折々の記へ

折々の記 2009 F

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】教育問題のまとめ【その六】        【 02 】教育問題のまとめ【その七】
【 03 】教育問題のまとめ【その八】        【 04 】教育問題のまとめ【その九】
【 05 】教育問題のまとめ【その十○】        【 06 】教育問題のまとめ【その十一】
【 07 】教育問題のまとめ【その十二】        【 08 】教育問題のまとめ【その十三】
【 09 】教育問題のまとめ【その十四】        【 10 】教育問題のまとめ【その十五】
【 11 】教育問題のまとめ【その十六】        【 12 】教育問題のまとめ【その十七】
【 13 】教育問題のまとめ【その十八】        【 14 】教育問題のまとめ【その十九】
【 15 】教育問題のまとめ【その二十】

以上で「教育問題のまとめ」終わり



【 09 】07/28

07 28(火) 今までの教育問題のまとめ【その十四】

   2008 08 04(月) 教育の原点
   2009 01 29(木) 昔のマハティールの言葉に耳を傾けよ

08 04(月) 教育の原点

教育についての考え方は揺れに揺れているように思います。

教え育てるということは、人の生涯の営みを改善しようとする第三者のいい方といってもよいでしょう。

こうした視点で見ますと、時の経過や生活環境とか教え育てる内容など、教育の中身は複層したものとなってきます。

ところが、一般的に教育という言葉を学校教育という青少年を対象とした、保育施設、義務教育、高校教育、大学教育をさしていることが多い。 一面的なのです。

そして更に、2000年に始まったPISA(国際学習到達度調査…3年ごとに実施)の結果、日本の学力低下を目の前にして学力をテーマにした教育のあり方が議論されるようになった。 このことが教育の見直しのきっかけになりました。

この端的な様子は<OECD生徒の学習到達度調査>によって確認できます。 このページの末部には 

  OECD生徒の学習到達度調査(PISA2006) 文部科学省
  OECD生徒の学習到達度調査(PISA2003) 文部科学省
  OECD生徒の学習到達度調査(PISA2000) 文部科学省

という外部リンクがあります。 このほかにも、国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)を検索して理解を広げるとよい。

これらを中心にし、さらに読売新聞の

  ホーム>教育>教育ルネサンス

を開いてみますと2005年からの膨大な資料を見ることもできます。


ともあれ、日本の教育を何とか考え直したいという動きが、国際間の教育調査の結果異常なほどに盛り上がってきたのです。

このOECDの調査の結果では、第一回の調査と第三回の調査の結果を比べてみますと、国際間で見た日本の子供たちの学力は低下の一途をたどっていたのです。

その原因と考えられたのが、文部省のいわゆる「ゆとり教育」の方針でした。 たとえば、円周率は3と教えるという教育内容の質的低下が槍玉にあがってきたのです。 さらに授業時数の削減も問題になりました。

そこで、これらの動きを見ますと、いわゆる学校教育をどう考えどう変えていくことが良いのか、という角度からの意見がほとんどなのであります。

勿論、学校教育の内容の希薄化や授業時間の短縮も、学力低下の原因になっているでしょう。

だが、国民生活全般に皮相的な目に見える価値観が蔓延してきたことや、経済生活優先という価値観が、家庭内にも浸透してきて、家庭教育に対する願いや意識がどんどんと希薄になってきました。 家庭におけるこうした変化は目に見えることなく進行して、家庭の教育環境は質的にも崩壊の一途をたどってきたことを見抜かなくてはなりません。

