Mohamad,Mahathir Bin
1925年、マレーシア北部ケダ州生まれ。エドワード7世医科大学卒。在学中の1946年、統一
マレー国民組織(UMNO)の発足に携わり政治活動を開始。1981年から2003年10月まで
首相在任。来日は50回を超え、日本を手本にしたルック・イースト政策で知られる親日派。
2002年12月12日、そのマハティール首相は日本で講演(Speech by Prime Minister Dato Seri Dr. Maharhir Bin Mohamad at The Seminar on 20th Anniversary of The Look East Policy, Tokyo, Japan on 12 December 2002)した。
題して、"Look East Policy - The Challenges for Japan in a Globalised World" (グローバル社会の中における日本の難関)、この耳の痛い話を報じた日本のメディアはあっただろうか?
私は思う。「真の友人からの忠告を聞き入れるだけの度量もない国に明日はない」と・・・
また、日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸周は模範にすべきものがなかっただろう。
ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けただろう。
東アジアでは高度な産業は無理だった。
せいぜい質の劣る模造品を作るのが開の山だった。
したがって西側が懸念するような「虎」も「竜」も、すなわち急成長を遂げたアジアの新興工業経済地域(NIES=Newly Industrializing Economies: Hong Kong, South Korea, Singapore and Taiwan)も存在しなかっただろう。
日本のまねしない
「経済を低迷させた失敗を日本から学び、同じ過ちを繰り返さないようにしたい」、「最近はアジア通貨危機から急速に回復した韓国の成功に注目している」。
マハティール首相は11月中旬の記者会見で、経済危機を克服した韓国と対比しながら、日本の経済運営の迷走ぶりを批判した。
マレーシアでは、8月下旬にルック・イースト20周年の記念式典が催されたが、首相は、この式典の講演(Speech by Dato' Seri Dr Mahathir Mohamad at the Dinner in Commemoration of the 20th Anniversary of the Look East Policy, Palace of the Golden Horses, 28 August 2002 see also The Ministry of Foreign Affairs)でも、ルック・イースト政策がマレーシアの成長に大きく貢献したと評価しながらも「今後は日本が進めている誤った政策や失敗も学ぶ。我々が何をすべきでないかが分かるからだ」と発言した。
その意図をマレーシア政府高官は「変化に柔軟に対応できない日本のまねはしないということだ」と解説する。
アジア勢の意識象徴
一方で、首相は10月に「新たなモデルとしての韓国(Speech by Prime Minister The Hon. Dato Seri Dr. Mahathir Bin Mohamad at The National Conference "Learning from Korea - Sustaining Growth in a Dynamic Environment" at Pyramid 2, 10th floor, Sunway Convention Centre Bandar Sunway, Kuala Lumpur, 10 October 2002 see also Dr. Mahathir Speeches on the National Ecnomic Action Council)」と称して講演、韓国の勤労ぶりや、経済改革を高く評価した。
また中国との経済シンポジウムでは、高成長を続ける中国を新たにルック・イーストの対象に加える考え方を示した。
こうしたルック・イーストに関する路線転換は、アジア各国の日本に対する期待感の薄さを象徴している。
アジアは、地域の経済成長を持続する前提として、アメリカの力強い景気回復を望んでいるが、日本については「10年余に及ぶ景気低迷は織り込み済みだ」(シンガポール政府高官)などと、冷ややかな見方が増えている。