折々の記へ

折々の記 2009 F

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】教育問題のまとめ【その六】        【 02 】教育問題のまとめ【その七】
【 03 】教育問題のまとめ【その八】        【 04 】教育問題のまとめ【その九】
【 05 】教育問題のまとめ【その十○】        【 06 】教育問題のまとめ【その十一】
【 07 】教育問題のまとめ【その十二】        【 08 】教育問題のまとめ【その十三】
【 09 】教育問題のまとめ【その十四】        【 10 】教育問題のまとめ【その十五】
【 11 】教育問題のまとめ【その十六】        【 12 】教育問題のまとめ【その十七】
【 13 】教育問題のまとめ【その十八】        【 14 】教育問題のまとめ【その十九】
【 15 】教育問題のまとめ【その二十】

以上で「教育問題のまとめ」終わり



【 08 】07/28

07 28(火) 今までの教育問題のまとめ【その十三】

   2008 02 17(日) 学習指導要領の改訂
   2008 05 20(火) カネの亡者・ドバイ
   2008 07 15(火) 旧中込学校
   2008 07 22(火) 大分県「後姿の教育」はあるのか

02 17(日) 学習指導要領の改訂

16日の読売新聞<ホーム>教育>ニュース>では次のように報道されました。


主要教科の授業1割増…新学習指導要領案

 文部科学省は15日、主要教科の授業を1割以上増やすことなどを柱にした小中学校の学習指導要領改定案を公表した。

改定案公表「ゆとり」前の水準

 現行の指導要領が掲げた「ゆとり教育」で学力が低下したとの批判にこたえることが狙い。小学校は2011年度、中学校では12年度から実施されるが、算数・数学と理科は一部を先行実施し、09年度から授業増に踏み切る。現行の指導要領で削減した学習内容も復活させ、算数・数学と理科は、小中の9年間で15%程度増える見込み。

 「ゆとり」重視の象徴とされた「総合学習」は、小学校で週3コマが2コマになるなど、小中ともに削減。指導要領の全面改定は1998年以来で、授業時間が増えるのも約40年ぶり。同省は一般の意見を募集し、来月末に告示する。同時に改定する幼稚園教育要領は09年度から完全実施、高校の指導要領案は秋ごろ公表する。

 今回の改定案は、文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」が1月に出した答申に沿って策定された。

 現行の指導要領に引き続いて「生きる力の育成」を基本理念に掲げる一方、指導要領は最低基準であると明記し、学校の裁量でレベルの高い内容を教えることも可能にした。

 授業時間は、小学校が1、2年で週2コマ(1コマ45分)、3〜6年は週1コマ増え、6年間で278コマ多い5645コマになった。中学も3学年とも週1コマ(1コマ50分)増え、3年間では105コマ多い3045コマとなる。

 増えるのは国語、算数、理科、社会などの主要教科で、小中ともに1割以上の増となった。

 これによって、小学校では、算数と理科がほぼ「ゆとり」以前の水準に戻る。中学も数学と外国語が「ゆとり」以前とほぼ同じとなり、理科は大幅に上回って現行の33%増となる。小学校の英語活動も5年生から必修となり、週1コマが充てられる。

 現行の指導要領で削減された学習内容のうち、小学校算数の「台形の面積」や社会の「縄文時代」、中学数学の2次方程式の「解の公式」などが復活。小学算数で「円周率は場合によって3にできる」とした規定は誤解を招くとして削除した。道徳の教科化は見送られた。

 2002年度に実施された現行の指導要領は、「ゆとり教育」を掲げ、自ら考える力を重視するとして学習内容を3割削減した。しかし学力低下を招いたとの批判が高まり、中央教育審議会も答申の中で「授業時間を減らしすぎた」などと異例の総括をしていた。

 [指導要領改定案の骨子]

 〈1〉小中学校で国語、算数・数学、理科などの主要 教科の授業時間を1割以上増

 〈2〉前回改定で削減した学習内容を一部復活

 〈3〉総合学習の時間を削減

 〈4〉小学5年からの英語活動を必修化

 〈5〉道徳の教科化見送り

(2008年2月16日 読売新聞)

YOL内関連情報
【ニュース】 中教審 学力低下を反省、小中学生の学力を強化 (2007年10月31日)
【ニュース】 新学習指導要領 実施前倒しへ (2007年11月10日)
【ニュース】 「言語力」全教科で育成…中教審方針 (2007年8月17日)
【ニュース】 授業時間30年ぶり増…中教審最終答申 (2008年1月18日)
【ニュース】 中学も授業10%増 主要5科と保健体育…中教審部会素案 (2007年8月31日)


