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折々の記 2009 F

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】教育問題のまとめ【その六】        【 02 】教育問題のまとめ【その七】
【 03 】教育問題のまとめ【その八】        【 04 】教育問題のまとめ【その九】
【 05 】教育問題のまとめ【その十○】        【 06 】教育問題のまとめ【その十一】
【 07 】教育問題のまとめ【その十二】        【 08 】教育問題のまとめ【その十三】
【 09 】教育問題のまとめ【その十四】        【 10 】教育問題のまとめ【その十五】
【 11 】教育問題のまとめ【その十六】        【 12 】教育問題のまとめ【その十七】
【 13 】教育問題のまとめ【その十八】        【 14 】教育問題のまとめ【その十九】
【 15 】教育問題のまとめ【その二十】

以上で「教育問題のまとめ」終わり



【 14 】2010/08/19

08 19 今までの教育問題のまとめ【その十九】

  1009 09 01 学力を身につける=現状認識と教育と方法
  1009 09 03 学力を身につける=現状認識と教育と方法(続)
  1009 10 07 PISAの調査とフィンランドの教育 ●台風18号
  1010 01 01  即身仏

 09 01 (火) 学力を身につける=現状認識と教育と方法

●現状認識  まず行政の姿勢は次のようになります。


  http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/index.html
   民主党政策集INDEX2009   ↓
  http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/index.html#11
   文部科学   ↓
  http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/11.html#
   教育の責任の明確化

  ここには次のように約束しています。

   国の責任と市町村の役割を明確にした教育制度を構築します。

   (1) 国は、義務教育における財政責任を負うとともに、「学ぶ権利」の保障について最終責任を負います。
   (2) 現行の教育委員会制度は抜本的に見直し、自治体の長が責任をもって教育行政を行います
   (3) 学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する学校理事会制度により、
      主体的・自律的な運営を行います。



新政権は上のように約束しています。 教育の問題を世界的視野において考える必要があるのです。

●現状認識  日本の現状と課題を掴んでいること。

<折々の記 2009E 07 28(火) 今までの教育問題のまとめ【その一】> 以下‘<【 12 】教育問題のまとめ【その十七】>’にわたって、思いつくままの所感をまとめました。

ことにマハティールさんの忠告が脳裏に深くのこっています。 またOECDの学力検査の経過を見て、日本の惨状が胸を痛めています。

今回の選挙結果によって、0歳教育を村に広める絶好のチャンスが、いまやってきています。

人に頼らず自分たちの相談によって村で「学力を高めること」を実現するのです。 

今日調べていて殊に参考になるサイトがありましたから、ここに引用します。


   http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2005/00003/mokuji.htm
    日本財団図書館(電子図書館) 脳科学を教育に活かす!「現場からの教育改革」-「ゲーム脳への対応」

ゲーム脳への対応
講師 日本大学 森 昭雄 (もり・あきお)教授

 ……前略……

 脳の発達というものを見てみますと、ここに示していますように横軸は0歳から20歳まで取ってありますけれども、縦軸の100がちょうど20歳の所を示してあります(図2)。ここに4つのコラムがありまして、これは脳神経細胞を染めた物です。これは生まれてすぐの赤ちゃんの脳を染めたものですけれども、これを見てお分かりのように、これがI層の神経細胞、これがII層で、これがIII層です。これがIV層で、顆粒状になっています。この木の根っこみたいな形をしている。これがV層の神経細胞です。これがVI層です。わずか2.5から3ミリくらいしかないんですけれども、このように6層構造を成して、そしてV層の神経細胞は神経線維を送っています。そして手足を動かすというようなことをやっているわけです。ですから、赤ちゃんというのはおなかの中にいても、生まれても手足は動くのは、そういう意味でV層の神経細胞がよく発達しているのです。

図2 脳の発達の状態


 しかしII層、III層の神経細胞はほとんど枝が出ていない。これは脳の中でほかの神経細胞と情報をやり取りするための神経細胞です。ですからこれは電気の配線で言うと、まだ配線ができあがっていない状態を意味しているのです。そしてこれが2歳くらいになりますと、枝があちこちに伸びて、脳の中で情報をやり取りしていきます。脳の神経細胞を染めてみますと、このように樹状突起という枝が染まります。  そしてこの発達曲線を見てみますと、大体3歳で70パーセントくらい発達するといわれています。ですから「三つ子の魂百まで」という格言がありますように、3歳までの育児というのが非常に大切な時期であります。

 例えば実際あった話ですけれども、ある生放送のテレビ番組で2年半くらい前ですか、地方でゲーム脳をテーマにした番組に出た時に電話相談がありまして、「1歳半からゲームをやっています。現在8歳です。ゲームをやるたびに口から泡を吹いて、手足が痙攣してひっくり返ってしまいます。どうしたらいいでしょう。病院で脳の検査を6回やりました。すべて正常です。全く異常ありません」しかし、ゲームをやるとひっくり返る。これは子守り代わりにずっとゲームをやらせていた。それが子どもにそのまま影響が出てしまったのだと思います。その後どうしているか分かりませんけども、現実的にそういうお子さんがいらっしゃるのです。そのようなことでやはり小さい時の育児というのは非常に大切であると思われます。

 われわれの五感と言われる、耳、目、味覚、嗅覚、皮膚などからの情報がありますが、その中でも、視覚情報が大体90パーセント使われているわけです。ですから、おぎゃあと生まれた赤ちゃんが家庭でのテレビのたれ流し状態で朝から晩まで見ますと、赤ちゃんは完全におかしくなります。要するに脳がいろいろなことに対応できる神経回路が組み上がらないんです。ですからスキンシップが大切であり、そして語りかけが大事だということです。赤ちゃんと会話することです。赤ちゃんは分からないと思っても、それを聞くことによって脳の神経回路が組み上がっていくのです。その話はあとでいたしますが、赤ちゃんだから語りかけても仕方がないということではなく、語りかけが大切なのです。赤ちゃんはよく目を見ます。そのとき目線をはずしてしまうと、赤ちゃんは人間というのは目と目を合わせないというふうに脳に刷り込みをされてしまう。そのような赤ちゃんは目と目を合わせない子どもとして育ってしまいます。ですから、赤ちゃんに対してスキンシップ、そして語りかけというのは、この時期は非常に大切になると思うのです。

