10 27 (火) 鳩山由紀夫首相の初の所信表明演説 |
友愛と高揚感 国民に語りかけた52分間 首相所信表明 注目された鳩山由紀夫首相の初の所信表明演説は、歴代の自民党政権とは一線を画す内容だった。約52分間をかけた演説から、政権の今を読み解くと――。 万雷の拍手と野党席からのヤジに迎えられ、鳩山首相が演壇に立つ。首相の眼前に居並ぶ議員の3分の2近くが民主党所属だ。 「あの暑い夏の総選挙の日からすでに2カ月――」。首相は演説を総選挙の話題から始めた。そして、議場を埋める議員たちに呼びかける。 「全力を振り絞ってお互いに闘ったあの暑い夏の日々を思い出してください」 「国民の皆さまから直接聞いた声を思い出してください」 首相が「思い出して」と繰り返したのは、先の総選挙での圧勝だ。国民の支持こそが鳩山政権の生命線であることを、自覚しているのだろう。 歴代首相の首相就任後初の所信表明演説からは、その時々の政治状況が浮かび上がる。例えば2000年に入ってからの5人の首相の演説を振り返ると、自民党政権が次第に追いつめられていった歴史を映し出している。 小渕首相の急死を受けて首相の座に就いた森首相は、所信表明で「継承」を繰り返した。続く小泉首相は「聖域なき構造改革」を掲げて自民党立て直しに取り組む。 05年の郵政選挙大勝の余韻が残る中で就任した安倍首相は、「美しい国、日本」を看板にイデオロギー色の強い政権運営を進めたが、07年夏の参院選で敗北。「ねじれ国会」に直面した福田首相は、「野党の皆様と、誠意をもって話し合いながら」と民主党の協力を懇願したものの、徹底抗戦にあって辞任した。 麻生首相はインド洋での補給支援活動継続への賛否など5項目を民主党に「逆質問」し、攻撃に転じようとしたが、先の総選挙で大敗を喫し、ついに野党に転落した。 これらに対し、政権交代を果たした鳩山首相の所信表明演説は国民へ語りかけることに力点を置き、同じく世論の支持に基盤を置いた小泉首相の演説にも見られない柔らかなスタイルとなった。 「政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない」と「友愛政治」をうたいつつ、政権が取り組むことを「無血の平成維新」と位置づけるなど、政権交代の高揚感も漂う。 歴代首相と比べ特徴的なことは、鳩山首相の個人的な体験談が出てくることだ。ひとつは、遊説先の青森で会ったおばあさんの話。「息子さんが職に就けず、自らいのちを絶つしか道がなかった、その悲しみを、そのおばあさんは私に切々と訴えられたのです」。もうひとつ、従業員のうち7割が障害者というチョーク工場の話にも触れた。 そんな新しさの一方で、自身の政治資金問題については「国民の皆さまにご迷惑をおかけしたことを、誠に申し訳なく思っております」と国民への謝罪を盛り込まざるを得なかった。野党から飛んだ「説明しろっ」というヤジは、多数を占める民主党議員の拍手でかき消されたが、自民党がこの問題を今国会で厳しく追及してくることは必至だ。政権の船出に吹くのが順風ばかりではないことは、首相自身も自覚している。 慶応大学の渡辺靖教授(文化人類学)は今回の演説について、「遊説中のエピソードを紹介するやり方はとてもアメリカ的だ」と話す。「あの夏の総選挙の勝利者は国民一人ひとりです」「国民の皆さま、議員の皆さま、私たちの変革の挑戦にお力をお貸しください」など、過去のオバマ演説を想起させるフレーズも散見されたという。 ただ、渡辺氏は「鳩山首相の演説はまだ総花的で、官僚の作文から脱し切れていない」とも指摘した。(円満亮太) |
今日の誕生花と記念日 |
