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折々の記 2009 F

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】教育問題のまとめ【その六】        【 02 】教育問題のまとめ【その七】
【 03 】教育問題のまとめ【その八】        【 04 】教育問題のまとめ【その九】
【 05 】教育問題のまとめ【その十○】        【 06 】教育問題のまとめ【その十一】
【 07 】教育問題のまとめ【その十二】        【 08 】教育問題のまとめ【その十三】
【 09 】教育問題のまとめ【その十四】        【 10 】教育問題のまとめ【その十五】
【 11 】教育問題のまとめ【その十六】        【 12 】教育問題のまとめ【その十七】
【 13 】教育問題のまとめ【その十八】        【 14 】教育問題のまとめ【その十九】
【 15 】教育問題のまとめ【その二十】

以上で「教育問題のまとめ」終わり



【 04 】07/28

07 28(火) 今までの教育問題のまとめ【その九】

   2007 09 29(土) もてなしの心
   2007 10 15(月) 絆 と ふるさと

09 29(土) もてなしの心(=hospitality)

テレビの朝ドラ「どんど晴れ」は今日が最終回でした。

このテレビの「どんど晴れ」の主題は‘おもてなし’である。 「もてなしの心」というのは何なのか、調べてみた。 

  もてなし(=hospitality)  出てきた!  出てきた!
    ↑クリックして見て
「もてなし」の趣旨をチェックしてみると、およそ次のようになる。

@ 相手の立場に立って心温まる応対をするのが、「もてなしの心」の原点です。
  【奈良・もてなしの心推進県民会議】

A 友人を自宅に招いてもてなす時の、部屋を掃除したり、和菓子ではなくケーキを買っ
  ておいたり、コーヒーではなく紅茶を用意したり、お皿やカップを選んだり。そうい
  った気配りがウェブサイトでももっと大事にされるべきです。
  【ミツエーメディアクリエイティブ 取締役 橋本 敬】

B 暖かくもてなす心、歓待の精神。hospital(病院、慈善施設)からの派生語であるが、
  源流は後期ラテン語「hospitalia(主人が客を接待する場所=来客用の大きな家)」
  に由来する。
  【現代用語の基礎知識】

C 温かく親切にもてなす心,歓待の精神
  【ランダムハウス英和大辞典】

朝ドラ「どんど晴れ」の主人公‘なつみ’が持っている「もてなしの心」のバックボーンは次のものでした。

   えがお  笑顔
   えがお  笑顔
   えがお  笑顔
   えがお  笑顔
   えがお  笑顔
   えがお  笑顔
   えがお  笑顔

「来者如帰」の扁額

@ 京都市のほぼ中心、車の往来の激しい御池通から麩家町通をほんの少し南に下ると、純日本建築の旅館「柊家(ひいらぎや)」の静かな佇まいがある。ここは創業が江戸時代末の文久元年(1861)と言い、京の一流旅館の中でも屈指の老舗。

 京の老舗旅館となるとどうも気楽にくつろげないような気がする。だが柊家は違う。打ち水がされた石畳の玄関を入ると「来者如帰(らいしゃにょき)」の額の文字が目に飛び込んでくる。この四文字が柊家の接客の基本精神で「自分の家に帰ってきたようにおくつろぎください」との気持ちで客をもてなす。柊家を定宿としていた川端康成は、部屋係の女性の気遣い、室内の雰囲気や調度品、清潔な槙(まき)のゆぶねなどすべてが気に入っていたようで、この旅館に入ると「ホッ」として落ち着くと書き残してる。

玄関から上がり座敷に向うと「来者如帰」と書かれた大きな額がある。これは柊家の180年余に及ぶ、伝統的精神で「温かなもてなしと優しさでお客様をお迎えする」という心です。数寄屋造和室21室。(改装工事の為、現在21室。平成17年10月に完成予定。)どの部屋からも庭が眺められ、四季折々を盛り込んだ京懐石料理の味覚や移ろいを、京の旅情とともにお楽しみ下さい。
<http://www.nta.co.jp/yadonavi/yado/yado_detail.do?sic=110&tc=6205>

A NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」は民話の故郷である岩手県を舞台に老舗旅館でヒロインが伝統と格式の狭間の中で孤軍奮闘しつつ成長していく様が描かれています。

 老舗旅館「加賀美屋」の玄関に入って真っ先に目に入る書があるのをご存じでしょうか?

