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続折々の記 2021①
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 03 】01/13
           いのちの願いとは、鮭の生涯が教えてくれる
                    厳粛で壮絶ともいえる

 01 13 (水)  いのちの願いとは、鮭の生涯が教えてくれる
             厳粛で壮絶ともいえる

生命(いのちをわかりやすく説明するには、鮭の一生をよく知ればそれが一番象徴的だと思っていて調べていたら、それが見つかった。

それが次のURLでした。


風にふかれて
鮭の一生
     テーマ:感動・いのちの不思議
     2019年11月02日(土) 11時18分53秒
     https://ameblo.jp/kuu3777/entry-12541435884.html

ご存知の方もいらっしゃると思いますが鮭の一生をご存知ですか?

私の数少ない知識の中でではありますが自然の中や 生き物の生態にはとても 不思議で 神秘的なものがあります。

それらを知って感動することって とても 多いのです。

鮭も そのひとつです。

①「サケは、冬に川底の砂利の間で生まれます」
出典 検索で調べること

②「ふ化したばかりの赤ちゃんは卵黄という栄養がつまった部分をもち、しばらくエサを食べなくても生きていくことができます」
出典 下関市立しものせき水族館 「海響館」

いわばお母さんがくれたお弁当のようなものです。春には卵黄も吸収され、泳ぎ出した稚魚たちは一斉に川を下り海を目指します。大航海のはじまりです。

③「稚魚は2ヶ月で泳ぎだし、上流から流れてくる川の虫や木から落ちる虫を食べながら海に出て行く準備をします」
出典 農業研修/鮭の遡上と捕獲見学

④「広い海を大回遊しながらどんどん成長し、また生まれた川を目指し泳ぎ始めるのです」
出典 行田市/サケの遡上・採卵・放流事業

生まれ故郷への帰還 鮭の遡上

⑤「鮭の多くは秋ころ日本に帰ってきて、産卵・受精します」
出典 鮭の一生

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⑥「沿岸の河川と北上川にサケが産卵のために帰ってきます」
出典 サケの一生

これを「溯上」といいます

⑦「生まれた川に戻ったサケたちは、エサもとらずひたすら上流の産卵場を目指します」
出典 サケの一生

⑧「それまで群れをなして生活していたサケは、遡上を終えると雄と雌で1組のつがいを形成」
出典 サーモンミュージアム(鮭のバーチャル博物館)

川底の砂利に、産卵床と呼ばれる「愛の巣」を雌が作り始めます。

⑨「メスは尾びれで川底の砂利を掘って産卵床を作り、2,500~3,000個もの卵を産みます」
出典 サケのこと サケの一生 | 水資源機構 利根導水総合事業所

産卵を終えると...

⑩「川で卵を産み終えると、オスもメスもすべてのサケが力尽きて死んでしまいます」
出典 サケってどんな生き物? - ウヨロ川サケウォッチングガイド

産卵後、サケは1週間前後でその生涯を終えるそうです。

⑪「一生を終えた鮭は、水中プランクトンの栄養分となり、生まれてきた子供たちは、その水中プランクトンを食べて育つ」
出典 鮭の生命力:日本バリアフリー

⑫「死がいは、厳しい冬を過ごす野生動物たちが生き延びる貴重なえさになっている」
出典 サーモンミュージアム(鮭のバーチャル博物館)

カモメやカラス、キツネなどの貴重な食料となっています。

⑬「やがて川の豊かな栄養分になっていく」
出典 "ほっちゃれ"のサケを見に行ってきた ~札幌市内の琴似発寒川~ | 編集部ブログ | 札幌良い住宅.jp-札幌圏で住宅がほしい人のために北海道住宅新聞社が選ぶ

川で生まれ稚魚になったあと、アラスカ湾やベーリング海峡を目指して遠い遠い旅をし、約4年後、再び生まれた川に戻ってくる。

帰路の途中、トドやアザラシに襲われるなどの幾多の困難を乗り越え、生まれた川でつがいになったオスとメスは次世代を産む。

その後彼らは力尽きて一生を終える。

なんで 生まれた川がわかるのか?