 そして10歳くらいで95パーセント脳の神経回路が組み上がります。このように幼児期、児童期というのは、すごい勢いで脳の神経回路が組み上がりますので、こういう時期にやはりものを考える力をつけることが大切です。そして、いろいろな体験、知識を脳に記憶としてとどめることが非常に大切になってくるわけです。

 ……中略……

 ある日、電車に乗ったときに、女子高生を見てショックを受けました。あまり普段電車に乗らないのですけれども、髪は金髪で顔が焼けた女の子が2人入ってきて、まずお化粧を始め、そのあとケータイと漫画の本を出して、ケータイを閉じないんです。何をしているのかなと思ったら、眠っているんです。眠りながらケータイを持っています。うちの大学院の学生に聞いたら、そのような女子を「ガングロ姉ちゃんって言うんですよ」と。それで、ショックを受けました。

 そうかと思ったら、これがまだ20、30代でも結構いるというのが分かりまして、要するに電車の中が化粧室なんです。お化粧室というのは、普通トイレのことを、「お化粧室」と言いますけれども、普通は電車の中では化粧はしないんですけれども、これもやはり前頭前野が駄目な人たちなのです。ですからこれも、やはり相当前頭前野がやられているという状態です。

 ……中略……

 赤ちゃんというのは母親の口元を見て、「ああ」とかまねごとをするというのは、それを聞いて脳内の神経のネットワークを作ろうと、赤ちゃんなりに努力しているんです。それをしているときに、目は合わせない、お母さんはテレビを見ている。そうすると赤ちゃんは、これは目と目を合わせないものだ。話をしないわけですから、そしてテレビ漬けになれば、この映像だけはここに入ってきます(図24)。訳の分からない映像が入ってきます。そうすると、脳のネットワークは作られないということになるわけです。

 そして、絵本を読んで聞かせるということは、例えば「象さん」というのは、絵本を見せると、目からの情報が視覚野に入って角回に入ります。そして、象さんというのは鼻が長いという絵本が出てくると。そうすると、それを言語化するためにウェルニッケに入ります。そうすると、絵を見ただけで、子どもは「象さん」という言葉が出るようになります(図25)。要するに、神経ネットワークを作ってあげる。それが非常に大切であろうと思います。

 ……後略……


◆  自民党の細田幹事長は、先日NYタイムズの鳩山氏寄稿文がアメリカ指導者に悪いイメージを与えたと批判していた。  今まで自民党はアメリカの言うとおりになりすぎていたから、鳩山氏の表現を危惧しているのです。

関連しますので、http://ootw-corner.asablo.jp/blog/<湘南の片田舎から>を掲載します。


湘南の片田舎から

NYタイムズへの鳩山氏寄稿文は世界的にも画期的かも ― 2009/08/29

 まだ全文を読んでいないのだが、27日付けのニューヨーク・タイムズに掲載されている鳩山由紀夫氏の寄稿文は日本ばかりでなく、アジア全体、また世界的にも画期的であるかもしれない。親米国日本の次期首相と目される人物が米国主導の市場原理主義を真っ向から非難しているのだ。その言葉は辛辣そのもの。「モラルあるいは節度のない、飽くことなき市場原理主義および金融資本主義(unrestrained market fundamentalism and financial capitalism that are void of morals or moderation)」。

俺が知る限り、そもそも「fundamentalism」という言葉自体、一般にはイスラム教徒の関連でよく出てくる、けっこう侮蔑的な言葉で、このような「market fundamentalism」という言葉が主流紙に、鳩山氏のような人物を通じ出てくること自体がきわめて珍しい。

以下に、鳩山氏の寄稿文全文を掲載しておく。



August 27, 2009
Op-Ed Contributor
A New Path for Japan(日本の新しい進路)
By YUKIO HATOYAMA

TOKYO ? In the post-Cold War period, Japan has been continually buffeted by the winds of market fundamentalism in a U.S.-led movement that is more usually called globalization. In the fundamentalist pursuit of capitalism people are treated not as an end but as a means. Consequently, human dignity is lost.

How can we put an end to unrestrained market fundamentalism and financial capitalism, that are void of morals or moderation, in order to protect the finances and livelihoods of our citizens? That is the issue we are now facing.

In these times, we must return to the idea of fraternity ? as in the French slogan “liberte, egalite, fraternite” ? as a force for moderating the danger inherent within freedom.

Fraternity as I mean it can be described as a principle that aims to adjust to the excesses of the current globalized brand of capitalism and accommodate the local economic practices that have been fostered through our traditions.

The recent economic crisis resulted from a way of thinking based on the idea that American-style free-market economics represents a universal and ideal economic order, and that all countries should modify the traditions and regulations governing their economies in line with global (or rather American) standards.

In Japan, opinion was divided on how far the trend toward globalization should go. Some advocated the active embrace of globalism and leaving everything up to the dictates of the market. Others favored a more reticent approach, believing that efforts should be made to expand the social safety net and protect our traditional economic activities. Since the administration of Prime Minister Junichiro Koizumi (2001-2006), the Liberal Democratic Party has stressed the former, while we in the Democratic Party of Japan have tended toward the latter position.

The economic order in any country is built up over long years and reflects the influence of traditions, habits and national lifestyles. But globalism has progressed without any regard for non-economic values, or for environmental issues or problems of resource restriction.

If we look back on the changes in Japanese society since the end of the Cold War, I believe it is no exaggeration to say that the global economy has damaged traditional economic activities and destroyed local communities.

In terms of market theory, people are simply personnel expenses. But in the real world people support the fabric of the local community and are the physical embodiment of its lifestyle, traditions and culture. An individual gains respect as a person by acquiring a job and a role within the local community and being able to maintain his family’s livelihood.

Under the principle of fraternity, we would not implement policies that leave areas relating to human lives and safety ? such as agriculture, the environment and medicine ? to the mercy of globalism.

Our responsibility as politicians is to refocus our attention on those non-economic values that have been thrown aside by the march of globalism. We must work on policies that regenerate the ties that bring people together, that take greater account of nature and the environment, that rebuild welfare and medical systems, that provide better education and child-rearing support, and that address wealth disparities.

Another national goal that emerges from the concept of fraternity is the creation of an East Asian community. Of course, the Japan-U.S. security pact will continue to be the cornerstone of Japanese diplomatic policy.

But at the same time, we must not forget our identity as a nation located in Asia. I believe that the East Asian region, which is showing increasing vitality, must be recognized as Japan’s basic sphere of being. So we must continue to build frameworks for stable economic cooperation and security across the region.

