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続折々の記 2021①
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 08 】03/24
自然のままに
民主主義と専制主義
バイデン初会見はおかしい
宿業期の教育は必至
行政組織へ組み込むこと
03 24 (水) 季節の断面 自然のままに
春の彼岸も過ぎ、朝6時というと西山の擂粉木山に陽がさし始め30分後旧飯田市の段丘にも陽があたります。 水仙は3~4日前に咲き始めたのに今を盛りと満開になりました。 日本列島の桜前線が地図上で紹介されていました。 産経新聞では次のように報じています。
季節外れの花見グレタ少女の爆弾発言で世界中が意識した、地球の温暖化、人間の手前勝手な利潤追求の文化であった結果をみんなが受けなければならなくなっています。 コロナウイルスの細菌発生も人間の手前勝手な農薬開発の結果を誰しも受けなければならないことになった。
ソメイヨシノやヤマザクラなど約240本が咲き誇る都内屈指の花見の名所、外濠公園(東京都)。例年なら4月のはずが、今年は3月下旬、花見客でにぎわっていた。会社員の男性(34)は「開花予想が早まっていたので、急いで友達と予定を合わせた。この時期に桜を拝めるとは得した気分」と笑顔を見せた。
この春は記録的な暖かさのせいで桜前線が急速に北上した。気象庁によると、3月の平均気温は東北、関東甲信、東海、近畿で過去最高を記録。4月も東日本(関東甲信、東海、北陸)と西日本(近畿、中国四国、九州)で気温が高く、千葉や水戸など関東甲信を中心に20地点で月平均気温の最高値を更新した。
その結果、高知で3月19日、国内観測史上最も早く満開となったほか、鳥取、島根、大阪でもその地点で過去最速の満開日を迎えた。前橋や銚子など関東でも最速満開日のタイ記録だった。
歴史の上では、まだ世界のだれでも影響にさらされている人間集団の殺戮、殺し合いを続けています。
心の平安を願って始めた宗教心の価値意識は、金銭欲望の波を食い止める方向手だてに向かっていないのです。 グレタさんの波が、大きいうねりとなるように、国の意識や肌の色や人種などという誰しもかかわる意識を卒業しなければなりません。 こうした課題意識が共有されおり大きな波になることを、私たちは求められているのです。
桜前線という変化にも「なんだもんで? …… 、どうしてそうなるの? …… 、Why? …… 」という基本的な課題対処の方法をたえず持っていなければならないのです。 これは幼児期独特の自分の世界を作り上げるために無意識的に備わっている発想なのです。 この自分を作り上げる能力は大人が理解できるよりはるかに容易く、しかも無限の分量であり、それで得るものは大脳記憶細胞の連携を容易く作り上げ、しかも見聞と体験したものすべて善悪なく忘れることがない記憶に残っていくのです。
この幼児期の環境次第によって大脳に刻印されていくことは、言語に絶すると思われるのです。 生き物すべてがそうした能力を備えて成長していることを考えると、程度の差はあるにしろ、驚くほかありません。 サケの生涯を見ても、コロナウイルスの発生を見ても、生物の環境適応能力には驚嘆のほかないのです。
若い時に、「人間は考える葦である」というパスカルの言葉を耳にしていました。 気にかかるので検索してみていると、あるある。 その一つに、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説では、次のように紹介されていました。
17世紀フランスの思想家パスカルのことば。彼は代表作『パンセ』の有名な断章の冒頭で、「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」と述べている。広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎないが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができる。ここに人間の尊厳があり、偉大さがあるという。このような偉大と悲惨、無限と無という相矛盾しあう二律背反のなかで、揺れ動く人間の存在を、パスカルは「考える葦」ということばで象徴させているのである。なお、この句は聖書の「傷ついた葦」(「イザヤ書」「マタイ伝福音(ふくいん)書」)に由来する。
そういえば、論語の冒頭の言葉である「まなんでときにこれをならう、またよろこばしからずや」これなどは、お弟子たちが孔子が一番大事にした考え方としてこの「学而第一」を取り上げていました。
そしてまた、ユネスコの中核になっている「知らないことと偏見(疑惑と不信)をなくすこと」が平和を築く根底だと言っています。
戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
自然の変化は人を癒しています。 「美しき天然」はそれを心の支えにもしているのです。 季節の断面はいろいろありますけれど、自然の時間の断面もまたいろいろあるのです。
03 27 (土) 民主主義と専制主義 バイデン初会見はおかしい
枠でくくる 2021年3月27日 5時00分 朝日新聞 米中、体制間争い鮮明に 「民主主義と専制主義の闘い」 バイデン氏、就任後初会見 バイデン米大統領は25日、米ホワイトハウスで就任後初めてとなる記者会見を開いた。バイデン氏は、中国国内の人権弾圧問題などを指摘したうえで、米中対立について「21世紀における民主主義国家と専制主義国家の有用性をめぐる闘い」と表現。バイデン氏は国家理念を旗印に、体制間による競争を鮮明にした。▼2面=国… 新聞1面トップ記事に出ていた。 昔は気にかけなかった民主主義という言葉、今は間違っていると考えています。 だから米中のいがみ合いは、基本的に間違った方向へ進むしかないと考えるのです。
何だもんでか?