日本の教育制度については以前からいろいろと問題がありました。

昭和43年頃だから私も40才ころ、管理主事が学校へこられたとき‘どんなことでもいいから質問があったら出してくれ’といわれ‘戦前の大正時代の自由教育と戦後の教育について、そん長短を手短に話してください’と質問しました。 この時の渡辺管理主事はいやな顔もしないでそれには応えてくれませんでした。

私ははっきりした意見を持っていたわけではなかったので、仕方がないなと受け止めていました。 実はそのときには先生方自身にも共通した教育の確信がなかったと感じていたから、そんな質問をしたのです。

礼節、勤勉、誠実……そうした心の内部の教育は「道徳」時間では培うことが出来ないということは重大な問題として私の心の中の危惧する課題でありました。

ウェブには<道徳内容項目の系統表>があります。 わたしが道徳という授業をしている頃には既にこれら23項目の狙いが明記されていました。

   内容項目の系統表 

 視   点 
小学低学年15項目
小学中学年18項目
小学高学年22項目
 中 学 23 項 目 
自分に関すること (1)節度・節制,自立
(2)勤勉・努力
      (3)勇気
      (4)誠実・明朗
節度・節制,自立
(2)思慮・反省
(3)勤勉・努力,忍耐
(4)勇気
(5)誠実・明朗
(1)思慮・反省,節度・節制
(2)希望,勇気,不撓不屈
(3)自由・規律
(4)誠実・明朗
(5)創意・進取
(6)向上心,個性伸長
(1)望ましい生活習慣,健康,節度
(2)希望,勇気,強い意志
(3)自主・自律,誠実,責任
(4)真理愛,理想の実現
(5)向上心,個性の伸長,充実した生き方
他の人とのかかわり (1)礼儀
(2)思いやり・親切
(3)友情・信頼,助け合い
(4)尊敬・感謝
(1)礼儀
(2)思いやり・親切
(3) @友情・信頼,助け合い
 
A 友情・信頼,助け合い

(4)尊敬・感謝
(1)礼儀
(2)思いやり・親切
(3)友情・信頼,助け合い
(4)寛容・謙虚
(5)尊敬・感謝
(1)礼儀
(2)人間愛,感謝,思いやり
(3)信頼・友情
(4)男女の敬愛
(5)自他の尊重,謙虚,広い心
自然や崇高なものとのかかわり (1)自然愛,動植物愛護
(2)生命尊重
(3)敬虔
(1)自然愛,動植物愛護
(2)生命尊重
(3)敬虔
(1)自然愛,環境保全
(2)生命尊重
(3)敬虔
(1)自然愛,畏敬の念
(2)生命尊重
(3)人間の弱さの克服,人間の気高さ,生きる喜び
集団や社会とのかかわり (1)公徳心,規則の尊重
(2)家族愛
(3)愛校心
(4)郷土愛
(1)公徳心,規則の尊重
(2)勤労
(3)家族愛
(4)愛校心
(5)郷土愛
(6)愛国心
(1)役割と責任の自覚
(2)公徳心,規則の尊重,権利・義務
(3)公正・公平,正義
(4)勤労,社会奉仕公共心
(5)家族愛
(6)愛校心
(7)郷土愛,愛国心
(8)国際理解・親善
(1)集団生活の向上,役割と責任
(2)法やきまりの遵守,権利と義務,社会の秩序と規律
(3)公徳心,社会連帯,よりよい社会の実現
(4)正義,公正・公平,差別や偏見のない社会の実現
(5)勤労の尊さ,奉仕,公共の福祉
(6)家族愛
(7)愛校心
(8)郷土愛
(9)日本人としての自覚文化の継承と創造
(10)国際理解,人類愛

しかし明確な指導内容が示されているのではなく、それらの項目の実施は子ども達の実生活に即したものの中から具体的な経験を提示してもらって、具体的には自分はどう対処していったらよいのかを自分で築きあげるという方法が示唆されていたのです。 この手法は学者の皆さんが作り出していった方法であり、先生方の一人ひとりの感覚によっては千差万別の方法と結果が容認されていました。

私は人としての倫理教育或いは道徳教育としての方法としては大きな危惧を感じていました。

小学校に入った子どもから中学卒業を迎える子ども達に対して同じ方法が適用されるというのは、発達段階とか理解の仕方とか深さとかそれに応じた違いがあるのは当然ですから、それを考えると<道徳内容項目の系統表>そのものへの教育の対応の仕方に疑問と危惧を持たざるを得なかったのです。 当時はそんなように理路整然とまとまって考えたわけではなかったから、戦後教育の在り方に一抹の不安があったのです。