The financial crisis has suggested to many that the era of U.S. unilateralism may come to an end. It has also raised doubts about the permanence of the dollar as the key global currency.

I also feel that as a result of the failure of the Iraq war and the financial crisis, the era of U.S.-led globalism is coming to an end and that we are moving toward an era of multipolarity. But at present no one country is ready to replace the United States as the dominant country. Nor is there a currency ready to replace the dollar as the world’s key currency. Although the influence of the U.S. is declining, it will remain the world’s leading military and economic power for the next two to three decades.

Current developments show clearly that China will become one of the world’s leading economic nations while also continuing to expand its military power. The size of China’s economy will surpass that of Japan in the not-too-distant future.

How should Japan maintain its political and economic independence and protect its national interest when caught between the United States, which is fighting to retain its position as the world’s dominant power, and China, which is seeking ways to become dominant?

This is a question of concern not only to Japan but also to the small and medium-sized nations in Asia. They want the military power of the U.S. to function effectively for the stability of the region but want to restrain U.S. political and economic excesses. They also want to reduce the military threat posed by our neighbor China while ensuring that China’s expanding economy develops in an orderly fashion. These are major factors accelerating regional integration.

Today, as the supranational political and economic philosophies of Marxism and globalism have, for better or for worse, stagnated, nationalism is once again starting to have a major influence in various countries.

As we seek to build new structures for international cooperation, we must overcome excessive nationalism and go down a path toward rule-based economic cooperation and security.

Unlike Europe, the countries of this region differ in size, development stage and political system, so economic integration cannot be achieved over the short term. However, we should nonetheless aspire to move toward regional currency integration as a natural extension of the rapid economic growth begun by Japan, followed by South Korea, Taiwan and Hong Kong, and then achieved by the Association of Southeast Asian Nations (ASEAN) and China. We must spare no effort to build the permanent security frameworks essential to underpinning currency integration.

Establishing a common Asian currency will likely take more than 10 years. For such a single currency to bring about political integration will surely take longer still.

ASEAN, Japan, China (including Hong Kong), South Korea and Taiwan now account for one quarter of the world’s gross domestic product. The economic power of the East Asian region and the interdependent relationships within the region have grown wider and deeper. So the structures required for the formation of a regional economic bloc are already in place.

On the other hand, due to historical and cultural conflicts as well as conflicting national security interests, we must recognize that there are numerous difficult political issues. The problems of increased militarization and territorial disputes cannot be resolved by bilateral negotiations between, for example, Japan and South Korea, or Japan and China. The more these problems are discussed bilaterally, the greater the risk that emotions become inflamed and nationalism intensified.

Therefore, I would suggest, somewhat paradoxically, that the issues that stand in the way of regional integration can only be truly resolved by moving toward greater integration. The experience of the E.U. shows us how regional integration can defuse territorial disputes.

I believe that regional integration and collective security is the path we should follow toward realizing the principles of pacifism and multilateral cooperation advocated by the Japanese Constitution. It is also the appropriate path for protecting Japan’s political and economic independence and pursuing our interests in our position between the United States and China.

Let me conclude by quoting the words of Count Coudenhove-Kalergi, founder of the first popular movement for a united Europe, written 85 years ago in “Pan-Europa” (my grandfather, Ichiro Hatoyama, translated his book, “The Totalitarian State Against Man,” into Japanese): “All great historical ideas started as a utopian dream and ended with reality. Whether a particular idea remains as a utopian dream or becomes a reality depends on the number of people who believe in the ideal and their ability to act upon it.”

Yukio Hatoyama heads the Democratic Party of Japan, and would become prime minister should the party win in Sunday’s elections. A longer version of this article appears in the September issue of the monthly Japanese journal Voice.

Global Viewpoint/Tribune Media Services
(転載終わり)


   ↓  【 訳文 】


NYタイムズに鳩山由紀夫民主党代表が寄稿した論説、全訳。

冷戦後の時代において、より一般的にはグローバリゼーションと呼ばれる米国主導の動きにおける市場原理主義の風によって、日本は絶えず打ちのめされてきた。原理主義者による資本主義の追求においては、人々は目的としてではなく手段として扱われる。結果として、人間の尊厳は失われる。

どのようにすれば我々は、市民の暮らしと家計を守るために、無制限の市場原理主義と金融資本主義−それらはモラルと節度が欠如したものなのだが−を終わらせることができるのだろうか? それは我々が現在直面している問題だ。

今日、「自由(Freedom)」に生来的に内包されている危険を和らげる力として、我々は友愛の考えに戻らなければならない。フランスのスローガンである「自由、平等、博愛」のように。

私の言う友愛とは、現在のグローバル化している資本主義ブランドの行き過ぎに適応し、我々の伝統を通じて育まれたローカルの経済の慣習に適合することを目的とした原則であると説明される。

アメリカ式の自由市場経済が普遍的で理想的な経済秩序を表し、全ての国々は自分たちの経済を統治している慣習と規制を、グローバルな(もっといえばアメリカ的な)基準に合わせて変更しなければならないという考え方こそが、最近の経済危機を引き起こした。

日本においては、グローバリゼーションにどれくらい向かうべきか意見は分かれていた。ある者は、グローバリズムの積極的な採用と、すべてをマーケットの命令にまかせることを主張した。他の者は、社会的なセーフティネットを拡大し我々の伝統的な経済活動を守るために努力されるべきだと信じて、もっと控えめなアプローチに賛同した。2001年から2006年の小泉政権以来、自民党は前者を強調してきた。一方で我々民主党は、後者のポジションを取ってきた。

あらゆる国家の経済秩序は、長い年月をかけて作り上げられるものであり、伝統や習慣やその国のライフスタイルの影響を反映しているものだ。しかし、グローバリズムは、非経済的な価値や環境問題や資源の制約の問題などは考慮せずに発達してきた。冷戦終了後の日本社会における変化を振り返ると、グローバル経済が伝統的な経済活動にダメージを与え、地域コミュニティを破壊したといっても過言ではないと私は信じている。

市場の理屈からすれば、人々は単に人件費だ。しかし現実の世界においての人々は、地域コミュニティの骨組みを支え、そのライフスタイルや伝統や文化を物理的に具現化した存在だ。個人は、地域コミュニティにおいて職と役割を得ることによって、そして彼の家族の暮らしを支えることによって、一人の人間としての敬意を得る。