行政機構で使われている民主主義という実態は正しいのか? 選挙区の人たちの考えの実際の内容が、政治上でも違って使われているから根底において間違っている。
「実証しなくてはならない。 一つの実証方法は、民主主義といいながらその結果では軍備の拡張であり軍備とは戦争を前提としたものだからである」
このことは間違っていると私は考えているからです。 どこでどうして間違いが生じたのか?
それは民主主義という言葉によって、まやかしが生じてくるからにほかなりません。
そのまやかしは、「死の商人」が指摘しているそのものに由来しておるとしか考えられないからです。 誰しもが無意識に持っている金銭への欲望は、どう考えたらいいのか?
個人の欲望が集団の動きに集約されるときに姿を変えてくるからと言わざるを得ないのです。
この課題は大きな課題にもかかわらず、今まで直接論議されてこなかった。 私はそう思います。
ユネスコ憲章の冒頭の名句、
That since wars begin in the minds of men, it is in the minds of men that the defences of peace must be construct;
That ignorance of each other’s ways and lives has been a common cause, throughout the history of mankind, of that suspicion and mistrust between the peoples of the world through which their differences have all too often bro;
戦争は男性の心の中で始まるので、平和の防衛を構築しなければならないのは男性の心の中にある。
お互いのやり方や生活に対する無知は、人類の歴史を通じて、彼らの違いがあまりにも頻繁に戦争に分かれている世界の人々の間のその疑いと不信感の共通の原因でした。
【下平注】訳語の無知というのは語弊を生じます。 ignoranceを調べてみると、「ignorance 無知,無学;知らないこと(《of 名》…を)」と出ています。 さらに
His failure resulted from his ignorance. 彼の失敗は無知のせいだ
Do you mean you were in complete ignorance of the fact?
あなたはその事実をまったく知らなかったというのですか (プロシード英和辞典)
ユネスコ憲章は第一次世界大戦後悲惨な戦争が二度とはじまらないように願って世界各国が批准したものです。 万全なものではなかったにせよ、初代の事務局長ジュリアン・ハックスレーは人間はその知能によって世界を征服したが、その知能によって人類が亡びる危険性があることに警鐘を鳴らしていました。
戦争拒否の願いは武器の近代化によって核爆発という取返しのつかないものを作りました。 政治家たちはそれが道義に反することを百も承知しながら、国民の安全と幸福のために責任をもって仕事をすると豪語しているのです。
民主主義という言葉の怪物は、そのことには少しも触れないではありませんか。
どこの国の普通の人たちは、戦争を嫌がっていますし、死ぬことに拒否感を持っているのです。 普通の国民が主人であるという民主の意味は全く通用していないではありませんか。
それなのに、世界の一流の大国と自任しているアメリカの大統領は、自分たちの都合を勝手に考えて民主国家だと言っているのです。 専制国家と相対的な違いはないのです。 手前勝手主義というほうが合理的ではないでしょうか。
自由と平等という言葉の持っている意味も考え直さなくてはならない始末なのです。 そうは思いませんか? 反論がある方は労働所得というものを自分勝手に理解し、自分の都合の良い考えを持っているのではないでしょうか。
このことは、世界の金融システムの在り方は平等の内容として完全同意しているのでしょうか。 金持ち同士で都合の良い解釈をしているとは思わないのですか。
今朝の新聞の課題ではないのですが、金融危機が迫っているといいます。 この金融システムについても世界全体で再考すべき課題だと私は思っています。 さらには、民主主義も、専制主義も、自由も、平等も、平和についても、地球温暖化の対処にしても、コロナウイルスなどの対処にしても、幼児期の宿業期間の教育にしても、土地所有配分にしても、私たちを取り巻く大事な課題だと思っているのです。
今日は以上で終わります。
03 28 (日) 宿業期の教育は必至 行政組織へ組み込むこと
この課題については、昨年から自分の取り組むべき課題として位置づけていました。 そう簡単には行政組織へ組み込むことはできそうもありません。
幼児期の教育について、基本的な取り組みの在り方を考えることから始めなければなりません。 聞いただけでこの課題に取り組もうとする人は少ないと思います。
幼児期の教育については、昔から実践してきているのです。 親になるということは、子孫を残すという生物本来の願いであり動物の世界ではそのために愛情が注がれる仕組みになっております。