昭和43年頃に指導要領の改定が行なわれました。 当時は明治100年という意識があり、東洋文化と西洋文化の認識についてもだんだんと自分の立場について考え方を築き上げようとしていましたので、宗教をはじめ教育や音楽についてもその特質をつかみ始めていました。 ですから、道徳のあり方や音楽教育の在り方については、改訂される指導要領には東洋的な考え方が色濃く出てくるものとある意味では期待していたのです。

そんな予測はまるで当たらなかったのです。 こんなことでいいのだろうか。 

当時、イギリスの歴史学者トインビーが日本の予測を毎日新聞に載せました。 わたしは敗戦によって歴史への興味をもったものですから歴史の使命は何かということに関心がありました。 そして大類伸という人の本を読んでいて自分なりの歴史の使命をつかみとりました。 簡単に表現すればそれは「温故知新」ということでした。

トインビーはどういう温故知新をしたのでしょうか。 およそ今の日本は彼の予測したように動いております。 それにしてもアメリカとの関係をあまりにも長く引きずりそうです。 トインビーの予測では、日本は東アジアの国々との関係を深めていくといっていました。 今はその過程なのでしょうが、アメリカとの癒着がちょっと長く修復が長引きそうです。

話がそれましたが、東洋的なもの……、それは仏教と共に儒教的なものに他なりません。 学校教育の中ではこの東洋的な文化を大事な柱にしなくてはならないのです。   一つの参考としては、このホームページ【月見草出版】日記と随筆 4 〔 1 東洋への憧れ 〕をみるとよい。ただしここでは途中までしか載っていない。

今度の指導要領の改訂はそんな意味合いを持ったものではないにしても、単に学力評価の国際比較の結果だったにしても、東洋文化の見直しに近づくことの意味合いでは歓迎をするし、更なる研究協議をして深めていってもらいたいものです。

人の品性を高めるには0歳教育の原理と同じように、望ましい品格を備えている親に接することが最重要なことだといえます。 親がすべてといえないとすれば、鉄は熱いうちに打てとか馬の調教は生まれて直ぐ始まるの例えに準じて、教育機関においては保育園から儒教教育を重視すべきなのです。

指導要領の改訂とは、教育そのものへの考え方が十分出来ていないからこそ生まれてきた今日の状況なのだといえましょう。 まだまだ道は遠い。

太陽の恵みがあってこそ私たちの生活が成り立っていることを承知しながら、太陽に感謝して毎日手を合わせる人が何人いるのでしょうか。 天照大神を祀った神棚に毎日手を合わせる人が何人いるのでしょうか。

親や人様の恩義があってこそ自分の生活が成り立っていることを承知しながら、親や人様に感謝してどんなことにも有難うございましたといえる人が何人いるのでしょうか。

仏教の心がけや儒教の教えを承知しながら、子ども達にどうしてあげたらいいのか判る人が何人いるのでしょうか。

これらの課題は成人した私たちが生きてきた恩義に報いるために後の人たちに残してあげなくてはならない大切なことだと思うのです。 新聞に取り上げられている教育上の学習指導要領の改訂というのは、現代の断面としての現象としてとらえるだけではあまりにも刹那的な構え方だといえると思うのです。

05 20(火) カネの亡者・ドバイ

先日テレビを見て、今の世相の頂点を象徴するようなドバイの姿に愕然としました。

これは望ましい人のあるべき姿とは、どう考えても似合わないのです。


何もない砂漠に忽然として金に飽かした巨大都市を作り上げたのです。



建設中のブルジュ・ドバイ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B8%
E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4

ブルジュ・ドバイ(??? ??? , Burj Dubai, ドバイの塔の意)は、アラブ首長国連邦第二の都市ドバイに
建設中の超高層ビルである。地上162階建、尖塔高818m・軒高643.3mとなる予定であり、2009年
6月30日竣工予定。2007年7月21日には台北101を抜き世界一の高さのビルとなっており、現在
着工されている超高層ビルの中で最も高い。2008年5月4日現在、高さ643.3mまで到達している。


………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4
ドバイ - Wikipediaドバイ(アラビア語:??? Dubayy、英語表記:Dubai)は、アラブ首長国連邦(UAE)
を構成する首長国のひとつ。 また、ドバイ首長国の首都としてアラビア半島のペルシア湾の沿
岸に位置するUAE第2の人口を擁する都市。 一般的には後者の用法で使われることが多い。
連邦を構成する7首長国
アブダビ …… ドバイ …… シャールジャ …… アジュマーン
カイワイン …… フジャイラ …… ハイマ