友愛の原則においては、我々は、農業や環境や医療といった人間の生活や安全に関わる分野をグローバリズムの慈悲に晒すような政策は実行しない。

政治家としての我々の責任は、グローバリズムの行進によって脇に投げやられてきたこれらの非経済的な価値をもつものに、我々の注意を再びむけることだ。我々は、人々の結びつきを再び作り出し、自然と環境により大きな注意を払い、福祉と医療システムを再構築し、よりよい教育と子育て支援を提供し、富の格差に取り組む政策を行わなければならない。

友愛の概念から浮かび上がってくるもう一つの国家としてのゴールは、東アジアのコミュニティの創設だ。もちろん、日米安全保障条約は日本の外交政策の土台であり続けるであろう。

しかし同時に、我々はアジアに位置している国家としての自分たちのアイデンティティを忘れてはならない。活力の増大を見せている東アジア地域は、日本の基本的な活動範囲として認識されなければならない。それ故、我々はこの地域における安定した経済的協調と安全保障についての枠組みを作り続けなければならない。

この金融危機は、アメリカの一国主義の時代が終わりにきていることを多くの人々に示唆した。それはまた、基軸通貨としてのドルの永続性についての疑念をもたらした。

また、イラク戦争の失敗と金融危機の結果として、アメリカ主導のグローバリズムの時代は終わりを迎え、我々は多極化の時代に向かっていると私は感じている。しかし現時点では、覇権国としてアメリカに取って代わる準備の出来ている国は一つもなく、ドルに代わって基軸通貨になる用意ができている通貨もない。アメリカの影響力は低下しつつあるが、今後20年か30年の間は、アメリカは世界最大の軍事力と経済力を保持し続けるだろう。

現在の発展は、中国が世界トップクラスの経済国になるであろうことを、同時にその軍事力を拡大し続けるであろうことを明確に示している。中国の経済規模は、遠くない将来に日本を追い抜くだろう。

覇権国としての現在の地位を保とうと戦っているアメリカと、次の覇権国になろうと模索している中国に挟まれた時、日本はどのようにして自国の政治的・経済的独立性と国家の利益を確保してゆくべきだろうか?

これは日本についてだけの問題ではなくて、アジアの中小国家についての問題でもある。彼らは、アメリカの軍事力が地域の安定性のために効果的に働くことを望んではいるが、同時に政治面と経済面ではアメリカの過度の介入は望んではいない。彼らはまた、中国の軍事的脅威を削減することを望んでいて、一方で中国の拡大する経済が秩序だった方法で発展していくことを保証することを望んでいる。これらは、地域的な統合を加速させる大きな要因である。

現在、マルキシズムとグローバリズムの超国家的な政治的・経済的哲学が、好むと好まざるとにかかわらず停滞するにつれて、様々な国でナショナリズムが再び大きな影響を持ち始めた。

我々が国際的な協力のための新たな機構を作り上げようとする際には、我々は過度のナショナリズムに打ち勝ち、ルールに則った経済的な協力と安全保障への道を進まなければならない。

欧州とは異なり、この地域の国々は大きさや経済発展の段階や政治的なシステムが様々に異なっている。それ故、経済的な統合は短期間ではなしえないだろう。しかしそれでもなお、日本に始まり韓国と台湾と香港が続き、それからASEANNと中国が達成した急速度の経済成長の自然な拡張として、我々は地域通貨の統合を目指すことを切望すべきだ。我々は、通貨統合に不可欠である永続的な安全保障の枠組みを構築する努力を惜しんではならない。

アジア共通通貨の設立は、おそらく10年以上かかるだろう。そのような単一通貨が政治的統合をもたらすのには、確実により長い時間がかかるだろう。

ASEAN、日本、香港を含む中国、韓国そして台湾は、現在では世界のGDPの1/4を占めている。東アジア地域の経済力とその地域内での相互依存関係はより広くより深くなってきた。それゆえ、地域経済ブロックの形成に必要な機構は既に整っている。

一方で、国家安全の利益の衝突と同様に歴史的・文化的な衝突が原因で、多くの困難な政治的な問題が存在することを我々は認識しなければならない。軍事力増大や領土の問題は、例えば日韓、日中のような二国間の交渉では解決され得ない。二国間でこれらの問題を議論すればするほど、感情が燃え上がりナショナリズムが強くなるリスクが高くなる。

従って、いくらか逆説的ではあるが、地域統合への障害はより大きな統合を目指すことによってのみ解決されると私は提案したい。EUの経験は、地域統合がいかに領土問題を鎮めることができるかを我々に示している。

地域的な統合と共同的な安全保障は、日本国憲法によって提唱されている平和主義と多国間協力の原則を実現する、我々が進むべき道であると私は信じている。それはまた日本の政治的・経済的独立を守り、米中に挟まれた我々のポジションにおいて利益を追及するための適切な道である。

”汎ヨーロッパ”(私の祖父である鳩山一郎が彼の著書”全体主義国家対人間”を邦訳した)に85年前に書かれた、最初の統一ヨーロッパ運動の創始者であるクーデンホーフ・カレルギー伯爵の言葉を引用することで、締めくくらせて欲しい。

「全ての偉大な歴史上の考えは夢想的な夢として始まり、最後に現実化した。それぞれの考えが夢のまま終わったか、それとも現実になったのかは、その理想を信じそれに従って行動する自らの能力を信じることのできる人々の数に左右される。」

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すごく読みにくい英語でした。私はイデオロギー的なことは不勉強にして良く知らないのですが、いくつか思ったことをコメントします。

冷戦後の時代において、より一般的にはグローバリゼーションと呼ばれる米国主導の動きにおける市場原理主義の風によって、日本は絶えず打ちのめされてきた。
⇒日本が高度成長できたのは、そのグローバリゼーションや市場原理主義のおかげじゃないの?その後の停滞は、前進する努力を止めて新興国にキャッチアップされたってことじゃないの?