西暦 2009 年 10 月 27 日 (第4火曜日 旧暦 9月10日) 今日の誕生花 ★オリーブ ★ツリフネソウ(釣船草) ★ホソバヒャクニチソウ(細葉百日草) olive Zinia linearis 平和・安らぎ 安楽 友への思い 読書週間 1924年(大正13年)に図書館の利用PRを目的に始められた「図書館週間」を母体に1933年(昭和8年)には東京書籍商組合主催の「図書祭」に改称され、1947年(昭和22年)からは図書週間実行委員会の主催で「読書週間」と改称した。翌1948年(昭和23年)からは「文化の日」にまたがる2週間に期間が延長され、1959年(昭和34年)には読書推進運動協議会が主催団体となった。 文字・活字文化の日 2006年に制定された文字・活字文化振興法に盛り込まれた記念日で、読書週間初日の10月27日を「言語力」を育てるための日とされている。 テディベアズ・デー テディベアの名前の由来となったアメリカ26代大統領セオドア・ルーズベルトの誕生日。イギリスのテディベアコレクターの間で始められ、世界中で「心の支えを必要とする人たちにテディベアを贈る運動」が行われている。日本では日本テディベア協会が1997年から実施。1902(明治35)年の秋、ルーズベルト大統領は趣味である熊狩りに出掛けたが、獲物が得られなかった。そこでおつきの人が、同行していたハンターが追いつめ木につないだ熊へのとどめの一発を大統領に頼みましたが、「疲れ果て木につながれた熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」として大統領はこれを拒否した。このことが同行していた新聞記者によって記事とされこの模様を描いた挿絵と共に新聞に掲載されるとこれが評判となった。このエピソードに因んで翌年、ニューヨークのおもちゃメーカーが熊のぬいぐるみに、ルーズベルト大統領の愛称である「テディ」と名づけて発売した。その頃、ドイツのシュタイフ社の熊のぬいぐるみが大量にアメリカに輸入されたこともあって、熊のぬいぐるみのこの名前が広まった。 世界新記録の日 1931(昭和6)年、神宮競技場で行われた体育大会で、日本初の世界新記録(南部忠平の走り幅跳び7m98、織田幹雄の三段跳び15m58)が誕生した。 松陰忌 長州藩で松下村塾を開き藩士の子弟を教育した吉田松陰の1830〜1859(文政13〜安政 6)年の忌日。 安政の大獄で捕えられ、この日(10/27)に処刑された。 |
10 29 (木) 大事な人と人の関連 |
老生の心を揺さぶる歌 |
11 02 (月) 柳とカエル |
Q加賀の千代のことが知りたい 「とんぼつり 今日はどこまで 行ったやら」という句を作った加賀の千代に関する本はないでしょうか。もっと千代のことが知りたいのです。(大阪府、田中澄子48) A「とんぼつり」「あさがお」の加賀の千代ですね。 この江戸中期の女流俳人は私も大好きです。でも最近さっぱり彼女のことを書いた本を見ないので、戦後しばらく石川県小松市の図書館長をしたこともある工清定(たくみきよさだ)氏の書いた「加賀の千代」という短編を『自立』(赤木かん子編、ポプラ社、2002年刊)という本に入れました。 初めて都会の俳人たちの会に出席した千代が、色黒で不細工だったために居並ぶ男たちにバカにされたのを句一つでたしなめる胸のすく一編です。 加賀の千代に関しては出身地の同県白山市の松任図書館に訊(き)けばいろいろわかるでしょう。 赤木かん子(児童文学評論家) (2006年2月1日 読売新聞 |