学力低下はここ10年間だけのことではなく、ずっと以前から国の文教政策とともに家庭の質的変化が進行して子どもたちを学力低下に導いたと考えなくてはなりません。

OECDの調査によって事実が明らかになって政治家や学者は驚き、学校教育を何とかしなくてはならないと考えるようになったのです。

これは教育の総点検という命題から見ますと、両親による教育(いわゆる家庭教育)が無視された考え方になっております。

“良いナスを作るには、良い苗を育てることが必須用件である”このことは、百姓をしてきた人たちは身をもって体験していることであります。これは野菜作りの鉄則なのです。

子供の教育もこの自然界の“命の養育原則”を外れては十分な結果を望むことはできません。

どうしてこの明白な理論を大事にしないのでしょうか。

学校教育の分野のみを論議していても、学力の成果を期待するわけには参りません。

本来、学力の成果を期待するのならば、立派なナス苗はいかにして育てたら良いのか、十分議論し検討すべきなのです。

親はわが子をどう育てたらよいのか、誰でも知っているのですか。

元気な子にしたい、社会に貢献できる子にしたい、……それなら、お腹に赤ちゃんができたと知ったら何をしたらいいのですか。

元気な子にしたい、社会に貢献できる子にしたい、……それなら、生まれて一年間には赤ちゃんに何をしてあげたらよいのですか。

お父さんとお母さん、400字づめの原稿用紙10枚以内に、上の質問に対する自分の計画なり考えなりを書いてみてください。

それが家庭教育の原点です。

お爺さんでもお婆さんでもいい、学校の先生方でも村長さんでもいい、県会議員さんでも村会議員さんでもいい、400字づめの原稿用紙10枚以内に、上の質問に対する自分の計画なり考えなりを書いてみてください。

それが全体構想を含めた学力向上を求める原点です。

誰かが日本の子供たちの将来の学力向上を成し遂げてくれるのではありません。

学者の議論を聞いて、成るほど成るほどと感心していても、子供たちの学力は身にはつきません。

私はどうしたらいいのでしょうか。 自分でその答えを考え、実践しなければ、自分の子供の学力は一向に充実しようがありません。


教育論議の中で学校教育だけが論議され、親はわが子をどう教え育てたら良いのか何も考えることがなく、何の計画や目論みもないとしたら、どこにも子供の学力を伸ばすという保障もありません。

新聞や学者の議論には、もう辟易しています。

そこで登場するのが、カール・ビッテの考え方であり、ストーナー夫人の実行であり、ジツコ・スセデックの実践記録であり、ピアスのブレイン論理であります。

そしてこれは、私の「0歳教育」の根拠です。

01 29(木) 昔のマハティールの言葉に耳を傾けよ

日本の進むべき方向はどうあったらいいのだろうか。 教育のあり方とともに絶えず心にかかる大事な課題になっている。

こうした課題については折々意見をまとめていますが、一人の意見だけではどうにもならない。

こうした課題が頭をよぎるとき、以前聞いたマハティールの発言を思い出すのです。

Googleの検索でマハティールを調べてみると、この関係事項が沢山載っている。 その話は‘1992年10月14日香港にて’というから17年より前のことになっている。

 そして、

「マレーシアが、日本の経済システムなどを吸収して自国の発展につなげる「ルック・イースト」政策を採用してから20年を迎えたが、この政策を提唱したマハティール首相が最近、日本に対する失望感を強く示している。 長期の経済低迷から抜け出せない日本よりも、韓国や中国から学ぶ姿勢を見せており、日本は「反面教師」としてしか、参考にならないとの見方さえある。」

こんなふうに、日本の姿を冷静な眼で見ていたのが、マレーシアのマハティール[1981年 7月にマレーシア首相に就任(1981年-2003年)]でした。

--------------------------------------------------------------------------------

「立ち上がれ日本人」マハティール・モハマド著 ・加藤暁子訳 ・新潮新書(2003/12)

   日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、
   古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、
   若者は何を目指せばいいのか――。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。現代日本
   に過去の栄光を取り戻させるのは、強いリーダーと愛国心だ! マレーシアの哲人宰相が
   辞任を期に贈る、叱咤激励のメッセージ。

   Mohamad,Mahathir Bin
   1925年、マレーシア北部ケダ州生まれ。エドワード7世医科大学卒。在学中の1946年、統一
   マレー国民組織(UMNO)の発足に携わり政治活動を開始。1981年から2003年10月まで
   首相在任。来日は50回を超え、日本を手本にしたルック・イースト政策で知られる親日派。

多くの人たちが読んでいるはずです。

--------------------------------------------------------------------------------


  マハティール首相「もし日本なかりせば」演説と
  : 「日本もはや反面教師」発言



「もし日本なかりせば」演説と「日本もはや反面教師」
その発言に思う

大前研一氏の著書、「ドットコム・ショック」によると、日本の新聞でこの記事が載ったのは朝日新聞の船橋洋一氏のレポートのみだったらしい。
これほど日本に敬意を払い続けた他国のリーダーの演説に対して政府もマスコミも沈黙したままであったのみならず、マハティール首相の提唱したEAEC(East Asia Economic Caucus=東アジア経済協議体)構想に当時の河野外相は泥を塗るような行為をしたという。
アングロサクソン国家の国益となる、APEC(Asia Pacific Economic Cooperation=アジア太平洋経済協力会議)と利害が対立するEAEC構想を米国が潰そうとしたのに対し、その尻馬に乗ったのが当時の外相だったのだ。
マレーシアに行ったらとても発展途上国とは思えないことにめぐり合える。
最大のものは、水道水が飲めることだが、これがどんなに凄いことか海外旅行をした人はわかるだろう。
そして、生水が飲める国は私が行った国の中ではシンガポールとマレーシアぐらいだ。
そのマハティール首相は不況で苦境に立った日本の小渕首相に助言すらしてくれた。
英語の諺に「繁栄は友人を作り、逆境は友人を試す。(Prosperity makes friends, adversity tries them.)というのがある。
ここまで言えば、誰が日本の数少ない味方であるかわかると同時に、国民の敵が日本政府じゃないかとも気付くだろう。 それを取り替えられるのも続けさせるのも国民だということも・・・