「自由(Freedom)」に生来的に内包されている危険を和らげる力として、我々は友愛の考えに戻らなければならない。
⇒自由はアブないという思想ですか。全体主義者の方ですかね。この論説では、この文章が一番怖いと思った。

私の言う友愛とは、現在のグローバル化している資本主義ブランドの行き過ぎに適応し、我々の伝統を通じて育まれたローカルの経済の慣習に適合することを目的とした原則であると説明される。
⇒意味わからないですよね。私もわからないです。日本語訳も変だと思いますが、英語でも理解不能でした。

冷戦終了後の日本社会における変化を振り返ると、グローバル経済が伝統的な経済活動にダメージを与え、地域コミュニティを破壊したといっても過言ではないと私は信じている。
⇒鎖国でもしますか。

友愛の原則においては、我々は、農業や環境や医療といった人間の生活や安全に関わる分野をグローバリズムの慈悲に晒すような政策は実行しない。
⇒保護主義へようこそ。それとも社会主義かな。マニフェストにあった最低時給1000円などもそうですが、結果をまず決める社会主義的なやり方をしても、まあロクなことにならないと思います。

この金融危機は、アメリカの一国主義の時代が終わりにきていることを多くの人々に示唆した。それはまた、基軸通貨としてのドルの永続性についての疑念をもたらした。
⇒アメリカの新聞でいちいちこんなことを書かんでも・・・。

日本に始まり韓国と台湾と香港が続き、それからASEANNと中国が達成した急速度の経済成長の自然な拡張として、我々は地域通貨の統合を目指すことを切望すべきだ。
⇒金融政策を放棄するのですかそうですか。経済成長率もインフレ率も全然異なるのに。

アジア共通通貨の設立は、おそらく10年以上かかるだろう。そのような単一通貨が政治的統合をもたらすのには、確実により長い時間がかかるだろう。
⇒ 政 治 的 統 合 ? 

地域的な統合と共同的な安全保障は、日本国憲法によって提唱されている平和主義と多国間協力の原則を実現する、我々が進むべき道であると私は信じている。それはまた日本の政治的・経済的独立を守り、米中に挟まれた我々のポジションにおいて利益を追及するための適切な道である。
⇒最初はネトウヨが言うような売国政策を目指すのかなと思って読んでましたが、実はこの人は大日本帝国を目指すようなファシストの要素があるのかなと思い始めました。


●日米関係の様子

        現在位置 : asahi.com > 2009総選挙 > ニュース > 記事
    米紙に寄稿の「鳩山論文」相次ぎ批判 米国内の専門家ら  2009年8月29日3時8分

 【ワシントン=伊藤宏】民主党の鳩山代表が27日付の米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)に寄稿した論文をめぐり、米国内に波紋が広がっている。「米国主導」の世界経済の体制を批判的にとらえ、アジア中心の経済・安全保障体制の構築を強調した内容が、米側の目には「現実的でない」と映るようだ。専門家らの間には日米関係の今後に懸念を抱くむきもある。

 鳩山氏は論文のなかで、「冷戦後、日本は米国主導の市場原理主義、グローバリゼーションにさらされ、人間の尊厳が失われている」と指摘。自ら掲げる「友愛」の理念のもと、地域社会の再建や、東アジア地域での通貨統合と恒久的な安全保障の枠組みを作る考えを強調した。

 これに対し、日本政治に詳しい米外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員は27日、朝日新聞の取材に「グローバリゼーションは米国式の資本主義、との批判だが、これはG20における日本の役割にとって、何を意味するのか。民主党政権は国際通貨基金(IMF)体制の支援から離れて、他の体制を見いだすのか。経済再生の努力から優先順位を移すのか。米ドル体制の支援とは、別な立場をとるのだろうか」と疑問を投げかけた。

 元米政府関係者は「オバマ政権は、(鳩山氏の)論文にある反グローバリゼーション、反アメリカ主義を相手にしないだろう。それだけでなく、この論文は、米政府内の日本担当者が『日本を対アジア政策の中心に据える』といい続けるのを難しくするし、G7の首脳も誰一人として、彼の極端な論理に同意しないだろう。首相になったら、評論家のような考え方は変えるべきだ」と批判した。

 別の元米政府関係者も「グローバリゼーションについての米国への批判は一方的に過ぎるし、日米同盟の重要性に触れたくだりも、非常に少ない。鳩山氏はもっと日米関係に理解のある人だと思っていたが、変わったのだろうか」と話す。

 ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストは、いずれも27日付で、日本の総選挙に関する記事を掲載。いずれも民主党が勝利して政権交代が起きる可能性が高いことを伝える内容で、今回の総選挙に関する米国の関心の高さを示している。

        現在位置 : asahi.com > 2009総選挙 > ニュース > 記事
    鳩山氏の外交姿勢、「米政権が懸念」NYタイムズ紙報道  2009年9月3日8時14分

 【ワシントン=伊藤宏】民主党が総選挙で大勝したことを受け、米オバマ政権内で、鳩山代表の外交姿勢に対する懸念が高まっている――米紙ニューヨーク・タイムズは2日付で、そう伝えた。

 同紙は、複数の米政権高官が「アフガニスタンでの戦いといった米国の優先課題や、アジアでの米軍再編などの問題で、米国を支えてきた立場から日本が離れていってしまうのではないか」との懸念を抱いていると紹介。ある高官の「予測不可能な時代に入った」などとする発言を引用しながら、「今回の投票が、米国への長年続いた依存関係から日本が離れようとする、より根本的な変化の予兆なのかどうか、大きな疑問がワシントンにある」と指摘した。

 同紙はまた、オバマ政権が「民主党が勝利したことで、この数十年間で初めて、全く未知の日本の政権、それも、米国への歯にきぬ着せぬ批判をすでに表明した政権に対応しなければならなくなった」と位置づけた。その上で、こうした鳩山新政権への不安が表面化するきっかけとなったのが、8月27日付で同紙電子版に掲載された鳩山氏の論文だと分析している。

 鳩山氏はこの論文のなかで、日米同盟の重要性を強調しつつ、「冷戦後、日本は米国主導の市場原理主義、グローバリゼーションにさらされ、人間の尊厳が失われている」などと主張。米国の単独行動主義の時代は終わり、世界は多極化に向かうとして、アジア中心の経済・安全保障体制の構築を訴えていた。

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    鳩山代表「日米同盟が基軸だ」 オバマ大統領と電話会談  2009年9月3日1時33分

 民主党の鳩山代表は3日未明、米国のオバマ大統領と電話で12分間会談した。鳩山氏によると、鳩山氏は「日米同盟が基軸だ。建設的な未来志向の日米関係を発展させよう」と呼びかけるとともに、「大統領は気候変動、核廃絶・不拡散にリーダーシップを発揮されている。私たちも同じ気持ちの政党だ。経済問題も互いに解決するよう努力しよう」と表明。こうした問題で足並みをそろえ、日米関係を発展させることで一致したという。