千代女像加賀千代女(かが の ちよじょ、1703年(元禄16年) - 1775年10月2日(安永4年9月8日))は、俳人。号は草風、法名は素園。千代、千代尼などとも呼ばれる。 朝顔を多く歌っていることから、出身地の松任市(現白山市)では、市民への推奨花の一つに朝顔を選んでいる。 白山市中町の聖興寺に、遺品などを納めた遺芳館がある。 生涯 [編集] 加賀国松任(今の白山市)で、表具師福増屋六兵衛の娘として生まれた。幼い頃から一般の庶民にもかかわらず、この頃から俳諧をたしなんでいたという。 12歳の頃岸弥左衛門の弟子となる。17歳の頃、諸国行脚をしていた人に各務支考(かがみしこう)が諸国行脚してちょうどここに来ているというのを聞き、各務支考がいる宿で弟子にさせてくださいと頼むと、「さらば一句せよ」と、ホトトギスを題にした俳句を詠む様求められる。千代女は俳句を夜通し言い続け、「ほととぎす郭公(ほととぎす)とて明にけり」という句で遂に各務支考に才能を認められる。その事から名を一気に全国に広めることになった。 1720年(享保5年)18歳のとき、神奈川大衆免大組足軽福岡弥八に嫁ぐ。このとき、「しぶかろかしらねど柿の初ちぎり」という句を残す。20歳の時夫に死別し松任の実家に帰った。 30の時京都で中川乙由にあう。画を五十嵐浚明に学んだ。52歳には剃髪し、素園と号した。72歳の時蕪村の玉藻集の序文を書く。1775年(安永4年)73歳で没。辞世の句は、「月も見て我はこの世をかしく哉」。1,700余の句を残したといわれている。 誤説 [編集] 「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな」が千代女の句として広く流布しているが、実は千代女の作ではなく、彼女以前に元禄時代の浮橋という遊女が詠んだ句である。 句集 [編集] 「四季帖」 「千代尼句集」 「松の声」 代表的な句 [編集] 朝顔に つるべ取られて もらい水(35歳の時に、朝顔や〜 と詠み直される) 月も見て 我はこの世を かしく哉 蜻蛉釣り 今日は何処まで 行ったやら 参考文献 [編集] 近世畸人伝 外部リンク [編集] ウィキクォートに加賀千代女に関する引用句集があります。白山市 千代女の里俳句館(石川県白山市) |
加賀の千代は古典落語の演目の一つ。 あらすじ [編集] 現代は日用品を購入しようと思えばほとんどが現金商いとなっているが、昔は近所で買い物をする限りでは掛売り、掛買いが通り相場だった。 そんな時代、大晦日といえば一年間の売掛け、買掛けを清算しようというので皆が殺気立っている日であったが、そんな物どこ吹く風、明日は元日だから凧揚げに行くなどと暢気な事ばかり言っているのがこの話の主人公甚兵衛。 話を聞いている女房は呆れ顔。実は買い掛けがまだ残っているのだ。 「じゃあ死んだふりするか」という甚兵衛に、 去年の大晦日甚兵衛が表へ出て行ったのでてっきり金の算段しに行くのかと思ってみれば早桶担いできて、『俺がこの中に入って死んだふりするからお前泣いてろ』って言ったのだが、甚兵衛は早桶の中でくしゃみしたりおならしたりするものだから泣けるわけがない。 やむなく茶碗に茶を入れて目の縁を濡らしていたのだが、うっかりして茶殻をつけてしまい、魚屋に『あんまり泣かないほうがいいよ。目から茶殻が出てきた』と言われて気恥ずかしい思いをしたし、大家が来たときは香典を出すと言うので受け取れないと押し問答していたら甚兵衛が早桶から手を出して『受け取っとけ』って言ったものだから大家が腰を抜かしてしばらく具合が悪くなってしまったりと大騒ぎだった。 と女房。 そう言っていても埒が明く訳でなし、そこで女房、近所に住んでいる知り合いの隠居に借財を申し出てくれと切り出す。 たびたび借財していてちっとも返していないから言いにくいという甚兵衛に、あの隠居さんはお前さんを可愛がってくれているんだから貸してくれるよ、と女房。 