歴史の概要 … 上記ドバイのURLを開くと歴史の概要がある

@ 興り

漁業や真珠の輸出を産業の主とする小さな漁村であったこの地に、アブダビの首長ナヒヤーン家と同じバニー=ヤース部族のマクトゥーム家が、1830年代にアブダビから移住。これに伴ってドバイ首長国が建国され、ここに今に至るドバイの歴史が始まりの時を迎えた。1853年に他の首長国と同時に英国の保護国となる。

A 近代

統治を担った英国はこの地を、東インド会社に到るための貴重な中継地とした。20世紀になると、歴代の首長の推進をもとに自由貿易の政策を採ったことで、周辺地域の商人達の拠点となりゆく流れのなかで、中継貿易港としての色合いを濃くしてゆく。

B 勃興

20世紀も半ばに迫った頃、この地を近代的な都市にすることを夢見た当時の首長・シェイク・ラーシド・ビン・サイード・アール・マクトゥームの推進により、1959年のクウェートからの借金をもとにして社会資本の近代化が図られてゆく。1958年のアブダビにおける油田の発見に続く、1966年の海上油田の発見はこの動きに大きな力を与えた。

1971年の英国軍のスエズ以東からの撤退に伴って、同年の12月2日、他の6の首長国とともにアラブ首長国連邦をこの地に結成。その副大統領兼首相となったラーシド首長を指導者に据え、原油依存経済からの脱却の取り組みと産業の多角化を進めてゆく。その流れのうえで1981年(1985年)に開設に至った『ジュベル・アリ・フリーゾーン(JAFZ)』という名の経済特区、およびナショナル・フラッグ・キャリアとしてのエミレーツ航空の開港は、国外資本や外国企業の進出とあわせて『人』と『物』の集積地としての発展を急速に促していった。

C 繁栄

21世紀に入る頃には、従来からの近代化の波を経て、中東における貿易・商業の最大の中心地と呼ばれるまでのメガロポリスに変貌していた。1970年代からわずか約20年のうちに起こった変化は、都市外観のそれのみならず、経済の石油依存率は半分以下に減じ、GDPの伸びは30倍に達するなど、『中世から近代への急変』との表現をもって語られる激変そのものであった。

D 現代

2003年以降の発展は特に凄まじく、2004年の後半から続く原油高がその発展を更に後押ししている。2005年度の経済成長率は16%に達し、総数120万の民の都市となったドバイは、摩天楼の連なる幻惑的な百万都市を擁する都市国家として中東でも随一の繁栄を誇っている。

私見

ブルジュ・ドバイは「砂上の楼閣」となるだろう。

なぜならば、それは欲望によって作られたものだからである。

それは、仏の国でもなく神の国でもなく、汚れた凡欲に満ちた金によって人為的に作られた街だからである。

  「イワンのバカ」(岩波少年文庫)の教えを察するとよいし、

  ヒルティの『幸福論』(岩波文庫)を学ぶのもよい。

そして、般若心経に準拠することがよい。


トルストイの考えやヒルティの考えに耳を傾け、お釈迦さまの教えに耳を傾けて、自分の考えを築こうとする者にとっては、「ドバイの塔」は「砂上の楼閣」ではないかと危惧することが当然なことなんです。

07 15(火) 旧中込学校



 13日に佐久の旧中込学校へ行ってきました。 この写真がカメラに収めた旧中込学校です。

 前から聞いていたのですが、改めてそういう機会をとらなかったので、まだ見ていなかった。  学校に入ったとき、私はほんとに驚きました。 当時の様子は次の案内板や、校舎内の数多くの当時の資料を目にするとき分かります。

@ 敷地内の案内板


   重要文化財
     旧中込学校

この建築物は、明治八年四月に着工し、同年十二月二十五日に総工費六千九十八円五十一銭八厘をもって完成され、当時は「成知学校」と呼ばれていたが翌年中込学校と改称された。

設計者は明治二年二月から六年六月までアメリカに学んだ佐久市石神出身の市川代治郎氏で、建物の内外に欧米風が多く取り入れられギヤマン学校として広くその名を知られ、見学に訪れる人が後を絶たなかったという。

現在日本に残っている洋風の学校建築では最古のものであり、昭和四十四年三月十二日国の「重要文化財」に指定され、さらに敷地は同年四月十二日国の「史跡」に指定された。

昭和四十六年八月一日から、国県の補助を得て解体復旧工事に着手し、総工費四千七百三十五万円をもって四十八年六月三十日に完成した。 建物は一たん解体し、組直したが構造形式の踏襲はもちろん後世改変部については資料に基づき可及的当初の形式に復旧整備した。