 会談は米国側が申し入れた。鳩山氏によると、オバマ氏が総選挙での民主党の勝利について「おめでとう」と祝意を伝達。鳩山氏は「勝利は大統領の(当選の)お陰だ。チェンジには勇気がいるが、日本国民に(政権交代の)勇気を与えたのは米国民であり大統領だ」と答えた。さらに、9月下旬に国連総会などに出席するため訪米する予定に言及。「できるだけ早くお目にかかりたい」と伝えた。オバマ氏の発言内容については「私からは申さないことになっている」として紹介しなかった。

 09 03 (木) 学力を身につける=現状認識と教育と方法(続)

09 01 では現状認識に足をとどめ、学力の経緯とそれにいたった認識などあちこちからまとめてみました。 少年少女のゲーム禍も大きな一因になっているし、家族のまとまりが崩れはじめたことも一因になっています。 お金に寄せる意識変化が家族崩壊の一因になってきたのは否めない事実です。

そのため、子供の養育感覚が崩れ始めているのです。

かくして世界での学力テストの日本の結果は陥落の一途をたどりはじめました。

自分の子供を育て上げるという大事な意識が放棄されたのです。 これは大変なことです。

文部科学省の「ゆとり教育」だけの問題ではありません。 もちろん国のリーダーの意識がおかしいことが原因の大きな一因です。 それと合わせて、親の子育ての意識がおかしいことも原因の大きな一因です。

本来の教育とは何でしょうか?


    良い茄子をつくるには、良い苗を育てなくてはなりません。

    お百姓なら誰でも承知していることです。



OECDの学力テストで世界1位になるには、お腹の中に赤ちゃんができたら満三歳まで全力をつくして子育てをすればいいのです。


    よい茄子の苗かどうかが決まるのは、人でいうと三つ子のときの子供のことで、
    この子をみたとき将来がいいかどうかがきまるのです。



三つ子の魂百までと伝えられています。

三つ子まで子供を一生懸命に育てれば、あとはほっといても日本のOECD学力テストは世界一になります。


どんな教育をすればよいのでしょうか?


    まず第一に、子育ての勉強をすること。  http://park19.wakwak.com/~yoshimo/moto.29.html
                               〔0歳教育参考資料〕

        「マジカル・チヤイルド」     ピアス
        「胎児はみんな天才だ」     スセディック
        「早教育と天才」         木村久一
        「0歳教育」            私製本

    毎日、赤ちゃんへの語りかけをすること。


          天才はいきなり育ったのではありません。 


    すべての才能は親の計画と実践によって育てられたのです。

    あなたの赤ちゃんは素晴らしい能力を身につけて育ちます。



          一番の留意事項は円満な人柄を育てることです。

    こんな素晴らしい仕事は、他には決してありません。

       宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由     (長歌)
       伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比爾 母等奈可可利提
       夜周伊斯奈佐農

       銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母   (反歌)

       瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば まして偲(しの)はゆ
       いづくより 来(きた)りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて
       安眠(やすい)し寝(な)さぬ

       銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(5-803) 山上憶良

 10 07 (水) PISAの調査とフィンランドの教育 ●台風18号

グーグルで「PISA調査」を検索すると、‘OECD生徒の学習到達度調査 - Wikipedia’がでている。 その一部は次の通りです。

@ 2000年調査 32ヵ国 各分野の上位は以下である。(換算はすべて、全参加国の平均点が500点となるように計算した換算である)

 数学換算 読解力換算 科学換算
 01.  日本 557 01.  フィンランド 546 01.  韓国 552
 02.  韓国 547 02.  カナダ 534 02.  日本 550
 03.  ニュージーランド537 03.  ニュージーランド529 03.  フィンランド 538
 04.  フィンランド 536 04.  オーストラリア 528 04.  イギリス 532
 05.  オーストラリア 533 05. アイルランド 527 05. カナダ 529
 06.  カナダ533 06.  韓国 525 06.  ニュージーランド 528
 07.  スイス529 07.  イギリス 523 07.  オーストラリア 528
 08.  イギリス529 08.  日本 522 08.  オーストリア 519
 09.  ベルギー520 09.  スウェーデン 516 09.  アイルランド 513
 10.  フランス 517 10.  オーストリア 507 10.  スウェーデン 512

A 2003年調査 41ヵ国 各分野の上位は以下である。(換算はすべて、全参加国の平均点が500点となるように計算した換算である)

 数学換算 読解力換算 科学換算 問題解決換算
 01.  香港550 01.  フィンランド 543 01.  フィンランド 548  01.  韓国 550
 02.  フィンランド544 02.  韓国 534 02.  日本 548 02.  フィンランド 548
 03.  韓国 542 03.  カナダ528 03.  香港 539  03.  香港 548
 04.  オランダ 538 04.  オーストラリア 525 04.  韓国 538  04.  日本 547
 05.  リヒテンシュタイン536 05.  リヒテンシュタイン525 05.  リヒテンシュタイン 525  05.  ニュージーランド533
 06.  日本534 06.  ニュージーランド522  06.  オーストラリア525  06.  マカオ 532
 07.  カナダ532 07.  アイルランド 515 07.  マカオ 525  07.  オーストラリア530
 08.  ベルギー 529  08.  スウェーデン 514  08.  オランダ 524  08.  リヒテンシュタイン 529
 09.  マカオ 527 09.  オランダ 513  09.  チェコ523  09.  カナダ 529
 10.  スイス 527 10.  香港 510  10.  ニュージーランド521  10.  ベルギー525

B 2006年調査 56ヵ国 各分野の上位は以下である。(換算はすべて、全参加国の平均点が500点となるように計算した換算である)

 数学的リテラシー換算 読解力換算 科学的リテラシー換算
 01.  台湾549 01.  韓国556 01.  フィンランド 563
 02.  フィンランド548 02.  フィンランド547 02.  香港 542
 03.  香港547 03.  香港 536 03.  カナダ534
 04.  韓国547 04.  カナダ 527 04.  台湾 532
 05.  オランダ531 05.  ニュージーランド521 05.  エストニア 531
 06.  スイス 530 06.  アイルランド517 06.  日本 531
 07.  カナダ527 07.  オーストラリア513 07.  ニュージーランド 530
 08.  マカオ525 08.  リヒテンシュタイン510  08.  オーストラリア 527
 09.  リヒテンシュタイン525 09.  ポーランド508 09.  オランダ 525
 10.  日本523 10.  スウェーデン507  10.  リヒテンシュタイン522

   老生の感想と意見 : ………


  赤い日本という文字を見ますと、国際間の順位は低下し続けています。

  この結果を見てやっと指導者はことの重大性を認識したのです。

  ところが、あらぬことか制度をいじり、教育者に責任を擦り付け、ことの本末を考えようとはしていません。

  儒教に支えられて教育が成果を挙げてきたこと、それを見直そうとはしていません。

  儒教に支えられて立派な人物が育てられてきていたこと、それを見直そうとはしていません。 

  教育の根底になにが位置づいているのかを問い直そうとしていません。

  立派な人物はどのようにして育てられてきたのか、それが求められなくてはならないのです。

  立派な人物は、その人がどのように努力してきたかという問題ではありません。

  立派な人物をどのように育てあげてきたのかが問題なのです。

  指導者はそういう観点からの問題提起をしたことが一度でもあったでしょうか?