そして、このときから10年後、ついにマハティール首相は、「日本はもはや反面教師でしかない」と講演したと、2002年12月1日付けの読売新聞は報じている。。
政治が悪いと批判するのは簡単だ。
しかし、選んでいる国民が知名度が高いかどうかだけで、あるいは組織ぐるみ選挙などというおよそ民主主義とかけはなれたところでしか政治家を選んで来なかったツケが回ってきていると言えないか?
いくら志の立派な候補者がいたとしても彼らが当選した可能性というのは、こういった選挙風土の中では著しく低かったにちがいない。
そして、一定得票数に達しない候補者は公職選挙法の規定で供託金を没収される。
彼らは金持ちではないだろう。
そういった候補者は選挙に再び立候補したであろうか?


2002年12月12日、そのマハティール首相は日本で講演(Speech by Prime Minister Dato Seri Dr. Maharhir Bin Mohamad at The Seminar on 20th Anniversary of The Look East Policy, Tokyo, Japan on 12 December 2002)した。
題して、"Look East Policy - The Challenges for Japan in a Globalised World" (グローバル社会の中における日本の難関)、この耳の痛い話を報じた日本のメディアはあっただろうか?
私は思う。「真の友人からの忠告を聞き入れるだけの度量もない国に明日はない」と・・・

  Challenge  n. 挑戦(状);   決闘[試合,競技など]の申込;   (番兵の)誰何(すいか);
            難問;   やりがい;
            【法】忌避;   説明の要求;   異議(の申し入れ), 抗議.


「もし日本なかりせば」
原文:Towards a prosperous future
マハティール・モハマド(Mahathir Mohamad, former Prime Minister of Malaysia)
(欧州・東アジア経済フォーラム 1992年10月14日香港にて)


【マハティール】  過去のヨーロッパ中心の世界では、東アジアとはすなわち極東だった。
そして極東は、異国情緒あふれる中国と竜のイメージ、お茶、アヘン、高級シルク、風変わりな習慣を持った珍しい人々など、奇妙で神秘的な印象を思い起こさせる場所だった。 

いまや極東は東アジアになり、気の毒だがヨーロッパのロマンチストの興味の対象は減った。
その代わりに政治家、エコノミストの関心の的になっている。
ヨーロッパがアジアに対して懸念を抱いている事実は、この地域が、すでに今世紀前半の日本軍国主義以上に深刻な脅威になっていることを示唆している。
こうした見方の底流には、不信感と恐怖がある。
その理由は、東アジアの人々が自分たちとほ異なっている、つまりヨ一ロッパ人ではないという点にある。

そのため、策2次大戦後の枢軸国であったヨーロッパのドイツとイタリアが平和国家となって復興、繁栄するのは応援、歓迎されたのに、同じように平和国家となった日本と極東の「小さな日本」の経済発展はあまり歓迎されないように見える。
それどころか、ヨーロッパとヨーロッパ社会を移植したアメリカはともに、さまざまな手段を使って東アジア諸国の成長を抑え込もうとしてきた。西側の民主主義モデルの押しつけにとどまらず、あかろさまに東アジア諸国の経済の競争力を削ごうとしてきた。

これは不幸なことである。東アジアの開発アプローチから世界は多くのことを学んできた。
日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。
質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。
まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。

日本の存在しない世界を想像してみたらよい。
もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。
欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押しつけられていただろう。

自国民の生活水準を常に高めようとする欧米諸国は、競争相手がいないため、コスト上昇分を価格引き上げで賄おうとする可能性が高い。
社会主義と平等主義の考えに基づいて労働組合が妥当だと考える賃金を、いくらでも支払うだろう。
ヨーロッパ人は労組側の要求をすべて認め、その経果、経営側の妥当な要求は無視される。
仕事量は減り、賃金は増えるのでコストは上昇する。