「子でもねえ、孫でもねえものが可愛い訳ねえだろ」 「そんなことないよ。犬や猫を御覧な、好きな人は膝へ抱いたり懐へ入れたり。植木だって好きな人は毎日世話をするし、朝顔だって可愛がる人がいるんだよ」 「朝顔を? 膝へ抱いたり懐に入れたり?」 「違うよ。昔加賀の国に千代と言う人がいてね[1]、その人があるとき井戸へ水汲みに行ったら朝顔の蔓が釣瓶に捲きついてきれいな花を咲かせてた。水を汲むには朝顔の蔓を切らなくちゃいけないけど、それはかわいそうだというのでわざわざ近所の家に行って貰い水をした。のちにそれを『朝顔に 釣瓶取られて 貰い水』と句にしたためた。ね、朝顔だって可愛がる人がいるだろ?」 感心する甚兵衛。 女房は甚兵衛に手土産として饅頭を持たせる。 「こんな安い饅頭は隠居さん食べないよ」 「いいんだよ。義理を掛けに行くんだから」 さて、肝心の借財の額だが女房は20円借りて来いという。 「普段1円か2円しか借りてないのに20円なんていったら隠居さんびっくりする」 「8円5〜60銭あれば間に合うんだけど」 「だったら10円でいいじゃねえか」 「それがそうじゃないんだよ。10円って言って、もしたびたびだから半分の5円持って行けと言われたら帯に短し襷に長し。20円なら半分でも10円になる。それが掛け値。よく覚えておきなさい」 女房に尻をたたかれて甚兵衛は隠居の家にやってくる。 饅頭を差し出した甚兵衛にこんな気を使わなくていいんだと隠居。 そこで甚兵衛、「義理掛けに来ただけ」と楽屋裏を喋ってしまう。 隠居は甚兵衛の開けっぴろげな所が好きなのだ。ついでに借財に来たらしいことも先回りして言ってしまい、 「また当たった」 「当て物してるんじゃないよ」 苦笑しながらも隠居は融資を承諾する。 20円借りに来たと言う甚兵衛だが隠居はちっとも驚かない。 「おかしいな。驚くはずなんだけど……」 「何だい。驚かなきゃいけないのかい。じゃあもういっぺん言ってごらん」 「驚くな、20円だぞ」 「ああ、驚いた(棒読み)」 「ほら驚いた」 「お前さんが驚けって言ったんじゃないか」 女房の筋書き通り半分しか出さないのかと思いきや、隠居はすんなり20円を出したものだから甚兵衛戸惑って 「そうじゃないよ、隠居さん」 てっきり額が少ないんだと思い、120円、さらに220円にする隠居。 「終いには怒りますよ」 「いいんだよ。いくらでも貸してあげるんだから。(下働きの者に)すまないけどね、すぐに本家へ行って『御隠居様急にお金の必要なことができましたから御融通願います』と言ってきておくれ」 たまらず甚兵衛本当のところを喋ってしまう。 「何でそう言わないんだ」 「隠居さん、そこが素人なんだ。8円5〜60銭必要なところで『10円貸してくれ』って言って、『たびたびだから半分の5円持って行け』って言われたら帯に長し襷に長し」 「それを言うなら『帯に短し襷に長し』だろ」 「ああ、そうです。……聞いてました?」 「そんな訳ないだろ」 「20円って言えば半分の10円でちょうど良くなる。これが掛け値。よく覚えておきなさい」 甚兵衛、女房の受け売りどおりに喋ってしまう。 「それじゃ10円でいいんだね。じゃ、10円出すから持ってお行き」 「ああ、ありがとう。やっぱり朝顔だ」 「何だい? 朝顔って?」 「いやね、『朝顔に 釣瓶取られて 貰い水』だって、それじゃ、さようなら」 「現金な奴だな。金受け取った途端にさようならって……。 今妙なこと言ったね、『朝顔に 釣瓶取られて 貰い水』 ……はて、どこかで聞いたような。 『朝顔に 釣瓶取られて 貰い水』 ……ああ、加賀の千代か」 「ううん、かか(=女房)の知恵」 |