  残念ながら、一度も提起したことがありません。

  ほんとうの教育のスタートについて、何を教え何を育てるのかを提示し協議を呼びかけたことは一度もありません。

  ほっておいても人間はその本能によって子供を産みます。

  生まれた子供はどのように教え育てられたらいいのでしょうか。

  それが根底の問題なのです。

  人づくりを進めようとしている人に考え方を提示してほしいのです。



なお、外部リンクとして次のものが載せられているから開いてみるのもよい。

    OECD生徒の学習到達度調査(PISA2006) 文部科学省
    OECD生徒の学習到達度調査(PISA2003) 文部科学省
    OECD生徒の学習到達度調査(PISA2000) 文部科学省
    OECD_PISA公式サイト
    経済社会データランキング 読解力>読解力(15歳) - 世界ランキング

●フィンランドの教育に関する調べは次の通りです。 コピーして参考にしていきます。 データが要る場合には検索で調べればよい。

   外務省>各国・地域情勢>欧州>フィンランド共和国  基礎データ、要人略歴、要人往来
   経済社会データランキング>教育・スポーツ>科学的教養(15歳)-OECD加盟国ランキング
                               数学的教養(15歳)-OECD加盟国ランキング
                               科学的教養(15歳)-OECD加盟国ランキング
   学力世界一!フィンランド教育成功の秘訣
   PISAでトップのフィンランドの教育
   フィンランドは国際テストで、何故そんなに優れているのか
   フィンランドの教育制度
   比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド
   「子供が王様」これでいいのか フィンランド式教育に学べ
   フィンランドの奇跡
   フィンランド教育改革と社会変動
   イギリスとフィンランドの教育

まだいろいろとデータがあることと思います。 フィンランドだけでなくてもよいでしょう。

●学校五日制がもたらす問題?

   折々の記 2002 08 31(土)


 学校の五日制について、今夜、PTA・部落代議員・公民館役員の人たちの会合があって、地域での奉仕活動というか学習活動というか、要するに学校を離れての地域活動のあり方を協議するという。 一体これは何を意図するのだろうか。 勤労の実体験をねらってのことなのか、地域の人々との連帯意識の醸成なのか。

 例えば、花壇の世話をして地域の環境美化に協力することもいい。 料理教室を開いて男の子も女の子も料理の実体験を身につけることもいい。 土中生物の観察をしたり、河川の生き物の観察をしたりして、生命の尊さを網膜にインプットすることもいい。 椋鳩十さんのお話の中から、紙芝居を作っていき、保育園の子どもたちに見せてあげるようにすることもいい。 また、稲作やさつまいも作りを土日の休みのときに作業し、収穫祝いまでのサイクルを体験することもいい。

 教育面では学力の低下が心配されている。 世界的にみても、教育は国家の将来のために力を入れるようになった国が多いのである。 最近も朝日新聞に世界のこどもの学力検査の結果と、各国の対応などが載っていた。

 日本のいわゆる「ゆとり」教育というのは、ずくなしの子どもに迎合したきらいがある。 戦後20年代の英語教科書と、30年代、それ以後「指導要領」改訂ごとに、学習内容は低下してきている。 マンガ的にまでなっているのは、教科書としての気品はなく、アメリカ的な学習資料としての位置づけに惰してしまったと考えざるを得ない。

 知的レベルの向上が国の将来にとって大切であるとするならば、知的レベルの向上を狙っての教育方法や手段を検討すべきであろう。 やはり国家百年の大計は人づくりにある、教育にある、と考えるべきだろう。

 ドイツの教育はどうなるのか見ものだろう。

 日本も二の舞にならんとも限らない。 どうしたものだろうか、現状から何が生まれてくるんだろうか。 円周率に代表されるように、世界からの笑いものになりそうである。 ことは、そう簡単なわけではない。 私学振興が急務といえば急務かもしれない。 「赤信号、みんなで渡ればこわくない」式の間違った平等意識が戦後の日本全土を覆っている。 困った現実である。 いろいろの議論をかさねていって、そして、そして、その結論は、私学振興が急務であるということかもしれない。

 知的レベル向上という意味では、われわれは再度、吉田松陰を育てた玉木文之進やカール・ビッテを研究しなければならないし、グレン・ドーマンの手法やピアスの人間理解を研究しなければならない。


 01 01 (木)  即身仏

平和の招来はどうすれば実現に向かうことができるのだろうか? 求めあぐねているのが現状だとすると、この閉塞感を打開しなくてはなりません。

戦争の拒否、それは世界中の人々の願いなのに戦争になることを恐れて軍備を拡張しているのはなんとしても理屈に合いません。 この明らかな矛盾を納得させられている世界の人々の閉塞感!

自分の中にある身勝手さが、そしてそれを守っていこうとする凡欲が、みんなの問題となると、地球の温暖化を防ぐことができずやがては地球の破滅に至ることが判っていてもそれを防ぐことができない閉塞感!

そこに警鐘を打ち鳴らすのが即身仏ではないのか!

即身仏をどう理解すべきなのか?