 「どんど晴れ」ファンだったらご存じの「来者如帰(来るもの帰るが如し)」と行書で書かれています。


 この言葉は、「加賀美屋」が180年という歴史の中で守り続けてきた心をあらわしていて、お客様が自分の家に帰ってこられたようにくつろいでいただくという意味だそうです。

作者の言葉   脚本家 小松江里子

日本の古き良きものの一つに、相手を敬い、思いやりを持ち、笑顔で迎え入れる、そんな『もてなしの心』があります。

この物語りは、そのおもてなしの心を代々受け継いだ、伝統と格式をもつ、盛岡の老舗旅館、加賀美屋を舞台に、横浜育ちの主人公の夏美が、いかに若女将として成長していくのかを描いています。

どんな困難な時でも、明るい笑顔で前向きに立ち向かう夏美。その笑顔は、岩手の遠野に古くから伝わる、幸せを呼ぶ『座敷童(ざしきわらし)』を、夏美の回りにいる人たちに、思い起こさせもします。

そして、世代も価値観も違う、大女将、女将、若女将という、三代の女たちが、それぞれの立場から、時には牽制しあい、時には相手に辛い決断を下しながらも、いつしか女将として、女として分かり合っていく。その筋を通した、潔い、凜とした生き方もまた、楽しんで観ていただければ嬉しい限りです。

10 15(月) 絆 と ふるさと

きずな 【絆】

辞書的解釈

@語源由来辞典 > き > 絆(きずな)

 絆とは、絶つことのできない人と人との結びつき。

  は犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱のことをいい、平安中期の辞書『和名抄』にもその意味で
  使用例が見られる。
  は離れないよう繋ぎとめる綱の意味から、家族や友人など人と人を離れがたくしている結びつきを
  いうようになった。
  の語源は諸説あり、「頸綱(くびつな)」「騎綱(きづな)」「繋綱(つなぎつな)」の意味、「引綱
  (ひきつな)」の上略など、いずれも動物を繋ぎとめる綱という点で共通している。

Aデジタル大辞泉  きずな【×絆/×紲】

 1 人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。「夫婦の―」
 2 馬などの動物をつないでおく綱。

B字通  絆 字音(ハン・バン) 字訓(きずな ・つなぐ) 

  声符は半(はん)。〔説文〕十三上に「馬の(きずな)なり」とする。
   すべて紐(ひも)状のもので束縛することを羈絆(きはん)という。
  ・きずな、ほだし、馬の足をつなぐひも。
  ・つなぐ、つなぎとめる。
  古訓 〔和名抄〕絆 保太之(ほだし) 
     〔名義抄〕絆 ホダシ・ホダス・マダラカナリ
  熟語 【絆驥】 はんき 駿馬の脚(あし)を縛る。
     【絆羈】 はんき 羈絆。
     【絆拘】 はんこう 拘束する。
     【絆縄】 はんじよう ほだし。
     【絆縛】 はんばく しばる。
     【絆翻】 はんぽん ひき倒す。

  下接語 ・羈絆 ・脚絆(脛巾)・圉絆 ・系絆 ・拘絆 ・絶絆 ・馬絆 ・羅絆 ・連絆

Cgoo辞書

 きずな きづな 0 【▼絆/▼紲】
   (1)家族・友人などの結びつきを、離れがたくつなぎとめているもの。ほだし。
   「―を断ち切る」
   (2)動物などをつなぎとめておく綱。[和名抄]
  ほだ・す 【▼絆す】  (動サ四)
   (1)綱でつなぎとめる。縛る。[新撰字鏡]
   (2)人の自由を束縛する。
   →ほだされる
  ほだし 0 3 【▼絆し】  〔動詞「ほだす」の連用形から〕
   (1)刑具として用いる手かせや足かせ。[名義抄]
   (2)人情にひかされて物事を行う妨げとなるもの。自由を束縛するもの。きずな。
  ほださ・れる 4 0 【▼絆される】  (動ラ下一)[文]ラ下二 ほださ・る
   〔動詞「ほだす」に受け身の助動詞「れる」の付いたものから〕
      情にひかされて自分の考えにない行動をとる。
      人情にからまれる。「情(じよう)に―・れて金を貸してやった」

絆という言葉の意味の深さ

漢字では【絆】と書くが、もともと‘き’と‘つな’が合わさってできた言葉ではないかと思います。 ‘き’というのは【生】と言う漢字に当てはまりそうです。 広辞苑で調べてみると、次のようなのが出てきます。