“母川回帰の習性”といわれるものらしい。 完全には解明されていないらしいけど、自分が生まれた川の匂いを覚えているとか、太陽の位置を覚えて体内のコンパスを使って帰ってくるなど、諸説があるそう。

一旦遡上を始めると、鮭たちは餌も食べず、ひたすら川上の産卵場所を目指して泳ぎ続ける。 滝は飛び越え、浅瀬は腹を川底にこすりつけながら泳ぐため、体は次第にボロボロになっていく。

そしてついに産卵場所に辿り着くと、産卵行為を行い、間もなくその場所で一生を終える。 産卵場所には、死に絶えた雄雌の鮭の死骸が累々と重なるそうだ。

鮭が場所を移さず、産卵の場所で死ぬのには理由があり、死ぬと間もなく死体は腐敗する。 するとその一帯にバクテリアが増殖し、その結果、水の栄養価が高まる。 それが生まれてくる稚魚たちの成長を助け、他の魚たちに食べられずに生き残る確率が高まるというわけだそうだ。

海にいれば 川よりは安全だろうに。 川では クマにも食べられる、過酷で 壮絶な自然にも晒される。 例えば 太陽光もそのひとつだ。

体はボロボロ。

命がけの危険を冒してまで 川を遡上する鮭。 つがいになってからは産卵を終えると力尽きてみんな死んでしまう。

死んで 分解された栄養素を 子供たちに食べさせる。

なんという一生でしょうか…

川と海 両方を生きる不思議  命がけで 生まれ故郷に戻る不思議  そこで 新しい命を残し自分の体まで 子供たちに与える…

もう涙が出ます。

長くなりましたがお読み下さりありがとうございました。


なぜ鮭の一生の記事をさがしだしてここへ上げたのかというと、鮭の生涯についてはテレビで命の終末を何回か見ており壮烈な最期として感極まることだったからです。

ことに今年になってモーゼの十戒を出エジプト記まで読み、また分子生物学者の村上和雄が遺伝子の働きは人知の及ぶところでないことと感じて遺伝子の構造と原理を somethong great (偉大な何者か) と表現したことを知り、アッ と思ったからです。 「遺伝子のもつ機能とモーゼの言う神は同じことだ !! 」と考え、自分ではその後このことを確信するようになっていました。
モーゼが言う神さまが細胞がもつ機能であるとすれば、十戒の中核は父母を(うやまえということになる !!   父母といううち内実を言えば、いのちを産む母といってもいい、母を敬えということである。 それはそれで間違いはないと私は思う。

野上弥生子の「母こそは命の泉…」は小学唱歌でも歌われました。 シューベルトの子もり歌「ねむれねむれ 母の胸に…」も外国の、母を大事にした歌でした。 懐かしいのは何といってもあの「ねんねんころりよ…」の子守唄でした。 こころみに検索してみると地方ごとにありました。

前にも書いた一家の中で子供を産み育てる母のことを一家の大事な人として、日本ではよその家の母のことを丁寧な言葉として「かみさん」とか「おかみさん」と呼んでいました。 また大勢の人を使っていた旅館の一番偉い格として「女将」の文字を当てて「おかみ」と読み「おかみ」と言っています。

では父としての男性はどうなのかといえば、一家を守り衣食住の責任者としての活躍を担ってきていたといえます。 この役目は、蜜蜂の世界の雄の役目であるといえば、その通りだと考えられます。

生きとし生きるものすべて生物は子孫を残すことを願いとしています。 鮭のいのちの願いも命の伝承としての子供を残すことなのです。 それがいのちの終末でありテレビで見た通りなのです。 子供を残すことがどれほど厳しいことであり厳粛なものか、そしてまたそれとは逆にどれほど喜悦に満ちたものか、私たちを感動させそしてまた涙を誘う壮烈な死となっているのでしょうか。 それがいのちが生物に託している願いと考えるほかありません。

このことは今までも言い方は違っているけれど、大自然が細胞に生命をに託しているからと考えるほかはありません。 すべての生物といえば、この地球上に200万種以上と言われており一つの細胞からそれぞれの生物に進化してきていると考えるほかないというのです。