貧しい南側諸国から輸出される原材料品の価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定される。
その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。
輸出品の価格を引き上げる代わりに、融資と援助が与えられる。
通商条件は常に南側諸国に不利になっているため、貧しい国はますます貧しくなり、独立性はいっそう損なわれていく。
さらに厳しい融資条件を課せられて"債務奴隷"の状態に陥る。

北側のヨーロッパのあらゆる製品価格は、おそらく現在の3倍にもなるため、貧しい南側諸国はテレビやラジオも、今では当たり前の家電製品も買えず、小規模農家はピックアップトラックや小型自動車も買えないだろう。
一般的に、南側諸国は今より相当低い生活水準を強いられることになるだろう。

南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。
多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるをえなくなったからにほかならない。
日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。
日本からの投資もないから、成長を刺激する外国からの投資は期待できないことになる。

また、日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸周は模範にすべきものがなかっただろう。
ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けただろう。
東アジアでは高度な産業は無理だった。
せいぜい質の劣る模造品を作るのが開の山だった。
したがって西側が懸念するような「虎」も「竜」も、すなわち急成長を遂げたアジアの新興工業経済地域(NIES=Newly Industrializing Economies: Hong Kong, South Korea, Singapore and Taiwan)も存在しなかっただろう。

東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。
そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功をとげた。
東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。
いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。

もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。
富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。
北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。
マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。

このシナリオには異論もあるかもしれない。
だが、十分ありうる話である。
日本がヨーロッパとアメリカに投資せず、資金をすべて国内に保有していたらどうなるかを想像すれば、その結果は公平なものになるのではないだろうか。
ヨーロッパ人は自国産の製品に高い価格を支払わねばならず、高級なライフスタイルを送る余裕がなくなるだろう。 

(中略)

実のところ、ヨーロッパは身分不相応に暮らしている。
ヨーロッパ人は仕事量が非常に少ないにもかかわらず、あまりにも多額の賃金を受け取っている。
ヨーロッパは、世界の他の国々がこの浪費を支持してくれると期待することなどできない。
ヨーロッパ諸国は、国民のために高い生活水準とより健康的な環境を求めているが、犠牲を払おうとはしない。
「ヨーロッパはもっと低い生活水準を受け入れ、環境を維持すべきだ」と提案された時、ヨーロッパ諸国は激しい不快感を示した。
だが、ヨーロッパは北側諸国の環境維持に必要だという理由で、貧しい国々に国内の天然資源を開発しないよう求めている。
それは要するに、「貧困国は富裕国のために犠牲になれ」ということである。
しかし、豊かな国々は何の犠牲も払おうとしない。

アジア諸国が「ルック・ウエスト」で欧米に指導やモデルを仰いだ時期があった。
いまやヨーロッパが逆に「ルック・イースト」でアジアにそれらを求める時期が来ているのかもしれない。みなさんが私を東アジア人とみなすか、東南アジア人とみなすかは分からない。
どちらであれ、私は自分の見解が「私は東南アジア人であるだけでなく、発展途上国の出身でもある」という事実に影響を受けていることを認めなければならない。
マレーシアは、ある野心を抱いている。
私たちはいつの日か先進国になりたいと考えており、不必要に妨害されて不満を感じている。
しかし、私たちは自由貿易と公正競争の妥当性を信じている。

ASEAN(Association of Southeast Asian Nations=東南アジア諸国連合)の経験によって、友好的な競争と互いに学び合おうという意志があれば、経済成長を促進することができるとわかった。
東アジア諸国が競争しながら学ぼうという意志を持っていれば、同じ結果を達成できるだろう。
ヨーロッパ・東アジア間の公正競争と協力を発展させれば、すべての国々が繁栄するうえで役立つだろう。
たとえヨーロッパやアメリカが保護主義を採用しても、東アジアは保護主義に頼らないだろう。
東アジアには競争力があり、そのことをはっきけと証明している。
たとえば1960年には、東アジア全体のGDPはEC(現EU=欧州連合)の42%、アメリカの23%、NAFTA(North America Free Trade Agreement=北米自由貿易協定)の21%だった。
1990年には、それがECの67%、西ヨーロッパの47%、アメリカの73%、NAFTAの64%に達した。
東アジアの域内貿易も、絶対額と世界貿易に占める割合の両方で成長している。
東アジアは保護主義に頼ることなく、しかも多くの障害をものともせず、これを達成したのである。
その課程で東アジア諸国は、自国民だけでなく世界中の貧困者の生活の質を高めた。
東アジア諸国の成功は魔法のおかげではない。
日本が成し遂げたことを、東アジアの他の国々も程度の差こそあれ達成することができたのである。
同様に、ヨーロッパ諸国もそうすることができる。