    昭和四十八年七月一日
         佐久市教育委員会


A 校舎内のデータの一部



 ここにあるのは、関口宇兵衛という人が当時二百三円五拾八銭というお金を寄付している、その受取書です。 日付を見ると、明治十二年四月とあります。

 今のお金に換算すればどのくらいになるのでしょうか。 総工費六千万円余ですから割合からみますと三十分の一になります。 当時のお金で考えてみますと、大変な額だったことと思います。 篤志寄付をされた方は関口さんのほかにも大勢の人たちがいたことと推察できます。

 設計の市川氏といい、学校建築に資金を拠出している関口氏といい、この旧中込学校を訪れる人はみな、陳列してあるデータを目にしたとき、明治初期の人々の心意気に魂を揺さぶられることと思います。

拝金主義のお金持が横行する今日の世情を見るにつけ隔世の感がするのです。

07 22(火) 大分県「後姿の教育」はあるのか

教育そのものの姿勢がおかしくなってきています。 私たちはどうすればいいのでしょうか。

昨今のメディアによりますと、大分県ばかりではなく全国すべての教育そのものの世界の中に、神聖でなければならない教育そのものを揺るがす醜悪な姿が報道されています。

教育そのものは、もともと両親がわが子を養育していく営みを指しています。 そこには慈しみ愛するという親の情と、あわせて将来にわたってのわが子の幸せを願っての養育の営みがなければなりません。

親の中には、親が当然果たさなければならない責任を十分自覚していない人もあります。 こういう人が多くなってきますと、その国が疲弊し衰退していきます。 教育を大事に考える人が多くなっていけばその国が希望に満ち安定し発展していきます。

  教育は国家百年の大計を要する、といわれるのは故なきことではありません。 アテネ人が果たした人類への貢献はひとえに技と知を大事にしていたこと(ギリシア語philosophia=技、知を愛すること)にあったと私は思います。

  いま私たちは日本では教育が大事にされているという思いが強いでしょうか。 どう考えてもそうとは思えません。

明治初期に教育に期するものは相当なものだったとおもいます。 七月十五日記載の佐久の中込学校をみても明治初期の人々の意気込みが伝わってきます。

福沢諭吉の学問のすゝめを読み直さなくてはなりません。最初に発行された冒頭の部分を次にあげてみます。


 天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり。

 されば天より人を生ずるには,万人は万人皆同じ位にして,生れながら貴賤上下の差別なく,万物の霊たる身と心との働を以て,天地の間にあるよろずの物を資り,以て衣食住の用を達し,自由自在,互に人の妨をなさずして,各安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

 されども今広くこの人間世界を見渡すに,かしこき人あり,おろかなる人あり,貧しきもあり,富めるもあり,貴人もあり,下人もありて,その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。

 その次第甚だ明なり。実語教に,人学ばざれば智なし,智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は,学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。    (以下略)


学んでしかる後富める者となったとしても、自由と我儘について、次のように釘を刺しています。

「自由と我儘との界は,他人の妨を為すと為さゞるとの間にあり。譬えば自分の金銀を費して為すことなれば,仮令い酒色に耽り放蕩を尽すも,自由自在なるべきに似たれども,決して然らず,一人の放盪は諸人の手本となり,遂に世間の風俗を乱りて人の教に妨を為すがゆえに,その費す所の金銀はその人のものたりとも,その罪許すべからず。」

私たちはどう対処していったらいいのでしょうか。

大分県の場合、教師としての資質を問う前に、人としての道義の資質を問わなければなりません。 道義の資質ある者の中から教師としての資質を問わなくてはなりません。

道義にもとる行為に陥った者がとるべき道は、教師の資質を失った者として職を辞することが最もよい判断でしょう。

ことが発覚しなくても悲痛な思いにいたった者は猛省しなければなりませんし、道義に反していると自覚したら教育の失格者として、辞職することを自分に約束しなければなりません。 そうした教育者は各都道府県にもいることでしょう。

こうした教育者の覚悟の表明がない限り、日本の教育の方向が鮮明になったとはいえませんし、私は悲しみが絶えることがありません。 報道を見ていますと、氷山の一角かという疑いすら感ずるのです。

教育について教育者だけを責めるのではなく、日本の将来の課題としてみんなで、日本の教育のあり方を見つけ出していかなくてはなりません。 ただ単に学校教育に限らず、殊に幼児期の教育、別の言葉としては0歳教育に焦点を当てて考えるべきでしょう。

教育の原点は、育ってくる子供たちに 「見られてもいい」 「聞かれてもいい」 そういう望ましい環境を、私たち親が創ってあげることにあります。

子供は自分で自分の世界を築いていくしかないのです。

この二つのことが十分理解されなければなりません。