一つの国の課題でだけではなく今の政治家の課題だけでもなく、年寄りにしても若い人にしても、責任をもって相談し連絡しあいながら、いのちの課題に応 えなければならないと私は思うのです。