この成功の主な要因は、高い生活水準を維持する余裕のない時期には低い生活水準を受け入れようとする意志である。
東アジア諸国は進んでそうしている。
無理して高い生活水準を維持すれば、競争力を失ってしまう。
むしろヨーロッパ人のほうが、自分たちのやり方が賢明なものかどうか自問し、現実を受け入れなければならない。
そうすれば、ヨーロッパと東アジアは相互の利益のために協力することができる。
ただし、どのような事情があっても、東アジアの成長を止めることはできない。
東アジアには発展する権利があるのだ。


それから10年後

マレーシア・ルック・イースト20年「日本もはや反面教師」
読売新聞(2002.12.1) ワールド・インサイド (クアラルプール: 深沢淳一氏)


マレーシアが、日本の経済システムなどを吸収して自国の発展につなげる「ルック・イースト」政策を採用してから20年を迎えたが、この政策を提唱したマハティール首相が最近、日本に対する失望感を強く示している。
長期の経済低迷から抜け出せない日本よりも、韓国や中国から学ぶ姿勢を見せており、日本は「反面教師」としてしか、参考にならないとの見方さえある。

--------------------------------------------------------------------------------

日本のまねしない
「経済を低迷させた失敗を日本から学び、同じ過ちを繰り返さないようにしたい」、「最近はアジア通貨危機から急速に回復した韓国の成功に注目している」。
マハティール首相は11月中旬の記者会見で、経済危機を克服した韓国と対比しながら、日本の経済運営の迷走ぶりを批判した。
マレーシアでは、8月下旬にルック・イースト20周年の記念式典が催されたが、首相は、この式典の講演(Speech by Dato' Seri Dr Mahathir Mohamad at the Dinner in Commemoration of the 20th Anniversary of the Look East Policy, Palace of the Golden Horses, 28 August 2002 see also The Ministry of Foreign Affairs)でも、ルック・イースト政策がマレーシアの成長に大きく貢献したと評価しながらも「今後は日本が進めている誤った政策や失敗も学ぶ。我々が何をすべきでないかが分かるからだ」と発言した。
その意図をマレーシア政府高官は「変化に柔軟に対応できない日本のまねはしないということだ」と解説する。

--------------------------------------------------------------------------------

魅力は先端技術だけ
マハティール首相が、ルック・イースト政策を進めたのは、日本のサラリーマンの勤勉さや忠誠心、集団の利益を重視する姿勢に着目したためで、こうしたモデルを自国民に浸透させ、意識改革を促す狙いがあった。
首相は導入時の1983年に来日した際、「日本を見習ってマレーシア株式会社を目指す」と日本経済を絶賛していた。
ルック・イーストで親日国としての印象が浸透したこともあり、日本の進出企業は家電や電子関係を中心に約1400社に増え、雇用や輸出を支えているのも事実だ。
こうした効果もあり、マレーシアの1人あたり国民総生産(GNP)は約3600ドルと20年前から倍増、急成長を遂げた。
だが、首相は最近、日本に関しては、経済に限らず、社会や教育を含めて不満を抱いている模様で、別の講演では、髪を金髪に染める日本の若者をやり玉にあげ、誤った「西洋崇拝」が日本の倫理や価値観を低下させたとも指摘した。
今後は不可欠な日本の先端技術は吸収していくが、経済や倫理などに関しては見習うべき点はないという考え方を鮮明にしている。

--------------------------------------------------------------------------------

アジア勢の意識象徴
一方で、首相は10月に「新たなモデルとしての韓国(Speech by Prime Minister The Hon. Dato Seri Dr. Mahathir Bin Mohamad at The National Conference "Learning from Korea - Sustaining Growth in a Dynamic Environment" at Pyramid 2, 10th floor, Sunway Convention Centre Bandar Sunway, Kuala Lumpur, 10 October 2002 see also Dr. Mahathir Speeches on the National Ecnomic Action Council)」と称して講演、韓国の勤労ぶりや、経済改革を高く評価した。
また中国との経済シンポジウムでは、高成長を続ける中国を新たにルック・イーストの対象に加える考え方を示した。
こうしたルック・イーストに関する路線転換は、アジア各国の日本に対する期待感の薄さを象徴している。
アジアは、地域の経済成長を持続する前提として、アメリカの力強い景気回復を望んでいるが、日本については「10年余に及ぶ景気低迷は織り込み済みだ」(シンガポール政府高官)などと、冷ややかな見方が増えている。