  【生】      まじりけのないこと。人工を加えていないこと。純粋なこと。
  【生地】    手を加えていないもとのままの性質。生まれつきの性質。「―が出る」
  【生娘】    まだ男を知らない娘。うぶな娘。
  【生息子】   まだ女を知らない若い男。うぶな男。
  【生漆】    採取したままで精製していない漆。
  【生薬】    薬草のまだ刻まず、調剤してない漢方薬。しょうやく。
  【生醤油】   他の調味料などをまぜない醤油。醤油を水で割らずに使うこと。
  【生粋】    まじりけが全くないこと。純粋。「―の江戸っ子」
  【生真面目】 非常にまじめなこと。「―な男」

なぜ、こんなにこだわって調べるかと言えば、私は‘絆’というのを‘へそのを’臍帯をイメージしているからです。 「生の綱」→「生きている綱」それは将に「へそのを」であり「きづな」であり「きずな=絆」となっていると思います。

しかも絆という字が振るっている。 糸を半分ずつしっかり握っている、臍のをという紐を親と子がしっかり握っていると理解できますね。

「生きていて混じりけのない紐」それは「へそのを」しかありません。

母と子はこの「へそのを(お=緒)」で命の根源から繋がっていたのです。 それがなければ生きてはいなかったのです。

「へそのを」は、何よりも大切な「きずな」でありました。

私はたとえ目には見えなくとも、そして今はもう無いにしても、「きずな」はずぅ〜〜っと親子には繋がっていると思います。 きずなの原点は親子にあるのだと言えましょう。

きずなは愛によって結ばれています。 愛とはオムツを換えてあげること(2006/10/01)>なんです。 親のオムツを換えられるようになって初めて親に絆の恩返しができるようになります。 

無償の愛と言う言葉があります。 絆の愛は、まじりけのない、人工を加えていない、純粋な愛なんですね。 オムツを取り替えることは絆の愛に発しています。

そうしてみますと、女性はやっぱり天照大神さまですね。 男性でも天照大神になった人もいます。 頭が下がります。

儒教でいう恕もキリストでいう愛も、絆がその根幹になっています。 日常の礼儀作法も絆が根幹になっていることを知らなくてはならないのです。

それでは、次に絆と関わりの深い「ふるさと」という‘言葉への郷愁’を見てみましょう。

…………………………………………………………………………………………………………

ふるさと 【古里/故里/故郷】

まず<ttp://homepage3.nifty.com/TAD/music/music_17.htm>をクリックして次の歌を聴きましょう。



    故 郷(ふるさと)---文部省唱歌       
                    作詞:高野辰之  作曲:岡野貞一
                         (大正3年6月)

  昨年11月、私は久しぶりに岐阜を訪れた。小学校の後半から中学時代にかけて住み育った
 岐阜は、そしてそこで両親が生まれ没した岐阜は、私にとって大事な故郷である。

  かつて私が住んでいた家の跡を訪ねたが、すでに住む人もなく、廃屋が残っているだけであっ
 た。小学校へ脚を伸ばした。元気な小学生の歓声が聞こえたが、木造の校舎は鉄筋校舎に替
 わっていた。さらに脚を伸ばして、戦争ごっこで駆けまわった加納城跡を訪ねたが、頭を覆うば
 かりに繁っていた笹藪はなく、こぢんまりとした運動公園に変わっていた。

           兎追いしかの山、
           小鮒釣りしかの川、
           夢は今もめぐりて、
           忘れがたき故郷(ふるさと)。

  小学校時代に仲のよかった友達を訪ねたが、半年前に亡くなったとのこと。思わず声を失った。
 ただ、その後に開催された中学の同窓会に出席して、五十年ぶりに二十数人の同級生に会え
 た。かつての紅顔の美少年はすでに白髪の老人であり、顔を見定めるのに時間がかかった。

           いかにいます父母、
           恙(つつが)なきや友がき、
           雨に風につけても、
           思いいづる故郷。

  訪ねる故郷のある人、訪ねる父母や友人のある人、是非故郷に帰ろう。歳月は人を待たない。
 両親を失い、昔を語るべき友が一人・二人と減った今、私はなぜもっとしばしば故郷に帰らなかっ
 たかと、悔やまれてならない。

           こころざしをはたして、
           いつの日にか帰らん、
           山は青き故郷。
           水は清き故郷。

  日常の仕事に追われ、志を果たしたとの満足感もなく、時はむなしく流れる。
 しかし、青い山、清い川を故郷に持つ人は故郷に帰ろう。故郷は君を待っている。

        早く帰らないと故郷は君を待ってくれないかもしれない。

このページを作った方は岐阜の人ですね。 心地よい音楽によって心情が癒されるのはもちろんですが、解説は読まずに自分の越し方をあれこれと思い浮かべながら「ふるさと」を偲ぶことがいいのですね。