「やられたらやりかえす」 巨視的にも微視的にも、それが個人の争いから殺人を互いに認める争いになっています。 それを嫌がっているそれぞれの国の人々の気持ちを、為政者は代行していないのです。 それは政治のシステム自体の中に反映しないものがあるからです。

政治体制の原点は人と人との仕組みのあり方にあるはずです。

即身仏はその根源システムの心得なのです。

私たちは、即身仏の心のあり方を学ばなくてはならないのです。

般若心経は根底の心得です。

「やられたらやりかえす」 この心情が心経のどの部分の受止め方がおかしくて発生してきているのか解明しなくてはならないのです。

仏教徒はそうした責務を負わされているのです。

キリスト教義の中にも右の頬を打たれたら左の頬も出せという教えがありました。 

教義の如何を問わず、“報復”という概念を宗教信条の中で乗り越えなければならないのです。 卒業しなければならないのです。 わが子を育てあげた通常の親なら、どの親でも“報復”という概念を乗り越えなければならないのです。

人としての基本になる心構えを即身仏は現前してくれたのです。

人の命は人の命のためになってこそ、命の意味を実証できるのです。



‘ 日本の即身仏’という言葉でグーグルで検索してみると、検索結果 約 79,200 件が即座に検索できます。 その筆頭に出ているのは次のサイトです。

   http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/newpage147.html
   日本の即身仏・ミイラについて

この中には即身仏17体の所在地など一覧表が載っています。

(人名) (所在地) (寺院名) (享年) (没年又は入定年)
弘智 新潟県三島郡寺泊町野積 西生寺 66 貞治2年(1363)
弾誓 京都市左京区大原古知原 阿弥陀寺 63 慶長18年(1613)
本明海 山形県東田川郡朝日村東岩本 本明寺 61 天和3年(1683)
宥貞 福島県石川郡浅川町小貫 貫秀寺 92 天和3年(1683)
舜義 茨城県西茨城郡岩瀬町本郷 妙法寺 78 貞享3年(1686)
全海 新潟県東蒲原郡鹿瀬町菱潟 観音寺 85 貞享4年(1687)
阿南の行者 長野県下伊那郡阿南町新野 瑞光院 50 貞享4年?(1687)
忠海 山形県酒田市日吉町2丁目 海向寺 58 宝暦5年(1755)
秀快 新潟県柏崎市西長島鳥甲 真珠院 62 安永9年(1780)
10 真如海 山形県東田川郡朝日村大綱/A> 大日坊 96 天明3年(1783)
11 妙心 岐阜県揖斐郡谷汲村横蔵 横蔵寺 36 文化14年(1817)
12 円明海 山形県酒田市日吉町2丁目 海向寺 55 文政5年(1822)
13 鉄門海 山形県東田川郡朝日村大網 注連寺 62 文政12年(1829)
14 光明海 山形県西置賜郡白鷹町黒鴨 蔵高院 嘉永7年(1854)
15 明海 山形県米沢市簗沢小中沢 個人蔵 44 文久3年(1863)
16 鉄竜海 山形県鶴岡市砂田町 南岳寺 62 明治14年(1881)
17 仏海 新潟県村上市肴町 観音寺 76 明治36年(1903)

上の一覧表は次の 「其の二 : 日本の即身仏・ミイラ一覧表」 をコピーしたものです。

『日本の即身仏・ミイラについて』 の目次内容

   「其の零 : 私が即身仏巡りを始めたきっかけ」
   「其の一 : 即身仏・ミイラとは?」
   「其の二 : 日本の即身仏・ミイラ一覧表」
   「其の三 : 人はなぜ即身仏となることを目指したのか?」
   「其の四 : 即身仏になるための修行とは?」
   「其の五 : 私の即身仏巡り」
   「其の六 : 即身仏の拝観について」
   「其の七 : 失われた即身仏・ミイラ」
   「其の八 : 即身仏・ミイラに関する書籍」
   「其の九 : 即身仏誕生の真実」(開かずの間)
   「其の十 : すべての即身仏との対面を終えて・・・」
   (2007年7月8日、一般公開している即身仏15体、すべてとのご対面が完了。また同日
   かつて即身仏が存在していたといわれているすべての寺院の訪問も完了しました。)

全体の内容は、それぞれ開いて読むことができます。



■ 具体的にはどうしたらよいのでしょうか

一人の人として見ますと、心の平安をかき乱すものと、そうでないもの、などがあることに気づきます。

   比較思考から生まれる自己中心の主張

     自慢  負けん気  勝気  愛国心  団結心

     非難  悪口雑言  罵倒  陰口  揶揄  告げ口

   相手を大事にする心

     慈悲  恕  仁義礼智信  皆同

     優しさ  励まし  思いやり  和顔  無財の七施

   見て学ぶ生きる姿

     創り出す姿  流汗労働  子育ての愛  奉仕する心  

生き方を戒めていた言葉

   「いろはかるた」

   一寸の虫にも五分の魂  栴檀は双葉より芳し  三つ子の魂百まで  サルも木から落ちる

   どの子にも親がいる  論語読みの論語知らず  孟母三遷  断機の教え  瓜の木に茄子はならない

などなど、こうした表現の中身を一つ一つ展開してみていきますと、人のあるべき姿が浮かんでくるのです。

例えば、『自慢』を取り上げてみますと、程度の差にもよるけれど少しでも度を過ぎると『自己主張』という鼻持ならない悪臭があります。 度を過ぎると嫌味を人に与えることになります。 心の平安を乱すものになるのです。

『負けん気』などは、自他の比較からおきる感情で、程度の差にもより自己叱咤激励ともなれば、敵対感情をひき起こす原因にもなります。 度を過ぎると嫌味を人に与えることになり、心の平安を乱すものになるのです。

『どの子にも親がいる』など叔母から教えられた言葉です。 この叔母は子供の頃から親からこの言葉を教えられ、‘けっして友達をいじめてはいけない’としつけられたと言います(どの子にも親がおり、子どもがいじめられると、その親はとても悲がると言うのです)。

『トムとジェリー』など、この呼吸の微妙さを教え、示唆しています。

   ネズミだっていきものさ
   ネコだっていきものさ
   トムとジェリーなかよくけんかしな

心の平安を求める生活は、人をも平安に導くものなのです。

評論家にしても、他人の言うことに耳をかさず負けん気になって自己主張する人がいます。 聞く耳をもたない人の発言は、人の心の平安をかき乱しても、人の気持ちがわからない人なのです。

紛争とか戦争とか、みんなが嫌がる現象は、自分勝手な主張をみんなが認めないようにすれば起こらないことなのです。

こうしてみますと、ユネスコ憲章の冒頭の句は、平和の根本を端的にあらわした表現です。


戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない
That since wars begin in the minds of men,
it is in the minds of men that the defences of peace must be constructed;



ユネスコをみていきますと、その原因となるものは「無知」と「偏見」を取り除くことを大事な活動として位置づけています。 だが、「無知」と「偏見」だけではなく、人と人の「心の平安をどう築きあげるか」が中核にならなくてはならないと思います。

端的に「即身仏」の理解こそ平和招来の鍵だと老生は考えるのです。