鮭の終末の歓喜の表情は、仏教では歓喜菩薩として大事にしております。 愛欲煩悩は間違えばとんでもないものと理解しなければなりません。 生涯の終末で生命の願いをかなえ死を迎える。 生命の満願成就の喜悦、それを鮭が象徴しているのです。 鮭は細胞の願いいのちの願いと言ってもいい、その願いを一度に叶えていると私は思っているのです。

いのちは、強く正しく朗らかに喜びを貫いてこそ、細胞の願い生命の願いに報いる道と心得ていいのです。

生きていると天上からの蜘蛛の糸をよじ登るように、北風が吹けば南に触れ、西風が吹けば東に触れ、これも運命化と諸行無常是生滅法苦楽を常とするのです。

それを通して、

  諸行無常  いろはにほへと ちりぬるを
  是生滅法  わかよたれそ   つねならむ
  生滅滅已  うゐのおくやま けふこえて
  寂滅為楽  あさきゆめみし ゑひもせす ん

(ん?) …… そうではないか、(ぅん)、そうです
がいきてくると思います。

戦後の民主主義の言葉や資本主義の経済の下に物質生活になじみ、だいじな frontier spirit (一緒になってより良い方向へ前進する精神)から遠のき、ギリシャのアテネ・ポリスやスパルタ・ポリスのような小さくともまとまって新しいものへ一緒に向かう気持ちがなくなってしまった。 戦後70年余の時間を過ぎて、私たちの年代がまとまっていた気質は変わり果ててしまった。

若者特有の日常立ち向かう次代への夢が、敗戦とともに失われ、民主でもない民主主義の言葉に右往左往しているうちにギリシャのポリスのような小さくともみんな一緒に明日への夢をもつことがなくなってしまっているのではないか。

私が小さいとき、今でいえば高校一年の5月~8月釧路の農家へ勤労奉仕に行くとき、十勝平野を過ぎぼつぼつ夕方の空になる汽車に乗って 「 花もつぼみの若桜 」を歌っていたのが鮮明に残っている。 若者の夢でもあった。 独りよがりの夢であり、親や兄弟の心配とか配慮など考えもせずひたすら自分中心で物事を考えていたと思います。

 1 花もつぼみの若桜 五尺の命ひっさげて 
   国の大事に殉ずるは 我等学徒の面目ぞ 
   ああ紅の血は燃ゆる

 2 後に続けと兄の声 今こそ筆をなげうちて 
   勝利揺るがぬ生産に 勇み立ちたるつわものぞ
   ああ紅の血は燃ゆる

 3 君は鍬とれ我は鎚 戦う道に二つなし
   国の使命をとぐるこそ 我等学徒の本分ぞ
   ああ紅の血は燃ゆる

英語は敵の言葉だからと言って下伊那農学校一学期で rainbow(=にじ) の単語までしか学ばなかった。 このことが後になって大変な苦労になることも知らずに青春を謳歌していました。 更に二年生最後の三月には茨城の土浦にある予科練へ進んでいったのです。

ですから、年齢でいえば17才4ヵ月で軍隊へとびこんだわけです。 その後の父親や母親の心配や悲しみなど、自分では何も気づかうことはなかったのです。
天上からの蜘蛛の糸につかまっていた犍陀多(かんだた(芥川龍之介の「蜘蛛の糸」につかまっている男)同様、青春時代は生涯のいのち姿は知ることができないのです。

逆に言えば、青春時代の進むべき方向は全方位180度角多岐にわたることを認識すべきなのです。  このことは親として、子供のすべての環境づくりで基本になる大事な心構えになるのです。

鮭の一生は、その生涯の典型的なものとして私には映るのです。 こう考えることは間違いでしょうか?
親は自分の子供の(よろこびを願うものなのです。 これは命の本来的な願いなのです。

恥ずかしいことですが、私自身ここまで生きてきての無知を恥じ、考え方を披露してみんなの役に立てばと思い書いてきているのです。                  合掌