古い里、それは古い山あいでもおなじです。 絆にならってまず辞書で調べました。

デジタル大辞泉 ふるさと 【古里/▽故里/▽故▽郷】

1 自分の生まれ育った土地。故郷。郷里。
 「―に帰る」「―の山川」「第二の―」

2 荒れ果てた古い土地。特に、都などがあったが今は衰えている土地。
 「ふるさととなりにし奈良の都にも 色はかはらず花は咲きけり (古今 平城天皇)」

3 以前住んでいた、また、前に行ったことのある土地。
 「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける   (古今 紀貫之)」

4 宮仕え先や旅先に対して、自分の家。自宅。
 「見どころもなきふるさとの木立を見るにも」〈紫式部日記〉
 「おのおのふるさとに心細げなる言伝てすべかめり」〈源氏-明石-〉

 【慣用句・ことわざ】

   故郷(ふるさと)は遠きにありて思うもの

    室生犀星が詩「小景異情」で故郷をうたった部分の冒頭1行。

私の好きなのは、啄木の歌です。 北上川左岸の渋民村から望む岩手山は、啄木の生活には心の支えになった自然であったのでしょう。 岩手山によって慰められたり、あの雄姿を仰いで自らの励ましにもしていたのでしょう。 日本では有難いことに多くの土地に、独自の故郷の山があるのです。

故郷の山が心の支えになり励ましになり、自分の中できずなのような有難いものになっていたのでしょう。 わたしにはそう思えるのです。


 ふるさとの山に向ひて                      石川啄木
 言ふことなし
 ふるさとの山はありがたきかな



  「杜と水の都」盛岡の駅前広場に建つこの歌は、東京朝日新聞に勤めていた時代に詠んだもので、
  その郷愁を誘う詩は、多くの人に親しまれています。啄木の歌風は、近代短歌史上に多大な影響
  を与えたとされている。

「ふるさと」といえば、山ばかりではありません。 山川草木をはじめすべての動物、そして幼き頃の親、兄弟、遊び仲間など、何の意味も無いような人のしぐさや風物の有様など、それらすべて脳裏にその断片が浮いては消え浮いては消え、私たちを癒し励ましてくれるのです。

ことに年をとってくると「ふるさと」という言葉が懐かしい思い出をたくさん運んできて、人は慰められ、癒されるのです。

       春 望   杜 甫

  国破山河在  国破れて山河在あり
  城春草木深  城春しろはるにして草木深そうもくふかし
  感時花濺涙  時に感じては花にも涙を濺そそぎ
  恨別鳥驚心  別れを恨うらんでは鳥にも心を驚おどろかす
  烽火連三月  烽火三月ほうかさんげつに連なり
  家書抵万金  家書万金かしょばんきんに抵あたる
  白頭掻更短  白頭掻はくとうかけば更に短かく
  渾欲不勝簪  渾すべて簪しんに勝たえざらんと欲ほっす

世情の変態雲の如し、という。 80年も過ぎてくると、ふるさとの友達も変わり、橋や畑も変わり、家も住む人も変わり、「春望」ばかりではない。、

       故郷の廃家  中等科教育唱歌集 作詞 犬童球渓  作曲 ヘイス 明治40年
        (上の開いたページをクリックすれば音曲がはじまります)
        (別のページの故郷の廃家) <http://homepage3.nifty.com/TAD/music/music_26.htm>
        (別のページの故郷の廃家) <http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html>

  幾年ふるさと きてみれば
  咲く花鳴く鳥 そよぐ風
  門辺の小川の ささやきも
  なれにし昔に 変わらねど
  あれたる我が家に
  住む人絶えてなく

  昔を語るか そよぐ風
  昔をうつすか 澄める水
  朝夕かたみに 手をとりて
  遊びし友人 いまいずこ
  さびしき故郷や
  さびしき我が家や

この歌など、気楽にとなえていた「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」という中世の無常観とともに、じわじわと心の奥まで沁みこんできます。

 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける    紀貫之

紀貫之の歌と同じように、人はどんどん変わっていってしまうのに、自然の輪廻はあまり変わることも無く私たちの心を穏やかにしてくれるのです。

誰しも心の奥深く残っている故郷の想い出は、良いにしろ悪いにしろ自分を養ってきてくれたものであり、時に慰めとなり時に励ましになってくれます。