現代の幼児教育については行政関係では何も規定されていません。 幼児期養育については個々の考えによって自由といえば自由に行なわれているのです。 幼児教育に関する本は本屋さんに行けば、いくらでも売られています。 小さい時から親によって一生懸命に心がけている人がある一方、ほとんどと言ってもいいほどそうしたことをしていない人もあるのです。 子供たちは大きくなって学校へ行きます。 この時すでに知的なことや情操面のこと運動にしても行儀作法にしても、すべてにわたっていろいろな違いを持っていることが担任教師には判るのです。 まだ子供たち自身はわかりません。 でも5~6年生ころから中学生になると、集団の中の自分を意識するようになる理です。 勉強ができるとか、運動ができるとか、それぞれの人がわかるのです。 情操面にしても交友関係の様子を見ていますと、自意識を持って行動する様子がわかります。 このことは、義務教育の教師はもちろん、大人になって指導的立場になってみるといろいろの違いが判りましょう。 この違いを、一般の人は個性の違いという言葉で片付けていると私は思うようになりました。 こうした一人一人の違いはあるにしても、生まれてから幼児期までの子供が体験する環境の違いを考えてみると、この時期の親子の在り方家族の在り方によって違いが出てくることは容易にわかりことです。 そうじゃありませんか? 雇用に考えたときここで課題にしたいのは、親の責務を知らずに子育てする人があるから 「より良い子育てはどうあったらいいのか」 をみんなで求めようということなのです。
子育ては、現状では個々の課題としていますからより良い対策をしている親があるし、反対に何の考えもなく育てている親もあるのです。 教師として親代わりの権利と責務を担当するからこそ、これは個々の育て方の改善を集団社会の一員としてこのままでいいとは思わないのです。
「素晴らしいなあ」と感心するする人を見ていると、これは私一人の感情的な反応ではなく集団の人それぞれが感心するのが実態なのです。 国際間の運動能力の協議や学力調査の結果は誰しも関心を寄せるものです。 けれどもそうでなく、いろいろの生活の中で秀でている人はいろいろあります。
こうした面で私が ハッ と気づいたのは、国際スキー競技において 2014年の「03 22 (土) 高梨沙羅が7連勝 今季18戦15勝」 という記事を見て「すごいなあ」と思ったことでした。 テレビでも放映されましたから知っている人もあるかと思います。 それは沙羅選手が生まれつき持っていた能力ではなく、それ以前にも放映されました学齢以前でしょうか小さな女の子が 「いきまぁ―す」 とかわいい声で叫びスキージャンプの練習をしている姿でした。 見ているとわずかな凹凸があって高さ30cm位はジャンプしたでしょうか。 うまくできないと、泣きながらでもやっていたと父親は言っていました。
それから、これより少し前の記事 2014年の「02 12 (水) 沙羅に続こうじゃないか」 を開いてみてほしい。
続く
04 01 (木) コロナウイルス第四波始まる 台湾を学ばなかった結果ではないのか
新聞記事の罹患者変化を見て驚くではないか。
そけは、棒グラフで示されたコロナウイルスの罹患者数の変化でした。 しつっこい細菌である。 前から触れてきたように、世界で起きている核爆発による恐怖も世界の国対立のの構図も金融の不安定も地球規模での温暖化も今度のウイルスの発生にしても、すべては人間がひきおこした結果であり、世界中の人たちを不安にさせています。
今こそ私たちは、それらの現象認識をはっきりとしなければなりません。
ウイルス細菌の発生は、単にそのことだけの対処にとどまるべき課題ではないのです。 日本の政界では、代議士の選挙が続きます。
私たちが選挙の際基本的に心に決めていなければならないことは、世界の安定による平和なのです。 平和と言っても、そのなかみを表す言葉はいろいろあります。
これも前から言ってきた言葉ですが、民主主義という言葉はいろいろの矛盾を含んでいますから使わず、もっと合理的な言葉でなくてはならないのです。
一人ひとりの心の願いをそのまま受け止めて、その願いを実現する発言や活動をしてもらわない限り代議士の意味はありません。 ですから世界の安定による平和を考えている候補者は誰なのか、を一人一人が責任をもって投票しなければならない。
大事な議決の場合に党議拘束をするような政党は時代に沿わない考えなのです。 私はそう考えています。
新聞一面のコロナウイルス罹患者数の棒グラフは、いろいろと考えさせてくれました。
パソコンがこわれてしまったので、この棒グラフを載せることができません。 メールが修復したら載せようと思っています。
時の断面
温暖化によって、桜の満開で花弁は風に誘われて散りはじめました。 一週間くらいは早まったと思います。 それに今年は31日と1日の空は、風越山は見えないほどの黄砂でこんなことは今までに経験したことはなかった現象でした。
黄砂とは別だが、坪庭の花桃は見事な紅色で咲きほこり、すぐ近くの雪柳これもまた咲きほこった。 庭先のライラックは芽吹いて葉ものびはじめた。
柿の芽はふくらみはじめた。 もう炬燵の用はなくなった。 まさに春は全力で新たな日をくり広げはじめているのです。
ナスを植える場所は畝たて機で掘り、今日はたい肥や肥料をやって下準備をするつもりでいる。 働いていると腰を曲げなければならない。 伸ばすと痛い。 しばらくすると真っ直ぐな姿勢でも痛みはなくなる。 おかしなものだ。 少し働いていると、長く働いたように感ずるし、お茶休みにすると腰に根がはえる。 これも年を取った現在の感想なのです。おかしなものです。
けれども、今年は筋肉を丈夫にすることが一つの目標でもあるので、できるだけ動くことにしたい。
時の断面は以上です。